21 黎明の二重奏 後編
二人で奏でる協奏曲は進んでいく。
規則正しい、手本のようなリズムで。
俺は鷹司の動画を、あれから何度も聴いていた。
だから、彼の演奏が、呼吸が――分かる。
…
加山先生は、俺を『太陽』のようだと言った。
そして、鷹司のことは『月』――と表現していた。
加山先生が語った内容は抽象的だったので、その真意の程は分からない。
だから俺は、自分なりにイメージを描いた。
二人で織り上げる二重奏。
その音色を『太陽』と『月』に見立て、弾いてみようと思ったのだ。
二種類の光は、同時に強い輝きを放つことはできない。
青空を謳歌する『太陽』。
夜空を支配する『月』。
昼の『太陽』の眩さに『月』はその身を潜ませる。
だが、『太陽』は知らない――夜半の『月』が地上を照らす、その勇姿を。
『太陽』と『月』が、互いの光を示し合えるのは、夜明け――それも、ほんの一瞬のひととき。
同じ場所に長く留まることの出来ない、謂わば――相容れない存在同士。
それは、前回のレッスン後に形づくられてしまった、俺たち二人の関係――俺が悔やみ続けた、鷹司と俺の心の距離を暗示しているような気がした。
鷹司の心を抉った俺の言葉。
おそらく彼は、俺に対して、良い印象を抱いてはいない。
悲しいことではあるが、それだけのことをしてしまった自覚は――ある。いや、姉から教えられ、やっと理解できたという方が正しい。
鷹司は、この合奏がなければ、俺と顔をあわせることすら、避けたいと思っているのかもしれない。
けれど、許されるならば、『太陽』と『月』が共に輝く払暁の時だけは――ほんの一瞬でいい――俺の音を聴いてほしい。
そんな思いがいつしか生まれ、俺は夜明けをイメージしながら、この曲を練習し続けたのだ。
…
それは、突然起こった。
俺が紡ぐ『陽光』の音色を受けて、鷹司の爪弾く音色が突如変貌を遂げたのだ。
彼が生み出すのは、さながら太陽の光を浴びて輝く『月光』の響き。
その意味を理解した俺の背筋が、歓喜によってゾワリと震えあがる。
――鷹司は、理解したのだ。
それは、『音楽家』としての天性の勘?
俺の描こうとする世界を受け入れ、そして、それを表現しようとしているのだ。
その天賦の才には、舌を巻く。
音の高みを目指す者としては、嫉妬さえ覚える。
けれど、彼に追いつけない悔しさよりも、この想いを理解し――受け入れてもらえた事実が、喜びの奔流となって心の中になだれ込む。
俺は目線を鷹司へと向けた。
凍える霜に覆われた灰色の花が、太陽の暖かな光を受け、徐々に本来の姿を現していく。
そこに『在る』のは既に『氷の花』ではなく、凛と咲き誇る青き花。
朝露に濡れ、その身を輝かせる、月草のように見えた。
光の粒を宿した花弁は、陽光に照らされ、その瑞々しいまでの青さを際立たせる。
――ああ、大丈夫だ。
この二重奏は、きっと成功する。
二人の間には、技術もセンスの差も、勿論ある。
けれど、今は、それでいい。
彼と会えずにいた休みの間――俺が苦しんだ時間は、無駄ではなかった。
あの日、会えなくて良かったのだ。
許されたいが為だけに、上辺だけの謝罪を口にせずに済んだのだから。
俺を苛んでいた思いが昇華されるたびに、爪弾く音色は輝きを増していく。
この演奏が終わったら――俺は、やっと……。
心からの『その言葉』を、口にする資格を、得られるのかもしれない。
…
「いや……これは、驚いた! 君たち、休みの間に一緒に練習でもしていたのかい?」
演奏が終わった直後、榎本先生から間髪入れずに質問された。
鷹司は、静かに首を左右に振り、俺は「いえ」とだけ答えた。
「初めての合奏で、これだけ弾けるとは……。晴夏くん――君の音色が変わったのは、何か特別なことでもあったのかい? ただ正確なだけではなく、いきいきとしている事にも驚いた――それに、新太くん……」
唐突に名前を呼ばれた事に驚いたけれど、先生は嬉しそうに目を細めている。
「君の努力は、相当なものだ。この短期間で、ここまで弾けるようになるとは――いやはや……良く、頑張ったね」
その言葉に、喜びが溢れた。
けれど――確かに鷹司とは初めての合奏だったが、俺は真由姉と一緒に、毎日のように二重奏を弾いていたのだ。
だから、正確には、初めての合奏ではない。
褒めてもらった嬉しい気持ちもある。
でも、本当のことを伝えなくてはいけないと、俺は言葉を口にのせる。
「あのっ 俺、初めてじゃ……ないんです。毎日、姉と一緒に練習をしていたから、だから、それに……その……」
鷹司の動画を見ていたから、と言いかけたが、それはこの場で伝えて良いものだろうかと判断がつかずに口籠る。
すると、鷹司も同じように声を上げた。
「先生、僕も、この休みの間に、この曲を友人と合奏していたので、初めての合奏ではありません」
二人の言葉に、先生がアハハと笑って、破顔した。
「君たちが言いたいことは分かったよ。でもね、初めて合わせる相手同士で、ここまで息を重ねられるのは、本当に稀なことなんだ。良いパートナーに巡り合えたんだね。私も、とても嬉しいよ。さて! この嬉しさを忘れないうちに、早速――」
先生はそう言ってから自分のヴァイオリンを取り出し、その表情を切り替えた。
練習の時間だ。
それぞれの改善するべき所や、弾き方についての指導が入り、何度も手直しを繰り返し、熱の入ったその日の合同練習は終わりを迎えた。
先生は俺と鷹司の肩に手を置いて、満面の笑みを浮かべる。
「君たちは、自分が努力してきた時間を、もっと誇っていい。それくらい、色々な意味で、成長を見せてもらったよ――いや、これは、嬉しいね。本当にありがとう」
榎本先生が廊下の扉を開けると、姉が入室し、ビデオ機材を片付けはじめる。
その後、真由姉は先生と言葉を交わし、次回のレッスン日程について手帳を確認しながら相談しているようだった。
姉と先生の横で、俺はヴァイオリンについた白い粉を拭い、ホースヘアを緩めた弓をケースへ戻した。
鷹司を視界に入れると、彼はケースに蓋をするところだった。
俺の視線に気づいた鷹司は、その綺麗な顔に緊張を走らせる。
前回の合同レッスン後に起きた、言葉の応酬が尾を引いているのか、それとも全く違う理由なのか――それは分からない。
けれど、俺は意を決して、そんな様子の鷹司に声をかけるべく口を開いた。
「鷹司」
「――須藤」
俺がその名を呼ぶのと、鷹司が俺の名を呼ぶ声が重なる。
お互いがその名を呼んだのは、ほぼ同時のことだった。
志茂塚ゆり様作イメージ画像
月草…露草の万葉の時代の名称。月草の名前でたくさんの歌が詠まれていますので、探して見てくださいね(*´ェ`*)
志茂塚ゆり様に、新太の表現した二重奏のイメージイラストを描いて頂きました。
素敵な作品をありがとうございます!





