90 : 心の中で揺れる炎
「……おや。また随分と賑やかですね」
「この付近には確か、広場がありましたか」
王国兵が馬の足を止める。
領地をくまなく視察していたカルディアは、彼らの声を聞いて馬の手綱を引いた。カルディアの視線の先には、一つの天幕がある。
「揉め事でしょうか」
「止めに行ってまいります。閣下、少々お待ちを――」
カルディアはその賑わいを無言で見つめると、馬から下りた。そして、やはり無言のまま真っ直ぐに突き進む。
「閣下!?」
驚く王国兵を置いて騒ぎを抜ければ、集団の真ん中で一際明るい笑顔を浮かべて笑う、少女を見つけた。
タンポポのような笑顔は、何処にいても、すぐにわかる。
「随分と楽しそうですね――ノイ」
誰とでも仲良くなるノイは、誰をも笑顔にする。
それが嬉しくて、それ以上にずっと憎たらしい。
(君は俺にだけ、笑ってくれていたらいいのに)
そんな途方もない願いを抱いては、そっと星に託して流す。
「カルディア!」
ノイがぱっと振り返り、カルディアに満面の笑みを浮かべる。その表情に、カルディアは目を細めた。
(でも俺には――こんなに嬉しそうに笑ってくれる)
ついいつもの癖で抱き上げたくなり、そんな不敬をと、心の中で己を叱咤する。
「丁度いい所に来た! こっちに来い!」
カルディアの腕がぐんと引っ張られる。
愛しい気持ちに溢れていたカルディアの思考が、空想から現世へと引き戻された。
「私はお前を信じている。さあ、この魔法陣を発動してくれ」
にこーっと笑顔を浮かべ、ノイはカルディアに一枚の紙を渡した。そのすぐ側では、四人の魔法使いがへとへとになって横たわっている。
「こんなっ、魔法陣っ……出来るわけがないっ……!」
「……っここは、子どもの遊び場じゃ……ないんですよ!?」
「理想ばかり詰め込んで、実現不可能だっ……!」
「私はお前達の魔力量でも出来ると思った陣しか書いていない。もう少し、魔力を上手に撚る練習をしなさい」
ノイは困った弟子を叱る師匠のような口調で、魔法使い達に言った。
ここに寝転ぶのは、王宮魔法使い。エスリア王国のトップに君臨する魔法使い達に、こんな事を言える子どもはノイくらいなものだ。
「ノイ様のご期待に添えなかったこと、我が一生の不覚ッ……」
今すぐ自決してしまいそうな王宮魔法使いは、パンセリノスの護衛としてやって来ていた者だった。彼だけは、ノイの正体を知っている。
「……美しい魔法陣ですね」
カルディアは魔法陣の書かれた紙を見て、光悦とした表情を浮かべた。インクで書かれた魔法陣から目を離せない。
ノイの描く魔法陣は、何枚も見たことがある。
だが、彼女の描いた新しい魔法陣を見るのは、実に百年ぶりだった。
魔法陣に描かれていたのは転移魔法だ。カルディアが水幻站に使った魔法陣をアレンジしている。出力が大きくなる分複雑だが、繊細で無駄のない、唯一無二の魔法陣だった。
きっと反発している三人も、子どものお遊びと思いながらも、この美しさを前に試してみずにはいられなかったのだ。これはそういう、最新の技術とひらめき、そして歴史的な美しさをも持つ魔法陣である。
「……出来るよな?」
ノイが心配そうにカルディアを見上げた。
カルディアは心外に思う。
いくら、魔王の存在で自分の魔力を底上げしていたからと言って、彼女が王宮魔法使いに「出来る」と判断したことを、カルディアに「出来ないかもしれない」と考えられたことが、酷く悔しかった。
「仰せのままに」
だからカルディアはにこりと微笑むと、魔力を撚り始める。
倒れ込んでいた四人の魔法使いはガバリと身を起こした。
――ノイが死した後も伝説として語り継がれている魔法使いなら、カルディアは生きる伝説だ。
方々から伝え聞くカルディアの魔法を、是非その目で確かめたかったのだろう。
カルディアがするすると編む魔法陣を見て、四人が感嘆の息を吐く。その横で、ノイが誇らしげな顔をした。
その顔を見て、泣きたくなるほどの喜びがカルディアの胸を満たす。
(もう子供でもないのに、貴方に褒められたくて一生懸命な俺を、笑えばいい)
ノイの描いた魔法陣が、カルディアの手によって紡がれる。
自分は今、弟子として、彼女の期待に応えたのだ。
(……こんなに、嬉しいことはない)
心の中に残っていた後悔の一つが、光となって消えていった気がした。
――カルディアの編みだした帯状の魔法陣が、大きな瓦礫を包み込む。そして次の瞬間、魔法陣の中の瓦礫が光の泡となって消えていった。
「なっ――!」
その場にいた誰もがあんぐりと口を開く。
「カルディア、他の瓦礫にも頼む!」
消えた瓦礫に、その場にいた人間の誰もが唖然とする。
魔法を編み上げたカルディアを当然と思っているノイにも、平然とやってのけたカルディアにも、人々は戸惑いを隠せなかった。
四人の魔法使いは、へたりとその場に倒れ込んだ。他の王国兵や領民よりも魔法の知識を持つ彼らは、この魔法陣の凄さに衝撃を感じていたのだ。
「ええ。ですが、その前に」
「なんだ?」
「俺はきっちり、貴方の魔法陣を発動させてみせましたよ。ノイ」
「そうだな」
うんうん、とノイは頷く。カルディアはわざと、しおらしい顔をした。
「……それだけですか?」
ノイはハッとした顔をして、慌ててカルディアの服を引っ張った。カルディアはにこーっと笑みを浮かべると、ノイの指示に従っていそいそと膝を突く。
人々はまた、ぎょっとした。
貴族が膝を折る姿など――それも、ただの少女に対して――目にするとは思ってもいなかったからだ。
「よく出来た。信じていたが、本当に頑張ったな。カルディア」
ノイが小さな手で、カルディアの頭を二度撫でる。
カルディアは万感の思いで、そっと目を閉じた。







