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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第3章「ステップエルフ戦役」
95/302

Lv95「カレン・ロコロコ」

 






 薄ぼんやりと明滅する灯火の中で、長大な白いものが静かに左右へと振れていた。

 目を凝らしてみれば、それは男の身体の一部であると知れた。

「やられたな」

 低くしわがれた声は重々しく、長年に渡って万人を従わせてきた威風が備わっていた。

 落ち着いた緑の衣を着た男は、長くつややかな白い顎ひげをしごくと口元を歪めた。

 当年とって七十四を数える巨躯の老人は、草原における五十四の部族を一代でまとめあげた、偉大なる王者クライアッド・カンその人であった。

 彼は、母体である少数民族であったロコロコ族を、五十五年の歳月と大小百余度の合戦を勝ち抜くことで、ステップエルフの頂点に押し上げたのである。

 王の眼光は炯々として力を失ってはいなかったが、深いシワの刻まれた面には、憂悶の色がかすかに浮かんでいた。

 足下にはひとりの大将が平蜘蛛のように伏していた。

 此度の敗戦の将であり、先陣を務めたアジャルという男である。

 彼は王の前で顔面蒼白になり、ただ裁きを待つのみであった。

「兄者、此度の責はアジャルのみにあらず。責めならば、この儂を裁いてくだされ」

 アジャルをかばうように進み出たのは、王の実弟のエルブレド・ロコロコである。

 彼は、王の七つ下で、勇猛果敢で知られていたが、ときおり敵の搦手の前で不覚を取ることもしばしだった。

「よいよい、勝敗は兵家の常。そのようなことをいちいち咎めておったら、我が軍に将はのうなるわ」

「しかし、この兵の減りようはさすがに」

「五十万が三十万じゃからのう」

「誰も罪なしでは、旗色を保てぬわ」

 控える十五人の長老連が口々に不平を述べた。

 彼らのいうことはもっともである。

 王の持つ兵も、所詮は諸部族の連合であり、すべてを無視して独断するわけにはいかなかった。エルブレドとアジャルの顔が苦悶に歪む。沈鬱な空気を取り去ったのは、若く猛々しい青年の声だった。

「よいではありませぬか、お歴々。むしろ、澱を取り除いたようなもの。これからは、真の精鋭のみで速やかにことを運べるとあらば、不幸中のさいわいでしょう!!」

 ざわめきはピタリと止まり、一同がその青年を注視した。

 百九十を超える長身に、女かと見紛うほど整った顔つきが奇妙な美を形作っている。

 目にも鮮やかな緋色の外套に、黄金色の太刀を佩き、白銀の鎧を着込んでいた。

 長く艶やかな金髪は薄闇の中で星のように妖しく瞬いている。

 バトルシーク・ロコロコ。

 王弟エルブレドの長子にして、王の甥にあたり、その輿望は衆を抜きん出ていた。

 次期、王の呼び声も名高い彼には、“蒼の四将”と呼ばれる勇猛な戦士が常につき従っていた。

 すなわち、

 隻竜王、アンテロ。

 双剣、カシュパル。

 死神、ツチラト。

 神の腕、イグナーツ。

 の四人。さらに、副官で知恵袋の、

 謀将フレーザー、である。

 アンテロは、隻眼の大男で、彼の得意武器は巨大な戦斧。

 カシュパルは、腹心の中で、もっとも年若く陽気なムードメーカーであるが、二剣を自由自在に操る草原屈指の剣士で、その腕はバトルシークに迫るといわれている。

 イグナーツは細身の優男で、パッと見はひ弱に見えるが、彼の槍さばきは神技、と呼び声も高く、馬上の戦いでは一度も不覚を取ったことはない。バトルシークが彼を用いた合戦では必ず勝利を収めていた。

 ツチラトは痩せこけて暗い目つきをした小男であるが、彼の弓の腕は草原一であった。

 合戦で彼に狙われ、助かった武将はひとりもいない。文字通り死を運ぶ地獄の使者として恐れられていた。

 いわずもがな、副官フレーザーはバトルシークの懐刀であり、大軍を指揮しては変幻自在の妙味を見せる才器、であった。

 この五人を引き連れて参上したバトルシークは、色素の薄い金色の瞳で周囲を睥睨した。

 長老連は一様に押し黙ると、若き戦士の機嫌を伺うように、媚びた態度を露わにした。

「余もバトルシークのいいように一理ある。とかく、新参の兵たちは当てにはならぬ。だがな、これ以上の無益な戦いは好むところではない。余は、シルバーヴィラゴに降伏の使者を送ろうと思う」

 王の唐突な決定に一同が再びざわめきを出した。

 目を覆うような敗戦のすぐ後である。城側は固い塁壁に守られ、すぐさま攻め落とされるような作りではなかった。誰もが、無意味では、と憂慮の色を顔に表し、躊躇した。問題は、その降伏を促す使者である。なかんずく、激昂した城兵に斬られる可能性が高い。

 城に入れた間者からの情報によると、備蓄した兵糧は少なくとも、兵士は五万近く篭められており、また、その膨大な市民から、十万やそこらの壮丁はたちどころにかき集められるだろう。

 つまるところ、栄誉ある使者の役割は無意味な死の確率が高いのであった。

「さて、その使者についてなのだが」

 王が言葉を続けた途端、長老たちはいっせいに話をピタリと止めた。彼らが、直接使者に赴くことがあるはずもないが、自分が指名されれば氏族からそれなりの地位のある者を指名せねばならない。死の公算が高い役目に、一族の者を指名するのは彼らにしても気分のよいものではなかった。

「余は、娘のカレンを使者に命じようと思う」

「おお……」

「それは……」

「名案ですな。この栄誉ある大役、王族でなければ務まりますまい」

 大王クライアッド・カンが指名したのは、三十八人いる娘の中で、末子である。

 誰もが安堵の表情を見せながら、反面皮肉げな顔つきで互いに目線をかわしあっている。

 勇将バトルシークは、王の隣に侍った実父であるエルブレドに視線を送りながら小さくうなずいた。実直と剛健さのみが取り柄のエルブレドは疲労の濃い、落ち窪んだ瞳で弱々しく追従笑いを浮かべてみせた。

 まもなく、帷幄に王の娘である末子が招き入れられた。

 作法通り、宰相より直々に勅が発せられた。彼女は、満面を喜悦の色で彩りながら、謹んで王命を拝すると、余りある栄誉に身を打ち震わせていた。

 諸将の誰もが口にせずとも、その顔に浮かんでいるのは軽蔑に似た侮りの色である。

 栄誉ある降伏の使者に選ばれたのは、ロムレス王室から側妾として送られた人間の母を持つ混じりモノの雑姫ハーフエルフ・プリンセスカレン・ロコロコであった。






「へえ、そんなことがあったんですか。頭、射抜かれなくてよかったですねえ」

「おまえな。ナチュラルにあんま、怖いこというなよ」

 蔵人は、避難所に戻ると、レイシーとヒルダに割り当てられた区画に赴き、朝の茶会を楽しんでいた。

 今朝方、城壁であった矢文の話をするとレイシーは強い怯えを見せ、一方ヒルダは激しく興奮した。定められた起床時間までにはまだ間があったが、避難民たちは続々と起きはじめ、朝の支度に取り掛かっている。

 すでに、降伏の話はもれ伝わっているのか、大人たちは暗い顔をして囁きあっているが、対照的に子どもたちは元気そうに辺りを走り回っていた。

「ねえ、お城は降伏するのかな?」

「いや、それはありえないだろう。バスチアンとかいう将軍は夜戦でステップエルフたちにかなり痛手を食らわせた。だが、勝っているいまなら有利な条件で和睦は出来ると思う」

「はー、和睦ですか」

「聞いたところ、この戦いの発端はエルフのお姫さまを殺害したところにある。領主が度量を見せて、謝罪の使者と幾ばくかの弔慰金を払えば、メンツを保てたエルフも兵を引くだろう。だが、たぶん無理だろうな」

「無理、なの?」

「ああ。えてして勝ってる側が頭を垂れることはまず考えない。聞いたところによると城将のオレールはそこまでの人物じゃないらしい。いま、実質城側の代表は領主の娘のロリっ子だが、さすがにあれでは貫目不足だろう。ほかの幹部はそうそう従わないだろうな」

「あたし、むずかしいことはわからないけど。すごいね、クランド。やっぱり学があるんだ」

「よせよ」

 レイシーは聞きかじりの推測論程度に賛辞の色を惜しまなかった。蔵人は照れくさくなって押し黙る。静かにしていたヒルダが突如として大声を上げた。

「そんなことより今朝のデザート当てっこしましょ!!」

「あのな」

「ヒルダったら……」

「あーバカにしてる。ふたりとも、私の的中率はけっこう高いんですよ!」

「いや、そうじゃなくてな。もういいよ」

 ヒルダは、きゃっきゃっと黄色い声を上げながら、次から次へとどうでもいい話題を並べ立てている。一方、レイシーは心細そうに蔵人の隣に座ったまま、手を握りしめてはなれようとしなかった。

「どうして昨日来てくれなかったの?」

「うーん。俺も、こう見えてもいろいろ忙しいのですよ」

「あー、クランドさん。嘘ついてますう。勝手に城壁に登ったりして遊んでたくせに。でもでも。マジで危ないですよ」

「いや、遊んでいたわけじゃなくてですな」

「本当。ヒルダのいうとおりよ。もう、あんまり心配させないでよ」

 レイシーは長いまつ毛をふるふる震わせながら寄り添ってくる。肘の部分にやわらかな乳房が当たり、頬がゆるむのを止められない。

「あ、その顔! またえっちなこと考えてますね。本当にクランドさんはしょうがないですねー」

「え、そうなの?」

「ちが――わないな。まあ、とりあえずそれは置いておいて。どうだ、ふたりとも特に不便はないかな」

「不便っていわれても」

 レイシーが座っている区画を見回す。辺りには、教会特権でヒルダが持ち込んだ、分不相応な調度品がズラリと並べられており、ここだけまるで貴族の部屋のように、周囲から浮き上がった存在になっていた。

「すごいでしょう! これだけ、運ばせるのは大変だったんですよ。いやぁ、信者の方々は従順な、もといやさしい人が多くて助かりますー」

「おまえ、どこの王侯貴族だよ。寝てるときに刺されるぞ」

「ヒルダ。さすがにこれは、まずいんじゃないかなぁ」

 レイシーは周りとの調和を気にして、きょときょと視線を動かしている。周囲の市民は平穏な日常から無理やり引き剥がされ、不自由な避難生活をしいられているのだ。

 だが、生まれもっての貴族令嬢であるヒルダには庶民の心の痛みなど気にも留めるわけがなかった。そのような点では、レイシーと違い、彼女は骨の髄から上流階級出身純粋培養お嬢さまなのであった。

「えー、大丈夫ですよ。心配ないない。さあさあ、朝食が来るまで三人でボードゲームでもして遊びましょ」

「遊びましょ、じゃないでしょう!!」

「え?」

 修学旅行気分で不自由さを楽しもうとしていた彼女を背後から怨嗟の声が刺した。

「ヒールーダーっ!! アンタ、遊んでばっかいるんじゃないわよっ!!」

「んげっ! コルドゥラにイルゼっ!! なぜここにいらっしゃるですかっ」

 ヒルダの同僚である教会のシスター、コルドゥラが阿修羅のような形相で背後に立っていた。

「ヒルダさん。お仕事、サボるの良くないですよ」

 小柄なコルドゥラは徹夜の奉仕作業で疲弊しているのか、大きな瞳の下に隈がうっすら浮いている。儚げなイルゼも体力を消耗し疲弊しきっていた。

「アンタねーっ。場所取りだけして結局昨日は戻ってこないし! いつもは、まったく、完全無欠に、チリほどの、役に立たないんだから! こういうときくらい仕事なさいよっ!!」

「えーでもでも。私、奉仕されるのは好きなんですけどぉ、するのはあんまり」

「ふざけんなッ!!」

 コルドゥラの瞳が綺麗に三角に変化し、背後に不動明王らしきものが出現した。

「ひいっ、クランドさん。鬼がいるようっ」

「だれが鬼ですって、このへっぽここだぬきッ!! いいからつべこべいわず来なさい!」

「いたーいっ! やだっ、犯されるー」

「おいおい、ヒルダ。その辺にしとかんと、コルドゥラに八つ裂きにされんぞ」

「するかっ!! クランドッ、あんたってやつはまた、余計なことを……!」

 コルドゥラの怒りの矛先が方向転換しそうになる。

 蔵人はレイシーの背中にサッと隠れた。

「おいヒルダ。いいから、ここはしたがっとけ」

「えええ、ちょっとそれはぁ。私、基本ボランティアとか好きくないんですよねぇ。だるいしぃ、なんか疲れるしぃ。いまの気分はノレないっていう感じ?」

 ヒルダはかわいこぶって尻をフリフリ左右に振って拒絶した。

「それって、自分の存在全否定じゃないですか」

 イルゼが疲れきった表情でため息をつく。

「えーでも、私がシスターやってるのって、なんかこの修道服が気に入ってるだけで、特に作業奉仕とかはぁ、苦手なんですよ」

 ヒルダはおバカ丸出しの発言をして、コルドゥラの怒りをあおった。

「あ、バカ」

 蔵人が予想したとおり、コルドゥラがブチキレた。

 彼女は、蔵人を夜叉の生まれ変わりのような目で睨み牽制すると、高々と吠えた。

 走り回っていた子供がそれを直視して、火のついたように泣き出した。

「んんもおおおおっ。あったま、きた!! アンタにゃこれから籠城が終わるまで、不眠不休で作業させちゃるっ!! ほら、イルゼっ、そっちしっかりつかまえててっ!」

「ごめんなさい、ヒルダさん。でも、本当に人手が足りないのですよ」

 コルドゥラとイルゼはヒルダの左右に回って肩を決めると、ズルズルと強引に引っ張り出した。周囲の人々が、なにごとかと、この珍妙な捕獲劇に視線を注ぎ出す。レイシーは恥ずかしさのあまり、頬を真っ赤に染めてうつむいてしまった。

「えええっ! やだやだやだああっ、私っ、ここでクランドさんとレイシーとまったりしてたいっ! するのおおおっ!!」

「そんな道理が通るわけないでしょうがあっ!! 炊き出し、負傷兵の世話、緊急救護、ガキどもの世話、清掃、慰問、礼拝、それからそれからっ。ああ、もお! 教会には仕事が山ほどあんのよっ! こらっ、キリキリ歩きなっ! ほらっ!!」

「助けてぇええっ。クランドさあーん!! さーらーわーれーるぅううっ!!」

「頑張ってねー」

「はーくーじょうーものー」

 蔵人は、ハンカチをひらひらさせて送り出すと、レイシーの肩に手を置いた。

「我々は凶悪なヒルダという存在をとうとう倒した。だが、安心するな。世界はこの地に第二、第三のヒルダを蘇らせ……とりあえず、外行ってみっか」

「え、いいのかな」

 レイシーは蔵人のフリを無視した。かなりドライだ。

「いいんだよ。ちったあ、あいつにゃ奉仕というものを骨身に染みさせたほうがいい」

「クランドがいうかなぁ、それ」

 レイシーは素早くかぶりもので頭部を覆うと、先に立ってその場を逃げ出すように歩き出した。 

 蔵人は配給食受け取りカードをヴィクトワールに持たせているので、どちらにしてもレイシーたちといっしょに食料を受け取ることはできなかった。ダンジョンを出て、街をうろつくと、予想通りいくつかの飲食店は平時と変わらず営業を続けているものもあり、かなり料金は割高であったが不都合はなかった。

 レイシーとふたりで通りを散策する。あちこちに簡易的な砦はあり、兵士が屯しているにせよ、一日経ってある程度は市民たちも状況を掴んだのか、街は落ち着きを取り戻していた。

「あー、こうしてふたりでブラブラすんのも久しぶりじゃね」

「うん、そうだね。それでね、クランド。冒険者組合(ギルド)が冒険者を集めていくさに駆り出すって聞いたけど、それってクランドは関係ないよね。出ないよね」

「うーん。でも、実際いざってときには無視するわけにはいかんだろう。除名されちゃうかもね」

「やだよ、あたし」

「レイシー?」

「ねえ、行くのやめてよ。戦争なんだよ。クランド、死んじゃうかもしれないよう。やだよ、そんなの。やめてよ、ねえ? お城にはたくさん兵隊さんがいるんでしょう。そんなのエライ貴族たちに任せようよ、ね。ね」

「レイシー。もし、万が一城が落ちたりすれば、この街はどうなるかわからんぞ。特に、相手は異民族の亜人だ。それに、遊牧民族はおそらく、定住はしない。つまりは、ずっといるわけじゃないから、その土地の民に手心を加える必要がないんだ。いくさに負けた城はおそらく略奪陵辱の憂き目にあうし、そうなればお偉いさん方はそろって知らんぷりを決めこむだろう。俺は、レイシーをそんな目に合わせたくねぇ。だから、もしも最終的な呼集がかかったら、そのときは覚悟してくれよ」

「クランド……!」

 レイシーは火のように火照った頬を、蔵人の胸にこすりつけると、抱きついてきた。

 街中であろうと構わない。蔵人は、レイシーを木陰に引き寄せると唇を合わせた。

「んっ……んうっ」

 そのまましばらく熱いキスをかわしながら抱き合っていると、街路を走る人々の足音が大きく聞こえてきた。

「なんだァ?」

 眉をしかめて道を見やる。誰もが興奮しきった顔で、西の城門に向かって移動していた。

「おーい、早くしろ!! 間に合わなくなるぞっ!!」

「いましがた、蛮族どもの使者が西の城門から大通りに向かってるそうだ!!」

「こっちが勝ってるってのに、なんともふざけた話じゃねぇか」

「俺たちにゃ、名将バスチアンさまがついていなさるんだっ。いくらでもかかってこいってのよ!!」

「こいつはいっちょう拝んでやらにゃ、ロムレスっ子の名が廃るぜ!!」

 人々は口々に叫ぶと、土嚢を飛び越え、兵士を押し倒して奔流のように駆けていく。蔵人はレイシーを引き連れて、大通りを目指した。

「もうちょっと前に行こう。手ェ放すなよ」

「うんっ」

 どこにこれだけの人間が隠れていたのか、と思うほど多数の市民が大通りの並木道に集まっていた。

「おらおら、どいたどいたーっ!! ととっ」

 蔵人が人垣を掻き分けて最前列に躍り出ると、丁度目の前をステップエルフの使者の一隊が通りすぎるところだった。左右を、ロムレスの兵士が護衛に付き従っている。隊伍を組むその姿は、強い緊張に覆われていた。

 人々は、先頭をゆくひとりの年若いエルフの少女に目を奪われ、感嘆のため息をついた。

 少女は、エルフ独特の長耳をピンと左右に張り出し、威風堂々と騎乗していた。

 流れるような美しい銀色の髪(シルバーブロンド)をツインテールに結い上げている。

 瞳はパッチリと大きく、こちらも銀色に輝いていた。

 気の強そうな顔つきで、薄く艶やかな唇は固く引き結ばれていた。

 白を基調とした衣服をまとっている。

 動きやすさを主眼に置いているのか、上は胸あてのみである。

 白くなめらかな腹を丸出しにしていた。小さなヘソがチャーミングだった。

「あー、クランド。またえっちな顔してるっ」

「し、してないですよ。いたっ、つねんないでッ」

 白くなめらかな太ももはムッチリと肉づきがいい。

 驚くほど長い脚は、丈夫な白の編上げ靴を履き、ピカピカに磨き上げられていた。

 カレン・ロコロコ。

 草原の王、クライアッド・カンの三十八番目の娘である。

 彼女は、城側に降伏を勧めに来た使者の代表であった。今年で十五歳になる彼女は、父直々に今回の大役を振られ、よろこびに身を打ち震わせて臨んだのであった。

「ほーっ。なんか、ボーカロイドっぽいエルフだなぁ」

「なに、それ」

 蔵人はレイシーのツッコミを無視しながらさらに前へ出ようとすると、通りを警護していた兵士に槍を突きつけられた。

「これ以上近づくな!」

「なんだよー。つーか、罪のない一般市民にどうしてそのように凶悪なモンを普通に突きつけんの? ちぇっ。って、オイ! あれ見ろ!!」

「はああっ!?」

 蔵人が指差すと同時に兵士の顔色が一気に青ざめた。

 通りの反対側から、警護兵を突き飛ばしてふたりの男が疾走する。

 狙いはひとつしかない。

 肥馬にまたがった、使者のカレンに向かって真っ向から斬りかかっていく。

「がああっ!」

「やめっ、ぎゃあっ!!」

 男たちの剣の腕は中々のものだった。取り押さえようとする兵士を瞬く間に斬り捨てると、たちまちカレンの足元に駆け寄ったのだった。

「なによ! このニンゲン風情がっ。あたしに手を出すつもりなのっ!!」

「うるさい、獰猛極まりない虎狼の蛮族がっ。国士が斬り捨てて邪を打ち払ってやるぞっ!!」

(マズイな。降伏に関してはともかく、相手の使者を斬り捨てれば、今後は交渉もクソもねぇ!!)

 蔵人は呆気にとられて微動だにしない兵士を突き倒す。

 槍を取り上げ、振りかぶって投擲した。

 穂先が流星のように放物線を描いた。

 同時に、剣を鞘ごと抜き払うと地を蹴って駆けだした。

「クランド!!」

 レイシーの叫び声。蔵人は振り向く間もなく、槍が男の腰を貫くのを確認すると、もうひとりの男に向かって飛びかかった。

「きゃあっ」

 怯えた馬が棹立ちになる。蔵人はカレンが肥馬から振り落とされるのを片目で睨みながら、残ったひとりの後頭部に剣を鞘ごと叩きつけた。

 黒鉄造りの鞘は鉄棒同然である。

 男は、血反吐を吐きながらその場に崩れ落ちる。

「くっそ!!」

 蔵人は無理やり片足で急ブレーキをかけると、落下するエルフの姫を横っ飛びで受け止めた。

「あ、れ。痛くない?」

「へへ、セーフ」

 蔵人は抱きかかえたカレンに向かって不器用に微笑んでみせる。

 はじめは状況を理解出来ていなかったようだが、彼女は自分が初対面の男に無作法に抱きかかえられていると、顔を一気に紅潮させ、平手を見舞った。

「は、れ?」

 蔵人は思わず張られた頬を右手でさする。

 勢い、抱えられていたカレンは地面に落ちて、んきゃっ、と悲鳴を上げた。

「ぶ、無礼な!! あたしを、誰だと心得ているのっ。ニンゲン風情が気安く触れられるような女じゃないんだからねっ!!」

「な、なんだとぉ」

 蔵人がカレンに食ってかかろうとすると、背後からバラバラと無数の兵士が折り重なって組み付いてきた。さすがの蔵人もこれを支えることはできない。潰れた饅頭のようにみじめに地面へと這いつくばった。

「おまえか、この襲撃の首謀者はっ!!」

「んなっ、違っ! ぜんぜん違―うっ!」

「ちょ。ちょっと、ニンゲンども、アンタたちの目はフシアナなのっ!?」

「確保。犯人確保しました! 分隊長殿っ!」

「よし。これから司令部に連行しろっ」

「聞きなさいよっ、もおおっ!!」

「予定通り使者の皆様を議場へお連れしろ。野次馬どもは追い払えっ!!」

「おらー。散れっ、散れっ!!」

 指示を受けた兵士たちは、速やかに道に連なる見物人たちを排除にかかる。

「クランド! クランドっ!!」

 あとに残るのは、連行されるクランドに追いすがろうと叫びつづけるレイシーの悲鳴だけであった。






 日差しがおおよそ頭上に昇る頃、シルバーヴィラゴ防衛会議場ではステップエルフ側の使者を迎える支度を整え終えて、あとは到着を待つばかりとなっていた。

 議場では、常時使用している長机を仕舞いこみ、上下の区別がつきにくい円卓を運びこんでいる。

 昨晩から世を徹しての会議のすぐあとであった。論議好きのお歴々たちもさすがにこれほどの長時間の話は堪えるのか、誰もが席に座ったまま半ば夢の中でたゆたっていた。

 その中でも、ヴィクトリアと先日の会戦で功を上げたバスチアン将軍、それにオブザーバーとして背後に控えるアルテミシアだけは眠気を微塵も見せずに、平時の状態でときを待っていた。

「おそいわね。もう、とっくに到着していてもおかしくないのに。ラデク」

 いらただしげにヴィクトリアがつぶやくと、僧形の腹心は能面のような無表情さを保ちつつ答えた。

「はっ、それが少々トラブルがあったようで」

「隠さずに、お言い。どうせ老人たちは夢の中よ」

 城側の諸将は、文武の大臣を問わず寝息を残らず立てていた。無理もない。彼らの平均年齢は七十近い。先ほどヴィクトリアが気を使って床を取るように勧めたのだが、誰もが歯を剥いて拒否し、その結果が机の上で安らぐハメになっているのだった。

「それが、エルフたちの使者に襲いかかった暴漢がいたようで。すぐさま鎮圧されたようですが」

「それで! 使者にケガは!? どうなの!!」

 ヴィクトリアの頭の中から眠気が一瞬で取り払われる。背後に控えるアルテミシアの片眉がピクリと蠢いた。使者をこちらの不手際で傷つけてしまえば、格好の餌を与えることになる。城側の狙いとしては、降伏を受け入れるつもりもないが、さりとて表立ってやりあう気配を露にするつもりもなかった。ダラダラと出来るだけ話を引き伸ばせば伸ばすほどこちらには有利になるのだ。王都の援軍を待つにしても、足りない兵糧を領地からかき集めるにしても猶予はあればあるほどこちらの有利につながるのだ。

「いえ、さいわいにも随行員にケガ人は出なかったようで。せいぜい、エルフのお姫さまが、尻もちをついて手をすりむいたくらいで」

 ヴィクトリアは長いまつ毛を伏せると、控えめな胸に手を置き、ホッと息をつく。

「そのお姫さまって、例のお飾りの、クライアッド・カンの娘とか?」

「ええ、カレン・ロコロコ。大王の多数いる娘のひとりだとか。やはり、蛮族。交渉事には必ず血縁を混ぜてきますね。実質、我々が話し合いを行うのは、随行員の取りまとめをしているフレーザーという男です。彼は、あの大王の甥で勇将バルトシークの懐刀だということです。お気をつけを」

「ふん。わかってるわ……」

 ヴィクトリアがつまらなそうに鼻を鳴らすと、扉の向こうに大きな足音が多数迫ってきた。円卓の給仕をしていた、ポルディナが途端に身構えた。一方、ハナは椅子に座ったままかわいらしい寝息を立てていた。

 ポルディナは、冒険者蔵人の釈放と引き換えに臨時で雇っている。

 ヴィクトリアが見るところ彼女はなりの腕前である。

 タダ同然で借り受けたにしては、中々に使えそうな盾であった。

 ばん、と大きな音を立てて木製の扉が観音開きに左右へ動く。

 開いた間口には、勝気そうな目をした美しいエルフの少女が立っていた。

「カレン姫、そのような無作法は困ります。とても、交渉に臨まれる態度ではありませぬ」

「ああー。うるっさいわね。いいのよ、相手は所詮下等なニンゲンなんだからっ」

 この傍若無人な態度と、お付きの呼びかけから目の前の少女がエルフの姫君だと誰もが一瞬で理解した。鼻ちょうちんをふくらませていた文官が椅子からずり落ちる音を皮切りに、エルフの姫君の侍女らしい女エルフが強く蔑みの視線をぶつけてくる。こちらも、姫に劣らずかなりの美女である。身体にぴったりとした動きやすい草原の民独特の衣装を身にまとい、腰に短弓とショートソードを提げていた。

(ああああっ、だから老人たちは引っこめておきたかったですのにっ。かようなエルフ風情に侮りを受けるとは、バルテルミー一族の恥辱ですのっ)

 ヴィクトリアは内心歯噛みしながら、それでも礼を失しないように無理やり営業用の笑顔を取り繕って話しかけた。

「これはこれは。ステップエルフにして、偉大なる大王クライアッド・カンの息女、カレン・ロコロコさまとお見受けしました。私は、アンドリュー伯の第一女にして、城将オレール公の代理でヴィクトリア――」

「ああ、もお。そういうのいいから。ちゃちゃっと話をはじめましょう。苦手なのよね、ニンゲンのそういうくだらない前置き」

「――っ!! ええ、確かにくだらない前置きでしたわね。とんだご無礼を」

 カレンは会って数十秒足らずで、ヴィクトリアの抹殺リストの上位にノミネートされた。

「それで、開城はいつなの?」

 カレンは円卓の空いた席に足を乗せると、白く長い太ももを露わにして訊ねた。

 諸将たちは、目の前にチラつく若い女の足に視線を絡め取られていっせいに鼻の下を伸ばす。ヴィクトリアは、男どもの頬を片っ端から張り倒したい気持ちを抑えながら、言葉の意味を聞き返した。

「その、私の聞き間違いかもしれませんですので、もう一度、言葉の意味を……」

「えー。もお、あんた鈍いわね。この城をいつ開くかってそれを聞いてるのよ。バカじゃないのお、もう。ホンット使えないわね、クズ」

 クズ、の部分で頭の血管がまとめて断線した。テーブルシーツ下の膝の上で、ハンカチを絞りながら、かろうじて飛びかかるのを我慢する。背後から、レオパルドの、姫落ち着いて、という言葉に余計に怒りをあおられた。

「ほ、ほほほ。カレンさま、少しお話の飛躍が過ぎましてよ。まだ、私たちは降伏すると決めたわけではありませんので」

「えーっ。それじゃあ、時間の無駄じゃないの! わざわざあたしが足を運んだっていうのにー。はぁっ。使えないわねぇ。じゃあ、とにかく話をまとめておいてね。あとは、フレーザー。あんたに任せたから」

 カレンは、自分の長耳の後ろでパンパンと手を叩いた。扉の向こう側から、折り目正しい民族衣装をキッチリ着こなした堅物そうな男が近づいてくる。この男が、あの勇将バルトシークの知恵袋で若き参謀で知られるフレーザーという男だろう。

 だが、そんなことはどうでもいい。頭の中が怒りはちきれそうだった。

「あー、あと。そこのあんた。あたしを助けたニンゲンの男。なーんか、間違って捕まえてるみたいだから、ちゃんと放してあげなさいね。それと、その間抜けなニンゲンの男。ちょっと聞きたいことがあるから、あたしの部屋に来させて! そんじゃねっ」

 カレンは鼻歌を歌いながら、去り際に「ちゃっちゃとしなさいよ、グズ」といい捨てていった。

 ヴィクトリアはカレンが部屋を出て行くと同時に、円卓を拳でおもいきり殴りつけた。

 フレーザーの細い瞳が驚きで見開かれる。

「ふっざけんな! 小娘がっ!!」

 ヴィクトリアはとりあえず、変わったばかりの交渉相手の気勢を削ぐことに成功したのだった。







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[一言] 向こうの反応を見るにこの女は部族内で軽んじられているというか浮いてるんだろうけど、交渉に来た人間の態度では無いですね その辺も折り込み済みというか失礼な事して手を出させて「降伏勧告の為に使者…
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