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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第3章「ステップエルフ戦役」
96/302

Lv96「ハーフエルフプリンセス」

 





 蔵人は手首のいましめのあとを撫でさすると、警備兵を従えたヴィクトリアを澱んだ瞳でジッとねめつけた。連日の拘禁はさすがに参ったのか、恨みがましい瞳から彼女に対する猜疑の色が消えない。

 彼女が猫撫で声で擦り寄ってくると、反射的に身体が距離を取った。

 ヴィクトリアがむうっと、不機嫌そうに上唇を噛んでいる。

 拗ねた子供そのものだった。

「その、悪かったですわ。こちらとしても、細部まで目が行き届かなくて」

「……もおいい。そもそもが、トップのあんたが末端まで目を光らせて置くなんて不可能だろうし。忙しい中頭まで下げさせてこれ以上どうこういうつもりもねーよ。そもそもただの、いち冒険者に権力者のあんたがわざわざ頭を下げに来るのも不自然極まりないぜ」

「実は、あの後、少しだけ妹と話をしました。その結果――」

「その結果。なんでぇ」

「まったく、あなたという人間像がわかりませんでしたわ」

「あらら」

「あの子は、勝手に家を飛び出して女だてらに騎士になってしまう跳ねっ返りですが、娘時分から私のいうことはぜったいふくじゅ……もとい、よく聞く子でしたわ。それが、あなたのことになると、言を左右にして徹底的に知らぬ存ぜぬですの。それにアルテミシア。

 私は彼女を買っています。竜退治の実績も然りですが、元々が五英傑に迫るポテンシャルを持っているのです。見識も才もあり、少々堅苦しすぎる彼女がなぜ、こういってはなんですが、十層以下の攻略実績しかないあなたに入れ揚げる意味がわかりません。ふむ」

「なに、ディスってんの? あからさまに蔵人さんのことディスってんの? そういうのやめてくんない? そういうの、女の子らしく、本人のいないトイレとかの閉鎖的密室空間で仲間内とかに限ってキャッキャッうふふと噂する程度に留めてくんない?」

「ふむふむふむ」

「なんだよ。そう、ジロジロ人のツラぁ見るねい。ケツの穴が痒くならァ」 

 ヴィクトリアは腰に手を当てたまま、不思議そうに蔵人の面相を子細に検討しだした。

「こういってはなんですが、あなたの顔はとてもではないが婦女子の興味を引くようなものではありませぬ。浅黒く、眉は下品で、全体的に粗野なものです。よくいえば野性的。悪くいえば野盗やゴロツキの群れで見かける悪相ですの。もっとも、妹の殿方の趣向はよくわかりませんが」

「……ほっとけよ」

「口が悪いのは、正直な部分だと思って許してくれませんか。その代わり、私もあなたの前では、なるべく嘘偽りを申しませぬ」

「なるべくねぇ。いいよ、わかった。それに、あんたのいうことはいちいちごもっともだ。その程度じゃ腹は立てねぇ」

「その前に、ひとつお願いがありますの聞いてくださいますか」

 ヴィクトリアは猫のような瞳を潤ませながら、上目遣いで心細げな声を出した。

 見かけは清純な少女そのものである。この手を使われて動揺しない男はいないだろう。

 彼女のフェイバリットパターンであった。

「いってみろよ」

「ヴィー、妹のことですの。彼女をどういう理由かは知りませんが、あなたの家に置いていることは知っています。できれば、あの子をそのまま傍に置いてあげてくれませんか」

「どういうことだ? 普通は姉なら、戻せ返せと騒ぎ立てるはずだぜ。そんなこと気軽にいったらマズイことになっちゃいますぜ。ふひひ」

「ご存知の通り、あの子は大事なところで抜けている部分があります。いくら正義感や責任感が強く王族の傍で功績を上げようとも、いつかは大ポカをやらかす可能性は危険すぎます。さらに、あなたに腹を晒せば、いま父上も都では微妙な立場にあります。政敵は些細なことで、自分以外の貴族の足を引っ張ってやろうか日々汲々としているのです。はっきりいえば、一族はプラスは必要としておりません。マイナス要点だけ除ければよいのです。我がバルテルミー一門にとってあの子の頑張りは、ヒビの入った器を振り回しているようなものです」

「あのな、そんなに軽く妹の将来を足蹴にするようなことを。だいたいが、よく知らねえ、なんども獄にぶちこまれるような男の傍らに妹を置いておいていいのか?」

「構いません」

「意味わかっていってるのか!? 俺はエロいことするっていってるんだぜ!!」

「手を出すならお好きになさいな。むしろ、あなたの子でもできたら、ヴィーも騎士ごっこをやめてくれるかもしれない、と期待しているのですよ。仮定の話ですが、あなたが栄達を望むなら、ほどほどの身分なら差し上げられま――」

「わかった。ヴィクトワールはとりあえず、家に置いておく。不確定な未来の話はやめにしようや」

「ものわかりのいい殿方って好きですわ。それで、もののついでといってはなんですが、ひとつ頼まれてくれません?」

 ヴィクトリアは警備兵を控え室から下がらせると、いたずらそうに猫目を光らせた。

 それから、ちょこちょこ小股で駆け寄ってくると、小さなくちびるを耳元に寄せてくる。

 甘いシトラスに似た香りが鼻先をくすぐった。

 蔵人は本能的に警戒色をやわらげると、腰を落としてかがんだ。

「んで、なんだよ。ついでの頼みごとってのは」

「あなたが助けたハーフエルフのお姫さまのことですの。名はカレン。今朝方の件もありましてこちらとしても再発防止のため、すぐそばに護衛を配置するように進言したところ、彼女のおつきの侍女がかなり猛反発しまして。ところがよくよく探ってみますと、お姫さま自体はあなた自身にかなり興味を持っているみたいですの」

「つまりは、護衛のフリをして彼女にくっついて、スパイさながら情報を引き出せと?」

「そこまで重く考えなくてもいいですわ。本物の護衛は腕利きをこちらで用意させて見えない位置に配置します。ただ、排他的なステップエルフが人間のしかも男に興味を持つなんて、ほとんどないことなんですの。むう。私にはわかりませんが、あなたはなにやら変わった女性を強烈に惹きつけるなにかがあるみたいですわね」

「なんだそりゃ。褒めてんの、貶してんの?」

「ま。ま、ま。もちろんタダとはいいません。こちらとしても、機密費からかなーり潤沢な資金を提供いたしますわ。あなたは、使者が城から退去するまでテキトーに、かまって差し上げればいいだけですの。こちらとしても、打てる手は残らず打っておきたいですから。あとで、後悔することだけは、したくないのです」

 蔵人は沈鬱な面持ちのヴィクトリアを前にしたまま、後ろ頭をガリガリとかじった。

 ここまで乞われて敢えて拒否する理由もなかった。それに、ヴィクトリアの顔をよくよく見れば大きな目の下にはうっすら隈が縁取り、顔色は不自然に赤らんでいる。疲れきった表情を隠すため、厚目に化粧を施しているのがありありとしていた。

(とりあえず、小娘ひとりの相手をすればいいと考えれば、それほど悪い話じゃねえか)






 蔵人は用件を承諾すると、すぐさまステップエルフの使者であるカレン・ロコロコの滞在する部屋へと赴いた。

 冒険者組合(ギルド)の事務所の一角に設えられた貴賓室の前には、完全武装したエルフの兵がズラリと穂先を並べて佇立している。

 蔵人が、エルフの隊長恪に領主側の印がある命令書を見せる。あらかじめ話がついてたのか潮が引くようにその場を残らず離れていった。彼らは一様に歪んだ蔑みを帯びた表情で、笑いを噛み殺しながらその場を去っていく。

「おいおい、残らず行っちまうのかよ。なあ」

 蔵人の呼びかけ。ひとりの兵士が皮肉混じりに答えた。

「姫はその中だ。まあ、うまくやってくれ」

「……マジかよ。ありえんの。こんなこと」

 蔵人が呆然としていると、エルフ兵たちはひとりも残らずその場から姿を消した。これは、とても一国の要人に対する態度ではない。彼らの態度から、使者の姫君が尊崇を集めている重要人物ではないということが理解できた。

「これほど嫌われてるって、どんだけ困ったちゃんなんだよ。頼むからほどほどにしてくれな」

 暗澹たる思いで、部屋のノッカーを打ち鳴らす。

 しばらく待ってみるがなんの反応もない。

「人を呼びつけておいて、不遜極まりない。これは、もうレッツ侵入ってことでファイナルアンサーですな」

 扉に耳を当てて中の様子を探ると、若い女がいい争う声が聞こえてきた。

 若い女→争う→なにやらムフフ。

 蔵人の脳内を低レベルな連想が続けざまに連結されていく。

 もしかしたら、中では怒涛のキャットファイトが行われており、パンチラのひとつでも拝めるかもしれない。拝みたいな。拝ませろ。 

 奇妙な確信を抱きながら、期待に股間を膨らませて鼻息は自然、荒くなった。

「お邪魔しますよー」

 そっと扉を開いて中に入った。

 豪奢な造作の部屋である。美術品に門外漢の蔵人からして、調度品ひとつとってみても、贅をこらしてある一品だとわかった。

「どこもかしこもツヤツヤしとる」

 部屋の中央ではふたりの若い女エルフが目を三角にして、いい争いをしていた。

 年若い方は、先ほど行列で見たカレンという名の姫君であろう。もうひとりは、民族衣装を着こんだ二十過ぎのくらいのスレンダー美女であった。蔵人の好みは、基準よりもややポチャ傾向がある。最近自覚したのだった。痩せぎすよりはデブの方がマシだ。極論ではあるが。

「姫さま、あれほど、申したではありませんか! かような態度を取る使者がありましょうか! 姫さまの行動はそのまま、我が王の評判に直結するのですよっ」

「ああ、もおおおっ。うるさいなあ。だいたい、最初に舐められないようにしろっていったのはルールーじゃないの。あたしの対応のいったいどこに不手際があったっていうの? ふふん、まあ自画自賛するのは好きじゃないけど、百点中百二十点ってところかしらね」

 カレン姫は、豊かな乳房を前に突き出すと、ぶるんっと震わせた。蔵人の視線。釘づけにならざるを得ない。スレンダー美女のシルエットが対比して、少し物悲しかった。

「なにが、ふふん、ですか。初見からあのような態度を見せれば、普通に宣戦布告と受け取られても反論は微塵も出来ませんよ」

 ルールーと呼ばれた―おそらく侍女であろう―女性がそういうと、姫ぎみはたちまち顔色を真っ青にして慌てはじめた。

「えええっ。う、嘘! どどど、どうしよっ。あたし、どうすればいいの? いまから、あの小娘に謝ってくればいいのかな? ね、ねねね。ねぇ、どうしよう、ルールー」

 カレンは慌てふためいてオロオロしだすと、泣き出しそうに顔を歪ませ、口をへの字にした。

「あれほど居丈高に出たあとで、いきなり卑屈になればそれこそ蔑みを受けましょう。とにかく、細かい部分はフレーザーに任せれば万事抜かりないと思われますが――。誰だ!!」

 ルールーは振り返りざまに、太ももに忍ばせた短剣を抜く手も見せずに放った。

 激しいふたつの光芒がキラリと輝いた。

 刃は音も立てずに水平に走った。

「のわっ、ちょっ、はっ!」

 蔵人は後方に飛び退きながら、投擲された短剣をかわした。

 仕留めたと確信していたのだろう。予想を覆す動きにルールーは一瞬あっけに取られて硬直する。それが蔵人の活路となったのだった。彼女は、腰の半弓を構えると矢を引き絞った。流れるような隙のない動きに思わず、ほぅ、と息を呑んだ。

「貴様!! さては姫のお命を狙った先刻の輩の仲間かっ!!」

 カレン姫の侍女、ルールーは獰猛な野獣のようにまなじりを決してにじり寄ってきた。

 猛り狂った表情は、我が子を守る野獣の母のように壮絶なものだった。

「違うぜ。おっぱいの残念なお姉ちゃん。むしろ、それらを守り育てたい」

 蔵人が場を和ませようと両手を前に突き出してワキワキさせる。

 だが、ルールーは眉ひとつ変えずに冷たく宣告した。

「死ね」

「あああっ、ちょっと待ってぇえっ!!」

「ひ、姫っ!?」

 カレンは素晴らしい勢いで横合いからタックルをかますと、ルールーを絨毯の上に押し倒した。

 蔵人は、すかさず足元を蹴って跳躍した。

 下手に距離を取れば格好の餌食である。

 誤解を解く解かないは別にして、的にされるのは御免だった。

「くっ!?」

 焦って放った矢をギリギリでかわす。

 ルールーは半弓を投げつけるが、片手で楽々と弾いた。

「取った!!」

 勝利を確信し、両手を突き出して踊りかかった。

 ルールーは瞬時に起き上がると腰の双剣を引き抜く。

 同時に蔵人が力技で白刃を素手で掴み取った。

 鼻先がくっつく程の距離で顔を突き合わせる。

 握った手のひらから血の糸が伝った。

「正気か? 私が剣を引けば、おまえの指はバラバラになるぞ」

「やってみろ。そしたら、チューしてやる。んうー」

 蔵人がくちびるをタコのように突き出すと、ルールーは青ざめて顔をそむけた。

「な、し、し、痴れ者めっ」

 ルールーが動揺すると同時に白刃から手をはなす。刹那の動きで、蔵人が勝った。

 丼茶碗のような大きな手のひらがルールーの細い手首をすっぽり掴んだ。

「しまっ――」

「敵将! とらえたりーってか?」

 こうなれば、力比べではまるで勝負になはならなかった。

 真っ赤な顔をして、満身の力をこめるルールーを鼻歌混じりで押さえ込む。

「うーん。かわいいお手手でちゅねー。ちなみに、ボクちん、さっきまでチンコいじってました」

 ルールーの顔が悲壮に青ざめる。蔵人の至福のひとときだった。

「は、離せっ!!」

「勝負ありだな」

 組み合うふたりの真横でカレンが頭を掻きむしった。

「んもおおおっ。だから、そいつはあたしが呼んだ例のニンゲンだって! いいかげんにしなさーい!!」

「え?」

 カレンが歯を剥き出して怒鳴ると、ルールーが惚けたような顔で視線をさまよわせた。

「……だから、そのニンゲンがさっき話してたあたしを助けた男なの。あんた、ぜんぜん人の話聞かないわね。もう、いいわ。あたしが、いいというまで控えの間で待ってなさい」

「しかし、私には姫の護衛が」

「いてもぜんっぜん役に立たないじゃん!」

 ルールーの眉が八時二十分を示した。

「ですが」

「返事は!!」

「……はい」

 ルールーは、長耳を気持ち下げると、しょぼくれた顔つきでノロノロと部屋を後にしていく。叱られた猟犬の風情があった。扉をくぐる際に、恨みがましい目つきで睨んでくる。なまじ端正な顔つきのせいか、異様な迫力があった。

「ふうっ。まったくルールーったら、あたしを子ども扱いばっかしちゃってさ。けど、お小言もこの騒ぎで終わったみたいだし。こっちとしては、ラッキーね」

 カレンは両腕を胸の前で組むと、ふふん、と得意げに小鼻を動かしながらつぶやいた。

 豊かな両胸は腕によって押し上げられて、窮屈そうにプルプルと震えている。

 蔵人が乳袋って本当に実在したんだ、と感嘆していると、カレンはいまはじめて存在に気づいたように、ハッとした表情で振り返った。

「な、なによ! いるんなら、いるっていいなさいよっ。怖いじゃないっ」

「いや、さっきからずっとここにいるんだが」

 蔵人が話しかけると、カレンは素早く寝台の裏に隠れて、こちらの様子を窺っている。

 チラチラと視線をこちらに送りながらも、なぜか妙にモジモジとしだした。

 まるで、臆病なくせに好奇心の強い子猫のようだった

「ニンゲン。そう、本当にニンゲンなのよね。あたしを助けた……。ねえ、実はエルフが化けてたりとか、そーゆうことはないのかしら」

「ねえよ。ホラ、耳見ればわかるだろ」

「ほんと?」

「あーホントだとも、なんなら触ってみるか?」

「……うん」

 カレンはさっと寝台の裏から飛び出すと、ささっと蔵人の脇に近寄って耳を軽くタッチすると、再び隠れるように寝台の裏へと逃げ戻った。

「なあ、なんでそんなに怖がってたんだ。取って食ったりしやしねえよ」

「うん。でも、あたし、ニンゲンの男の人と、こうしてふたりっきりでお話するのはじめてだし」

「ああん。なんだ、恥ずかしがってんのか? かわいいとこあるじゃねえか」

「んなっ!?」

 カレンはあっという間に顔をゆでダコのように真っ赤にすると、寝台の上に飛び移り、ふんぞり返って足を組んで見せた。純白のショーツがチラリと見える。蔵人は目を細めて魅惑のトライアングルに全神経を集中した。

「ば、ばばば、ばかじゃないの? あ、あたしがあんたみたいなニンゲンごときに、恥かしがったり怯えたりするわけないじゃない!! ふ、ふん。ちょっと、いまのはからかってみただけよ。あたしは、あの偉大なる草原の王の娘なのよっ。ニンゲンの男なんか、そうねっ。いっつもとっかえひっかえして遊んでるんで、もう、慣れきって飽きちゃってるくらいなんだからねっ」

「ほー、これはこれは。ステップエルフの姫君は発展家でおじゃるのう」

「はああっ!? なな、なんてこというのよっ。この無礼者っ。あたしは、清い身体なのよっ! そんないやらしいことしてるわけないじゃないっ。勝手に人を安く見積もらないでくれる?」

 カレンは黄色い声を上げて枕をばふばふ叩いた。

 細かなホコリが虚空にゆっくりと浮かび上がった。

「いや、いまのはおまえが勝手に自爆したんだろう」

「ああいえばこーいう! ホンット、ニンゲンってば、エルフの隙につけ入るのが上手な生き物ねっ。卑怯で抜け目なくて、狡猾でッ。みんながいったとおりだわ」

「おまえが相手じゃ、ニンゲンじゃなくても、たとえ小鳥程度の知能でも上手くつけこめそうな気がするぞ」

「はああっ!? 小鳥さんが、どうやって口を利くっていうのよっ。いくら、あたしが世間知らずでも、小鳥さんがおしゃべりしないっていうくらい、知ってるんだからね! そう、これがエルフの奥深い知恵ってやつよ」

 またもや、ふふん、と自慢げに鼻を鳴らして人差し指をくるくると回している。

 なんとも底の浅い知恵だった。

「……いや、まあ。いまのは比喩なんだが。そうか。あれ? 最近の小鳥は品数改良で人語をしゃべるやつもいるんだぜ? さすが、乳母日傘で育ったお姫さま。世間というものを知らんと見える」

「はあああっ! ば、バカにしないでよっ。そ、そーね。うん、知ってるわよ。そーそー最近の小鳥さんは品種改良されて賢くなっているから、おしゃべりできるもんねっ。そのくらい知ってますからっ。いちいち、いわれなくてもわかってますからぁ」

 カレンは、ちょっと待ってというと、手帳を開いて寝台の脇にしゃがみこんだ。

 蔵人が、そっと近づいて耳を澄ませると、羽ペンを動かしながら「……最近の、小鳥は……おしゃべりが……できる」などとつぶやいて書きこみをしていた。

 なんというか、途方もないピュアさを持っている姫君だった。

「んで、とにかくだな、俺は今日からおまえさんの護衛役になったわけだ。それほど長い間じゃないだろうが、よろしくな」

 蔵人は友好のあかしとして、右手を差し出した。カレンはジッとその手を眺めていたかと思うと、ふんとそっぽを向いた。

「あんたが、あたしの護衛役? ま、この偉大なる草原の王の娘としてはそんなものなくったってへいちゃらへい、なんだけど。どーしても護衛したいっていうのなら、特別に考えてあげてもいいわよっ。ニンゲン!」

「クランドだ」

「え、なに?」

「俺の名前はクランドだ。その、ニンゲンって呼び方はやめてくれないか」

「むーっ。ニンゲンのくせにあたしに口ごたえする気なのっ。生意気! 生意気! なーまーいーきっ!」

 カレンはぷりぷりしながら上目遣いで睨んでくるが、蔵人が一歩前に出ると怯えたように距離を取った。

「生意気でもなんでもいい。ちゃんと呼べ」

「いやだよっ! べっ、だ!!」

 カレンは舌をイーっと出すと、再び寝台の裏に隠れ、蔵人の様子を窺っている。

(なんだ、こいつ。身体は大人だが、中身はまるっきりガキじゃねえか……)

 蔵人は暗澹たる思いで、寝台の端から顔だけを覗かせているエルフの姫君を見やった。

 確かに、カレン姫のプロポーションは抜群だった。エルフ種特有の突き出た胸に、きゅっとくびれた腰。高い位置にある尻肉はバランスよく盛り上がり、惚れ惚れするほど美しかった。アジア人である蔵人と比べることがおこがましいほど、スラリとした長い脚は、ルッジのものに迫るほどであり非の打ち所がなかった。精巧な人形のように整った顔貌は儚く繊細で、黙っていれば妖精そのものといった趣である。

「それも口を利かなきゃの話なんだがな」

「なに、なんか文句でもあるのっ」

 カレンが喋ると、途端にその美が崩れ落ちていく気がした。

 とにかく、知性を感じない言葉の使い方だった。

「んで、名前の方は呼びたくなければ別にいいよ。その代わり、こっちは好きに呼ばせてもらうぜ。カレン」

「ななななな、ダメっ。ダメダメっ。だだだ、誰があたしの名前を呼んでいいって許可したかっ。無礼よ! あんた、おもいっきし無礼なんだからねっ!」

「ふふふ。おまえが許可しようがしまいが、俺は相手の名前くらい好きに呼ぶぜ。それとも、なんだ? さっきのおつきの怖いおねーちゃんでも呼んで、無理やり俺を矯正させてみるか? ん」

「それは、ダメよ。だって、ルールーが本気になったら、あんたを殺しちゃうじゃない。ダメよ、そんなの」

「さっきのは本気じゃねぇのか」

「当たり前じゃない。そもそも、あたしたちエルフがニンゲン風情に負けるわけないじゃないの」

 カレンは血相を変えて本気で蔵人のことを心配している。よほどの箱入りなのか、無邪気さの塊といってもいい。体格や顔つきは玲瓏な貴婦人のようだが、態度の幼さが異様なアンバランスだった。

「あのさ、ひとつ聞いていいか。そんなツレない態度取るっていうんなら、そもそもどうして最初から護衛役が俺になるような気のある素振りをヴィクトリアの前で取ったりしたんだよ」

「だって、あんた、ニンゲンのくせにあたしを助けてくれたし。それに、あの女に聞いたら、あんたはギルドの冒険者っていう、最下等の階級だっていうから……あたしの護衛にしてあげたらきっと栄誉だし、ゴミニンゲンもよろこぶかなって……」

「……なんだ。おまえ、お礼のつもりで俺を気に入ったような素振りを見せたのか。案外、義理堅いんだな」

 カレンはうだったように顔全体を真っ赤にすると、威嚇する猫のようにカッと大口を開いて叫んだ。

「かかかか、勘違いしないでよねっ!! あんたなんて、これっぽっちも気にしてないんだからっ。あ、あんたの名前を出したのは、あたしを助けた相手が間違いで処罰されたんじゃ、信賞必罰を旨とする王族の誇りにかけて許せなかっただけなんだからねっ!」

「これは、さすがにテンプレ乙、といえよう。だが、こんなに騒いでいいのか。またぞろ、あのうるさいスレンダー美人がギャンギャン吠え立てに来るぞ」

「それはいやだわ。うーん、でも、この狭い部屋の中であんたみたいなニンゲンといっしょに顔突き合わせておしゃべりするだけっていうのも、退屈なのよね」

「あのな。俺はおまえの護衛であって、遊び相手じゃねぇぞ」

「うるっさいわねぇ。とにかく、今日からあたしの護衛役っていうなら、命令にはすべて従ってもらうわよ」

「仕方ねえな。ただし、安全が最優先だぞ」

「つべこべいわずに、ちょっとこっち来なさい」

 カレンは蔵人を窓際まで引っ張っていくと、外を指し示して見せた。

 どうやら、外の空気を吸いたいらしい。

「あのルールーってのに頼めばいいじゃねえか」

「……もう、頼んだのよ」

 カレンは眉をしかめると、かがんで頭髪を掻き分けてみせた。

 そこには、確かに殴られた痕のような、うっすらとした赤いコブが出来ていた。

(王族をブン殴るって、どういう侍女だよ。おっかねえ)

 カレンはちょっと涙目になりながら、ひどいでしょ、というような目をした。

 これには、さすがの蔵人も同意せざるを得ない。

 というか、侍女なんだから放逐しろよ、と思わないでもない。

「さっきのお小言は危ないパターンだったわ」

 カレンの長耳がひこひこと目の前で動く。先ほどのルールーに比べて、気持ち、やや短い長さだ。蔵人の脳内で記憶がひとつの結論を形作った。なんの気なしに口に出した。

「そういや、おまえのその耳。ハーフエルフだったんだな」

「……!!」

 カレンは鋭く身体を震わせると、焦点の合わない目線で蔵人を見上げた。

 印象的だった銀色の瞳が錆びたように澱んでいく。あまりの沈みように、たじろいだ。

「だから、なんだっていうのよ……!」

 思った通りの反応だった。

 蔵人はエルフの村で過ごしたこともあり、同族でなければかなりわかりにくい、ハーフの差異は注意深く見ればわかった。護衛たちの蔑んだ視線の意味も、おざなりな警護の態度も、理由はすぐに呑みこめた。

(なんてこった。たとえ、相手が王族であっても、差別は変わらねえのかよ)

 もちろん、その想像は間違っていなかったが、現実ははるかに無情だった。

 王族は血の純潔を第一とし、混雑物を極度に嫌った。

 文化や思想のある程度育った人間同士ですら、純潔を尊ぶあまり、血を分けた兄妹や近親者で結ばれることなど普通だったのである。

 とりわけ未開の草原では、種族の違うニンゲンとエルフの子は、なおいっそう手酷い差別に晒されなければならなかったのだ。

「ぱくっ」

 蔵人は無言のまま虚ろな顔のカレンに覆いかぶさるようにして、その長耳に吸いついた。

「はひゃんっ!?」

 エルフの長耳は性感帯のひとつである。急所を突かれたカレンは、その場にへたりこむと小さな悲鳴を上げそうになるが、ルールーのことを思い出したのか、自分で自分の口を手のひらで塞いだ。襲う側にしては安心極まりない設計である。

「ひゃっ、ひゃんっ!? な、なにするのよううっ」

「はみゅはみゅ」

「こ、こらっ、はむはむしないでっ。あっ……んうっ……こらっ、ダメなんだからっ……もおっ、ホントに……らめぇっ……」

 カレンはその場に立っていられなくなりへたり込んだ。

 震えるくちびるから流れる熱い吐息が手のひらにかかる。

 蔵人はキュポンと長耳からくちびるをはなすと、無言で両手を組んで見下ろした。

 カレンはうるんだ瞳で訴えるように見上げてくる。桜色の唇がわなないていた。

 呼吸が荒い。事後を思わせるような艶かさだ。

 背筋が総毛立つ色気を感じ、一瞬、ギクリときた。

「な、なによ……ねえ、なんとかいいなさいよ」

「エルフだろうがハーフだろうが、感じるところは同じなんだな」

「は、はあっ!? あんた、そんなことを確かめるために、乙女の大事な部分を……!

 こっ、このおおっ。……でも、あたしハーフエルフなんだよ。こんなことして、楽しいの?」

「ああ、楽しいな。かわいらしい娘が悶える姿は、ハーフだろうがなんだろうが関係ない!」

「……はあっ。なんか、あんた相手にいろいろ考えるだけ無駄なような気がしてきたわ」

「そうだ。俺からしてみれば、等しく女である、ということ以外に区別はない。それより、いいのか」

「なにがよ」

「ここからお外にコソーリ出かけんだろ? 早くしねえと、あのルールーって怖いのが入ってきちまうぜ」

 カレンは泣き笑いのような表情で顔をクシャクシャにすると、最後には笑顔でうんとうなづいたのであった。

「となれば、さっそく脱出ね! ほら、ノロノロしない。スピードが命なんだからね。ほら見て! 準備は万端よ!」

 カレンは窓ガラスを開けると、枠へとねじったカーテンを垂らした。どうやら、これを伝って下まで降りるつもりらしい。

「ここは、四階だぞ。強度は大丈夫か」

「なによ、男のくせに怖いのかしら」

「そんなわけねぇだろ。ただ、落ちておまえがぺちゃんこになったら回収しにくいなと思っただけだ」

「ふふん。あたしって、こういうのは得意なのよ。黙って後からついて来なさいな」

 カレンは窓枠に足をかけると華麗に反転し、するするとカーテンを伝って降下していく。

「やれやれ。とんだおてんばですこと」

 諦めて蔵人もそれに続く。重みで、縛り付けた枠が軋み、ヒヤリと脂汗が湧き出た。

「とっと降りて来ないさよねー」

「そんなデカい声出したら丸聞こえだろうが……」

「姫! 姫っ!? どこにおられるかっ。ああああっ、きっさま、ニンゲン! 姫をかどわかすつもりだなっ!! よおおし、今行くぞ。そこを動くなっ」

「ああっ、なんでバレたのかしらっ!?」

「本気でいってそうなおまえの脳が怖いよ」

 降下する蔵人とカレンを見つけたルールーが逃さじと続けて降りてくる。そもそもが、人を釣るほどの耐久力はないものだ。みちみちと、繊維が引き千切られる危険な音が聞こえてきた。

「ば、バカ! これ以上重量をかけんじゃねえ! カーテンが千切れるだろうがっ!」

「はあああっ!? このニンゲンめっ。この私がおデブだとでも愚弄する気かっ。私は痩せ型なのだっ! それだけは譲れんぞっ! 絶対にふんづかまえて、馬に吊るして引きずり回してやるから覚悟しておけよっ」

「んなことされてたまるかよ」

「んきゃっ!」

「ちょっ、あぶねっ!」

 蔵人がルールーといい争っていると、カレンの身体がふわりと宙に浮かぶのが見えた。

 ふたりのやりとりに気を取られて手を滑らせたのだ。

 蔵人は咄嗟にカーテンから手をはなすと、垂直に急降下する。カレンを横抱きにしようと手を伸ばすと、彼女の口から詠唱の呪文が流れた。

風力浮揚魔術(エアロレビテーション)!」

 カレンが魔術を唱え終わると、足元に凩のような風がたちまち巻き起こる。彼女は、二階ぐらいの高さで停止すると、驚いたように顔を上げた。蔵人とルールーはもつれ合いながら落下すると、花壇の土にぶつかって、なんとか停止した。

「あのなぁ、そんな器用な真似が出来るんじゃ、落馬したときも使えばよかっただろうが」

「ある程度距離がないと詠唱ができないのよ」

 蔵人は膝についた土埃を払うと、ジト目でカレンを睨んだ。さすがに頑健な身体である。咄嗟に落ちてきたルールーを抱きかかえたまま肩から落ちても怪我ひとつしていなかった。ルールーは昏倒したまま、目を覚まさない。そっと彼女を横たえると、カレンがせっせと葉っぱやら枯れ草を上に乗せて偽装をはじめた。

「ふうっ。これで、とりあえずしばらくは自由の身ね」

「ちょっと彼女に同情するな」

「んじゃ、さっそくニンゲンの街を視察に出かけるわよっ」

 蔵人は片手で昏倒しているルールーを拝むと、意気揚々と歩き出すエルフの姫を追うのであった。






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