act.99 絶体絶命
背中に伝わる堅い木の感触。頭は完全に混乱している。一体何が起きたんだと自問自答を繰り返す。答えは簡単、吹き飛ばされたんだ。だから何が起きて吹き飛ばされたんだ。背中のダメージが鈍痛となって思考を邪魔する。
クルトは追撃に来ない。しかし、その場で回し蹴りのモーションに入る。
不可解だ。天地がひっくり返ってもそんな攻撃が届くはずがない。届くはずがないのに、紫電を纏うことで鋭敏となった感覚が告げている。危険だと。
イグナールは咄嗟に左方向へと回避する。そしてまた木に激突した。
「クッ‼」
紫電の身体能力強化で速さを手に入れたものの、制御が難しい。それに、いくら速くても直線の動きしか出来ないのだ。誤れば自滅の危険すらある。
だが、回避の選択そのものは間違っていなかったようだ。先程まで背中を預けていた木が両断されている。それだけではない。まるで森を切り開くがごとく、後方にあった木々が扇状に切断されていた。
「風か……!」
「ご名答。しかし、遅すぎますね。いろいろと」
先程イグナールを吹き飛ばした力の正体。木々を両断せしめた力の正体。それはクルトの魔法。風属性魔法によるものだ。
クルトの戦闘スタイルは風属性の魔力を纏い、体術メインで戦うもののようだ。短剣はあくまで近接戦闘において、相手の武器をいなし崩す、防御に重きを置いたものなのだろう。
近寄れば風の力で吹き飛ばされ、離れると風の刃が襲い来る。
後方から特大威力の暴風を振りまくデボラなどの魔法使いとは対極をなす、属性の身体強化と剣術や拳術で戦うディルクのような魔法剣士タイプ。イグナールの前に立ちはだかるのは風の魔法剣士クルト。
今だ自分の力すらも理解出来ず、魔法使いにも、魔法剣士にもなれない半端者のイグナールが敵うような相手ではないのは明白である。
当初クルトに対して殺すと宣言した強気な自分はどこへ行ったのだろうか。いや、ただ単に殺されたのだ。怒りで奮い立ち、猛然と得体の知れない敵に向かった自分は、圧倒的な力量の差を見せつけられ殺されたのだ。
身体よりも先に、立ち向かう心を……
イグナールの心情を知ってか知らずか、ゆっくりと一歩一歩と近付くクルト。それはイグナ―ルにとっての死神そのもの。
あぁ、モニカとマキナは無事に逃げ切ることが出来ただろうか? 十分に時間は稼げただろうか? なら十分じゃないか?
まだ、体力に余力はある。しかし力は入らない。まだ、体は動く。しかし力は入らない。
「少しは楽しめると思いましたが、時間の無駄でしたね。残念です」
いつの間にか目の前まで迫ったクルト。逆手に握られた短刀が振り上げられ、左手が添えられる。心臓の辺りの感覚がバチバチと警鐘を鳴らしている。
あぁ、こんな事を思うなんて自分でも驚きだ……
「最後にモニカの声が聞きたかったな……」




