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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第3章「ステップエルフ戦役」
90/302

Lv90「運命の十月」



 

 いまにも泣き出しそうな空であった。十月といえば、そろそろ朝夕に肌寒さを感じてもよい時期のはずであるが、ロムレス王国の最南端であるアンドリュー州全域には異様な夏の熱気が残っていた。

 王国において、第四の人口を誇る城郭都市シルバーヴィラゴは、流入する人の波が落とす(ポンドル)によって金蔵の底が落ちるとまでいわれていた。

 なにより、官吏が安心して税をかき集めることが出来たのは、周辺地域の異常なまでの平穏さであった。

 北は不可侵協定を結んだダークエルフの領土である“入らずの森”。

 東には巨大湖である“クリスタルレイク”。

 南には僅かな寒村を除けば広大な海に覆われ、そもそもが特殊な海流によって船の航行自体が不可能であり、外敵の侵入など危惧する必要性もなかった。

 西には友好的な遊牧民族であるステップエルフの一族が広大な草原に盤踞する程度であり、差し迫った脅威というものは一見して存在し得なかった。

 結果、城郭都市であるシルバーヴィラゴの守りといえば、周辺にある山小屋に毛の生えた砦という名の見張り台が、百にみたない数あるだけである。

 ときおり、都市に常駐する騎士団が血眼になって追いかけるのは、わずかな寒村から湧き起こる盗賊ぐらいであった。鎌や鋤を振り回す程度の彼らがやることといえば、領主の果樹園を荒らすか、同程度の男手の少ない寒村を襲って食物を奪うぐらいが関の山であった。盗賊たちは、通報されるやいなや、鋼鉄製の武具や潤沢な兵糧を備えた都市兵団と鳳凰騎士団の手によって速やかに排除され、恐怖としては人々の記憶に残りようもなかった。

 まさに金城湯池であるこの都市を揺るがす事件などまず起こりえない。

 それらは、都市や城郭付近に住む人々のゆらぐことのない共通認識であった。

 西の砦に詰める兵士のひとりが異常に感づいたのは、そんなうだるような暑さが大地に残る月変わりの初日だった。

 都市兵団第一歩兵部隊に所属するオリバーは、相勤者と交代を終えるともはや有名無実化した見張り台に移動し、据えつけてあった椅子に座ると船を漕ぎ出した。夜明けがそこまで近づいている。遠くの空は徐々に白みはじめていた。

(どうせ、なにもあるはずがねぇんだ。まったく、退屈な仕事だぜ)

 オリバーは瓶に残った酒を舐めながら、眠気の残った頭を椅子の後ろへとがっくり倒して、手足を伸ばしながら大きく舌打ちをした。

 十年以上勤めていて切に思うのである。

 自分はなんのために生まれてきたのか、と。

 もはや、見飽きたというのもバカバカしいほど、目蓋の裏にまで焼きついた草原の彼方を見やりながらあくびを噛み殺した。規定では、立ったまま槍を抱えつつ、四辺にゆるみ無く視線を伸ばし、いつでも変事に備えていなければならないが、それらのマニュアルすら形骸化していた。

 そもそもが、オリバーは支給された甲冑もつけずに、槍に至っては仮眠場所の寝台の脇に捨て置かれたまま穂先はサビが浮き出している始末だった。身には寸鉄帯びず、寝巻きのローブは腰紐がほどけて酒の残った身体では真っ直ぐ立つことすら難しそうだ。

 この砦には、三十人が常駐していることになってはいるが、実際のところその半分で勤務を回していた。

 つまるところ、だらけきっているのである。モノの役にたたない、という典型だった。

(くっそ、島流しの上にやることといったら酒を飲むか女を抱くしかねぇ。つまらなくて頭がおかしくなりそうだぜ)

 兵士の慰問と称してこの砦にもひとりの娼婦が常駐していたが、十年以上いっしょに暮らし、数え切れないほど抱いていれば、飽きないというのが不可能であろう。 

 オリバーはほとんど家族同然の娼婦に己の性欲を処理させると、いつものようにしこたま酒を肺腑に入れて記憶を失った。咎める上司もいない。なにを好き好んで、一番近い村から五日もかかる、こんなド僻地の端の村にわざわざ様子を見に来るものがあろうか。

 そもそも、その上司とも三年近く会っていない。オリバーの頭の中からは、上司の顔つきまでセピア色に変わりかけていた。

「いいのかよ、俺の人生こんなんで」

 いいも糞もない。農家の三男坊に生を受けた彼が出来そうな仕事など他にはなかった。

 オリバーが既に何千回と繰り返した後悔を噛み締めているうちに、それははじまった。

 ふと、草原の向こう側に、小さな点が現れた。

 はじめは目の錯覚だと思い、再び船を漕ぎ出す。

 草原に出没した点はやがて、巨大な波となり地平を覆った。

 天地を揺るがす轟音が砦そのものを押し倒すほどに近づいてくる。

 気づいたときはすべてが手遅れだったのだ。

 たちまちまどろみを破られたオリバーが監視塔に登り見たものは、草原を埋め尽くす数多の騎兵の群れが波濤のように押し寄せてくる絶望的な状況だった。






「これを、私にくれるというのか……」

 アルテミシアは蔵人に渡された剣を白金造りの鞘から抜き放つ。

 竜剣“紅千鳥”。

 天下の名工ノワール・スミスが、赤龍のウロコを使って鍛え上げた世界にふたつとない一品である。

 八十センチを超える刀身は、赤い宝石のように妖艶な光沢を放って輝いていた。

 アルテミシアは熱に浮かされたように頬を真っ赤に上気させて目を潤ませる。

 名残を惜しむように、腰の鞘へと剣を納めると、肩を小刻みに震わせた。

「美しい」

 彼女は子細に刀身へと視線を送ると、呆然とした様子でつぶやいた。

「女にやる贈り物にしちゃ、ちょいと無骨すぎると思ったんだが。ま、埋め合わせはそのうちするから勘弁してくれや」

 蔵人は冒険者組合(ギルド)の玄関口に飾られた邪竜王の骨格標本を眺めながら、アルテミシアにいった。広間に置いてある無数のテーブルでは、多数の冒険者が話に花を咲かせていた。幾人かがアルテミシアに気づき、ヒソヒソと囁きあっている。雑多な物音が人々の話し合う声と入り混じって潮騒のようにさざめいていた。

「そんなことない、そんなことないよ。クランド。私、うれしい」

「うおっ!?」

 アルテミシアは感極まって飛びつくと、蔵人の頭を抱きかかえ顔中にキスの雨をふらせた。冒険者組合(ギルド)の中をうろついていた独り者の冒険者たちから、いっせいに舌打ちが漏れる。中には、涙を流しながら壁を殴りつけている男の姿があった。

「うれしいよ、私はうれしいんだよ。この剣は、どんなに美しい宝石や服よりも私の心を強く打った。大事にする、一生大事にするから。実家に持ち帰って礼拝堂を作り、そこに祀って子々孫々ベルクール一族の家宝とする」

「いや、それじゃ意味ないだろう。使えよ」

 事務所の広間でそんなやりとりを続けていると、カウンターにいた受付嬢がわざとらしいほど大きな声であざ笑うかのように吹き出した。

 もちろん、ネリーその人である。

 これには、ひとりで悦に入っていたアルテミシアの気分はぶち壊しである。つい、先ほどまで感動の涙でうるんでいた緑の瞳が、枯れた樹木のような色合いへと急速に変化した。

 アルテミシアはかぶっていた兜を脱いで小脇に抱え持った。ふんわりとした金色の髪がふわっと波打ちながら背中に広がっていく。

 私、怒ってます。というオーラが全身から激しく放射されている。

 受付の順番待ちをしていたレンジャー職の少女は、激しく怯えながら後ずさって尻もちを突く。辺りの冒険者たちも後難を避けて足早にその場を立ち去っていった。

「なにがおかしいのだ」

 アルテミシアは受付の前に立つと、公然とネリーに食ってかかった。逃げ遅れたレンジャー職の少女は両手で頭を抱えて涙目になっている。ネリーは広げていた受付台帳から、素早く走らせていたガチョウの羽根ペンをはなすと薄い笑みを浮かべたまま視線を落としたまま応えた。

「いや、別に。思い出し笑いなので、お気になさらず」

「確か、ネリーとかいったな。この間からいちいち私たちのやりとりに首をつっこんできて。正直、不愉快だ。無関係な人間は私たちの仲に立ち入らないでもらおうか」

「無関係な人間ねぇ」

 ネリーは蔵人の姿を見つけると、余裕の表情でヒラヒラと手を振った。隣に立っていたルッジがなにか聞きたげな表情で顔を覗きこんでくる。蔵人は彼女の眼鏡を奪うと、自分の頭の上に載せた。無言の拒否である。

 ルッジはつまらなそうに鼻を鳴らすと、肘で小刻みに脇腹を打ってきた。

 地味に痛かった。

「おい、貴様。どこを見ている。話をしているのは私だろう。よそ見をするなど、相手に対して失礼とは思わないのか」

「細かいですね。そんなんだから男の人に相手にされないんじゃないですか。いや、いまは竜殺しの聖女として、たくさんの人にチヤホヤされてるみたいでよかったじゃないですか。よりどりみどりです。ぷくくっ」

「そんないい方はないだろう。誰も彼もが面白がっているだけだ。じきに飽きるさ。でも、いいのだ。有象無象に好かれても迷惑なだけだ。それに、いまは私のことを愛してくれる人もいるし、な」

「へえ。それは奇特な方もいるものですねぇ」

 ネリーの青い瞳がすっと細まる。彼女は蔵人を一瞬だけ見やると、すぐさま視線を前方に向けた。タレ目がちでやさしげなアルテミシアの風貌が厳しく引き締まっている。

 カウンターを挟んで受付嬢と長身の女騎士との睨み合いがはじまった。

 蔵人は、尻のくぼみに汗をかきながら平静を装う。ルッジは脇を小突くのをやめると、今度は強くつねってきた。握力がないのか、あまり痛くは感じなかった。

「愛している婦人に対する贈り物が刃物とは。なんだかにわかに信じられませんねぇ。少なくとも男の方は気のある女性に対してはそんなモノを選ぶとは思えませんけどお。ホラ、いろいろあるじゃないですか。ねえ」

 ネリーは上品に口元に手を当てると、ほほと笑った。彼女の胸元には、凍結の魔術によって半永久的に枯れなくなったバラが一輪、アクセサリとして飾ってあった。白地のローブに紅の花は対比が美しく、ネリー自身をいっそう繊細で優雅なものに見せた。

 アルテミシアは乙女心が傷ついたのか、顔が悔しげにゆがむ。

「なんだ、そのバラは。ふ、ふん。どうせ、キザったらしい腰抜け男に貰ったのだろう。いい気になるなよ。そのような軟弱なモノを贈る男にはろくなやつがいないに決まっているっ」

「それだけは聞き捨てなりませんっ! 彼はそんな男ではありませんっ!!」

 悔し紛れに吐いたアルテミシアの言葉を聞いた途端、ネリーは突如として激昂した。

 身の厚い木製のカウンターに両手を打ちつけながら、全身を震わせて抗議する。

 その花を贈った男をどれだけ愛しているか、誰でもネリーの態度から理解できた。

「すまない。私も口が過ぎた。その男は、あなたにとって大切な人間なんだろうな。私も少し冷静にならないと」

 アルテミシアは神妙に謝罪すると困ったように眉を下げた。

 タレ目がちな瞳も、一点して気まずそうに下がっている。

 傍目には怒られたゴールデンレトリバーのような愛嬌があった。

 ネリーはさっと顔を背けると、肩を震わせた。目元か隠れ、表情が見えなくなる。

「いえ。私もいいすぎました。しかし、さすが聖女アルテミシアさま。なんという寛大なお心。これならば、数多の男性の心を我知らずにつかむなど自然の摂理です。きっといままで世の男たちは、あなたさまの繊細なお気持ちなど知る由もなかった。しかしこの度の竜退治の功によって、世間は真っ向からあなたさまの人柄に触れ、それが目につきやすくなったのでしょう。強く美しいものに惹かれるのは当然のことでございます」

「な、そんなことはない、だろう」

「それに無意味に突っかかって申し訳ございません。お客さまに出過ぎた口を。このようなことは口論する必要性もないほど、()()()()()

「……あぁ!?」

 アルテミシアの口調が巻き舌になった。眉間には激しくシワが寄っている。握り締めた握力の強さで革の手甲がぎゅうぎゅう締まる音が聞こえた。ネリーは、皮肉げに口元を釣り上げると、酷薄そうな笑顔で迎え撃つ。本番はどう見ても、これからだった。

(持ち上げて落とすとは、なんといういやらしさよっ。間違いねぇ!! ネリーのやつこの争いの矛を収めるつもりなんざこれっぽっちもないんだ。マズイ、こいつは血の雨が降るぜ!!)

 蔵人はなぜか他人事だった。

「え? だって、そうでしょう。どうして、好きな女性に装飾品ではなくて武器をあげたりするんですか? そんなこと、聞いたことも見たこともありませんよ。あ、いま見てますねー、この目でこの現場で。は! もしかして、クランの戦力としては重要視されているかもしれないとう可能性は残っているかもですよっ。ほら、アルテミシアさまお強いしー。ね、ね。ま、これから一生かかってもあなたが私のように男の方から花を贈られるなんてないでしょうけど、もしかしたら、そこいらじゅうにウロウロしている、野卑な冒険者たちならこれからも、未来永劫ずっと。お姫さま扱いしてくれるかも! ですよ。私なら、絶対、や、ですけど」

「ふふふ。そうか、要するにおまえは死にたいんだな」

 アルテミシアは紅千鳥を抜き放つと一歩前に進み出た。慌てた蔵人は、彼女の背中に飛びつき羽交い絞めにした。

「おい、ちょっと待てえええっ!!」

「なんだ、クランドか。さっそく、貰った剣が役に立ちそうだぞ」

「らめぇええええっ!! 公開殺人らめぇえええっ!!」

「なぜだ。この女は、堂々と私を侮辱している。むしろ、クランドもこれから起こることがらを我がことのように誇ればいい。私は、いつ。どこで、誰に問われようと、クランドから譲り受けた名剣で名誉を守ったと正々堂々答える自信があるぞ。さあ、我らが未来のために、この一刀振り下ろそうぞ!!」

「らめぇえええっ!! 僕チンまで共同正犯になっちゃうううっ!!」

「あらら、死にたいだなんて。これだから、男日照りの宗教騎士は野蛮ですねー」

 アルテミシアは蔵人を軽々と振りほどくと、ネリーに顔を近づけていい放った。

「おまえに花を贈った男はおまえの穴を使いたいだけだ。メス犬が」

「いやいや、さすが永遠の処女騎士聖女さまはいうことが違いますねー。大事な所に蜘蛛の巣が張っちゃいますよ。ウチのすりこぎ棒、お貸ししましょうか?」

「私には見える。見えるぞ。おまえが紙切れのようなペラッペラな軽薄男と寝まくって、わけのわからない性病にかかって、苦しんで苦しみぬいて、挙句に死んでいく未来が」

「その点、アルテミシアさまは一生安心ですねぇ。男に触れるときは絞め殺すときだけですから」

「いっておくが私は処女ではない」

「大方、男娼をお買いになられたんですね。わかります」

「おまえといっしょにするな、この痩せっぽち」

「豚よりマシだと思います。というか、豚は屠殺場へいけ」

「どっちが前か後ろかわからない女よりはマシだろう」

「私は適正値です。というか、どうしてそんなに膨らんでるんですか? 中に詰め物でもしてるんですか」

「これは生まれつきこうなんだ。持たざる者よ。悔しかったら石でも詰めてこい」

「そっちこそ、大きいだけでしょう。いい気にならないで」

「いい気にはなってない。それに、たいていの男は大きな乳房に夢中だ」

「……嘘です」

「嘘じゃない。実体験に基づいている」

「そうですか、じゃあ試してみます? どうせ、そんな勇気はないのでしょう」

「勇気は騎士に必要不可欠。それに、私は勝負を挑まれて逃げたことは一度もない」

「負けた方は、皆が集まる広間中央の聖キャルピオン像の前で、全裸になって土下座するっていうのはどうです?」

「泣いても許さないからな」

「それはこっちだって。と、いうわけでお願いしますね、クランド」

 ふたりは、負けないぞ! という真剣そのものの表情でいっせいに振り向く。

 蔵人は咳払いをすると、呆れたようにいった。

「なにがお願いしますだ。あのさ、おまえらちょっと冷静になって考えてみろよ。衆人環視の中でものすごい話してるからな。あれさ、羞恥心とかないの?」

 蔵人が冷静に突っ込むと、ふたりは顔を見合わせて火がついたように真っ赤になった。

 どうやら、今更ながら自分たちが周囲の冒険者たちに取り巻かれていたことに気づいたようだった。

「見ろ、クランドにたしなめられた。恥辱だ、こんなの」

「あ、そこで責任をすべてわたしにかぶせますかー。へー、そうなんですねー。聖女だなんだともてはやされると、人間てここまで堕ちきることができるんですねー」

「いちいち鼻につくしゃべり方だ。狙ってやってるのか? それとも努力してそう繕っているのか?」

「べつにあなたに好かれたくありませーん。ね、クランド」

「だから媚びるのをやめろといっているっ!! だいたいクランドは無関係だろう!!」

「本当に、あったま、やわらかい人ですねー。ほっこり温泉に浸かりすぎたのかな」

「なんだと……!」

 蔵人は狼狽しながら、辺りを見回した。少し離れた場所で憮然とした表情でいるルッジを見つけて駆け寄った。女の相手は女にさせるしかない。聞き分けのいいポルディナが無性に恋しかった。

「あ、あわわ。ルッジ、なんとかしてくれよう」

「なんともできないね。それに、ボクにはなにもないのだね。やっぱり」

 ルッジは袖を引く蔵人の手を冷たく振り切ると、さびしさをにじませながらいった。

「へ? やっぱりって」

「……アルテミシアばかり贔屓して。ボクだって、女なんだぞ」

「そら、ま、知ってるが」

 ルッジはすねたように、ぷいと横を向くと両手を組んであさってを見やっている。

 もっとも、かなり焦っていた蔵人にその意図は上手く理解できなかった。

「おいおい、なにをいまさらそんなこと。とにかく、そーゆうのは置いておいて! アルを落ち着かせてくれよ! な!? 俺たち仲間だろう。こいつはパーティの危機だぜ!」

「パーティ、へえ。パーティね。へえ……」

 ルッジはすう、と肺に息を吸いこむと、常にないヒステリックな甲高い声を出した。

「クランド!! 君は仲間の寝こみを襲ったりするのか!! はは、ちょっとそれは仲良くしすぎじゃないのか!!」

「ちょっ、声デカっ! ……ってあんとき起きてたのか?」

 ルッジの怒声に争っていたふたりが気づき血相を変えて迫ってくる。

 アルテミシアとネリーは蔵人を挟むと、同時に詰め寄った。

「ちょっと待て、クランド。あのときって、まさか鍛冶小屋に泊まったときのことか」

「聞き捨てなりませんね」

「ご、誤解だ!! ちょっと、あれは、そのだな、えと。……この女が誘ったんだ!!」

 蔵人は最低な回答を導き出した。

「ひどいわ」

 ルッジは突如として丁寧な貴婦人口調に戻ると、その場にしゃがみこみ顔を伏せた。

 華奢な背中が細かく揺れている。アルテミシアは、蒼白な表情でただの仲間であると信じて疑わなかったふたりに対し、信じられないといった様子で交互に視線を動かした。

「あ、そのルッジが誘ったんじゃなくてだな。そう、あれはマッサージだ!! はは、なんか寝つけないみたいだったから、その親切心からであって、特にやましいことはない」

「君は、寝付けない婦女子の太ももや、ふくらはぎ、あまつさえ、一番大事な部分を、あんなにも激しく弄んだのか!!」

「手、手がすべった!! あれは、不幸な事故だ!!」

 ルッジは、小さく呻くと顔を背けた。彼女の長い黒髪が、ざっと流れて表情が見えなくなる。アルテミシアとネリーが無言で歩み寄ってきた。かなり、恐怖である。

(これはもう、とりあえず逃げまくって時間を置くしかねえ!!)

「ああ、そういえば! 今日は町内会のドブ掃除だった! いやー、悪いなみんな。いろいろと疑問などはあろうが、そのあたりは次回までに回答を持ち越させてもらうってわけにも……いかないよね」

「クランド、嘘だろう。なにかの、間違いだといってくれ」

「間違いです」

 うつむいていたルッジがわっと泣き声を上げた。

「あ、嘘! うそうそ!! だーっ、どうすりゃいいんだっ!!」

 感情を高ぶらせたアルテミシアは瞳に涙をためてすがりついてくる。身を激しくよじると、目を血走らせたネリーが腰に両手を当てたまま、親の敵のように、睨みつけていた。

 さぞやお決まり通り罵倒されるのだろうと身構えていると、ネリーは唇を強く噛み締めたまま、なにもいわずに切なそうな目で見上げてくる。

「……まあ、なんとなくはそうだろうな、とは思っていました。しかし、私は物わかりのいい女で通っています。過去のことは変えられません。大切なのはこれからなのですから」

「そう! ねえ、聞いたかよ。いま、ネリーがいいことをいった!! え、ちょ、なにしてはるんですか?」

 ネリーは蔵人の首に手を回すと、甘えかかるように身体をもたれかけてくる。背中にやわらかなふたつの膨らみを感じ、ほとんど条件反射で股間がみるみるうちに固くなっていく。花のようなむせ返る女の匂いが絡みついてくる。蔵人が陶然とするもつかの間、アルテミシアが吠えた。

「おい! なにをやっているんだ、さっきから!! 私のクランドから離れろっ!!」

「嫌です」

「んなっ……!?」

「なんですか。嫌ですといわれたらもう反論する言葉も見つからないのですか。そのようなスカスカした脳みその女はやっぱりそこいらにいる野良犬たちが相応ですね」

「おまえはっ!! さきほど、ほかに男がいるような口ぶりだったじゃないかっ!!」

「その男です」

「え……!?」

「クランドは私の恋人です。そうですね、ラブっちゃってます。ので、お邪魔虫は巣に帰るがいいと思います」

「いいかげんにしろ。いくらなんでも、私の忍耐にも限界というものがあるのだぞ」

「へえ、忍耐ですか。さすが、聖女さまですね。竜殺しの脳筋騎士だけあって、博識でいらっしゃる。単語辞典あげましょうか?」

「クランド、少しどいていろ」

「ちょっ、へぶえっ!?」

 蔵人はアルテミシアにぽーんと投げ捨てられると、床板に顔を打ちつけ間抜けな声を出した。頭を左右に振って顔を上げると、そこには殺気をぶつけ合うふたりの夜叉がいた。

「ネリーとやら、どうやら口でいっても理解できないようだな。少し、お灸を据えてやるとしよう」

「灸ですか? やだやだ。私、聖女さまと違ってそんなもの必要な身体じゃありませんから」

「おまえ、いくつだ」

「二十。貴女は、三十くらいですか」

「ふざけるな。私もおなじく二十だっ!! どうして、そのように癇に触ることばかりいうのだっ!! 本当に性格の悪い女だ。おまえのような女をクランドが相手にしたのはいっときの迷いだ」

「別に私は性格悪くないです。偏見というものです、それは」

「知ってるぞ。ここで、貴様がよくクランドを罵倒しているところを。真に愛した殿方なら、敬い褒めこそすれ、衆人環視の中でああまで罵ることなどできるはずがない。おまえは、悪女だ」

「あれはクランドが望んだことです。むしろ、このやりとりは互いの本音をさらけ出した者同士にしか出来ない魂のコミュニケーションなんです」

「そんこと、信じられるわけないだろう!!」

「真実です。むしろ、彼は私に罵られることを希求してます」

 いや、してねーよ。

 蔵人は、そう思ったが下手に突っ込むと、怒りの矛先がこちらに向けられかねないことを思い、口をつぐんだ。途方に暮れて、床に両手を突くと、くっくっと笑い声を噛み殺しながらルッジが楽しそうに覗き込んできた。

「ちょっと、やりすぎたかな」

「ルッジ。やっぱ、嘘泣きだったんだな」

「ふん。ボクだけのけものにするからだ。それに、君に対して怒っているのは事実だよ」

「……悪い、埋め合わせは必ずするから。だから、なんとかこの事態を収集してくれぇ」

「まったく、君はズルい男だよ。ところで、本当のところは、その。君は、ボクのことをどう思っているのだ? ま、真面目に答えて欲しい」

「眼鏡ぺろぺろ」

「……どうやら、もう少し反省したほうがいいみたいだな」

 ルッジは能面のように無表情になると立ち上がった。

「ああっ、うそうそっ!! つ、つい条件反射で面白いこといわないといけないかと思って! ああっ、ルッジ。ルッジぃいいっ、カムバーック!!」

 シェーン風に呼び止めるが、ルッジは冷たく玄関口に歩き去っていく。蔵人が虚脱したように、肩を落としていると、ふたりの言い争う声を割って、涼やかな女性の声が舞い降りてきた。

「殿方が人前でそのように這いつくばるのは見栄えが悪くてよ。さ」

「んあ?」

 蔵人が顔を上げると、そこにはひとりの美しい少女が立っていた。

 彼女は、白の長手袋を差し延べながらにこやかな笑みをたたえていた。

 猫のような釣り上がった大きな瞳が爛々と輝いている。目鼻立ちは際立って整っており、瞬きをしなければ精巧な人形かと思うような造形だった。

 輝く金色の髪をサイドハーフアップで右横に纏めてある。白銀のバレッタには細密な文様が彫りこまれている。白地に薄い青の文様を走らせたドレスはふんわりと大きく膨らんでいる。蔵人が見たところによると、歳の頃は、十二、三歳だろうと推測された。物腰はやけにこなれていて、ひどく大人びていた。

「悪いな、っと」

「あっ……!」

 蔵人が差し伸べられた手を取って立ち上がろうとすると、力をこめて引っ張りすぎたせいか、少女がバランスを崩してよろけた。

「ちょっ、おっとと」

「きゃ!」

 蔵人は少女の上に倒れ込むようにして転んだ。ふと、つかんだ部分に違和感を覚える。

 指先に力を入れてつまむと、ぷしゅ、となにかが破裂する音が聞こえた。

「ああ、詰め物ね……」

「あ、ああああ」

 蔵人は少女の胸に倒れ込み、不可抗力で彼女が内緒で入れておいた詰め物を潰してしまったのだった。視線がかち合う。かなり気まずかった。彼女は親切心で手を差し伸べてくれたのだ。ここをフォローせねば男ではないだろう。自家製コンピューターが、最速で演算をはじめる。導き出された答えは、ただひとつ。

「気にするなって! ちっぱいもおっぱいであることに変わりはない!! これはこれでよさがあるさ!!」

「……ふ、ふふふ。レオパルド」

「は、姫さま」

「え、あ。なに?」

 少女に呼ばれたゴリラのような大男の執事は、蔵人を子供のようにひょいと持ち上げると、背後から両肩に手を回し関節を決めた。蔵人をはるかに上回る膂力である。争っていた、ネリーとアルテミシアの顔色がたちまち青ざめる。

「ば、ばか! クランド、そのお方にいったいなにをしたのですか!!」

「え? 軽くおっぱいもんだだけですが、なにか」

「な、なんということを……!」

 アルテミシアは眉間にしわを寄せて口をへの字にした。強烈な動揺が見てとれた。

「ふふ。わたしも、鬼ではありません。貴公がこの場で己の非を認め謝罪するならば、ことを荒立てるつもりはないのですが」

「うん? あー、あれね。ま、そんなに真っ赤な顔して怒ることないじゃんよ!! 手がすべっただけだっての。それに、重ねていうが、ちっぱいを恥じることはないぞよ。人間の格は胸の大きさで決まるわけではないのだ。大きくするコツは、お風呂に入ったあと、よく揉みこむことだ。毎日続けなさい。なんなら暇なときにお兄さんが手伝ってあげよう」

 蔵人は、生真面目な顔で締めると、格好をつけて鼻を鳴らした。少女は無言のまま手を上げると、法衣をまとった三十年配の男が書物を片手に一歩進み出た。

「……情状酌量の余地なし。ラデク、罪状は」

「は。姫さま。ロムレス王国法、第三十一条によりますと、公共の場にて貴族を侮辱した際は対象者の爵位によって終身禁固刑、或いは死罪を持って贖うべし、とあります」

 ラデクと呼ばれた痩せた男は、瞳だけをぎょろりと動かし、低い声で述べた。

「それじゃ、死罪ですわね。ああ、なんてことでしょう! 悲劇ね、これは!!」

「ちょっ、待ってよ。お嬢ちゃん、冗談でしょう」

 蔵人が汗をダラダラ流していると、受付の奥から総務課長であるゴールドマンが禿頭に汗をかきながら飛び出してきた。

「こ、これはビクトリアさまぁああっ!! 先んじていってくだされば、職員一同お迎えにあがりましたのにいいいっ!!」

 ゴールドマンは飛びこむようにして床に這い蹲ると、金切り声を上げた。ネリーが激しく舌打ちをする。

「ノンノン。いくら訂正しても発音が直りませんのね、ゴールドマン。ヴィクトリア、ですわ」

 少女は、指先をちっちと左右に振ると発音を訂正して、猫目をうれしそうに釣り上げる。

 そこにはサディスティックな悦びがフツフツと湧き上がっていた。

「え? え? ええっ!? もしかして、エライ人なの」

 蔵人が顔をよじって背後の巨漢に問うと、男は静かな口調で応えた。

「おまえ、冒険者のくせに知らないのか。そこにおわすお方こそ、アンドリュー伯さまの長女にしてロムレス王国最大規模を誇る冒険者組合(ギルド)統括委員長(マスター)

 ヴィクトリア・ド・バルテルミーさまだ」

「はじめまして、冒険者くん。そして、さようならですわ」

 少女の凄絶な微笑みを間近に見て、蔵人はようやく自分が窮地に陥ったことを理解した。






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