残骸・中編
担任教師の話した内容はこうだった。
――――――
店主の息子が野球の部活に励んでいる途中…。
不意に現れたサラリーマン風の男が校庭に侵入し、素振りをしていた息子の頭をおもむろに掴んだ。
そのまま彼は、抵抗する息子を無雑作に引きずり、誘拐しようとした。
顧問の教師が急ぎ止めに入ったが…。
男が無表情で顧問の胸を殴ると、顧問は一撃で倒れ、血を吐いて動かなくなってしまった。
それに怖気づいて、その場にいた他の生徒も駆け付けた他の教師も、誰もその男を止めることはできなかった。
「助けて!誰か、誰か助けて!」
という息子の悲痛な叫びにも動くこともできず、恐怖でおびえ、涙を流しながら。
――――――
恐怖のためか、悔恨のためか、担任は電話の向こうで大声で泣きだす。
電話を取った警察官が店主に伝えるべきか悩んだが…。
先輩の警察官が、今はやめておけ、と彼を止めた。
しかし、絶望のあまり動けない店主にも、その電話の声は聞こえた。
聞こえてしまったのだ。
そして、店主はあまりにも暗く、あまりにも重く、あまりにも陰惨で…。
残酷な事実を確信する。
息子は、あの男にさらわれた。そして息子は、きっと、もう…。
絶望で店主は意識を失った。
―――――
…店主が病院に入院して数日経った。
彼は何も食事をとれず、ふくよかだった体躯は、たった数日でまるで死人のようにやせ細っていた。
点滴で何とか命をつないでいる状態だ。
しかし、その中で店主はずっと考え続けていた。
なぜ、あの男が自分の店を狙ったのかはわからない。
だがその残虐な行為は、すでに世の知るところとなった。
店を再開しても、客はきっともう誰も来ない。来るはずがない。
あの惨劇の関係者である自分を料理人として雇う店も、あるはずもない。
なにより、店を続ける意味もない。
もう…息子はいない。
警察は何も言わないが…。
息子が殺されたことは、父であり、あの地獄の殺戮劇の当事者である自分が一番よく知っている。
店を再開する理由も意味も、自分が生きている理由も意味もない。
自分は意味もなく生かされている。
正体の知れないあの男が捕まった時、裁判の証人をするためだけに生かされている。
きっとあの男は死刑になるはずだが…。
とても現実とは思えない事実を、裁判官はどう判断するだろう。
いやそれ以前に、あんな悪魔のような男が捕まるわけがない。
警察が束になっても無理だ。
自衛隊?特殊部隊?それでもどうだろうか。
あの男は得体が知れない。
それに、たった一つの事件、たった一人の男に、国がそこまでするだろうか?
だったら…。
…まるで死人だった店主の目に、日が経つごとに、少しずつ光が戻ってくる。
医者や警察はひとまず安堵するが、店主が目に宿した光は、彼らが期待した方向とはまるで正反対だった。
それは、暗く、黒く、冷たく…。
希望とはあまりにも程遠い『復讐』という光。
――だったら自分がやるしかない。
息子のため、客のため、自分の夢だった店の復讐のため…。
自分があの男を殺すしかない。
生きている意味のない自分が、あの男を殺すのだ。
いや、それこそが今の自分の生きる意味や理由ではないか…。
しかし、あの男はきっと人間じゃない。
悪魔とか怪物とか、そういう類の、人間ではない『何か』だ。
そんなものを殺すためには、自分はどうすればいいのだろう…?
すこしずつ店主の考えは変貌していく。恐ろしい方向に。
一時は回復を喜んでいた医者や看護師たちも、得体のしれない恐ろしさを店主から感じはじめ、距離を取り始めた。
そんなことには一切構わず、店主は考え続ける。
そして最後に、店主は一つの結論に行き当たった。
「悪魔のような男を殺すなら、自分も悪魔になればいい」
と。
その考えに行き当たったとき、あの惨劇事件後から初めて店主は笑った。
狂ったように。
おとぎ話に登場する、人を喰らう『羅刹』のように。
――そしてその日、店主は病院から姿を消した。
警察は当然この店主の行方を捜したが、先の惨劇の犯人であるサラリーマン風の男…。
『加山』同様、決してその消息はつかめなかった。
―――――
この事件は、凄惨で不可思議な部分は伏せられ殺人事件として伝えられた。
しかし、内情を知る人間の口に戸は立てられない。
事件はしばらく世間を騒がせ…。
とりわけこの惨劇の舞台となったI区の人々には、忘れられない恐怖と悲劇の記憶となった。
店主のかつての夢…。
その残骸となった店や土地も、親族や関係者は恐怖から一切の関わりを避けた。
行政も私有地であることや、失踪した店主と連絡が取れないことからほぼ関与せず…。
せめて清掃と供養、そして土地に『立入禁止』の看板を立て、建物を封鎖することとした。




