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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第3章「ステップエルフ戦役」
99/302

Lv99「踊りつ進まず」

 






 蔵人が招かれたギルドの部屋に入ると、気合を入れて支度をしていた冒険者組合統括位委員長ギルドマスターの姿があった。髪も美しく結い上げ、白地に薄紅の意匠を施したドレスをフリフリさせながら椅子から腰を浮かしかけている。

「お待ちしておりましたわ、勇者さ――ま゛!?」

「姉さま」

 蔵人の隣に立つメイドは誰あらん、ヴィクトリアの実妹であるヴィクトワールであった。彼女はメイド姿のまま顔面を蒼白にし、ふるふると顔を左右に振って姉に詰め寄った。

「そんな、この男の戯言だと私は信じて疑わなかったのに……! 姉さま、いくらひとときの遊びとはいえ、このような男を褥に招き入れるとは、あんまりではありませんか!」

「……勇者さま、図りましたわね」

「乱世にはかりごとはつきものよ。とはいえ、俺としても苦渋の決断だった。残念だが今夜だけはビジネスライクに行こう」

「くっ。ふたりきりになれば、堕としきる自信があったのに!」

「だから、コイツを呼んだんだ。正直、その気の女とふたりきりで自分を抑える自信はない」

「姉さまっ、お気は確かですかっ!!」

「ああ、もおお。ヴィー! うるさいですわ!! 黙ってらっしゃい!!」

「ですがっ。――へぶっ!?」

 ヴィクトワールは顔面に姉の投げた靴の片方をモロに受けて、尻もちを突いた。

「ひ、ひどいですう」

「ふう。わかりました。とりあえず、今日のところは勇者さまの作戦勝ちとしておきましょう。とりあえず、わかったことだけ省略してお伝えします」

「悪いな。埋め合わせはまたするよ」

「この城が落ちなければ、ですわね。結論からいうと、ギルドの調査によれば、カレン姫を街中で襲った刺客は、朝方行列を襲った城方の人間たちとはまた別口です」

「別口?」

「ええ。彼らは、ゴドラムというロムレス教が土着して変異した、ここ百年ほどで急成長した新興宗教ですね。ゴドラムの存在は王国からも教会からも常に排斥を受けて、常時は地下に潜っています。マトモな生計手段がないものですから、ずいぶんと後暗い稼ぎに精通しているとかで、こちらの世界では別名“暗殺教団”といったほうが通りはるかにいいです」

「暗殺教団!? ああ、私も知っているぞ。王都にいるときは、よく街中を追いかけ回したものだ。あいつらは、教義のためならどんな仕事も請負いかねない。それが、たとえひとつの城を落とすようなことでも」

「ヴィクトワールのいうとおりですわ。彼らの教義は口にするのもおぞましい邪教です。また、自分たちの宗教以外を本気で罪悪と考え、特に僧侶や修道女は目の敵にされています。去年の大掃除のときにかなりの数を片づけたのですが、いまだにコソコソ裏で暗躍しているとは、腹ただしいことこの上ありません」

「大掃除ねぇ」

「兵士や鳳凰騎士団、白十字騎士団(サンクトゥス・ナイツ)を総動員して、三千人近く検挙しましたが、幹部連中は残らず身を隠すことに成功していました。このような非常時こそ、彼らの細胞が活発に動き出すチャンスでしょう。城側のお堅い連中は、バスチアンの一勝で、敵方を侮ってかかっています。まったくもって、現状をなにひとつ理解していない。むしろ、エルフ側は余計な雑兵がふるいにかけられて、まとまりはより強固になったといえるでしょう」

「勝ちに目がくらんで、降伏もクソもないってことか」

「ええ、むしろ私は議場においては臆病者呼ばわりされるくらいですからね。老人たちがいくらなんでも私に手を出すことはありえませんが、カレン姫を仕物にかけて、強引に開戦させようとするのは想定の範囲です。なので、事務所からは出て欲しくなかったのに」

「おいおい、それは悪かったって。蒸し返すなよ」

「ああ、ヴィクトリアはつろうございますよ。日々、針のむしろの上でございます。よよ」

「貴様っ! どさくさに紛れて姉さまに触るなぁああ!!」

「おーい、オイオイオイぃいい!! おまえ、どこに目ん玉付けてんの? いま、こいつから俺に寄りかかって来たよねえ!? 俺って、微塵もここから動いてないよねえ!?」

「うるさい、うるさいっ!! おまえは、存在自体が不埒なのだぁあっ!」

「とまあ、冗談はさておき。私が配置した警護の者もサクッと殺られてしまいました。なので、これからは勇者さまのほかにも、影としてもうひと組の護衛をつけようと思いまして」

「姉さま、ようやく私のことをお認めになってくださったのですね!! 領地を出て、王都に仕官し、五年。ようやく、この私の剣が姉さまのお役に」

「勝手に盛り上がっているところ悪いのだけど、あなたはお呼びではないわ。お入り」

「やーははは。あれ、やっと呼ばれたかのう。あはははっ」

 ヴィクトリアに呼ばれてカーテンの裏から飛び出したのは、ひとりの青年だった。歳の頃は二十そこそこだろう、蔵人と同年輩であった。

 中肉中背ではあるが、手足は太く引き締まっている。顔は色白で、なにがおかしいのか満面の笑みを浮かべていた。下手をしたら白痴と勘違いされるほどゆるみきっていた。

 目鼻は整っており、どちらかといえば男前なのだろうが、しまりのない顔つきがすべてを台無しにしていた。頭髪は焦げ茶で、猫のようなくせっ毛がくるんと飛び跳ねている。

 腰にはロングソードを差し、取り立てて特徴のない厚手の生地の服を着用していた。まとっている赤の外套は煮しめたように黒ずんで、所々が不器用に繕われていた。編上げの黒いブーツだけが、ヤケに綺麗に磨かれており目に付いた。

「勇者さま、彼はエトリアのアレクセイ。俗にいう、五英傑のひとりですわ」

「あははっ。おまえさんが、クランドっていう冒険者かのう。はじめまして。わしゃ、エトリアのアレクセイちゅうもんじゃ。これからは、仲ようしようや!! なんだかわからんが、友達が増えるってことは喜ばしいことじゃけえのう!!」

「こいつは……」

「見ての通りのおバカさんですが、腕は信じられないくらい立ちます。けれども、どうやら同時にふたつのこと考えられないので、使い勝手難しいんですの。彼を、カレン姫の影の守り手にします。勇者さまは敵の襲撃を受けたらすぐさまアレクセイを呼んでくださいませ。白兵戦では、彼に勝てるものはまずいないでしょう」

「だははっ。なーんか、ギルマスちゃん。人のことをメチャクチャにいってくれるのう」

「あら、私が嘘をいうとでも? いま話したことはすべて真実ですの」

「そうーいう、表の裏のない部分がわしゃ大好きなんじゃあ。のお、わしと結婚してくれんか!!」

「絶対嫌です。足りない子しか生まれそうにありませんので」

「だーははっ。こりゃ、手厳しい。わし、軽ぅにフラレよったわ!! てなわけで、なんだかわからんが、わしゃ、クランド。あんたの声の届く場所におるんで、ピンチになったらすぐ呼んでくれや」

「わからんことばっかりなのか……」

「男が細かいこと気にしようるな!! じゃあの!!」

 アレクセイは快活に笑いながら腹を叩くと、そのまま部屋を出ていった。

「ところで、あいつずっとカーテンの裾に隠れてたのか。ぜんぜん気づかなかったぞ」

「彼の気配遮断スキルは超一流です。あらかじめ魔術探査を行っていなければ、まず発見できないでしょう」

「つまり、あいつを潜ませていた理由ってのは」

「そんなの決まってるじゃありませんか。私と勇者さまの既成事実の目撃者になってもらうつもりでしたのよ」

「姉さまっ!?」

「おまえの姉ちゃんタチ悪すぎ。どんな視姦プレイだよ」

 蔵人は、ブツクサ文句を垂れるヴィクトワールの手を引き部屋を出た。

 彼女は、よほど自分の剣の腕を姉に見せたかったのか、いつになく激しく愚痴っていた。

 しょんぼりメイドを避難所に追い返し、カレンの居る貴賓室に戻る。扉の前では、あれほど大言壮語したルールーが寝息を立ててよだれを口元から垂らしていた。

 蔵人は、扉の施錠を確認すると健康な寝息を立てる女の頬をぴたぴたと叩く。

「はっ、な、なにがっ!?」

「なにがじゃねーよ。アホ」

「くううっ。貴様は、いったい、無防備な私になにをしたのだあっ!!」

「いやいや、普通に寝てたからね。あんまりふざけるのも程度問題ですよ、エルフさん」

「はあっ、私が寝こけていただとっ! 冗談も休み……休み……姫ええっ!!」

 ルールーは狂ったようにドアノブを握って鳴らしはじめる。施錠されたままであることに気づくと、気まずさを打ち消すように強気で鼻を鳴らした。

「い、異常なし!!」

「あほだ、こいつ」

 蔵人は革袋から鍵を取り出すと開錠して入室した。薄明かりの中、寝台に向かう。カレンの規則正しい寝息が聞こえる。真っ白な頬に薄く涙のあとが残っていた。

「寝顔を覗き見するのはいい趣味じゃねえな」

 防犯のため、向かい側の窓はすべて鎧戸を落としてある。椅子を使って届く小窓から階下を眺めると、大きなかがり火があちこちに焚かれ、いくつもの人影が武装して佇立していた。エルフ側の冷淡な扱いは、正使を害して下さいといわんばかりの素っ気無さだった。

 よって、表の彼らはヴィクトリアがつけた護衛だろう。蔵人の視線に気づいたのか、ひとりが陽気に手を振っている。おそらく、アレクセイという男だろう。いいように使われている彼が少し気の毒になった。

「屋根があるだけ、どんだけマシか」

 蔵人は、寝台の端に座りこむと、側面に背を預けて長剣を抱えて目をつむった。

 視界がすべて闇になる。こうなれば、どこにいようがなにをしていようが同じだった。

 敢えて思考のスイッチを消して時間が流れるのを待った。耳をすませば、鋭敏になった感覚が外のわずかな気配を自動で探り当て、見えない俯瞰地図が脳裏に浮かんでくる。

 夜は長い。長くて短い。世界が急速に狭まっていく。やがて、すべてが曖昧になっていく。蔵人は己を一個の機械とみなし、呼吸のリズムだけを病的に数えはじめた。

 そして、朝がまたやってきた。

 寝台の上で、カレンが身じろきをするのを感じとった。大きなあくびが聞こえる。立ち上がって全身の筋を伸ばすために両手を突き上げると、ひっ、と驚きの声が聞こえた。

「あ、あんた。もしかして、一晩中そうしてくれてたの?」

「まあ、頼まれたからな」

 ゴドラムという邪教集団は、かなり先鋭的に活動しているのであろう。

(出来ればオメーを金庫にでも閉じこめておきたいんだよん)

「とりあえず空気を入れ替える。大丈夫だと思うが、いつでもベッドの下に飛び込めるようにしておけよ」

「う、うん」

 カレンのやけに素直な返事に満足すると、作業を開始した。降りていた鎧戸をゆっくりこじ開けていく。右手はいつでも剣を抜けるように柄にかけていた。少なくとも近くには、すぐさま室内に飛び移れるような高い樹は存在しない。

 もっとも、ここは常識の通用しないファンタジー世界である。固定観念に縛られたままでは不覚を容易に取りかねなかった。絶対にありえない状況を想定して行動しろ。慎重に鎧戸を上まで持ち上げきると、敢えて後方に一歩下がった。

「やだっ。なになになに? なにか怖いのいたの?」

「いや。とりあえずは平気そうだ。前方オールクリア」

 降り来る日輪の光に目を細めて、視線を落とした。下方の植え込みには、ほとんど昨晩と同じ状態の位置で、アレクセイたちが佇立していた。またもやこちらに気づいたのか、激しく手を振っている。

 彼は、おそらくギルドの方針に従順なのだろう。そもそもが、この世界の人間は一様にして我慢強い。三日やそこらの張番など苦にもならないのかもしれない。ゆとり世代の蔵人には存在し得ない、根気と精神力であった。

「いや、そもそもがこの世界のやつらと俺の時間の感じ方が違うのかもな」

「あーっ、こっち向いちゃダメ!!」

 蔵人が振り向こうとするとカレンが素っ頓狂な声を出した。

 とりあえず理由を聞いておく。

「なんでだよ」

「だって、あたし寝起きだし。髪、ボサボサ……なんだもん。あのねえ、あたしはレディなのよっ。そのくらい気遣いなさいよ、ばかぁ。ちょっと支度するから、その状態で待ってて。あっ! あたしがいいっていうまで、絶対こっち向いちゃダメなんだからねっ。それと……昨日はずっといっしょにいてくれて、ありがと」

 カレンは最後の言葉を微妙に濁らすと、洗面所に走っていった。

(本当のところは、ずっといっしょだったわけじゃねーけどな)

 だがこれで、真摯な男であるという刷り込みは成功したわけだ。

 これからは多少の無作法も許されるであろう。

「と、いう打算を働かせる俺であった。ちゃんちゃん」

 朝の支度を終えたカレンは、蔵人が一瞬、息を呑むほど可憐だった。たっぷりした銀髪は丁寧にくしけずられており、うっすらと気づかない程度の化粧が施してあった。

 とりあえず褒めよう。口を利くのはタダだし、朝から容姿を褒められて気分の悪くなる女性は居ないだろう。なによりも、カレンの立ち振る舞いは、昨日と変わって確かに気品のようなものがそこはかとなく感じ取れた。

 蔵人は、美しいものは素直に賞賛する純朴さがあった。それは考えなしともいうが。

「お、お待たせ」

「なんだよ、もじもじモジリアニしやがって」

「なによそれ、ばかぁ」

「おう。やっぱりこうして見るとお姫さまっていわれるのも当然なべっぴんさんだな!!」

「はああっ!? え、あ、そのお。ありがとう……」

 蔵人が手放しで褒めると彼女は頬を桜色に染めてうつむいた。

(やっべ。いま、ちょっとチンコが硬くなった。なかなかやるな、ハーフエルフちゃんよ)

「失礼します」

 ふたりで差し向かいに立っていると、控えの部屋からルールーの声が聞こえた。

 ルールーは銀盆に乗った朝食を運んでくると、綺麗な姿勢で一礼をした。

 蔵人と目が合う。

 彼女はあからさまに舌打ちをしてから、無表情のままカレンの前に進み出た。

「おはよう、ルールー」

「よっ、おはようさん」

「おはようござまいす、姫さま」

「思いっきり無視するし」

「ルールー。あいさつはきちんとなさい。あなたがあたしにいつもいっていることでしょう。ロコロコ族が礼儀知らずだと思われてもいいの?」

「……くっ。おはようございます」

「そんなに屈辱的なのかよ」

 ルールーは下唇を強く噛み締めながら顔をぷいとそむけた。どうやら、ロコロコ族は自分の感情表現を抑えることができないらしい。蔵人は、正直すぎる彼女らの素朴さが、逆に好ましく感じられてきた。

「ま、わかりやすくていいけどな」

 ルールーが退出した後、寝台に腰掛けてのんびりとふたりきりで朝食を取った。

 カレンはだいぶ心を許したのか、昨日よりも寄り添う距離が縮まっている。

 蔵人がスープの皿の底をさらっていると、隣でカレンが再び両足を子どものようにブラブラさせながら、しきりにチラ見してきた。眉を八の字にして、いかにもなにかいいたげな表情である。

(とりあえず面白いから放っておこう)

「ね、ねえ」

 蔵人が放置プレイを敢行していると、シビレを切らしたカレンが激しく外套の裾を引いてきた。バランスを崩してスプーンが転げ落ち、絨毯に頭を埋めた。

「ねえってば! ニンゲン! いじわるしないでよっ!!」

「わ、わかった。わかったから、叩くな。ったく、なんだよ」

 カレンはホッとした顔で長いまつ毛を伏せると言葉を切り出した。

「あのね、あたし――」





 ヴィクトリアはエルフ方の交渉相手の代表であるフレーザーを前にして、激しく眉間にシワを寄せていた。朝一から話し合いをはじめて、すでに三時間近く経過している。

 円卓にズラリと並ぶ、守勢側と攻城側の人々は互い睨み合いながら、しわぶきひとつ立てない。ヴィクトリアは特に妥協点を見出そうとも、歩み寄ろうとも思っていなかった。王都から援軍が来るまで城が落ちねばよいのである。

 むしろ、この交渉の停滞は思うツボであった。利はこちらにある。そう思えば思うほど、腹の底から、ゾワリと黒くいい知れない奇妙な焦りが頭をもたげてくるのであった。

(そもそもが、本気で私たちが降伏するとでも思っているのかしら……?)

 エルフの王クライアッド・カンは勇猛であるが、殺戮を好むわけではないと聞いている。

 おそらく開城しても、いくさを続けるよりもはるかに傷つく人間は少ないだろう。

 ヴィクトリアは考える。クライアッド・カンの率いるステップエルフたちは草原の民だ。

 多数の家畜を養うためには定住をすることはありえない。つまりは、必ずこの城を捨てアンドリュー州から出ていくだろう。自分が、もし生粋の市民から選出された代表であれば迷うことなく降伏を選んだだろう。頭を下げることなど、罪なき民の命を思えばたいしたことはない、と個人では思う。

 だが、残念ながらヴィクトリアは生粋の貴族であり、彼女のメンツや誇りはそのまま一族すべてに直結する。ロクに戦いもせずに降伏などすれば、領地を取り上げられかねない。彼女は別段、貧困を恐れるわけでも、贅沢な暮らしを続けたいという欲が強いわけでもなかった。ただ、十二代も続いたバルテルミーという一族に幕を下ろした者のとして自分の名が後世までに刻まれるのを病的に恐れるのだった。

 それだけはいけない。理由は特にない。考えるだけで震えが来る。

 臆病、という二文字は、彼女にとってもっとも唾棄すべき呪われた称号だった。

(エルフたちは本拠地を離れていくさに臨んでいる。糧秣だって無限にあるわけではないわ。日が経てば経つほど不利になるのは自分たちの方なのに。むしろ、余裕すら感じられる。城にはまだ、五万近い兵が残っている。兵糧は少ないとはいえ、食い伸ばせば半月はもたせられる。私たちを降伏させることが目的ではない? ならば、真の狙いは、なに?)

 考えれば考えるほど思考の迷宮に落ち込んでいく。

「ふうっ。空気が悪いわね。ハナ」

「はーい」

 ヴィクトリアがかすかに視線を動かすと給仕を行っていたハナが窓際に移動した。

 そのとき、激しい音と共に扉が左右に押し開かれた。

「カレン姫……!!」

 先日の焼き直しである。

 そこには、前回と同じく傲然と仁王立ちになるエルフの姫君の姿があった。前回と違うのは、両脇にスレンダーなエルフ族の女性と護衛である蔵人の姿があった。

「ご主人さま!!」

「クランドっ!!」

 人形のように生気をなくしていたポルディナと、しかめづらをしていたアルテミシアの顔がサッと紅潮する。さすがにいまの状況を考えれば駆け寄りはしなかったが両者とも、歓喜の表情を隠さずに色めき立っていた。

「これは姫さま。どうしてこのようなところへ。いまは大切な話し合いの最中でございますゆえ。まとまり次第、報告は早急に上げますゆえ、お部屋でゆるりとおくつろぎを――」

「ごめんね、フレーザー。やっぱり考えが変わったの。直接、ニンゲンの代表と少し話させて。えと、あなた。ヴィクトリアだっけ」

 カレンは両腕を組んだまま一直線に円卓に向かって歩み寄ってきた。

「姫さま」

 冷静なフレーザーにしてはわずかに声の色調が濁った。

 カレンはもはや、円卓にズラリと居並ぶ人々をまったく無視したまま、ヴィクトリアにのみに視線を固定して話しはじめた。

「ええ、カレン姫。ですが、これはいきなりどのような――」

「降伏しろっていったでしょ。あれ、もういいの」

「へ」

「和睦しましょ」

 カレンはそこいら辺りへ買い物に誘うような気安さで、あり得べからざる言葉を口にした。円卓に座っていた、人々が残らず立ち上がって大声を張り上げた。

 特に、エルフ側の男たちは、カレンを食い殺しそうな憤怒の表情でまなじりを決している。彼らは、使者である前に草原の屈強な戦士であった。膨れ上がった殺気がその場全員の五体に横溢する。

「エルフの姫。そのお言葉、いまさら戯言であったと、取り繕うことはこのヴィクトリアの一命にかけても許せませぬ」

「うん、いいよ。だって、あたし本気だから。本気で、いくさをやめたほうがお互いのためになるって思ったんだもん」

 ヴィクトリアはポカンとした表情でその場に突っ立っている蔵人に視線を転じた。

 蔵人と目が合う。彼は、彼であっけに取られた表情で、間の抜けた顔を晒していた。

 ――が、いまはそれさえも、超絶的ななにかを持った人以上の存在に思えるのだ。

 もし、和睦が成立すればすべての懸念は雲散霧消する。

 人々はこれ以上血を流すことなく、いつもの日常に戻れるのだ。

 ステップエルフは誇り高く、交渉の場で決まったことは必ず遵守する。嘘つきと臆病は彼らにとって親殺しに勝る大罪なのである。

「ええ。それでは、詳細に関してはこれから詰めるということで――あ」

 緊張のあまり、手に持った羽ペンを取り落とした。拾わせるためにハナへ視線を向けようとすると、カレンがその場に素早くしゃがみこみ、ぶっきらぼうに差し出してきた。

「あ、ありがとうございます」

「はあっ!? ま、まったく、ニンゲンっていうのは誰も彼も間が抜けているんだからっ。ほら、今度は落とさないようにちゃんと持ちなさいよねっ」

 照れくさそうに甲高い声を上げるエルフの姫は、最初に見たときよりもはるかに幼く可愛げのある顔でくちびるを尖らせていた。

 もっとも、話はそれほど単純ではない。すべてのエルフが同意していたわけではなかったらしい。フレーザーはカレンをかっさらうようにして議場を風のように去っていった。

 正使であるカレンが口に出したことは決定事項だ。議場ではすべての発言が議事録にまとめられている。これらを無視して交渉を反故にすれば、ロコロコ族はほかの種族すべてに侮りを受ける羽目になる。いくさはもはや終わったようなものだ。ヴィクトリアが安堵の表情で椅子に深く座りこもうとすると、予期しない槍は背後から繰り出されてきた。

 すなわち、城側の幹部たちであった。

「なんなんだっ、あのエルフは!! 前回のことといい、今回のことといい!!」

「にわかに信じられまんせぬな。もしや、油断させておいて、奇襲をかける気やも」

「なになにそうなれば、こちらには不敗の名将バスチアンがおりますれば、蛮族など一蹴ですわ!!」

「おおっ!! 及ばずながら、この私も兵を率いて一番駆けを務めさせてもらいましょうぞ!!」

「エルフどもは油断している上に臆病だっ!! 一気に夜襲をかけて討ち滅ぼしてしまえ!!」

「どうせ王都からの援軍も近づいてきているのであろう。はっ。もしや、きゃつらそれを見越して!? ここは攻めねば後世の侮りの元となりますぞ!!」

「待っ――て。待って。あなたたち、いったい。なんの話を――」

 ヴィクトリアは武官や文官たちが突如として口々にする勇ましい決戦論に思考が追いついていかなかった。ああ、つまるところ彼らは。カレン姫の和睦を怯えであると受け取ったのだ。

「ちょっと、待って」

 いま戦えば確実に負ける。奇妙に確信していた。

 それこそ、一戦で城が落ちかねない敗北のイメージが脳裏にまざまざと浮かんだ。

 肝心なときに限って、バスチアンも同席していなかった。彼には城壁を守る軍務がある。

 不安だからといって、彼ほどのいくさ巧者を意味もなくはべらせておくわけにはいかなかった。

「あなたたち、聞いて――私の話を――!!」

 勢いに乗った男たちの顔。目が会った瞬間、ゾクリとした。枯れ木のような歳の老人すら、瞳を炯々と光らせて獰猛な顔つきをしていた。じんわり涙目が浮かぶ。背後に控えるアルテミシアはいくらすぐれた騎士とはいえ、この場ではただの護衛であり発言権はない。

 ヴィクトリアが顔を苦しげに歪めたとき、野太い声がすべての怒号を一瞬で淘汰した。

「貴公どもお黙りなされいいィ!!」

 耳をつんざく轟音が室内を木霊した。

 声の主。円卓の端に控え、沈黙を守っていた中年の小男であった。

 四十を超えたばかりであろう。禿げ上がった頭部はむきたての卵のようにツルツルであったが、燃えるような太い眉が奇妙なコントラスト描いていた。

 ぎょろりとした巨大な瞳。見るものを押さえつける威圧感が備わっていた。

 雄々しいカイゼルひげが豊かに蓄えられている。

 彼は右手で髭を触りながら、静かに立ち上がった。

 ジョスラン準男爵(バロネット)

 アンドリュー州を実際に統治する三人の代官のひとりであり、彼はクリスタルレイクに駐留する陸・水軍一万を事実上要していた。ジョスラン準男爵(バロネット)は周囲をジロリと睥睨すると、手に持っていた葉巻から紫煙をくゆらせながら円卓の周りをゆっくりと歩きはじめた。

「緊急のためロクに兵も連れず入城したので、あえて大きな顔はしないように努めておりましたがこれだけはいわせてもらいます。あなたたちは、実に愚かだ」

「なんだとおおっ。いまのは、聞き捨てならんぞっ!!」

「たかが代官の分際でっ! 我ら、バルテルミー一族の直系ぞ!!」

「そのようなことは問題ではありませぬ。なぜ、冷静に考えられぬのでしょう。敵は和睦を呑むといったのですぞ。民を思えば無用な流血は避けるべきでしょう。そもそもが、このいくさ勝ったところで、寸土の地も手に入るわけもなし。一旦戦端が開かれれば、よしんば快勝の結果が得られても、卿らに求められる供出金は恐ろしい値になりますぞ!!」

「し、しかし、誇りが」

「誇りでメシが食えますかな? ウインター卿。あなたの領地は特に、進撃してきたエルフたちにとって被害が大きいと聞く。それに、一日籠城が続けば、一日領地に落ちる(ポンドル)が恐ろしいまでに目減りするのですぞ。アンドリュー伯も、これだけの被害が出ればロクに報奨金を出さないでしょう。少し、頭を冷やして見るのがお得というものです」

「ちっ、商人風情の成り上がりがっ」

 ウインター男爵は叱られた子どものようにそっぽをむくと、再び腰を椅子に落とした。

 それに釣られるようにして、ほかの男たちも次々に腰を下ろしていく。いっときの熱が覚めれば彼らに必要なのは現実的な金の話であった。

 どの、貴族も文・武官も金が有り余っているわけではない。

 ジョスランは元塩商人であり、銭使いに関しては一際才を発揮していた。

 それを見こんで、ヴィクトリアの父が代官に任命したのであった。

(とかく黒い噂がある男でありましたが、人間実際に会ってみなければわからぬものですね……)

 ほう、と息をついて、軽く頭を下げる。

 ジョスランは不器用そうにウインクすると葉巻をくわえながら、口元の端を釣り上げたのだった。 







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