あなたに会いたい
転んだのが悪かったのか——
だってしょうがない、田舎育ちのしがない男爵家の娘の私は初めての王都で舞い上がっていたんだし。その華やかな王都の真ん中に鎮座する貴族学園の入学式に緊張もしていた。だから壮麗で重厚な校舎を見上げてポカンと口を開けながら歩いていたら見事にこけちゃったんだ。
クスクスと笑い声と共に私の前に手が差し出された。
「あ、ありが——」
目の前の手を眺め(綺麗な手だなー)なんて思いながら立ち上がる。徐々に顔を上げその手につながる顔を見て私のお礼の言葉が途中で止まった。
「ほえー、王子様みたい……」
眩い金の髪に宝石のような緑の瞳、領地のお屋敷で特別なお客様が来た時しか使わない真っ白な陶器のような肌、整った顔立ちが笑いをこらえるような表情で私を見下ろしていた。
「ふふっ、そうだよ、僕はルードヴィヒ・アーレルスマイアー、この国の第一王子だ」
「え、ええええ!」
仰天した私は未だ繋がれたままの王子様の手をブン!と振り払っちゃった。
その事でまた動揺する。え? 死刑? 不敬罪?とかで死刑にならない? どうする私……
そんな私をクスクス笑いながら王子様は優しい声を掛けてくれた、違った、くださった。
「大丈夫、落ち着いて。この学園内では生徒は平等という建前だから。新入生?」
(建前っていう事は本当は違うんじゃん)と思いながら私は「は、はい」と頷いた。まあ、王子様笑っているし死刑にはならなそうだ。
「名前は?」
「あ、アアアアマーリエ・フリーチェです」
「そう、フリーチェ男爵家のご令嬢か。この学園で多くの事を学び様々な経験を積んでくれ。僕も先輩としてその一助になれればいいと思うよ。困ったことがあったら遠慮なく相談してね」
王子様はそう言ってまた微笑でくれた。王子スマイルまぶしー!!
ポッと顔が赤くなりながら「ふぇぇ! ありがとうございま―—」とお礼を言う私の声を遮るように王子様の隣りから声が上がった。
「ルードヴィヒ殿下、そろそろいらっしゃいませんと」
「ああ、マクダレーナ、そんな時間か?」
(おっと、隣に人がいたのねー、王子様がキラキラし過ぎて目に入らなかったわー。うわっ! お人形さんみたいに綺麗な人ーー!)
ちょっと気が強そうな上がり気味の眦だけどキャラメルブロンドの見事な美女が王子様の隣りに立っていた。
またね、と去って行く王子様に寄り添ったその人は去り際に私を見た。
(え、睨んだ? ううん、気のせい気のせい——)
私は去って行く二人をポカンと見送って、それから、はっ!遅刻する! と青くなって校舎に駆けこんだ。
と、これだけで済めば私の学園生活は平穏なものになったと思う。うん、多分。一生近くで見ることも敵わない王子様に手を握ってもらって話をしてもらえた。一生もんの思い出で末代までの自慢だわー、で済んだんだ。
入学式前の出来事は目立ってしまってちょっと噂になったみたいだけど私のいる下位貴族の教室では私と同じように地方から出てきた女の子、あっ、ご令嬢も数人いたから彼女たちと仲良くなってそれなりの生活を送れそうだったんだ。
食堂で再び王子様に話しかけられたりしなければね。
私の何が興味を引いたのかまったくわかんない。廊下で、食堂で、庭園で、会うたびに王子様は私に話しかけるんだ。そして私がそれについて受け答えをすると「アアアアマーリエは面白いね」とクスクス笑うんだよ。ちなみに私の名前はアマーリエだ。意地悪王子め!
仲良くなりかけたご令嬢たちは蜘蛛の子を散らすように私の周りからいなくなっちゃった。
代わりに近くに寄ってきたのは(なんか遊んでそう?)なご令息たち。いや、わかんないよ、だけどしょっちゅう「街に遊びに行こうよ」とか「可愛いね」とか言ってくるし「このピンクブロンドが可愛いんだよなあ」とか「身体つきだって……なあ」と髪を触ったり肩を抱こうとするんだもん。キモイ。
だけど私はそんな時どうしていいかわからなくって笑ってごまかしちゃうんだ。領地ではそんな教育受けるより畑や果樹園を走り廻っていることが多かったしねー、対処を教えてくれそうな女友達なんて一人もいないんだもん。それに遠い王都に出てきて寮で一人、寂しかったんだ。だから誰かが話しかけてくれるのが嬉しかった。
「アマーリエ・フリーチェ男爵令嬢ってあなたかしら。ちょっとお話がありますの、ついて来てくださる?」
その日の放課後、三人のご令嬢が私を訪ねてきた。
えええ、それって友好的なお話じゃないですよね、口は微笑んでるけど目は怖いもん。上級生かな、見たことがない。
私は焦って周りを見回した。みんな一斉に目を逸らす。こら、いつも放課後まとわりついているご令息ども! 何そそくさと帰り支度してんのよ! そりゃあ相手は年上で身分も高そうだけどさあ……クラスのご令嬢たちはいい気味、みたいな顔でこっちをちらちら見ているし……
結局私はオロオロしているうちに三人のご令嬢に裏庭まで連れていかれた。
「あなた、一体どういうおつもり?」
「ルードヴィヒ殿下にはマクダレーナ様という素晴らしい方がいらっしゃいますのよ」
「下位貴族ごときが気軽に話しかけられる御方じゃありませんのよ」
「それにいつも複数の男子生徒を侍らせているそうね」
「まあ! なんてふしだらな!」
はいはい、わかっています。だけど私はどうやって反論していいかわからない。じんわり涙が滲んできた……
「泣けばいいと思って!」
一人のご令嬢が扇を振りかざした時にバタバタと足音が聞こえた。
「おおい、こっちに行こうよ——」
と誰かを呼ぶような声も聞こえる。
ご令嬢たちは素早く視線を交わすとそそくさと去って行った。
ふうっと息を吐き出した私の前にひょっこりと顔を出したのは柔らかな栗色の髪の一人の青年。
「君、大丈夫だった?」
本当に気遣ってくれているような優しい口調と眼鏡の奥の穏やかなハシバミ色の瞳。
「ふっ……うぇ……っぐ……」
なんか私は涙が止まらなくなってしまった。
泣いた泣いた。もう大泣きだ。
助けてくれた彼はギャン泣きする私を困ったように見つめ、頭をガシガシ掻くとそっと木立の中のベンチに誘導してくれた。
彼は眉を八の字にしながら私をベンチに座らせると、一人分開けて隣に腰を下ろす。そうしてそっぽを向いて私が泣き止むまで隣にいてくれた。
ハンカチは貸してくれなかった。いや、彼がポケットからハンカチを出すのを泣きながら目の端で捉えたんだけれど、彼は既にくしゃくしゃだったそれを暫く眺めてからそっと元のポケットに押し込んだ。
ますます下がった八の字眉毛が可笑しくて私はやっと泣き止むことが出来た。自分のハンカチで涙を拭いて鼻までかんで私はやっと腫れた目で彼を見つめた。
木漏れ日が彼の頬で踊っている。
腫れた眼にはそれは妖精が彼の頬でダンスを踊っているように見えた。
「あーその……俺には大したことは出来ないけど……」
眉を八の字にしたままで彼はボソッと切り出した。
「マクダレーナ・ルセック様に相談してみたら? 彼女とは同じクラスだけどさっぱりしたいいご令嬢だよ。見た目はちょこっと怖いけどね」
彼はライナルト・レハール、子爵家の令息で二つ年上。私がご令嬢方に囲まれてオドオドと連れていかれるのを偶然見かけて心配で追って来てくれたんだって。
そうして私はライナルト様の仲介で、談話室でマクダレーナ様に会うことが出来た。入学式の日に王子様の横で睨んでいた? ご令嬢だよ。
ライナルト様に聞いたんだけど、公爵家のご令嬢で王子様の婚約者らしい。
「あらあらまあ、フリーチェ様は随分と礼儀がなっていないご令嬢だと思っていましたのよ」
談話室で眉を顰めて私の話を聞いたマクダレーナ様はそんなことを言った。ごもっともです。私が項垂れていると一つため息をついたマクダレーナ様はこう言ってくれた。
「それでもあなたに悪気が無いのもわかりましたし、あなたが困っていらっしゃるのもわかりましたわ。よろしいでしょう、あなたをわたくしのお友達にして差し上げますわ」
「ふえっ……お友達……ですか?」
「ええ、わたくしの近くで貴族の令嬢としてのマナーを学びなさいな。色々と足りていないことが多くてよ、あなた」
一緒に談話室で見守っていてくれたライナルト様がふふっと微笑んだ。
「良かったなフリーチェ嬢、ルセック様にいろいろと教えてもらうといいよ。それにルセック様の近くに居れば変な男も寄ってこないしご令嬢方に苛められることもない。……だよね、ルセック様。ルセック様は正義感の強い淑女中の淑女だからな」
そう言ってライナルト様がマクダレーナ様に下手なウインクを飛ばすとマクダレーナ様は真っ赤になってそっぽを向いた。
「そ、そうですわね、レハール様が仰るように困りごとがあったらわたくしに相談なさい。ああ、それからルードヴィヒ殿下にも一言申し上げなければ……あの方はご自分の何気ない言動が周囲に与える影響と言うものを軽く考えていらっしゃるのだわ」
「やあ、悪かったねアアアアマーリエ」
王子様は軽い調子で謝ってくれてまたマクダレーナ様に叱られた。
「ルードヴィヒ殿下、婚約者でもないご令嬢をお名前で呼ぶものではありませんわ。周囲に誤解を与えましてよ」
「そうだな、軽率だった。ちょっと面白い名前だったからつい……」
だから私の名前はアマーリエだっちゅうの。わかっているくせに。
王子様は下々の人々と話すのは視察に行った孤児院とか被災地ぐらいしか無いらしい。それも相手は緊張しまくって形式的な受け答えしかしてくれない。この学園でも下位貴族の皆さまは王子様に話しかけたりはしないらしい。あ、下位貴族といっても王都在住で王宮に勤めている人たちなどは話すけれどそういう人たちは礼儀作法が身についた貴族らしい貴族だ。だから田舎貴族の私の話は平民の話を聞いているようで面白かったらしい。私も王子様に話しかけられて領地の事なんか聞かれたら身振り手振りで話しちゃってたもんね。平民ですか、まあ、王国最西端のど田舎貴族の娘なんてほぼ平民ですが。領地の友達も平民ばかりだしね。
なんてこともありましたわ。
あれから二年近くが過ぎ、もう来月にはマクダレーナ様やルードヴィヒ殿下のご卒業です。もちろん私を救ってくださったライナルト様も。
マクダレーナ様には様々な事を教えていただきました。そうして私はこの学園で居場所を見つけることが出来たのですわ。お友達も出来ましてお茶会に招いていただくことも増えました。お作法に自信がつき、気後れすることなく参加することが出来ていますのよ。マクダレーナ様も時折お茶に招いてくださいます。ルードヴィヒ殿下もご同席なされて長期休暇で帰った領地の話などを興味深くお聞きくださいます。お二人はご卒業なされた半年後にご成婚なされるそうですわ。
ライナルト様は……ライナルト様にも親しくさせていただきました。
領地から送ってきた特産の果実、フィグの実をおすそ分けしたら大層喜んでくださいました。ケーキに混ぜ込んだりジャムにしても美味しいとお教えしたら食べてみたいと仰るので、学園の厨房をお借りして作って差し上げましたの。
お礼にと王都の星祭りに誘っていただいてそれはそれは楽しい時を過ごさせていただきました。
昼間、二人で屋台や大道芸を見るのも面白かったのですけれど日が暮れる頃王都の小高い丘にお誘いいただいて……はあ……思い出してもため息が出ますわ。
眼下に広がるランタンの黄色い暖かい光……星祭りの日暮れに灯されるそれが眼下に一つまた一つと増えていき、光の洪水になる素晴らしさに私は涙が止まりませんでした。
「アマーリエは泣き虫だな」
今日はくしゃくしゃではないハンカチでライナルト様は私の頬をそっと拭ってくださいました。
「そんなに感激したのなら来年も一緒にここに来ないか?」
「はい! 来年も是非ご一緒したいです」
来年の今頃はライナルト様はご卒業されて学園にはいらっしゃらないのですが、だからこそ不確実なそのお約束がとっても大事な宝物のように感じました。
お勉強も沢山教えてくださいました。
田舎でろくな勉強もしてこなかった私が一年ちょっとで学年の上位三十番に入れるようになったのはマクダレーナ様とライナルト様のおかげですわ。
「ライナルト様、ここが分からないのですが……」
「ああそれはこっちの公式を使ってごらん」
「ライナルト様、百年戦争時代の人名や地名がごっちゃになってしまって……」
「ははっ、じゃあこの本を読んでごらん。物語になっているから読みやすいと思うよ」
「アマーリエ、アマーリエ、起きて」
「……はっ! も、申し訳ございません!」
「ぷっ……本の跡がついてるよ」
「は、恥ずかしいですわ!!」
私が真っ赤になって頬をゴシゴシ擦るとライナルト様は眼鏡の奥のハシバミ色の瞳を細めて私の手をやんわりと押さえてくださったものです。
「夜遅くまで勉強頑張ったんだろう。赤くなるからあんまり擦らない方がいい」
そう言った後に頭をガシガシ描いてこんなことを仰るのです。
「大丈夫だよ、アマーリエの可愛い寝顔は俺しか見ていないから」
私がますます真っ赤になるのをわかっていてそんなことを仰るライナルト様に私は心臓がキュウっと痛くなるのです。
「アマーリエ、卒業パーティーにはライナルト様のパートナーとして参加なさるの?」
マクダレーナ様に聞かれて私は少し顔を俯けました。
「あの……いえ……まだ……」
皆さまのご卒業パーティー、寂しくなってしまいますがお世話になったマクダレーナ様やルードヴィヒ殿下、そしてライナルト様のご卒業を全力でお祝いいたしたいですわ。そして出来る事ならライナルト様の一番近くでお祝いしたい……したいのですけれどお誘いはまだありません。
そもそも最近ライナルト様は何やら忙しいらしく学園にいらしていないようなのです。
「ライナルト様ったら何をしているのかしら。ご領地の方で大変なご様子なのはわかりますけれど、お手紙でもおよこしになってアマーリエのパートナーの座を確保なさればよろしいのに。可愛いアマーリエには申し込みが沢山来ているのでしょう?」
「それは……」
申し込みは沢山いただいておりました。全てお断りさせていただきましたけれど。
やきもきしながら過ごして卒業パーティーの一週間前、待ちに待ったライナルト様のお手紙が届きました。ステキなドレスと共に。
『必ず卒業パーティーまでに帰る。もし、アマーリエの隣りがまだ空いているなら是非俺にエスコートさせて欲しい。他の誰かが隣に立つことが決まっていたらドレスは捨ててしまってくれ。いや、隣に立つのは俺であって欲しい、誰にも譲りたくないが、すまん、手紙で言う事では無いな。ちょっとバタバタしているが卒業パーティーまでには帰るよ。その時にゆっくり話をしたい』
なんだか慌ただしい走り書きのようなお手紙でした。それでもライナルト様は王都のブティックに半年も前にドレスを注文してくれていたみたいです。
そう言えば半年ほど前に刺繍したハンカチのお礼にとブティックでワンピースを買っていただいたことがありました。ちゃんと採寸したオーダーメイドで、こんな高価な物をいただけませんとお断りしようとしたらライナルト様の眉が物凄く八の字になってしまったので、ありがたく頂戴いたしました。
そうして卒業パーティー当日、私は卒業生の控室でライナルト様をお待ちしておりました。
在校生は先に会場に入っているのですけれど、私は卒業生のライナルト様のパートナーなので卒業生の控室で待たせていただいておりました。
今日は寮にも複数のメイドが配置され、ドレスや髪結い、お化粧などを手伝ってくださいます。ですから目いっぱいのおしゃれをして私は会場の控室でライナルト様をお待ちしておりました。
ええ、まだライナルト様はお戻りではないのです。
でも必ず戻るとお手紙に書いてありました。ですから私はここでライナルト様をお待ちしているのです。
とうとう卒業生の入場の時間になってしまいました。
マクダレーナ様は心配げなまなざしで、ルードヴィヒ殿下は何やら厳しい顔つきで私の方をご覧になっています。
私はお二人にご卒業のお祝いを述べてもう少しここでライナルト様をお待ちしています、とお二人をお見送りいたしました。
それからどれくらい経ったのでしょう、あの日の事は時間経過が曖昧でよくわからないのです。
印象に残っているのは真っ青な顔でルードヴィヒ殿下が控室に駆けこんでいらっしゃったこと、その後マクダレーナ様もいらっしゃってよく事態が飲み込めない私を抱きしめてくださったこと。
「ライナルトの乗った馬車ががけ崩れに巻き込まれて——」
……ねえ、ライナルト様、来年も星祭りに連れていってくださるのですよね
……戻ってきたらお話があるって、私ドキドキして待っているのです
……ライナルト様が贈って下さったドレス、私に似合っていますか? 感想をまだお聞きしていませんわ
……ねえ、そのハシバミ色の瞳でまた笑ってくださいますよ……ね……
私はライナルト様のお葬式には行けませんでした。
ライナルト様のお葬式はご領地で行われたそうです。
私はライナルト様の婚約者でも何でもありません。愛している、の一言もいただいたことが無いのです。それでもライナルト様の優しいハシバミ色の瞳の奥に灯っていた熱は私の気のせいではないと思っております。
二か月前、王国の南部で大規模な豪雨被害がありました。一番ひどかったのはライナルト様の子爵家のご領地だったそうです。
ルードヴィヒ殿下も事態を重く見てライナルト様に「王家も出来るだけの支援をするから」と仰り、ライナルト様は急遽ご領地に帰られたのです。
ご領地でお父様やお兄様と共に被害状況の把握や領民の救済に奔走し、目処がついたのが卒業パーティーの十日前、せっかくの卒業式だから一旦王都に戻るがいい、と勧められて急遽支度をして馬車で出発したのが卒業パーティーの三日前だったそうです。
御公務をやりくりしてルードヴィヒ殿下がライナルト様のお葬式に参列してくださいました。がっくりと気を落とされているライナルト様のご両親に領地の復興の手助けをお約束なされたそうです。
ルードヴィヒ殿下は私が卒業パーティーでライナルト様にお渡しするつもりだったサッシュベルトを持って行ってくださいました。ライナルト様の子爵家の家紋とライナルト様のお好きだったライラックの花を刺繍させていただいた物です。拙い刺繍ですけれど、刺している間はとても幸せな時間でした。
「ライナルトによく似合っていたよ」
そう仰るルードヴィヒ殿下はライナルト様のように八の字眉毛をしておられました。
あれから十年が経ちました。
あの頃は何も手に着かなくて一生無気力に暮らしていくものだと思ったのですが、時というのは最大の治療薬ですわ。
五年後に私は結婚をいたしました。
夫は七つ年上の伯爵様でご領地は王国西部、私の故郷の男爵家領地と王都の丁度中間あたりです。ご領地は未だお元気な夫のご両親が居られて、私は王宮の文官をしている夫と共に王都で暮らしております。
夫との仲は良好ですわ。七つ年上の夫は少し寡黙ですけれどおおらかに私を支えてくださいます。
四歳の息子はいたずら盛り、二歳の娘は片言で話すようになって夫に「とうたま、しゅき」などと言って頬ずりされまくっていますのよ。
ええ、私は幸せですわ。激しい恋ではないけれど夫とは陽だまりのような愛をずっと育んでいけると思いますの。
それでも、ふとした折——
木漏れ日が踊って妖精の舞のように見えた時、実家から今年も豊作だとフィグの実が届いた時、そして星祭りのランタンに灯を入れる時、ほんの少し思うのです。
————あなたに会いたい————




