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act.94 交渉と黒い影


 ローブを被った男の言葉が信用できるはずがない。そもそも金さえ貰えば人も殺すと堂々と言ってのける人間を信用できる方がおかしい。奴はただ遊んでいるだけなのではないだろうか。


 自分が圧倒的な立場にあることをいい事に、ヴィクトリアを観察して楽しんでいるのではないだろうか。


 かと言って今のイグナールに状況を打開できる術は持ち合わせていない。この交渉においても差し出せるものなどない。唯一ヴィクトリアが大人しく奴らに捕まる事だけが、モニカを救う方法かもしれない。


 イグナールは黒いローブの男から目を離し、ヴィクトリアを見る。彼女の瞳の奥から思考が読めないだろうかと観察してみる。勿論、何もわかるはずがない。ヴィクトリアは恐ろしく無表情だ。逆にイグナールは彼女にどう映っているだろうか。


 きっと無様で情けない、無力な人間が映っているに違いない。


「よかろう。短い付き合いじゃが……モニカ、彼女を(わらわ)は気にいっておる」


 溜息をつき、全身を脱力させるヴィクトリア。奴らに抵抗の意思はないと示しているようだ。持っていた大剣を手放すと瞬く間に地面へと還っていった。地表におびただしい血痕を残して。


「話が早くて助かります」

「ならばその短剣を引いてくれんか? 彼女も怖がっておるじゃろ」

「そうですね。私も正直このままの姿勢を維持するのは、疲れます。手元が狂ってしまってはせっかくの目論見が水泡に帰すことでしょうから」


 イグナールは再びモニカと黒いローブの男達を見る。現状でモニカを離してくれるわけではないが、突き付けられた短剣が彼女の首から離れていくのを見てホッとした。


 違和感。それはちょっとしたことだった。


 ヴィクトリアには悪いが、イグナールの優先順位は勿論モニカだ。だから、ヴィクトリアが奴らの申し出に大人しく従う意思を見せたことで、狭まっていた視野が一気に広がった。


 だからこそ分かった。捕まっている彼女、モニカの眼がおかしいと……彼女の瞳から垣間見えたのはヴィクトリアに対する哀れみでも、自分の無事を確信した安堵でもない。


 立派に反抗の意思を称えた、強い眼だった。


 そして、暗い森の中の奥で蠢く影。球状であろうとするも不規則に変形を続ける巨大なスライムのような物体。


「すまんが、この格好のままではさすがに……のう? あの土塊の小屋にドレスがあるのじゃが、取って来てもよいか? 妾の逃亡を考えるのであれば、代わりにとって来てもらっても構わんぞ?」


 ヴィクトリアは向かって左側を指さし、男達もその小屋を確認した。


「ふむ、構わないでしょう。貴方が取ってきてください」


 しばらくの逡巡の後、黒いローブの男は答えた。


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