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鬼の目にも涙

 軽音部で掴んだ爆音と、強引にでも突っ走るプレイスタイル。

 これをジャズのドラムで使わない手はない。

 そう思って滝田聡司(たきたさとし)は、吹奏楽部の「シング・シング・シング」の合奏でそれを実践した。

 ドラムはジャズやポップスにおいて、ある意味指揮者以上の絶大な権力を持つ。多少荒くても、走ればみんなついてくるはずだ。

 だって、ジャズって自由なんだから。

 まずオレが自由にやらないと。


 そう思って叩いた結果、予想に反して部員の大半からブーイングをくらった。


「つ、ついていけません~……」


 馬鹿でかい金管楽器・チューバの傍らでイスにぐったりともたれかかったのは、聡司と同い年の女子部員、春日美里(かすがみさと)だ。

 チューバはベース楽器だ。聡司のドラムに合わせて、低音の刻みをやっている。その彼女がついていけない、ということは、つまり――


「ほら、だから言ったじゃないですか。先輩はノってくると走る傾向があるって」


 むすっとした調子で言ったのは、聡司の後輩、打楽器一年の貝島優(かいじまゆう)だ。

 確かに聡司は、以前からこのちっちゃい後輩に言われていた。夢中になって叩いていると、いつの間にかテンポが速くなっている。

 癖のようなものだ。気づかないうちにそうなってしまっている。なんとなく直すのに反感があって、今まであまりメトロノームを使って練習をしてこなかった。それが今回、本当に好き勝手叩いたのでモロに出てしまった形だ。

 美里は目を回している。聡司の勝手に早くなるテンポに振り回されて、軽い酸欠状態になってしまったらしい。

 それを見て、あ、これマズかったのかもしれない、と聡司は初めて思った。先日「これだ!」と思ったのに、どうしてこうなってしまったんだろうか。


「だから、ちゃんと練習しないとダメなんですよ。言ったじゃないですか」

「……なんだよ」


 反省しかけたところに後輩の呆れた声が聞こえて、少しムッと来た。勉強しなきゃなあと思っていたところに、親から勉強しろと言われたような気分だった。

 確かに優は正確無比なテンポと小さい身体に見合わない迫力のある音で、部内では自分より実力があると思われているが。しかし、後輩は後輩である。思わず口を開きかけたところで、優が美里を指差した。


「変な癖は直さないと、みんなに迷惑がかかるんです。でしょう?」

「む……」


 美里を見て、反論を飲み込む。確かにこれは自分の中のテンポが不安定なせいで、同じくリズム隊である低音楽器に迷惑をかけたということだ。

 ドラムは絶大な権力を持つ。しかしそれは一度暴走すると他の誰にも止められない、ということでもある。

 結果、周りを振り回してしまった。

 まあ普段言われっぱなしの身なので、少しだけ、ざまあみろと思わないでもなかったが。だがどちらかといえば聡司の味方である美里に一番の負担をかけたという事実は、合奏前にあった自信をぐらつかせるには十分だった。

 それに追い打ちをかけるように、優が言う。


「それに最近なんだか、先輩は音が荒いです。軽音部の人たちに影響されたなら、即刻やめてください」

「……それもかよ」


 ジャズだと思って荒々しく叩いていたのも、後輩はお気に召さなかったようだ。クラシックにかぶれやがって、といつもの反抗する気持ちが噴き出す。

 お上品にやってんじゃねーよ、と思う。

 それじゃ足りないのだ。さっき合奏中に顧問の先生が言っていた。「おまえら、根本的に音の出し方を変えろ」と。結局、今の合奏では変わらなかったが。

 ジャズはいつもの感じとは違う。それに気づかない限り、おまえらは本当にカッコイイものは創れない。

 オレは、正しい。

 それに関しては譲る気はない。

 そう思って黙っていると、優はさらに機嫌を悪くしたようだった。腕を組んで、足でパタパタと床を叩く。


「汚い音と、ワイルドでカッコイイ音は違います。今の先輩の音は単なる粗雑な音です。本物だって言ってる偽物です。

 軽音部の人たちみたいに勘違いしないでください。ここはあそことは違うんです」

「あいつらのこと悪く言うな」


 思った以上に低くて冷たい声が口から出て、自分でも驚いた。そしてそんな感情の動きとは関係なく、軽音部の馬鹿どもの顔が浮かんでくる。

 楽しそうにやりたいことをやる、ヒマワリみたいな笑顔のギターの馬鹿の姿。

 考えてることはさっぱりわからないが、黙々と準備を進めゴリゴリと低音を鳴らしてきた、ベースの馬鹿の姿。

 彼らは間違ってなんかいない。あの日感じた大切なものを、彼らは確かに持っている。

 そしてそれはここにはないと聡司は思った。吹奏楽部の人間に彼らを馬鹿にする資格はないのだ。

 そう思って軽く優をにらむと――彼女は、口をへの字にして不満げに黙った。

 そして、目いっぱいに涙をためた。


「……え?」


 ぷるぷると震えて今にも泣きだしそうな後輩を見て、それまでの怒りが一気にサアァァっと引いていった。ちょ、ちょっと待て貝島。やめろ、おまえ、泣くな――慌ててドラムのスティックを置いた瞬間、ちっちゃい後輩の涙腺が決壊した。


「うわあああああああん!! 滝田先輩が怒ったあああああ!!」

「いやあああああああっ!?」


 大粒の涙を流し始めた優を前にして、成す術なく悲鳴を上げる。

 ひとつ年下の小さい女の子を泣かせたという事実が、聡司をパニックに陥らせた。そうしている間にも、音楽室のそこかしこから、「滝田が優ちゃんを泣かせた……」「後輩泣かせてる……」「小さい女の子相手に……」という他の部員たちのささやきが聞こえてくる。それがさらに焦りを加速させた。


「うわあああああん!! ばかー! ばかーっ!! 先輩なんてもう、軽音部いっちゃえばいいんだああああ!!」

「ご、ごめんごめん貝島、オレどこにも行かないから! 音質も考え直すから!! だから泣き止んで!? お願いだから泣き止んでえええっ!?」


 火がついたように泣く後輩を前に、むしろこちらが泣きたい気分で聡司は懇願し続けた。


 しばらくして、しゃくりあげつつも後輩は泣き止んでくれた。

 だが合奏前にあった自信は、これで完全になくなってしまった。

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