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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第2章「迷宮都市シルバーヴィラゴ」
75/302

Lv75「象牙の塔は凸凹が少ない」




 

 猿が無理やりハラワタをかきだされたような悲鳴が響き渡った。

 蔵人が再びキングトカゲに向き直ると、そこには片手で握りつぶされた冒険者だったモノの残骸があった。

「か、かひゅ」

 男にはまだ息が残っているのか、喉元からは奇妙な低い音がわずかに漏れていた。

 子どもが羽虫を苦もなく握りつぶすように、胴体は丸めた紙くずのようになっていた。

 一息に圧縮されたせいか、肋骨は一本残らず見事にへし折られていた。

 キングトカゲの膂力の前には胴骨などはポッキーのようなものだ。

 臓器は残らず破壊され、一部の腸は圧力によってはみ出て、白い湯気を立てていた。

 キングトカゲが左手へさらに力をこめる。 

 ぶちゅっ、と音がして男の上半身と下半身は見事に分離した。

 バラバラになった身体の一部が血だまりを跳ねて飛沫を上げる。

 その光景を見ていた研究員のジョンは顔をそむけるとその場に激しく嘔吐をはじめた。

「おい、教授ってのは、もしかして反対側の女のことか」

「ええ。早く、あのバケモノからブラックウェル教授を救出してください!」

 ジョンが大声を上げると、キングトカゲに囚われのままになっている女が反射的に顔を上げた。

「おお、なんちゅーか知的な美人だ」

「むっ」

 蔵人が状況を考えずに口笛を吹く。アルテミシアは不愉快そうに眉をひそめた。

 長く美しい黒髪は腰まで届きそうなほど長かった。

 前髪を筆のようにぱっつんと切りそろえている。

 ほとんど陽を浴びないのか、きめ細やかな雪のような白い肌をしている。

 蔵人が知る女性の中では間違いなく一番優れた美しさだった。

 高い鼻梁に細くたおやかな細い顎。細めに造ったフレームの黒縁眼鏡をかけている。

 ほとんどショーツの見えそうな超ミニの黒スカートに黒のニーソ。

 白のフリルブラウスの上に薄いグレーのショールを引っかけている。

 瞳は海を思わせるような濃いブルーだった。

「おい、そこのバカっぽい男」

「おい、ジョン万次郎。お前のこと呼んでるぞ」

「教授! きょうじゅぅううううっ!!」

 感極まったジョンは地に両手を突いて泣き叫ぶ。

 キングトカゲに片手で拘束された状態の女教授は冷たい声音で否定した。

「違う。ボクが呼んだのはその役たたずじゃなくて、そこのコウモリみたいなおまえだ」

 彼女は巨大モンスターに囚われている恐怖を感じさせない、ゆっくりとした落ち着いた口調でしゃべった。

「女教師に眼鏡でボクっ子。どんだけ、属性重ねれば気がすむんだよ」

 蔵人が前に進み出る。キングトカゲは威嚇のために異様な唸り声を上げるが、女教授は眉ひとつ変えずに蔵人と話を続けた。

「ボクはルッジ・ブラックウェル。王立迷宮探索研究所の特任教授だ。今回たまたまフィールドワークに出たものの、このようなモンスターに捕まり大変難儀している。端的にいう。助けて欲しい。助けろ」

 ろ、の部分でキングトカゲがルッジを上下に振った。

 黒髪はさーっと闇の中で素早く流れる。彼女の表情。変わらず落ち着き払っていた。

 ――この女、感情がねェのか?

 蔵人が不信感をあらわにする。

 嵐のようなうなりを立てて、キングトカゲが声を出した。

「オイ、ニンゲン。キサマラハ、ワレノ、ナワバリヲ、オカシタ。カクゴハイイカ」

 当然覚悟なんてものはない。

 蔵人は長剣を構えたまま、重心を足元に移していつでも飛びかかれる状態に身を置いた。目線を上げてルッジに視線を転じる。

 キングトカゲが腕を上下にシェイクするたび、彼女のやや薄い胸元や尻や脚が視界に飛びこんでくる。

「まあ、なんとフラットな」

 ちょこっと、がっかりした蔵人であったが、それを補ってあまり有る美脚やヒップの美しいラインに目尻を下げた。

(若造はおっぱい、年寄りはおしりに惹かれるとモノの本に書いてあったが。正直、どっちもイケるッス)

 蔵人が悩んでいる間に、キングトカゲが地響きを立てて襲いかかってきた。

 十メートル級が動けばそれだけで脅威だった。

 キングトカゲの左腕が真っ直ぐ振り下ろされる。

「うわっち!」

 蔵人は横っ飛びでよけると、転がりながら距離を取った。

 黒外套を巻き上げながら長剣を水平に構える。

 ルッジは眉ひとつ動かさず口をへの字にして人形のようにピクリともしない。

 おそるおそる声をかける。

「あのー、先生さんよ。助けろっていわれても、このトカゲさん、やる気まんまんで、ちょっとやそっとの覚悟じゃ難しいかな、と」

「ん? ……情報が上手く伝わらないのか。それでは、改めて伝達する。さっさと助けろ」

「だから、そういう生半可な相手じゃねえんだって!」

「さっさと命懸けで助けて欲しい」

「難易度上がってるよねえ!? それ!!」

「なんだ、報酬か。金はおそらく助手が勝手に、かつ無断でおまえに渡したはずだが、それは返してもらうぞ。研究には金がいくらあっても足りないからな」

「ふざっけんな!!」

 蔵人が激昂する。

 ルッジは無表情のまま片眉を上げると右手でフレームの位置を修正した。

「仕方ない。妥協しよう。金以外でボクに出来ることならなんでもする」

「マジで!? いいのかっ! 簡単にそんなこと安請け合いしてもいいのかっ!!」

「いい。早く調査に戻りたい」

「……えっちなことも有り?」

「好きにしろ」

 ルッジの言葉で蔵人のスケベ魂に火がついた。

「うおおおおっ、行くぞ! アルテミシアっ、あのデカブツをたたっ斬ってやるぞ!!」

「ふーん、そうか」

 意気ごむ蔵人とは打って変わり、アルテミシアは横になって寝そべり兜を脱いで髪の枝毛を探していた。

 彼女の表情は完全に弛緩し、湯船に浸かっているように全身から力が抜けている。

 要するにやる気はゼロだ。

 理由は推して知るべし。蔵人は完全に状況判断を欠いていた。

「ちょっと。もちっと、ちゃんとやろうよう。困った人のピンチなんだよ。人助けなんだぜ! 頑張ろうよ! いっしょによう!! ファイト! チームダンジョンマスター!!」

「あ、ふ」

 アルテミシアは口元に手を当てると大きくあくびをした。

 むにゃむにゃと口を波のように動かして大儀そうに立ち上がる。

 手に持っていた槍ががらーんと横倒しになった。

 彼女は拾おうともせずに両手を組んで頭の上にかざして大きく伸びをしていた。

「なにが気に入らねえんだよ」

「ぜんぶだ」

「……あ、はい。そんな大きな声出さんでください。こわいです」

「ぜんぶだ!!」

 アルテミシアはカッと両眼を見開くと怒気を全身から放出した。

 蔵人は彼女の背後に燃えたぎる炎と不動明王の姿を幻視した。

「ひいっ、や、やめてください」

「フザケルナヨ!! ニンゲンドモガ!」

「おい、トカゲ」

 襲いかかろうとするキングトカゲに虜のルッジが声をかけた。

「せっかくボクを人質にとっているんだから、それを有効活用しないのか」

「……ソレモソウダナ」

「おいいいっ! アンタなにいってくれちゃってんのおおおっ!? 自ら命を危うくしてェええっ! 激マゾだな、おいいっ!」

「失礼な。戦闘における適切な助言を与えただけだ」

「オイ! ニンゲンドモ! コイツノ、イノチガオシクバ、ウゴクンジャ、ナイゾ!!」

「だ、そうだ」

「馬鹿だろ、絶対おまえ馬鹿だろ!!」

「違う。研究の一環として、この個体の知能レベルやボクの言葉をどこまで咀嚼して考えられるか試しただけだ。だがもういい」

「へ? もう、いいって、なにが」

「とにかく、確証は得られた。おまえは帰っていいぞ。――っく!」

 いままで氷のように冷静だったルッジの表情が歪んだ。

 キングトカゲが右手に力をこめはじめたのだった。

 巨大モンスターの手のひらは、ルッジのウエストをギリギリと締め上げていく。

 蔵人の脳裏にさきほど握りつぶされた男の末路が浮かんだ。

「危ない、クランド!!」

 アルテミシアの声。

 ハッとして顔を上げると目の前に巨大な拳が真っ直ぐ繰り出されていた。

 瞬間的に、よけようと身をひねるが回避は間にあわず、強烈な一撃で意識が途切れた。

 蔵人の全身を凄まじい衝撃が襲ったのだ。

 目の前で花火が上がったように光が激しく明滅する。

 壁際まで吹っ飛ばされると岩肌に背中をおもいきり打ちつけた。

 呼吸が止まる。冷たい汗がどっと背面ににじみ出る。喉元に血の塊がせり上がってきた。

 蔵人は地面に転がると顔面をしたたかにぶつけて血反吐を吐き散らした。

 視界の隅で槍を持ったアルテミシアが駆け出すのが見えた。

 ルッジの悲鳴が確かに聞こえた。

「やめろ! 動くなアルテミシア!!」

 蔵人は全身の筋肉を動員して立ち上がるとよたつきながら歩き出す。

「どうしてだ、クランド」

 瞳を真っ赤に血走らせたアルテミシアは血に飢えた猛獣のように白い歯を剥きだしにしてうなっている。

「ルッジが、殺される」

 蔵人がアルテミシアの肩を押してキングトカゲの前に進み出ると、ルッジを締めつけていた腕が開かれる。

「ソウダ。ウゴクナ」

 キングトカゲは温度を感じさせない目つきで、たどたどしい人語を使った。

「愚かな」

 ルッジの表情がわずかに陰った。青い瞳が静かに蔵人を見つめている。

「ニンゲンガ! マップタツ、ニ、シテヤル!!」

 キングトカゲは右手で握っていたルッジを放り投げると大きな口を開いて、鋭く尖った牙を露出させた。

 金色のトサカを振り乱すと腰の刀をスラリと抜いて両手に持った。

 姿見のように大きな刃の側面にボロボロになった蔵人の姿が映る。

 巨躯のケダモノは蛮声を喉の奥から吐き出しながら刀を振り下ろした。

 谷を渡るような豪風が吹き抜けていく。

 アルテミシアの叫びが辺りに反響する。

 ルッジは迫り来る惨劇に思わず目を閉じた。

 ――が、恐れていた肉を断ち切る音はしなかった。

 代わりに、金属を激しく撃ち合わせた硬質な高い音が轟き渡った。

「ふんぐうううっ!!」

 蔵人は両手を天に突き上げて聖剣“黒獅子”を水平に支え、垂直に落とされた斬撃をかろうじて防いだのだった。

 満身に力をこめて怪物の力と拮抗する。

 キングトカゲの巨大な両腕が筋肉の塊で盛り上がる。押しつぶされそうになり膝を突く。

 もっとも、志門蔵人はそれほどヤワではない。

 胸元の不死の紋章イモータリティ・レッドが激しく輝きだした。

 千切れた筋繊維を無限に再生しながら超人の身体に書き換えていく。

 蔵人に与えられた唯一の切り札が発動したのだ。

「バカな。あれが、人間の力か!?」

 ルッジは呆然とした表情で蔵人の動きを食い入るように見つめている。

 凍りついていたアルテミシアは即座に状況を把握すると、手にした聖女の槍(ホーリーランス)を巨体に向かって全力で投擲した。

魔力付与・硬化(エンチャント)!!」

 長槍はアルテミシアの唱えた神聖魔術の加護で白く輝く。

 威力を増して流星のように光跡を残した。

 穂先はキングトカゲの胴へと吸いこまれるように突き立った。

 聖女の槍(ホーリーランス)はキングトカゲの巨体を紙切れのように安々と貫いた。

 穂先は青黒い血潮に濡れて怪物の背中から飛び出すと、背後の壁にぶつかって停止した。

 槍の半ばで串刺しになった怪物は身をよじって絶叫する。

「おらああっ!!」

 蔵人はキングトカゲの大刀を上へと押し上げると、飛び上がって長剣を斜めに動かした。

 振り抜いた闇の中へ光芒が走った。

 刃は虚空に半円を描くとキングトカゲの腰を深々と切り裂いた。

 ドブのように黒ずんだ体液が辺り一面へと雨のように舞い落ちる。

 血潮は大粒の雫となって岩肌をうるおした。

「よし。あとはボクに任せてくれ」

 蔵人が飛び退いて声の方向を見やる。

 そこには、一冊の本を片手で開いて持つルッジの姿があった。

 彼女のうしろには茶色のアタッシュケースを抱えて怯えるジョンがいる。

 ルッジはショールを肩にかけ直すと、綺麗に磨いた爪の先でケースを指す。

「トカゲどもに奪われた荷物を取り戻す時間が必要だった。それに、曲がりなりにもボクのパーティメンバーに手をかけた相手だからね。ケジメは、ボク自身がきっちりとらせてもらう」

「あれは、魔道書?」

 アルテミシアがつぶやいた。

 ルッジの手にした書物はそれ自体が意志を持ったように、ひとりでにめくりあがる。

 紙片は無風状態の中でも次から次へと淡く発光しながら辺り一面に舞い上がった。

 洞窟内はたちまち陽の下のように明るく照らし出される。

 磔になったままのキングトカゲは、喉から長い舌を伸ばし息も絶え絶えに叫んだ。

「ナ、ナンダコレハ!!」 

 書物自体の質量を無視したページのすべてが虚空を舞いながらキングトカゲの全身へと貼りついていく。十メートルの巨体は地響きを上げて地を揺るがし、付着した紙片を払い落とそうと身体をよじった。

「無駄だよ。ボクの星の魔道書アストロ・グリモワールはそんなことじゃ剥がれない」

 いまや白い紙片は竜巻のようになってキングトカゲの全身を覆い尽くした。

 ルッジは魔道書から手を離す。

 支えもなしに魔道書は彼女の目の高さまで浮遊する。

 今度は洞窟内すべてをかき消すほどの光量がひときわ強く輝いた。

「チェック。偽・火炎爆破オルタナ・フレイムバースト!!」

 ルッジが魔術を詠唱すると、キングトカゲに張りついた紙片のひとつひとつが大きく膨れ上がった。

 必然的に崩壊がはじまる。

 真っ赤な紙片は連鎖的に燃え上がり、続けざま激しく爆散した。

 日輪が閉じた目蓋の裏へと降臨する。

 怪物の絶叫が鋭く流れた。

 目を開けていられない熱量である。

 蔵人は頬を刺す激しい熱でその凄まじさを実感した。

 外套で目鼻を覆い、さらに距離をとった。

 ようやく確認できたときには、キングトカゲの身体は炎の塊によって隙間なく焼き尽くされ、巨大な灰の塊と化していた。






「かような魔術が使えるのであれば、なぜとっくに応戦しなかったのだ」

「愚問だ。ボクには賃金を払って雇った護衛がいた。なんのためだと思う? もちろん、研究や調査に専念するためさ。そして、研究員や学者たちはあくまで守られる立場だ。ボクももちろん戦闘員じゃない。大枚をはたいたからには、安全かつ効率的にフィールドワークを進められるはずだった。そのための冒険者だろう。もっとも、ここまで役立たずなのは想定外だったがね。まったく、誰が連れてきたのだろうか。大ボラもたいがいにしてほしいな。地下の研究員たちにどう詫びればいいものやら」

 ルッジはジョンを呆れたような視線で眺めた。

 どうやら、護衛の目利きをしたのはジョンらしい。

 彼は恥じ入るようにして身を小さくしている。

 当然、生き残った護衛の冒険者たちは雲を霞と逃げ去っていた。

「いきなりの奇襲でトカゲ人に魔道書を奪われたのも痛かった。あれがなければ、ボクはただのかよわい女だからね」

「魔道書。あなたは、魔術師ではないのか」

「違う。ボクはこの書物を使って元々記載されている魔術を開放しているに過ぎない。ボクには魔術の素養はないよ。いうなれば、この本がケタ外れなだけだ。やはり、伝説にうたわれだけのことはある」

「もしや、それは古代十二神器(ロスト・ハイウェポン)のひとつか!」

「おい、なんだその中二ワードは」

「初代国王のロード・フォン・ロムレスが使っていたといわれる伝説の武器だ。最終決戦以降、その力の強大さから王自らダンジョンに封じたとされる神器だ。しかし聞くとろこによると、ダンジョンに封印されている以外のふたつは、王家と下賜されたビブリオニアス家が厳重に保管されているはずだが」

「その、ビブリオニアス家はボクが嫁ぐ前の実家なのさ。いまの姓ブラックウェルは亡夫のもの。継承した領地を運営するには、なにかと都合がいいからね。もっとも、姓も名前も本質にはなんの意味あいも持たないのでこだわりもないのが本音だけどね」

「ならば、真物ということか」

「ふーん。ま、魔術師でなくても、その魔道書があれば誰でも魔術が使えるってことなのか。すげーな。なあ、先生さんよ。ちょこっと俺にも使わせてくれよ。スーパーイリュージョンごっこをしてみてえ。せっかくの異世界だしな」

 蔵人の瞳が好奇心のため、キラキラと輝きだした。

「なんの話をしているのかはわからないが、この魔道書はビブリオニアス家の血筋の者しか使用できない。おまけに、マスターとしてはボクの魂を記憶させてある。他人が使うことは不可能だ」

「ちぇー、そら残念だ」

「しかし、にわかに信じられないな。魔術適性のないものが、術を行使できるなどと」

「眼で見たものがすべて真実とは限らない。君は、えーとなんといったっけ」

「アルテミシアだ」

「そうかい。うん、アル。君は学者として中々いい素養があるかもしれないな。まず、すべてを丸のみせずに、自分で咀嚼してみる。これは重要事項だ」

「しかし、その魔道書を取り戻したのなら、もう私たちが顔を突きあわせている必要性もないな」

「それが、そうもいかないのだよ」

「なぜだ」

「確かにこの魔道書は万能だが、たったひとつ瑕疵があってね。記載されている初級魔術から中級・上級魔術のどれでも開放することは可能なのだが、決して無限使用できるわけじゃないんだ」

「回数制限があるというのか」

「厳密には違うのだが。そうとってもらっても、間違いではないだろうね。特に、この

 星の魔道書アストロ・グリモワールはボクの精神力に依存している。魔力ではなく、体力に近い。ほら、これを見てくれ」

 ルッジはそういうと、魔道書を開いて見せた。蔵人とアルテミシアは揃って覗き込む。

 すべてのページは白紙でなんの文字も書かれていなかったが、確かに本の背に比べて中身の紙片は少なくなっていた。

「使えば使うほどページ数は減少していく。もっともなくなればなくなりっぱなしじゃない。だいたい、日の出とともに元通りになっている。原理はわからない。徐々に、復元するのではなく、いちどきに元通りになるといったほうがいいかな。実家の口伝によると、古代十二神器(ロスト・ハイウェポン)は錬度が増せば増すほど能力は向上するらしい。いまの僕が開放できる回数は一日に、そうだな、初級魔術が十回、中級魔術が五回、上級魔術が一回くらいってところだろうね」

「先ほど使用した術は、火属性の中級クラスか」

「そう。けど、調子乗って使えばすぐに干上がってしまうだろう。だから、わざわざ使いべりのしない冒険者を雇ったのさ」

「なあ、盛り上がっているところ悪いんだけど。そもそも、古代十二神器(ロスト・ハイウェポン)ってなにさ」

「それはだな――」

古代十二神器(ロスト・ハイウェポン)とは、初代ロード・フォン・ロムレスがあまりの破壊力の高さに封印した強力な武器のことだ。この、深淵の迷宮(ラスト・エリュシオン)は最深部まで百層有り、それぞれ十階ごとにひとつづつガーディアンが封印された古代十二神器(ロスト・ハイウェポン)を守っているらしい。ほとんどの冒険者は、それらのボス部屋をさけてひたすら最深部を目指すのが常識となっている。ボクとしては、是非とも彼らが取りこぼしたお宝をこの目で確認したいのだ。そこでひとつ提案がある」

「提案?」

「ボクを君たちのクランに――」

「大却下だ!!」

「む」

 アルテミシアは蔵人を抱き寄せると牙を剥いてカッと怒鳴った。

「どうして頭ごなしに否定するのかな。アルテミシア、君はその格好から見て白十字騎士団(サンクトゥス・ナイツ)の人間だろう。困った人間に手を貸すのが、本来の役目ではないのかい?」

「そんなものはたったいま脱会した!」

「ちょ、新興宗教かよっ」

「ふうん。いったい、なにが気に入らないのかい。ボクは君たちを護衛にして安全にダンジョンの調査を行える。君たちは好きなだけ暴力を振る――もとい、力を発揮して冒険を楽しむことができる。ウィンウィンの関係じゃないか」

「どこがだ! おまえは私たちを盾として使い倒したいだけじゃないか! そんな理屈では子どもも騙されやしないぞ」

「ふん。でも、そちらの殿方は騙されたがっているみたいだけど」

「クランド」

「はっ!?」

 蔵人は目を皿のようにしてルッジの長く美しい脚をじっと視姦していた。

 アルテミシアの冷えた声で現状に気づき視線をそらすフリをする。

 名残惜しいのか、握った拳を無意識に開いたり閉じたりしていた。

「ちらっ」

「おおおっ!!」

 ルッジは目を細めると艶かしい唇を歪め、美脚を前に突き出してスカートの裾をわずかにめくった。

 白い太ももと魅惑のトライアングル地帯が見えそうになり蔵人の視線が釘づけになった。

「……さわりたいかい?」

「さわりたい、揉みたい、ペロペロしたいッ」

「クランドッ!!」

「あはは、君は正直者だね」

 身を乗り出した蔵人をアルテミシアが食い殺しそうな目つきでにらんでいる。

 ルッジは勝ち誇ったように薄く笑った。

「は、は、破廉恥極まりない! 貴様は変質者か、でなければよほどの男好きだなっ!!

 恥を知れ! 恥をっ!!」

「ボクは男性に興味ないよ。でも、自分の身体は結構好きなんだ。ほら、この長くて美しい脚とか、ね」

 アルテミシアは前に突き出された女教授のスラッとした脚線美を見ながら、眼球を真っ赤に血走らせながら歯噛みした。

 激しい訓練によってアルテミシアの足は、結構太くなっていたのだ。ムッチリとした肉づきは男ウケするものだが、彼女は密かに細く可憐な女らしい身体にコンプレックスを抱いていたのだった。

「クランド。ボクの乳房では満足できないかもしれないけど、コレを自由にさせてあげるといったら、どう考える?」

「きょうから貴女の下僕になります」

 蔵人は一瞬で軍門に下った。

「クランドぉおおおっ!!」

「――というのは冗談。お遊びはここまで。真実、強いパーティメンバーを探していたのは事実だし、君たちのクランに加えてもらえれば、大変助かる。なにもすべてにおんぶにだっこするといっているわけじゃない。ダンジョン内の知識では少なくとも、ボクより上の人間はこの王国内で存在しない。発見した素材や財宝、金穀は等分するということでどうだろうか? 見たところ、ふたりとも目利きにすぐれているとはいえなさそうだしね」

「くううっ。クランドぉおお」

「あー。わかったわかった。ちょっと考えさせてくれ、んんん。あー。オッケー!」

「早いっ! 本当に考えたのかっ!?」

「あー考えた考えた。光の速さで熟考した」

「……バカァ。クランドのスケベ。色気違い」

「そこまでいうかっ!?」

「それに、理由はそれだけじゃない。クランド。どうして君はさきほどあの化物の言葉通り動かなかったのだ? 理解できない。よく知りもしないボクなんて放って置いて逃げればよかったのに」

「さあ、なんでだろうな」

 蔵人は耳たぶをさわると、困ったように笑った。朝黒い肌に真っ白な歯が輝いた。ルッジは氷のような無表情さを崩すと、音もなく一歩前に出た。

「んなっ――!?」

 ルッジは背伸びするようにして蔵人に口づけると、何事もなかったかのように離れた。

 アルテミシアはぽかっと口を開けたまま呆然とした顔で立ちすくんでいる。

「とりあえずは、お礼だ。これからもよろしく頼むぞ」

 当然のことながら、アルテミシアは火がついたように顔を紅潮させて反対した。

 理由など述べるまでもない。単純に蔵人へと他の女を近づけるのが嫌なのであった。

 だが、実際問題ルッジのダンジョンにおける知識の豊富さはずば抜けていた。

 ルッジが知識を披露する→蔵人が褒める→アルテミシアが嫉妬する

 絵に書いたような悪循環が出来上がってしまった。

 蔵人としては、それほどルッジを贔屓しているつもりなはなかったが、人間誰しも新しい存在があれば構いたくなるのが人情だった。

 正式にルッジをクランに加入させるかどうかは保留にして、蔵人たち四人はとりあえずとして、八階層の最深部まで一緒に行動することにした。

 転移陣を展開させてダンジョンから出ることは可能だが、エネルギー源となる魔石を使用するのはあきらかに浪費である。

 渋るアルテミシアを説き伏せると、ルッジを道案内に先行させた。美貌の女教授は、火属性魔術である“ライト”を使うと、浮遊する光の玉を打ち出した。

「ともあれ、魔術は便利だ」

 蔵人はルッジの背後につくと彼女の尻を注視しながら真面目な顔をして歩き出した。

 大きすぎず小さすぎず。ピッタリとした超ミニへと、彼女が足を動かすたびに美しい曲線美が浮き上がって見えた。

 蔵人と彼女の助手であるジョンは平静を装いながらも、穴が空きそうなほどルッジの尻のみを視界に捉え続けた。アルテミシアは虚ろな瞳でふたりの男の行動を静かに見守っていた。

 おおよそ一時間ほど移動してから小休止をとった。

 ルッジは座りの良い岩に腰かけると、手帳に猛然と記録を書きつけはじめた。かたわらには忠犬よろしくジョンが目尻を下げて控えている。

 蔵人が、水筒を振りながらルッジにちょっかいを出そうと、にじり寄っていった。

 アルテミシアは口をへの字にしながら強引に腕をとってその場から離れさせた。

「なあ、クランド。私の、そのおしりは、そんなに大きいか」

「はぁ? なんだよ、唐突に」

「だって! さっきから、あの女の、お尻ばかり……」

「えーと」

(そうか。さっき、やたらにルッジのケツを褒めまくったのが気に入らねえんだな)

 移動中に蔵人はしきりにルッジのスタイルを褒めた。彼女は、どうも、というだけでまるで反応を見せなかった。いや、彼女は経験上から自分の下半身に自身を持っていたのだった。このようにないがしろにされればアルテミシアも面白いはずもなかった。

 それどころか、彼女は自分の大きめの臀部や下半身を常々太すぎると思い込んでいたのだった。無理もない。騎士としての鍛錬を続け、大の男以上に重い槍や剣を振り回すうちに自ずと彼女の腰や尻は筋肉が発達して大きくなってしまったのだ。

 もっとも、それは不健康な肥大化ではなく、絞り上げられた中にも女性らしい丸みを残しているもので、決して卑下するものではない。蔵人は両腕を組むと、うんうんと頷きながら、彼女の自尊心を満たす言葉を懸命に模索した。

「大丈夫だって! おまえのデカい尻、俺大好きだから!!」

 さわやかにサムズアップを決めた。同時に、みぃんと空間がイヤな空気で凍りついた。

 アルテミシアは兜の目庇を下げると、うつむいたまま震えだした。

 ジョンは荷物を担いだまま蒼白な表情で固まっている。

 ルッジは人差し指を口元に当ててから、ふぅとため息をつく。

 パン、と甲高い頬を張る音が隘路の中で高らかに鳴った。

 無事八階層から帰還した一行は一部険悪な雰囲気に包まれていた。

 アルテミシアは真っ赤な顔をしたまま後ろも見ずにずんずんと出口に向かって歩き続けている。蔵人が懸命になだめているが彼女は聞く耳を持たないといった風だった。

 ルッジとジョンは互いに顔を見合わせると、困ったね、というように顔を曇らせた。

「ちょっ、待てよ!」

 蔵人は往年のアイドル風にアルテミシアの肩を引き止めた。

 場所はギルドのロビー中央である。物見高い冒険者たちが、格好の暇つぶしとばかりに雲霞の如く集まってくる。強く舌打ちをすると、兜を脱いだアルテミシアが真っ直ぐに視線を向けてきた。

「おまえ、泣いて」

「私なりに尽くそうと頑張っているのにっ。あんな女の肩ばかり持って。クランドのばかっ!!」

 アルテミシアは素早く反転すると鎧をガチャガチャいわせながら、旋風のように素早く走り去っていった。

 受付のネリーが半笑いで白いハンカチをヒラヒラとアルテミシアの後ろ姿に振っていた。

「な、なぜだ。俺は誠心誠意、正直に褒めたつもりなのに」

 蔵人は両膝を突くと呆然とした顔つきで板張りの床に視線を落とした。

 眼前に影が落ちる。顔をねじって背後を確認する。

 そこには、無表情のまま突っ立っている、ルッジの姿があった。

「君は、もう少し女心というものを学ぶべきじゃないかな」

「お、お、おまえのケツが悪いんじゃあああっ!!」

 ルッジに猛然と飛びかかった蔵人を取り押さえるのに、ギルドは三十人の警備兵を動員した。







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