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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第3章「ステップエルフ戦役」
94/302

Lv94「避難所」





 

 夢見心地、とはいまの状態をいうのであろう。

 メリアンデールは、男の腕に引かれるまま宿を立つと、天上の雲を往く気分で夜の道を歩き続けた。

(うれしいな、うれしいな。これで、クランドとずっといっしょに居られる)

「なんだよ、さっきからニヤニヤして」

「うふふ、なんでもなーい」

 メリアンデールは、蔵人が片眉を上げるのを見るだけでわけもなく気持ちが弾むのを抑えられなかった。

 わけても、自分の処女を捧げた、いとしい男である。

 ここ半月あまりの憂さがいっせいに晴れた気分だった。

 無意味に抱きつくと、蔵人はバランスを崩して、あわわと叫び、困ったように唇を前に突き出している。

「なになに? キス、かな」

「違うって。さっきもいっただろ。日も落ちたし、辺りはどんなやつがいるかわからねぇ。兵隊だって殺気立ってるし、妙な動きをするなよな、もお」

「はーい。心得ました」

 メリアンデールはおどけて帽子のふちに手刀を当てて敬礼を行った。そういえば、宿を出るときに、避難場所がどうだ、ダンジョンがどうだ、といっていたような気がする。

(あんまりふざけてるとクランドも気を悪くするよね。気をつけなくちゃ、だね)

「それで、私たちどこに向かってるんでしたっけ。えへへ」

「はぁ。おまえってこんなに、人の話聞かないやつだったっけ? 冒険者組合(ギルド)だよ。ダンジョンの奥に、たくさんの避難民を受け入れる空洞があって、ギルマスがそこを開放したんだって。ほとんどの市民がそこに集まってる。俺たちもそこに行くんだよ」

「ほへー」

 愛する男と袂を分かって、世を儚んでいた頃は、己の命などはどうでもよく思えたのだが、こうして想いが成就されてみると、途端に強い欲が湧き出してくるものである。

 恋しい人ともっと長くいたい。楽しい時間をともに過ごしたい。

 そして、できうるならば、人並みに子をもうけ、愛し育てたい。

 子宮に注がれた熱いほとばしりが全身を満たしていた。

「ねえ、クランド。街を囲んでる亜人たちって、そのたくさんいるの?」

「んん? まあ、気にすんなよ。でーじょぶだって、ここはあんな分厚い壁で囲まれてるんだし。それに、王都からは確実に援軍が来る。確実にな……」

 蔵人の妙な自信には以前、ルッジから聞かされた話に基づいていた。

 このシルバーヴィラゴから上がる税収は、アンドリュー州全域の七十パーセントを超えるもので、ここが落とされるという事実は、戦略的にも経済的にも王室に多大な損害を与えることは目に見えていた。

「王族や大貴族ってのは、ある意味メンツを自分の命より大事にする。よほどのことがなければ、落ちやしねえよ」

「うん、クランドがそういうなら、そうなんだろうね。きっと!」

「あのなぁ、いっててなんだが、もうちょっと疑ってもいいんですよ、メリーさん」

 メリアンデールは、自分でも驚くほどに激しく左右に首を振ると、否定の意思を見せた。

「私、クランドのこと、信じてますから」

「お、おう」

 真っ直ぐに男の瞳を直視する。通りのかがり火に映し出された、浅黒い顔がわずかに朱に染まったように見えた。

 ときどきではあるが、蔵人は賛辞や信頼の言葉に対し、純真な少年のように恥じらいを見せることがあった。黒い髪に黒い瞳は、赤い炎に照らし出されなにやら神秘的だった。

(かわいいなぁ、もおっ)

 胸の奥がきゅっと締めつけられる。

 もしも、もう一度目の前の男との別離が来たとしたら、自分は生きていけないだろう。

「ねえ、そういえばさきほどは、どちらに連絡をしていたのですか」

「ああ、ちょっと家にな」

 宿を出てすぐに蔵人は辻馬車を拾って伝言を頼んでいた。それが、メリアンデールには少し気になったのだ。

(クランドは独り身だし、家で使っている者になにか伝えることがあったのですね。ダメだなぁ、こんなに根掘り葉掘り聞いてたら嫌われちゃうかも。男の人、そういう束縛されるの嫌がるって、ルイーゼさんがいってたし。がまん、がまん)

「ふふっ。クランドの家ですか。これから、私も住むんですよねー。あ! じゃあ、いま住んでる場所は、もういらないですね。お家賃も二重にかかってしまいますしー」

 メリアンデールは、ぽわぽわした頭の中で、ひたすらにふたりのこれから暮らす新居を夢想し、甘い妄想に浸りきっていた。

「……おい、ちゃんと歩けよ」

 甘美な空想が終焉を告げたのは、冒険者組合(ギルド)に到着して現実を目の当たりにしたからだった。バリケードで封鎖された入口から、三時間ほど移動すると、迷宮への入口に近づいていく。いつもは閉鎖されている区画の扉を開けると、土でくり抜いただけのいかにも突貫作業で急造したとわかる階段が続いていた。

「わあ……」

「おお、こりゃ考えたな」

 下りきった場所は、途方もなく広大な大空洞があった。雨も降らず、風も吹かない。天候に一切左右されない地下というのは、絶好の避難場所である。

「こりゃ、無限に収容できるんじゃないのか」

 災害時の体育館よろしく、地べたには特殊なシートが引かれ、冷気を軽減する処置がしてあった。市民たちは、そのシートの上に持ってきた毛布を引き、家具を並べて露天さながらの、自室を再現していた。もっとも、パーテーションはない。はるか天井に設置されたマジックカンテラの光量では昼間のような視界は得られなかったが、それぞれがロウソクなどを利用して足りない部分を補っている。

 蔵人が、受付で手続きをしている間、メリアンデールは興味深げに辺りをきょときょと、と見回していた。すでに、大方の市民がこちらの方に移っているらしい。ざわめきは、それほど大きくなく、疲れきった人々はかなりの数が寝入っていた。

「えーと、ウチのモンが先に来てると思うんだけど」

「お待ちください。……はい、組合員のクランド・シモンさんですね。この紙に記載された場所が与えられるスペースになります。人員は、先に到着された方と合わせて、四名。えと、こちらの女性は」

「え? あ、えと、その」

 メリアンデールが恥ずかしがって泡を食っていると、蔵人がさらりと答えた。

「ああ、妻だ」

「はい。奥さまでいらっしゃいますね。消灯は、毎日夜の十時、点灯は朝の七時となっております。消灯後はなるべく私語を控え、周りの方々の迷惑にならないようにしてください。水と配給食は、朝昼晩の三度となります。定刻に遅れた場合はさかのぼってお渡しすることはできませんので、あらかじめご了承ください。受け取りどきは、かならずこちらのカードをお見せください。なお、当組合員には特別に毎日卵が三個ほどつきます。外から持ちこんだ飲食物の調理は基本はオーケーですが、常に周りに配慮してください。調理の際は、必ず指定された調理場で行ってください。なお、調理場及び水場は数が限られておりますので、皆さんで譲り合って使用してください。トイレは、迷宮内を流れる河川を利用しています。河に落ないよう気をつけてください。すべて自己責任です。籠城はどの程度続くかわかりませんので、辛抱強くアンドリュー伯の勝利を願っていてください。他に質問があれば、なにか?」

「つま、妻。私が……?」

「えーと、奥さまの様子が」

「あ、気にしなくていいから。にしても、あいつら先に来てたのか。ものっそい速度だな」

 メリアンデールが気づくと、係員の説明は終了していた。

「……は!? あ、あのお! クランド、私が妻っていうのはっ!」

「ああ。基本、家族以外は同じ場所で寝泊りできねーんだわ。おまえ、ほかに知りあいとかいねーだろ。あ、ルイーゼがいたか」

「いえ。ルイーゼさんは避難しないそうです。別に、誰が来ようがどうでもいいって」

「あー、あの姉ちゃんならいいそうだわ。無理に引っ張ってくるわけにもいかねーしな」

 とはいいつつも、あとで様子くらいは見に行ってやろうと考える蔵人であった。

「その、クランドのおうちで使われてる人たちって、その男の人ですかね。私、クランドがいないときうまくやれるかどうかが、心配なのです」

「ああ。全員女だからだいじょーぶ」

「え」

「年頃も、そうだな。みんなメリーと同じくらいだから、仲良くやれるさ!」

「はっ!? はああっ! ちょっと、ちょっと待ってください。それって」

「見えてきたあすこだ! おーい、みんなー来たよー!!」

 メリアンデールは当惑しながら、蔵人の手を振る先に視線を置いた。

 はるか彼方の区画にいたメイドらしき人物は、飛び上がるやいなやいきなり駆け出してきた。豆粒のような大きさの影がみるみるうちに近づいてくる。気持ち悪くなるくらいの猛スピードだった。

「はやっ!?」

「ご主人さまっ!!」

 メイドは蔵人の胸の中へと飛びこむと、甘え切った声を出して顔をこすりつけていた。

「おおっとお!! はえーな、ポルっ」

「ご主人さまあ!!」

「あ゛!?」

 メリアンデールは、いましがた手を繋いでいた男に飛びついてきたのが、自分と同じくらいの歳の亜人の少女だと理解すると、くぐもった声を出さずにはいられなかった。

(若いし、それに、すっごい美人さんっ!? どういうことなのっ!!)

「ねえ、ちょっとクランド。こちらの方、どなたか紹介してくれませんこと」

「ああっ、こいつはポルディナ。ウチの奴隷でメイドだ」

「おはつにお目にかかります。私、ご主人さまの奴隷でポルディナと申します」

(この娘っ。なんて目つきしてるのっ!)

 ポルディナの瞳。作り物のように冷ややかだった。

 亜人の少女、ポルディナは先ほど蔵人に甘えかかった様子とは一転して、人はここまで冷淡になれるのかと思うようなゾッとした声音で話しかけてくる。

 整った目鼻立ち。

 品のいい栗色の髪。

 エプロンの上からわかるツンと突き出た豊満な乳房。

 間違いない。

 この子、私の敵認定。

「もう夜だぞ。まったく、ご近所の迷惑も考えずに騒ぎまくりおって」

 メリアンデールが、目前のポルディナと静かに死闘を開始しようとすると、もそもそと毛布の中から這い出てきた影があった。

(うっ、このふたりもすごい美人さんだぁ)

 長身の美女は優雅ささえ漂う綺麗な金髪を腰まで伸ばしている。目元の泣きボクロが異様にセクシーだった。小柄な少女もこれはこれで、整った愛くるしい目鼻立ちをしていた。

「とかなんとかいいながらー。お嬢さまったら、勇者さまが来るのを、……遅いなアイツ、とかいって恋しそうに待ち望んでいたじゃありませんかー。あは」

「ば、バカハナ! 勝手に捏造するな、このバカ!!」

「バカバカいうほうがおばかさんなんですよー、ぶうぶう。お嬢さまー。ほらほら、ご近所さまが怖い顔でにらみつけてますよー」

「ああっ、申し訳ない。ついついコイツがはしゃいでしまって。年若くしつけがなってなくて、あとでよくいって聞かせますので、なにとぞっ」

「あはー。なにげに、またハナにぜーんぶひっかぶせちゃってぇ。そういうお茶目なトコも大好きですう」

「ば、バカ。しーっ! しーっ!」

「えと、クランド。この方たちは」

「メイドだ」

「あはー、メイド二号ですっ」

「私はメイドじゃないからなっ」

 じゃあ、なんだというのだろうか。

 メリアンデールはわけもなく、ムッときた。

「いうのは、まあ、どうでもよくて。金色のが、ヴィクトワール。ちっこいのがハナだ」

 ハナと呼ばれた少女は、初見のメリアンデールに対して愛想よく振舞っていたが、ヴィクトワールという女の方はものすごくツンケンした態度を取っていた。その上、自分の顔をあからさまに覗き込むと、しきりに首をひねって眉間にシワを寄せていた。メリアンデールの知識では、実家の下女の中には主に対してここまで無礼に振舞うものはいなかったので、激しい違和感を拭えなかった。

「仲良くしてやってね、メリー」

「はあ」

 メリアンデールが困惑しながらも再びポルディナの方へと向き直る。

 同時に、いつの間に近づいていたのか、ランタンを手に提げた甲冑姿の騎士がすぐ側に立っていた。

「クランド……! ダメではないか。約束の刻限を守らねば」

「あ、ワリーワリー。こっちもいろいろと忙しくてよ」

 長身の騎士の発した声音ではじめてその人物が女性だとわかった。

 なにしろ背丈が蔵人と向かい合ってほぼ同じくらいなのだ。

 腰には気品あふれる白金造りの鞘の長剣を佩いていた。

「むうっ」

 自然、女に対する警戒でメリアンデールの口がへの字になった。

 彼女は、ダメだ、とたしなめているわりには、その声には妙な甘みがあった。

 女騎士は目庇を持ち上げるとキラキラした瞳で蔵人を見つめている。

(ちょっと。これ、なんなんですかっ。次から次へとっ!!)

 メリアンデールは、胸の中が激しくざわつくのを抑えられない。

 問い詰めようと、前に出る。

 声を発するより先に、ポルディナがいい雰囲気の蔵人と女騎士の間に割って入った。

「なんのつもりだっ!」

「声を落としてください。ここは、野中の一軒家ではありませんよ」

「……うっ」

「まあ、アルテミシアをそんなにいじめんなよ」

 蔵人がいうと、さっとポルディナは引き下がった。よほど悔しいのか、アルテミシアという騎士は小刻みに肩を震わせていた。

「承知しました」

 ポルディナはその場に躊躇なく跪くと、蔵人の足元から腰、胸から首元までのチリを軽く濡らしたハンカチで拭った。

 それから、母親が幼児の靴を脱がせるように、ブーツの紐を一本一本解いて、足を清めはじめた。

「……用件をどうぞ」

「おまえにいわれなくてもそうする」

 アルテミシアは激しく舌打ちをしてから蔵人の背中に向かって言葉を続けた。

「クランド。いろいろと聞きたいことがあるが、いまは非常時だ。無念だが、預けおくぞ。もっとも、いずれケリはきっちりつけさせてもらうつもりだがな。ははは」

「ほほほ」

 女騎士の笑いを虚ろな笑みで応じるメイド。メリアンデールが、事態の推移についていけそうになくなり、軽い目眩を感じていると、背後から年若い少女の声が聞こえた。

「あのー、とりあえず座りませんか。狭いとところですが」

「あ、はい。その、失礼します」

 メリアンデールはメイドのハナにうながされて、切り分けられた区画のシートに踏み入った。

「あ、やわらかい」

「でしょう。けっこう、値の張る絨毯引かせてもらっちゃいました。勇者さま、ええ、クランドさまですねー、彼はお金の払いがサッパリしてて、すごく男らしいんですよー。ハナ的には加点つけちゃいますレベルです」

「はあ」

 メリアンデールがハナのまるで関係ない話に目を白黒させていると、アルテミシアと蔵人の話が一応ついたらしいというのがわかった。

(あ、私、話ぜんぜん聞いてなかったよう)

「あー。あれですね。アルテミシアさんは冒険者組合(ギルド)では結構有望株で、ギルマスのヴィクトリアさまのお気に入りなんですよー。ということで、これから夜を徹しての防衛会議に出席するので、それを懇意にしてる勇者さまにお伝えに来たみたいですね。じゃ、ハナはこのへんで失礼しますが、あとはお頼み申しますねー」

「え? あ、はい」

「お嬢さま、ハナはこれで行きますが、あとはよろしくお願いしますね」

「うむ、しっかりやってこい。ってなにをだぁあっ!! なぜ、私がここに残ってこいつの世話をせねばならんのだっ!!」

「ええ。だって、姫さまはお嬢さまのこと呼んでないみたいで」

「うそ、ねえ、うそだろう、それ」

「あはー、残念ながら事実のもよう」

 メリアンデールがまったく話を理解できないうちに、アルテミシアとポルディナ、それになぜかメイドのハナは暗がりに消えていった。避難区画に残されたのはこれで、蔵人とメリアンデール、それにヴィクトワールというメイドの三人になった。

「クランド、このメイドさんどうして落ちこんでいるの?」

「気にするな。会議に出席してお茶でも出したかったんじゃないの」

「……そんなわけあるかぁ。ばかぁ」

「ほっとけ」

「はい。じゃなくて! あ、すいません。声絞りますね。あのっ、あのっ、亜人メイドさんとはどういう関係なんでしょうか」

「ああ、俺の奴隷だよ。なにか」

 メリアンデールの中で、このとき激しく狡猾な計算が行われた。貴族の家中でも、美しい(はしため)に手を出す男はいくらでもいた。

(現に、おとうさまもそういうことはなされていたし……)

 相手が、下女。であるなあらば、まずもって自分の座は動かないだろう。

 それに、亜人が孕んだとしても、その子が家を継ぐことはなかった。正妻の座は揺るがない。呑むべきである。蔵人があのメイドに手を出しているという事実を。

 メリアンデールが女として相手にするのは貴族階級のみ。その点、あのアルテミシアという女騎士は、挙措動作からかなり貴い家系の女だと推測された。

「わかりました。では、あのアルテミシアという女性は、なんなんですか」

「うん。あの女か? 酔狂にもこの男に惚れているおかしな女だ。それくらい見てわからないのか」

「――っ!?」

 メリアンデールは一瞬で全身の血の気が引いた。

 おそらくそうだろう、たぶんそうだろうと半ば外れることを祈りながら思考の外にどけておいた事柄が、目の前に突きつけられたのである。

 全身が冷たくなったかと思うと、こんどは喚き散らしたい衝動が突き上げてくる。良家の子女として生まれ育ったメリアンデールは、ここまで人目のある場所で泣き叫ぶことはできなかった。彼女に残されたのは、自ら声を押し殺して、叫びを封ずることだけだった。

「おいっ、どうしたっ!! どうした、メリー!!」

「ばかっ、そんな大きな声を。どうしたのだっ」

「――なんでもっ、なんでもないですからっ……うっ」

 メリアンデールは顔を伏せてその場にうずくまった。

 それから、途方もない恐怖感がこみ上げてくる。

(私、また捨てられるのっ!? やだよっ、そんなの怖いよっ。ひとりぼっちなんて、そんなっ。そんなっ)

 両肩をつかまれメリーが顔を上げる。そこには、心配しきった蔵人とヴィクトワールの困りきった顔があった。

「クランドぉ……私、バチがあたっちゃったのかなぁ……」

「おい、なんの話だ」

「あの、アルテミシアって方と……いっしょになるんだよねぇ……へへ、ごめんなさい。……私、勘違いしてたね……ごめん、ごめんなさい……もう、帰る、帰るから……」

「だからわからないって、なんの話だ」

「だってぇ……クランドは、あの人といっしょになるんでしょう……えへへ……そしたら、私、邪魔になっちゃう……私、大好きなクランドの、重荷になりたくないよぉ……」

「馬鹿なこというな!! もしかして、おまえ俺から逃げられると思ってるのか?」

「そうだっ、それは大間違いだぞっ。おまえ、メリーとかいったか? この男はしつこいからなっ。おまえが逃げても、地の果てまで追っていくような男だからな。だから、えーとえーと、泣きやめっ。すまぬ、おまえがなにを思っているか、私にはうまく理解できないが。ともかく、こいつはそう簡単にモノにした女を手放すようなやつではないぞっ!!」

 慌てたヴィクトワールがなぜかいっしょになってフォローに入る。基本的には気のいい女なのだ。

「じゃ、じゃあ。……クランド、私のこと捨てたりしないのかな……」

「絶対に捨てたりしないっ!! おまえは、俺の家族じゃねえかっ!!」

「ああ。そうだ、そうだぞ。私も、おまえの姉のようなものだ! なんでも、相談するんだ、このヴィクトワールにっ」

「ほらっ、気つけ薬だ」

 蔵人は手にした小瓶の中身を抱きかかえたメリアンデールに飲ませた。

 次第に薬が効きはじめたのか、メリアンデールの意識は次第にぼやけて薄れていく。

「ヴィクトワール姉さま。えへへ、姉さまだ……私に、家族が……ねえ、クランド。本当に私、いっしょにいていいのかな……?」

「ああ。だって、俺。メリーのこと大好きだからなっ。俺と死ぬまでいっしょにいろ!!」

 メリアンデールは泣き笑いの表情を作ったまま、次第に意識を混迷の淵へと落とし込んでいった。






「ふうっ、ようやくおとなしくなったな」

 蔵人は額の汗をぐいと拭うと、大人しくなったメリアンデールを毛布の上に横たえた。

「おい、クランド。おまえ一服盛っただろう」

 蔵人は無言のままヴィクトワールを見つめると、なんの脈絡もなく彼女の豊満な乳房に手を伸ばす。寸前で、手のひらをぺちんと叩かれた。

「おいっ! いま、私になにをしようとした!! 無視するなっ、答えろっ!!」

「気にするな。これは、緊急手段だ。さ、寝るべ」

「おまえは……!!」

 蔵人は毛布を引き出すとメリアンデールを真ん中にして左端に陣取った。

「おや?」

 ハナが持ちこんだ毛布は長大である。なにかにつっかえたと思い、毛布の中を覗きこむと、そこには眼鏡を外してくうくうと寝息を立てているルッジの姿があった。

 蔵人はルッジを毛布の中にもう一度押しこむと、なにもかも見なかったことにした。

「クランド。おまえは、あれで解決したつもりではなかろうな。問題を先送りにしただけだぞ。片っ端から女に手をつけて。おまえは、不潔だ」

「そんなことないよー。少なくとも、俺はおまえよりはるかに風呂に入っているわ」

 蔵人は日本人の習慣として、よほどのことがない限り毎日風呂に入っていたが、この世界では肩まで浸かる入浴は一般的ではなく、二、三日に一回入ればいいほうだった。

「そのようなことをいっているわけでは!」

「だーかーら、とりあえず少し寝る。そうすれば、またなにかが動き出してるかもしれんぞ」

「なにをわけのわからんことを。だいたいっ、私はおまえと同衾などしないっ。私が褥をともにする相手は、将来の旦那さまと決めておるのだ」

「あははは。じゃあ、俺が面倒見てやるから、ホラホラ寝るべーよ」

「まったく懲りていないな」

「あたりまえだ。いい女の膣に射精して、ひとりでも多く孕ませるのが俺に課せられた天命だからな」

 ヴィクトワールは排水口に溜まった沈殿物を見るような目をした。

 蔵人もさすがにこれはちょっと傷ついた。

「種馬のような人生だな。それでいいのか?」

「いいに決まってるぞ、ボケ。みんなもっと自分に正直に生きたほうが楽しいぞ」

「だからなにげに私の胸を触ろうとするなっ。おまえは乳ばなれ出来ない幼児かっ。世界が皆おまえのような男ばかりなら、きっと秩序という二文字は現存していないだろうな」

「といいつつ、肌を火照らせながら、未来の旦那さまの肉棒を待ち望むヴィクトワールであった」

「またくだらんことばかり。とりあえず、私も寝るが、もし変な真似をしたらもぐからな」

「もぎたてフルーツバナナ」

「死ね」

 なんだかんだいってその晩は、ヴィクトワールもおとなしく寝た。

 ひとつの毛布に四人くるまって眠る。

 右端から、ヴィクトワール、メリアンデール、蔵人、そしていつの間にか区画に侵入していたルッジである。眠りにつく直前、同じ場所にいるはずのレイシーとヒルダがいることを思い出したが、迷っているうちに軽く意識を失ってしまった。






 深更、尿意を覚えて一度起きたが、再び毛布に戻る際、むせ返るような女の匂いと熱に股間が激しく反応してしまった。

(やべぇ、寝れねぇよう。まいったな)

 さすがに現在の状態でメリアンデールを揺り起こし、相手をさせるわけにはいかなかった。その程度の自制心は持ち合わせていたのだ。悶々としながら、のたうちまわり、ついには熟睡するのを諦めた。

 早朝、気持ちの昂ぶりを抑えようとダンジョンを出る。街のあちこちをウロウロしているうちに、話題の敵影をいちども見ていないことに気づいた。

 日の出直前、蔵人はギンギンとした目を光らせ城壁に佇立していた。

「……寝れねぇ。フッ、朝日がまぶしいぜ」

 蔵人は石原裕次郎のように渋くポージングを決めると、眼下の敵陣に視線を送っていた。

 世界は徐々に白んでその形を浮き彫りにしていく。

 数を減じたといえど、三十万を超える大軍勢は途方もない威圧感を備えていた。

「おい、おまえどこから登ってきたんだ。さっさと降りろ!」

「なんだよ、気分が壊れるな」

 絶賛攻城戦中である。壁上に兵が配置されていないわけがなかった。徹夜明けで過酷な緊張をしいられている兵士たちに余裕はない。誰もが、消えかけたかがり火の前で、目を真っ赤に充血させて低くうなっている。いまだ、お祭り気分で外を眺めている蔵人に業を煮やしたのか、槍の先でつついてきた。

「いたっ。ちょっと、やめて。チクチクするから」

 兵士たちは、カッペが! と激しく毒づきながら、辺りに痰を吐き散らかしている。

 軍務は過剰なストレスを生産する身体にやさしくない仕事である。

 空気の読めない蔵人が悪かった。

「ちょっと眠気覚ましに朝の空気を楽しんでいたのに。ひどいやつらだ。ん?」

 蔵人が大きく伸びをしていると、かすかな馬蹄の響きが聞こえてきた。再び城壁の下に視線を落とすと、そこには一体の騎兵が弓の弦を引き絞りこちらに狙いを定めていた。

「げっ! こっち狙ってやがる!!」

「なんだなんだっ」

「どうしたどうした!!」

 蔵人が叫ぶと、動きのない監視に飽きた兵士たちがわらわらと集まってきた。城門の下まで近づいたステップエルフの兵は、すかさず、ひょうと矢を放つ。

「だああっ!! 射って来た!!」

「バカ、よけろよけろ!!」

「俺を盾にするんじゃねえっ、俺はおまえらの隊長だぞっ!!」

「おがあちゃーん!!」

「ほっ!!」

 蔵人が軽やかな動きで飛来する矢をつかみ取ると、周囲の兵士から感嘆の声と拍手の波が沸き起こった。矢をよく見れば、先端に手紙が巻きつけてある。矢文であった。

「貸せっ!!」

 蔵人が鼻くそをほじくっていると、隊長格の兵士がそれを奪い取りその場で読み出した。

「んで、なんて書いてあったん?」

「これは、降伏を促す書状だ……」

 塁壁を揺るがす驚嘆の声があちこちで上がった。

 かくして、シルバーヴィラゴ攻城戦は新たな局面を迎えたのだった。






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