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第九十一話 行き場のない寂しさと怒りの矛先

「はあ、はあ……。魔王……。手ひどくやってくれたね。地下フロアを爆発で陥没させた後も、執拗に攻撃を続けてくれちゃってさ。援軍も結局来なかったしね」


 親玉であるシャロンの性格を考えれば、予想出来ない事態ではなかったが、本当に来ないと知った時は、幼女の心が痛んだ。


 苦悶の表情で傷の手当てをするが、彼女の顔が険しいのは、物理的な痛みよりも精神的な痛みが勝っていた。


 シャロンから忘れられてしまっている哀れなミルズだが、ほうぼうの体で、魔王から逃走することに成功した。だが、その代償として、かなりの手傷を負うことにもなっていた。その傷はひどく、しばらくは自分の足で動き回れそうにない。確実に言えるのは、今攻撃されたらひとたまりもないということだ。


「援軍を当てにしなくて正解だったね。私を見捨ててひどいなんて思わないさ。シャロン様の性格はよく理解しているからね。想定の範囲内というやつさ」


 そう呟きながらも、ミルズの顔には、一抹の寂しさが浮かんでいた。ふと頭をよぎるのは、自分たちが勇者ともてはやしていた無知の若者のこと。彼だったら、後先考えずに自分の元へと駆けてきてくれただろう。


「結局足を引っ張るだけで終わる場合がほとんどだったけどね」


 永遠に別れることになった彼の顔を振り払いつつ、傷のせいで弱気になっている自分自身を、ミルズはあざ笑った。


「弱気を克服するには、お腹いっぱい食べるのが一番だね。ああ……、望むのは分厚いステーキさ。私の顎の力では容易に噛み切れないほどの……、辞書に勝る厚さのステーキが愛しいね」


 あふれ出る肉汁でも想像しているのか、ミルズの顔に生気がみるみる戻っていく。


「……む?」


 ふと顔を上げると、こちらに向かってくる車のエンジン音が聞こえてきた。いや、正確には、こちらの建物に向かってきているのだろう。


 肝試し目的の若者グループだろうか。人目に触れずに、傷ついた体を休ませたいと、なるべく人のこない廃墟を選んだのが、裏目に出てしまった形だ。


「やれやれ……、不運というのは重なるものだね」


 思わず嘆いてしまうが、絡まれると面倒なので、少しでも見つかりにくいようにと、ミルズは物陰へと隠れたのだった。




 それから間もなく、一台の車が廃墟の前へと停まった。中から出てきたのは、若い女性と、ガラの悪そうな金髪の少年。そして、間宮だった。


 ただ……、このグループ。遊び目的で来ているような雰囲気はなかった。なにせ、一番悪乗りしそうな金髪が奇声を上げることなく、辺りを訳が分からないという顔で見回しているのだから。


「あの~、ここはどこですか? 廃墟にしか見えないんですけど……」


「その通り! でもね、ただの廃墟じゃないのよ! なんと、心霊スポットなの! 私たちの目には何も映らないけど、きっと夜には悪霊でいっぱいに満たされるわ!」


「はあ……」


 唯一の女性は、彼らの教師だった。まだ教職について間もないのか、生徒たちとも砕けた調子で接している。


 もしこれから肝試しが行われて、幽霊に怯えた彼女の豊満な胸が押し当てられることになれば、思春期の感受性に富んだ思考回路はショート寸前になるだろう。ただし、教師の態度から察するに、そんな甘い展開が期待出来ないことは、彼も十分承知していた。


「さて。私が万丈くんをここまで連れてきたのは、あなたの最近の素行の悪さが関係しています」


「はあ……」


 万丈と呼ばれた金髪が、気のない返事をする。


 思わず説教かと思ってしまいそうだが、そんなことで、こんな山中の廃墟まで連れ出すほど、教師という職業は暇ではない。


「はい、万丈くん!」


 差し出されたのは鉄製のバッドだった。教師から不良生徒へと凶器が渡されるという、一見すると、とんでもない画だ。


「これは……、バッドですね。ここで秘密の特訓でもさせるつもりですか?」


「うふふふ! 万丈くんったら、冗談が上手いわね。こんな木々の生い茂る山中じゃ満足な練習が出来ないことくらい、私にだって分かるわ」


「それじゃあ、これで何をしろと……?」


 思い当るのは殴るために使うことだが、そんなことを生徒に勧める教師がいるとは、誰も思わない。そんな教師への暗黙の信頼をぶち壊す一言が、教師の口から洩れた。


「これをするためよ!」


 虚空に向かって、剣道の素振りを警戒に行う教師。たわわな胸元がふんだんに上下運動を行ったが、万丈の目はそちらには向かなかった。


「え? マジでやるんですか?」


 しばらく教師の目をじっと見つめて、反応を窺っていたが、彼女が本気であることを確認すると、信じられないと声を上げた。喧嘩慣れしていて、多少の強面を相手にしても動じない彼の声は上ずってしまっていた。


「ええ!」


 陰りの全くない笑顔で、教師は言い切った。シャロンと違って、邪まさは微塵も感じられないが、聞いた者を硬直させるだけの威力は存分に含んでいた。


 どうなっているのだと事情を知っていそうな間宮に助け舟を求めたが、彼も教師と同じようにニッコリしていた。孤立無援を自覚しつつ、これまでのことを整理し直す万丈。頭には、一つの結論がやがて生まれた。


「え~、今までのことを整理すると、日頃の鬱憤を、悪霊相手に発散させろと……?」


「イエ~ス❤」


 どこまで本気なのか問いただしたかったが、彼女が本気なことは、もう確認済みだ。


「ここの悪霊はタフと聞くわ。おそらく万丈くんをもってしても、一晩暴れまくれるほどね。一度徹底的にため込んだストレスを発散して、また野球に打ち込んでもらおうというのが、今回のコンセプトよ」


 ずいぶんと画期的な更生方法だ。並みのやり方では、万丈を更生させることは出来ないと考えた末の行動だろう。自分でも問題児の自覚はあったが、この方法には、歴戦の猛者の万丈も、頭を抱えた。


「食料と水、それから懐中電灯はこのリュックの中に入っているから、自由に使って。じゃあ、私はこの後も仕事があるから、間宮くん、万丈くんをよろしくね!」


 手を振る代わりに、キスのジェスチャーをして、教師は自分一人車に乗り込んで、キーを回した。ここからは若い二人で楽しめと言うことらしい。


 来た時と同じようにエンジン音がしばらく響いていたが、やがて山中らしく静寂が戻ってきたのだった。


 ほぼ一方的に続いた斜め上の展開に、万丈は呆然と立ち尽くしていたが、車のエンジン音が聞こえなくなった頃に、ようやく体の自由が戻ってきたのだった。


「おい……、このバッド……、お札が貼ってないんだけど……。これじゃクリーンヒット出来ないじゃん……」


「念仏を唱えながら、バッドを振り回せば、どうにかなるんじゃないっすかね」


 やっと自由になれたのに、また固まりそうになってしまう。いつもは気が合うのに、今日はとことん何を話しても意味不明な返答しかこない。


「どうにかなるっすよ。たまには静かな場所でキャンプも良いじゃないっすか」


「お前……、どこまで本気だ……?」


 反論する気も失せたのか、万丈は教師から渡されたばかりのリュックを持って、廃墟の中へとずんずん進攻していく。間宮も、気を悪くするなと、その後を追う。


「ふむふむ、ここは夜になると、悪霊の巣窟になるのだね。驚きさ。冷気の類は感じなかったが、建物は見かけによらないものだね」


 物陰から、やり取りを盗み聞きしていたミルズが、興味深そうに独り言を吐く。もちろん本気で言っている訳ではない。怪我の手当てをするついでに何気なく呟いただけのことだ。


 さらに言うなら、ミルズが本当に興味を持っているのは、万丈たちが持っているリュックの中身だ。分厚い肉が入っていればいいと、悪霊以上にお目にかかれそうにないものへと期待を募らせていたりした。


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