第六十二話 別々の場所で、同じ月を見上げながら
シロと藤乃。いい気になって、寝息を立てている二人を抱えて、ホテルに帰還した。二人とも、外見は軽そうなのに、持ってみると重く、運ぶのにはかなり苦労した。
どうにかホテルまで辿り着いたものの、ロビーのところでついに力尽きてしまい、そこからはボーイさんの助けを借りる羽目になってしまった。急な厄介ごとにも、客サービスらしく、営業スマイルで対応してくれたが、その裏に見え隠れする怒気が伝わってきてしまい、ちょっと怖かった。
「は、ははは……、面目ない……」
余計な仕事を増やしてしまい、迷惑をかけてしまったことを苦笑いして詫びた。ボーイさんも笑顔を返してくれたが、やはりどことなく怖かった。
部屋の前で、ボーイさんと別れると、最後の力を振り絞って、ドアを開けて、邪魔なお荷物でしかない二人を放り投げて、俺も床に倒れ込んだ。
「はあ……、とんだ散歩になってしまったな……」
悩み事でもやもやした頭をリフレッシュするつもりが、余計にもやもやの数を増やしてしまっただけに思える。このまま何もかも忘れて寝てしまいたい気分だが、仕事が一つ残っているので、己を奮い立たせて、再度立ち上がった。
藤乃を自室まで連れて行かないと。このまま朝になったら、酔いの冷めた藤乃にどんな因縁をつけられるか知れたものじゃない。こいつ、絶対に酔っ払っている時の記憶をなくすタイプだからな。寝て起きたら、俺に運んでもらったことも忘れているに決まっている。
バックの中身を失敬したら、隣の部屋のカードキーが出てきたので、腐れ縁のよしみで、運んで行ってやろう。
「むにゃむにゃ。魔王様……」
藤乃の口から寝言が聞こえた。こいつが本気で魔王に取り入っているのは知っていたが、寝言で呟くほどとは。良いのか? 相手は、異世界を力で支配しようとしている暴力の権化だぞ。そういうやつは、家庭でも暴力をふるうと相場が決まっているから、夫にすると、後々ドメスティックバイオレンスに泣くことになるぞ。
「むにゃむにゃ。金……、権力……」
あ、本音が聞こえた。全く。今日だけで、何回本音を漏らすつもりだろうか。魔王がこの呟きを聞いていたら、間違いなくそっぽを向かれるだろうな。まあ、一度たりとて、まともに女として見てもらっていないだろうが。
実際のところ、藤乃みたいに魔王に取り入ろうとしてくる輩は数多いのだろう。その中で、こいつが見初められる可能性はゼロに近い。抜きん出ている魅力的要素があるようにも見えないしな。
「まっ、変に身の丈に合わない身分になって、身を持ち崩すよりマシだろ。人間、ありのままが一番ってことだよ」
藤乃に肩を貸して、隣の部屋まで連れて行こうとしたところで、今度は寝ているルネが寝言を呟いた。
「むにゃむにゃ。ご主人様……」
ルネの方は、俺の名を呟いてくれたか。シロも藤乃も寝ているので、俺だけが聞いている訳だが、どうもくすぐったくなってしまうな。
同じセリフでも、断然可愛く聞こえるから不思議だ。
もしかしたらルネも、身売りをされ続ける境遇が嫌だから、俺にすり寄っているだけの可能性もある。だが、もしそうだとしても、ルネは可愛いし、気立ても良いから、構わないかなと思ってしまうのだ。
俺が藤乃を彼女の部屋へと運んでいる頃、そこから遠く離れていないとある屋敷で、城ケ崎が外を眺めていた。
「いやあ~! 良い湯だったぜ!」
城ケ崎の連れと思われる女性が、バスタオルで頭を拭きながら、上機嫌に部屋へと入ってきた。もう一度断っておくが、口は悪い様だが、れっきとした女性なのだ。
「いやあ~、悪いな。アパートが全壊しちまったからといって、お前の実家に泊めてもらって!」
「気にすることはありませんよ。僕も、散々お世話になっていたんだし、そのお礼です」
自身よりも一回り大きな体格の、筋肉質の彼女に向かって、城ケ崎はいつものように肩をすくめた。
「しかし、噂には聞いていたけど、お前って、マジで豪邸に住んでいるのな! こんな大層なものを見せつけられちまったら、俺の住んでいたアパートが、マジ兎小屋にしか見えなくなってくるぜ」
「そんなことないですよ。すごいのも、この屋敷を建てたのも、僕の父親ですよ。僕なんて、彼の子供というだけで、住むことを許されているしょうもない一人娘に過ぎません」
「なあに、言ってんだよ。俺の親父なんて、それこそしょうもないの権化みたいなやつだから、お前の出来る父親が、めっちゃ羨ましいぜ! 理想のパパじゃねえか!」
「ははは……」
互いに愉快そうに笑う。ただし、親友の方は本気で笑っているのに対して、城ケ崎は愛想笑いに過ぎない。
「……僕はこんな家に帰ってきたくなかったけどね」
「うん? 何か言ったか?」
「いいや……。そのパジャマ、きつくないかなって。僕の物を適当にあてがっただけですからね」
「む? いや、そんなことないぜ。着てみると、意外にぴったり」
親友は嘘をついていた。本当は、ちょっと力んだだけでビリッといきそうなくらいピチピチだったりする。特に胸元……。だが、貸してもらっておいて、文句を言うのも気が引けるので、我慢しているだけだ。
「あれ? そういえばさっき拾ったフードのちびっ子はどこに行ったんだ? 姿が見えないけど」
「眠れないから、外を散歩してくるって言って、さっき出ていきましたよ」
「おい……。あんな小さい子を夜中に一人で外に出すなよ。変質者に声をかけられたら、どうするんだ?」
城ケ崎は、理解していた。さっき偶然道で拾ったフードを目深にかぶった幼女。彼女が、シロと同じく強大な力を有した異世界からの使者だということを。だから、夜中にも関わらず、屋敷を出ていった時も、一切心配しなかった。
だが、親友はそんなことを知る由もなく、普通にフードの幼女のことを心配して、外に捜しに行こうとしていた。彼女に異世界のことを引き合いに出して説明しても、分かってはもらえないだろう。
「すみません。確かに配慮が足りませんでした。ですが、探しに行く必要はなさそうです。ほら! もう戻ってきたみたいだ」
「あ、本当だ」
屋敷の玄関の辺り。玄関の明かりが夜の闇を頼りなく照らす中に、こちらに向かって歩いてくるフードの幼女の姿が映っていた。
「あ~、大事にならなくて良かった。まあ、無事ならいいけど、お前も次からは気を付けるんだぞ?」
「はいはい。仰る通りに……」
肩をすくめながら城ケ崎は答えたが、フードの幼女の服に、赤い染みがついているのを見逃さなかった。
(あれは血か……? 出ていく時にはついていなかった筈だ。この調子だと、出ていった理由は、いささか物騒なものらしいですね)
最初からフードの幼女に気を許していた訳ではない。それでも家に上げたのは、彼女と関わっておけば、また面白そうなことに巻き込んでくれそうな気がしたからだ。
城ケ崎は望んでいた。もっと泥沼にはまっていって、自分の日常が壊れていくのを。




