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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第2章「迷宮都市シルバーヴィラゴ」
82/302

Lv82「メイド騎士の一日」


 

 メイド騎士ヴィクトワールの朝は早い。

 早朝、明け烏の鳴き声にて起床する。

「ふわぁ」

 あくびを噛み殺しながら身支度をすます。この時点で、同室のハナは白河夜船である。

 寝顔は十二歳の少女らしくあどけないものであるが、主であるヴィクトワールが起きているのに、その侍女が惰眠を貪っているという事実が、彼女の中から寛容の精神を根こそぎ奪う。

 ハナの頬を無理やり引っ張る。 

 しばらくして、涙目になりながらようやく目を覚ます。

「おはようございます。ひどいですよ、お嬢さま」

「うるさい、どうして私がおまえを起こさなければならないのだ! 普通、逆だろうが!」

「あー、朝からそんなにわめかないでくださいよう。ハナは低血圧なのです」

「知るか。ほら、ちゃっちゃか支度しろ。アレが、来るぞ」

「えー、ああ。アレですか」

 ふたりが寝室でぎゃあぎゃあ騒いでいると、扉がぎぃと音を立てて開く。

 そこには、無表情のまま扉の枠をノックする地獄のメイド長(※ヴィクトワール視点)がしっぽを逆立てていた。

「あななたち。新入りの癖に私より遅く起床するなどと、ありえないことですよ」

「ま、待て! いま、いま行くから! ちょっと、待て!」

「待て?」

 ポルディナの顔から温度がすぅと消える。元々整っているだけに、余計酷薄に見えた。

「あ、すいません。しばし、お待ち頂けるでしょうか!」

「……姉さま」

 犬耳をピンと立てて、ポルディナがつぶやく。

 意図を察したヴィクトワールが即座に訂正した。

「しばし、お待ちくださいませ。寛大なポルディナ姉さま! だらしない、妹分をお許し下さいっ」

「ふむ」

 ポルディナはしっぽをぴこぴこ左右に振ると、どことなく満足気な表情をわずかに見せた。群れで生活をする戦狼族(ウェアウルフ)は異常に序列にこだわる傾向があった。

 ポルディナもその例にもれなく、特に新入りのヴィクトワールとハナには毎日のように階位を意識させるような言葉をことさらに使った。

 これは、彼女が特別なわけではなく、異人種の習俗であった。生粋のロムレス貴族でお姫さま育ちのヴィクトワールには中々馴染めないものであったが。

「まあ、きょうはこのくらいにしておきましょう。朝はいろいろと忙しいですしね。私はご主人さまを起こしに行くという名誉ある儀式がありますので、各自朝食前に雑事をすませておくように。では、きょうもよい一日を。ああ、それと」

 まだ、なにかあるのかと、ヴィクトワールが身構える。ハナはのんきに大きなあくびを噛み殺している。

「おはよう、我が妹たちよ」

 ヴィクトワールは引きつった表情で返事を返す。ハナがゆるんだ声をむにゃむにゃとつぶやいた。ポルディナは扉を閉めると硬いブーツの音をさせながらゆっくりと遠ざかっている。ヴィクトワールは大きくためいきをつくと、肩の力を抜いて流れた金髪を指先でもてあそんだ。

「ふぅ、朝から緊張するな」

「あははー。お嬢さま、超ビビってますね! なんかウケるんですけど」

「お、おまえはあああっ!!」

「いぎぃい、いっ、いたいでしゅううっ」

 ヴィクトワールはハナの頬を左右にびろーんと力任せに引っ張って、半泣き状態にさせてストレスを発散させた。やたらに、身支度に時間をかけるハナの尻を追い立てるようにして朝の仕事に取り掛かった。

 それにしても蔵人が購入した姫屋敷は中々に広大だった。

 通常、この館を維持するにはどう考えても十人以上は奴隷が必要である。

 その責務は膨大であり、すべてはポルディナの腕にかかっているといえた。キッチンメイド・ランドリーメイド・ハウスメイド・ガーデナー・ヘッドキーパーから、蔵人専用の侍女、あまつは夜のお勤めに至る範囲までポルディナがひとりでこなしていたと思えば、業務量は尋常ではなかった。

 人並み外れた持久力と無尽蔵のスタミナを持つ獣人であればこそ可能であった。これでは、とても他のことに気を回す余裕などない。

「だから、もう少し、私の努力にもっ、敬意を払えばいいと思うんだっ!」

「ファイトー、がんばれー。そこだ、お嬢さまっ」

「おまえも掃除するんだよっ!」

 ヴィクトワールは高みの見物を決め込んだハナの首根っこをつかまえると、歯を剥いてうなった。屋敷の清掃といってもクラクラするほど種類は山のようにあった。

 カーテンを開き、すべての部屋の空気を入れ替え、部屋の絨毯の埃を払い、家具を磨き上げ、窓ガラスを拭き、階段を磨き、門の汚れを取り去る頃にはさすがのハナも無言になってしまう。ハナは小器用ではあったが熱意と粘り強さに欠けた。

「もお、お嬢さまはまたそんなに念入りにぃ。普段使ってないところは適当でいいんですよー、適当でー」

「そんな、だって。ちゃんと綺麗にしないと」

「ううん、あんがいお嬢さま尽くすタイプなのかもですね」

「そんなことあるわけないだろう。しっかりやらないと気持ち悪いだけだ。まったく」

 清掃が終了すると、報告のためポルディナを探す。

「まあ、だいたいいる場所はわかっているのですけどねー」

「ううう、気が進まない」

 ヴィクトワールは、蔵人の部屋の前に立つとドアをノックするのを躊躇した。扉の前から発散されるピンク色の空気を感じ取って声をかけることができないのだ。

「……おぞましい空気が漂っている。この中では、またあのような鬼畜にも劣る所業が行われているのだ」

 ヴィクトワールは処女だった。おまけに潔癖症的な部分がある。

「またまたぁ。どうせ、ポルディナさんが勇者さまにご奉仕しているだけですって。美しい主従愛じゃないですか」

「い、いやだ。そんなに見たければ、おまえひとりで見るがいいっ」

「ふーん。ふんふん。あっ、そうなんですか。ハナはえっちなことに興味津々のお年頃なのでちらっと、じっくりたっぷりねっとり見ちゃいますよー」

「勝手にしろ。わ、わわわ私は絶対見ないからな! って、もう見てるし」

 ハナは蔵人の部屋の扉を細く開けて中の様子をうかがっていた。ふーん、とか、はああっ、とかときおり驚きの表情を取っていた。

「あわわ。や、やっぱりポルディナさん、すごいです。あんなにおっきな勇者さまのモノを」

「解説しなくていい!」

 ハナはポルディナのご奉仕を眺めながら次第に興奮してきたのか、呼吸を荒げ頬を真っ赤に染めていく。中腰でかがんでいるハナはスカートの前をギュッと掴むと、目を細めて恍惚の表情である。なんか、すべてにおいてヤバイ。ヴィクトワールのストップがかかった。

「おい、なにをやろうとしている!」

「え? なにか」

「やめろよ! アホか、おまえはっ!!」

「……もう、うるさいですねお嬢さまは。これじゃ、集中力が途切れてしまいますよ。ちょっと中座して気分をスッキリさせてくるので、報告の方はよろしくお願いしますよ」

 ハナは立ち上がってショーツを脱ぐとヴィクトワールに手渡し、フットワークも軽くトイレの方向に駆け出していった。

 廊下には、呆然としたままショーツを手にしたヴィクトワールだけが取り残された。細めに開いた扉からは、おかしな音が漏れ聞こえてくる。ヴィクトワールは顔を真っ赤にして両耳を手のひらで塞いだ。

 ヴィクトワールは顔を赤らめながらモジモジすると、辺りをキョロキョロと確認してからそっと扉の内側を覗きこんだ。

 覗き魔メイド騎士、ここに超絶爆誕である。

(これは覗きとかそういう卑しい行為ではなく、その、あれだ! 単純なる確認作業だからな! 私がこのような卑猥な行為に歪んだ興味を持つはずがなく、その、いつまでも作業終了の報告が終わらないと、朝食に移れないからなっ!)

 歪んだ理論武装を完結させると、ヴィクトワールは胸をドキドキさせながら、中をそっと覗きこんだ。

「わあ、うそ……」

 そこには、開け放たれた朝の日差しを浴びながら主に奉仕するポルディナの姿があった。

 寝台の上の蔵人はいまだ覚醒していないのか、大の字になったまま寝息を立てている。だが、彼の下穿きから露出させてある男はそんなの関係ねぇ! とばかり直立不動明王になっていた。

(うわっ、うわっ、うわっ! なななな、なにをやってるんだ!?)

 ヴィクトワールは心の中できゃあきゃあ悲鳴を上げつつも、彼女の淫靡な行為から視線をそらすことなく、食い入るように見つめていた。

「ふふ、ご主人さま。今朝も、とってもお元気ですね」  

(元気ってなに? なんなのっ? わたし、わからないです!!)

「んんうっ!!」

 くぐもった悲鳴がポルディナの喉から漏れた。

(あ、あわわ。そこまでするの? 本当に?)

「ああ、もったいのうございます」

(もったいないの? もったいないお化けでちゃうの?)

 そしてメイドのご奉仕が終わる。メイドがメイドたる所以である。

 ヴィクトワールは最後までそれを見届けると、当然のように起床して雑談をはじめた蔵人を見て、ようやく声をかけることに成功した。

「どうしたんだよ、ヴィクトワール。腹でも痛いんか?」

「そですよー。トイレなら我慢せずに、ささっと行っちゃったほうが」

「我慢などしてないし、ぜんぜん関係ないっ! それと、ハナは下品すぎる。食事中だぞ」

「これは失礼しましたですー」

 ヴィクトワールは平然と目玉焼きを切り分けるポルディナを見ながら、激しく動揺していた。

 先ほどまでの激しい痴態などなかったような立ち振る舞いは冷静そのものであった。

 ヴィクトワールが己の認識力に疑問を持つようになるには充分な変わりようであった。

「あ、塩とってくださいな、勇者さま」

「はいよー」

 蔵人はハナの要望に応えると食卓塩のビンをさっと滑らせた。ポルディナは目玉焼きを切り分けると、フォークで蔵人の口に運ぶ。わずかに浮かぶ慈愛に満ちた表情は、見るものをはっとさせるほど魅力的ではあった。

(しかし、これほど美しい娘が先ほどのような真似を当たりまえのように行うとは。奴隷とはそういうものなのであろうか)

 ヴィクトワールは眉間にしわを寄せながら、カップを口元に運んだ。砂糖をたっぷり利かせたミルクティーである。彼女は見かけこそハリウッド女優のように優美であったが、舌はおこちゃま舌で、超甘党だった。

 通常、主というものは奴隷や使用人とはいっしょに食事を取らないものだが、蔵人はそのような行為を特に嫌がった。メシはみんなで楽しくがモットー、らしい。

(そもそも、なんだこのようなテーブルは)

 蔵人は、食事用にわざわざ円卓を注文し、皆で一堂に料理を囲めるようにしたのであった。なので、姫屋敷では誰もがいっしょに食事を摂るのであった。

 唯一例外はポルディナである。彼女は、どんなときでも蔵人が朝食の半分は少なくても胃の中に収めないと絶対にスプーンを握ろうとしなかった。

(いくら私が鈍くてもわかるぞ。ポルディナは、まったくもって理解できないが、どうやらクランドに惚れているらしいな)

 ヴィクトワールの認識は当たっているようで、大元では違っていた。

 ポルディナの蔵人に向ける気持ちは惚れたのなんだの、恋だの愛だのなんてレベルで計れるものではなかった。

 尊崇しているのである。

 まさしく、ポルディナにとって蔵人は神そのものであった。

 すべてを捧げ尽くしてなお足りない。彼女の中では、そのようなステージに到達しているのであった。この認識の違いが、あとあとヴィクトワールとポルディナの中でとある事件を引き起こすのであるが、運命的に不可避な事柄であった。

「ご主人さま、あーん」

「おお。あー」

 ポルディナは蕩けきった表情で幼児にするように口をぱっくり開け、スプーンに載せた焼きベーコンの切り分けを蔵人に運んでいる。

 蔵人が大きな口を開けてもちゃもちゃと咀嚼するとそれだけで花が開いたような笑顔を見せる。決してほかの誰にも見せない、蔵人限定の媚び顔だった。

(それにしても、このようにすぐ横でイチャつかれると途轍もなく腹が立つのはどうしてなのだ!)

「あはー、じゃあ、お嬢さまも負けずにいちゃつけばいいじゃないですか」

「そんなことできるかっ! それに人の気持ちを読むんじゃない!」

 ヴィクトワールは複雑な気持ちを抱えたまま朝食はだいたい終わる。

 朝食がすめば、引き続き作業が開始される。

 無慈悲なポルディナメイド長から冷徹な指示が下されたのだ。

「ヴィクトワールは草むしり。ハナは清掃の再点検及び再清掃です」

「なんでだっ! 私の掃除の仕方のどこが悪い!」

 ヴィクトワールが目を三角にして抗議する。

 ポルディナは腰に両手を当てて、カッと真っ赤な口を開いた。

「あなたはやり方が粗雑なんです」

「あはははっ、お嬢さま粗雑っ、粗雑ですって!」

「私を笑うなあああっ! 仕方ないだろ、いままでこんなことしたことないのだから!」

「自慢することではないでしょう。ヴィーよ。そろそろ、この屋敷に来て一週間。少しは慣れてきてもよいのでしょう。ハナに比べればだいぶ手際が悪いですよ」

「やーい、やーい。お嬢さま、怒られてるー」

「いやいやいや。こいつは元々メイドで私は、近衛騎士だぞ。そもそも比べることが間違っているのでは?」

「いいわけはしない」

「いいわけしちゃダメですっ!」

 ポルディナの叱責にかぶせてハナが調子づく。

 ヴィクトワールの形相が般若のように変化した。

「……ハナ。おまえとはあとで、ゆっくり話があるから」

「えー。うそーん、こわいーん」

「媚びても無駄。やっちゃうからな、私は」

「おしゃべりは、お仕事が終わってからにしなさい」

 憤懣やるかたなく草むしりに精を出していると、屋敷の主である蔵人がヘラヘラした顔で出て行くのが見えた。

 日中、蔵人が屋敷にいることはまずない。ダンジョンに潜ると称してあちこちをふらついているのであろう。

 だが、なんだかんだいって金をどこかしらから引っ張ってくるのは甲斐性のある証拠であると思う。薄給で近衛騎士団の皆と共に苦しんだ経験のあるヴィクトワールにはその凄さが理解できた。

 いざとなれば、実家からの仕送りが望めるといっても、自由になる金の少なさがツライのは身にしみて理解出来た。

「ひとつの才覚というべきか。むむ、こんなところにまでっ」

 ヴィクトワールは神経質に花壇の雑草を抜きまくった。彼女はとことん突き詰めるタイプであった。

 姫屋敷は購入してから日が浅く、あちこち手を入れる部分が多数あった。庭の手入れなど専門の職人に任せればいいと思う。実際、蔵人自身からそのような申し入れがあったのだが、ポルディナがその提案をやんわりと拒絶したのである。

 理由を述べるところによると、家のことはできるだけ自分たちの手で行いたいという趣旨であったが、本当のところは少しでも主の金を節約したいという健気な彼女なりの考えであった。

「まったく、どこまであの男に気に入られるようにすれば気がすむのだ。結構、疲れるなぁ、これは」

 三者がそれぞれ仕事をすませる頃には、昼食の時間となる。

 蔵人がいなければ気まずい時間になると思いきや、それは女が三人集まるのである。

 雑談に花が咲く。

 多弁とはいえないポルディナも結構な頻度で口を開いた。

 もっとも、大概が主の蔵人を持ち上げるステマであったが。

 しかも、かなりあからさまでさりげなさなはなかった。

 昼食はかなりガッツリしたものが出る。

 具体的にいうと肉だ。

 焦げ目のついたステーキ、チーズやバターをたっぷり使ったスープ、ソースをたっぷり絡めたハンバーグ。蒸したおじゃがに、ふわふわっの白パン。

 そして、デザートは生クリームと砂糖をたっぷり使ったチョコレートムース。

 激高カロリーだ。

 ポルディナは蔵人が屋敷にいる間はかなり食欲を抑えているのか控えめだが、女同士だけの場合は、かなり旺盛な食欲を見せた。超・肉食系女子である。彼女曰く、「これぐらいの栄養があるものでなくては、ご主人さまの野獣のような愛撫に耐えられない」とのこと。

 ヴィクトワールにいわせれば、知らんよ、そんなの。という気分である。

 午後も作業は延々と続く。ときどき、ポルディナは買い物に出て行くのでヴィクトワールは留守番を任される。

 実は、午前中にしゃかりにきなって作業をするので、意外と暇な時間がポコッと浮き上がる場合がある。その機を逃さず、鬼の居ぬ間に洗濯と、ハナに給仕をさせ茶会を楽しむ。

 焼き菓子を作らせて舌鼓を打ち、詩を読んだり昼寝を楽しんだりする。

 ときどきは、物売りが来たりすることがある。ハナが対応すると、年若いと侮って不埒な気配を見せる輩が多いので、渋々ヴィクトワールが出ることが多い。

 物売りは多岐に渡る。

 それこそ、日常雑貨から、野菜や、肉。用途不明なマジックアイテムから、夜のお供の張り型まで。

 この日、姫屋敷を訪れた男も、その手の夜の道具を専門に売りつける男だった。

「ウチはそういうのは間に合っている。早々にお引きとりいただこう」

「ははぁ、まあ、まあ。そう邪険にすることはねえですよ。ねえ、美人なメイドさんよう」

 物売りの男は、歳の頃は四十そこそこ。痩せぎすだが、精力の有り余る脂ぎった顔をしていた。男は、玄関口に出たヴィクトワールを見て、あからさまに目尻を下げた。

 流れる金色の美しい髪に、新緑のような瞳。

 目元の泣きボクロが男の好き心を無意識に刺激した。

 豊満な乳房がツンとメイド服を押し上げて張り出している。

 男は傍らにハナがいなければ即座に押し倒しそうなほどに瞳を情欲にたぎらせ、真っ赤に充血させていた。

「どうよ、この張り型の黒さはよう。へへ、アンタその首輪からすれば奴隷だろう? この屋敷の主人に毎晩かわいがられてるんだろ? この道具を使ってあんあんよがり声を上げれば、年寄りの旦那も奮い立つってもんだぜ? げへへ、なんなら、俺が特別にアンタに使い方を教えてやっても構わなないんだぜ?」

 ヴィクトワールの瞳がすぅと細まる。

 ハナが、困ったように額に手を当て、あちゃーとつぶやいた。

「へえ、使い方か。それは、いったいどう使うのかな。是非ともご教授願いたいな」

「ほおっ! へへ、そうかいそうかい。アンタもかなり好きモンだねえ。よっしゃ、よっしゃ。年寄りの旦那じゃ、アンタのそのプリっプリしたおっぱいやケツを撫でるぐれぇが精一杯だろう。この俺の、商売女も夢中にさせるモノで、たっぷりかわいがってやるからよおおっ。俺のもんはスゲェぜ。それこそ、何度でも使いたくなる一品ってもんさね。ほら、ほら。さっさと中に入れてくれねえかな? なんならそっちの若い姉ちゃんもいっしょにかわいがってやっても構わねえぜ。二発や三発、俺っちのモノはいつでもどこでもブッ放せるんだからよう!」

 興奮しまくった物売りに、そっと白磁のような手が差し出された。

 ヴィクトワールはにんまりと笑うと、指先を誘うようにくねらせる。

 男は、よだれを垂らしながら黒い張り型を手渡した。

 ぎゅっと、指先が無骨な水牛の角で出来た艶具を握りこむ。

 男の鼻が卑猥な期待感で大きく左右に広がった。

「ふひひひ。ど、どうした。もしかして、この玄関で使って見せてくれるっていうんなら、値段の方は特別に勉強してやってもいいんだぜ!」

「そうだな。これの使い方はよく知っているぞ」

「へえ! あんがい顔に似合わず――」

「こうだ!!」

「おぶるっ!?」

 ヴィクトワールは黒光りする張り型を真っ直ぐ男の口の中に叩き込んだ。

 水牛の角で出来た張り型は、先がいくら削ってあったとしても、相当な硬さだ。張り型は、男の前歯を残らずへし折ると垂直に喉へと突き刺さった。

 折れた黄ばんだ歯が、大理石の床を滑って散乱した。

 ヴィクトワールは身を折って咳きこむ男の腹に長い脚を突き入れた。ズン、と、つま先の硬い部分が食い込んだのか、弾き飛んだ男は身をよじって胃の内容物を吐き散らかした。

「貴様のようなクズがっ! この私を、なんだと思っているんだ! ふざけるなっ! このっ、このおっ!!」

「ひぎいおおゅぃっ! ゆ、ゆるひてっ! いだあっ、いだいっ! いだいいっ!」

 ヴィクトワールは憤怒の表情で身を丸めて許しを請う物売りの背を散々に蹴りつける。

 長い髪はばさばさと揺れて、ヘッドドレスが外れて転がった。慌ててハナが拾いに走る。

 怒号が辺りをつんざいた。

「誰がおまえなぞ相手にするかっ! それほど、私が尻の軽い女に見えたかっ! これでも私は、栄えあるシモン家の奴隷騎士! ヴィクトワール・ド・バルテルミーぞっ!!」

 自分の言葉により怒りを駆り立てられたのか、頬を紅潮させながら足首を男の後頭部に振り下ろす。野良猫が轢死したような声が、男から放たれた。

「ひいいっ! わがっだ! わがっだがらやべてえええっ!!」

「本当にわかったのかああっ!! この屋敷をクランドさまの屋敷と知っての狼藉かぁあっ!!」

「いやー、お嬢さまイキイキしてますねぇ。ハナはお嬢さまが元気だとうれしくなっちゃいます」

 脳内にアドレナリンが分泌しているのか、ヴィクトワールにハナの声は聞こえていなようだった。男は、「い、異常者だあっ」と泣き叫びながら、荷物をばら撒きつつ駆け去っていく。門の向こう側から、入れ違いにポルディナの戻る姿が見えた。

 ヴィクトワールは鼻を鳴らすと、両腕を組んでものすごいドヤ顔を作る。

 まさしく、してやったり、という表情だった。

「どうだ! 見たか、物売りを見事撃退してやったぞ!」

「ヴィクトワール」

「なんだ!」

 ヴィクトワールは緑の瞳をらんらんと輝かせ、ご褒美をねだる忠犬のようにポルディナに顔を寄せた。

「汚れ、掃除しておきなさい」

 ポルディナは買い物袋を抱えながら、鼻をヒクつかせると、男の吐瀉物を目線で示し渋面を作った。ハナは、苦笑いをしながらバケツと雑巾を取りに屋敷の中へと歩いていく。

 我に返ったヴィクトワール。気恥かしさに、顔を真っ赤にした。

「ああ、それと」

「わかった。わかったから、もう小言は勘弁してくれ」

「あなたにも、シモン家の奴隷としての意識が備わってきたようですね。姉としてうれしい限りです。今後も精進するように」

「え、あ? は、はい。んん? あ、ああっ!! にゃあああっ!? 違うう!!」

 ヴィクトワールはしばらくポカンとして自らの言動を思い返し、激しく身悶えした。

 夕食時、珍しく蔵人が戻ってきて皆で一緒に食事を取った。なんでも、第九層の攻略が完了したらしい。かなりの財宝も手に入れられたらしく、ザクザクとした金貨の詰まった袋を見せられたとき、我がことのように喜びが満ち溢れてきた。

 それは、騎士団では得られなかった、途方もない一体感だった。

 蔵人曰く、これで念願の内風呂をグレードアップさせる頭金ができたらしい。なんでも、彼の世界では、風呂に入りながら酒を酌み交わしたりするのが風流とされているらしい。

 蔵人と一緒に入るのは問題外だが、こんどハナと入ったときに試してみるのも悪くないと思った。

 湯に入り一日の疲れを洗い流す。

 あてがわれたメイド部屋はハナといっしょである。

 寝台の上で神に祈りを捧げ、清潔なシーツにすべり込む。なんの憂いもない。

 ヴィクトワールはそのまま、意識をたゆたわせようとして。

 突如として、気づいた。

「あああああっ!!」

「ど、どうしたんですか。お嬢さま!?」

「……きょうもまた、メイドとして一日を過ごしてしまった」

 呆然とした表情。

 ハナは、つまらなそうに舌打ちをすると、ゴソゴソとシーツに潜りこんでいった。

 ヴィクトワールが使命を果たすときは、未だ、遠い。






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