表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
84/104

83 : 恋はいらない


 カルディアを見送るために外に出ると、オルニスがいた。

 浮島にいた時と同じように、忙しそうに走り回っている。外に仮設住居を築こうとしている、大工班に指示を出していたようだ。


「先生! 目が覚められたんですね!」

 なんと、そこからだったか。すっかり蚊帳の外にされていたオルニスにノイが憐れみの目を向けていると、丘の方から甲高い声が聞こえてくる。


「カルディア様ーーー~~!!」

 声がする方を見て、ノイはぎょっとした。声は空からしていたからだ。


 高い空から、翼を広げて翔翼獅(ゼピュライ)が滑空する。

 その背からぴょんと飛び降りたのは、眩いばかりの可憐さの――


「アイドニ!」


 ゲッ、という顔を隠しもせずに、オルニスは彼女の名前を呼んだ。

 そこにいたのは、ククヴァイアのつむぎの郷や王都で世話になった、アイドニだった。


 ノイがぽかんとしていると、アイドニはカルディアの前まで駆けていき、可憐な空色の瞳を涙で潤ませる。


「カルディア様っ――! ご無事で、ご無事でようございましたわっ……! 空が闇に覆われた時、わたくし、わたくしはっ……!」


 カルディアに抱きついて涙を流すアイドニは、健気で、愛しく、可愛らしかった。


 美男美女が寄り添う姿に、誰もが涙を誘われる。きっと周りの王国兵は、カルディアの身を案じた婚約者がいても立ってもいられずに家を飛び出して来たとでも思っているのだろう。優しい眼差しが、二人に注がれる。


(……いいな、アイドニは)

 ノイは少しだけいじけた気分になって俯いた。


(あんな風にくっついていても、奇妙な目で、見られたりしないもんな)

 尻尾に(仮)はつくものの、本当の婚約者は自分なのに。とノイは心の中で愚痴った。


(……色々あって、忘れたと思っていたのにな)

 自分の中の恋心は、浅ましくも健在だったようだ。

 二人を見ていられなくて、一歩後ろに下がる。


「安心しなさい。皆無事だ。ほら、ノイもあそこに」

「ノイ様もこちらに――?」


 カルディアはぽんぽんとアイドニの肩を叩くと、ノイを指さした。ノイがヒュエトス領にいるとは思っていなかったのか、アイドニはカルディアの指に従って、ノイを見た。


 そして、可愛い顔に悲愴を浮かべる。


「――っきゃああああ!? カ、カルディア様がついておられながら、ノノノノイ様のこのご様子は、なんですのっ!?」


 アイドニはカルディアの胸元を握ると、激しくカルディアを揺すり始めた。ノイはぎょっとして、アイドニに駆け寄る。


「こ、こらっ、アイドニ! 私は大袈裟に包帯を巻かれてるだけだ! カルディアから、手を――!」

「カルディア様ともあろうお方が、ノイ様に怪我をさせるなんてっ――!」

「アイドニ、こら! アイドニ! 離しなさい!」


 ノイよりもよほど、カルディアのほうが重傷である。アイドニの白魚の手を、ノイはなんとかカルディアから引き剥がす。


 今まで、カルディアの婚約者、という目でアイドニを見ていた周囲は、彼女をどういう目で見ればいいのかわからないらしく、困惑顔だ。

 アイドニはノイの腕や首に巻かれた包帯を見て、絶句している。


「……そんな……ノイ様……お労しや……」

 ふるふると震え、涙をぽろぽろと流すアイドニに困り果て、ノイは両手をぱっと開いた。その中に、アイドニがおずおずと入ってきて、またふえふえと涙を流す。

 そんなノイを、カルディアはじっとりとした目で見下ろした。


「……」

「な、なんだ」

「……はああ、はああ……」

「わ、私は何もしていないだろ?!」

「はあああ……」


 腹の底からわざとらしく、何度も何度もカルディアがため息を零す。


「本当に嫌だ……すぐそうやって信者作ってくるんだから……」

「だから違うと言ってるだろう!」


 小さな体でアイドニを抱き締めたノイの悲鳴が、空しく丘に響く。

 顔を顰めたオルニスが、アイドニを鋭い目で睨む。


「何しに来たの。ククヴァイア様の翔翼獅(ゼピュライ)まで引っ張り出してきて」

「勿論、お手伝いにですわ。それにサフィーは、曾お祖母様にお借りしたんですの。オルニスにやいのやいの言われる筋合いはございませんわ」


 アイドニはどうやら、先触れもなくやってきたようだ。サフィーと呼ばれた翔翼獅(ゼピュライ)は、アイドニの膝辺りに頭を擦りつけている。

 ククヴァイアは魔王に関する知識を持っていた。アイドニにどこまでその知識が備わっていたかは不明だが、遠く離れたつむぎの郷で異変を感じ取り、居ても立ってもいられなかったのだろう。

 しかし、そんなアイドニの健気な心配も、オルニスには届かなかったようだ。


「目がついてたらわかる通り、王国兵が来てくれてる」

 額に青筋を浮かべたオルニスに、アイドニはくすりと笑った。


「そのようですわね。ですけれど、魔法使いは何人いても、お邪魔にはならないでしょう?」

 かつてカルディアが弟子にと望んだ実力を、彼女の笑みからは感じ取れた。

 実際、アイドニに満ちる魔力は非常に洗練された魔法使いのものだった。郷で研鑽を積んでいたのだろう。

 オルニスはむっすりとした。そんな二人の肩を、カルディアがぽんぽんと叩く。


「終わったね? では、行くよ」

「ついて参りますわ」

 アイドニは衣をひらりとはためかせ、カルディアの後ろに続いた。背に流れる金色の髪が陽光で輝く姿を、ノイは目を細めて見た。


「オルニス。ここは頼んだよ」

「わかっています。お気を付けて」

 オルニスにこの場を任せたカルディアは、背にアイドニを従えてノイに向き直る。


 ノイはドキリとした。

 カルディアは完璧な笑顔で微笑むと、ノイに手を振る。


「では、行ってきます」

「……行ってらっしゃい」


 そう返すことしか許されなかったノイは、静かに微笑んで手を振り返した。




***




 ノイが残った領主邸は領主邸で、大忙しだった。

 何しろ突然、百名近い客が来たのだ。大半の王国兵は宿営するとはいえ、まるっきり無視するわけにもいかない。

 それに、十数名は領主邸に滞在する。その者達への接待は、領主邸に一任されていた。

 何十年もの間、火が消えたように静かだった領主邸が、大賑わいだった。上から下に、右から左に、東から西に、北から南に、屋敷の使用人達は休む間もなく走り回る。


 しかし、使用人として働いたこともなく、女主人でもないノイは、労働力にもなれず、裁決を下してもやれなかった。

 炊事場ならば少しは手伝えるのではないかと赴くが、ものの五分で追い出されてしまった。言われたとおりにニンジンを切ろうとしただけなのに、炊事場につんざく悲鳴を響き渡らせてしまったのだ。

 そんな調子で、洗濯場からも、リネン室からも追い出されたノイは、王国兵を取り纏めているオルニスのもとへと向かった。


「邪魔です」

 出会った瞬間、一蹴される。


 オルニスは、ノイが百年前から来たノイ・ガレネーだとわかってからも、態度を変えないでいてくれる。


「何か手伝えるかと思って」

「魔力ナシの子どもに出来ることなんてありませんよ。ウロチョロしないでください」

 建築部隊の人間と話していたオルニスは、ノイを見てしっしと追いやった。オルニスの奥では王国兵があちらこちらで、建材を運搬している。


「危ないってことか?」

「邪魔だっつってんですよ」


 オルニスの額に青筋が浮かぶ。ノイは利口なので、きゅっと口を噤んだ。


「……本当に邪魔しないでください。先生は僕に挽回のチャンスをくださってるんです」

 手に握る資料を、オルニスが握りしめる。


「……国王陛下とのことか?」

 オルニスは一度、パンセリノスに協力してノイを地上へ逃がそうとした。


「あの時、先生の計画さえ先に知っていれば、陛下に嘘をついてでもあんたを引き留めてましたよ」


 オルニスがせせら笑う。

 言葉と顔は随分と薄情だったが、カルディアの計画を勘違いしたノイが浮島で右往左往している間、オルニスはずっと味方でいていた。ノイに何を知ったんだと尋ねることも、パンセリノスへの返事を急かすこともなく。

 彼がいてくれた心強さを、ノイはしっかりと覚えている。


「そうでは、なく……」

 オルニスの顔がどんどんと沈んでいく。


「僕は……先生の弟子になる前、師事していた師がいるんです。つむぎの郷に、ツェーラ様という方がいらしたでしょう」


 ククヴァイアのつむぎの郷で会った次期当主を思い出す。

 魔法使いにとって、師匠を複数持つ機会は多くない。大抵は不幸な理由で、時折、不名誉な理由だった。


「僕は、先生の弟子でありながら……ツェーラ様の命令も、断れなかった」


 魔法使いは、師匠に深い愛を抱える。

 オルニスは、ツェーラへの愛と、カルディアへの愛で、板挟みになっていたに違いない。


 ツェーラに命じられ、オルニスはカルディアを監視していたのだろう。浮島に登るほど徹底して自分の周りに人を置かなかったカルディアを監視できる立場は、弟子以外にあり得ない。


 つまりオルニスは、ツェーラという師に命じられ、カルディアに弟子入りをしているのだ。


 カルディアの蛹化のことを知っていたツェーラは、万が一にも魔王が目覚めようとした場合、いち早く対策を取れるように、オルニスにカルディアを見張らせていた。


(……アイドニは、オルニスに弟子の立場を奪われたと、言っていた)


 もしかしたらオルニスは、アイドニにカルディアを裏切らせたくなくて、ツェーラの命令を受けたのかもしれない。

 誰よりも信じ、誰よりも尊ぶ師を常に監視せざるを得ない立場に、アイドニが耐えられるとは思えない。


(……と言うことは。あの胸の痛みも、悪い方にはいかないんじゃないか?)


 オルニスはきっと、自分が弟子入りすることで、アイドニが傷つくことを知っていた。

 けれどそれ以上の傷を、アイドニに負わせたくなかったのだ。


 ノイはにこにこして、オルニスに尋ねた。


「オルニスはいつ、つむぎの郷に帰るんだ?」

「あんた。僕を追い出したいんですか?」

「いや、違っ――!」


 違うんだ、オルニス! と、早歩きし出した彼の背を、ノイは慌てて追いかけたが、綺麗さっぱり撒かれてしまった。


(無力……)

 己の無力さを痛感するのは、何度目か。


(魔王の時に、少しばかり役に立てた気がしたから……なんだか少し、自分が変わったように思ってしまっていた)


 ――ノイはカルディアとオルニスと共に、魔王を浄化した。


 しかしノイが魔法を使えたのは、カルディアの身から魔王の魔力が溢れ出していたからに過ぎない。


 普通の人間から魔力を吸い上げる方法など、ありはしない。

 たとえあったとしても、魔力は魔法使いを作り上げる血肉であり、財産でもある。手前勝手に他人から奪っていいものではない。


 ノイは魔法の知識は持ってはいても、やはりもう魔法を振るうことは出来ないのだ。


 カルディアを初め――遠くつむぎの郷からやって来たアイドニまで最前線で復興支援を行っているというのに、ノイは何も出来無いまま。


 何か焦りのようなものが芽生えた胸を押さえ、ノイは夕方になるまでただ庭をぶらぶらすることしか出来なかった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
六つ花Twitter 六つ花website


イメージイラストはくろこだわに様に描いて頂きました。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ