第八十一話 私の呼びかけを無視しないで
強制的に連れてこられた白黒の世界で、前方の曲がり角から、蔓が出ているのを見つけた。
「……蔓ですね」
「……蔓だな」
いつもならそれで終わりなのだが、生憎と蔓には痛い目に遭わされたばかりだ。また何かをされるのかと、いやが上にも身がすくんでしまう。
俺たちに目撃されたのを確認した後で、道の向こうに引っ込んでしまった。警戒して、蔓の消えたところをじっと観察してみたが、それっきり何のアクションもない。
「追いますか?」
「まさか。誘っているんだとしたら、無視するに限るだろ」
拉致同然で、俺たちをこの世界に引きずり込むような奴の誘いになど、誰が乗ってやるものか。
敢えて誘われた方向と、反対側に進んでやろうとすると、俺たちの前の道路にひびが入った。そして、轟音と共に、地面が陥没してしまった。
「……」
「来いって言っていますよ。副音声で、来ないと殺すって呟いているのも聞こえた気がします」
「逃げ道はないってことか……」
……分かりましたよ。要求通り、あなたのところへ行きますから、手荒な真似は止めてください。
全く! 蔓で拉致ったり、地面を陥没させたりと、相手はやりたい放題だな。俺と城ケ崎を脅して、何を企んでいるというのだ。
不満たらたらでいると、城ケ崎が腕にしがみついてきた。いきなり何をするんだと驚いていると、彼女が震えているのに気付いた。
「宇喜多さん……。ずっと黙っていたことなんですけど……。実は僕、女なんです!」
「ああ、気付いていたよ。それがどうかしたのか?」
「振りほどかないでくださいね。実は僕、かなりびびっているんです」
そんな頼み方をするなよ。俺も一応、男なんだから、そんなことをお願いされたら、邪険に断れないじゃないか。
俺が勝手にしろと言うと安心したらしく、さらに力強くしがみついてきた。少しは遠慮しろよ。歩きづらくなってしまうだろ。内心でため息をつきながら、蔓の引っ込んでいった方向を確認する。
曲がり角の先には誰もいなかった。ただし、また向こうの曲がり角で、蔓が引っ込むのが見えた。
「誘導してくれる訳か……。これまた親切なことで……」
そんなに俺たちに用があるのなら、お前の方から足を運べと、俺は言いたい。対面したら、絶対に文句を言ってやるぞ。
相手の意図は不明だが、誘いには乗ってやろう。どんなやつかは知らんが、この世界なら、怪我を負うことがないので、襲ってこられても死ぬことはあるまい。
歩き出しつつ、城ケ崎を見る。怖いのか、まだ震えている。女子に腕に抱きつかれるか。高校生の頃、同級生の女子と肝試しに行くたびに、こんな状況に憧れていたっけ。夢が実現した筈なのに、あまり感動しないものだな。きっと相手がルネだったら、ドキドキしていると思う。
俺たちがモノクロの世界を彷徨っている頃、一つの戦いの決着がつこうとしていた。
「はあ、はあ……」
「もう終わり。だらしない」
「そういうことを言うものじゃないね。むしろ二人相手に良くやった方さ」
戦いはシロの敗北で終わりつつあった。
無理もない。一対一でも劣勢だったのに、二人がかりで攻められては勝負になる訳もないのだ。ほとんど一方的な展開になり、攻撃を受け続けた結果、ついにシロは膝から崩れ落ちてしまった。
「う、ううう……」
顔にもいくつか出来ている痣が、激戦の激しさを物語っている。といっても、痣を作っているのは、シロだけだったのだがね。負けん気の強いシロはまだ負けを認めようとしないが、戦闘を続けるよりも、泣き出すのを堪える方で精いっぱいになってしまっていた。
「ギブアップ。泣かされたくなかったら、早く、ギブアップ。しろよ」
「まあ、待ちなよ。勝負は決したんだから、そこまでシロを苛めることもあるまいよ。私たちの目的は、あくまでアルルの救出なんだから、そっちを優先するのが得策さ」
「む。それもそうだ」
目に苛めっ子の炎を燃え上がらせていたおかっぱは、フードの呼びかけに応じて、仲間のアルルが捕まっているという建物へと視線を移した。
「ま、待って……。まだ終わってないもん……」
せっかく見逃してもらえそうなのに、シロは呼び止めようとする。フードは悲しそうに振り返ったが、戦闘を続行する気はもうない。
「そこで、うずくまっているといいさ。私たちはその間に、アルルを救出することにするね」
分からず屋に説き伏せるように、優しくシロへと引き下がるように促す。敵に情けを駆けられたのが悔しいのか、シロの目から、大粒の涙がポタポタと零れだしたのだった。悲しげに、その様子を見ると、フードはおかっぱ頭を伴って、建物の中へと消えていった。
「うぐぐぐ……、ちくしょう……。待ちやがれよ……。ヒグ……!」
気持ちはまだ折れていなかったが、もう立ち上がる元気も、シロには残っていなかった。負けを認めない姿勢は立派なものだが、今にも泣き出しそうな顔を見ていると、もうその辺にしておけよと、優しく肩を叩いてやりたくなってしまう。
その時だった。肩を叩く代わりに、キャリーケースが中から叩かれた。何者かがシロに向かって呼びかけているらしく、コンコンと何気ない音の中にも、彼女を気遣う慈悲を感じさせた。
「ま、魔王様……?」
ガン、ガンガンガン!
「自分を出せと言っているの……?」
シロの呟き通りで、俺を早く解放しろとでもいうように、キャリーケースが力強く叩かれた。その意思はシロにも伝わったようだが、こいつは筋金入りの負けず嫌いだ。もう勝敗はついているのに、まだ一人で戦おうと意地を張っている。
「ま、まだ……、私一人でも戦……」
バン!!
シロをたしなめるように、これまでよりも強い勢いで叩かれた。相手が起こっていることを察したシロが、小さな悲鳴と共に身をすくませた。
「う……、分かったよ。今、匣から出すからさ……。だから、怒らないで、魔王様……」
魔王からの圧力に屈して、シロはキャリーケースを開けることを無理やり同意させられた。ダメージを食らいすぎて、覚束なくなった足取りで、キャリーケースの元まで行くと、涙を拭いながら開けたのだった。




