海の森と小人さん ~やっつめ~
ロメールの根回しに、なにやらキナ臭い雰囲気が。
「寝ちゃったかぁ~、ごめんね」
ふにゃあ~と大きく欠伸をし、あぐらをかくドルフェンの膝に抱き抱えられながら、小人さんは、くしくしと眼をこする。
夜営用品を片付けつつ、騎士らが微笑ましそうに、その姿を見つめていた。
うに~うに~と左右に首を振り、千尋は高くなったお日様を見上げる。
「まあ、皆疲れていたし、丁度良かったんじゃないかな? 返事も返ってきたようだしね」
軽く伸びをして、ロメールは遠くを見るように手をかざした。
同じように視線をふると、澄み渡った青空に微かな点が見える。その点は、みるみる大きくなり、鋭い羽音を響かせ、幼児サイズの蜜蜂が、ロメールの目の前に降り立った。
器用に交差された前足には一通の書簡。
差し出された書簡を受け取り、開こうとしたロメールは、ふと強い視線を感じる。
御届け物をした蜜蜂が、じーっと彼を見つめていた。一瞬、首を傾げたロメールだが、その意図を察して、思わず顔を綻ばせる。
そしてしゃがむと、優しく蜜蜂の頭を撫でた。
「ありがとうね。お疲れ様」
魔力をのせた手で撫でられ、蜜蜂の眼が心地良さそうに蕩け、撫でられた頭を大切そうに抱えて離れる蜜蜂を見送り、ロメールは何とも言えない気持ちに満たされた。
如何にも照れくさそうなロメール。
その気持ちは面映ゆいというモノなのだが、彼は知らない。
そして改めて書簡に眼を落とし、思案げに眼をすがめる。
「おかしい。皇帝ってバカだったんじゃないのか?」
酷い言われようだ。
思わず苦笑いする小人さんに、ロメールは書簡を見せた。
それには、宣戦布告への返事が書かれている。
「へ? 宣戦布告って..... いつのまに?」
惚ける小人さんに、ほくそ笑み、ロメールはチラリと木陰に視線を振った。そこには筆記具一式が置かれている。
「まあ、突然攻め込むのは道理に反するからね。蛮族の謗りを受けたくないなら、手順は大事だよ、チィヒーロ」
にっこりと人好きする笑みを浮かべても、その端々に漂う腹黒さは隠せない。と言うか隠す気もないのだろう。
渡された書簡を受け取り、小人さんは歯茎を浮かせた。
さっと文面を一瞥し、千尋もロメールと同じく思案気に眉を寄せる。
そこには、悪事の全てを認め、全面降伏するむねが書いてあり、さらには皇帝も処罰に応ずると明記してあった。
潔いというか、あまりにも意外だ。
じっと念入りに書面を見つめ、しばらくしてから小人さんの眼が、カッと見開かれる。
「ここっ! これ、ヤバいっ!!」
千尋の指差した場所には皇帝の玉印。その名前が、日渡桜になっていた。
漢字を用いた皇族専用の印鑑は、ロメール達に読めない。千尋にとて、印章独特な崩し文字は読みにくいが、ここで例の謎なルビ振りスキルが威力を発揮した。
印章の上に揺れるルビ。そこにはくっきりと日本語で日渡桜と浮いている。
「これ、今の皇帝の名前じゃないっ、桜の名前になってるのっ! 桜に戦争責任負わせて皇帝は逃げるつもりだよ、きっと!!」
譲位とは難しいものではない。現皇帝が書類を揃えて申請すれば受け入れられる。
譲られる方に否やは無いのだから。皇帝とは、そういう権力を持つものだ。
現皇帝が、前皇帝の遺言を無視して継承出来たのは、ひとえに桜がいたからだ。
桜が正妃となるならば、兄である今の皇帝が帝位についても文句は出ない。
さらには桜が国外へと逃げ出し、唯一の直系となった彼が皇帝となるのは自然の成り行きだった。
予想の範囲を出ないが、ここにきて前皇帝の遺言が生きてしまったのではなかろうか。
桜の死亡が確認されず、さらには万魔殿で生きている事はキルファンも知っている。
形だけとはいえ、返還要請も来ていたのだ。桜を娶っていない今の皇帝は、たぶん、暫定的な立場だったのだろう。
本来は指名を受けた桜が継承するまでの中継ぎ。でなくば、ここまで鮮やかに頭のすげ替えは出来ないし、何より玉印の用意が間に合う訳はない。
千尋の説明を聞き、ロメールの顔が血の気を失う。
「やられた。そういう事なら、宣戦布告に現皇帝と明記すべきだった。こちらからの文面には、領海侵犯に関する皇帝への責任追求、武力放棄と主の子供らの返還、あとは帝都までの往路を解放するようにしか書いてない」
歯噛みするロメール。
それは仕方のない事だろう。
手紙の宛名が現皇帝であれば、文面に含まれる皇帝の文字もそのようにとられる。
まさか、頭をすげ替えて逃げようとするなど、誰が思うものか。
「桜の兄貴って、なんて名前なの?」
小人さんの底冷えする声音に怯えつつ、異口同音に呟かれる。
「「陸人」」
思わず顔を見合わせるロメールと克己。
それを見て微かに苦笑し、小人さんは忌々しげに口を開いた。
「陸人ね。.....見下げ果てた卑怯者が」
底冷えを遥かに穿つ氷点下の怒気が辺りに漂い、歴戦の騎士団すらをも背筋を凍りつかせる。パンピーな克己などひとたまりもない。
黄緑色の肩を震わせ、小人さんは晴れやかな笑顔で振り返った。
「せっかくのお招きだ。行こうか」
ふわりと柔らかい微笑みに反して、周囲を吹き荒ぶブリザード。
ツェットが、さも愉しそうに含み笑いを漏らしている。
.......これ、あかん奴や。
鋭利な氷の刃に全身を撫でられているかのように、ぞわりと粟立つ肌と、背筋から消えない悪寒。
克己は心胆寒からしめる幼女の変貌ぶりに、ピクリとも動けなかった。
同じ冷気を感じていても、くぐってきた修羅場の数が違うのか、ロメールや騎士らは普通に動いている。
その顔は険しく、さすがに平静ではいられないらしいが。
そしてふと、身動ぎも出来ずに固まっている克己に気付き、ドルフェンが仕方無さげな顔で克己を小脇に抱えてパーニュに乗せた。
しかし、出立しようとするフロンティア一行の背後に鋭い羽音が聞こえる。
新たな蜜蜂の援軍が到着し、さらに遠目に何隻かの船が見えた。
「ああ、来たんだな」
それはリュミエールからやってきた辺境伯騎士団の船。ひしめき合う魔物の群れに、おっかなびっくりしながらも、ロメール達のいる小島に近寄ってきた。
少し離れた位置から小舟を出して、降りてきた騎士が小島にやってくる。
「お久し振りでございます、王弟殿下。辺境伯の命により、馳せ参じてございます」
「久し振りだね、ビュッテンフェルト騎士団長。こちらは、チィヒーロ王女殿下だ」
小舟で来たのは真っ赤な髪の老齢な男性。薄くはいた笑みは面白そうに瞳を輝かせていた。
「エラブスター・ラ・ビュッテンフェルトと申します。お見知りおきを」
「チィヒーロ・ラ・ジョルジェと申します。以後よしなに」
すっと背筋を伸ばして頷きつつ、小人さんは目の前の男性を見据える。
赤い髪に、その名前。もしかして?
チラリとロメールを見ると、彼は軽く眼を細めた。
「そう。ハロルドの父御だ」
やっぱし。親子揃って騎士団とは、そういう家系なのだろうか。
「パーニュを回収して、船に移ろう。ポチ子さん達、頼むね」
ロメールが言うと、騎士らの乗ったパーニュごと蜜蜂達が持ち上げ、やってきた大きな船へと運んで行く。
それを驚愕の面持ちで見つめ、エラブスターは信じられないといった視線でロメールを見た。
その見開いた眼に肩を竦めて、ロメールは小人さんを見る。
「話には聞いておりましたが、いやはや。金色の王とは凄まじいものですな」
呆れと驚嘆を同衾させたエラブスターの呟きに、思わず顔を見合わせる王宮の面々。
王宮の彼等にとっては、これが日常なので、すでに感覚が麻痺していた。
その戸惑いを察し、エラブスターが豪快に笑う。
「これは良い。散々呑まされた煮え湯を一括で返してくれるわ」
南西の海側を統括する辺境伯領ゲシュベリスタ。キルファン帝国とのいさかいの矢面に立つ彼等には、今まで思うところがあったのだろう。
その黒々とした獰猛な笑みは息子のハロルドと良く似ていた。
ポチ子さんに抱えられて船に乗り込むと、甲板で見慣れた人物らが手を振っている。
「千尋! 怪我はないかい?」
「桜?!」
桜は小人さんを抱き上げて、心配そうに眉を寄せた。
「ほんとに...... 無茶をおしでないよ」
王宮派出館で別れた桜は、ロメールが護衛をつけて仮邸へ避難させ、待つようにとの言葉に頷き待っていたらしい。
しかし待てども暮らせども、誰一人戻ってこない。夜が明けて護衛の騎士達とともに、再び王宮派出館へ訪れると、そこには辺境伯騎士団がおり、ロメールの命で戻ってきていた王宮騎士団の面々もいた。
あらかたの事情を聞いた桜は、ロメールらを追いかけるという辺境騎士団に捩じ込み、無理やりついてきたのだという。
「あんたは子供なんだよ? こんな事は大人に任せたら良いの」
「ごめんねぇ、桜。でも、主の森の事はアタシの管轄なんだよ」
ぎゅーっと抱きしめ合う二人に、周りは微笑まし気な笑みを浮かべる。
ひとり、ドルフェンだけが苦虫を噛み潰しているのも御愛敬。
「それじゃ行こうか」
小人さんの言葉に大きく頷き、五隻の船が動き出した。
帆船だが、フロンティアの船に風はいらない。基本的な動力は魔道具なのだ。帆は保険に過ぎない。
ツェットの先導で進む船隊は、一路、小島群の最奥に位置する帝国を目指す。
桜を陥れようとか、ふざけんなや、陸人っ!! 絶対に取っ捕まえてやるからねっ!!
剣呑に眼をすがめる小人さん。
怒ったり、笑ったり、驚いたり。
毎日、色々あるけれど。今日も小人さんは元気です♪
小人さん激オコです。~海の森~は、あと二部で終わります。
最後まで、御笑覧くださいませ♪




