91 : 心の中で揺れる炎
「あ・ん・た・はっーーー~~!!」
広場の端から土煙を上げながら走ってくる少年がいた。
もちろん、オルニスである。
「転移魔法を使わせましたね!?」
オルニスがノイの両肩を掴まえて揺さぶる。
「あれはまだ! 非公開の魔法だって、言っておいたでしょうがッ!!」
「あ……」
鬼の形相を浮かべるオルニスに、ノイは青ざめて絶句した。そして縋るように、カルディアを見る。
視線に気付いたカルディアはにこっと笑う。
「大丈夫ですよ。貴方が世に出すことに、なんの異論もありません」
オルニスはたった今カルディアに気付いたらしく、慌てて表情を取り繕う。
「先生がいらっしゃってたんですね。申し訳ありません。取り乱しました」
青い顔をしたオルニスを、カルディアは無言で見下ろす。
カルディアの視線に気付いたオルニスは、慌ててノイから手を離して距離を取った。
きょとんとオルニスを見ていたノイだったが、ハッとした顔をすると、様子を辺りから見ていた村人達の方へ走っていった。
「見ていたか!?」
駆け寄られた村人達は顔を引きつらせると、ノイとカルディアを交互に見た。
「すまない。私は魔力がないから、本当に手伝うことしか出来なかったが――どうだ?! カルディアは凄かっただろう!?」
カルディアの片方の眉が上がった。村人達が慌てたようにノイを取りなす。
「わかりました、わかりましたから――!」
「カルディアはここを愛している。今までも、これからも! ――私は皆なら、きっとわかってくれるって信じてるからな!」
「ええ、わかりましたよ! わかりました!」
ノイの言葉に頷いた村人達は、カルディアの目から逃れるように逃げていった。カルディアは、ふむと相槌を打った。
「彼女らしくないね」
隣のオルニスに言うともなく、カルディアは呟く。
「よほど言う必要でもない限り、顕示欲はない人だと思ってたな」
「では、その必要があったんでしょう」
カルディアの呟きに、オルニスは静かに頷く。
「何か知っているのかい?」
「先生への中傷を耳にしました。また、ノイ様には、嫁なのだから尻を拭えと言う意見も」
「それこそおかしな話だ。婚約はもう解消してる。そう言えばよかったんだ。自分にはもう、責任などないと」
オルニスは珍しく、カルディアに対して白けた目を向けた。
「……なんだ。先生も人のこと言えないじゃないですか」
「――なんだって?」
「いえ、おほん。あ、それよりも、他の村人に絡まれてますよ。迎えに行きましょう」
初めて聞いた弟子の嘲りにカルディアがぽかんとしていると、オルニスがノイを指さした。彼が言うとおり、ノイが村の年寄りに囲まれている。カルディアは大股で足を踏み出した。
――カルディアにとってこの土地は、重荷以外の何物でもなかった。
フェンガローの息子であり、パンセリノスの父・フォティーゾを殴ったことに、後悔はない。
彼は「実際は魔王などおらず、ノイ・ガレネーがただ魔法を暴発させて山を削り取ったのではないか」と嘲笑ったのだ。
王族を殴ったとあれば、本来ならば死罪である。しかし、カルディアは並の魔法使いが束になってかかっても到底及ばないほどの魔力があり、世界を救った初ノ陽の魔法使いの弟子でもあった。
死罪にするには、国にとってあまりにもリスクが大きかった。
結果、フォティーゾを殴ったカルディアは流刑で済んだ。
ヒュエトスはそうして押しやられた、ただの「土地」だった。
大地があれば、土地である。だがヒュエトスはその大地さえ、ろくに役目を果たさなかった。
だからカルディアは大地に目を配り、雨を管理し、人々を見回った。そうしている内に――きっとカルディアも知らないうちに、ノイの命と天秤に掛けて、ほんの少しでも迷うほどに――この土地を愛してしまっていた。
(責められても、俺は全く気にしない)
浮島を落とし、魔王となり、迷惑を掛けたのも、これまで嘘をついていたのも、自分だ。元々カルディアは、自身への誹謗は全く気にならない質だった。
(……けれど、ノイには許さない)
老人達を見据えるカルディアの目が、すっと細まる。
彼女を傷つける者はどんな人間でも、許さなかった。
「――それにね、聞いてるかい!?」
老人の語気の荒さにカルディアの視線が更に鋭くなる。
「若い子達はあんな風に言ってたけどね。私達はじいさやばあさに、そりゃあ言い聞かされて育ったもんさ! 水は怖いと!」
カルディアの歩調が緩まる。
瞬きして老人らを見ると、どうやらノイを引き留めて、話を聞いてほしがっていただけのようだった。ノイも老人を見る目は、穏やかだ。
「小さな頃はちょっと雨が続くと、両親がわしらを抱いて眠ったもんさ!」
「だがね、年を経るに連れ、そんな習慣は無くなっていってた」
「久々に、水を恐れて朝を迎えたねえ……」
「わしらは、雨の怖さをこの何十年も忘れて生きていられたんだ!」
「そりゃあ、間違い無く。領主様のおかげさ」
ノイの目が柔らかい弧を描く。
カルディアはゆっくりと歩いて、ノイの背に立った。カルディアに気付いたのか、ノイは見上げるように振り返り、にこっと笑う。タンポポが咲いたような、笑顔で。
「カルディア!」
(……抱き締めたい)
ふと沸いた感情に、カルディアは戸惑った。
「聞いたか?! この方々がな――」
ノイがカルディアを見上げながら早口にまくし立てようとしたその瞬間、ノイのもとに王宮魔法使い達が詰めかけた。
「ノイ様!」
ぎょっとするノイに、四人の魔法使いが跪き、潤んだ目で見上げる。
「お見それしました! なんと素晴らしい魔法陣だったことか……!」
「どうか我らの無知をお許しください」
「このような瞬間に立ち会えたこと、一生の宝物といたします!」
口々に囃し立てる魔法使い達に、ノイは苦笑を浮かべる。
「喜んでもらえて嬉しい。だが、カルディアあってこそだ。魔法陣も彼の元案をアレンジしたものに過ぎない」
「勿論、あの魔法陣を発動させたヒュエトス魔法伯爵の実力を疑う者は、今後誰一人として存在しなくなるでしょう。ですがやはり、あれほどの魔法陣を破綻なく描ききったノイ様の素晴らしさあってこそ!」
先ほどまでノイを子どもだなんだと侮っていた者達が、ノイをちやほやと取り囲む。
(許さなければいいのに)
だがノイは許すのだろう。カルディアは知っていた。ノイは他者に寛容だ。
(ほら、もう笑ってる)
あそこはどう書いたのだの、あれはどう動かしているだの、魔法使い達がノイを質問攻めにする。キツツキの嘴のように矢継ぎ早の質問にも、ノイは耳を傾けている。
そんなノイを、カルディアはじとーっとした目で見た。
じっとりとした視線に気付いたのか、ノイがカルディアを見上げ、動きを止める。
「ど、どうした? カルディア」
「ノイはなんだってそう、すぐに信者を作るんです?」
「作ってるつもりはないんだけどな……」
困ったように笑うノイを、カルディアはじがじがと見守った。己に課した制約のせいで、ノイを抱き上げて、この場から連れ去ることも出来ない。







