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act.79 お悩みモニカちゃん③


 平民の出ではあるものの、英雄と評されるまでとなったバッハシュタイン家。彼らとのコネクションを持つために群がる貴族は多く、モニカの家、ハイデンライヒ家も例外ではない。そんな折、同じ年頃の子供がいると引き合わせられたのがイグナールとモニカの初めての出会いとなる。


 当時モニカ八歳、イグナール九歳のことだった。


 モニカが彼に抱いた第一印象は「なんだこの生き物は」であった。幼い頃から、貴族の立ち振る舞い、魔法の知識を叩き込まれていたモニカからすると、イグナールと言う少年は自分とは全く違う別種の生き物に思えたのだ。


 何と言っても自由。綺麗な衣服を泥だらけにしながら、バッハシュタイン家の大きな庭を駆け巡るイグナール。今だに属性も発現せず、魔法に関する知識は皆無。こんな様子でバッハシュタインと言う家はどうするのかと子供ながらに――恐らくこれから長い付き合いになる――他家の心配をしたものだ。


 両親から「仲良くするように」「バッハシュタイン家の御子息に失礼なきよう」と言われ、彼と二人きりにされ、底知れぬ不安を抱いていたモニカ。怖い物知らずのイグナールは庭に植えられた中でも一際大きい木を登りを始める。


 危ないと諭すモニカに大丈夫と元気に返事をして、するすると登って行く彼をひやひやしながら見る事しか出来ない彼女。そして、予定調和の如く、木から転落するイグナール。


 彼の安否に、気が気ではないモニカ。いくらイグナールの自業自得とはいえ、バッハシュタイン家の御子息の危険を黙って――忠告はしたが――見ていたのでは両親にどんな叱責を受けるか分かったものではない。


 だが、そんな心配そうに見るモニカにイグナールは満面の笑顔で返す。彼は空中落下を存分に楽しんだようだ。幸い擦り傷程度で済んで安堵する。それと同時に苛立ち、怒りがモニカの中で湧いてくる。


 そんな中でも冷静に、これはイグナールに、引いてはバッハシュタイン家に恩を売るチャンスではないかと思い至り、彼の衣服が破れ、鮮血が流れ出る膝小僧に水回復魔法をかけてやった。


 モニカから生み出された水が傷を覆い、汚れや血を洗い流し、傷口を癒していく。


 そんな光景に目を輝かせながら凝視する彼が言ったことを、今でもモニカは忘れることが出来ない。


「すごい! すごいね、モーニカ!」


 それはモニカの両親からは絶対に出る事がないだろう、全く飾り気のない称賛であった。この程度の事は名門ハイデンライヒの一人娘には出来て当然。出来ないことが恥である。叱られ慣れたモニカが初めて貰った称賛の言葉。


 それは彼女の頭に羽が付いたかの様にふわふわとした浮遊感を与え、胸をキュッと締め付けた。生まれて初めて味わう感覚にモニカの両目から涙が零れだす。


 叱られたわけでもないのに、悲しいわけでもないのに、悔しいわけでもないのに……余計に叱られるからと、いつからか自ら封じ込めた涙が止めどなく流れ出す。


 全く制御が利かない涙と初めての感情に混乱し、強引に目を拭うも、ただただ袖を濡らすだけで一行に終わりが見えない。今まで溜め込んできた涙が噴き出すようだった。



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