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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第2章「迷宮都市シルバーヴィラゴ」
80/302

Lv80「バロッコ兄弟」




 

 ライオネルの騎士たちは長剣を抜いて正眼に構える。

 一部の隙もない流れるような動きである。並々ならぬ腕前を思わせた。

 十名が十名とも長き剣の修練を積み、ひとかどの騎士である。

 なるほど、マカロチフの巨体は鍛え抜かれているが、武器ひとつ手にしていない。

 騎士たちは、あきらかに徒手格闘自体を舐めきっていた。

 戦場の花形といえば、槍であり、弓であり、剣なのである。

 もちろんマカロチフがコロシアムを長く生き抜いた歴戦の強者である、ということは事前に知らされていた。

 だが、所詮は奴隷風情の見世物芸。騎士たる己たちが不覚を取るなどとは夢にも思っていない。慢心である。それを差し引いても、マカロチフの強さは本物だった。

 巨体が地響きを立てて突進してくる。

 この時点ですら、まだ騎士たちには余裕があった。

 マカロチフは右に左に激しく身体を揺らしたかと思うと、陽炎のようにその場から消え失せた。ありえないことである。瞬きの間に巨体が蒸発したのだ。

 騎士たちは動揺から、思考を一瞬停止した。

 その、一瞬が常に戦場では明暗を分けるのである。

 敗北は不可避だった。

 激しい陽光の中、土煙が静かに立った。

「縮地!!」

 巨漢の声だけが幻のように響く。騎士たちの視線が瞬間、さまよった。

 刹那のときを経て、巌のような肉体だけが実体を生じた。

 マカロチフは忽然と騎士たちの目の前に姿を現すと素早く拳を二度振るった。

 肉を撃つ激しい音と血飛沫が断続的に響く。

 鍛えに鍛え抜かれた巨大な腕が空を切り裂いて動いたのだ。インパクトの瞬間、男たちの表情には信じられないという疑問だけが色濃く浮き出ていた。ふたりの騎士は兜ごと顔面を破壊されると、崩れた粘土のような目鼻になって大地に沈んだ。

 マカロチフはあっけにとられた目の前の騎士に向かって蹴りを放った。

 巨木のように重く早い一撃は膝頭まで騎士の胴体を安々と貫いた。

 蹴り抜いた足のつま先が背中から生えたような格好だった。

 マカロチフは無表情で足を抜き取ると、だんと勢いよく大地を踏みつけ構えを取った。

 焦りを覚えたのか周囲の騎士たちがいっせいに斬りかかる。

 マカロチフは怯えも見せず、その場に両足を踏ん張ると、両拳を強く握りこみ全身の筋肉を細かく震わせた。他を圧する怒号が流れる。

 マカロチフは閃光のような速さで向かい来る刃風を迎え撃つ。

 キン、と澄んだ硬質な音が高らかに鳴った。五人の騎士が持つ剣はほぼ同時にツバ元からへし折れ地面に突き刺さる。すっと瞳孔から光が消え、男たちの身体が糸の切れた吊り人形のようにその場に崩れ落ちた。

 五人の騎士、全員の喉元は猛獣に喰い破られたように鋭くえぐり取られていた。

 マカロチフが目にも止まらぬ速さで、五人のやわらかな喉肉を同時に引き千切ったのだ。

 バラバラと崩れ落ちていく仲間を見て、残ったひとりの騎士が歯を剥きだしにして踏み込んだ。長剣は斜めに鋭く舞い落ちてくる。避けようのない速度と力。勝利を確信した騎士の頬に笑みが浮かんだ。

「鉄豪」

 マカロチフは冥い瞳に焼けた鉄のような殺意を煮え立たせ、静かに告げた。

 女性の腰ほどありそうな太い腕が、鈍色に変わっていく。

 闘気を纏わせた腕はたちまち硬度を増して冷たく鈍く輝いた。

 長剣が勢いよく振り下ろされた。かあん、と硬質な音が鳴った。

 騎士の振り下ろした長剣は中程から折れると、鋭く回転しながら背後の樫の木に突き刺さった。同時に巨体が素早く動いた。

 マカロチフは長く太い腕を伸ばすと騎士の頭部を片手で掴んだ。

「ぎ、ぎぎぎいっ」

 騎士は錆びて軋んだ歯車のような奇妙な声を上げた。

 百八十近い長身の男である。

 だがそれを、マカロチフは糸くずをつまむように苦もなく吊り下げたのだ。

 人並み外れた膂力であった。

 騎士は泣き叫びながら恥も外聞もなく、ただただ慈悲を乞う言葉を発している。ライオネル公爵と寄り添う形のカロリーヌは蒼白な表情で唇を震わせていた。

「馬鹿な。我が家のよりすぐりの精鋭だぞ。それを、あのように」

 ライオネルはその気になれば領地から数千の兵を集めることができる、ロムレス指折りの領主であった。その主に仕える騎士が水準以下のはずがない。

 驚嘆すべきはマカロチフの強さであった。特にカロリーヌは自分の剣にある程度の自信があっただけに、騎士たちにおける信頼は並々ならぬものがあった。

 いくら強がっても彼女の中には名家における血の高貴さによる無意味な根拠の上の盲信が巣食っていた。

 己よりもはるかにすぐれた腕前の剣士が流れ作業のように屠られていく。元より彼女の中に、蔵人やアルテミシアに対する強さへの信頼はなかった。

「そんな、こんなことって……」

 蔵人たちに助けられたものの、彼らが追い散らしたのは、しょせんゴロツキ風情である。

 騎士の掛け値なしの強さとは比べ物になならない。彼女はそう考える。

 さらには、必勝を疑わなかったために、どこからも増援の手配はしなかったのだ。

 カロリーヌの中で膨れ上がる絶望を無視して事態は無情にも突き進んでいった。

 マカロチフが剃り上げた禿頭に太い血管を浮かべると、巨大な手のひらが収縮した。

 ケダモノじみた断末魔が辺りを打った。

 鉄と肉とがカラの紙パックを畳むような容易さで破壊される。

 マカロチフは容赦なく兜ごと頭部を握りつぶしたのだ。

 赤黒い血肉と脳漿が混じりあってひとつになる。

 騎士は欠けた剣を持ったままその場に膝を突き動かなくなった。

「貴様、貴様、貴様ぁああっ!!」

 年若い小柄な騎士が声を震わせて立ち向かっていく。

 勇敢なのは結構だが、彼には生物としての根源的な能力が備わっていなかった。

 すなわち、己の命に対する保全である。

 マカロチフ視線を声の元へと移すとこれみよがしに舌打ちをした。

 あからさまな侮蔑だった。

「うわあああっ、うわっ、うわああっ!!」

「やめろロレンツ! 不用意に近づくな!!」

 年かさの細身の騎士が怒鳴った。

 小柄な騎士はデタラメに剣を振り回すとマカロチフに向かって飛び込んでいった。

 巨漢の拳闘戦士は気だるげに息を吐くと、大木のような左腕を振るった。

「ごるぼえっ!?」

 ロレンツはゴムまりのように軽々と弾け飛ぶと、くるくると宙に舞い二階の壁に身体を強く打ちつけた。

 叩き潰された蚊のように、壁際をゆっくりと滑り落ちる。

 ミンチになったため放出された血と脂が粘着性を帯び、彼の身体を壁から容易に剥がさないのだ。垂直な血の跡を残しながら自由落下する。ロレンツは原型を留めない骸となって地に降り立つと自分の持っていた剣で胸を貫く格好となった。

「うおおおっ、さすがマカロチフさまだぜええっ!!」

「腐れ騎士なんざ目じゃねえやい!」

「おい、野郎ども! 兄貴に続け! そもそもがこっちの方が数が多いんだ!」

「野郎どもは血祭りだぜっ!! 高慢ちきな貴族女を泣かしてやろうじゃないか!」

「腰が抜けるまでハメまくってやるううっ!!」

 勢いに乗った男たちは手にした得物を掲げて気勢を上げた。去勢された野良犬のようにしょぼくれていた彼らの目に力が宿る。誰もが嵩にかかって攻勢に出る気配を見せた。

 男たちの瞳は、ルッジ、カロリーヌ、アルテミシアの三者にそそがれていた。

 誰もが身分が高く、男たちが一生かかっても相手にされることのない気品を保っていた。

 高貴な身分の女たちを裸に剥き、支配する。己の男根に奉仕させ、泣き喚く彼女たちを無理やり押さえつけ射精する光景を脳裏に描くだけで異様な興奮が湧き上がってくるのだ。

 一箇の雄と化した男たちは獲物を前にして舌なめずりを抑えきれない。

 欲情に満ちた目つきだった。

「おいおいおい。ジジィは殺すんじゃねえぞ! 生かしておけよう! それと、そこのクソ野郎があっ! よくも、オレ様ちゃんの肩を傷つけてくれたなぁああっ!! 絶対、ぶ、ぶぶぶぶち殺してやっからなああっ!!」

 ゴルボットはヒキガエルのような顔をさらに引きつらせ、飛び上がって吠えた。

 醜悪な肥満ヅラが腐った饅頭のようにひしゃげられていた。

「おおおっ、見ろ! あれを!!」

「え、え、援軍だぜえ!!」

 ゴルボットの手下の一人が、蔵人たちの後方を指差した。

 そこには、先ほどカロリーヌを追い詰めようとして、あっさり蔵人たちに追い払われた男たちの仲間の駆けつける姿が見えた。

 その数、八人。

 これで蔵人たちは、前方に十二、後方に八の敵を迎えたことになった。

 状況だけを見れば絶体絶命である。

 残ったもっとも年長の騎士ウォーレンは、もはや戦意を喪失していたが、強烈な義務感だけでこの場に留まりともすれば消えそうな矜持を保っていた。

「ライオネル公。せめて私が逃げる時間を稼ぎます。カロリーヌ。公と奥さまを頼むぞ」

「ウォーレン卿。それでは、貴方が」

「いいのだ、カロリーヌ。これが、私の役目なのだから」

「あーはいはい、そこまでそこまで」

 悲壮な覚悟でやりとりとをしている三者に割って入った声。

 蔵人はかったるそうに半目で敵影に視線を転じると首筋の裏をかいた。

 たちまちカロリーヌの甲高い声が非難するように響いた。

「貴公、確かに少々腕が立つようだがそのモノのいいようはなんだ! おそれおおくも、ここにおられる方は、ブラックウェル家当主のライオネル公爵とウォーレン子爵なるぞ!

 先ほどは確かに少々世話になったが、いい気になるな! その程度の勲功ではそもそもがこの方々に直答を許される身分では」

「もういいよ、そういうの」

「な――」

 蔵人は人差し指をカロリーヌの唇に押し当て片目をつぶった。

 それは、聞き分けの悪い幼児に言い聞かせる大人の仕草そのものだった。

「身分がどうこうでどうにかなるもんじゃねえだろ。こっから先は、こいつで話をする時間だ」

 蔵人は抜くても見せず長剣を抜き去ると水平に構えた。

 たちまち尋常ならざる闘気が全身から放射される。獲物を襲う獣が総毛立つように、生物そのものが持つ言語力が顕現した。わずかに弛緩していたマカロチフの表情。たちまち険しく引き締められた。蔵人は激戦をくぐり抜けてきた勇士である。放たれた殺気は、お遊戯剣法とは一線を画した本格派であった。

 カロリーヌをはじめとする周囲すべての人間が、容赦なく拡散される殺気を受け取って、身体をこわばらせた。動物としての本能である。それは原始的な直感でもあった。

「ルッジ。おまえは下がってろ」

 蔵人は当然のように命令した。外套を羽織ったルッジ。従順に従った。

 主のしおらしげな態度もそうだが、偉そうな男の口ぶりも気に食わない。

 なにより、カロリーヌは自分の弱さがルッジをこのような苦境に陥れたことも激しい恥辱だった。

「というわけで、鼻っ柱の強い女騎士さんはお守りを頼まァ」

「なっ――」

 蔵人の下女に対するいいようは、カロリーヌの癇の虫に触った。

 カロリーヌも剣一本で生きてきた女である。

 もちろん、ならず者に助けられたときから、蔵人が己に手を出さないであろうという女の勘もあった。勢い、貴族たちに対する応対とは自ずから異なり上に立つものとしての傲慢さがギリギリの状態でもあらわになった。

「待て! まだ、話は終わってない!!」

 ヒステリックに叫びながら前に出ようと足を進める。

 途端、天地が逆転した。

 がつん、と後頭部に痛みが走る。

「つぅ――」

 目蓋の奥で火花が弾け、視界が明滅する。

 カロリーヌが身を起こそうとしたとき、首筋に白く冷たい金属が添えられていることに気づき、魂が飛散しそうになった。彼女が視線を暴力の元へ転じる。

 そこには、険しい表情で槍の穂先を向ける白十字騎士団(サンクトゥス・ナイツ)の装束をまとった長身の美女、アルテミシアの姿があった。

「なにを。なぜ、このような」

「いや。私の槍はずいぶんと軽くてな。ときどき思ったとおりに止まってくれないのだ。だから、な。万が一のときは、諦めてくれないか」

 アルテミシアの整った美貌が造りもののように静止する。

 怒っている。

 確かに怒っているのだ。深く、静かに。

 カロリーヌは首筋に添えられた冷たい刃が細かく震えているのを知り、背骨から頭のてっぺんまで鋭い悪寒が走った。

 理解できない。彼女が白十字騎士団(サンクトゥス・ナイツ)の一員ならば、歴とした貴族、――であるはず。

 理解できない恐怖に怯え、身をさらにこわばらせた。

 だが、理由はすぐに思い当たった。

 騎士アルテミシアは、座りこんでいるルッジへチラチラと視線をさりげなく転じていた。

 敵を前にして、一貫しない目配りである。

 さらにいえば、カロリーヌの敬愛する女主人は、あろうことか暴漢と対峙する冒険者の男を熱っぽく見やっていた。

 アルテミシア、ルッジ、そしてクランドという男。

 疑問は氷解し、ラインはたやすく繋がった。理由は、女ならば蔑ろにできない差し迫ったものだった。カロリーヌも女であるからわかるのである。

 ときに、それは、女にとって命よりも優先される項目だった。

 目の前の女を怒らせてはまずい。彼女は状況を鑑みず、恋する男に対しての侮辱を晴らしにかかるかもしれない。

 カロリーヌは、下唇を強く噛み締めると、感情を抑え助力を乞うた。

「わかった、アルテミシア殿。すべては、クランド殿にお任せする。公と、奥さまをお守りしてくれ」

「ああ、最初からそのつもりだ」

 アルテミシアは長槍を抱え直すと、くるりと向きを変えて後方の敵に備えた。

 その顔にはもはや浮ついた考えは完全に消え去っており、戦いに臨むひとりの戦士としての闘気が満ち溢れていた。






 一方、蔵人はマカロチフを向き合ったまま膠着状態に陥っていた。互いに隙を狙ってじりじりと闘気をぶつけあっている。

 最初に均衡を破ったのはゴルボットであった。

「なに、お見合いしとるんじゃあ!! 敵はたったふたりだぁ!! とっととかかりやがれぇ!!」

 ボスの叱責の声。

 耐え切れず、五人の男が飛び出した。

 マカロチフの側面から勢いよく駆け出していく。

 蔵人は長剣を水平に構えたまま地を蹴って飛び上がった。真正面の男。怯えたように剣を振り上げたのが見えた。

 蔵人は手に持った剣を勢いよくすべらせた。

 白刃がすさまじいスピードで流星のように走った。

 血煙が舞ったと同時に首根を断ち切られた男の身体が斜め後ろに倒れた。

 蔵人は地に降り立つと同時に半身をそらした。

 飛びこんでくる男の胴体。長剣を鋭く叩きつけた。

 磨かれた刃は深々と男の胴体を薙ぐと、溶けたチーズを割るように叩き斬った。

 呆然としたひとりの男。バランスを崩しながらも剣を振るってくる。

 蔵人は足を伸ばして引っかけ、倒れこんだと同時に喉元を深く抉った。

「わあっ!!」

 己を鼓舞するように叫びながら真正面から突っ込んできた。

 蔵人は素早く確実に刃をがら空きになった右足に叩きつけた。

 なにも、一撃で敵を倒す必要はない。人間は身体の一部に損傷、特に脚に深いケガを負えば戦闘能力のほとんどを喪失する。

 脛を断ち切られ転げ回っている男の顔面を蹴上げ、手にした鉄拵えの鞘を滅茶苦茶に振るった。重い重量を持つ黒鉄の鞘はそれだけで充分な凶器である。目鼻や口を突かれまくった男の顔は崩壊した泥粘土のように原型を失った。

 怯えて背後を見せた男の腰をおもいきり蹴りつける。

 倒れた男の背中を存分に薙いだ。

 蔵人は倒れた男の背中を踏みつけると両手に持った長剣を垂直に突き下ろした。刃は存分に骨をくぐって心臓を貫くと、刀身を紅に染めた。素早く刃を抜き取って正眼に構える。

 マカロチフは両手を胸の前で交差させながら、狡猾な蛇のように動きを観察していた。

 巨漢の隣には額に赤いバンダナを巻いた男が蒼白な表情で剣を構えている。

 マカロチフはぬっと太い腕を伸ばし、バンダナ男をつまみあげるといった。

「スピリドン。あいつをやり損なった責任を取ってもらおう」

「お、おかしら? よしやしょうや、こういうときに冗談は」

「行け」

 マカロチフの腕が勢いよくしなった。ひとりの人間は高々と空を舞って飛び上がった。

 空を揺るがしスピリドンの身体が飛来する。

 蔵人は半身を開いて剣を素早く振るった。

 虚空に半円が軌跡を描く。

 猫を轢殺したような絶叫が流れる。

 蔵人の長剣はスピリドンの顔面を深々と断ち切ると血の雨を降らした。

 乾いた大地と草むらを生暖かい血が音を立てて打った。

(こいつ、俺の剣筋を見るために、仲間を)

「クソっ、クソおっ! なんてえ役たたずだ! てめえらのようなやつを本当の無駄飯ぐらいっていうんだ! 散々、飯を食わせ酒を飲ませ女を抱かせてきたのはきょうという日のためじゃねえか! おい、どうにかしろよ! 行け、行けったら!」

 ゴルボットの焦りが手下に伝染した。目前に迫る死の恐怖に耐えられないのだ。

 激しい怯えが男たちを崩壊の岸へと追い立てる。

 悲壮感もあらわに、自らを鼓舞する雄叫びが上がった。

「ちきしょう、やぶれかぶれだ!」

「いったらあああっ!!」

 槍を構えたまま突っ込んでくる二人組が目前に迫った。

 脚力に差があるのか、次第に前後の距離が開く。

 蔵人は穂先をまっすぐ見つめながら、上段に剣を構えた。

 単純にリーチがある武器はそれだけで充分なアドバンテージがある。

 だがそれは、その武器に対して習熟していることも必要な要件であった。

 古来より槍は、弓に次いで武器の代表格であるといっていい。敵よりも早く攻撃し、敵の刃の届かない安全地帯からアタックするのがもっとも有効な攻撃方法である。

 男の槍を持つ手は、いかにも取ってつけたようで、迫る穂先には威厳も恐怖感も感じることのない、出来損ないの脅威であった。

 蔵人はギリギリまで敵を引きつけると、穂先を紙一重でかわして柄を握った。

 構えた剣を全力で振り下ろす。

 閃光は鋭くほとばしり、男の顔面を両断した。

 脳漿が飛散し、男の身体が横倒しになる。

「わわっ!?」

 後方をひた走っていた男。骸につまづきバランスを崩した。

 こうなれば、長い槍は取り回しの悪い足枷以外の何物でもない。持っていた穂先は深く地面をえぐり、致命的な隙が生じた。

 蔵人は長剣を強く握ると諸手突きを放った。

 肉を断ち、骨を穿ち、命を毀つ感覚。

 刃は男の胸を穿つと刀身の半ばまで背を突き抜け、白く輝いた。

 男の胸を蹴りつけ刃を抜き取る。蔵人の両脇から刃風が迫った。

「危ねっ!!」

 巻き起こる死の風を身をよじってかわす。

 蔵人は背後に大きく跳躍すると、眼前に迫る奇妙な二人組に視線を飛ばした。

 バロッコ兄弟。

 名うての殺し屋である。

 見上げるような背丈であるが、ふたりとも異常に体つきが細く厚みを感じさせない。

 手足は長く、まるでカマキリが直立歩行しているような生理的嫌悪感を催させた。

 灰色の覆面をかぶっており、瞳だけが異様な輝きを放っている。

 兄のビリーは手斧。弟のサリーは手槍を得意としていた。

「出やがったな、変態仮面二人衆が。おい、アルテミシア!! あとは頼んだ!! すぐ戻る!!」

「ああ、任せておけ!!」

 アルテミシアは槍を構えたまま澄んだ声で応じた。後顧の憂いはない。

 あとは手早く片づけるのみ。

 蔵人が走り出すと、ふたりは長い手足を振り回しながら前後を挟んで併走しだした。

 それを見ていた巨漢の戦士は眉ひとつ動かさず、勝機をつかむため動き出した。

 マカロチフは歴戦を勝ち抜いてきた戦士である。

 敵の中ではもっとも蔵人が手ごわいと一瞬で見抜いていた。巨体を震わせて三人を追うため後ろ足を蹴りこんだ。乾いた土煙が巻き上がったと同時に、主の声が鋭く飛んだ。

「おい、このバカがああっ!! おまえまでいってどうするよおおっ!! このオレ様ちゃんを守らんでどうするかああっ! 守れよぉおっ!!」

 ゴルボットは顔をクシャクシャにしながら駄々っ子のように泣き喚いている。えぐられた肩からは、まだ激しく血がにじみ出ていた。マカロチフは腹の底から激しく脈打つ熱い庇護欲を覚え、強く興奮を高ぶらせた。傷つきそれでもなお威厳を取り繕おうとする主人の姿。倒錯的な感情をひた隠しにし、マカロチフはそっとゴルボットの前に立ち不動の姿勢を取った。

「よーし、よしよし。いい壁だ、いい壁。なにをおいてもオレ様ちゃんの命を最優先。これもっとも重要なのっ。オメーもだんだんわかってきたみてえじゃねえか。なぁに、あの間男野郎はバロッコ兄弟がやってくれるさ!」

 マカロチフの中に激しい嫉妬の感情が渦巻いた。

 それはそれで、面白くない。なぜならば、自分の方がはるかに主のゴルボットを愛しているからだ。愛は強さにつながる。マカロチフの信仰にも似た尊い想いが、金で雇われたその場限りの男に劣るはずがないのだ。

 だが、いまもっとも重要視されるのは、主の命を守ることである。マカロチフはゴルボットが景気づけにばんばんと腰を叩くたび、えも言われぬ甘美な陶酔に酔いしれていった。

「デカブツがついてこないのは好都合。さあ、変態兄弟ども。サクッと片づけてやっからなあ!!」

 叫んだ途端、耳元で異様な唸り声を聞いた。

 飛び退いてかわす。

 地上には、深々と突き刺さった槍の穂先が沈んでいた。

 殺し屋の弟、サリーの手槍は、長さ六十センチほどに切り詰めた本体がふたつに分離するように改造されていた。手元の柄を握って放ると、内蔵された紐が伸びて穂先が飛ぶ仕掛けになっている。便利なものだった。

 サリーが柄を引くと、穂先は地面から浮き上がりシュルシュルと再び手元に戻った。投げやりとしても使えるし、身体のどこかに隠しておき、咄嗟の接近戦でも使用出来る強力な暗器であった。

「シュッ!!」

「うおっと!!」

 蔵人が手槍に目を奪われていると、兄のビリーが手斧を振りかざして突進してきた。

 身の厚い斧は鏡のように磨かれており、空を割いて襲いかかってくる。

 ビリーの手足は長く、小刻みに動いた。蔵人は長剣を強く握り込むと水平に振るった。

 虚空に半円が描かれた。

 斬撃は高い金属質な音を立てて弾かれた。

 二本の手斧を交差させたビリーが防いだのである。

 再び、手槍が凄まじい勢いを帯びて飛来する。

 蔵人は左肩に灼けるような痛みを感じた。穂先が左肩を激しく削ったのだ。

 ほとばしる血が頬を濡らした。

(このまま、いちどにふたりを相手にはできねえ。どちらか片方を始末しねぇと!!)

 蔵人は止めていた足を動かして、再び勢いよく駆け出した。挟まれたままでは、バロッコ兄弟の息の合った連携攻撃に致命傷を負わされかねない。

 そのためには、どうあってもふたりを分断してどちらかを始末せねばならなかった。

「キシャアアアァ!!」

 兄弟では弟のサリーの方が幾分、足が早かった。

 蔵人は藪を突っ切って小川に駆け入ると中ほどでサリーが近づくのを待った。

 ふくらはぎまで浸かる程度の深さである。夏の陽光は川面に照り返されながら、キラキラと宝石のように輝いていた。人間の争いをよそに、無数のトンボが辺りを浮揚している。

 蔵人はサリーが手槍を投げると同時に、長剣を寝かせたまま水面を大きく薙いだ。

「らああっ!!」

 刃風は川の流れに逆らうように巨大な水煙を出現させた。大粒の雫はやがて瀑布となって垂直に落下し、蔵人の姿を白い壁へと覆い隠した。

 突然の行動に手元を狂わせたのだろう。

 サリーの手槍は方向をそれて足元からすぐそばの小砂利に入りこんだ。

 素早く長剣を振るった。

 穂先と柄を繋いでいたひもはすっぱりと切れて、サリーの手には柄だけが残った。

 状況を呑みこんだのだろう。サリーの瞳に怯えの色が走った。

 蔵人は水を巻き上げて大きく跳躍すると、長剣を真っ向から振るった。

 サリーの頭蓋を叩き割る鈍い音が高らかに鳴った。

 同時に獣のような激しい断末魔が口から飛び出した。

 サリーの額から顎まで真っ赤な線が真っ直ぐ、長く引かれた。

 紅の線は左右に動きながらみるみるうちに太くなっていく。

 灰色の覆面はふたつに両断され、眼球を剥き出しにした男の顔が露わになった。

「弟よ!!」

 ビリーのしわがれた声が轟いた。

 サリーの頭部。

 叩き割られたスイカのように赤黒い断面が夏の日差しを浴びて四散した。

 脳漿と血潮が周囲に飛び散った。

 サリーは長い両手をだらりと垂れ下げたまま身体をぐらりと傾けた。

 崩れた肉体が水面をしたたかに打って飛沫を上げた。

 悪鬼の表情となったビリーが怒りに任せて突進してくる。

「そらよっ!!」

 蔵人は足元の石を拾うと振りかぶって投げた。水面を切って石弾は飛ぶと無防備なビリーの左脛にぶち当たった。ヒキガエルのような鳴き声を上げてビリーが片膝を突く。

 蔵人は、長剣を水平に構えると身を低くして駆けた。

 切っ先を水流に浸けて振るった。

 血脂は流れに洗われ、たちまち元の清らかさを取り戻した。

 川面が乱れて水飛沫が音を立てる。

 ビリーの左手が煙のように素早く動いた。鈍色の刃が回転しながら襲い来る。

 蔵人は跳躍すると長剣を大きく振り上げた。

 きらめく陽光が、聖剣黒獅子の刀身に降りそそぐ。

 曇りひとつない刃が鏡のようにきらめいた。

「うっ!?」

 激しい太陽の反射光に眼を灼かれたビリーの動作が刹那の瞬間、凍りつく。

 その瞬間、勝負は決した。

 蔵人の長剣が流星のように、激しく、強く、光芒を放った。

 黒獅子は狙いたがわずビリーの首元を両断すると血煙を高々と上げた。

 真っ赤な血が間欠泉のように一定のリズムを保ってびゅうびゅうと吹き上がる。

 涼やかな風が、いまや物言わぬ男の亡骸をそっと撫でた。

 蔵人がビリーの真横に膝を曲げて降り立った。

 長剣を振るって血糊を飛ばす。

 胸から出した懐紙でぬぐい取ると、虚空に投げた。

 白い紙は風に乗って飛び散り天に舞い上がった。

 ビリーの首を無くした胴体は手斧を持ったまま佇立している。

 静寂が張り詰め、川の流れが大きくなっていく。

 やがて骸は、どう、と音を立て後ろ向きに倒れ臥し、世界が色を帯びた。

 蔵人は荒い息を整えると、反転して再び走り出した。






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