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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第2章「迷宮都市シルバーヴィラゴ」
72/302

Lv72「聖女争奪戦」





 

 蔵人は冒険者組合(ギルド)の向かいにある喫茶店“夜雀亭”に着くと、オープンテラスの席に腰を下ろして呼び鈴を鳴らした。

 しばらくすると、三十そこそこの口髭を生やしたウェイターが近づいてくる。

 店長のビッグス・ジェスミンである。

 蔵人はあからさまに大きなため息をつくと、ガックリと首を傾けた。

「なんでオメーなんだよ、ビッグス。朝イチで若いギャルが来るのを期待して全裸待機してたのによ」

「ご注文をどうぞ」

 ビッグスは蔵人の無礼な物言いに慣れているのか、ほとんど無視した格好でバッサリと切り捨てた。

「ふうん。無視するんだ。常連の俺を無視するんだ。とりあえず、若いおねえちゃん一匹とカフェカプチーノね」

「あのな、クランド。あんた、常連もなにもいっつもコーヒー一杯で席を占拠するわ、ウチの女給の尻を片っ端から撫でるわでこっちはいい迷惑してんだよ。たまには、ドリンク以外も頼んでウチの売上に貢献してからそういうこといってくれよな」

「おぉ、怖い。んじゃ、若いおねえちゃんの方を二匹追加な」

 蔵人は自分の両肩を抱いて怯えたフリをした。

 それから、中指と人差し指を顔の前に立てて、小さく振ってみせた。

 ビッグスの喉の奥から獣がうなるような音がもれた。

「まったく改めるつもりないんだな。それに、ウチはそういう類の店じゃ」

 ビッグスは乗り出すように叫んでいたが、目を見開いて硬直した。

 彼は、突然なにかを思い出したように、いいかけた言葉を切る。

 それから、にんまりと笑みを浮かべた。

「かしこまりました、お客さま。カフェカプチーノに女給を二名ですね。二名とは参りませんが、近頃新人の娘がひとり入りまして、練習替わりで構わなければ特別に給仕をさせますが、よろしいでしょうか」

「お、おう。いきなり、待遇が変わってなんか気持ちわりいぞ。もしかして、その娘、二目と見れない化物じゃねえだろうな?」

「いえいえ。こういってはなんですが、先週退店しましたリナリーよりも容姿は上でございます」

 リナリーとは夜雀亭で一、二の美貌を誇る人気抜群の女給であった。

 明るく快活な性格であったが、蔵人の執拗なセクハラに耐えかね、見かねたビッグスが店長に掛けあって支店に転籍させたのである。

 蔵人はその事実を知らなかった。店側も教えない。わかれば間違いなくケツを触りにいくだろうという配慮であった。この世界にストーカー規制法などはなかった。

「おい、嘘じゃねえだろうな。人三化七だったら、暴れちゃうぜ」

「ご満足出来るかと。華は愛でて楽しむものでございます」

 蔵人は含み笑いを噛み殺しながら店の奥に消えていくビッグスの後ろ姿を懐疑の眼差しでジッと見つめていた。

 ともあれ、本日はアルテミシアとダンジョン攻略のため待ち合わせているのである。

 例え、懸念通りの醜女が現れても美女分を補給できるアテはあるのだ。

「さて、吉と出るか凶と出るか」

 蔵人は通りを歩く人々を眺めながら、椅子から両足を投げ出してブラブラさせながら時間を潰した。

「お、お待たせ、ひました。おきゃく、さま」

「ん? おおおっ!?」

 低めではあるが妙に艶のある声に振り向くと、背後には銀盤にカップを乗せた女給がフラフラとした足どりで迫りつつあった。

「なんだ、その大きさ。ありえんぞ」

 特筆すべきはカップの大きさであった。ほとんどバケツに近い大きさのそれは、縁までなみなみと液体がそそがれている。

 女給の顔はカップに隠れて見えないが、超ミニのスカートから見えるスラリとした長い足や、きらめくような蜂蜜色の金髪は美しく、当たりの徴候を垣間見せていた。

 だが、問題はそこではなかった。

「っじゃなくて!! おいいいいっ!! 誰がこんなんたっぷりの量持ってこいっていったんだああっ! ちくしょおおお、ビッグスの野郎っ、ハメやがったな! 返品だ、返品ンンン!!」

「へ、返品? わ、わかった。じゃなくて、わかりまひた」

「ちょっ、いきなりターンするなっ、あきらかにカップがぁああ傾いてるからぁあっ!!」

「え? あ」

 傾いたカップの陰から女の顔が見えた。

 ふんわりとした長い金髪に大きく美しい緑の瞳。

 どこかで見たような貴族的な容姿であった。

「あっ、とかいうなあああっ!! ダメ、そのフラグ絶対ぃいいいっ!!」

「見つけた、ついに見つけたぞ!! クランド・シモン!!」

 女給はキリリとした顔で銀盤から手を離すと、指先を蔵人に突きつけた。

「やだああっ!!」

 蔵人の顔が恐怖に染まる。女給は己の行動に気づいて顔色を真っ青にした。

 だが、いかんせん遅かった。

 カップの中身は盛大に傾き、蔵人に向かって残らず大量の熱湯が降りそそいだ。

 猿を捻り殺したような絶叫が白昼の大通り一帯に響き渡った。






「んで、この落とし前どうつけてくれるんだよ」

「……うぅ。だから、もおお。ごめんなさいしたではないかぁ」

 蔵人は包帯で顔中をぐるぐる巻きにした状態でテラスの椅子に座ったまま、女給を足元に正座させていた。

 ビッグスはケジメはその女に取らせてくれと、いい放って店の奥に消えていった。

 どうやら、この女は元々店の中でも持て余していたらしい。

「ミスするとわかってぶつけて来たのか。なんという策士っぷりよ」

「ううう、もお立ってもよいのか、クランドよ」

「おまえなあ、自分の立場わかってんのかよ。重症だぞ重症。それに初対面で人の名前を呼び捨てにするとは、いい度胸してるじゃねーか」

「初対面じゃないのに」

 蔵人は不死の紋章イモータリティ・レッドの力で治癒しているのにも関わらず、ヤケドの傷を誇張した。

 女給も自分の過失を理解しているのか、一旦立ち上がりかけるが、やがて渋々と元の正座の位置に戻っていく。

 女給のそばには、いつの間にか十三、四くらいの、あきらかに店の者とは違う黒いお仕着せをまとったメイドがニコニコしながら控えていた。

「んん、で、このメイドは誰だ」

「あはは、勇者さま。わたしは、お嬢さまのメイドでハナと申します。以後お見知りおきを」

 メイドの言葉に懐かしい単語を聞き、蔵人の時間がつかの間、過去に飛んでいく。

 勇者。

 かなり重要な意味合いを持つ言葉だったような気がする。

 蔵人は、眉を眉間に寄せると両腕を組んだ。 

「んあ? 勇者だと。ついぞ久しいフレーズだが、それってどういう設定だったっけ」

「だから、設定もなにもなーい!! 私を、忘れたのかっ!!」

 女給は勢いをつけて立ち上がると豊かな胸を震わせて、金色の髪をかきあげた。

 うるんだ緑色の瞳がらんらんと輝いている。一種、異様なオーラを放っていた。

 面白半分にやりとりを見ていた群衆や店の客が一気にざわめいた。

「えーと、どちらのお店で会ったっけっか? ごめん、わざわざ追いかけられても困るんだよね」

「違うわ!! 私は、ヴィクトワール・ド・バルテルミーだ! 姫さまから極秘の命を受け、おまえを探して幾星霜、ついにっ、ついにっ!!」

 ヴィクトワールはいままでの旅の苦しみを思い出したのか、目元の泣きボクロを震わせて握りこんだ拳をぐっ、と天に突き出した。群衆のどよめきがひときわ大きくなった。

「おいおい、メイドさんや。お嬢さまをおとめせんでよろしいか」

 蔵人がハナの袖を引く。

 メイドはゆるくほほえんだままヴィクトワールに向かいヒソヒソ声で囁いた。

「あは、確かにですね。お嬢さまーお嬢さまー、極秘の命令ってこと口さがない貧民どもに喧伝したらマズイかな、と思われますー」

「んなっ!! ば、ばかもの! そのようなことはもっと早くに教えんか!」

「あはは、またハナのせいですかー。都合の悪いことは、ぜんぶハナのせいですもんねー。いいですよー、そういうことにしておきましょうかー。疲れますねー、実際」

「ちち違うぞ! そういったことではなくてだな、もちろんあらゆる意味でおまえに感謝していることは相違ないが、そのお、私が気づきにくいことをだな、そっとよき機を見計らって教えてくれるのが、真の忠義であろうかとだな」

「あー、はいはい。えー、という劇の練習でした! さあ、街衆のみなさま、芸人さんたちに盛大な拍手をー!!」

 蔵人が立ち上がって叫ぶと、群衆からまばらな拍手が立った。

 まばらである、というところが少し悲しい。

「くっ、人を芸人扱いするとは。しかしながら、おまえの機転で密命が守れたことは礼をいうぞ。クランド。以後も王家と私に尽くせ」

 ヴィクトワールは髪を後ろに流すと、異様に背筋を伸ばした態勢で腕を組みながら上からものをいった。蔵人とハナのこめかみに青筋が浮かぶ。

「――なあ、こいつやっちゃってもいい?」

「あは、後腐れなくバッサリお願いしますー」

 蔵人の問いに、ハナは口元に手を当てて当たりまえのように同意する。

「しっかり聞こえてるからな。ううう、ちょっと口が滑っただけなのにぃ」

 ヴィクトワールはうつむくと、かなりいじけていた。






「かいつまんでいうと、俺のことを探してあてもなく各地をグルグルうろつきまわっていたと。やがて、路銀が尽き、大口を叩いた割になんの成果も上げられずいまさら王宮にも追加の資金は頼めない。ので、結果として父親の領であるシルバーヴィラゴの茶店で無銭飲食と。金がないなら身体で払えばいいじゃない! と意気込んではみたものの、お嬢さま騎士であるヴィクトワールに接客が出来るはずもなく、仮性欝状態のところで俺が見つかったと」

「勇者さまのいうとおりですねー」

 蔵人の言葉にハナが同意すると、静かに座っていたヴィクトワールは突如として立ち上がると髪を振り乱して否定した。

「ちっがーう!! ぜんぜん違うっ。私の数ヶ月の苦労を簡単に略すんじゃないっ!」

「だいたい合ってますよ」

「だそうだ」

「違う!」

 ヴィクトワールはテーブルに両手を突いたまま、肩を激しく上下させて呼吸を荒げた。

 蔵人は、冷めた紅茶を飲み干すとティーカップを静かに置く。

 ハナは優雅な手つきでポットに両手を添えて自然な動きで給仕を行っていた。 

「いつものお嬢さまじゃないですよ」

 ハナは眉をひそめると人差し指をくちびるに当てて困ったように小首をかしげた。

「はは、俺に会えてよっぽどうれしいんだろう。こっちは顔もほとんど忘れてたけどな」

「……なぜ、そこまで和んでいる。特にハナ、おまえは自然すぎる。私が主なんだからな」

「あはは」

「ちょっと待て、なぜいま笑った? ねえ、なんで?」

「まあ、いいじゃねえか」

「いいじゃないですか」

「よくない、まったくよくない。姫がいったいなんのためにおまえを召喚したと思っているのだ!」

「知らねえよ。観光?」

 蔵人がヴィクトワールのヘッドドレスを指先で弾くとカツンと硬質な音が鳴った。

 歯を剥きだしにしてヴィクトワールが小さく吠える。

 抗議の仕方は優美な大型犬のようだった。

「ぜんぜん違う!! とにかくだ、ここで会ったが百年目だ! クランド、おまえには大人しく姫のところに戻ってもらう。反論は許さない!!」

「おい、お店はどうすんだよ。おまえにはカフェレディという重要な使命があるのではないかね?」

「そんものはどうでもいい。誰だ、いまは重要な話の最中で」

 ヴィクトワールは肩を叩かれ後ろを振り返ると、そこには請求書を持ったビッグスが苦虫を噛み潰したような顔で仁王立ちしていた。

「こっちとしては、払うもん払ってもらえば別に引き止めはしないけどね」

 ヴィクトワールは肩を震わせながら請求書を受け取ると、やがてガックリとテーブルに突っ伏した。

 ハナはチョコチョコと横から請求書を覗くと、目をまん丸にして蔵人を手招きした。

「いくら?」

「驚きの低価格。五万(ポンドル)です」

「なにをそんなに食ったんだよ」

 ヴィクトワールは顔を上げかけたかと思うと、再びテーブルに突っ伏し、低く嗚咽をもらした。

「その、ほとんどが店で働きだしてからの負債なんです。お嬢さま、景気よく店の調度品や皿を割りまくったり、高価なお召し物を着たお客さまばかりを狙ったように粗相をしまくっていたものでハナも接客していましたが、とうとうリカバーできませんでした」

「なんというか、ドジだな」

「お嬢さまはドジっ子なのです」

 子飼いのメイドもかばってくれないことに絶望したのか、ヴィクトワールの嗚咽はよりいっそう大きく高く響いた。面倒なドジっ子姫騎士、ここに爆誕であった。






「くそ、余計な時間を喰ってしまった」

 結局のところ、負債は蔵人が一括で支払った。

 今夜の寝場所もないというので、ふたりを姫屋敷に向かわせると、アルテミシアの待つ冒険者組合(ギルド)へ急いだ。お馴染みの赤レンガの壁を見ながら入口に進むと光景は一変した。

「なんだ、こりゃ?」

 ロビーに入る階段の部分からぎっしりと人で埋まっている。蔵人は泳ぐように群衆をかき分けて受付に移動した。テーブルの上で頬杖を突き、うんざりとした顔で眉間にしわを寄せているネリーに話しかけた。

「おい、こいつはいったいなにがどうなってるんだよ」

「ああ、クランド。まだ生きていましたか。あれですよ、あれ。件の聖女さまが見つかったらしいです」

「聖女さま?」

「あいかわらずぼーっとしてますねえ。そんなんで、この先生き残っていける……難しいか。ほら、例の竜殺しの聖女、アルテミシアさまが、長期の雲隠れから久々にご降臨なされたそうで。朝から、ロビーはお祭り状態です。まったく、ただでさえ通常業務が滞おっているのに」

「すっげーな、ほとんどアイドル状態」

「誰も彼も自分たちのクランに引き抜こうとしたり、結婚を申しこんだりする人間が絶えないみたいですね」

「結婚? そりゃ、またなんの脈絡もない」

「いえいえ、彼女の株はうなぎ上りで、大貴族や商人、街の有力者からの縁談が絶えないそうで。なにせ、竜殺しの聖人で若く美しい。おまけにあの立派なお身体ですからね。強い後継者を望む者にとっては、彼女は金の卵を産む雌鶏状態ですね。嘆かわしい」

「長身がネックで縁遠くなっていたのに。なんという手のひら返し」

「ただの大女なら需要はありませんが、竜殺しの実績の前には強い子を望む貴族や軍属から見れば垂涎の的ですよ」

「そんで、アルアルを射止めて子孫繁栄ってか。なんとまあ、現金な人たちで」

「下品! 確かに同意ですね。女を子を産ませる道具だとしか思っていないんじゃないですか。目下のところ、聖女さまの抱きこみに成功した人間はおりません。はああっ」

 蔵人はネリーの、ベヒモスが百体くらいまとめて攻め寄せてこないかしら、という物騒な破壊願望を聞きながら顎に手をやって考えこんだ。

「まずいな」

「なにがマズイの。その顔は生まれつきでしょう」

「ほっとけ。第一、俺は男前なので、そんな中傷にはめげない」

「世の中ゲテモノ好きも多いですからね」

「ネリーはエロい顔してるよな。唇がヤラしい」

 蔵人はネリーが無言になったことで勝利宣言を心の中で高らかに歌い上げた。

「よっし! 一丁、俺も争奪戦に参加してこよっかなっと!」

「ええー、そんな自ら崖に飛びこむような真似。お行きなさい。そして、抜群にヘコむ姿を見せてくださいな。指差して笑ってあげるから」

「ほざけ」

 蔵人は勢いよく駆け出すと群衆の中心に飛びこんだ。

 後方から、あっマジで行ったわ、というネリーのつぶやきが聞こえた。

「アルテミシアさまーっ!」

「聖女さまーっ!」

「どけーっ、オイラがアルミシアさまの心を射止めるんだっ」

「るせーっ、粗チン野郎がっ。てめえの小汚いモノで聖女さまが満足させられるかっ!」

「あああっ、聖女さま、なにとぞお顔だけでも、なにとぞっ!」

「ありがたや、ありがたや」

 蔵人は怒号や叫びが飛びかう中を泳ぐようにして前進していく。

 あきらかにロビーの収容人数を超える数だった。

 冒険者のほどんどを占めるのが若い男性であり、中にはあきらかに傭兵とわかる屈強な男たちを従えた商家の若旦那もちらほら見えた。

「くっそ、これじゃあたどり着くまえにミンチにされちまうぞ」

「おい、そこのおまえ。順番はちゃんと守れよっ」

「ああっ?」

 肩を掴まれて振り返る。そこには、七三分けにした四十すぎの男が、目を真っ赤にして蔵人を食いつくような視線でねめつけていた。

「僕は今日まで彼女が姿を現すのをじっと待っていたんだ。そして、そのときは来た。君たち有象無象には悪いが、彼女の心はもう僕のモノさ。悪いね」

「なんなんだよ、おまえ」

「僕は、ジェリー・アンダーソン。このダンジョンをすべて攻略する男さ。今日この瞬間から、僕とアルテミシアは深く結ばれ、最強クランが誕生する。伝説がはじまるのさ! 君も覚えておくがいいっ。僕の名前を!! ダンジョンマスターになる男の名前を、おぶるっ!?」 

 蔵人は拳骨でジェリーの鼻面を殴りつけると先に進んだ。

 だいぶ馬鹿が湧いている。

 さもありなん。誰も彼も儲けの匂いには敏感な奴らばかりだ。

 そもそもが冒険者自体が食い詰め者の集まりである。いまの自分の場所からより上へと進めるとわかっていながら手をこまねいている人間はいない。

「向上意識の高い馬鹿ほど手のつけられぬものはないからなぁ」

 蔵人が人並みに揉まれながらたゆたっている状態でありながら、無慈悲にも事態は刻々と移り変わっていく。

 もちろん、合流することを心待ちにしていた若いふたりにとっては、現在の事態は災難以外のなにものでもなかった。

 人垣の向こう側で困惑しきりのアルテミシアの姿が見える位置までようやく前進できた。

 彼女は、教会で会ったときの修道服ではなく、以前のように白銀の甲冑を着こみ、白金造りの鞘がまぶしい幅広のロングソードを下げていた。

 冒険者たちは、彼女の前へと順番に並ぶと、それぞれ贈り物を捧げ持ち、一心に自己アピールを繰り返している。アルテミシアのやや垂れ目がちな緑色の瞳が困ったようキョロキョロと細かく動いていた。

(キョロってるアルテミシアもかわいいが。そろそろ助けてやんねーと、かわいそうだな)

「うおおおっ、どけどけえっ」

 不意に後方からかすれた濁声が響き渡った。

 十重二十重に聖女を囲んでいる人垣をものともせずに、ラッセルしながら爆進するひとりの男が現れた。

 三メートル近い巨躯である。

 伸ばした長髪は後ろで結び背中まで垂らしてあった。

 上半身は半裸である。

 まさしく肉の塊といった肥え方であったが、埋もれた身体の奥底には途方もない力を秘めた筋骨が窺い知れた。

 大きなコブ付きの棍棒を背負っている。

 亜人の名残であると推測される乱杭歯は鋭く尖り、赤茶けた色をしていた。

「おい見ろ。ハーフオークのネーポムクだ」

「あの名うての戦士の!?」

 ネーポムクはアルテミシアの前で列をなす男たちを片っ端から突き飛ばすと一番前に躍り出た。

 それから無作法な視線で彼女の身体を上から下まで眺めると、もみあげをしごきながら野卑な笑みを豪快に浮かべた。

「なんだ、おまえは」

 アルテミシアもさすがに気分を悪くしたのか、つっけんどんな声を出した。

「いいねえ。俺好みの身体だ。気に入った」

「だから、いったいなんの話だ」

「いい! その気の強さも実にいい!! とりあえず名乗っておこう。俺は、誇り高きオーク族の戦士、ネーポムクだ。おまえが、竜殺しで名高いアルテミシアで間違いないな」

「……さっきから誰も彼も。その呼び名ははっきりいって迷惑だ。やめて欲しい。それから、私はここで人を待っているだけだ。いったい、なにがしたいのだおまえたちは」

 ネーポムクは革のパンツからでもハッキリと形の浮き上がっている股間の男性器を指で示すとトントンと軽く叩いた。

「うん? そんなことは決まっている。アルテミシアとやら。俺はおまえが気に入ったぞ。おまえなら、俺の強い児を産めるはずだ! 感謝しろよ、この俺さまの強い子種をくれてやろう!! ここにいる者たちも、それが望みなのだろう!!」

「は? ば、ば、馬鹿か! おまえは! いいいい、いきなり現れてなんという不埒なっ!」

 瞬間的に意味を察したアルテミシアは、ネーポムクからさっと身を引くと顔を真っ赤にして恥じらった。

 同時に、彼女を神聖視するグループのシンパから強い抗議の声が上がった。

「ざっけんなよ! このクソデブがっ!!」

「なにが子種だ! 豚は養豚場へ帰れやっ!!」

「俺たちの聖女さまになんという物言いをっ! 恥を知れ、恥をっ!!」

 調子に乗った冒険者のひとりがネーポムクに近づくと胸を突こうと手を伸ばした。

 彼の手が、分厚い胸板に触れるか触れないかというギリギリの線で、ネーポムクの太い指先で無造作にヒョイとつまみあげられた。

「あがああああっ、いっ、いだああっ! ちょっ、はなせっ、はなせてばああっ!?」

 ゴキリ、という鈍い音と同時に冒険者の手首は枯れ木のようにあっさりとへし折られた。

 男が泣きながら白い骨を露出させながらその場に立ちすくむと、怒号を放っていた男たちは残らず沈黙した。

「愛がどうの、クランがどうのとまだるっこしい奴らよのう。俺はおまえらひ弱なニンゲン族と違う。すぐれたメスを手に入れるのはもっとも強いオスであると相場は決まっている! さあ、俺の女が欲しければ腕づくでかかってこい! これは、私闘ではなく、歴とした戦士同士の果し合いだ!!」

 ネーポムクが天井まで響くような堂々とした声を張り上げると、人垣の前面に位置する男たちは残らず下を向いた。

「調子に乗りすぎだ、クソデブがっ」

 こめかみ青筋を浮かべた蔵人がネーポムクに躍りかかろう身を乗り出した。

 同時に、争いの渦中に飛びこむ一陣の白い風が突如として沸き立った。






「そこまでだ、オーク族の戦士、ネーポムクよ!!」

 群衆を軽々と飛び越すと、その男は地上へと優雅に降り立った。

 アルテミシアと同じ白銀の甲冑を身にまとっていた。

 赤地に白十字を染め抜いたサーコートをがひらひらと揺れている。

 飛び出し損ねた蔵人は精薄のように口をあんぐりと開けて瞬きを激しく行った。

 背丈は百九十を超えている。灰色の髪を短く刈りこんでおり、細身の眼鏡を掛けていた。

 薄いレンズの向こうには理知的なグレーの瞳が静かに佇んでいる。

 騎士というよりは学者といったほうが頷ける容貌だった。

 腰には均整のとれた美しい長剣を佩びている。 

 涼やかな容姿を持つこの貴公子こそ、白十字騎士団(サンクトゥス・ナイツ)の若き騎士団長、アントワーヌ・ボドワンであった。

「なんだテメエは!!」

 アントワーヌは長く力強い腕を伸ばしてネーポムクを制すると、硬質な靴音を立ててアルテミシアに近づき、その前に立った。

「久しぶりだね、アル。どうして連絡のひとつも寄越してくれなかったんだい」

「団長」

「ほら、また団長だなんて。まったく、君はいつになったら俺に対してその他人行儀な言葉遣いをやめてくれるんだい?」

「いえ。一言もなしに姿を消したのは謝ります。私はあんな形で“黄金の狼”を抜け、あまつさえ騎士団にも迷惑をかけた。除名は覚悟しております」

「ほら、また」

 アントワーヌはため息をつくと、彼女の手を握り眉間にしわを寄せた。

「そんなことを責めているわけじゃないんだ。俺が怒っているのは、どうして困ったときに相談してくれなかったってことなんだよ。君が尊い信念の元、誰かの役に立ちたいがためギルドで活動していたことは知っていた。君は、上手く隠したつもりみたいだったけどね。ただ、これだけは覚えておいて欲しい。君がどんなクランに加入しようがしまいが、俺たちは同じ信仰の元共に戦う同士なんだ。苦しいことやつらいことも分かちあってこそ、だろう」

 アントワーヌは熱っぽい瞳でアルテミシアに身体を寄せる。

 蔵人の短い導火線に火がついた瞬間、蚊帳の外に置きっぱなしにされたネーポムクが耳を聾する声量で吠えた。

「おおおいっ! この貧弱な小僧があっ!! 俺さまを無視するんじゃねええっ!!」

 ネーポムクは口から泡を吐き散らしながら握り込んだ樫の棍棒をアントワーヌに向かって振り下ろした。

 コブつきの棍棒は空を切り裂いてびょおお、と異様な音をかき鳴らす。

 誰もがアントワーヌの死を幻視した。

 その距離、打ち下ろされる一撃の重さからいえば、よくて重症。

 死は当然の結果に思えるほどのタイミングであった。

 アントワーヌが剣の柄に手を伸ばしたと同時に、軽やかな音が小さくなった。

 きらめきは一瞬であったが、確かに銀線は棍棒を真横に薙いでいた。

「やれやれ。積もる話も容易にできない」

 アントワーヌは眼鏡のツルに人差し指を当てて位置を調整するとつぶやきをもらした。

 それは魔術的な見事な剣さばきだった。

 アントワーヌの刃は見事に棍棒を真横に両断すると、敵の得物を破壊していた。

「あ、あああっ」

 ネーポムクは柄だけ残った棍棒を両手で握り締めながらその場にへなへなと座りこんだ。

 巨躯の野人は恐怖のあまり股間を一度に湿らせた。失禁である。

 ある程度の実力が伴うからこそ、白皙の剣士の恐ろしさが理解できるのである。

 それほど、アントワーヌとネーポムクの力量は隔絶していたのであった。

「失せろ、下郎が」

「ひっ、ひいいいっ!!」

 アントワーヌがひと睨みすると、オークの戦士はふらついた足どりで逃げ出していった。見事な騎士団長の剣技に溜飲を下げた冒険者たちはいちどきに歓声を上げると納得したように去っていった。

 聖女アルテミシアは白十字騎士団(サンクトゥス・ナイツ)に戻り、同時に伴侶としての座もアントワーヌが相応しい。かような共通認識が生まれると、ほとんどの人間が潔くその場を去っていった。

 正しくも、群衆の推察は正鵠を得ていた。

 アントワーヌ自身もアルテミシアに強い好意を寄せていたのである。

 凱旋将軍さながら白面の美男子は頬を紅潮させながら聖女に歩み寄っていく。

 彼が薄目を開けて見ると、目元をうるませた長身の美女が感極まった様子で駆け寄って来るのが見えた。

 アントワーヌは自分の想いがようやく通じたと感慨に耽りながら両手を大きく広げ抱きとめんと、胸を高鳴らせた。

「クランドっ! 待ちくたびれたぞっ、もおおっ!」

「ああ、ワリーワリー。ちょっと洗濯物干し忘れてよ」

「……え?」

 聖女アルテミシアはオークを撃退した白面の騎士を無視する格好で、背後の男へと抱きついていった。宙に浮いた二本の両腕がかなり虚しい。推移を見守っていた野次馬のひとりは笑いながら放屁した。 

「おまえは家事などしないだろうが、私を待たせるとはいい度胸じゃないか」

 アルテミシアは男の首に両腕を回すと甘えるようにして鼻先をこすりつけている。

 とろん、と溶けかかった眼差しがふたりの仲の親密さを現していた。

「おうおう、よしよし。じゃあ、待たせたお詫びにチューしてやろう」

「んん、ダメだぞ、こんなところで。うう、もう」

 美男美女の微笑ましい交流を見届けようと残っていた数人の冒険者と共にアントワーヌはその場で凍りついたように固まった。

 いまや気高く美しい聖女の唇は、ボロボロになった外套をまとった、如何にも薄汚れた冒険者の見本といった男に貪られている。両者の対比は見る者に背徳的なイメージを喚起させた。

「あん。ダメだぞ、ダメだというのにぃ」

「よいではないか、よいではないか」

 男は聖女の腰を引き寄せると無造作に豊かな臀部をまさぐっている。

 アントワーヌは怒りと恥辱で眼球を細かく痙攣させ、膝は骨を抜かれたようにガクガクと上下に激しく揺れた。

 知らず、上唇を噛み切っていたのか、あたたかくも生ぬるい血が口内に侵入していた。

 舌先を動かすと、生臭い鉄錆の臭いが鼻を突いた。まさしく道化と呼ぶのが相応しい様であった。

 アントワーヌは力の入らぬ指先を苦労して動かすと、白手袋をどうにか剥ぎ取って男の腰に向かって叩きつけた。嘆きのような叫びが喉から飛び出した。

「決闘だ!! この野郎!!」






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