88 : 心の中で揺れる炎
「では、行って参ります」
「行ってらっしゃいませ」
オルニスに向け、使用人達が頭を下げる。カルディアの弟子である彼は、この屋敷内では食客扱いである。
「待ってくれ。広場だろう? 私も行きたい」
ぱたぱた、と使用人に着せられた服をはためかせて、ノイは走った。毎朝カルディアが結んでくれていた髪も、今は自然に垂れ流している。
まだ朝早い時間だったが、カルディアやアイドニ、隊長達は既に出かけている。復興の現場へ赴いているのだ。
「邪魔はしないでくださいよ」
「わかっている。大人しくしてる」
これから一人で生きていこうと決心したノイは、まずこの地で自分に出来ることをしようと考えた。
邪魔だ邪魔だと追い払われても、食らいついて行くくらいの覚悟がなければ、おそらく今後も一人で生きてなどいけない。
オルニスと共に広場へ行くと、記憶よりもずっと酷い有様だった。
浮島から剥がれ落ちた瓦礫がそこら中に広がって行く手を遮り、その瓦礫を浮かすために生やした木が縦に横にと生い茂っている。さらには湖の水が溢れたせいで、そこら中の道や草や家の壁が、泥水で汚れていた。
そして広場のシンボルとも言える湖には、浮島が斜めに突き刺さっている。
惨憺たる光景に、ノイの心がひしゃげそうになる。
広場には多くの領民と兵士が集まっていた。既に土木工事は始まっているようで、足場を組むための丸太や石が運び込まれている。布を張った天幕では炊き出しが振る舞われ、被災した多くの人が集まっていた。
「……私も何か、手伝えないだろうか」
「そのつもりで連れて来ています」
「わかった」
前を向いたまま言ったオルニスに頷いたノイは、天幕の方へ向かおうとした。その襟首を、オルニスが掴む。
「何処へ行こうと?」
「? 手伝いに」
「炊き出しへ? 貴方は何度言えば、自分の料理の腕を自覚するんです?」
ものすごい迫力で迫られ、ノイはぴえっと固まることしか出来なかった。
目をつり上げたオルニスに連れられ、天幕から離される。
ずるずるとノイが引っ張られていると、村人達が大きな声で愚痴をこぼしていた。
「――だーっ、もう本当に。魔王がこんっな辺鄙な地で復活するなんて、なんてついてないんだい!」
「噂じゃ、どうも魔法伯爵を狙ってやってきたって話だ」
「んまあ! 迷惑な話! あんな大きな島落とすだけでも散々な領主だってのに!」
「雨を管理してたとは聞いたがなあ……たかだか雨だろ? そんな大袈裟にしなきゃならんかったかねえ」
「自然に逆らうもんじゃねえ」
「浮いてたら浮いてたで迷惑してたってのに。落ちてくる時まで、騒がしいったらありゃしない」
生きる土地を奪われた人達がそういった感情を抱いても、仕方がないかもしれない。何処にもぶつけられない鬱憤は、こんな状況では尚更、溜め込まない方がいい。
しかし、ノイの心には暗鬱とした気持ちが広がる。
(……これまでこの土地が雨に悩まされず平和に暮らしていられたのは、カルディアのおかげだ)
その結果、八十年の厄を一気に背負うことになった村人は不運だろう。
だが、国に押し付けられたともいえる不毛の領地を、人の一生よりも長い間支え続けてきたカルディアは、そこまで非道だろうか?
「なんでもあのディアスが、領主を継いでるんだろ?」
「旅の魔法使いじゃなかったんだなー。色々手伝ってくれてありがたく思ってたけど、領主なら当たり前だからなあ」
話をしていた村人達が、ふとノイの視線に気付いた。気まずそうな表情をした村人らは、彼女の背後を見て震え上がる。きっとノイの後ろには、地獄の門番の様な顔をしたオルニスが立っているのだろう。
村人達の中にいた比較的若い女性が、ノイを見て眉根を寄せる。
「あんた、領主の嫁なんだろ? 手伝いな! これまで楽してたんだから!」
ノイを知る彼女は以前、ノイが村に降りてきた際にカルディアが紹介した領民の一人なのだろう。
「わかった」
ノイはオルニスの手から逃れて、彼女の元へ行く。
「力になろう。何をすればいい?」
服の袖を捲り上げながら尋ねるノイに、女は怯んだ顔をした。もしかしたら、ただの嫌味だったのかもしれない。だがノイは元々、復興を手伝うつもりでこの場に来ていた。
「コラ! だからここで、あんたに何が出来るって言うんです」
怒号と共に、また襟首が掴まえられる。
「あんたが泥まみれになって、石ころ一つ動かしたところで、クソの訳にも立ちゃしないんですよ」
オルニスの極められた正論に、ノイはショックを隠せなかった。
村人達も「何もそこまで言わなくても……」という顔をして、鬼のオルニスを見ている。
確かに、ノイに出来ることと言えば、悪戯に人の手を止め、人の迷惑になりながら、作業を進めることだけだろう。心底頑張ったとしても、他の子ども以下の成果しか上げられないに違いない。力仕事に向いていないのは、その白く細い腕から見て明らかだった。
「何か問題か?」
ノイが打ちひしがれていると、数人の男性がやってきた。立派な風貌から、王国兵ということがわかる。
村人達はやましいことがあるように顔を引きつらせ、慌てて逃げ去った。
「――おや、オルニス殿。そちらは?」
「ノイ様とおっしゃいます。カルディア様のお客様です」
オルニスはノイを、「婚約者」とは紹介しなかった。
わかっているのに少しだけ淋しくて、ノイは誤魔化すために表情を引き締めた。
「ノイだ。手伝いに来た」
「お手伝い、ですか……?」
王国兵はノイの上から下までをじっくりと見た。こんな小さな少女に何が出来るのだろうと、思っているのは間違い無かった。
「ノイ殿も、ヒュエトス魔法伯爵のお弟子さんで?」
「いいえ」
「すまない。私には魔力がないんだ」
では、何をしに。とでもいう顔をした自分に正直な王国兵の脇を、ドンッっと隣の王国兵が突く。
「――っすみません。では、炊き出しの方を手伝っていただきましょう」
「止めておいた方が賢明ですね。炭を食わされますよ」
「あれは芋だと言っているだろう」
言い返すも、即座に「炭です」とオルニスが切り捨てる。そして、辺りをぐるりと見渡したオルニスが、王国兵に尋ねた。
「魔法使いを束ねているのは、どなたでしょうか?」
「……案内しましょう。こちらです」
王国兵は訝しみつつも、カルディアの弟子を無下に出来ず、オルニスを案内する。
彼らが向かったのは――揃いのローブを着た魔法使い達のいる場所――王宮魔法使いのところだった。
(……ここか)
オルニスの意図を知り、ノイは一度大きく息を吸う。
――王宮魔法使いは名家や貴族の出自の者が多い。
相応しい身分も、確固たる後ろ盾も、誰にも文句を言わせないだけの魔力もない、ただの小娘にも劣るノイが混ざったところで、誰も意見を聞くことはないだろう。
しかしノイが、石ころ一つ動かす以上の成果を上げるには、ここに混ぜてもらうしかないことは明白だった。
(……最初から諦めるつもりはないが……もし場を乱すことになるなら、潔く引き下がろう)
国王直々に連れて来た現場の士気は高い。ノイが茶々を入れて、場を乱すわけにはいかない。
「失礼。ヒュエトス魔法伯爵のお客様というこちらの御仁が、協力を申し出てくれたのだが――」
天幕に入った王国兵がそう言うと、天幕の中にいた四人の魔法使いがノイを振り返った。大半が、露骨に嫌そうな顔をしている。
(……あ、駄目そうだな)
ノイはすぐに白旗を揚げた。







