表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第2章「迷宮都市シルバーヴィラゴ」
76/302

Lv76「姫騎士ヴィクトワール」




 

 過酷な運命に打ちひしがれた蔵人が、愛するポルディナが待つ自宅へとようやく帰還したのは昼をとうに過ぎた時刻であった。

「お帰りなさいませ、ご主人さま?」

 蔵人はパタパタと玄関に駆けてきたポルディナの姿が見えると同時に勢いよく飛びついて、自分の顔をその豊満な胸にうずめた。

「ご、ご主人さま?」

 ふかふかした程よい弾力と甘ったるい匂いを鼻腔いっぱいに吸い込んだ。

 ポルディナは、主人の動きに頭上の耳をピンと立ち上げたが、すぐさまいたわるように蔵人の身体に両手をまわして、ぎゅっと抱きしめるとしっぽを左右に大きく振りはじめた。

「本当に、お疲れさまでした」

 蔵人はポルディナの胸から顔を上げ、細いあごをつかんで唇を合わせた。

 ふたりは熱い抱擁をかわしながらねっとりとしたキスをかわす。

 ポルディナは強く抱きつくと舌を吸われるままにさせ、きゅっと目をつぶる。

 それから、送られる唾液を従順に飲み干した。

「ふうっ」

 蔵人は思う存分従順なメイドのやわらかい舌を楽しむと身体をそっと離した。

 ポルディナは、跪いて主のブーツを脱がせると、ぬるま湯で足を丁寧に洗い汚れをすすいだ。ひととおりすすぎが終わると、蔵人を椅子に腰かけさせて足指の股の間に自分の舌を這わせる。

 若く美しいメイドは、んっ、と鼻にかかった声をもらしながら丹念に汚れを舐めとると、主に薄い靴下とやわらかめの布靴を履かせる。

 蔵人は儀式が一通り終了すると立ち上がり屋敷に入った。そのうしろを、長剣と外套を捧げ持ったポルディナがしずしずと続いた。

「お疲れのところを申しわけございません。少し、よろしいでしょうか」

「なんだ?」

「あの、ご主人さまがお出かけの際に、二名ほどお客さまが参られまして。真偽の判断がつきませんでしたので、一応はおもてなし致しましたが」

「んん。ああ、そういやそんなこともあったような。うん、わかってる。メイドっぽいふたりだろう」

「はい。少し変わった方たちでした」

 あれを、少しというかね。蔵人は鼻を鳴らすと、応接間に向かった。

 ぼんやりと考え事をしながら歩く。重々しいドアノブを引くと、薄暗い部屋からは、独特の香草や油、肉を炒めた匂いが鼻先をくすぐった。

 きょときょと視線をさまよわせる。

 頭の中クエスチョンマークが埋め尽くした。

(確かここだったような、アレ?)

「その、そちらは、炊事場です」

 困ったようなポルディナの声。ボロ貸家からこの屋敷に移ってそれほど経っていない。加えて、蔵人は外出が多いために間取りを完全に把握はしていなかった。

「ああ、違った違った。えーと。こっちか」

 来た道を引き返し、進行方向を修正する。今度は間違えずに目的の部屋へたどり着いた。

 独特の文様が彫りこまれた身の厚く茶色い光沢を帯びた扉をポルディナが開いた。

 部屋の中央にあるソファに腰掛けていた、ヴィクトワールが立ち上がるのが見えた。

「どこへ行っていたのだ! まったく!!」

 ヴィクトワールはカップをマホガニーの長テーブルに置くと、立ち上がってプリプリと怒り出した。横には給仕をしていたメイドのハナがにこにこと笑いながら、小さく頭を下げるのが見える。

「んな、デカイ声しなくったって聞こえてるっての。おお、なんぞ?」

 蔵人は異常に毛足の長い絨毯に脛まで脛まで沈めながら近づいていく。ダンジョン内で岩稜地帯を長時間歩き続けていたため、ふかふかの感触もひとしおだった。

 中古とはいえ、さすがに元は貴族が療養所として使っていただけのことはある。

 無駄に豪奢だ。

「てか、まだそのなんちゃってメイドのカッコなんだな。気に入ったのか」

「気に入るはずもなかろう! やむ無くだ、やむ無く!!」

 ヴィクトワールは両手を腰に当てながら怒鳴った。

 際立った美貌だ。見ているだけで総毛立つ。

 蔵人は一瞬倒錯的な気分になった。

「あはー。剣も鎧もみーんな質に入れちゃったんですよう。でも、お嬢さまはこちらの女給姿の方がかわいらしいと思います」

「ハナ! おまえは、ふざけるのもいいかげんにしろ! 誰がこのような、下女風情の装束を好きこのんで着たがるか!」

 無言でたたずんでいたポルディナの犬耳がピクリと動いた。

「ポ、ポルちゃん?」

「――どうされました、ご主人さま」

「い、いや。なんでもない。こらっ、ヴィクトリーヌ! あまり、メイドさんを舐めた口を利くんじゃありません!」

「誰がヴィクトリーヌだっ! 私はヴィクトワールだっ!」

「それはいいとして、彼女たちは、おまえが思ってる以上に素晴らしい能力を多数保持してらっしゃるんですからねっ!」

「ぜんっぜん、まるでよくないが。例えば、どんな?」

「炊事、洗濯、掃除、から雑務一般、物売りを追い返したり、おまえたちのようなわけのわからない人間の相手をしたり、果てはご主人さまに対して昼夜を問わずご奉仕をしたりと、超多忙なんだよっ!」

「ふん。くだらぬ」

 ヴィクトワールは鼻を鳴らすと即座に否定した。

 ポルディナのしっぽの先が神経質そうにピクピク小刻みに揺れだした。

「くだらない、と仰られますが、お嬢さまはどれひとつできませんものねー」

「ハナァあああっ!! ふ、ふん。私にはそのようなことができなくてもなにひとつ困ることはないぞっ」

「そんなことを申されても、夜雀亭では困ってらっしゃったではございませんか。ハナは恥ずかしゅうて恥ずかしゅうて。……思わず裏から観戦モードに入ってしまいました」

「そこは助けよ! フォローせよ!」

「話がそれまくってるじゃねえか。要するに、ヴィクトワールは生活無能力者ってことでFA(ファイナルアンサー)?」

「違う、違うぞ。いやいや、とにかく私はこんなところで、時間を潰している暇はないのだっ! クランド。おまえには一刻も早く王都に戻ってもらわねば、騎士の一分が立たないのだ」

「お嬢さま。先ほどまでは、お茶を喫しながら、超くつろいでいたじゃありませんか。はぁー、もうお城に帰りたくないなっ、とかいいながら」

「にゃあああっ!! いってないいぃ!!」

 ヴィクトワール顔を真っ赤にすると、ふわっとした金色の髪を激しく振った。

 釣られてポルディナの視線が左右に動く。

「あははははっ。あー、笑った笑った、と。ポルディナ、菓子だ」

「なにがおかしいいっ」

 ヴィクトワールはきいいっと叫びながら両手でスカートの裾を強く引っ張った。

 だが、その光景はどう見ても主に対して無礼にも癇癪を起こしているメイドにしか見えなかった。

 蔵人はどっかとソファに腰を下ろすと、顎で命じた。

「はい。お待ちくださいませ」

 ポルディナは一礼すると音も立てずに部屋を出ていく。

 ヴィクトワールは我に返ったのか、頬を染めながらもわざとらしく咳払いをして場を繕おうと努力した。無駄だが。

「とにかく、私は責務を果たさせてもらうぞ。なになに、おまえが嫌だと拒否しても腕づくでだ!」

「おっ、中々茶の入れ方が上手いなー」

「あははー。お褒めに預かり恐縮至極ですー。勇者さまってぇ、なにげに褒め上手ですよねー。ハナ、ちょっと勇者さまラブっちゃったかも」

「マジで!?」

「聞けよ、人の話をおおおっ! 特にハナ、おまえ、わざとだろおおっ! 人の話の腰をポッキポキに折ってくれてぇっ」

「きゃ。勇者さまん。こわいん。お嬢さまがぁ、いじめるん」

「おお、よしよし。お女中。拙者が守って進ぜよう」

「やんっ。やん。そんなとこさわっちゃダメですん」

「だははっ。さわるほどないがな」

「んもう。意地悪」

 蔵人がそっとチラ見すると、メイド騎士(自称)は形容し難い表情になっていた。

「あー、そろそろやめとこうか。おまえのお嬢さまが、マジ泣きしてる」

 ヴィクトワールはうーうーうなると、蔵人の胸に手をかけた。女性にしてはかなりの腕力である。蔵人の腰がたちまちソファから十五センチほど浮き上がる。

「来いっ」

「ふうん。ま、いいけどさ。そのまえに返してもらうぞ。五十万(ポンドル)

「はあっ!? 私が立て替えてもらったのは、五万(ポンドル)だけのはずだ」

「借りたカネには利子がつくんだよん」

「ふ、ふざけっ」

「あ、そう。別に返したくなきゃ返さなくてもいいよん。ただ、王都に戻ったときには姫さんに返して貰うからな。理由を全部ぶちまけて、な」

「卑怯な。そんな恥知らずな理由で姫から金子の無心など。ふ、ふん。仮にそんなことを申し上げたとしても、姫がそんなことをお信じになれるかっ。いざとなれば、近衛騎士であるこの私の言をとられるはずだ! なあ、ハナ!?」

「いやー、さすがに嘘はつけませんよ」

「ハナぁあああっ」

「いやぁ、さすが姫騎士ヴィクトワールたん。我を通すためにはおつきの者にすら偽言を強要するなんて。悪代官かよ」

「――おまえは本当に最低の屑だなっ! なにが望みだ」

「なにが、というものはない。ただ、銭が返せないのであれば、その分誠意を見せてもらわなければなぁ。誠意をなぁ」

 蔵人の顔が荒々しい野盗のような顔つきに変わる。目元は垂れ下がり、口の端は釣り上がると野太い笑みが浮かび上がる。ギョロッとした瞳は、ヴィクトワールの窮屈そうに前へと張り出した胸元の双丘に注がれていた。

「下賎な!!」

「なにかなぁ。下賤ってどゆことかなぁ。早く、教えてっ!」

 ヴィクトワールは、よよとその場に倒れ込むと右手で顔を覆って嘆いた。量のたっぷりとしたはちみつ色の髪が、紅の絨毯に絶妙なコントラストを作り上げる。

 蔵人は下衆そのものといった顔で両腕を組み、美貌の姫騎士を見下ろした。

「私に、どうしろというのだっ。私は、使命を果たし、おまえを城に連れ戻さなければならないのにぃ。ふ、ふふふ。旅の途中で路銀が尽きて、名誉あるバルテルミー家の子女が貧民街で女給まがい。ついには、たかだか五十万(ポンドル)でこの身をいいように弄ばれるとはっ。ふふ、笑え。笑うがいいさ」

「あははははっ!」

 ハナはお腹を抱えると身をくの字に折ってころころと笑った。

「おまえが笑うなぁあああっ! ハナっ!! くうううっ」






 ハナはひとしきり笑い終えると、絨毯をかきむしって悔しがるヴィクトワールの横にしゃがみ、ひそひそと耳打ちした。

「でもでも、お嬢さま。よくよく考えれば事態は好転していますよ。なにせ、雲をつかむような話であった勇者さまを、なんの援護や助力もなしに見つけることが出来たのですから。偶然ですけど。それに、勇者さまの元にいれば、いつかは彼も情にほだされてお嬢さまのいうことを素直に聞いてくれるかもしれるようになりますよ。きっと」

「おまえは、私に身を投げ出せと?」

「やだなー。そこまではいってませんよ。ただ、お嬢さまはロムレス一といわれた美貌をお持ちになっておられるのですから、上手く振る舞えれば勇者さまを篭絡させることなんて、ちょちょチョイの、ちょいっ、です。いわば、騎士の力だけではなく、女子力も試されているのですっ」

「ば、馬鹿者っ。そんな、美貌だなんだと、ひとをからかいおってからに。し、しかし、そうだな。これは、重要な使命の一環として、貴婦人としての所作も試されるわけだな。うむ。まーったく、気が進まないが、おまえがそこまでいうのならばやるしかないな。

 ふ、不本意だがなっ」

「さっすがお嬢さまっ。――チョロインすぎます」

「なにかいったか?」

「いーえ。なにも。それでは、てはじめに、上手くごあいさつを」

「わたたっ。こら、押すなっ」

 ヴィクトワールは立ち上がりしなに腰を押され、よたよたとバランスを崩して倒れこんだ。彼女は前世紀の少女漫画風に蔵人の胸へともたれる格好になった。

 こいつ、意外と鍛えておるではないか。

 予想外にガッチリとした男らしい筋肉に激しく動揺する。それから、自分が両胸をぎゅうぎゅ押しつける形になっていることに気づき、頭の上まで一気に煮上がった。

 ちょっと、待て。私はなにを赤くなっているのだ。このような殿方との距離、別に舞踏会などでお馴染み――ないな。

 ヴィクトワールは考えてみれば、姫の近衛騎士として侍り舞踏会に顔を出しても、なまじ都の剣術大会で優勝したこともあり、あらゆる貴族がこわがって近づいて来なかったことを思いだした。

「なんだ、なんだ。抱っこして欲しいのか。ほら、ぎゅーっ」

 蔵人はヴィクトワールを熱く抱擁すると、強く力をこめた。

「ちょっと、やめろ。やめっ――!?」

 拒否するフリをしながらも、目の前の男の巌のような腕の感触に目を細めていると、突如として抗いがたい激しい殺気を感じた。蔵人の背後。そこには、菓子盆を両手で持ったまま、人形のように表情を凍りつかせている女がいた。

「ご主人さま。これはいったい」

「ああ。そうだ、ポルディナ! 今日からおまえの家族が増えたよっ!!」

「え? えええっ!?」

 ヴィクトワールは首だけ動かして、周囲の人々の表情に視線を動かす。

 ポルディナの瞳が飛びこんでくる。言葉の意味を理解したのか、冷え切っていた彼女の眼は、みるみるうちに輝きを取り戻すと鈍く輝いた。






 どうしてこうなった。

 ヴィクトワールはカフェメイド姿から、ポルディナと同じお仕着せに着替えて――幸いにもふたりの身長はほぼ同じだった――使用人の間にて、長々とした訓示めいたものを聞かされていた。隣にちらと視線をやると、ハナはワクワクした様子で、むしろこの状況を楽しむ余裕すらうかがえた。

(冗談じゃない。私は、痩せても枯れても、誇り高きロムレス王家近衛騎士団団長だぞ。どうして、奴隷風情の講釈をこのように有り難がって聞かなければならないのだ)

 それは金を返せないからである。

 だが、彼女は貴族の家に生まれ育ち、厳しい騎士としての訓練は受けてきたものの、金銭に困ったことはあまりなかった。騎士団の俸給が少ないなどと愚痴をこぼして見せても、実際問題必要であるならば実家からいくらでも送らせることができたのである。

 そういった意味では、真の貧困の底を垣間見たことはほとんどなかった。

「それでは、改めて自己紹介をしましょうか。私は、ポルディナ・ベル・ベーラ。世界でもっとも勇敢なベル・ベーラ族にして戦狼族(ウェアウルフ)の戦士です。ヴィクトワールにハナ。ふたりはいうなれば――お聞きなさい、姉の話をっ!」

 ポルディナはふたりの前を行ったり来たりしていたが、ヴィクトワールが上の空であると気づくやいなや手にした乗馬ムチで彼女の手を強く打ち据えた。

「――っ!? なにをするか!」

「なにをするかではありません。奴隷といえども序列は厳格に守らねばなりません。つまりは先達であるこの私は、あなたたちの姉、であるといえましょう」

 ポルディナは彼女にしては鼻息荒く、むふーっと凄むと手にしたムチをびゅっびゅっと勢いよく振るって見せた。気の長い方ではないヴィクトワールもそうそう殴られて黙っているほどおしとやかでもなかった。

「なにが姉だっ! だいたい、私たちはおまえのような売買奴隷とは違って、王家から称号を下賜された代々続く貴族であるぞ!!」

 ポルディナは黒水晶のような瞳の輝きをいっそう強めると、表情を変えずに顔の前で指先を振ってちっちっ、と唇を鳴らす。魔術的な速さで腰のうしろから挟んだ首輪をふたつ取り出す。冷静さを欠いてパクパクと口を動かすヴィクトワールを無視したまま、疾風のような動きで腕を動かした。

 がちょん、と輪が嵌る音が響いた。

「え。なんだ、これ」

「あはー。首輪ですね。かなり精巧な細工で一見アクセサリにしか見えないですけど、奴隷用です」

「安心しなさい。この首輪は私のモノには劣りますが、歴としたグリン工房製の打ち出し銀造りです。感謝なさい」

「わー、これ、ちゃんと家紋が彫ってありますー」

「それは、ご主人さま、シモン家の旗印で九曜紋です。これからは、主に恥じることなきように誇りを持ってお仕えするのですよ」

「はーい」

「はーい、じゃなーいっ! いったいどういうことだ、どうしてこうなったのだ! なぜ、この私がクランドの奴隷になったのだっ! ぜんぜん知らない、聞いてない、不条理すぎるっ!! 責任者を呼べっ!」

「はい、私が責任者です。ふたりは、今日からシモン家の下婢になりました。説明終わりまる」

「ふざけるなああっ、なんで。なんでなのぉ」

 ポルディナはオロオロしながら、両手で顔を覆ってしゃがみこんだ半泣きのヴィクトワールの首に手を伸ばした。

「やっぱりミスリル銀の方がよかったかしら」

「いやー、論点はそこではないかと、ハナは思うのですが」

「なぜ?」

「ややっ!? あの、その、真顔で問われましても」

ご主人さま(マイマスター)のように、当代きっての英雄に仕えることが出来る栄誉などないのに。そうですか。それは、嬉し涙ですね。お泣きなさい。そして、涙を流しきれば、栄光の日々が待っているのですよ。人間族の毛並みでは、万が一にも寵愛を受けることはないでしょうが、姉をうらやんではいけませんよ」

「あはー、この人も大概ですね」

「私は奴隷なんかじゃなーい!!」

 ヴィクトワールの叫びが姫屋敷に響き渡った。






 夕刻、ポルディナが嘘っこ新奴隷の仕込みを行っている間に、蔵人は街へと繰り出していた。

 もっとも、八階層での実入りはルッジとアルテミシアのゴタゴタによって換金がすんでいなかった。

 となると、向かう場所はひとつと決まっている。リースフィールド街に続く通りは、仕事帰りの職人であふれていた。

 もはや、どこぞで引っかけてきたのか、既に顔を赤く染めている男たちもいる。通りの向こう側に銀馬車亭の看板が見えはじめた。 蔵人が喉を鳴らして立ち止まると、背後からちょんと肩をつつかれた。

「やあ、奇遇だね。これからどこへ行くんだい」

 聞き覚えのある声に振り返る。

 そこには、八階層で知りあった少壮の迷宮学者、ルッジ・ブラックウェルが佇立していた。

「ルッジか。おらァこれから一杯ひっかけに行くんだい。おまえこそ、どうしたんだよ」

 どうしたんだよ、といいつつも、視線が彼女の太ももから長い脚に沿って動いていく。

「君もずいぶんとわかりやすい性格だねェ。ちょっと微笑ましくもあるよ。なに、たまたま見かけたから、時間があるなら食事でも一緒にどうだいと思ったわけさ。光栄に思えよ。ボクが男性を誘うのは生まれてはじめてなんだからな。それとも、君は他人の目が気になって恋人以外とは口も利けない臆病者なのかい」

「いってくれるな。ようし、そんじゃあふたりきりになれる暗い場所で、仲良く夕飯と行こうぜ」

「誘っておいてなんだか、ふたりきりにはならないよ。君は、簡単に理性のリミッターを外しそうな男だからね。当初の計画通り一杯つきあわせてもらうよ。お店は、君の行きつけで構わない」

「ふ、ふーん」

「おっと、急遽代案を考えているね。ほら、また顔が硬直している。おや、視線がさまよっているよ。よほどボクに知られたくない穴場なのかな。ふうん、あの店だね」

「ちょ、待ってくれ!」

「さあさあ行こう行こう。実をいうと昼に別れてからなにも口にしていないんだ。いまなら泥でもお腹いっぱい食べられる自信があるよ」

「それは、いくらなんでも無礼すぎ!」

 ルッジは蔵人の手を引くと銀馬車亭の入口に向かって走り出した。彼女の長い脚が、スイングドアを押し開ける。同時に、店内の喧騒とアルコールと焼き物の匂いが入り混じった空気が押し寄せてきた。

「いらっしゃいませー、クランドっ!!」

「のわっ!?」

 蔵人が店に鼻先を突っこむと、嬌声といっしょに豊満な肉体がぶつかってきた。

 銀馬車亭の女主人であるレイシーである。彼女は胸を大きく開いた真紅のドレスをひるがえし駆け寄るとぶつけるようにキスをかわした。

 蔵人は目を白黒しながら、紅のついた顔を手の甲でこする。

 レイシーは怒ったふりをして、胸をぽかぽか叩くと、身体を預けたまま甘え声をクンクンと鳴らした。

 たちまち、彼女目当てで来ている酔客から罵声が上がる。コップや空瓶が店の中を飛び交った。

「もおおっ、ぜんぜん来ないから心配したんだよっ、ばかばかっ!」

「いよお、邪魔するぜ」

「ぜんっぜん邪魔じゃないよう! おかえりなさいっ」

「た、ただいま」

 酔客たちからは、ただいまじゃねーよ、という憤懣やるかたないやっかみの気配が色濃く放射されていた。その姿をルッジはにやにや笑いで眺めている。

 しばし、陶然と蔵人に抱きついていたレイシーであったが、恋しい人のそばに立つスレンダー美女に気づくと眉をひそめた。

「ねえ、誰?」

「誰かなぁ?」

「ふざけないで」

 レイシーは蔵人の耳たぶを強く引っ張って顔を向けさせる。

 瞳には悋気の炎がメラメラと立ち昇っていた。

「あだだっ。仕事上のおつきあいの方です。ほ、本当だよ」

 レイシーはあからさまに視線をそらして口笛を吹く蔵人を猜疑心百二十パーの目で見た。

 当然の帰結である。

「はは。心配しなくてもいい。ボクは王立迷宮探索所のルッジ・ブラックウェルだ。決して君の恋人に手を出したりしないから安心してくれ」

 ルッジは白手袋を脱ぐと、右手を素早く差し出した。

 レイシーはむっとした顔で身体を反転させると、尖った口調で応えた。

 温厚な彼女にしては珍しい態度だった。

「そういわれて安心できた試しはあたしの人生にはないんですけど」

「じゃあ、こうしよう」

 ルッジは自分と蔵人の間にレイシーを座らせると、長い脚を組んだ。

「クランド、君、ボク。この並びなら文句はないだろう」

 蔵人の視線が白い太ももを追って不自然に動く。

 レイシーは両手を伸ばすと蔵人の顔ごと胸にかかえた。

「見ちゃダメー!」

「んぐっ」

 蔵人は肉の海に顔を突っこむと、手足をじたばた動かす。

 ルッジの眉が困ったように中央へ寄せられる。

「仲がいいのは結構だが、会話くらいさせてもらえないかな」

 ルッジはカウンターの娘に飲み物を注文すると、あきれたようにつぶやいた。

「……本当に、クランドとはなんでもないんですね」

「だからそうだっていってるだろっ。ほら、散った散った! あとで、遊んでやるから」

「うーん」

「あのー、もしもーし。レイシーさーん。僕のこと無視しないで欲しいんだぜ。おい、、聞けよ」

 レイシーは蔵人のことをまったく相手にせず、目の前の美女に警戒しきりだった。

 しばらく様子をうかがったのち、レイシーは蔵人をようやく開放した。

 常連の手前、蔵人にあまり恥をかかせるのもよくないと思ったのである。あくまで男性優位の世界である。年若い割には、水商売の道にどっぷりハマり過ぎていたのだった。

 蔵人は銀馬車亭では、半ば公然とした髪結いの亭主であった。役たたずとはいえ、公然と権威を損なうような行動は、女としてのレイシーの格も大いに傷つけるのである。

「もう。浮気しちゃやだよ」

 レイシーは得心するフリをして、ようやく離れた場所へと移動した。

 もっとも、依然として視線だけはふたりの動きへ縫いつけられていたが。

「悪かったね。君の恋人の店に上がりこんで。それにしても」

「なんだよ、いいかけたまま終わるなや」

「驚いたよ。意外と君はモテるんだな、あの、女騎士といい――!?」

 蔵人は飛びついて口を塞ぐと目をひん剥いた。はなれた位置のレイシーが手にしていたグラスを素早くカウンターに置き血相を変えて近寄って来ようとするのが見える。

 手を振って愛想笑いを浮かべ、制止した。

「頼むから、他の女のことは黙っててくれ。二度とダンジョンに戻れない身体にされるかもしれない」

 蔵人がそっと手をはなすと、ルッジは鳥のように手首をヒラヒラさせ痛みを誇張した。

「ふう。すごい力だな。一応ボクも女だからね。それに、これは忠告だけど、君みたいなタイプは最後まで嘘を突き通せないと思う。バレる前に、自分から話したほうが傷は浅くすむんじゃないかな」

「……なんのことかにゃ?」

 ルッジは鼻で笑うと、突き出しのチーズをナイフで切り分けて口に運び、グラスを傾けて酒精を喉に流しこんだ。薄い唇が官能的に歪み、白い喉が蠕動した。

「ま、君の好きにしたまえ。それに、どうやら難しい話はこの店には合わないみたいだ。ざっくばらんにいこうじゃないか。これから、長いつきあいになるだろうし、親睦をせいぜい深めるとしよう」

「よーしよし。なら、ベッドの上で続きをするってのはどうだ?」

「おぶふっ」

 隣で飲んでいた中年が強く咳きこんだ。

 ツボに入ったのか、ケタケタと下品に笑い転げている。釣られてルッジも頬をゆるめた。

 悦に入っていた蔵人は己の言動に気づき、恥ずかしさのあまり頬を紅潮させる。

 ルッジはたしなめるように、人差し指で蔵人の額を押した。

「君は猿か? よくその程度の口説き文句で、ふたりも落とせたものだな。おっと、これは失敬。しかし、冷静に考えて、あそこでボクをこわい目で見ているレディ」

 ルッジは杯を傾けて、遠くのレイシーを示した。遠目に怪訝そうな表情が見える。蔵人たちのことが気になってしょうがない風情だ。

「――といい、君とはどう見ても不釣合なんだが。どう、引っかけたのか後学のために教えてもらいたいね」

「引っかけたとかどうとか、失礼だな。そう、いうなれば至誠天に通ず、というか。星と星とか導きあうように惹かれあったというか、いうなれば運命的なものなんだよ」

 蔵人はグラスを持ったまま両手を天に向かって水平に開いた。ルッジはナイフを置くとハンカチで口元をぬぐう。どことなく洗練された所作だった。

「ここまで姿かたちと言動が一致しない人間も中々いないものだよ。おっと、その運命の星がどんどん近づいてくるよ。ほら」 

「おふたりとも、どーんなお話ししてるのかなー。できたらあたしも混ぜて欲しいなー、なんて」

「なに、クランドが君のような美しい恋人とどうやって知りあったか気になっただけだ」

「えー、気になります? やだな、もう」

「いったいクランドのどこがよかったんだい」

「あは。面と向かって聞かれると恥ずかしいかなぁ」

「レイシー。いま、おまえ、ものすごいアホヅラになってるからな」

「ほら。ウチの人、口は悪いしぶっきらぼうで、おまけに生活力皆無で。そうですね。はじめは、あたしが路頭に迷ってションボリしている彼を店に連れてきたんです。なんというか、かわいそな大きいわんちゃんみたいで。放っておくと死んじゃいそうだし。いつもお腹空かせてるし。そのうち、いっしょにいる間に、ね? なんとなく離れがたくなっちゃって。わかるかなぁ」

「おーい、おーい。出会いの過程が抜けてますよー。俺のカッコイイ活躍シーンがデリートされてますよ。それじゃおまえが、適当に男を引っ張りこんだ頭の弱いコでしかありませんよー」

「もおお、うるさいなぁ、女同士の話に入ってきちゃダメでしょ」

「え? えええっ!?」

「はは。そうだぞ、クランド。君はもう少し、場の雰囲気を読むべきだ」

「もお、いいです」

 ふたりは次第に盛り上がると蔵人を置き去りにして、現実とは異なる物語で盛り上がりはじめた。蔵人は手酌で酒精を注ぐと猛然と呷りはじめた。今夜の酒は酔えそうもない。






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ