最後の森と小人さん ~よっつめ~
「でも、まずはアンスバッハ辺境伯に挨拶だけはしておかないと」
急いで出立の支度を命じている小人さんに、ドルフェンが真顔で進言する。
えー、時間ないと思うんだけどなぁ。
むーっと口をへの字にして下唇を噛む小人さんから顔を逸らし、ドルフェンは肩だけを揺らして笑っていた。
周囲も同じで、西の森の警護兵まで斜め下を向いて肩を震わせている。
小人さん本人は顔をしかめたつもりなんだろうけど、可愛過ぎだった。うにゅっと潤む大きな瞳も、ただただ愛らしいだけである。
軽く咳払いをして緩む口元を隠し、ドルフェンは、なるべく厳めしい顔を作ろうとしつつ失敗していた。
情けない眼差しで、困ったように彼は小人さんを見下ろす。
「最低限の礼儀は通さなくては。帰りに寄ると早馬を立てたのですから、約束を反故にしてはいけません」
確かに。信用をわざわざ落とす必要はないよね。でも、一日でも早く金色の環を完成させておきたいんだけど。
取り敢えず、わきゃわきゃ手足をバタつかせながら時間がない事を訴えて、一泊は無しで食事のみとの話に落ち着いた。
それも本来ならば失礼にあたるが、緊急事態ということで押し通す。
今すぐにでもモルトの森へポチ子さんと、かっ飛んで行きたい小人さんの最大限の譲歩。
ここからだと流石のポチ子さんでも丸二日以上かかるからだ。
途中一泊夜営になるし、とてもじゃないが許可は出せないと、ドルフェンすらも反対する。
「どちらにしても、隣国を訪れるなら国王陛下の打診が必要です。お忘れですか?」
そう言えば、そうだった。
以前、隣国の森を訪ねる時も、そういうやり取りがあった事を思い出して、千尋は王宮へも早馬をたてる。
何故に、こうも上手く事が運ばないのか。
あーん、とグズりつつ、アンスバッハ辺境伯邸まで、泣く泣く連行される小人さんであった。
「ようこそお越しくださいました。お久し振りです、チィヒーロ王女」
好好爺な笑顔で迎えてくれたのは、ヘブライヘイル。
それに鷹揚に頷き、千尋は清しい笑みで可愛らしく微笑んだ。
「歓待、ありがとう存じます。アンスバッハ辺境伯」
あんだけ、イジイジと拗ねていたのに、この変わり身よ。
到着するまでの不貞腐れた小人さんを知る騎士団は、真顔を維持しながら心の中で呆れた溜め息をつく。
目の前には王族然とした金髪の幼女。
馬車の中で、それらしいワンピースに着替え、頭を飾るのは小さなリンゴのヘアピン。
王族としては質素だが、物の良さから、貴族、あるいは豪商の娘といった出で立ちだ。
夜営すら考慮した旅な事を考えれば、納得のいく服装なのだろう。
アンスバッハ辺境伯も、特に不審を抱くこともなく、屋敷に招き入れてくれる。
促されて案内されたのは豪奢な応接室。
歴史を感じる調度品が並び、重厚なビロードの張られたソファーは座り心地抜群。
ただ、小さな小人さんには、どの椅子も大きすぎる。
桜はおもむろに部屋を一瞥し、一人がけのソファーにクッションを数個置いて、その隙間に千尋を座らせた。
そして。にこりと微笑み、軽く眼をすがめる。
「千尋様がおいでになると分かっておられたのでしょう? 何故、適切な場所が用意されていないのですか?」
千尋が気持ちよく座れる椅子が用意されていない。たったそれだけだが、長く皇族として暮らしてきた彼女は、敏感に察した。
歓待する笑顔の陰に隠された不協和音。皇宮でも良くあった事だ。
微かな違和感だが、突き詰めれば、見える意図の存在。
それに桜は気がついた。
応接室に設えられた御茶の用意に、控える侍従やメイド達。
茶菓子も高価な物だと見てとれるし、間違いなく歓待されているのだが、詰めが甘い。
辺境伯家の使用人ともあろう者が、有り得ない失態である。
失態の示唆に気付き、初老の家令が深々と頭を下げた。
「申し訳ございません。王女様を御迎え出来ると、少々浮かれていたようでございます」
騎士らは、その理由に得心顔で頷いていたが、桜は、さらに慧眼に眼をすがめた。
「では、これを」
用意されていた御茶やお菓子を侍従らに差し出し、彼女は優美に微笑む。
その瞳の奥に仄かに燻る焔は、欺くことを許さない鋭い切れ味をその笑顔に含ませていた。
「毒味を御願いいたします」
言われて侍従達は、あからさまに狼狽える。そして憤慨したかのように眉をつり上げた。
「それは、わたくしどもを信用出来ないという事でございましょうか?」
桜は思わず噴き出し、コロコロと良く通る声で笑う。
「当たり前でございましょう? 王宮の厨房で作られた物ですら、毒味はされるのですよ? 何故、辺境伯家だけ特別になると思われるのですか? 辺境伯家は王宮よりも格が上だとでも仰いますの?」
ぐっと詰まる侍従達。
言われてみれば、その通りだった。
王族が口にする物に毒味が行われない訳はない。
そんな事も失念するほど辺境伯家は浮かれていたのだ。
長年の悲願の達成に。
この家は、末席の御者にいたるまで、一人残らずカストラート国の者である。
フロンティア王家に敬意はないし、悲願を成就させる事にしか眼がゆかず、細かい配慮が欠けていた。
そんな微かな違和感をガッチリ掴み、桜は訝しげに侍従らを見据える。
「毒味出来ない代物という事で、お間違いありませんね?」
それすなわち、何がが仕込まれた物。
桜の言葉から、小人さんに対する辺境伯家の悪意を察した騎士らが、瞬間沸騰。
獰猛に顔を歪めて、ドルフェンが小人さんを抱え上げた。
「貴様らっ、何を企んでいる?!」
その凄まじい憤怒に圧され、侍従やメイドらが数歩後退った。
一触即発な空気がバチバチと火花をたてる中、誰かを連れて辺境伯が応接室に入ってくる。
そして、しばし眼を見張り、双方を眺めて口を開いた。
「これは一体? 何か失礼でもございましたか?」
「失礼どころではないわっ、貴殿の....っ」
怒りに押されるまま怒鳴り付けようとしたドルフェンだが、懐の小人さんが大きくみじろいだ事で言葉が途切れた。
ドルフェンの腕の中で乗り出すように身体を伸ばした千尋は、辺境伯の後ろに立つ女性を凝視している。
凍った眼差しで見据えながら、不様にも震える唇を駆使して幼女は呟いた。
「シリル....っ!!」
絞り出すような小さな呟き。
それに満面の笑みを返して、シリルと呼ばれた女性は、花が綻ぶように優美な顔で答える。
「お久し振りでございます、ファティマ様」
しっとりとカーテシーをする女性と、今にもはち切れんばかりの怒気を隠しもしない千尋を、騎士団は不思議そうに見つめていた。
「あんたがアタシをっ、ファティマを殺したんだっ!!」
「何を仰っていますの? あなた様は、そこにおられるではないですか」
不可思議そうに首を傾げ、シリルは、そっと千尋に手を伸ばす。
その手を弾き飛ばすかのように強烈に叩き、ドルフェンが小人さんを懐に抱え込んだ。
「そうか、貴様か。チヒロ様を監禁して殺そうとし、さらにはファティマ様とやらを死に至らしめた元凶は」
燃えるような眼差しでシリルを射抜くドルフェン。
だが、その言葉の意味が解らず、小人さん部隊を含め、周囲は困惑を隠せなかった。
ファティマ様とは誰だ? 殺された?
そんな疑問が漂う室内で、シリルは唇を噛み締める。
ファティマを監禁して殺そうとした。
そのように思われていたのか。
ありったけの愛情を込めて御育てしてきた王女殿下。それを殺そうとなどする訳がないではないか。
不手際で計画が狂ったのは確かだ。それで王女の身に危険が迫ったのも間違いないだろう。
だけど、殺そうなどと思うはずがない。
それを伝えようと口を開きかけたシリルだが、そんな益体もない事には意味が無いと思い直した。
これから傀儡とする王女に、弁明など必要はない。
チラリとテーブルに視線を振り、何も手がつけられていない事を確認すると、シリルは懐から何かを取り出した。
気づいたドルフェンが奪う間もなく、シリルは出した何かごとドルフェンに向かって体当たりする。
それを慌てて押しやったドルフェンだが、時すでに遅し。
シリルが持っていた何かが小人さんの右腕に刺さっていた。
「チヒロ様っ?!」
刺さっていたのは小さな針のついた風船のような物。ドルフェンは急いで掌サイズのそれを抜き、千尋を揺する。
「チヒロ様? チヒロ様っ?! どうなさいましたかっ?!」
小人さんはぐったりと力なく項垂れ、何の反応も示さない。
その瞳は輝きを失い、朦朧とした面差しで微かに息をしているのだけが確認出来た。
「貴様、何をしたっ?!」
掴みかかろうとしたドルフェンの手を軽くいなし、シリルは冴えた感情のない瞳で彼を見据える。
「さあてね。毒かしら? 放っておいたら、どうなるかしらね?」
そうクスクス嗤いながら、投げ捨てられた風船のような物を拾い上げた。
その先についた針から滴る薄紫色の液体。
あれが小人さんに?
半瞬にも満たぬ一幕。驚愕で顔を凍らせる騎士団の面々。
あっという間の事で、誰も反応が出来なかった。
毒なのかっ?!
真っ白な顔で戦慄くドルフェンに手を差し出し、シリルはニタリと歪な笑みを浮かべる。
「解毒は出来るわ。ファティマ様を寄越しなさい」
「ふざけるなっ!!」
「あらぁ? 良いの? このままだと、死んでしまうわよ?」
牙を剥き出しにして吠える彼にも分かっていた。
何の毒か分からない以上、使った本人にしか解毒は出来ない。
捕らえて拷問しても話すか分からないし、何よりそんな時間もない。
このままでは、本当にどうなってしまうのか分からないのだ。
血が滲むほど唇を噛みしめ、ドルフェンはガクガクと震える指を死に物狂いで操り、千尋をシリルに渡した。
「隊長っ?!」
驚き、思わず進み出た騎士らを桜が止める。
騎士達の歩みを遮るよう、真一文字に差し出された桜の腕も、怒りのあまり微かに震えている。
「仕方無いよ。千尋本人が人質なんだ。なんの薬か分からない以上、相手に従うしかない」
「そんな.....っ」
絶望に眼を見開く騎士達の前で、シリルは千尋を抱き上げ、恍惚とした顔で、その柔らかな金髪に顎を埋めた。
「ああ、お帰りなさいませ、ファティマ様」
至福の極みと言わんばかりなシリルを訝る小人さん部隊。
それを据えた眼で一瞥すると、シリルは踵を返して奥へと歩きだした。
事の一部始終を傍観していた侍従らやメイド達も、シリルについていく。
そしてアンスバッハ辺境伯も。
「閣下っ! これは完全な叛逆ですぞっ!! 理解しておられますかっ?!」
なんの感情もなく立ち去ろうとした老人の背中に、ドルフェンが叫んだ。
しかし老人は全く動じず、静かに振り返ると、溜め息のようにゆったりと言葉を紡ぐ。
「過去にも今も、フロンティア王家に忠誠を誓った事はない。叛逆にもなるまいて。最初から敵だったのだから」
思わぬ言葉にドルフェンは絶句した。
「我々を追わないようにな。こちらの安全が確認されたら、王女の処置をしよう。魔物らも、君らも、この場から動かないように。もし追ってきたら王女の処置が遅れてしまうかもしれん」
そう言うと、老人は疲れたような眼差しで小人さん部隊や魔物らを見渡した。
王族として魔物を傍に控えさせる訳にもいかず、ポチ子さんも麦太も馬車の中である。
しかし千尋の異変を感じとり、屋敷の周辺を魔物が警戒して飛び回っていた。
それを窓から痛ましげに見つめ、アンスバッハ辺境伯は、屋敷の奥へと消えていく。
消えていく辺境伯を茫然と見送り、ドルフェンは何が起きたのか分からない。
辺境伯家の悪意に気づいた瞬間から、あっという間の出来事だった。
ものの数分。たったそれだけの時間で、主君を奪われた。
なんてことだ。
ほんの一瞬の隙が、絶体絶命の窮地を招いたのだ。
己の不甲斐なさに言葉も無い。
動くことも出来ずに四面楚歌な小人さん部隊の背後から、辺境伯家を目指して進むロメール達フロンティア正規軍。
そしてもう一陣も、一路、辺境伯家を目指して進んでいた。
フロンティア正規軍と謎の一軍。
こうして金色の王を手にいれたカストラートは、全力で国境に向けて逃亡を始める。
国境付近にはカストラート軍が戦の準備をしているはずだ。
神々が見守る中、世界の命運は人の手に委ねられた。




