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81 : 夢から醒めた夢


「なんと! ()初ノ陽(はつのひ)の魔法使いと相見える日が来ようとは――!」


 事のあらましを簡単に説明すると、パンセリノスは興味深そうにノイを観察した。


「今はもう、魔力ひとつない、ただの小娘です。どうか私のことは、その胸の内に」

「無論、そのように致そう。彼らも心得ておる」


 パンセリノスが後ろを振り返れば、先ほどまで殺気立っていた近衛兵が踵を揃えて敬礼する。中には魔法使いもいるようで、ノイを見るその瞳は眩いばかりに輝いていた。

 ノイは気付いていない振りをして、スッと視線を逸らす。


「魔王の浄化――そなたの知恵無くば、叶わなかったやもしれん。心から、感謝する」


 目を閉じたパンセリノスに、ノイが再び魔法使いの礼を取る。


「……長年苦しめてきた魔王の脅威も去り、あれほどに敬愛しておられた師とも再び(まみ)え……。本当に、ようございました。カルディア様。我が父を殴り、流刑された時はどうなることかと――」

「我が父、ってお前――! 王様を殴ったのか!?」


 涙を流さんばかりに安堵するパンセリノスの話を聞いたノイは、驚いてカルディアを振り返った。

 カルディアは、「いらんことを言いやがって」とばかりにパンセリノスを睨んだ後、ツンと唇を突き出した。


「あのクソガキが、お師様の悪口を言ったんです」

 ノイは頭がクラクラした。容易に想像がつく。王都に住んでいたはずのカルディアが、何故これほど離れた地にいたのか、ノイは今やっと理解した。


「おま……お前、そんなことで、王族を……」

「お師様だって、フェンガローのクソ爺の求婚をずっと断ってたじゃないですか」


 パンセリノスが飲んでいた紅茶を勢いよく噴き出した。ゲッフォゲッフォと咳き込むパンセリノスに、近衛兵が慌てて駆け寄る。


「あいつはいいんだ」

「……!?!」


 ハンカチを口に当て、なんとか咳を止めようとしていたパンセリノスが、ノイの発言を聞き、驚愕に顔を染める。

 カルディアは指を振って、絨毯に溢れた紅茶を空中に掻き集めた。それをそのままカップに戻す。パンセリノスはそっと紅茶のソーサーをテーブルの奥に押しやった。


 魔王がその身からいなくなり、初めて魔法を使ったのだろう。カルディアは、指を握り、開き、不思議そうに自らの手を見た。そして立ち上がり、応接室の窓に寄る。

 窓の向こうには、なだらかな丘が広がっている。その丘の向こうでは、領民達が自らの土地のためにあくせく働いていた。


 そこには、復興を手伝う王国兵の姿も見える。

 王国軍は、まさかのパンセリノス――国王が自ら率いてやって来た。魔王により損害を被ったヒュエトス魔法伯爵領の、復興支援に来たのだ。隊を成した王国兵はこれからしばらくこの地に駐留し、領地の復興に尽力してくれるという。


「……もう、見捨てられた土地じゃ、無くなったんだな……」


 ぽつりと呟いた声に、ノイは息を呑んだ。

 ここは、雨が多い土地だったと聞いていた。そこに、流刑されたと言うことは――きっと水害ばかり起きるこの土地を、国はかつて見捨てていたのだ。


「貴方が、そうしたんです」

 パンセリノスが、力強い声でハッキリと言う。


「八十年を掛け。貴方が――ここに村を築いたのです」

「……うん」


 窓枠に腰掛け、片足を太股に乗せたカルディアは、窓の外を眺めたまま、優しい声で頷いた。


 微かに聞こえる領民や兵士の声に耳を傾けていると、パンセリノスがおほんと咳払いをする。


 ノイとカルディアは同時にパンセリノスを見た。彼はにっこりと笑って、「それで」と言う。


「結婚式はいつにするんです?」


 ノイはぽかんと口を開いた。


(――そんな話、すっかりと忘れていた)




***




 壊れないように、二度と無くさないように。

 大切な宝物のように、柔らかな真綿の中に包んでいる。



 カルディアの無事な姿を見て安心したのか、パンセリノスは近衛兵にせっつかれて王都へと帰って行った。

 ほんの一時の滞在だったが、国王の姿を見るなんて夢にも見たことすら無かった領民達は、歓喜の涙を流していた。


 浮島が沈み、魔王が復活するという悲劇に突然見舞われた領民らは、王直々の労いに希望を抱く。

 浮島や魔王のせいで領民に苦労を掛けてしまったカルディアは、パンセリノスに心の中で感謝しつつ、羽馬車――王国軍のみが飼育している空舞馬(エイロン)が引く馬車――で飛んで帰る彼を、自室から見送った。


 怪我を理由に、パンセリノスの見送りをしなかったカルディアとノイはまだ、彼の自室にいた。

 パンセリノスがいた時と、空気は一変していた。穏やかな日が差し込む領主の部屋は、今では静けさに覆われている。


 どちらも、一言も話さない。何から話せばいいのか、迷いあぐねているのだ。

 カルディアは、ベッドの上に座るノイを見下ろす。真珠のように美しい白い髪に、固まる前の飴のように輝く目。ふわふわの頬はマシュマロのような柔らかさだと、既に知っている。


「お師様」


 ベッドの上に座ったままのノイに、カルディアはそっと近づき、床に膝を突く。


「まずは、不始末故に魔王を己で始末できなかったこと、幾重にも重ねてお詫び申し上げます」


 その声は低く、平静を装っていたが、歓喜や安堵や不安や――およそ世界中に散らばるいくつもの感情に塗りつぶされ、揺れていた。


「また、多大なるご尽力も、感謝に尽きません。更には御身を謀り、手前勝手に利用しようとした事も含め、どんな罰でも受ける所存です」


 ベッドの上で両足を揃え、ちょこんと座っていたノイは、ぴょんとベッドから飛び降りた。靴さえ履かず、裸足でカルディアに一歩ずつ近付いてくる。


 ノイの足が視界に入り、カルディアは更に深く頭を下げた。


「こら」

 ぺしん、とカルディアの頭をノイの小さな手が叩く。


「お前が私の家に来た時、まず初めに教えたことを覚えているか?」

 ノイが眉根を寄せ、カルディアの前に立つ。呆気に取られていたカルディアは、すぐにまた頭を下げた。


「……ご飯、ですか?」

「そうだ! ご飯を食べるぞ!」

 ノイはタンポポのような笑みを浮かべる。


「大抵のことは、ご飯を食べたら解決する。気鬱な時は尚更だ。一緒に食べよう。そのご飯が美味しければ、何の問題もない」


 だろ? と言ったノイが、はにかむ。


「私とお前は、今までも、これからも。それでいいじゃないか」


 ノイの言葉に、カルディアは震えた。目を強く瞑り、体を駆け抜ける激情に耐える。


 ――百年前、カルディアは全てを失った。


 心から望んだ愛しい日々も、住んでいた家も、敬愛する恩師も。そしてそれを奪ったのは、自分自身だった。


 あれから、百年。


 カルディアは必死に生きた。ノイの生きた事実を残すため、彼女の教えを広めるため、彼女の愛を伝えるため、彼女の魔法を守るため――全てから隔絶して息を殺して死にたかった現実と戦い、彼女のために生きてきた。


(貴方の真似をしていれば、失った貴方を――俺が死なせてしまった貴方を、感じられた。貴方の名前を汚さぬよう、貴方を誰もが尊ぶよう、貴方を、誰もが、忘れぬよう)


 ノイは死した後も、彼の全てとも言える存在だった。


 カルディアがノイを忘れる事は無く、ノイを思い出す度に、彼女を死に追いやった自分を責めた。そうして幾度も幾度も繰り返す内に、カルディアは自責にきつく縛られていた。


 その呪縛が、ノイの言葉一つで、簡単に解けていく。





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イメージイラストはくろこだわに様に描いて頂きました。
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