42 : 思い出のひとひら
「――お……お……お店がいっぱいですわ~~!!」
目をキラキラと輝かせたアイドニが、四人がけの馬車の窓から身を乗り出す。アイドニのはしゃぎように、風で流れてくる彼女の金色の髪にバサバサ殴られながらも、ノイはにこにことしていた。
「本気でこの小娘を嫁として、王宮へ連れて行くおつもりなんですか、先生?!」
朝食後、中庭を望むテラスで食後の茶を飲んでいるところに、オルニスが鬼気迫る顔でやってきた。
昨日から一言言いたかったのだろうが、何処にいてもカルディアの周りには大勢いたため、我慢していたらしい。ようやっと人がいなくなったのを見て、突撃してきたようだ。
「そうだよ」
小娘と呼ばれたノイは、胡座を組んだカルディアの膝の上で重しになっていた。先ほどから引っ切りなしに訪れる、カルディアを攫って行こうとする女性陣に対する文鎮に徹している。
カルディアの膝の上で、彼に差し出される菓子を鳥の雛のように食べていたノイは、ペパーミント色の瞳でじっとオルニスを見つめる。
「こ、こんな……」
ぽろぽろと、食べるそばからサブレの欠片をカルディアの膝に落としていくノイを見ながら、オルニスが震える。
「こんなのが行くくらいなら、僕が女装した方が絶対にましです!」
――ましです! ましです! ましです! ましです!
静かな庭に、オルニスの決意がこだまする。
ノイとカルディアは揃って「おお……」と呟くと、ぱちぱちと手を叩いた。
「なんだ、そうか。行きたかったのか、オルニス。アイドニに相談してみよう」
「オルニスは美しいからな。目の色に合わせて、藍色の上衣なんて似合うんじゃないか?」
「耳飾りは大ぶりなものが似合うだろう。鬘も必要ないね。髪飾りは最小限にして――」
「何を乗り気になってらっしゃるんですの」
きゃいきゃいとはしゃぎ始めたカルディアとノイの後ろで、ノイの世話係のために控えていたアイドニが、静かに微笑んでいた。
「オルニス。カルディア様の花嫁となるノイ様に対して、あまりにも不作法ではなくて? 小娘だの、自分の女装のほうがましだの……郷の面汚しもいいところですわ」
オルニスの口の悪さなどもう気にもならなくなっていたノイと違い、オルニスを嫌いなアイドニは全てに引っかかるらしい。
「事実だと思うけどね。と言うか、そっちこそ。昨日とあんまりにも態度が違って驚いた。あんたも、大木に留まる小鳥には態度を改めるんだ?」
「浅慮なわたくしの行いは、既に謝罪しておりますわ。貴方に囀られる筋合い、ございませんの」
バチバチバチとオルニスとアイドニの間に火花が飛び散る。オルニスも調子を取り戻したのか、昨日までの「暴風吹き止むまで待て」の姿勢ではなくなっている。
オルニスとアイドニが火花を散らす後ろで、カルディアの指に摘ままれたフロランタンを、ノイはしゃくしゃくと齧る。
「ノイ様はわたくしが責任を持って、カルディア様の隣に相応しいお方に仕上げてみせます」
きっぱりと言い切るアイドニが頼もしく、ノイとカルディアはまたぱちぱちぱちと拍手をした。
「ですがそれには、ここにある服では不十分です」
オルニスがまるで「大見栄をきっておいて」とでも言う風に、鼻で笑う。
「この郷の子どもが着ている服は、私を含め、代々受け継がれてきた――おほん。有り体に言えば、お古ばかりですわ。王宮に相応しい装いとは言えません」
洒落者のアイドニはセンスよく衣を重ねてアレンジしているようだが、目を凝らして見ると、かなり着古している事がわかる。
「大人用の式典用の服ならございますが……どれも大人用。あまり背が高くないノイ様の丈にぴたりと合わせるには、ハサミを入れねばならないでしょう。それに、世界一素敵なカルディア様の隣に立つ女性に、誰かの服を詰めただけの、間に合わせの服ではよくありませんわ」
「と言うと?」
カルディアが微笑んで尋ねると、アイドニもにこりと微笑んだ。
「つまり、王都ですわ!」
どこから出したのか、アイドニが大量の本をドサリとテラスの上に置いた。その本のどの表紙にも、インクで描かれた美しい女性の姿が描かれている。
「見てくださいまし。今王都ではこのように胸元に花を飾ったり――」
それはファッションの流行を書いた本のようだった。夏号というナンバーからして、毎季節に一冊ずつ出るのだろう。
「こういった風に、裾にビーズをあしらったりするのが流行りのようですわ。靴も去年までのような、ピンヒールでは無く、多少ペタッとした異国風のものが流行っていて――」
よほど読み込んでいるらしく、アイドニはぺらぺらとページをめくっては、すぐに目的の絵を見つけて指さした。
アイドニは小鳥のさえずりのように、軽やかな声で次々と説明を続けていくが、ノイもカルディアもぱちぱちと瞬きをするので精一杯だった。
「こちらの羽織りも――」
「――よし、わかった。王都へ行こう」
アイドニの言っていることが微塵もわからないことを知ったカルディアは、責任をアイドニと、王都の服飾屋に丸投げした。
「きゃーーー!!」
アイドニは両手を口元に当て、目をぎゅっと瞑った。笑顔とも言えない、不完全な笑みだった。
けれどその表情は、これまで彼女が見せたどんな笑顔よりも、彼女の喜びを表わしていた。
「カルディア様、ありがとうございますわ!」
雑誌を両手で抱き締めたアイドニが、カルディアに心からの礼を告げる。
「君を郷から連れ出す許可を取ってこよう」
ノイを膝の上から下ろしたカルディアが、よいしょと年寄りくさいかけ声で立ち上がる。しかしすぐには歩き出さずに、腰をかがめてノイの耳元に口を寄せる。
「ついでに、次期当主に体調のことも相談してくるよ」
ノイを安心させるように、優しい響きでカルディアが囁く。
黒い髪を靡かせながら歩いて行くカルディアの後ろ姿を見つめながら、ノイはあの日の夜を思い出していた。
『……やっと。やっと、夢に、来てくれたんですね』
夢うつつの中、目の前にいるノイを、以前の師匠のノイと勘違いしていたカルディア。
この言葉を聞いた時、ノイは自分が師匠だと彼に告げるか迷った。
カルディアは、ノイが夢に出るのを指折り百年待っていた。そんな事実を知ってしまえば、自分がノイだと名乗り出ることが、彼の喜びに繋がるのではないかと悩んだ時もあった。
彼が喜ぶのであれば、自分が赤っ恥を掻くくらい、わけはない。
だがノイは、言わなかった。
『あの頃、貴方が俺に言ってくれてたことが、少しずつわかるようになりました。……お師様、どうか、幸せでいてください。泣かないで、ください。俺はここで、楽しく、生きてるから』
彼にとってノイは既に、死人なのだ。
彼は師との死別という苦しい経験をした。それから一人で生きていくのは、苦汁を嘗めたことだろう。だが彼はそこで折れず、踏ん張って生きてきた。だからこそ今、生きているのだ。
夢見るほどに望んでいたとしても、彼は既にノイへの未練を断ち切って、一人で大丈夫だとノイを安心させるための言葉まで吐ける大人になっている。
――そのカルディアの努力と成長を、ノイは尊重したかった。
「……カルディア様は、ノイ様には特別お優しいんですのね」
ぼうとカルディアのいなくなった場所を眺めていたノイに、オルニスと喧嘩をし終えたアイドニが呟いた。
「そ、そう、か?」
つい昨晩、自分は彼にとって特別では無かったのだと反省していたノイは、自信をもって頷けなかった。しかし、自信なさげなノイを見てオルニスが片眉を上げているのに気付き、ハッとする。
「そ、そうだろう! なにしろ花嫁だからな!」
今のは「花嫁」として、よくない対応だった。ノイは慌てて、カルディアの花嫁を演じる。
「あんな運ばれ方をされているだけありますわね」
「へ?」
「いつでも何処でも抱き上げて。片時も離したくないとおっしゃらんばかりじゃありませんか」
ノイは、それがカルディアの花嫁アピールなのだと知っているため、視線を右や左に流しながら、あーとか、うーとか言って、頷く。
しかしそんなノイに気付かないのか、アイドニはその可愛らしい薔薇色の頬をほんの少し膨らませて、つんと唇を尖らせた
「わたくしだって、カルディア様に抱き上げていただいたことなんて、一度もないんですのよ」
ノイはぱちぱち、と瞬きをした。次の瞬間、頬の筋肉が緩むのを感じる。
「そ、そうなのか?」
「そうなんですのっ」
つんとしているアイドニの前で、ノイの頬が緩む。
「まあ! 締まりのない! カルディア様のお隣に立つ方が、そんな表情をしてはいけませんわ!」
「わかった、わかった」
わかった。と言いながら、ノイはにまにま笑いを収められなかった。







