第四十話 上の上の存在からの、リムジン付きの呼び出し
今回から、また主人公の語りで、物語は進行していきます。
これから満員電車に乗って、出勤していくと思われる、無数のサラリーマンたちを横目に、俺はアパートの階段に座り込んで呆けていた。
厳密に言うと、俺もこれから出勤なのだ。ただし、彼らと違い、満員電車に乗る必要はない。
朝一で、部長から電話がかかってきて、何かと思って出てみれば、今日からしばらく出張とのことだった。
それだけなら問題はないのだが、気になったのは、部長の話が妙に歯切れの悪いことだ。豪胆な性格で、何事もズバリ言い切る部長が、今日に限っては、何を聞いても明確な言い回しを避けているようだった。
誰かに脅迫されている? 余計なことを、俺に話すなと。それも、かなり上の存在から。
そこまで考えて、ため息をつく。そんなことがある訳がない。ドラマじゃあるまいし、俺如きにそんな真似をする意味があるまい。
不満なのは、仕事内容や出張場所も教えてくれないことだ。それじゃ仕事にならないだろうと、上司だということも忘れて声を荒げると、三十分後に迎えの車が自宅の前に行くから、そこで詳細を聞いてくれとのことだった。
迎えだって? この俺に?
全然納得できなかったが、部長としては、もう話すべきことは話したと思っているらしく、会話はそこで終了となってしまった。俺も、この人と話していても埒が明かないと思っていたところだったので、ちょうど良かった。
「しかし、迎えとはね。至れり尽くせりなことで」
皮肉を呟きつつも、俺の身に、これから何が起こるのか不安な部分もあった。そんな俺の気持ちなど、どこ吹く風で、シロがやたら楽しげに話しかけてくる。
「ねえねえ、お兄ちゃん! 部長さんって、偉い人なの?」
「俺よりも偉い人だよ。特別なことがない限り、面と向かって話すことはないね。もっともこっちとしてもあまり話したい人種じゃないがね」
ただ偉いかどうかは微妙なところだ。部長の上など、いくらでもいるし、権力があるようでないところもあるからな。
「お前……、何か裏で手を回したりしていないだろうな」
「私は何もしていないよ!」
嘘くさいな。部長も怯えるほどの事態が起こるとしたら、間違いなくシロが絡んでいる筈なのだ。他に、係長ですらない俺が、上の存在と関わりを持つことなどはあり得ないのだから。
「正確に白状するとね。何かするつもりだったんだけど、その前に、あの人の方が先に動いちゃったの。私、先手を取られちゃった! テヘペロ!」
「あの人……?」
やはりシロの知り合いか。こんな強引なことをする段階で、怪しいとは思っていたんだ。
「あの人っていうと、こっちの世界で、お前たちと友好的な関係を結んでいるという富豪のことか?」
「ふっふっふ! 聞かれたからといって、正直に答える訳にはいかないねえ。物事には、守秘義務ってものがあるんだから!」
何が守秘義務だ。もったいぶらないで、さっさと白状しろ。悪夢のことといい、お預けばかりで、こっちは悶々としているんだ。
もう一度聞こうとしていると、一台のリムジンが、アパートの前に停車した。時計を見ると、部長からの電話を切ってから、三十分が経とうとしている。
「まさか……、迎えの車って、これ?」
いやいや、そんな馬鹿な。俺如きにリムジンなんて。金持ちに知り合いもいないし、きっと気のせいだと思おうとしたが、運転席の窓が開くと、中で品の良い老人が俺を見て、にっこりとほほ笑んでいる。まさかの事態が起こってしまったらしい。
「あ、お兄ちゃん。来たよ!」
「ああ……」
呆気にとられる俺の横で、シロがはしゃぐ。本当に迎えの車がやってきたよ。しかも、やたら黒塗りで、無駄に長い車が。時々、街中を走っているのを見かけたことがあるが、決して良い印象は持たなかった。
出張って、まさかやばい筋の人間のところじゃないだろうな。そう考えれば、部長の怯えようも説明がつく。
逃げ出そうとも思ったが、もう家はばれてしまっているし。というか、会社が教えてしまっているし。
固まったままでなかなか歩き出さない俺を、優雅な笑みをたたえたままで、運転席の老人が車に乗るように促している。ハッとして、駆け足で車に向かって走り出した。万が一、やばい筋の人間が、雇い主なら、この老人もやばい人間ということになる。決してあの笑顔を凍りつかせるようなことがあってはならない。
「お兄ちゃ~ん。行ってらっしゃ~い!」
後ろでシロが叫んでいるが、今の俺には返事をする余裕もない。とにかく早く俺の身に起こっていることを説明してもらいたかった。
俺を乗せると、車はおもむろに走り出した。ただでさえ小さいシロの姿が、ぐんぐんと小さくなっていく。
高級車だけあって、乗り心地は最高だな。いつも利用している電車の比じゃない。ただ速度はほんのちょっと速いかな。メーターを見ると、法定速度よりも、五十キロほど速いな。うん、これくらいなら、まだちょっと速いだけで済むレベルだ。そういうことにしよう。
車内には、備え付けの冷蔵庫もあり、中に高そうなワインが冷やされているのが見えたが、さすがに俺のために用意してくれている訳じゃないか。飲んでもいいか聞くような無粋な真似も控えよう。
「申し訳ありませんな」
「はい?」
信号に捕まることなく、警戒に街中を疾走しながら、老人が俺に話しかけてきた。俺はいきなりだったこともあり、つい高い声を出してしまったが、向こうは気にするふうでもない。
「急にお呼び立てして申し訳ありませんでした。宇喜多様も、さぞかし驚かれたでしょう。ただ、前任者が突然仕事を続けられなくなってしまいましてな。こちらとしては、どうしても代わりのものを早急に手配する必要があったのですじゃ」
「そ、そうですか……」
話を聞く限り、何の仕事かは不明だが、俺に変わりが務まる類のものらしい。本音を言うと、前任者が仕事を辞めた理由の方が気になっていたのだがね。
「なあに。心配なさらずとも、夜にはしっかりと帰れますよ。あなたも、その方が都合がよろしいでしょう?」
意味深な笑みを浮かべて、老人がニヤリと笑った。直観的に、賞金探しのことを言っているのだと分かった。この人……、シロや魔王のことを知っている……?
「あの……!」
「ああ、そうそう」
身を乗り出して、質問しようとしたが、先に老人の方が口を開いた。
「不躾なことを聞くようですが、宇喜多様は、運転免許はお持ちでいらっしゃいますかな?」
「免許ですか? 持っていますよ。ただ肝心の車は持っていませんがね」
たまに運転する時は、レンタカーを借りている。本当にたまにだから、運転しようとしたら、十分くらいはリハビリが必要になる。
「それなら、仕事をなさっている間は、朝晩の送り迎えは、私がやらせていただきましょう。旦那様は時間にうるさい方ですからな。慣れない運転で、遅刻でもされたら、一大事ですじゃ」
毎日、送り迎えしてもらうことになるのか。だが、通勤のためにレンタカーを借りるとなると、出費が馬鹿にならないからな。我慢するしかないか。
電車やバスで通うことも考えたが、周りは交通網が発達していない場所らしい。言われてみれば、さっきから車の外の景色に、緑の割合が増えているような……。
「あ、あのう……。周りからビルが減っているんですが……」
「ええ、目的地は田舎の方にありますのでな」
「田舎、ですか……」
ビルどころか、民家すら、目に見えて減ってきたな。
田舎に連れて行かれるのは分かったが、俺は何をさせられるんだ? 言っておくが、体力を伴う仕事は専門外だぞ。言っちゃなんだが、農村のあぜ道を自転車で走っている中学生の方が、役に立つかもしれん。そこを踏まえた上で、俺をスカウトしたのかね。
結局、車はその後、一時間ほど走行を続けて、ようやく目的地に到着した。その間、老人が主導権を握る会話をずっとしていたのだ。それだけで、神経が参ってしまいそうだった。
「着きましたぞ。ここが宇喜多様にしばらく働いていただくことになる施設ですじゃ」
「へえ……、何かすごいところですね……」
すごいと言ったのは本心だった。周囲に何もない田舎の中に、東京ドーム何個分になるか分からない建造物が建てられている。だが、万里の長城を思わせる高い塀のせいで、外からでは中の様子を伺うことが出来ない。
「何か……」
「刑務所みたいですね」と続けそうになって、慌てて言葉を飲み込んだ。いくら親しげに接してきてくれているからといって、出向先の人間に話すことではない。
建物のスケールに息を飲む俺の前で、分厚くて巨大な鉄の扉が、思ったよりも静かに開いた。車はそのまま中へと進んでいく。
果たして、この塀の向こうで、何が俺を待ち受けているのかね。




