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それはとてもとても、楽しい時間

 豊浦奏恵(とようらかなえ)が、全てを吹っ切ったように演奏を始めた。


 きのうとそれは、まるで違う。

 奏でる音に、芯を込めて。

 激しく、鮮やかに、そしてなによりゴキゲンに――そんな風に吹く同い年の後ろ姿を見て、滝田聡司(たきたさとし)はドラムを叩きながら大爆笑していた。


 なんだよ、おまえ。

 おまえだって、馬鹿みたいに楽しいこと、できんじゃねえかよ。


 これまで散々言い合ってきたことを思い出して、聡司は奏恵に心の中でそう叫んでいた。

 あたしがやりたいのはあーじゃねえとかこーじゃねえとか、今までわちゃわちゃやっていたが、彼女が本当にやりたいことはただシンプルに、たったひとつだけ。


「――ッ!!!!」


 ただ心のままに、吹くことだけ。


 そんな彼女の出す音に、呼応するように聡司も刻んだり盛り上げたり、ビートを変化させて叩いていく。

 本来はソロの伴奏として大人しくしていなければならない場面だが、これだけ奏恵が出しているのだ。乗っかって一緒にやらない手はない。

 やらかしてやらない手はない。本番はやったもん勝ちなのだ。

 出したら出したでその音は過ぎていく。行くのはその次、次の音符とリズムだけ。指揮をしている顧問の先生が苦笑いしたように見えたが、それはこちらの思いを了承してくれたものと解釈しよう。

 奏恵の身体の動きと呼吸に合わせて、聡司も刻む鼓動を変えていく。彼女が息を吸うタイミングで、ひとつの旋律を途切れさせないように楽しい即興演奏(フィルイン)を入れてやる。かと思えば一緒に静かなところから上がっていて、メロディーの区切りに一発シンバルをかましてやる。

 わずかな休みの間に、奏恵が振り返ってこちらに向かって笑ったのが見えた。

 それは今まで聡司が見たこともないような、彼女の底抜けの、ただ屈託ない笑顔だった。


「――ははっ!」


 それにこっちも笑い返して、最後のハイトーンに向かうため準備を始める。

 始まりは低いところから静かに。こっちもかすかに、最低限の刻みだけを入れていく。そういえばこいつとは、学校祭の練習を始めた頃は意見が合わなくて、お互いにこんな感じだった。

 けれどそれはすぐに段階を経て、音域とボリュームをどんどん上げていく。そしてあともう少しで、きのうは盛大にトチった最高音に辿り着くはずだった。

 だけどもう、ここまで来てしまった彼女に敵はない。

 なのでこっちも踏み台を作るようにあいつを飛ばしてやって、あとは他の部員もお客さんも、自分自身も全部巻き込んでいく。

 そうして、引き込むように吹き上げたら。

 あとは魂を全部絞り込むように、ハイトーンを吹くだけ――!


「――――ッッッ!!」


 と、そこで。

 キューーーッ!! とでもいいそうな高音を、奏恵が最後に吹き抜いた。


 彼女が楽器を口から離すとそこで盛大な拍手が起こって、それに奏恵が手を振って応えてお辞儀する。

 それに一発お祝いの太鼓の音を打ち込んで、聡司はそのままドラムを叩き続けた。

『シング・シング・シング』は、まだ続く。

 一発かましただけではまだ終わらない。曲はここで終わるわけじゃない。

 ビートを。リズムを。

 鼓動を。心を。

 歌い続けることがこの曲の使命。これしきじゃまだまだ。

 この先も行くのは次の音符とリズムだけ。

 どこまでも続くリズムを、場面と共に変化させながら聡司は叩き続けた。合図をするとそこにトランペットもトロンボーンもサックスもチューバも、愉快な馬鹿どもがみんな入ってきて、どんちゃん騒ぎを繰り広げていく。

 楽しかった。それはとても、楽しい時間だった。

 その狂乱はいつまで続くのかわからない。自分もどうなるかわからない。

 わからないけれど――


「ああ、楽しかった」


 今もその瞬間は、まだ続いているのだろう。

 曲が終わってもまだ鳴り止まない拍手の中で――聡司は笑って、そんなことを考えていた。

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