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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第3章「ステップエルフ戦役」
92/302

Lv92「五英傑」

 

 果敢豪勇で知られる白十字騎士団(サンクトゥス・ナイツ)の騎士アルテミシアも、さすがに目の前の出来事を理解するのにいささかの時間を要した。

 想像して欲しい。

 ツテを頼ってなんとか愛する恋人に再会しようと苦慮したその先に、上半身を露わにした女が奇妙な行動を取っていたとしたら。

 アルテミシア、ネリー、ルッジの三人が呆然としてその場に佇立していると、ひとりだけ全裸になっている女がそそくさと服を着はじめた。

 見たところ、喉元に装着しているのはかなりわかりにくいが奴隷の証である首輪である。

 着用する服から、彼女はおそらく蔵人の家で使っているメイドであろう。主が年若く美しいメイドに手を出すなどよくある話である。

(ここで、取り乱すのは私の器量を疑われる。下女にまで嫉妬していたらキリがない。心を、落ち着けるのだ)

 アルテミシアは、いつもの冷静さを取り戻すと、なにごともなかったように取り繕って面会室の中央へと進んでいく。

 途中、長い金髪の見目麗しいメイドと視線が合った。右の目元に小さな泣きボクロがあり、涙に濡れた緑色の瞳はねっとりとした憂いを帯びていた。

 女性のアルテミシアが見ても、総毛立つような色気を感じる。本能的に、恐怖感を感じて無意識のうちに歯噛みをしていた。釣鐘型の豊満な乳房を両手で隠している。胸の谷間は羞恥でうっすらと桜色に火照っている。女の顔面をかきむしってやりたい衝動に駆られながら、努めて気にしない素振りをした。

「なんなのですか。あなたたちは」

「……っ!? それを、いうかっ」

 対面台のガラスに乳房を押しつけていた亜人の少女がいぶかしげにいい放った。

 なんの感情も感じられない平坦な声だ。

「それは、こっちのいう言葉ですよ。私たちは、とりあえずあなたの主人とお話がしたいの。とりあえず、外に出ていてもらえないかしら」

 ネリーが亜人の少女に向かってたしなめるように声をかける。彼女も、クランドに対し問い質したいことが山のようにあるが、我慢して取り繕っているのがありありと見えた。

「いやです」

「んなっ!?」

 亜人の少女は拒否の言葉を口にすると、再び蔵人の座っている方へと顔を向けて、ネリーのことは一顧だにしなかった。メイド風情にここまで無視されるとは思っていなかったのであろう。ネリーは、口をぽかんと開けたままその場に凍りついていた。隣で見ていたルッジがさもおかしそうにくっ、と笑いをこらえているのが視界に入る。

「なっ……んなっ……!」

 アルテミシアは屈辱に打ち震えるネリーの真っ赤な顔を見ながら、しばし溜飲を下げ、それから思い出したかのように自分の頬を指先で撫でた。

(こんなことで悦に入っている場合じゃない。早く、クランドと話をしなければ)

「そこのメイドよ。私は君の主と話をしたいのだ。悪いが、少し席を外してもらえないだろうか」

 アルテミシアは生まれつき温厚な性格であり、また好んで人との争いを避ける傾向があった。譲れるものは片っ端から人に譲って、たとえ自分が損をしようとも他人のよろこぶ顔が見れば、充分満足感に浸れる特異な性格である。持って生まれた調整気質だ。人よりもはるかに強い奉仕の精神を持っているし、感受性は豊かでちょっとしたことでも涙ぐむような心根を持っていた。

 だが、ことにここに至っては違った。

 蔵人、という男に関しては誰にも譲ることができないのである。

 彼は、アルテミシアが生まれてはじめて愛した男であり、最初で最後の男である。

 彼と自分の間を裂くものは徹底的に排除する。アルテミシアが眉間にしわを寄せて亜人の少女を睨むと、彼女は対面台から飛び降り、胸をそらして近づいてきた。見事なほど豊満な乳房である。アルテミシアは胸の大きさに関しては誰にも負けない自信があったが、目の前の少女の張り切った乳房を見ると強い対抗心が湧き上がってくるのを感じた。

「なあ、席を外してくれないか」

「お断りします」

 脳の血管が一気に何本か寸断されたような気がした。

 アルテミシアは拳を水平に振るって対面台のガラスに叩きつけた。

 硬質な音が鳴ったかと思うと、魔術かかって強度が増しているガラスへと無数の亀裂が走った。ぱきん、と金属的な音が響き、術式がほどけていく。

 ひっ、と蔵人の声が聞こえた気がした。

「ご主人さま。いま、このわけのわからない連中を排除してから続きを行います。しばし、ご猶予を」

「ポ、ポルディナちゃん。なにをするつもりなのかな」

「ご心配なさらず」

 ポルディナはにっこりと蔵人のみに微笑んで見せると、再び氷のような表情でアルテミシアたちに向き直った。

「外してくれ」

「い、や、で、す」

 ポルディナも負けじと拳を振るってガラスに叩きつける。衝撃は部屋全体を揺らして、今度こそすべての部分が激しく四散した。ガラスは、まるでみぞれのように辺りに降り注ぐが両者は一向に動じない。

 ポルディナのしっぽは、警戒のためかぴーんと天を突き毛という毛が逆だっている。ふっふっ、と荒い鼻息の音が耳朶を打った。

 両者がにらみあいながら、徐々に間合いを詰めていく。その間隙を縫って、後方から怒声が割りこんできた。ガラスの割る轟音を聞きつけ、看守たちが駆けつけたのである。

「おまえらああっ!! なにをやってやがるううっ!!」

「ひっ! ガラスが。いったいどうやって」

「中止だ、面会は中止!! おまえたち、速やかに退出しろ! さあ、とっととするんだ」

「いったいなにをこの部屋でしていたんだ」

 看守たちの言葉を無視して、ふたりは会話を続けている。命令することに慣れてはいても、無視されることには我慢ならないベース版のような四角い顔をした看守が、額に青筋を浮かべて地団駄を踏んだ。

「ご主人さまの所望で、乳房をお見せしていたのです」

「む、胸をか。な、なぜ」

「私のこの身は髪の毛一本から血の一滴まで、すべて余すことなくご主人さまのものです。脱げと申されれば、脱ぎますし、その場に這えといわれれば死ぬまで這い続けます。それが、奴隷としての道なのです」

「そうか。うむ、おまえにもそれなりの信念に基づき行なっているのだな」

「ふざけるなあああっ!! おまえらああっ、ここをどこだと思っていやがるんだっ!!

 泣く子も黙るシルバーヴィラゴ中央監獄だぞおおっ!!」

 ベース版がポルディナの腕に触れる。

「私に触れるな。下郎が」

「あわびぇ!?」

 ポルディナはベース版の顔面へと疾風の速さで拳を突き入れた。ベース版は後方の看守たちを残らず巻きこむと、壁にぶち当たって血反吐をゴボゴボと吐き出した。

「あはー、やっちゃいましたねー」

「あ、あわわ」

 ハナとヴィクトワールがそれぞれ驚きの表情を作り、伸びた看守たちの山を見つめた。

 ネリーとルッジは「マジかよ。こいつ……」といいたげな表情で、ひと仕事終えて満足気なポルディナの顔を見やった。

「おまえ、なにを考えている。看守に手を出すとは」

「やはり、最初からこうするべきでしたね」

 アルテミシアは即座に覚悟を決めると、剣を鞘ごと抜き放ち、残ったガラスを柄頭で壊しはじめた。ルッジは星の魔道書アストロ・グリモワールを取り出して、大きくため息をついた。ネリーは腰から財布を取り出し中身を数えはじめている。各々がこれからの行動に向けて思いを巡らせはじめたとき、廊下からやけに落ち着いた上品な声が聞こえてきた。

「なにか絶対にやらかすと思っておりましたが、躊躇なく法を破るとは。わたしもここまで思い切った行動に出るとはさすがに考えておりませんでしたわ」

「冒険者組合統括位委員長ギルドマスター!!」

「ヴィクトリアさまっ!! その、これは!!」

 アルテミシアがわたわたと両手を振って激しく動揺する先には、レオパルドとラデクを引き連れたギルマスのヴィクトリアであった。

「アルテミシア。あなたが、どうしてもと懇願するから面会を特別に許可してあげたのに。まさか、いきなり施設を破壊するとは、ね」

 Sっ気のあるヴィクトリアは猫目をらんらんと釣り上げてジッと瞳を覗き込んでくる。

 小柄な彼女に押されるようにして、アルテミシアは一歩後ずさった。

「いや、その、これは、もののはずみで」

「ふーん。まあいいわ。いまはとにかくこんなくだらないことで、やいのやいのといいあいをしている暇はありませんの。アルテミシア。もし、その冒険者、クランドくんの釈放を要求するのであれば、力を貸して欲しいの。頼めるかしら? ただ、命懸けの仕事になりますけど」

「やります。私は、クランドのためならなんでもやりますっ!!」

「私も、私もできることなら」

「ふう、ま。いちおう仲間だしねえ。ボクも協力するよ、手癖の悪いリーダーにね」

 アルテミシアは途端に元気になると、胸当てを叩いて快諾した。負けじとネリーもぴっと右手を挙手し、最後にルッジが気だるげに肩をすくめた。

「高貴なご身分の方とお見受けしました」

 ポルディナは半裸のまま、ヴィクトリアの足下にかしづくと、目を伏せて声をかける。

「あら」

「私は、ご主人さまの忠実な下僕、ポルディナ・ベル・ベーラと申します。主の釈放のためなら、犬馬の労も厭いません」

 ヴィクトリアは楽しげに、ポルディナの周りを歩き回ると、ジロジロと身体を見聞している。どうやら、露出した身体つきから戦える筋肉かどうかを子細に点検しているようだった。

「ふううん。クランドくん。あなた、中々忠実な奴隷をお持ちなのね。それに、名前を聞いたところ、彼女、勇猛果敢で知られる戦狼族(ウェアウルフ)のベーラ氏族。案外、使えそうね。わたし、有能な方に対しては寛大でありましてよ。ラデク、釈放の手続きを――!?」

 いまにも鼻歌を歌いだしそうだったヴィクトリアの顔つきが、突如として凍りついた。

 一同の視線が彼女の軌跡を追う。そこには、明るい笑顔で手を振っている、年若いメイドとその背中に隠れようとしているメイドの姿があった。

「ねえ、ひとつ教えてちょうだい。あの子づきのあなたが、どうしてこんなところにいるのかしら、ねえ?」

「あはー、姫さま。ご無沙汰しております。二年ぶりですかねー」

「そんなことは聞いていないわ、ハナ。ねえ、たぶんありえない。ありえないけど。そこにいるのは、もしかしてなくても、ヴィクトワール?」

「あっ、逃げた!?」

「捕まえて!! その子を捕まえてちょうだいっ!!」

 ヴィクトワールは声がかかると同時に脱兎のごとく逃げ出した。

 引きつるようなヴィクトリアの甲高い声。真っ先にその影に反応したのは、抜群の身体能力を誇るポルディナであった。

「あうっ」

 ラグビーのタックルよろしく、強烈なぶちかましを横合いから叩きつける。ヴィクトワールは、押しつぶされたカエルのように全裸のまま両手足を突き上げて、石畳の床へと四肢を伸ばして動かなくなった。

 表情を消したヴィクトリアがゆっくりと近づいていく。

 独特の緊張感が辺りに漂いはじめた。

 ゴリラのような体格をしたレオパルドは目を閉じたまま顔をそむけた。

「ねえ、久々の再会なのに、姉に対してその反応はどうなのかしら? ヴィー?」

「うにゃああっ、姉さま。私は、あはは、別に、そのようなつもりは一切」

「王国一の騎士になるまで帰らないといい張って、散々見合いをドタキャンした挙句に、姉にたーっぷり面倒をかけておいて、挨拶もなしに逃げるとは。人として、どうなのかしら?」

「にゅああっ。それは、姉さまが、姉さまがヴィーをいじめますから悪いのですもの」

「ヴィクトワール。ここからは、もう逃げられないのよ。もちろん、わたしも含めてね」

 疑問符を浮かべてベソ面になった妹をそのままに、彼女は立ち上がった。アルテミシアは一転して厳しい顔つきになったヴィクトリアの顔を怪訝そうに見つめた。

「皆にもいっておきます。この城塞都市シルバーヴィラゴは、大挙して国境線を破ってきた、ステップエルフの大軍団に包囲されました。その数、五十万。我が、伝統ある冒険者組合(ギルド)としては、特例規則第十条に基づき、所属する組合員すべてに動員令を発動します。それぞれの誇りと剣と魂に従い、ひとりでも多くの力を集まらんことを、統括委員長として願ってやみません」






 ダグラス将軍の初戦の敗北が、城側に与えた衝撃は、実は城将のオレールが考えていたほど大きくはなかった。

 まず第一に、ダグラスという武官は仲間内でも信望を得ていなかったことが挙げられた。

 彼は常日頃から大言壮語を繰り返し、同僚からもどこか冷ややかな目で見られている部分があった。

 俺は違う、俺はやれる、と。

 大口を叩くのは結構だが、いざ実際になってそれら虚偽の仮面が剥がれると、人々は嵩にかかってダグラスを罵った。

 一方、開戦前には盗賊崩れとやる気を見せなかった駐屯兵は、相手が草原の蛮族と聞くと、怯えるどころか逆に奮い立ったのである。彼らには、異民族イコール貧弱な装備や兵術と決めつけてかかる思いこみが多々あった。要するに想像力も危機感も足りていなかったのである。兵隊のほとんどは、領内の出身の農民たちを一定期間徴募して体裁を整えているだけである。彼らは、法で定められた兵役を終えれば元通り帰農していく、いわば、「半農半士」であり、専門の職業軍人とはいい難かった。彼らのほとんどは文字が読めず、書けてもせいぜい名前がいいところであった。戦のない兵隊の士気を常に一定に高めておくのは並大抵ではない。将校たちは彼らに自信をつけさせるために、日常的に自分たち以外の亜人などで構成される異民族が、いかに臆病で弱い生き物かを無理矢理に刷り込んでいた。そうでもしなければ、無知な農兵たちはたとえ敵が自分たちと同じ百姓上がりでも、槍を取って戦うことなど出来ないだろうと思い込んでいたのだった。

 敵は弱い。

 異民族は臆病だ。

 かような刷りこみは実にうまく作用した。

 また、農民上がりの彼らは、訓練時にピカピカに磨き上げられた鋼鉄の鎧と槍を与えられ、格好だけは一人前以上に取り繕うことを強要された。人間、上等なモノを着てすぐれた道具を持てば、誰しも自分が一等の人間であると勘違いすることもしばしである。農兵たちは、ロクな経験もないくせに、いつしか自分たちは無敵の軍隊だと思いこむようになってしまったのだった。戦を望む声に現場の将校たちは突き上げられ、下から押し上げられる形で第二回目の派兵が決定した。将校たちは、雑兵たちと違って草原に住むエルフが剽悍無比であることを充分知っていた。もっとも、ときとして雑草は生い茂って花々を覆い尽くすこともある。雑兵の声は上を覆い尽くし、隊を動かすことに成功したのであった。

 チェスター将軍率いる二万の軍勢が、夜討ちを狙って城を出たのはダグラス将軍が敗北した翌日の夜であった。ステップエルフの軍も、早々に城攻めをするつもりはないらしく、日が落ちれば城からはなれた場所へと本陣を移していた。お祭り気分で城を出た兵隊たちは戦う前から褒美の金をなにに使うか行軍中に話しあうていたらくであった。このような質の低い軍を率いては、いかな名将であるとも勝つことは不可能であっただろう。

 事実、チェスター軍二万の夜討ちは、まるで敗戦のお手本のような形で完膚無きまでに打ち崩されたのであった。

 丘陵をこっそり移動して忍び寄っていた前陣に、襲いかかるステップエルフたちの一糸乱れぬ動きは、針の穴を通すほどの正確さだった。

 チェスター軍は、伸びきった陣を素早い騎兵の機動力を生かしたエルフたちの猛攻によってズタズタに分断され、助け合うこともできずに各個撃破された。

 こうなってしまえば、農兵上がりで練度の低い雑兵が踏みとどまって戦えるわけがない。

 チェスター将軍は、平均水準よりやや上という程度であったが、さすがに敵の動きをよく見ていた。あまり広くない丘陵地帯では、襲い来るステップエルフの数はほとんど自軍と変わらない程度であることを見抜いていたのだ。

 彼はこまめに伝令を送って、いまだ自制を保つ兵をかき集めて朝方まで奮戦したが、後続をいくらでも補充できる大軍とは最初から勝負にならなかったのである。

 彼は、誇りある死を選んで最後まで奮戦すると、文字通り近臣たちとともに敵陣に駆けこみ斬り死にをしたのであった。チェスター将軍の捨て身の奮戦により、敗残兵たちの半分程度はなんとか城に戻れたが、なんとも一日の会戦で万余の兵を失ってしまったのだった。

 いけるか? 

 ぐらいの勢いで出兵を許可した城将オレールもさすがに此度の敗戦で心が完全に折れた。折れ切った。亀の子のように城に引きこもり、今度こそ息を潜めて固く城門を閉ざしたままになった。気持ちもわからないではなかった。

 たった、二日で一万二千近い将兵を失った城側に残された兵力は四万を割っていたのだった。元々は法令で示されていた兵士の数は十万と決まっていたが、長らくの太平の世に形骸化し、夏の間は休暇として、半数を領地に返すことが通例となって、領主もそれを黙認していた。防備は必要だが、常に生産性のない十万近い将兵を篭めておく経費は莫大なものである。これを半分に減らすとなると、特に戦も起こらない領主にしてみれば願ったり叶ったりなのである。

 ここで城側の兵力を総覧すると以下のようになる。

 シルバーヴィラゴ常備軍、四万弱。

 鳳凰騎士団、三千。

 白十字騎士団(サンクトゥス・ナイツ)五百。

 合わせて、おおよそ四万三千五百である。

 対するステップエルフの軍勢は少なく見積もって五十万を超える大軍である。攻者三倍原則に基づけば、四万程度のシルバーヴィラゴを落とすには、十二万ほどの兵力があれば充分にという計算になる。急遽市民から兵士を徴募しても使いものになるはずもなく、かえって足を引っ張るハメになりかねない。そうなると、即戦力になりそうな一万を超える冒険者を抱える冒険者組合(ギルド)には城将オレールからも熱い期待が寄せられることとなった。

 いまや、領主の娘であり、組合の統括委員長であるヴィクトリア・ド・バルテルミーのか弱き双肩に戦局を左右する一端が担われることとなった。

「うん。思っていたけど、やはり集まりが悪いようね……」

 ヴィクトリアは冒険者組合(ギルド)の地下に併設されている、ダンジョンの空間を利用した大練兵場のひな壇に立ち、集結した冒険者たちの数を目測でざっと測った。

 多く見積もって、四千というところである。

「五千は固いと踏んでいたのに。予想以下ね。これは」

 彼女はフン、と鼻を鳴らすと高い鼻梁を上げて辺りを睥睨した。

「集合せねば除名もありえると布告を促したのですが。申し訳ございません、姫さま」

 側近のラデクが実直な口調で詫びた。

「いいのよ。それで、例の五人は? 集まったかしら」

「それが、この場に姿を見せているのは、“勇者”と“聖騎士”だけで。職員の話によれば、残りの三者は、そのダンジョンに」

「この状態でも潜っているというの……!!」

 ヴィクトリアは猫目を釣り上げると、親指の爪を神経質に噛みだした。爪を噛む行為も歴とした自傷行為である。彼女は、過剰なストレスに晒されると、ひたすら爪を噛みこむ癖があった。彼女が十歳から数えて、十六年間も守り役を勤めていたラデクではあるが、さすがに此度は注意をしなかった。

「なにが五英傑よ。いざというときは、なんの役にも立たないでっ!! いったいどういうつもりなの? 城が落ちれば、のんきに潜りっこなんてしていられないと先刻承知のはず。まるで、理解できないわ」

 五英傑、とはその名の通り、冒険者組合(ギルド)に所属する最大規模を率いた頂点に立つ五人のクランリーダーに与えられている称号である。彼らに共通するのは、ダンジョンを攻略するという一点のみであり、元々協調性は望めなかったが、そこはヴィクトリアも女性である。彼らに対して、危機になれば力を合わせることができる。などという幻想をいまだ抱いていたのだった。もっとも、それも儚いものになってしまったが。

 “勇者”アレクセイ。

 “聖騎士”ブリジット・フォーチュン。

 “狼王”テオドール。

 “魔導大帝”パンプキン。

 “死霊使い”ゴモリウス。

 ブリジットを除けば、すべてが男性であり、全員がひとり残らず異能の才を持つ飛び抜けた戦闘能力の持ち主であった。

「アレクセイの姿は見えないけど、さすがにブリジットはいるみたいね。あの子にまで見限られたら、どうしようかと思うわよ。実際」

「彼女は義理堅いですから」

「当然です。わたしがこういうときのために、彼女のクランの後ろ盾になっているのだから。役に立ってくれなければ困ります……!」

 ヴィクトリアが基本的に頼みにしているのは、聖騎士の称号を持つ、ロムレス王国から正式認定されたブリジット・フォーチュンという少女だった。彼女の率いる“聖騎士連合”というクランは、総勢五百人を超える最大規模のものであり、すべてが女性で構成されたものであった。隊員は、全員紅の甲冑及び衣服を身にまとい、小さな躑躅が咲き誇るかのように、冒険者の一角でひっそりと静まりかえっていた。

 ブリジットは十二歳のときに、王都の聖堂教会で神託を受けた昨今珍しほどにまで教義を厳守する典型的なロムレス信者であった。燃えるような赤い髪に、十文字槍を自在に扱う彼女は、四分の一が竜の血を受け継ぐ最強のドラゴンクォーターである。

 対してこの場にいる、もうひとりの五英傑“勇者”アレクセイのクランはたった六人のこじんまりとしたパーティーであった。

 彼は、隣国エトリアで認定された勇者であり、潜在能力は無限と呼ばれていたが、いかんせんそれほど頭が良くなかった。

 だが、特筆すべきは彼の連れている五人の仲間は、それぞれ一騎当千の強者で、ひとりが万人に相当するといわれるほどであった。

「アレクセイは、少々オツムがよろしくありませんが。ま、使いどころはこちらで考えればいいだけのことですの。そして――来たわね、アルテミシア」

 昨今、もっとも名を上げていたのが、聖女の呼び声高いアルテミシアであった。

 黄金の狼というクランでは、副団長であったが、絶対不可能といわれた邪竜王を打ち取る功を打ち立て、彼女の輿望は日増しに膨れ上がっているのであった。現に、この瞬間も、彼女は周囲の冒険者たちにもみくちゃにされながら、名前を連呼されている。ヴィクトリアが見るところ、彼女の槍術や剣術は五英傑になんら引けを取ることはなかった。唯一、欠点があるとすれば。

 男の趣味が悪いところ、かしら。

 ヴィクトリアには、彼女ほどの女性がなぜ、クランドという三流以下の冒険者に固執するのが理解が出来なかった。聞くところによると、彼女は現在も所属している白十字騎士団(サンクトゥス・ナイツ)の団長アントワーヌ・ボドワンの求愛を蹴ったそうである。

 ヴィクトリアも知っているが、彼の見識や家柄、腕前や容姿や性格は総じて一流をはるかにこえている。自分がアントワーヌに求婚されたら、その場で頷く自信があるのだ。

 惜しいことをする。ヴィクトリアがそう思っている間にも、アルテミシアは人波の中で、蔵人が練兵場に到着するのを待ち望んでいた。

(おかしい、約束の時間に来ないなんて。なにかあったのだろうか)

 心配そうにうつむくアルテミシアの隣で、ルッジが本に目を走らせながら、なにやら思案している。

 一方、その頃の蔵人といえば、いまだ組合の事務所に到達できず、街中を銀馬車亭目がけて疾走していた。

 蔵人は、牢獄から解放されたあと、一旦ポルディナたちを家に戻した。

 そして、レイシーやヒルダを安全な場所に逃がすため会いに行っていたのであった。

 最初に教会へ行ったのは正解だった。レイシーとヒルダは、難を避けて堅牢な造りの教会に篭っていたのであった。ヴィクトリアの提案で、ダンジョンの一部を解放し、そこへと逃げ場のない市民をかくまうという布告を出していた。蔵人は教会にいればふたりは安全だと思ったが、マルコの指示で辺りの市民を糾合したのち、ダンジョンの避難施設へ向かう予定になっているとのことだった。不安げなふたりを振り切るようにして教会を出ると、自宅へとひた走る。今日、明日にでも城が落ちるというわけではないが、このような混乱自体、街が造られて以来、あり得なかった危機には違いなかった。無意味に急き立てられる雰囲気に呑まれながら、わけもなく鼓動が早くなる。

 もちろん、蔵人は戦争など知るはずがないし、それは街の人々も同じであろう。

 浮き足立つのは自然なことだった。

 城壁へと登って、敵の軍勢をいちど見ておこうと思い立ち、進行方向を変えたが、辻のあちこちは、兵士の手によって封鎖されていた。城門が破られたときのため、敵の進撃を防ぐ手段のひとつである。殺気立った兵士たちは、血走った目で蔵人を睨みつけると、よく磨かれた槍の穂先を振り回し、わけもなく怒鳴り散らした。やむを得ず、元の進路に戻ると、人並みに押し流されるようにして、見覚えのない道に来てしまっていた。

「おいおい。芋洗い必死だな、こりゃ」

 街中の至るところ、指定された避難場所に向けて移動する人々の群れで埋め尽くされていた。道路はすべて足の踏み場もない状況である。血相を変えて移動する人々を横目で見ながら、蔵人はどこかひとごとのようにそれをジッと見入っていた。聞くところによると、敵の異民族であるステップエルフの数は優に五十万を超えているという。

「おおよそ、鳥取県の人間が丸ごと移動してくるようなもんだな。恐るべし、鳥取」

 蔵人が鳥取の名産に思いを馳せていると、裏の路地から甲高い叫び声が聞こえてきた。

 ひょいと、路地を覗き込む。その奥はうねった抜け道になっているが、大人がふたりようやく通れるかどうかという具合であった。

 道行く避難民にはその声は聞こえない。

 闊歩する足音の騒音でかき消されてしまうからだ。

「ふーむ」

 蔵人が耳を澄ませていると、今度はかなりハッキリと助けを呼ぶ声が聞こえた。

 大方、このようなどさくさに紛れて婦女子を襲う不心得者が現れたのであろう。ただでさえ、物騒な世界であり、現在のようにはっきり治安度が下がった状態では、なにが起ころうとも不思議はなかった。最初は無視して姫屋敷に戻ろうと思いかけたのだが、先ほど別れ際に見たレイシーの顔が目蓋に浮かび、やたらにチラついてはなれない。

「っと。たっく、仕方ねーな。民度の低いカスどもが。世話かけさせやがって」

 激しく舌打ちをして細い路地に飛び込んだ。

 やたらに曲がりくねった道をどん詰まりまで行くと、そこにはふたりの女を囲んでいる三人の若い男が飛びかかろうと距離を詰めていた。

「こっちもあんまりヒマじゃねーんだ。頼むから殺生させねえでくれや」

 蔵人が怒気をこめてつぶやくと、男たちはそろっていっせいに振り向き、顔面を硬直させた。無手の男たちは、怯えたように蔵人の腰の長剣を見てギョッとしていた。

 なにも、命を賭けてまで女を抱きたいわけではないのがさいわいした。

「こいつ、剣を持ってる!!」

「冒険者だぜ、たぶん」

「マジになんなよ」

 彼らは、怯えながら蔵人を避けて、三叉路になった抜け道からバラけて逃げていった。

「あの、助かりました――!?」

 腰砕けになって座りこむ、あきらかに娼婦らしい女を抱きかかえていた少女がそろそろと立ちあがった。

 彼女は、ひっ、と妙な声をもらすと、目深にかぶっていた羽帽子を持ち上げて、瞳を大きく開いた。

「クランド……!!」

 そこには涙をためたまま顔を上げた、錬金術師メリアンデールの姿があった。






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