花祭り
「さあっ、久々の休みよ! 祭りを堪能するわよ!」
張り切っているのは、アーニャだった。
ソラノは隣を歩きながら同じく気合万端であった。
アーニャはいつもの事務職員の制服ではなく、休日の、しかも祭りの日だという事でお洒落をしている。隣のソラノも本日はモスグリーンのワンピースを脱ぎ捨てて私服に手を通していた。
「ところでソラノ、デルイさんじゃなくてよかったの?」
「デルイさんは今日で三十五日連続勤務中」
「さっ、三十五……っ!?」
アーニャは兎の耳を垂直にたて、驚き顔でソラノの言葉を復唱した。
昨日、「明日も仕事。三十五日目」と言っていたデルイの顔には流石に疲労の色が見え隠れしていた。このままでは倒れるのではないだろうかと本気で心配した。
「いやいや、それは普通じゃ無いでしょう……私でも、そこまで経験した事ないけど」
「部署違うせいじゃない?」
「いやまあ、確かにこの時期の保安部はすごい忙しいと思うけど」
「ルドルフさんも、現場に駆り出されっぱなしだって言ってたよ」
ソラノは歩きながら思い出して言った。きっとルドルフも帰っていない。彼はデルイより疲労のにじむ顔で、げんなりしながら「帰りたいんですけどね」と力なく言っていた。
アーニャは顔を顰めて言う。
「大変そうねー。エアノーラさんはかろうじて家には帰してくれるから感謝しないと」
「まあレオ君なんかは『泊まる場所が空港ならまだいいじゃねえか。冒険者やってると、野宿だって当たり前だ』って言って、デルイさんも『確かにそうだね』って頷いてたけどね」
「中々に感覚の狂った会話ね」
アーニャはやりとりを想像したのか、呆れたように言う。
「まあ、今日は忙しい皆様の分まで思いっきり楽しむわよ。私だって、今日と言う日を楽しみにずっと仕事頑張ってきたんだから!」
アーニャは気持ちを切り替えてそんな風に叫んだ。
ソラノとしても、申し訳ない気持ちはありつつも今日は楽しもうと胸に誓っている。
大体、ソラノがどれほど気に病んでも手伝える事などありはしない。せいぜいがお弁当を買いに来た彼らに労いの言葉をかけるくらいだ。
ならばもう、本日は仕事で忙しい皆様のことは頭の隅に追いやって、目の前の祭りに集中するしかない。
「よしアーニャ、行こう」
「ええ、行くわよ」
ソラノはアーニャの腕を取った。アーニャも凛々しい顔で返事を返してくれた。
向かう先は春祭りの会場ーーモンマルセル広場である。
祭りの会場は人でごった返していた。去年も凄かったが、今年も負けず劣らずの賑わいだ。
祭りの名前にふさわしく、女性は花冠を被り、男性は胸に小さなブートニアを付けている人が多い。そこかしこに溢れる花は美しいだけでなく、良い香りを祭りに添えていた。
「せっかくだから花冠を買いましょう!」
アーニャは勢い込んで花冠を扱う屋台の一つに突撃し、「どれがいいかしら?」と悩んでいる。ソラノは一つ、ピンク色の花に彩られた冠を手に取った。小ぶりのチューリップのような淡い薄桃の花、それに同系色の小ぶりの花が散りばめられており、アクセントに白い花もあしらわれている。ウサギの耳を通し、アーニャの頭に被せてみた。
「似合うよ」
「そう? これにしようかしら。なかなかセンスいいじゃない」
「商業部門の職員にそう言われると、嬉しいね」
「ふふん。私のセンスはエアノーラ部門長お墨付きよ」
胸を反らして言うアーニャは、今度はソラノの花冠を見繕ってくれた。どんなものを選ぶのだろうかと興味津々で見ていると、アーニャが手に取ったのは白い花びらが幾重にも重なった大きめの花と、緑の蔦で出来た花冠を手にする。
「これなんかどう? ソラノっぽいと思うわよ」
「これは……私っぽいと言うより、店の印象が強いんじゃない?」
花冠自体は可愛い。とても可愛いのだけれど。ソラノは素直な意見を口にしてみた。
「店で着ているワンピースとエプロンのイメージでしょ、これ」
「あっ!? 言われてみればそうね!!」
アーニャは目を開き、花冠をまじまじと見ながら「そうだったわ!」と全身で表現する。
「店のイメージが強すぎるのよ……だっていつもあのワンピースじゃない」
「それを言ったら、アーニャだっていつも白と青の制服着てるじゃん」
「そうね……そうなるわね」
「でも、可愛いからこれにしよう。せっかくアーニャが選んでくれたんだし」
言ってソラノはヒョイっと花冠を頭に乗せてみた。店に備えてある鏡で確認すると、しっくりくる。さすが毎日身につけている色なだけあった。
「よし、これに決まり。お会計お願いしまーす」
「即決ね!」
「アーニャは?」
「私もこれにするわ!」
頭に乗せた花冠をお買い上げして、そのまま広場に繰り出した。
「ねえアーニャ。私、今日は是非顔を出したい店があるの」
「何、どこどこ?」
「前にアーニャが差し入れしてくれた、クロワッサンのお店」
「フゥファニィ・フェレールね!」
アーニャが指を立てて言い、ソラノもうん、と頷いた。
「実はあの差し入れの後、本人たちがお店に来て。新商品を開発したはずだから、それを食べに行きたいんだよね」
「なるほどね。私もあのクロワッサンは、もう一度ちゃんと食べたいと思っていたのよ。何せ前回は、殿下がご一緒だったから味がよくわからなくて……行きましょう」
アーニャがエアノーラとロベールに挟まれて肩身狭くクロワッサンを頬張っていた事実など、ソラノは知らない。
リベンジに燃えるアーニャに引きずられるようにして、ソラノは頭から落ちそうになった花冠を押さえつつ目指す店がどこにあるのかを探した。
「ここ……?」
「ここのはずだけど……」
そうして見つけた店には、凄まじい長蛇の列が出来上がっていた。蛇行に蛇行を重ねた行列は、他の出店に迷惑がかかるほどの長さだった。おそらく、五十人くらい並んでいる。これは一体、どうしたことなのか。
ポカンとした顔を見合わせつつ、「フゥファニィ・フェレールのデザートクロワッサン、最後尾はこちらです!」という声に釣られ、ソラノとアーニャの二人は列の一番後ろに並ぶ。
並びながらも他の店を見たり、買い食いをしたりしてとなんだかんだで楽しみつつ小一時間。
やっと見えた店の前では、アランと従業員と思しき売り子が元気にクロワッサンを売っていた。奥の方では弟のトリスタンが忙しそうに作業に明け暮れている。
「ソラノさん、来てくれたんだ!」
アランは相変わらずの人懐こい笑みを浮かべ声をかけてくる。
「わざわざ並ばなくても、裏に回ってくれたらこっそり商品を渡したのに」
「いえいえ、こういうのはちゃんと並ばないと」
「そう? 律儀ですね」
言いながら視線をアーニャへと移したアラン。
「そちらの方は、以前エア・グランドゥールの視察で来てくださった方ですよね?」
「覚えていてくれたんですね」
「勿論。今日は新作出ているので、是非どうぞ」
言って示したその先にあるのはーー色とりどりのクロワッサン。
しかし以前見たものとは大きく異なっている。
切れ込みの入ったクロワッサンは真ん中に生クリームが絞られており、トッピングも乗せられていた。
「わぁ、凄い……!」
アーニャの目がキラキラと輝いている。アランが一つずつ、説明をしてくれた。
「苺フレーバーのクロワッサンには、生の苺。アールグレイにはチョコレート。カボチャには色味が似ていて濃厚さが売りの果実ベルマンテを合わせています。それからこれがマッチャクロワッサンで、アズキが入っているんだ」
単体でも評判の良いクロワッサンがデザートとして更なる進化を遂げていた。これは行列ができるのも納得である。
アーニャは「どれにしようかしら!?」と真剣に悩み、眉間に皺を寄せていた。
ソラノはそんなアーニャを横目にアランに笑いかける。
「うまくいったんですね、組み合わせ!」
「はい。ソラノさんのアドバイスのおかげです、まさかここまで評判になるとは思っていなかったんで、驚きですけど……」
たじろぎながら行列を見つめるアラン。
しかしこの出来ならば、行列も納得だ。小ぶりのクロワッサンに挟まれたクリーム。ちょこんと顔を覗かせるトッピングたち。可愛らしい見た目は、食欲と購買欲をそそられる。女子受け間違いなしの一品だった。
「私、決めたわ。苺とアールグレイにする! ソラノは?」
「じゃあ、カボチャと抹茶にする」
「ありがとうございます」
アランが包んでくれたクロワッサンを受け取り、代金を渡す。
忙しそうだし邪魔になってはいけないからとその場を後にすると、広場に設けられているテーブルセットで空いている箇所を探して二人で座ってクロワッサンにかじりついた。
「苺クロワッサン……! 幸せの味!」
アーニャは口の端に生クリームがつくのも構わず、一言そう言うと、「生きててよかった〜!」などと大袈裟な感想を漏らしている。
ソラノは抹茶味のものを口に運ぶ。相変わらずのふくよかな抹茶の香り。そして生クリームと小豆のコンボ。
舌で唇についた生クリームを舐め取りながら、その味わいをゆっくり噛み締めた。
抹茶クロワッサン、美味しい。
小豆と生クリームが合う事は店でのブランマンジェで証明済みだが、こうしてクロワッサンに挟まれていてもその良さが発揮されている。
やっぱり和の食材は可能性が無限大である。クロワッサンにもブランマンジェにもピッタリと合う抹茶と小豆。これから先、いろいろなものと組み合わせてもっともっと普及すると良いのに、と思いながら無心でクロワッサンを頬張っていると、アーニャが恐る恐るといったふうに話しかけてきた。
「ねえ、ソラノが選んだその緑色のクロワッサンは何?」
その質問を待っていましたとばかりにソラノはアーニャに説明をした。
「抹茶だよ。お茶を粉末状にしたもので、その点はアールグレイに似ているかな。違うのは、香りと苦味。でもこれがクロワッサンにいいアクセントを与えていてね。この、生クリームの上に乗ってる小豆とも相性バッチリなの。どう? 一口食べてみる?」
「相変わらず説明上手ね……いいわ、一口貰うわ」
ソラノは口を開けて待ち構えるアーニャに抹茶のクロワッサンを差し出した。サクッと良い音がしてクロワッサンが噛みちぎられる。
ソラノの説明を受けて尚、半信半疑の表情をしていたアーニャは、クロワッサンを噛み締めるたびに表情が緩んでいった。そして飲み込み、一言。
「えぇ……何これ、初めて食べる味! お、美味しい……!」
「でしょう」
ソラノは得意げに笑う。作ったのはソラノではないが、抹茶と小豆の良さに王都の人々が気が付いてくれるのならば、これはとても喜ばしいことだ。
「美味しいわね、ちょっと初めての食材すぎて注文するのはやめちゃったけど。うん、食べてみると、美味しいわ!」
「でしょでしょ」
言って、ソラノはハッとした。
もしかして、この抹茶クロワッサン、売れていないのでは?
アーニャの言うように、食材に馴染みがなさすぎて敬遠されている可能性がある。
そういえば、さっき抹茶クロワッサンだけが沢山残っていたような……。
追い討ちをかけるようにアーニャがこんな意見を言い出した。
「このサイズだから、二つくらいならぺろっと食べられるけど。でもどうせ買うなら苺か、アールグレイか、カボチャになるわよね。抹茶は最初から選択肢から除外になっちゃうっていうか」
「…………!」
間違いない。このままだと抹茶の良さが伝わらない。危機感を感じたソラノは立ち上がった。
「アーニャ、アランさんたちのお店に戻るよ」
「え!? ど、どうしてよ」
先ほどまでと打って変わって、硬い声を出すソラノの異変に戸惑うアーニャがそう声をかけてくる。ソラノは拳を握り、言った。
「決まってるでしょ……お店を手伝って、抹茶クロワッサンを売るため!」
「え、ええーっ!?」
びっくりするアーニャを気にせず、ソラノは残ったカボチャのクロワッサンを頬張りながら歩き始める。唐突に店を手伝うと言い始めたソラノについていけず、アーニャが追い縋ってきた。
「ちょっと、ソラノ急にどうしたの」
「抹茶と小豆をアランさんたちに薦めたのは、私。だから責任を持って、私、あのクロワッサンの良さをお客さんに伝えて、売ってくる」
「休日にまで働くつもりなの!?」
アーニャのもっともなツッコミなど、ソラノの耳には届いていなかった。
売らなければ。抹茶クロワッサンを売らなければ。和食の良さを王都に広く知らしめなければならない。
これはもはや、ソラノに課せられた使命である。
「アーニャも手伝ってくれる?」
「私まで!? お祭りを堪能したいんだけど!?」
「そっか……」
「そんな悲しそうな顔しないでよ、手伝うわよ!」
口から勢いで飛び出した言葉に、アーニャはしまったという顔をしたがもう遅かった。
笑顔のソラノに引きずられ、二人はアランたちの店に突撃する。
二人の申し出を快く受け入れたアランによって、ソラノは臨時の売り子をし、そして抹茶のクロワッサンは唐突に飛ぶように売れ始めた。
アーニャは裏でトリスタンの助手をしてせっせとクロワッサンの用意をしていた。
二時間後には材料切れで見事に売り切れとなった抹茶クロワッサン。
二人はフゥファニィ兄弟と店の売り子に礼を言われつつ見送られ、再び祭りを見て回る事になる。
尚、この日を境に、王都では抹茶と小豆を使ったスイーツが溢れるのだが、それはもう少し先の話である。
お読みいただきありがとうございました。
これにて三年目春編完結となります。
本日、コミカライズ2巻が発売です!
売上が良いと3巻も紙で発売されますので、是非ともご購入をお願いします。
https://comic-growl.com/series/02674f27ad178?s=1





