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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第2章「迷宮都市シルバーヴィラゴ」
73/302

Lv73「勝者の風格」

 





 蔵人は地面に落ちた白手袋を拾うと、アントワーヌに投げ返した。

「やだよ、ばーか」

 手袋は綺麗な放物線を描くとアントワーヌの顔面にぶつかり、上手いこと眼鏡のツルに引っかかった。

 堂々とした決闘の申しこみをここまで明白に拒絶されるなどと予想もしていなかったのであろう。

 アントワーヌは瞬間、意識が乖離してその場へ縫いつけられたように固まった。

 蔵人はもはやなんの興味もないといったように、アルテミシアの肩を抱くとその場を離れていく。事態をようやく呑み込んだアントワーヌは背中に冷や汗をじっとりかきながら去りゆく男の後ろ姿へすがり寄った。

「ちょっと待て! 俺の言葉が聞こえなかったのかよ! おい、そこのおまえだあっ!! とまれ! とまるんだよっ!!」

 蔵人は背後から外套を掴まれ、渋々その場に停止する。

 うざったそうに顔をしかめ、口をひん曲げていった。

「うるっせーなぁ、聞こえてるよ。はいはいはい、なんですかぁ、イケメン眼鏡くんよぅ。俺ァ、これからちょっくらダンジョンにもぐもぐするのでおまえと遊んでる暇はねぇんだよん」

「こっちも、おまえのような無礼なやつと遊んでやるいわれはない。そもそも、ウチのアルテミシアとどういう関係なんだ!」

 アントワーヌは()()の部分を強調して訊ねた。

 蔵人のこめかみがたちまち引きつる。

「どうもこうもアンタには関係ないでしょ。おい、こいつ、いったいなんなの? 空気読めないバカは」

 蔵人が抗議するようにアルテミシアの耳を引っ張る。

 それを見たアントワーヌの怒りのはますます高まった。

「クランド。彼は、白十字騎士団(サンクトゥス・ナイツ)の騎士団長で、アントワーヌ・ボドワン子爵だ。かつてはよく世話になった。無礼なことをいえば失礼になるので、そのくらいにしておかないと。ん、ぁん」

 蔵人はアルテミシアが擁護するような言葉を使ったので、再び形のいい耳を引っ張った。

 今度はかなり強めである。

 Mっ気のある彼女はまんざらでもない様子であった。

 一方、密かな想い人を手荒く扱われ、純然たる紳士の眼鏡の騎士団長は怒りと嫉妬がまぜこぜになった表情でいまや飛びかからんばかりであった。

「ぶぶぶ、無礼な! そこのおまえっ、いますぐ彼女からその薄汚い手を離すんだっ! だいたいアルっ、君もちゃんと拒否しないとっ!」

「う、うう。いいのだ、別に私は気にしてないからな」

「そんな、馬鹿な」

 アントワーヌは愕然としてアルテミシアの顔を見つめた。

「いつもの冗談だから、な。クランド」

 そこには、男に対するあからさまな媚が浮かんでいた。

 アントワーヌは額に冷たい汗をびっしりとかき、ひゅうと奇妙な息を漏らした。

(馬鹿な。彼女はこういうフザけた悪戯や無意味な男性との接触を極度に忌み嫌っていたはずだっ。なぜこの男の行動を許すんだよ、アルテミシア……!)

 確かにアントワーヌの知るかつての彼女は、やや潔癖気味な部分が有り、特に騎士団内での恋愛沙汰の不祥事には神経質な部分があった。

 故に、アルテミシアに対しては「お堅い」「男嫌い」「婚前交渉など以ての外」など、ガードの硬いイメージが定着しており、そういった点では彼女のことを密かに好いていたアントワーヌからしてみれば、放っておいても安全であるという思い込みがあったのであった。

 だが、現実はどうだ。目の前の彼女は見るからにみすぼらしい風貌の男にいわばオモチャ扱いされていた。大切にしまっておいた宝物を踏みにじられるような錯覚にアントワーヌは腹の底から湧き上がるような熱い怒りを沸々と感じていた。

 蔵人は鼻を鳴らして優越感に浸ると、アルテミシアのやわらかい耳たぶから指を離した。

「ああ、それはそれは。いつも俺のアルテミシアが世話になっておりますう。じゃ、急いでるんで」

 蔵人はおざなりに挨拶をすると、そそくさとその場を離れようとする。

 回れ右をすると同時に、苦り切ったアントワーヌがその肩をがっしと掴んだ。

「ちょっと、待とうか。おまえはいまだ、俺の質問に答えていないぞ! 彼女とはどういう関係なんだ!!」

「肉体関係」

「きゃ」

 蔵人が短的に答えると固唾を飲んで見守っていた野次馬たちから歓声が上がった。

 アルテミシアは頬を赤く染めて顔を伏せて恥じらった。

 アントワーヌの顔色が紙切れのように真っ白へと変色した。握り締めた拳の爪が手のひらに食いこんでいるのだろうか、真っ赤な血がボタボタと床に滴り落ちていた。

 眼鏡が小刻みに震えだす。アントワーヌは天に向かって両手を差し伸べると、溜まりに溜まったマグマが噴出するように大声で叫びだした。

「あああ、ありえない。そうか! おまえ、クランドとかいったな! この恥知らずめがっ。いったい、どんな手を使ってアルテミシアを脅しているんだあっ!! 所詮は卑賤の出の薄汚い冒険者風情だなっ! 卑怯きわまりない男め。得心したぞ、アルテミシア。君がいままで姿を隠していたのも、この腐れ野郎に脅されていたからなんだね!!」

「え? 別にそんなことは――」

 アルテミシアは困ったように片手をふるふると振ったが、騎士団長のキレキレな舌の動きですぐさま遮られた。

「いい!! いいから!! 俺のまえでは無理をしたり強がったりしなくてもいいんだ!! いますぐ、このならず者を斬り伏せて君を解き放ってや――ふぐ!?」

 自らの妄想に酔いながら高らかに蔵人を断罪するアントワーヌの襟口が不意に強く引かれた。舌を強く噛んで目を白黒する。彼の背後には、同じ白十字騎士団(サンクトゥス・ナイツ)の装いをした、二十代半ばほどの男が立っていた。

「ちと、落ちつけし」

「ロイク!! なんで、邪魔をするんだっ! やはり皆がいうように冒険者などは糞をかき集めたゴミのようなものだったんだぞ! おまけに、俺たちの仲間である彼女もこれほどまでに毒されてっ」

「まあまあ。少しは冷静になったほうがいんじゃね? ギャラリーの皆さんも、ドン引き状態だし。世論すら敵に回すのはよくないと思われ」

 ロイクと呼ばれた男は、背丈こそアントワーヌと同等の百九十近い長身であったが目方は倍近かった。

 恐るべき厚みと存在感である。

 綺麗に梳いた金髪を三つ編みにしている。

 ぜい肉で顎は完全にたるんでいたが、顔立ちは比較的整っていた。

 瞳はあくまで理性的な輝きをたたえている。

 物腰はやわらかで、育ちの良さが感じられた。

 蔵人は、個人的にはこのロイクという男の方が、人間としての器が大きいように感じた。

「アルテミシア氏、お久しぶり。そして、クランド氏よ、はじめまして。僕が白十字騎士団(サンクトゥス・ナイツ)参謀代表のロイク・マクスウェルなんだお」

「ああ、久しいなロイク」

「あーどもども。はじよろ」

 ロイクは蔵人と握手をかわすと一歩前に出る形で、アントワーヌの動きを遮断した。

「おい、なぜ邪魔をするロイク! アルの危機なんだぞ! 彼女はその薄汚い冒険者に口八丁で騙されてるんだっ」

「だから落ちつけし。そもそもアントワーヌ氏の物言いは、このギルドの皆さんすべてを侮蔑していると思われ。頭を冷やしたほうがいいんじゃね」

「なっ、頭を冷やせ、だと?」

 ロイクの言葉に頭から冷水を浴びせられる格好になったアントワーヌは周囲の冷め切った視線に気づき、低くうめいた。街では肩を切って歩く白十字騎士団(サンクトゥス・ナイツ)もこの場ではよそ者にすぎない。アントワーヌがこのギルドに駆けつけたのも、アルテミシア会いたさに押しかけた部分が大きい。彼はまごうことなく部外者であり、いくら蔵人が気に入らないからといって冒険者そのものを貶める言葉は、シルバーヴィラゴで大きな力を持つ彼らすべてから怒りを買いかねない行為であった。

「ん、んむ。確かに、いまのは俺が悪かった。クランドと冒険者すべてに対し、不用意に貶めたことを謝す。この通りだ」

 アントワーヌはなんのためらいもなく一同に対し深々と頭を下げた。怒りのこもった周囲の視線がたちまち和らぐ。蔵人も、顎を撫でながら目の前の男の認識をわずかに改めた。

 歴とした貴族階級の騎士が、いくら自分の間違いを認めたからといって早々に謝罪をすることなどまずありえない。

 だが、騎士団長という重々しい肩書きがありながらアントワーヌはわだかまりを捨て、間違ったことは即座に改めることができる特異的な美質があった。

 どんな人間でもミスをするが、それを直視して検討し、自ら真正面に捉えて改善することのできる人間は少ない。

 だが、それとこれとは話が別だった。

「ソウグッード! エクセレント! さ、アントワーヌ氏も落ち着いたところだし、冷静に状況を見ていきたいお。まず、第一に僕とアントワーヌ氏は姿を消していたアルテミシア氏がギルドに姿を現した聞きつけてやってきたお。ところがどっこい、いまをときめく聖女にして嫁っ子にしたい&クランに入って欲しい度ナンバーワンのアルテミア氏を目ざといみんなが放置しているはずもなく、我も我もと引くて数多の大騒ぎ。ここまでは合ってるかお?」

「違うぞおおおっ、ロイク! 俺はそんな風見鶏なやつらとは違って、昔から」

「はいはいー、話が混乱するから、黙っててくれおイケメン眼鏡くんお。んで、ほぼ流れは間違いないかお?」

「う、うむ。私がそのように皆から望まれるとはありえない夢のような話だが、おおよそは」

「うは! 謙虚なアルテミシア氏ポイント高す! 長身美女のモジモジ加減、タマランチ会長でおま。んでんで、アルテミシア氏が種つけオーク戦士にからまれたところを機を見計らっていたアントワーヌ氏がサクッと退治し、見事好感度をアゲアゲな状態で再会を目論んだところに、実はアルテミシア氏に恋人がおったわ! みたいな、予想外の展開にアントワーヌ氏が物言いをつけたと。こういう流れだお?」

「認めん!! アルに恋人などおっ!! 彼女は、ずっと前からこの俺が」

 アントワーヌは顔を左右に激しく振って現実を否定する。

 ロイクは軽くキレた。

「話が進まん。マジで黙ってて欲しいお」

「す、すまん――って!?」

 アントワーヌが気づくとアルテミシアは若干気まずそうに口元を押さえながら、身をよじっている。あたりまえであった。

 なぜなら、彼女は現恋人の前で他の男性に告白されたも同義であった。

 ロイクは決まり悪げに自分の目尻を触っていた。

「すまんお、アントワーヌ氏。僕の説明でアントワーヌ氏の秘めたる数年分の想いをアルテミシア氏へと間接的に全バレしてしまったお」

「ああああっ、ほんっと余計なことしてくれるよなあ、おまえは! 俺の三年間の想いがぁああっ!」

「そうだったのか、団長」

「うううっ」

 ヘタレる騎士団長をジッと見つめるアルテミシア。促すように、彼の肩を押すロイク。それを見守る周囲の冒険者たち。蔵人はそれらを俯瞰しながら、「というか、俺無視されてね?」と思った。

 アントワーヌは乱れた髪を手櫛で撫でつけると、背筋を伸ばして一歩進み出た。

 ギャラリーからも、ほうとため息が漏れた。

 そもそもが、ギリシャ彫刻が動き出したような絶世の美男子である。背丈も百九十を超える堂々たる偉丈夫であり長身のアルテミシアと向かい合って立つと、恐ろしく似合いであった。

「う、うむ。かなり間の抜けた話になってしまうが、俺も男だ。ここ至っては、数年の想いを吐き出させてもらとするよ。アルテミシア、君のことは三年前白十字騎士団(サンクトゥス・ナイツ)へと入団してからずっと恋い慕っていた。俺と、結婚を前提に交際をしてくれないか」

「ごめんなさい」

 アルテミシアは刹那の瞬間も置かず、アントワーヌの言葉を拒絶した。

 あまりの速さに、空間が凍りついたように固まった。

 美貌の騎士に差し出された男の右手は宙に浮いたまま微動だにしない。

 アントワーヌは積み重ねてきた三年間に幾らかの自信があったのだろうか、反動で目をカッと見開いたまま床に視線をクギづけにしたまま動けないでいた。

 あまりのことに、蔵人は口元を押さえて笑いを押し殺した。

 羞恥と怒りと悲しみが混濁し、意識の中で攪拌されてアントワーヌの顔色は信号機のように青くなったり赤くなったりとめまぐるしく変転した。

「あらら。まあ、アントワーヌ氏。アルテミア氏に恋人が発覚した時点で勝負は決まってたお。ここは男らしくあきらめるが吉」

 アントワーヌは膝から崩れ落ちると、四つん這いになり、獣が断末魔をもらすようなうめき声を喉の奥から絞り出した。その声は聴く者すべてを欝にしそうなほど怨念のこもった響きだった。

「なぜだ、なぜなんだ」

「団長。この身は毛先一本から血の一滴まですべてをクランドに捧げ尽くしている。貴方の想いに応えることはできない。あきらめて欲しい」

 彼女の言葉の中には、貴方の気持ちは嬉しいなどといった“肯定”に類するものは一言もなかった。

 アントワーヌは全身が鉛で覆われたように強力な重みを感じ、いますぐこの大地が避けて自分が飲みこまれて消えるよう、天地万物の神に祈った。

 さすがに不憫に思ったのか、ロイクは巨体を揺らしながら苦労して膝立ちになると友の顔を覗き込んだ。彼の瞳には深い慈愛がこもっていた。

「あらら。月並みだが、アントワーヌ氏にはこの言葉を捧げるお。女なんてモノは、この世界にゃ星の数ほど居るんだぜ」

「あ、あ、ああ」

 打ちひしがれた男の虚ろな瞳へとわずかに光が灯った。

「さらに月並みだが、あらゆる夜空の星にはどうやったって手が届かないんだぜ」

 すかさず茶々を入れる蔵人。

「ああああっ!!」

「余計なこといわないで欲しいお!」

 アントワーヌは、突如として立ち上がると、俺はあきらめないぞ、と叫びながらマントをひるがえしてその場を疾風のように走り去っていった。

 ロイクは、アフターケアは任せてお、といい残すと鈍重な足どりでその場を去っていった。

「なんなんだったんだ、いったい」

「ていよくフラレたんじゃね?」

「イケメン眼鏡ザマァ! ま、俺たちの聖女たんはみんなの物ってことで、痛みわけじゃね?」

「聖女さまは、愛でて楽しむものよ」

「あの、クランドってやつは?」

「ダミーよ、ダミー。あんなゴミ野郎アルテミシアさまが相手にするわけないっしょ」

「だな」

「せめて五英傑のクランマスターじゃなきゃ、アルさまの恋人は勤まんないでしょ」

「同感同感」

 冒険者たちはアントワーヌが走り去った後で三々五々散っていった。

 蔵人が皆が立ち去るのをぼーっと見ていると、顔見知りの冒険者であるオズワルドがゆっくと歩み寄ってきた。彼は気の毒げに蔵人を見やると、ポンポンとやさしく肩を叩いて「元気出していこーぜ!」などと意味不明な励ましの言葉を掛けて去っていった。

「おまえこそ無礼だよ」

 誰彼ともなく、自然に蔵人がアルテミシアの恋人である、という不当な事実は除かれ、白十字騎士団(サンクトゥス・ナイツ)のアントワーヌが聖女に対して玉砕したという部分だけが選り抜かれて巷間に流布されつつあった。

「俺は影か」

 蔵人は不満だった。

 だが、世間はアルテミシアの行動を男を袖にする方便だったと決めつけている。

 そこには、前提条件として無名の一冒険者とアルテミシアが不釣合であるという事実が横たわっていた。

「さ、クランド。そろそろ行こうか。きょうは、昔のログを漁ってみたのだ。私の転移陣で第八階層から飛べるぞ」

 アルテミシアは特に悲壮な顔も見せずに蔵人の手を引くと、たちまち上機嫌でギルドの奥の移動部屋へと向かっていく。彼女の頭の中にはアントワーヌのことなど一片の影も落としていない様子だった。

「おまえとダンジョンに望むのはこれがはじめてだな。私は、必ずクランドの役に立ってみせるからな」

 彼女は槍をつかんだまま、えいと声を上げた。蔵人と行動できるのがうれしくてしょうがないといった風だった。

(振った男には微塵の興味もないのだね。恐ろしや)

 改めて女とは別の生き物だと実感する蔵人だった。

「そうだ!」

「ひ、な、なんだよ」

「大事なことを忘れていた。まだ、私はクラン登録していないではないか!」

「ああ、クラン。クランね。……なんだっけ、それって」

 クランとは、ダンジョン攻略においてもっとも重要な生死を共にする仲間のことである。最大規模を持つものでは優に数百人を超えており、最深部を目指すまともな冒険者なら十人以下ということはまずありえないものであった。アルテミシアはくるりとリズミカルに反転すると、蔵人をぐいぐい引っ張り入口へと向かった。

「そういえばおまえはひとりだとかいっていたが、さすがにそれは嘘だろう」

「ふっ。訓練されたボッチはソロ活動を厭わない、わけではなく、誰もが俺のレベルについてこれないのさ」

「クランド」

 蔵人は両腕を組んで壁に寄りかかり虚無的な笑みを浮かべてみせた。 

「なんだ、あいつ。馬鹿かァ」

 つぶやきが聞こえていたのか、柱に寄りかかり一杯引っ掛けていた冒険者がけけけ、と乾いた声で嘲笑った。しかし、自分に酔っているふたりにはまるで聞こえていなかった。

「もう、おまえをひとりになどさせないぞ。さあ、私とおまえで伝説を築いていこう」

「わ、わかってるから、そう意気込むなって」

「信じているぞ、いつだって」

 アルテミシアの瞳は蔵人を真っ直ぐ見つめている。

 そこには、深い信頼と憧憬と愛情が宿っていた。

 アルテミシアはほとんど自分と変わらない背丈の蔵人をひしと抱きしめると感極まって頬を擦りつけている。それを目撃した受付のネリーは、両眼をカッと見開きながら椅子からずり落ちそうになった。

「受付の方よ。クラン加入の申請をお願いしたいのだが」

「え、あ。えーと。ごほん、ごほん。アルテミシアさま。加入されるのは、もしかしてそこにぬぼーっと立っている男性でお間違えはないでしょうか? というか、間違いですよね。ね?」

「うん? ああ、間違えた」

「そうですよね! 聖女と呼ばれる貴女が、よもやこんな男のクラン加入を認めるなどということが、天地が裂けてもありえないですよね!!」

「いや、そうではない。クランドが私の設立する新規パーティに加入するのではなく、私がクランドのパーティに加入させてもらうのだ。主と従が逆だな、受付の方よ」

 ネリーは白昼の街中に竜が蛇行するのを目撃したような表情でその場に凍りついた。

 それから油の切れた自動人形のように、ギギギと首を動かすと弛緩した顔であさっての方向を眺めている蔵人を向き、意思をこめた視線を放った。

 異様な気配に感づき蔵人が即座に振り返る。

 同時に、ふたりの間でアイコンタクトによる無言の会話がはじまった。

 ――どういうことですか、これは。私を騙す冗談にどれだけ金を積んだのですか?

 ――んん? 別に冗談じゃねぇぞ。アルテミシアは心底俺といっしょに居たいってだけのことさ。ふ、モテる男はつらいぜ。

 ――脅したな。

 ――お、脅してねえっ! なんという人聞きの悪いことをっ。おまえなぁ。そろそろ現実を見つめようぜ。俺はよう、おまえが思ってるような小物じゃねぇんだ。

 ――なんの弱みを握ったのですか。まったく、卑劣な。女性の敵ですね。

 ――握ってないからね、これは、彼女の自由意思だからっ。ふふ、ま、一流は一流を知るってやつ? 俺の凄さをわかる女はやっぱり一流の女ってことよ。テメーはド三流じゃ! 悔しかったらいままでの非礼を詫びて、「どうか、クランドさまの肉奴隷にしてください、うるる」としおらしげによろめいてみろっ!!

 ――あ。やっぱり弱みを握って脅しているのですね。しかも、性的な意味で。やだぁ、怖いよう。

 ――ぜんぜん怖がってないくせに。おまえ、キャラ崩壊してるぞ。

 ――あのですね、そもそもおまえって呼ばないでください。私はあなたの恋人でも奥さんでもないのですから。下品な上に、不愉快ですよ。

 ――じゃあ、なんて呼ばれたいの? メス豚?

 ――その口を引き裂いて、煮詰めた糞便を詰めこんでやろうかしら。このインポ野郎。

 ――やっぱおまえ怖いよ。なになに、どうしてそんな風に育っちゃったの。

 ――それは、いい家柄でだいじーに育てられたからですよ。この下等種族。

 ――なんというレイシストっぷり。これだから、異世界人は。

「おい」

 ――わけのわからない言葉でケムにまくのはやめてくれません?

「おい、クランド」

 ――別にまいてねえし。むしろ、突っかかってくるのは、いつもおまえの方ですし。

「聞いているのか、クランド!」

 ――はあっ!? なんか勘違いしていませんか? 私があなたをからかうのは暇つぶしとボランティア精神ですよ。どうせ、私のような可憐な婦人と口を利く機会などほとんどない虫けらに考慮して相手を勤めているのにっ。もお、いいです。これからは、なにを聞かれても事務的に受け答えします。泣いて謝るまで、私たちは他人ですっ。

「クランドっ!!」

 ――ふん。俺のことが好きなくせに。

 ――頭沸いてるんですか? 一度開頭してみます?

「このっ」

 蔵人は腕をぐいと引かれ、ようやくアルテミシアの表情に気づいた。

 彼女は子どものように下唇を噛み締めると、泣きそうな顔で上目遣いに、睨んでいる。

 潤んだ瞳が盛り上がった涙で揺れていた。

 腕をつかむ指先が不安げに細かく震えていた。

「なんでっ、その女とずっと見つめ合っている。そんな真似されたら、私はさびしいぞ」

「違っ」

 蔵人が否定の言葉を口にする前に、光の速さでネリーの舌が動き出した。

「違いますからぜんぜんそんなことありませんからオホホなにをいっているのでしょうねこの方は私とクランドが仲いいなんてありえるはずがないでしょうがみつめあってないからそんなこと金輪際ありえないから迷惑ですからむしろクランド死ねっておもってますからというか死ね」

 ネリーは一息に否定の言葉を吐き出すと、人形のように無表情になってその場に停止した。感情の色がまったく見えない。蔵人は顔を引きつらせると後ずさった。

「お、おう。まあ、そんなことはどうでもいいんだよ。とにかく、本題に移ろうぜ。ネリー、俺たちは新規のクランを作ることにしたんだ。申請書類を一部頼まぁ」

「承知しました」

「おい、なんでいきなりそんな他人行儀に」

「他人ですし、元々。はい、書類はこちらになります。あちらの備えつけのカウンターで必要事項を記入し、印紙を購入して所定の場所に貼り付け提出願います。審査料は、別途請求いたします」

「おい、なぜ事務的になる」

「事務ですから。受付ですし」

「クランドぉ」

 心細そうな目でアルテミシアがくいくいと袖を引く。蔵人は記入用紙を受けとると、後ろ髪を引かれる思いで記入専用カウンターに移動した。ネリーは顔を背けて見るに耐えないという風にハンカチで口を覆った。

(なんだ、俺が女連れなんで拗ねてるのか)

「私は結構字には自信があるぞ。代筆させてくれないか」

 この国の字を書けない蔵人のメンツをおもんばかって、アルテミシアはペンを取った。

 男を立てる細やかな気遣いである。蔵人はアルテミシアが白く長い指を器用に動かして項目を埋めていくのをぼんやり眺めていた。

 ふと、背後に視線を感じ振り向く。

 背後で、ネリーがじっとりとした湿度の濃い目つきをし、自分たちの一挙一投足を見守っていた。見るからに彼女の瞳は深い疑念の意に塗りこめられている。

 蔵人が歯を剥きだしてにらむと彼女も負けずににらみ返してくる。ふたりの空間に妄想上の電流エフェクトがしばし飛びかった。殺気を込めて視線をビシバシ飛ばしていると、気づくか気づかない程度でちょこんと外套の裾を引かれた。

「その、書けたのだが」

 アルテミシアは露骨にネリーを意識しながら不安そうに蔵人の肩へと寄り添ってくる。 

 ネリーが眉間にしわを寄せてせわしなくペンを回しているのが視界に入った。

「おお、早いな」

「うむ。時間は有限だからな。それに、ここはなんだか居づらい雰囲気だ。変なのもいるしな。まったく程度の悪い。早く済ませてダンジョンにゆこう」

 アルテミシアが程度の悪いといった途端、後方からなにかがひしゃげる音が聞こえた。

 蔵人は怖いのでもう振り向かなかった。

 蔵人はアルテミシアと話しあって、クラン名を“ダンジョンマスター(仮)”と名付けた。

迷宮の王(ダンジョンマスター)ですか」

「私たちのクランになにか問題でも」

「いえ、別に。ただ、アルテミシアさんは世間の期待も大きいでしょうし、名前負けせぬかと老婆心ながら少し案じたまでです」

「……なにかいいたいことがあるならはっきりいったらどうだ。私たちのことは放っておいてくれ。だいたい、クランドがただのいち冒険者ならば、そこまで気にすることなかろうに」

「いえいえ。どんな困ったお客さまも平等に扱うのがウチの方針ですので。特別扱いなどは致しませんよ」

「だと、いいのだがな。今後は、私たちの受付は他の者に願いたいものだ」

「こちらも常に人数不足では。そういった意味ではひとりひとりの我が儘は控えていただかないと。皆のギルドですからね」

「私が我が儘だというのかっ」 

 アルテミシアが怒気をにじませて叫んだ。対するネリーはあくまで涼やかな視線で受け流す。熟練の業を感じさせた。

「一般論ですよ」

「ふん。まあいい。私たちは忙しいからな。そろそろ失礼する」

「お気をつけて」

「心にもない言葉ならかけぬ方がマシだと思うがね」

「そんな。私たちギルド職員は、心から冒険者の皆さまの成功を祈っております」

 ネリーはさわやかな笑顔を作った。

 だが、瞳が笑っていない。荒涼とした冬の荒地を思わせるような色だ。

「本当に、クランドとは無関係なのだろうな」

「いってらっしゃいませ」

 アルテミシアは憤懣やるかたないといった様子で受付台をつま先で蹴り上げた。ネリーは静かな笑みをたたえたまま微動だにしない。みぃんと張り詰めた空気が辺りを漂った。

「おいっ、もう行こうぜ」

 蔵人が腕を引くと、アルテミシアは無言で従い歩きはじめる。ネリーは、ふたりの冒険者の姿が見えなくなると記入台帳を足元に叩きつけおもいきりヒールで踏みにじった。

 しばらくはネリーとの仲を怪しんでいたアルテミシアだったが、受付を離れて奥に続く長い通路で蔵人とふたりきりになると次第に機嫌がよくなっていった。

「この先に部屋を借りてある。そこから飛ぶことにしよう」

 アルテミシアの先導で冒険の軌跡を保存した転移陣が置いてある部屋にたどり着いた。

 潜行履歴(ログ)は十二階層まであるというのだが、蔵人は敢えて八階層を選んだ。

「だって、まだボク行ってないから」

 という理由からだった。

 ダンジョン攻略に必要な糧食・水・道具はすべてアルテミシアの持つ小型の圧縮バックに詰めてある。あとは、身ひとつで潜るのみである。

 アルテミシアのかざす魔石から転移に必要な魔力が放出される。

 半ばで途絶えていた蔵人の冒険が、ここに至ってようやく再開されたのであった。






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