103 : 最後の求婚
――エスリア王国暦 492年 晩春
エスリア王国の南部に位置するヒュエトス魔法伯爵領は、水上都市である。
十年前、魔王によって被災したこの土地は、急速に発展した。道の代わり引かれた運河には、歌鳳魚と呼ばれる下半身は魚、上半身は鳥の姿をした魔法生物が引く舟が流れる。
人々は水と共に生き、水は人々に恵を育む。
物流が盛んになったヒュエトスは、今やエスリア王国を代表する観光都市となった。
「貴方は、まだこんなところにいらしたんですか」
先ほど露店で買ったばかりの魔王まんじゅうを咥えた女性が、くるりと振り返る。すらりと伸びた手足は長く、腰はくびれていた。乳白色に光る髪は、常に彼の恋人によって綺麗に編み上げられているが、今日はまた特別丁寧に編まれていた。
「アイドニが悲鳴を上げて探し回ってますよ」
自らの妻の名前を口にする男に、女性はにやりと笑った。
「私の仕事は、アイドニに見つかることか?」
「そうだと楽だったんですけどね」
男がため息を吐き出す。若い頃からずっと苦労している男を、女性はにこにこと見守った。
「逃亡者がもう一人います。見つけたら必ず、引きずってでも連れて来てください」
「わかった」
女性は男に手を振って、迷いのない足取りで歩を進める。
「魔王を浄化した魔法伯爵に、是非弟子入りしたい!」と訪れた、国中の名だたる魔法使いによって整えられた街並みは、秩序ある景観だった。いつも活気に満ちた街だが、今日は一段と賑やかだ。
若々しく色づく木々から家々の窓に吊された布は白一色。壁から吊された花も、風にはためく旗も、全てが白で統一されていた。
「やっぱり、ここにいたのか」
真っ直ぐに、女性は広場へ向かう。
以前は数件の店とガレネー像しかなかった広場も、今では巨大な公園となっている。ぐるりと運河が囲んだ公園には、人々が散歩しやすいように歩道が整備され、手入れされた花壇や草木が出迎える。
そんな公園の一角に、ガレネー像があった。
かつて世界を救ったとされる、初ノ陽の魔法使いを模して作られた銅像だ。丁度今、見上げている女性にそっくりな銅像は、住人によって綺麗に磨かれていて、コケ一つ生えていない。
そして、その銅像の裏に、子どもが丸まった程度の大きさの、石が置かれていた。
女性の探し人は、その石の前に、ぼんやりと立っていた。
「何も入っていないとは、わかっているんだけどね」
男が深紅の瞳を細めて笑うと、二連のほくろが持ち上がる。穏やかで柔らかな笑みに、女性はふるふると首を横に振った。
「そんなことはない。お前の百年分の想いが、びっしりと入ってる」
かつて、自らの墓として祀られていた石を、女性は手のひらで擦った。
「私はこれが好きだぞ」
「俺よりも?」
「そうだと言ったらどうする?」
「今から泣いて駄々をこねて、君に迷惑を掛ける」
「迷惑がかかるのは、私じゃなくて、オルニスだな。泡を食って探してたぞ」
女性は言ったが、男は「オルニスなら問題ないよ」とでも言わんばかりの顔で女性を見下ろす。
いつまで経っても扱いの変わらない孫弟子がおかしくて、ふふふと笑う女性に、男は穏やかな声で言う。
「……来ないと、思ってたな」
「ん?」
石を撫でながらそう言う男は、どこか遠くを見つめる。
「世界が、俺を愛おしんでくれる日なんて……永遠にないと思ってた。あんなに祈った神様は、君すら救ってくれなかった。けれど、君との――約束だったから」
石を撫でる手は止まっていた。男は柔らかな笑みを浮かべ、女性に向き直った。
「信じたことはなかった。なのに、こんな日が、来るなんて……」
男が女性の目を見つめたまま、ふんわりと微笑んだ。口の端から犬歯が覗く。その顔は、彼が幼い頃に浮かべた「天使」の笑顔にそっくりだった。
女性も同じように、柔らかな笑みを浮かべる。
「……こんな日は、今日だけじゃない。明日も、明後日も、その次も――ずっとこんな日が続く」
女性が、男性の手に自分の手を重ねた。
「もし辛い日が来ても、絶対にまた、こんな日になる。お前が言ったんだ。冬が終えれば、春が来ると」
冬は嫌いだと言っていた男性が、笑顔の女性を見て、空を見上げた。
そしてゆっくりと、女性を見下ろす。
「……春はもう、来てたんだ。きっと、ずっと。君のその笑顔を、浮島で初めて見た時から」
――俺のタンポポ。
懐かしい呼び名でそう言うと、男は泣きそうな顔で笑った。
そのまま二人は手を繋いで、湖畔に向かって歩き始める。
「なあ……」
「ん?」
「もう、当日なのに。なんだかんだで、してくれなかったな」
照れ隠しなのか、女性は男性と繋いだ手を大きく振りながら、つんと唇を尖らせる。
その表情から、男性は女性が何を言いたいのか気付いたらしく、意地悪く口の端を上げる。
「一度目は破談になって、二度目は最悪だと言われたんだよ。三度もする男がいる?」
「一度目はお前の責任だ。二度目もまあまあ、お前の責任だ」
「……」
女性の正論に、男性は押し黙った。女性がくるりと前に来て、男を真正面から覗き込む。
「私は人並みに、憧れていたりするんだがな」
「……その顔をすれば、俺がなんでも言うことを聞くと思って」
「楽しみにしてたのは私だけだったんだな。それなら、仕方な――」
女性が言い終える前に、男性は女性を抱き上げた。
以前のように、もう片腕では難しい。両手で抱き上げた女性は、男の肩に手を回して体を寄せる。
「――ご機嫌よう、お嬢さん」
男性が何をしようとしているのかに気付いた女性は、わくわくして待つ。
「随分と待たせてしまったけれど、もしまだ、俺を見捨てずにいてくれるなら――」
女性はいても立ってもいられずに、じたばたと両足を動かした。
何年もかかってようやく恋心を認めた往生際の悪い男に、辛抱強く待った女性がふふふと笑みを零す。
「俺の、花嫁さんになってくれないかな?」
久しぶりに聞いたその呼び名に、女性は笑いを堪えきれず、男の首にきゅっと抱きつく。
「……返事は?」
こんな日を迎えているのだ。不安になることもないだろうにと、女性はおかしくって笑った。
ヒュエトス魔法伯爵領にただ一つだけある教会は、朝から満員だ。正午から始まる、領主とその花嫁の結婚式を一目見ようと、領地中から人が押しかけているためだ。
「お前も少しは焦らされて、私の気持ちを思い知ればいい」
「はいはい、申し訳ございませんでした」
男は女性を抱えたまま、丘の上にある教会までの道を歩く。
「カルディア」
「何? ノイ」
「返事はな、あとで神様の前でしてやろう」
カルディアの首に巻き付いたままのノイが、彼の耳に向かってそう言う。カルディアはにやりと笑って、ノイを下ろした。
「それは楽しみだ。早く行こうか」
カルディアが手を差し出した。
ノイはその手を握る。
この手はずっと、百年前から繋がれたまま――
そしてこれからは、隣を歩いて生きて行く。
温かく激しい風が二人の長い髪を揺らす。
春風に煽られた、花嫁の髪色と同じ白い花びらが、風に舞って飛んで行った。
――かくして魔法使いノイ・ガレネーは百年後、花嫁となった。
おしまい
【かくして魔法使いノイ・ガレネーは百年後、花嫁となった】をお読みいただき、ありがとうございます。六つ花です。
年代が移り変わったり、住む場所があっちこっちに変わったりと、随分と好き勝手させていただきました。ですが私の書きたかった「楽しい」を、一番楽しんで頂けるかたちでお届けできたのではないかと思っております。
久しぶりのファンタジー長編のWEB連載、楽しんで頂けましたら幸いです。
優しく高潔で、自分の身を顧みないほどの献身さ。
ノイは私が思い描く、少女小説のヒロインらしいヒロインでした。
とても私らしくないヒロインでしたが、これ以上無いほど、うちの子らしいヒロインになってくれたんじゃないかと思っています。
現在、書籍化とコミカライズ化が進行中です。
コミカライズはいつもお世話になっているKADOKAWAのFLOS COMICさんとなります。
公式からの情報をお待ちいただけますと幸いです!
私の方でも、サイトやブログに情報をまとめていきますので、もしよろしければご覧になってください。
それではまた、いつかどこかで。
■ mutsuhana eiko(https://cotori.daa.jp/)
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