34 : 花嫁探し
話し合いを終えたククヴァイアとカルディアが部屋から出て来ても、ノイは彼と合流出来なかった。
部屋からカルディアが出て来た瞬間、美しく着飾った大勢の女達が彼を攫って行ったからだ。
ここの住人はヒュエトス魔法伯爵領の村人達と違い、カルディアがククヴァイアの師匠だと知っている。
端的に言えば、カルディアの本当の年齢を知っている。
勿論、カルディアの魔法使いとしての腕も知っているに違いない。
強く、美しく、身分もあるカルディア。
女達の目的がノイの考えと一致するかは定かではないが、全くの見当違いと言うこともないだろう。
連れ去られたカルディアを唖然として見送るノイのもとに、一人の可憐な少女がやって来た。
「ご機嫌よう。ようこそ、ククヴァイアのつむぎの郷へ」
可憐な声を持つ彼女は、誰もが羨むような豊かな金髪を持っていた。紺碧の空のように澄んだ瞳は宝石よりも美しい。彼女の柔らかな頬は丸く、ほんのりと薔薇色に色づいていた。瑞々しい唇は蜂蜜を塗っているかのように艶やかさで、その微笑みは甘い幸せの香りがする。
身に纏う衣装は、彼女のために世界中の布を吟味して誂えたかのように、よく似合っていた。淡い色も濃い色もくすんだ色も華やかな色も取り入れた華美な衣装なのに、チグハグにならずに全てが彼女の美しさを引き立てている。
その美しさはまさに絶世の美少女と呼ぶに相応しく、ノイは一瞬息を呑んだ。
「わたくしはアイドニと申しますの。どうぞ、お見知りおきを」
柔らかな言葉使いで腰を折る。声まで明け方の鳥のように可憐な少女は、大きな瞳でノイを覗き込んだ。品があって、花のようで、女の子らしい女の子だ。
「貴方は、カルディア様の新しいお弟子さんですの?」
少女の声を聞くことに集中してしまっていたノイは、返事をしていないことに気付き、慌てて口を開ける。
「ご、機嫌よう。邪魔をする。私はノイ。カルディアの――まあ、そのような者だ」
ノイは自分をどう紹介して良いのか迷って、彼女の提案に乗ることにした。
ここは、カルディアのことをカルディアとして知る者達――ノイの知らない彼を知る者ばかりだ。そんな彼女達に、偽りの関係を話すことをカルディアが望むのか、わからなかった。
ノイの隣で、オルニスがくいっと眉毛を上げる。アイドニは大きな目を三日月型にして、にこりと笑った。
「まあ! カルディア様ったら。魔力ナシを取るくらいなら、わたくしを取ってくだされば良かったのに」
柔らかな微笑みを浮かべたまま言ったアイドニに、ノイはぽかんとして固まった。
「それとも、世にも珍しい魔力ナシを、近くで研究したかったのでしょうか?」
綿菓子のように甘い声で、アイドニがノイをつついた。確かに、ノイに魔力がないことは、魔法使いであれば一発で見抜けるようなことだ。彼女がノイの体質に気付いていても、不思議ではない。だが――
(……研究?)
その視点は、持っていなかった。もしノイの目の前に魔力ナシの子どもが現れたら――確かに、ノイもなんとかして引き留め、何故そうなったのか、つぶさに観察したくなるに違いない。
実際にするかどうかは別として、そういった「魔法使いとしての性」を理解出来てしまう。
「アイドニ」
「あら。カルディア様のお慈悲で弟子にしていただいた、オルニスさんじゃないですか」
アイドニはぱぁっと顔を輝かせた。その心底愛らしい顔と台詞の毒々しさが一致せず、ノイはずっとぽかんとしたままだ。
「ご機嫌よう。帰っていらしたんですのね。お可哀想に。さぞや肩身が狭いでしょうに」
「……帰って来ていた?」
ノイがぽつりと繰り返すと、オルニスはため息をつきながら答える。
「まあ、ここの生まれなんで」
「え、そうだったのか!?」
百年前と魔法使いの世界が変わっていないなら、これほどの大きな流派の生まれならば、基本的にククヴァイア流を修めるのが筋である。
よほど事情があるか、よほど高名な師に巡り会えでもしない限り、流派からの風当たりは強くなるだろう。
(……そうか、カルディアは宗家の師匠だから、文句のつけようがない高名なのか……)
とすれば、大抜擢である。強くなったのは風当たりでは無く、やっかみだろう。
「じゃあお嬢さんも、カルディアの弟子になりたかったのか?」
これほど立派で賑やかなつむぎの郷にいても、カルディアを師にと仰ぎたくなるものなのだろうかと尋ねたノイに対して、オルニスが隣でぼそりと「すげえ煽り」と呟く。
アイドニは微笑んだままだったが、一瞬言葉に詰まった。そして、いいえと首を横に振る。
「もう弟子になりたいとは申しません」
「へえ?」
「わたくし、カルディア様の花嫁に選んでいただくんですの」
ノイとオルニスは二人で顔を見合わせ、声を揃えてアイドニに言った。
「……花嫁ぇ?」
「ええ。カルディア様、どうやら花嫁を探しにいらっしゃったみたいで。先ほどククヴァイア様とお話ししておりましたの。わたくし、ちょこっと耳がいいので、こそっと聞こえてしまったのですわ」
可愛い顔がるんるんしていると、より可愛い。
「ようやく、わたくしの出番というわけですもの」
アイドニの話す内容についていけていなかったノイは、ぱちくりと瞬きをした。
「あんたじゃ若すぎるだろ」
「あら。カルディア様にしてみれば、六十も三十も十七も変わりませんわ」
首を傾げてしなを作ったアイドニは、それだけで絵になった。
「お姉様方も皆張り切ってらっしゃるようですから、わたくし、負けられませんの」
どうやら女達は全員で、カルディアとククヴァイアの会話を盗み聞きしていたようだ。ということは、アイドニが嘘をついているわけではないのだろう。
(……え? 本気で?)
カルディアは確かに、もう一つ用事があると言っていた。
それが、これだったのだろうか。
(……私は、もう、用済みって、ことか?)
足下がひやりと冷える。一瞬、息が出来なくなった。
即席の婚約者から、実用的な婚約者へ。ノイよりももっと便利で役に立つ新しい花嫁を選ぶ自由は、勿論カルディアにある。
(――花嫁でなくなると私は、カルディアに、なにもあげられないな……)
浮島に置いてもらえているのは、カルディアの虫除けになっているからである。
(……えっ? もしかして、ここに置いて行く気か……?)
魔法使いが沢山いるつむぎの郷では、もしかしたら先ほどアイドニが言ったように「研究対象」として、歓迎されるかもしれない。領地に下ろして新しい居住環境を整えるより、楽にノイを放り出せるだろう。
「この郷でカルディア様と一番親しい女性は、わたくしですもの。きっと選んでくださいますわ」
アイドニの明るい声が、ノイの頭をどんどんと俯かせていく。
「……その辺にしとけば? ひでえ顔」
ノイを横目で見ていたオルニスが、アイドニに向けてそう言った。これまでアイドニに何を言われても流していたオルニスの突然の暴言に、ノイは目を見開く。
アイドニは綺麗な顔を真っ赤に染めて、目をつり上げた。
「ひどい、顔? 誰が? まさか……わたくしが?」
「他に誰がいんの」
オルニスはアイドニに視線さえ向けない。
美しく微笑んだ顔のアイドニは「ひどい顔」と評すには値しない。それなのに、図星を突かれたかのように狼狽したアイドニが唇を震わせる。
「――っお馬鹿!」
これまで流暢だったのが嘘のように、端的で、わかりやすい悪口だった。
肩を怒らせてオルニスに言い返すと、アイドニは走って廊下を渡っていく。
その後ろ姿を見ながら、オルニスは「やっと行った」とため息交じりに呟いた。
「気にしなくて良いですよ。あいつはあんたが嫌いなんじゃなくて、俺が嫌いなんです。今のも、弟子よりも花嫁の方が立場が上だからって、俺に当てこすりに来ただけですよ」
オルニスにしては珍しく、ノイを気遣う台詞だった。
「……ただ、招待状の件もあるし、花嫁探しは本当かもな」
「招待状?」
「王宮から再三届いてるんですよ。本当に花嫁を決めたなら、婚約を発表するべきだと。エスリア王国の貴族の婚姻は、王家の承認が無ければ成り立ちませんし……まあ、貴族の義務ですね。丁度舞踏会を開く予定があるから、連れて来いって。いつも無視してるんで、今回も無視するかと思ったんですけどね……ここに花嫁を探しに来たってなると、行くつもりなんでしょう」
ノイは強い衝撃にがくりと項垂れ、しゃがみ込んだ。ぎゅっと両膝を抱える。
(……花嫁。王宮……)
百年前、ノイは王宮魔法使いとして王宮で暮らしていたことがある。
だからこそ、知っている。
あそこにいる人々がどれほど高貴で、眩いほどに美しいか。
「私じゃ、力不足だ……」
「それは本当に、そうですね」
「うう……」
現にアイドニは、現段階で唯一「花嫁さん」と呼ばれているはずのノイのことなど、全く眼中にない様子だった。彼女のライバルは自分達の姉弟子達であって、ノイのような魔力ナシの小娘ではない。
今のノイには、彼女達のような魔力も、美しさも、後ろ盾も、何もない。
「まあ、遅かれ早かれ、こうなることは目に見えてましたし」
それはその通りである。ノイは間に合わせの婚約者(仮)であって、時間稼ぎ中にカルディアがどうにかしようとするのは、当然だった。
(花嫁役失格になったら、きっともう、浮島にはいられないな……)
ノイを大きな疎外感が襲う。
ここは、カルディアがかつて育てた弟子の家。きっと皆、国でも名だたる優秀な魔法使いであることだろう。
ノイは確かに、子どもの頃のカルディアを知っている。
けれどそれは、たった二年ほどの期間である。その後の百年は、ノイの知らない彼がいて、ノイが知らない苦労をカルディアは重ねてきた。
見てくれだけでなく内面も立派に成長した彼に、感動すらしていたはずだった。
なのに、もしかしたらその時間を、その苦労を共に味わい、カルディアを支えた誰かが過去に――もしくは、ここにいるのではないかと考えるだけで、何故かまた、胸がぎゅっとするのだ。
(そんなの、いたほうがいいに、決まっているのに)
なんでそれが自分じゃなかったんだ、なんて。考えても仕方のない思いが、胸を渦巻く。
(せめて、魔法さえ使えれば……)
そうすればきっともっと、自分を保てていた。魔法使いにとって魔法の強さは、何よりもの自信となる。
その魔法も無く、花嫁という利用価値までも無くすノイに、一体何が残るのだろう。
「……――ああ、もう。面倒ですね」
しゃがみこみ、膝に顔を埋めるノイの腕を、オルニスが引っ張った。







