アンハッピー・バレンタイン
今日は二月十三日金曜日。
今年のバレンタインデイは土曜日。そう、学校は休み。
だから、同じクラスの坂下君にチョコをあげるには今日しかない。
だって、そうでしょ! 明日、坂下君にチョコを渡すためには、配達日時を指定した宅配便で送るか、どこかで直に会うしかない。休日に会う約束ができるんなら、こんなに悩まないよ。
ということで、今、本日最後の課目ホームルームの真っ最中。
担任の藤崎先生が何を言っているか、はっきり言って耳に入っていない。斜め前の席に座っている坂下君の背中を見る。坂下君は授業が終わると、バレーボール部の練習に直行するはずだ。
今日の第一ミッションは、ホームルームが終わるとダッシュで教室を出て、運動部の部室棟への渡り廊下で坂下君を待ち伏せして、チョコを渡すという計画だ。渡り廊下は比較的人通りが少ないから目立つこともないはず。誰にも見られないで渡すことができれば、拒否られた時のショックが軽いけど、そんなことは言っていられない。
「はい! では、今日はこれまで!」
藤崎先生のその一言で日直の「起立! 礼!」の号令が掛かる。
ふと、坂下君を見ると、再び椅子に座って、スクールバッグに教科書を入れていた。
――よし! このミッションもらった!
私は、既に帰る準備ができていたスクールバッグを持って、教室から出ようとした。
「あっ、市川さん!」
笑顔の藤崎先生が私を引き留めた。
「昨日の日直日誌を出してくれる?」
「えっ? それなら近藤君が出しているはずじゃあ?」
昨日、私と近藤君の二人が日直をしていて、私が号令を掛ける係、日誌は近藤君が書く係という分担になっていたはずなのに……。
「近藤君、昨日、出さずに帰っちゃったのよ。だけど、近藤君、今日、病気でお休みだから、市川さんが書いてちょうだい。今日中にね」
藤崎先生の笑顔が怖い。
呆然としている私の横を、坂下君がスクールバッグを持って教室を出て行った。
一人で教室に残って、昨日の日直日誌を書き上げると、職員室まで行き、藤崎先生に日誌を渡した。
昨日のことなんて、ほとんど頭に残ってなかったから、書くのに苦労したよ。
時計を見れば午後五時半。書くのに一時間以上も掛かってしまった。
坂下君は、今、体育館でバレーボール部の練習中のはずだ。
こうなれば、第二ミッションを発動だ!
うちの学校は規則で午後六時になると一斉に部活が終了する。バレーボール部もそうだ。練習が終わると、体育館から部室にみんなが一斉に引き上げる。体育館と部室の間の渡り廊下で呼び止めて、一人残ってもらった坂下君にチョコを渡すという計画だ。他の部員は着替えようと先に部室棟に行くだろうから、拒否られた時のショックが少ないはずだ。
午後六時まで三十分ある。寒い渡り廊下で待ってるのも辛いから、十分前まで暇を潰そうと図書室に向かった。
一般の教室から離れた位置にある図書室に向かって廊下を歩いていると、女生徒が一人廊下にうずくまっていた。
「どうしたんですか?」
私が声を掛けると、その女生徒は少しだけ顔を上げて「ちょっと気分が」と言った。その顔は蒼白だった。
「だ、大丈夫ですか? えっと、ど、どうしよう?」
周りを見渡してみても、放課後の廊下には誰もいなかった。
とりあえず保健室に連れて行こう!
部活が終了するまでは、保健室の鈴木先生はいるはずだ。
「あ、あの、保健室まで歩けますか?」
「は、はい」
か細く答えた女生徒に肩を貸して立ち上がらせると、ゆっくりと保健室まで一緒に歩いて行った。
「貧血だね。しばらく横になっていると治るよ」
女生徒をベッドに横にさせて、脈とか体温を測った鈴木先生が私に言った。
「それにしても、市川さんは救急車並みに病人をここに連れて来てくれるよね」
「やめてくださいよ、先生。まるで私が病人を探しているみたいじゃないですか」
一年の時から保健委員をしている私は、具合が悪い人をよく保健室に連れて来ているから、保健室の鈴木先生とは長いつき合いだ。
チャイムが鳴ると同時に「クラブの終了時間になりました。生徒の皆さんは速やかに下校の準備をしてください」と校内放送が流れた。
えっ! 何で、私、鈴木先生にお茶出してもらって、まったりしてるのよ!
「せ、先生、さようなら!」
鈴木先生に帰りの挨拶を放り投げて、私は保健室を飛び出ると体育館まで廊下を走った。
「こらっ! 廊下は走らない!」
こんな時に限って、生活指導の先生に見つかってしまう。私は「すみません」と謝ってから、早足で体育館に向かった。
体育館に入ると、数人の一年生がバレーボールの練習をしていたが、二年生は坂下君を含め誰もいなかった。
こうなると最後のミッションを発動させるしかない!
部室で着替えた坂下君を校門で待ち伏せするんだ!
私は回れ右をして体育館から出て行こうとした。
「危ない!」
振り返る隙もなく、私の後頭部を何かが直撃した。その勢いで、私は前のめりに倒れてしまった。そして、私の体の横をポンポンとバレーボールが何回かバウンドした。
「すみませ~ん! 大丈夫ですか?」
バレー部の一年生達が駆けつけて来た。私は上半身を起こして自分の体を見たけど、とりあえず怪我はしていない。痛みもない。ちょうど、スクールバッグが下敷きになってクッション代わりになってくれたみたい。
――えっ!
私は、急いでスクールバッグを開けて、中から、昨日、一生懸命作ったチョコを取りだした。綺麗なリボンを結んだ箱はぐしゃりと潰れていた。たぶん、中のチョコも割れているはず……。
…………私のバレンタインは終わった。
とあるラノベじゃないけど、「不幸だぁ!」って叫びたい。
「あ、あの、大丈夫ですか?」
私が落ち込んでいるのを、ボールの当たり所が悪かったのかと、一年生達が心配そうな顔でのぞき込んだ。
「あっ! だ、大丈夫だから! ごめんね、心配掛けて」
と言いつつも、潰れたチョコを持って、私は力なく立ち上がった。
「市川! 何、やってんだ?」
振り向くと制服に着替えた坂下君。
「えっ? ど、どうしたの?」
「あっ、いや、お前ら!」
坂下君は、私から一年生に視線を移して、大きな声を出した。
「後始末にどれだけ時間が掛かってるんだ! それに居残り練習は禁止だって言っただろ!」
「す、すみません!」
一年生達は私の側から離れて、ボールを拾ったり、コートのネットをはずしたりの後始末を始めた。
それを見て、坂下君は私の側にやって来た。
「それで、市川は何でここにいるんだ?」
「そ、それはその……」
「何それ?」
坂下君が私が手に持ったままの潰れたチョコを指差した。
「こ、これ、……渡そうと思ったんだけど……潰れちゃった」
「誰に渡すつもりだったんだ?」
君だよ! って心の中で叫んでいたら、涙が出てきた。
渡したいけど、こんなになっちゃったし……。
「それ、チョコだろ?」
私はこくりとうなずいた。
「潰れてもチョコはチョコじゃん」
「そ、そうだけど……」
「誰かさんに渡せないっていうのなら、俺がもらって良い?」
「えっ?」
「もったいないだろ。それに、……市川からもらうチョコなら、形なんて気にならないし」
もう! 涙、止まってよ!
こんな泣き笑いの酷い顔、坂下君に見られたくないよ!




