44 : 思い出のひとひら
「すごいっ……本で見たままですわ……!」
店の外観にさえ感激して、アイドニは泣き出さんばかりだ。
「しかし、えらく華やかだな」
ノイが辺りを見渡す。通りには大きな花飾りや、花で出来たアーチが掛けられている。家々の窓から垂らされた色とりどりの布が風になびき、陽光に透けて輝く。更に家々の玄関には、エスリア王国の国旗が掲げられていた。
「王都は今、国王陛下の在位五十年を祝う祭りの真っ只中ですので。貴方が招かれている舞踏会も、その一環ですよ」
オルニスは簡単にそう言うと、御者と話をしているカルディアのもとへ行くために離れていった。
「し、知らなかった……」
うっかり変なことを口にする前に知れてよかった。
ホッとするノイの耳に街の男達の話し声が聞こえてくる。
「――あんたんとこもか?」
「なんだ、そっちもやられたのか。全く……ヒュエトス魔法伯爵って奴は、酷えもんだ」
突如話題に上った「ヒュエトス魔法伯爵」という名前に驚いて、ノイは後ろを振り返る。
「なんでも、もう何十年も王の呼び出しを蹴ってるって噂だ」
「お貴族様ってのは、王様をコケにしても許されるんだなぁ」
「そもそもが、こっちでやらかして飛ばされたって話だろ?」
「それがなんだって今更になって、あんな男を王様も呼び戻したりしたのかね」
会話の内容が気になったノイがじっと見つめていると、男達はノイの視線に気付き、気まずそうに立ち去る。
聞こえてきたのは、カルディアの悪口だ。内容の整合性はともかく、彼らの話しぶりでは、つい最近カルディアに会ったことがあるような物言いだった。
男達を追いかけて話を聞こうとしたノイを、伸びてきた腕がひょいと抱き上げる。
「こら、何処行くの。迷子になっちゃ、危ないでしょ」
聞き慣れた声が、聞き慣れた場所からノイを叱る。
「カルディア!」
「ん?」
カルディアは首を傾げてノイを見た。この様子では、御者に指示を出していたカルディアには、先ほどの会話は聞こえていなかったのだろう。
(……今、話すようなことでもないか)
落ち着いて、あとで話そう。ノイは「なんでもないんだ」とカルディアに首を横に振る。
「どうしたの? 怖くなっちゃった?」
立派な仕立て屋にノイが怖じ気づいたと思ったのか、カルディアが心配そうにノイを覗き込んだ。ノイはふふっと笑って、「大丈夫だ」と告げる。
(……きっと何かの間違いだ)
カルディアは泥だらけになってまで牛を助けた。街の人間に「あんな男」と言われるようなことを、するわけがない。
思考を切り替えて、ノイは仕立屋エン・ディマへ入った。
仕立て屋エン・ディマは本に載るのも頷けるほど、立派な老舗だった。室内は広々としており、大理石の床には柔らかな絨毯が敷かれ、高い天井から吊された贅を尽くしたシャンデリアが部屋中を明るく照らしている。壁に掛けられた贅沢な絵画や美しいタペストリーには、過去の名だたる顧客の姿が描かれている。
ピカピカに磨かれたショーウィンドウには、色鮮やかなドレスが並べられており、マホガニーの机の上には商談中の高価な生地が広げられている。
ガラスに囲われたショーウィンドウの中には、丁寧に並べられた宝石や宝飾品が輝き、店に足を運んだ客に店員が説明をしていた。
店内には、お針子が一堂に集まっている場所もある。流行りの服に身を纏ったお針子らが、高度な技術を駆使して繊細に針を運んでいる。海のように広い布を縫い合わせている者もいれば、丁寧にギャザーを寄せている者、細やかな刺繍を加えている者などそれぞれだ。
店を訪れた客は、その手腕に感動し、接客についている店員に自分の服にもあの技を、と口々に注文をつけている。
アイドニが口に両手を当て、歓喜の悲鳴を飲み込んでいる。その体はふるふると喜びに震えていた。憧れに憧れた場所だったのだろう。
ぐるりと室内を見渡したノイは、「あれ?」と首を傾げる。
(……この店は)
そこは昔、カルディアを連れてきた店だった。
増築され、外観は変わっていたが、カウンター周りの内装はそのままだった。
(懐かしいな……)
あの時のカルディアは、今のノイよりもずっと小さかった。不安そうにノイの手をぎゅっと繋ぎ、彼女がカルディアのために散財するのをハラハラと見ていた。
(それが今や、これかあ)
ノイを抱えたカルディアは、堂々とした足取りで店の中を闊歩する。その横顔からは、あの頃の面影など何一つ感じられない。
(これほど立派になったカルディアを、あの頃のカルディアに見せたいものだ)
そんな無理なことを考えて、一人うんうんと頷いているノイの体が、ぐらりと揺れる。
(えっ――!)
「どけ! 邪魔だろう!」
店に響くほどの大声で、男が叫んだ。どうやら、カルディアが男に背を押されたらしい。カルディアがしっかりと抱いていたため落ちなかったが、ぐらりと揺れたのは流石に怖かった。
「店の主人はお前か? 俺の連れに注文したいんだが」
男の横には、派手な衣装を身に纏った女性がいた。魅惑的な目つきの女性が、妖艶に笑って男にしなだれる。
「申し訳ございません、お客様。現在、舞踏会に向けての注文が殺到しておりまして――」
アイドニの危惧した通り、やはり注文は厳しいようだった。人気店ともなれば、それも致し方ないだろう。
だがそう諦めたノイと違い、男達に諦める様子は無かった。
「いいのか? 俺はヒュエトス魔法伯爵だぞ!」
「え!?」
ノイは思わず声をあげた。
しかし、店の中にいたほとんどの人間が同じく声をあげたため、ノイの声は幸いにも男の興味を引かなかった。
それどころか、男は自分が注目されていることに喜びを感じているようだった。
男はぐるりと店内を見渡し、卑下た笑みを浮かべる。
「この仕立て屋一つ吹き飛ばすくらい、わけぁ無ェんだがなあ!」
最低な脅し文句に、ノイはカッとなった。ノイが飛び降りようとした気配を察したのだろう。カルディアは腕に力を込めて、ノイを封じた。
「カル――!」
「しぃ」
抗議しようと開いたノイの口を、カルディアが二本の指で押さえる。その、ものを見極めようとしているかのような真剣な目に、ノイは何も言えなくなり、口を閉じた。
すると、部屋の奥から支配人の男がすっ飛んでやって来た。
「も――っ申し訳ございません! ヒュエトス魔法伯爵! この者はまだ新人でして……ほら! さっさと謝罪しろ!」
「も、申し訳ございませんでした!」
ノイは目を見開いた。彼らがあの偽物をヒュエトス魔法伯爵としてもてなすと、思ってもいなかったからだ。
(……そうか、カルディアは何十年も地上に降りていない……)
数十年前に一人で空へ渡ったヒュエトス魔法伯爵。彼は何十年も、王都に近寄っていなかったという。
この王都の誰もが、彼の顔も年齢も知らない。
更に現在、カルディアが地上へ降りる際、自らの領地でさえ偽名を使っていた。王都でなくとも領民でさえ、カルディアがヒュエトス魔法伯爵だとは知らない。
その上、ヒュエトス魔法伯爵本人が生き続けているなんて――しかも、これほど若い見た目をしているだなんて、誰も想像すらしていないに違いない。
身分を偽っている偽ヒュエトス魔法伯爵は、中年の男性だ。エスリア王国において伯爵位は世襲する爵位である。
ヒュエトス魔法伯爵本人が亡くなった後、息子が継いでいたとしてもおかしくないと、人々は考えるだろう。







