第六十四話 優等生の僕と、不良の親友が、同棲に至った経緯
「今日拾った子だけどよ。あれ、どこの子だろうな?」
「身元は不明ですが、しいて言うなら、ろくでなしの子じゃないですか? 着ているものもボロボロでしたしね」
「違いねえ」
酒のつまみに出したチーズを頬張りながら、それをワインで流し込む。話題は、昼間に拾った不思議な子のことだ。
もう自分の子がいてもおかしくない大人の女性が二人で、他人の子供のことを心配しているとはね。意識すると、ちょっぴりむず痒い。他人のことに首を突っ込むのが好きな親友は、むしろ楽しそうにしていた。そういうところは、昔から変わっていないな。
雑談をしながら、彼女と知り合ったばかりのことを思い出す。初めて会ったのは、高校の入学式だっけ。「あっ、不良だ」というのが、親友に対する第一印象だったな。対する僕は、教師から言われたとおりに動くことだけが取り柄のロボットみたいな学生だったな。良く言うなら優等生か。
優等生と不良。同じ学校に通っていて、同じ制服を着ているというだけで、日常生活は百八十度違う二人。苛められてもよさそうなものだけど、彼女とは不思議なくらい馬が合った。つるむことはなかったけど、話をすると、常に意見は噛みあって、喧嘩らしい喧嘩もしたことがない。
人付き合いを嫌う当時の僕にしてみれば、これはたいへん珍しいことだった。現に、親友以外の子とは、いっさいコミュニケーションを取らず、誰とも話をしない日も珍しくなかった。
同級生からすれば、いつも隅っこで参考書と睨めっこしているつまらない女だったけど、成績さえ良ければ僕は満足だった。当然、同級生との間に愉快な思い出はなく、僕からしても仲良くしたいとは思わなかった。
少しでも試験で良い点を取って、こいつらより良い大学に進む。そして、一流企業に就職して、人生の勝ち組になる。それだけを脳内で反復していた。同級生は、私にとっては、見返す対象でしかなかったのだ。童話の『アリとキリギリス』が好きで、『せいぜい今の内に春を謳歌していろよ。冬に笑うのは私だ、キリギリス共!」が、当時の僕の脳内スローガンだった。
その同級生たちの輪の中に、親友はいた。喧嘩は日常茶飯事で、警察の厄介になることもあったけど、気さくな性格から、担任教師を除くクラスのみんなからは好かれていた。
「お前さ。いっつも難しい本ばかり読んでいるよな。そんなものを読んでいて楽しいのか?」
放っておけばいいのに、親友は暇さえあれば、私に話しかけてきた。
「あとよ。その敬語で話すの、どうにかならないか?」
いつも一人でいる僕のことを、彼女なりに気遣ってくれたのかもしれない。だけど、親友の好意を大きなお世話だと思ったこともあったりする。だけど、ぞんざいな返事に怒るでもなく、親友は話しかけてきた。自分とは違う生き物に、興味津々だったのかもしれない。
「家族には、タメ口で話すんだろ? どうも壁を作られているみたいで嫌なんだよな。他人行儀で、よそよそしく聞こえるんだよ。慇懃無礼ってやつ? 俺と話す時だけでもいいから、タメ口で話してみねえか?」
そんな訳ないだろうと当時は言い返したけど、今になって思い返してみれば、親友の換言は的を得ていた。確かに私は、自分から率先して、人との間に壁を作っていた。というか、敬語で話すのが癖になってしまって、今も継続中だったりする。
そんな僕でも、教師には人気だった。自分たちの言葉にちゃんと耳を傾けて、指示通りに忠実に動くイエスマンだったからだ。教師の言葉が絶対だと信じていた僕は、彼らに認められていると早合点して、同級生たちより優れた存在だと密かに誇っていた。そんな私に、周りは委員会やクラス委員など、責任ある役職をどんどん任せていった。
後になって思い返せば、高いプライドを利用されて、誰もやりたがらない面倒事を良いように押し付けられていただけの気がする。もしかしたら、気付いていたのかもしれないけど、気のせいだと自分に言い聞かせて、必死に仕事に取り組んだ。周りよりも優秀だから、私に任されているのだと、そればかりを呪文のように連呼して。孤立しがちな私にとって、頼られる快感は捨てがたかったのかもしれない。
忙しく動く僕を尻目に、親友たちが楽しそうに遊んでいるのを目にするたびに、『せいぜい今の内に春を謳歌していろよ。冬に笑うのは私だ、キリギリス共!」と、脳内スローガンを呟いた。今苦労しているんだから、将来はきっと報われる。それだけが、孤独な高校生活における心の支えだった。
親友と再会したのは、地元の駅前だった。終電に間に合うかどうかの時間だったと思う。一流と呼ばれる大学を出たにも関わらず面接に落ち続けて、やっと拾ってもらった会社は、所謂ブラック企業だった。馬車馬のようにこき使われる日々が続き、当たり前のように課されるサービス残業で疲れ果てて、とぼとぼと帰路に就いていた僕を見つけた親友が、背中を威勢よく叩いてきたのだ。あれは結構痛かった。
翌日も仕事なので、一刻も早く帰って眠りたい僕の意向を威勢よくシカトして、親友は見るからに高そうなバーへと僕を引きずっていった。
「ご、ごめん! 僕、今持ち合わせがないから! こんな高い店、無理!」
たどたどしい口調で、入店を拒否する僕に、「細かいこと気にすんなって! 今日、給料日でよ! 懐がパンパンなんだよ!」とこれまた威勢よく返事をした親友。高校の頃と全然変わっていなくて、ちょっと羨ましくなってしまった。
店は予想通り高級店で、親友が最初に注文したのは、グラスにちょっとしか注がれないのに、ビックリするような値段のするワインだった。それを一気に飲み干すと、追加の注文をした後で、親友は思い出話を始めた。
手取りが二十万にも達しない僕には、味わう余裕などまるでなく、支払いが無事に済むかどうかばかり考えてしまい、楽しむどころじゃなかった。
「何だよ。まだ支払いのことを心配しているのか? 人が奢るって言っているのに、辛気臭いやつだな」
「し、仕方ないでしょ。こんな店、初めてなんですから!」
「初めて? お前って、酒飲まねえのか?」
「の、飲みますけど……。ほら、出ていくものが気になるじゃないですか」
恥ずかしいことを言わせるな! 顔を赤らめながら弁解する僕に、そんなものかと不思議そうな親友。聞けば、月一のペースで訪れているらしい。酒を飲み過ぎて、給料日前にはいつもすっからかんだと、親友はケラケラ笑っていたが、そんなことはどうでも良かった。生活を切り詰めないと、貯金もしんどい僕にとっては、信じがたい話だ。
「ち、ちなみに……。給料って、どのくらいもらっているんですか……?」
人に給料の金額を尋ねるなど、無礼だと思うが、つい質問してしまっていた。酒を奢ってもらうだけでなく、失礼な質問までしたのに、親友は眉を潜めることもなく、気前よく額を答えてくれた。
「あ、あう……」
「なんか責任者ポストを押し付けられちまってよ。給料が跳ね上がったから良いものの、面倒事も増えてな~」
言葉が出なかった。僕の二倍以上ではないか。僕の顔色で、全てを察したのか、親友は済まなそうな顔で、自分に運ばれてきたワインをプレゼントしてくれた。
どうなっている? 高校の頃の未来設定では、勝ち組になった私が、逆に親友に奢る立場になっていた筈だ。
なぜ? 高校の頃……、いや、その前から! その後も! 僕はずっと努力してきた。親友だって、頑張ったんだろうけど、僕だって負けていない。努力すれば必ず報われるとまでは思っていないけど、この開きは何だ?
気付くと、僕は高校の教室にいた。机に座って、参考書とノートを開いている。ちょうど親友が、仲間と連れだって、カラオケに行こうとしていた。僕も行きたかった。こうなると分かっていたら、あの輪の中に入れてもらいたかった。
「お、おい……。泣くなよ」
親友が困ったように声をかけてきてくれる。本気で心配してくれているようで、その目に嘲りは感じられない。
誤解のないように断っておくけど、僕に親友への嫉妬はない。彼女の成功に驚いただけ。涙を流したのは、僕が報われていないと感じてしまったから。今は上手くいっていないけど、いずれ報われる日が来るから、歯を食いしばらねば。そう思って、自分を必死に押しとどめようともした。
でも、限界だった。もう嫌気がさしてしまっていた。
この件で、すっかり気落ちした僕は、翌日会社に辞表を提出していた。何かがプツリと切れてしまったのだ。
僕が無職になったことをどこからか嗅ぎ付けた親友は、僕の世話を買って出てくれた。そんなことをしてくれなくてもいいのに、自分が、僕が仕事を辞めるきっかけを作ったとでも思っているのだろうか。
「仕事を辞めたくらいで、落ち込むなよ? 俺たちの歳なら、いくらでもやり直しなんて聞くんだから。こういう時、大学卒は便利だよな!」
「……ねえ、僕のこと。どう思っています? 甘ったるいことを考えていると思っていますか?」
「はっは! 思っちゃいねえよ。なあに、たまには充電期間も必要さ。ずっと頑張ってきたんだ。良い機会だから、たっぷり休めって」
親友の言葉は涙が出るほどありがたかった。でも、同時に悔しくもあった。
遊びたい時に遊んで、やるべき時にしっかり働く。そして、結果も出せるあなたのことが羨ましい。私に出来ないことをさらっとやっちゃうところが、嫌い。ついでにいうと、あなたの裏表のない笑顔。僕には眩しすぎて、ちょっと苦手。……でも、側にいてほしい。
断るべきだとも思ったけど、僕はずるずると親友の部屋に上り込んでしまい、就職活動もしないまま、無為に寝て起きるを繰り返すだけの生活をスタートさせた。シロちゃんに声をかけられたのは、その矢先だった。




