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89 : 心の中で揺れる炎



 ノイが引き返そうかと考えた瞬間、目をキラキラと輝かせた魔法使いと目が合った。

 こちらを見て訝しむ魔法使い達の中で一人だけ、明らかにノイを羨望の目で見つめる者がいた。

 昨日、パンセリノスの護衛についていた魔法使いである。


「ノイ様ではありませんか!」


 四十代ほどの魔法使いの一際高い声が天幕の中に響き、周りの魔法使いがびくりと肩を震わせる。

 ノイもその熱量に圧倒され、体を仰け反らせた。


「さあさ、こちらへ! もしそんな僥倖が許されるのであれば、ご意見を窺えたら――と思っていたところです!」


「は、はあ。あの、すまない。あまり大したことは……」

 男の気迫に押され、ノイはまごついた。ノイよりも百年先を生きる王宮魔法使いに、自分の知識が通用するのか、男の期待に満ちる目を見た途端に不安になったのだ。


「ご謙遜を! さあ、椅子もありますよ。――ほら、お前。退かないか」

「っはっ、はい!」

 ノイに対して満面の笑みを浮かべていた魔法使いは、他の魔法使いに威圧的に命じた。明らかに階級が違う物言いだった。


「残って正解でした! 羽馬車の運転を押し付けた同僚には恨みがましい目で睨み付けられましたが――いや、ほんっとうに! 押し付けてよかった!!」


 これほど潔い「押し付けて良かった」があるだろうか。あまりにも罪悪感がない、あっぱれな笑顔である。


「……ええと、ガレネー殿」


「はい?」


 王国兵の問いかけに咄嗟に返事をしてしまい、ノイはパッと両手で口を押さえた。


 周りは、子どもが間違えて返事をした、くらいにしか思っていないようだが、ノイに笑顔を振りまいていた魔法使いは目尻に深く皺を刻む。


(……あ)


 その皺の出来方は、遠い昔――ノイの師匠がノイを褒める時に出来ていた皺と、そっくりだった。


「なんだ」

「任せてもよろしい、のですかな?」

「無論。謹んでお預かりさせていただく」


 神経質そうな顔で魔法使いが頷くと、王国兵は「では」と言って立ち去っていった。その後ろにいたオルニスに、ノイはふりふりと手を振る。オルニスも頷いて、その場を後にした。


「申し遅れました。わたくし、レプト・ガレネーと申します」


 ノイはきゅっと、喉を引き締めた。

 そしてこみ上げる熱いものを呑み込み、小さく頷く。


「ノイだ。よろしく頼む、レプト殿」


 多くは語れなかった。あちらもそれは心得ている顔をして優しく頷き、ノイを天幕の中へ導いていく。


(……ガレネー家は、まだあるのだな)


 弟の家系かもしれないし、その他の傍系かもしれない。しかしガレネーという名は残り、こうして王宮魔法使いとして立派に国を支えている。その事実がノイは嬉しかった。


「我々は現在、あの瓦礫の撤去を任されております」


 天幕の中に置かれたテーブルの上に、一枚の魔法陣が書かれた紙があった。


(緻密で正確だ。さすが王宮魔法使いだな)


 覗き込んだノイは小さく頷く。レプト以外の他の魔法使いは、何故こんな魔力ナシの子どもが? という目でノイを見ているが、立場的に彼に逆らえないのだろう。


 現在、ヒュエトス魔法伯爵領は大きく三つに分断されていた。

 分断された溝には、海の水が川のように流れている。


 大地を分断したのはカルディアだ。

 ノイが見てきた範囲では、水路は家屋や建造物を壊すことなく、くねくねと曲がって流れていた。

 咄嗟だったというのに被害を最小限に抑えたのは、毎日空から村を見ていたカルディアだからこそ出来る神業だった。


 今後は降水量を魔法で管理しないため、海へ水を流すための運河は必須だ。

 今はカルディアの作った水路に頼るが、溝に沿って、運河と防波堤を作る計画が進んでいる。人が掘った水路が出来次第、魔法で動かしていた大地を元の位置に戻す。そうすれば未来の人々も、土地の記憶に怯えずに済む。

 その河川工事に乗り出すためにも、まずは広場の瓦礫撤去から始めなくてはならないのだろう。


「風の魔法をかなり細かく、重ねて入れてるな」

 魔法陣を見たノイが率直な感想を述べると、レプトは頷いた。


「瓦礫が大きすぎるためです。先に分解するのも考えましたが――あの岩を爆発させれば、破片が近辺に飛び散るでしょう」

 広場には多くの人が集まっており、更には家屋もある。あの瓦礫を破壊するほどの威力で爆発させれば、必ず被害が出る。


「大きなまま運ぶとなると、一括に流れを生み出すよりも、小さな魔法を重ねて軌道を描いた方が無難だと考えました」

「だがこれじゃ、魔法陣を編むのも、岩を動かすのも時間がかかる。浮かせたところで――一度に動かせる距離は、扉の幅一枚分といったところか」


 魔法陣は原則、一人に対して一つずつだ。ノイとカルディアのように完璧に息を合わせれば、出来なくもないが――その練習を今から始めるくらいなら、扉一枚分でも岩を動かしたほうがいいだろう。


 更に同じ瓦礫に対して、二つの魔法陣を編み出すことも出来ない。繊細なバランスで編まれた魔法陣に、互いが干渉してしまうのだ。


「水路に流して、海まで運ばせるのは難しいか?」

「やはり破片が大きすぎます」

「では方法は三つだな。この魔法陣を更に推敲する案。どうにか被害が出ないように岩を砕いて水の流れで運ぶ案。そして最後は、物体を転移させる案だ」


 指を折って提案したノイに、魔法使い達はぎょっとした。


「物体を……転移ですって?!」

「……ガレネー殿が慮っておられるから、どういった子かと思えば。てんでド素人じゃないですか」

「時間を無駄には出来ない。申し訳ないが、君の話はまた後で聞かせてもらおう」

 ノイは三人目の魔法使いに、ぽいっと天幕から追い出された。


 ぱちぱちと瞬きをしていると、中から「ゴチンッ」という大きな音が聞こえ、すぐにレプトが迎えにくる。


「ノイ様――是非、お教え願えますでしょうか」


 頭のてっぺんを抑えて蹲る魔法使いを背に、レプトがノイを天幕に招き入れた。ノイは恐縮して、魔法使いに両手を合わせる。


(……すまない……)


 何故かノイの周りの人間は、過激になってしまう傾向がある。巻き添えを食らった彼らに心からの謝罪の念を送ると、ノイは魔法陣が書かれてあった紙を裏返して、ペンを取った。





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イメージイラストはくろこだわに様に描いて頂きました。
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