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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第2章「迷宮都市シルバーヴィラゴ」
70/302

Lv70「ヒトリシズカ」




 シズカは背後から人の気配を感じると、腰のシャムシールに手をかけて歩調を早めた。

 覆いかぶさるような殺気がどんどんと濃くなっていくのを感じ取る。

 盛り場を通り抜けると、わざと港近くの倉庫が立ち並ぶ暗がりに進んでいく。

 気配が六つになったところで、一気に駆けだした。

 慌てたようにあとをつけていた気配が大きく乱れた。

 たいした腕ではない。

 シズカは走りながら笑みを薄く浮かべると、先のわずかにそったシャムシールを一気に引き抜いた。金属音に気づいた人影から狼狽した声がもれた。釣られて幾人もが抜刀する。

(四人は反りのない直刀。ひとりは、大ぶりのナイフ。もうひとりは、音がない。なんらかの暗器。おそらくは、飛び道具)

 鞘から引き抜く金属音の長さ、互いの間隔の空け方、足音の大きさ、空気の流れ。すべてを読み取った上で、敵の武器を把握する。

 シズカは、倉庫の小道をグルグルと引き回すように敵影を引き連れ、もっとも狭い路地裏に入った途端突如として反転した。

 常人では、三メートルと離れたら目鼻の位置もわからない距離。

 だが、長年の訓練と経験で、シズカの視覚は敵の姿を完璧に捉えていた。

 人間族の男が六人。

 しかも、素人同然と来ている。

 いよいよ雇い主も手詰まりになってきたということか。

 シズカが身を低くして駆けると、追っていたつもりの男たちは狼狽の度を強めた。

「ひあああっ!」

 奇声を上げて剣を振り回す男の胸元へと安々と踏み込んだ。

 シズカは息を吸い込むと手首のスナップを利かせて曲刀を振るった。

 刃は銀色に輝くと水平に弧を描いた。

 男は喉元を断ち割られると真っ赤な血潮を吹き出してその場に倒れ込んだ。

 目の前の男が止まったことで、うしろのふたりは急には止まれずぶつかってバランスを崩した。シズカは低い位置から鋭い突きを連続的に行った。

「ひょっ!」

「おぶるっ!?」

 曲刀は暗夜に垂直に流れると、深々とふたりの喉元だけを的確に抉った。肉を割った刃を引き戻しかけたとき、前髪がチリチリと焼け焦げるようなイヤな感覚を覚える。

 咄嗟に斜め後方へと飛び退った。

 ほぼ同時に、ひゅるひゅると異様な風切り音を立てて、三枚のチャクラムが飛翔した。

 肉を打つ音と共に、いましがた倒したふたりの背に円形状の刃物が突き立つのが見えた。

 暗器遣いの遠距離攻撃だ。

 シズカはほとんど奇跡的な動きでトンボを切って、飛来するチャクラムをかわす。

 同時に背後の壁へと、二枚のチャクラムが刺さるのが見えた。

 通りの向こう、集団の一番後方で舌なめずりをする男が視界に入った。

 負けん気の強いシズカである。

 彼女は咄嗟に壁に刺さったチャクラムを抜き取ると、完成されたフォームでチャクラムを投げ返した。円形の刃はうなりを上げて飛んでいくと、暗器遣いの右目へと、ザクリとジャストミートした。

「ぬろおおおおっ!!」

 暗器遣いは激痛のあまりにチャクラムをバラバラと落としてその場に座り込んだ。

「どけっ!」

「あいんっ!」

 顔を真っ赤にした男は座り込んだ暗器遣いを蹴飛ばした。

 前にのめった暗器遣いを飛び越して男は駆けだした。

 長剣を天にかざしながら怒涛の勢いで突っ込んでくる。

 シズカは足元の小石を拾うと、男の膝頭に向かって投げつけた。

 礫は、ビシッと音を立てて膝の皿を見事に砕いた。

 巨象のように突進してきた男の状態が崩れる。

 シズカは転がりながら曲刀を細かく振るうと男の右足を深く切りつけた。最期のあがきと、男は手にした剣を振り下ろしてくる。

 シズカは持っていた曲刀を惜しげもなく一瞬で投擲した。

 曲刀は白く輝いて飛来し、男の心臓へと見事に吸い込まれていった。

「が、がはっ」

 シズカは両手を頭上に上げたまま剣を持つ男の背に回るとおもいきり腰を蹴りつけた。

 男は身体を反転させ、掲げていた剣を手放し白目を剥いて絶息した。

 素早く柄を握って曲刀を抜き取る。

 最後に残ったひとりは、大ぶりのナイフを両手で持ったまま、目を見開いて震えていた。

 まるでなってない、とシズカは思う。

 ナイフの特性はスピードと間合いである。

 離れて戦うにはまず武器のリーチを考えなくてはならない。短くとり回しの良いナイフを的確に使うには相手の懐に飛びこむ瞬発力と度胸が必要だった。

 もっとも目の前の男はそのどちらも持ち合わせてはいない。

 死は必定であった。

「ぬおおおおんっ」

 自分を鼓舞するには間抜けすぎる雄叫びであった。

 これでは、小鳥ですらみじろぎしない。

 シズカは、曲刀を水平にすると勢いをつけて振るった。白刃が半円を描いて流れた。曲刀は深々と男の右脇腹を断ち切ると、赤黒い内蔵を露出させた。ドロっと、湯気の出そうな臓器が陰圧によって飛び出してくる。男は泣き喚きながらナイフを落とすと、舌を口からはみ出させて四つん這いになって呻いた。最後に地面に手を突いて泣き声を上げている暗器遣いにトドメを刺した。

 曲刀をゆっくり引き抜くと、闇の中から手を打ち合わせる音が聞こえ、シズカは身体を硬直させた。

「いやぁ、お見事お見事。さっすが、シズカ姫。お久しぶりです。腕前はいっそう上がったとお見受けするです」

「アルミエール」

 闇の中から突如としてひとりの女性が気配を感じさせぬまま出現していた。

 夏だというのに厚ぼったいくすんだ赤色のローブを纏い、腰にはイチイの木を削った杖を挟み込んでいる。ところどころピンと跳ねた金髪はゆるく波打っている。容姿は整っているほうだが、瞳には虚無的な暗さが色濃く宿っていた。

 傀儡のアルミエール。

 かつてシズカが組んで仕事をしたことのある殺し屋である。

「ボクのこと覚えててくれたデスですか。とってもうれしいです。んで、ですね。殺りあう前にちゃんと確認しておきたいのですが、シズカは司徒派を裏切って、太尉派についたですか? シモン・クランド暗殺は、上の上のてっぺーんから降ってきた貴いご命令なのです。お金を先に貰っておいて、約束を破るコはお仕置きなのですよ」

 シズカは無言のまま曲刀を水平に構えると殺気を一段と横溢させた。

 アルミエールはいま平らげた雑魚とはワケが違う。

 それに自分が明白に裏切ったとわかれば、組織はメンツにかけてもよりいっそうの凄腕を送りこんで自分と蔵人を消そうとするだろう。

 シズカの頭の中に、蔵人が切り伏せられるイメージが明滅する。

 こらえようのない怒りのあまり目の前が真っ赤に染まった。

「ふふん。どうやら、噂は本当だったとは。派閥や金ではなくシズカもひとりの女だったというわけですね。親友としては、喜んでいいのか、悲しんでいいのか。とっても困っちゃいますね」

「黙れ」

「いえいえ黙りませんですよー。だって、あなた。命令は無視して目標をわざと取り逃すかと思えば、組織が代わりに送り出した刺客をこの港で次から次へと始末して。もう、今週だけでも四十人近いですよ! いったい人の命をなんだと思っているですか! って、ボクがいっても説得力なしですね」

 アルミエールがかわいらしく舌をぺろりと伸ばした瞬間、シズカは彼女の脇を走り抜けていた。曲刀は斜めに銀線を描き、アルミエールの身体を両断していた。

「おしゃべりしに来たのか、おまえは」

 シズカは駆け抜けた路地の先で留まると、油断なく敵の動きを注視した。

 真っ二つにされたままのアルミエールは倒れ込むことなくその場に佇立すると、甲高い笑い声を響かせた。

 彼女の傷口からは一滴の血が流れることなかった。

 代わりに、大きく裂かれた割れ目から、異様な虫の羽音が唸りはじめた。

 芥子粒よりも小さな羽虫たちは、あっという間に裂かれた傷口部分を覆い尽くすと、致命傷であった怪我を修復した。

「いいデスですねぇ。まるで会話もせずに、いきなり斬りかかるわかりやすさ。変わってないデスです。ボクの愛した昔のシズカそのままデスですねぇ」

「おまえこそ、あいかわらずの化物ぶりだな。蟲使い」

 傀儡のアルミエール。

 またの名を、蟲使いの赤。

 アルミエールは体内にありとあらゆる種類の蟲を無数に飼っており、それらを使って不可能といわれた仕事を完璧にこなしていた。異様な頻度の依頼を矢継ぎ早にこなすシズカと対をなして、ふたりは組織の双璧と呼ばれていたのだった。

「シズカはボクが死なないことを知っていて、殺そうとするです。もしかして、愛情表現?」

「黙れ」

「釣れないですねえ。そんなかわいげのなさじゃ、目標のクランドにも愛想をつかされますよ。って、おお。怖いデスですねぇ。マジで、ここで決着つけるですか?」

 クランドの名を出した途端、シズカの闘気がいっそう膨れ上がったのを見て、アルミエールは口笛を吹いた。

 その姿は、いまから殺し合いをはじめるというよりも、むしろ久方ぶりに会った友達と遊びをはじめるような、期待感に満ち溢れていた。

「おまえの望みどおりにな」

「別にボクはそんなんなにひとつ望んでいないデスですが。ふむん。ねえ、シズカ。ボクは別にいますぐ決着をつけたいと思ってるわけじゃないですよ。ただぁ、組織に戻ってくれると約束してくれるなら、シズカの代わりに目標をサクッと殺ってあげてもいいですよ! 親友の証として!」

 シズカは無言のままにじり寄ると全身の筋肉を緊張させた。アルミエールの眉が、さびしそうに八の字を描いた。

「ふうむ、そういうことではない。んんん、ここは思案のしどころだっ。んんん、むむむ。仕事をとるか、友情をとるか。ふんむむ。仕事一筋に過ごした青春の日々。そんなこんなで楽しい出会いもなく、いまだボクは清い身体のままなのです。ふぬぬ。うん。決めた! 決めました! ボクはイチ抜けましたっ! って、ここは剣を下ろしてくれるポイントですよっ!!」

「殺し屋の言葉など信じられるか」

 シズカは鋭く吐き捨てると、アルミエールをねめつけた。

「ふぬううっ。そいつは、諸刃の刃なのさ、シズカっち。真実ということを証明する為に、うーん。うーん。どうしよっ、どうすれば、ボクのことを信じてくれっかなぁ。そだっ!」

 アルミエールはしばらく自分のこめかみを人差し指でグリグリと押していたが、不意に胸元から細長い横笛を取り出すと地べたに放り投げて見せた。

 からん、と軽い音が闇夜に響く。

 シズカは自分の足元まで転がってきたそれを注意深く拾うと、ジッと目を凝らし、口を大きく開いてあっけにとられた。

「……まさか。本気なのか」

「本気よ、本気。マジと書いて、本気と読むのさー。ボクは友情のためなら組織も裏切っちゃうのだぜー。いぇい、いぇい!」

 アルミエールは両手を上下に振りながら、軽やかに踊り腰を振った。彼女がシズカに向かって放ったモノは、蟲使いの根幹をなす蟲笛であった。

 彼女の身体の主要な兵器たる蟲はこの笛によって統制されており、これを相手に渡すということは降伏したことと同義であった。蟲使いにとって蟲笛は命そのものであり、親兄弟や夫婦ですら指一本触れさせないのが常識であった。断じて軽々しく敵対する相手に委ねるものではない。シズカが驚愕するのも無理はなかった。

「偽物かもしれない」

 シズカの否定の言葉も心なしか力を失っていた。

「あららー。そういうこというんだー。じゃあ、とっておきの情報をシズカにプレゼンツ。近日、組織はシモン・クランド討伐に、あの“ゴッドミュラー兄弟”を派遣するそうです。気になるなら、いままでのように毎日港を見張ることだねん。んじゃ、ボクはこれ以上シズカ姫に嫌われたくないから姿を消すよーってことでよろしくです。もし、組織のやつにボクのこと聞かれたら、殺したっていっといてくださいです。んじゃ、今度会った時は、君の恋愛成就した話を聞かせてくれたまえ! あ、笛の方は実家に着払いで送っておいてくださいです」

 アルミエールは投げキスをすると軽やかに路地裏を去っていった。

 とりあえずの危機は去ったといえよう。しかし、とシズカは深く憂悶する。

「ゴッドミュラー兄弟だと?」

 長らく殺し屋稼業を続けていてよく耳にする名前だった。

 兄を豪腕のイゴル。

 弟を烈火のミコラーシュ。

 この世界で殺し屋が名高いのは、百害あって一利なしである。

 なぜならば、それだけ有名であるならば、暗殺方法や癖などを知られ対策を立てられやすいからである。現にふたりの得意とする武器は、

 兄が大金棒。

 弟が長剣であると知れ渡っているのだ。これだけ名高い割にはふたりが獲物を取り逃がしたという話を聞いたことは一度もなかった。

 いや、そもそもゴッドミュラー兄弟にとっては、名前や得物を知られていようが関係ないのである。

 依頼された時点で、対象は逃げ切ることが不可能であると思い悩み、自殺することすら多々ある。組織の幹部からは、半ば恐れと憧憬を持ってふたりの名は一種の呪いのひとつであると噂されていた。

 シズカは深く息を吸いこむと曲刀を振るって血糊を壁に叩きつけた。

(だが、なにがあっても殺らなければならない。どうあっても。例え、不可能であるとしても、絶対に)

 蔵人を殺すのは自分である。

「そうだ。ほかの誰にも渡すもんか。あいつは、私のものだ」

 天を覆っていた黒雲が動き、裂け目から月が顔を出した。

「クランド」

 男の名を口にする。それだけで、シズカの胸にはあたたかいものが確かにあふれてたちまちいっぱいになった。

 シズカは白く澄み切った月の光をまぶしそうに見上げると、辺りに散乱した屍を眺め、これからどうやって痕跡を隠そうかと思いを巡らせた。






 殺し屋たちの死体を処理したあと、まず最初にシズカが考えたのはどうやってゴッドミュラー兄弟の到着を確認するかということだった。単純に考えれば港を張っていればいいだけのことである。

 ただ、ここ数日であまりに多くの敵を排除してしまった。今回も時間の余裕があまりなく、顔を潰して人相を消す程度のことしかできなかった。港の船着場付近で上陸する敵を事前に察知し、排除することは今後はさらに困難になっていくだろう。

「やはり、一番いいのは港湾検査事務所に潜りこむ方法か」

 領主の息がかかった検査官に上手く渡りをつけられれば、自然な形でやってくる敵影を先に発見することができる。ひいては蔵人の身の安全に繋がると思えば、苦労とも思われなかった。組織の中では常に顔を隠していたせいか、シズカを瞬間的に暗殺者と見分けられる人間はほとんど残っていないだろう。それでなくても、路地裏で殲滅した殺し屋もどきは人材の払底を露わにしていた。

 シズカはまず、港湾関係の人間が出入りする酒場で、特に身入りのいい検査官がよく出入りする店に酌婦として入りこんだ。照度を落とした店で、濃い目の化粧と香水で装えばシズカもいっぱしの商売女として不自然はなかった。シズカは目立たないように、わざと夜の蝶たちに埋没するようなくすんだ色を選び、常に控えめに装った。

 数日の努力の結果、港湾検査官でもっとも女に免疫のなさそうな男をピックアップすることに成功した。

 男の名はブラッド。なんでも、検査官としては古株だが、どうにも煮え切らない男で、押し出しの弱さにかけては比類がないとのことである。酒の席でここまで小馬鹿にされるならば、まずそれほど目端が利く方ではないだろう。

 シズカの策は比較的簡単に成功した。ブラッドは単純にシズカのお涙頂戴の作り話にほだされると、ろくに調べもせずに家へ留まるように懇願した。

 シズカは、自分の容姿が男どもの性的欲求を引くものだと十分承知していた。彼女自身は、それほど気に入ってはいなかったが、子供っぽい声も目つきもなんとなく男の好き心を誘うといままでの経験上嫌というほど理解していた。彼女が猫なで声で甘えれば、男は断ったり無碍な態度に出れなくなるのである。

 シズカは出来るだけ男の願望に沿うよう、いわゆる都合の良い嫁を装うため、炊事、洗濯、掃除に全力投球した。彼女の家事スキルは幼い頃から下女に叩きこまれた貴族らしからぬ年季の入ったものである。元々大甘だったブラッドの心は簡単にシズカの手中に収まった。甲斐甲斐しく振舞って持ち上げてやれば容易に骨の髄までクラゲのように骨抜きになってしまうブラッドを見て、シズカは半ば軽蔑までしていた。

(その点、クランドはぜんぜん違った。あいつは、いつだって自分に正直で、やりたい放題だったな)

 シズカは毎日ブラッドに手作り弁当を届けに行き、おまけに帰りを忠実に待ちわびるという貞女のフリをしながら、毎日自然な形で港の船着場を見張ることに成功した。

 そして、運命の時はついにやってきたのであった。

 船のタラップから悠然と降りてくるふたりの戦士が視界に飛びこんできた。

 最初に目を引いたのは先を降りる男の驚くべき巨体であった。

 確実に三メートル近い巨躯は、近づかなくてもその凶暴さが窺い知れた。

 衣服の上からでもわかるほど鍛え上げた身体の筋肉は鉄のように強靭であるとわかった。

 刈りこんだ赤毛が逆だっている。落ち窪んだ眼に、太い鼻っ柱。凶相である。

 太い猪ノ首は頭をがっしりと支え、少々の打撃ではビクともしないだろう。

 背には、大きな棺桶のような箱がくくりつけてあるのが見えた。

 音に聞こえた大金棒が隠されていると見て取れた。

 もうひとりは、痩せぎすであはあるが、かなりの長身であった。

 燃えるような赤い髪に、狡猾そうな瞳が辺りを子細に窺っている。

 腰に佩いた剣は一メートル近く、地に触れそうなほど長かった。

 おそらくは、巨躯の男が兄の“豪腕”こと、イゴル・ゴッドミュラー。

 痩せぎすのほうが、弟の“烈火”のミコラーシュ・ゴッドミュラー、と推測できた。

 シズカはふたりが悠然と歩きながら、近場に宿を取るのを確認すると、何重にも人を介して、ゴッドミュラー兄弟に対して呼び出しをかけた。とかく腕の立つふたりが、堂々たる挑戦を避けるはずもなく、決戦は深夜の零時ちょうどに、港のもっとも人気のない三十番埠頭と定められた。

「おそいな。もう零時はとっくに過ぎている」

 イゴルは大樹のような太い腕を組みながらイラついた声を出した。

 痩せぎすの男は木箱に腰を下ろしたまま落ち着いた様子で小瓶の酒を煽っている。クリスタルレイクから吹きつける風が湖面をゆったりと撫でつけさざなみを起こしていた。

 周囲は繁華街から離れており、外界から隔絶した文字通りの別世界だった。

 イゴルは小さな足音を耳にすると、太い眉をピクリと神経質に動かした。月は夜空に大きく浮かんでいて視界は良好だった。やがて、闇の向こうから無警戒なとたとたと足音が聞こえてきた。

「娼婦か。おい、女。いまは、おまえになんぞ用はない。失せろ」

 肌をやたらに露出し、濃い紫のヴェールをかぶった女は、イゴルに大声を浴びせられると怯えたように身を固くした。胸元で抱えこんでいる小さな横笛が震えている。うつむいているので人相まではわからないが、夜目にも輝く白い肌とムッチリとした肉づきは男の性欲を刺激した。

「まあ、シズカが来るまで時間はかかるだろう。それによイゴル。俺たちの名を聞いてもうとっくに逃げ出してるかもしれねえぜ。軽く一発やって落ち着こうじゃねえか」

 痩せぎすはあからさまに目尻を下げて娼婦に近寄ると、細い腰を抱こうと腕を伸ばす。縮こまっていた女は媚びるようにくちびるをゆるませた。

「おい、ミコラージュ。おまえは、また勝手なことを」

 イゴルがきつくたしなめようとした瞬間、娼婦の持っていた横笛が鋭い弧を描いた。

「かっ、は」

 横笛の先端は二つに割れると鋭い白刃と化し、まっすぐに無防備な男の喉を貫いたのだ。

 刃の先端は深々とやわらかな喉元を抉ると血潮を飛散させた。

 ヴェールの中で真っ赤に塗られた唇が妖しく蠢いた。

「ぬおおおっ!!」

 片割れの死を確認するやいなや、イゴルは背にした大金棒を一瞬で抜き取ると、女に向けて全力で振るった。夜気を切り裂いて、びょおお、と轟音が走った。

 大金棒は女の衣服を巻き取ると水平に流れた。

 娼婦は軽やかに背後へ降り立つと抜き取ったシャムシールを油断なく構えていた。闇のように黒一色の装束を纏っている。

 黒髪に黒目、ご丁寧に鞘と刀身の色も黒一色に統一してあった。

「音に聞こえた二つ名は“烈風鬼(れっぷうき)”だったか。まさか、件の凄腕が女とはな。こいつは油断したわい」


 シズカはロムレスでは通常男性名であり、古くは初代ロムレス王に仕えた四名臣のひとり、シドゥルカ・ローグを人々は想起するものだった。痩せぎすの男を安々と屠ったのは、それを逆手に取ったシズカの作戦であった。

 弟を殺されたのである。

 普通なら激昂しそうなものではあるが、イゴルは豪快に笑い飛ばすと、何事もなかったように大金棒を垂直に構えた。

 直感的に、この男の腕は並々ならぬものだと感じた。

 イゴルの持つ大金棒はシズカの胴体と同じ程度の太さであった。

 常人では持ち上げることすら不可能な武器を軽々と振り回している。

 男の持つ膂力がずば抜けていることを示していた。

「さあ、真っ向勝負といこうではないか。真実、儂の血をたぎらせる敵を探していたところだ。女であったが手抜きはせぬぞ。いざ、参る!!」

 イゴルは巨体に似合わぬ速さで間合いを詰めると、大金棒を流星のように振り回した。

 轟音が闇夜に響いた。

 大金棒はシズカの背後にあった古船を軽々と吹き飛ばすと、天へと打ち上げた。

 破片となった木材が周囲に飛び散って粉塵を舞い上がらせた。

(一度でも喰らえば、終わりだな)

 シズカは少しも恐ることなく向かい来る殺戮の嵐を身をよじりながら次々とかわした。

「ふん! ふん!」

 一方、イゴルは風車のように大金棒を小枝のように軽々と振り続ける。これほどの巨大な重量を持つ得物を延々と使い続ければ、どれほどの猛者でも疲れを見せるものだが、イゴルは汗ひとつかくことなく快調に攻撃を続ける。

 いや、それどころか大金棒を振れば振るほど、速度は徐々に上がっていった。

 攻撃をかわしつづけるシズカに焦りの色が生まれはじめた。彼女にしてみれば、一昼夜攻撃を避け続ける程度のスタミナはあるが、このまま無意味なダンスを続けても意味はない。また、朝になって人目に触れるようになれば、この港町を去らねばならないことにもなりかねない。それは困る。めっぽう困るのだ。

(私がこの街で敵を消し続けなければ、やがては刺客がクランドの元にたどり着く。あいつの元に、敵の刃が)

 脳裏の中で蔵人が切り裂かれるイメージが沸き立った。胸元がざわつく。目の前に真っ赤な火花がほとばしると、制御できない怒りが突如として爆発した。

 シズカはほとんど衝動的に叫び声を上げていた。

「許さない! どんなことがあろうとだ!!」

「ぬおっ!?」

 避け続けてきたシズカは瞬間的に攻勢に回った。

 大きく避けては反撃につながらない。

 紙一重の距離だ。

 攻撃を恐るな。

 死に抗うのだ。

 シズカ、おまえが命よりも大切なものを守るには、すべてを捧げて挑まなければならないのだ!!

 光よりも早く突き進み、剣を構えた。

 暴力の嵐が髪の毛ひとすじの差で振り抜かれる。

「ばかなッ、この距離で!?」

 敵の攻撃が失敗に終わったとき、すなわち最大の反撃のときなり。

 イゴルは大金棒の一撃をかわされたことで無防備な身体をシズカの前に晒した。

 シズカは一陣の風と化すと巨躯の野人の左脇腹をえぐりながら駆け抜けた。

 旋風のような斬撃がイゴルの左半身にリカバー出来ないダメージを与えた。

 だが、この程度ではまだ浅い。決定的な一撃をシズカは欲する。

 トップスピードからその場に固着したかのように足を留める。

 振り返ったイゴルの顔が恐怖に染まった。

 無理やりな動きで身体のバランスを崩しながらも必死で反転しようとする。

 もはや、攻撃の意思はなく、彼は大金棒を盾にして必死に身体の中心線を守ろうとしている。

「ローグ流。壱の秘太刀」

 シズカの刀法は古代の剣聖シドゥルカ・ローグから伝えられたもっとも(ふる)く荒々しい、それでいて洗練された必殺の業だ。

 古法に(のっと)り独特の歩法と呼吸、研ぎ澄まされた動きで剣が送り出される。

 シズカの腕は素早く縦に振り抜かれた。

 銀線は美しい軌跡を描き、天を流れる星の輝きを残して刻まれた。

鋼断(はがねだ)ち!!」

 イゴルの持つ金属製の棒へと涼やかな音が吸い込まれていく。

 細く輝く白い破線が大金棒の真ん中を真っ直ぐ走った。

「あ、ぺ?」

 鋼の棍棒を盾にして身を守ろうとしたイゴルの身体。

 まるでスライスされたチーズのように、頭上から股下まで線を引いたように真っ二つに割れると、左右に分離して地面に倒れ込んだ。

 ふたつになったイゴルの背中の箱から奇妙な影が飛び出した。

 シズカは予期していたように、身体をそらすとその物体に斬りつけた。

「はぎぃっ!!」

 影は材木の積まれた山に矮躯を叩きつけると奇妙な悲鳴を上げた。

「最初から妙な殺気を感じていたのだが。なるほど、おまえが奥の手か。“烈火”のミコラーシュよ」

 小人は切り裂かれた胸の傷を覆うと、口元から血をあふれさせながら不敵に微笑んでみせた。

「さすが双璧の一よ。俺たちの最後っ屁までかわすとは。腕前は本物だったようだな。なぜだ。なぜ気づいた」

「最初に斬った男はさすがに手応えがなさすぎた。それに、イゴルが最後の一撃で守りに入ったのは至極不自然。あれだけの、厚みの箱があればやつは性格的にも、防御より返しの一撃を考えるはずだ」

「そこまで、読まれているとは。確かにイゴルの膂力と耐久力を考えれば、アンタを攻撃しようとするのが自然だ」

「振り返りざまに一撃を放てば、少なくとも相討ち程度にはなっていたかもな」

「勝負に、かもは、ねえ。イゴルがピンチのときは、箱に潜んだ俺が烈風のように反撃に出る。この、毒針を使ってな。あいつは、弟想いすぎたんだ。クソ兄貴め。……さあ、おしゃべりはおしまいだ。殺し屋らしく、ちゃんとケジメをつけな、お姫さま」

 シズカは無言でミコラーシュにトドメを刺すと、玉のような汗のびっしり浮いた額を手の甲でぬぐった。

 一瞬の弛緩のあと、彼女は超人的な聴覚で倉庫の影で動く物音を聞き取った。

「出てこい。逃げる素振りを見せれば、殺す」

 シズカの殺気に耐え切れなくなったのか、物陰からひとりの男が姿を見せた。

 男は、シズカが居候をしているブラッドの従兄弟のレガートであった。

「そうか、そういうことだったのか。要するに、おまえは人のいいブラッドを騙していたってわけか」

 レガートは憎しみのこもった瞳でシズカを睨みつける。

 シズカは表情を変えないまま、曲刀から血糊をぬぐうと、うん、と伸びをして、それから小さくあくびをした。レガートがあっけにとられた状態でいるのを無視して、隠してあったローブを羽織る。そこにいるシズカは、先ほどの闘争からは無縁のタダの小娘に早変わりしていた。

「おい。まさか、このままなにごともなかったように、ブラッドの元で居候を決めこむつもりなのか」

「余計なことをいえば殺す」

「ふ、ふざけんなよっ!! あいつは、おまえがこんな女だなんて、これっぽっちも知らないのにっ。それをっ、それをっ!!」

「黙れ」

「ブラッドはおまえに本気で惚れこんで、嫁さんにするつもりなんだぞっ!! あいつを騙して、あんたはなにひとつ心がいたまないっていうのかよっ!!」

「黙れ!!」

 シズカの胸の内で、ブラッドの無垢な笑顔がまぶしく輝いた。

 すべては蔵人のためと割り切っていても、彼の人を信じきった、馬鹿みたいに真っ直ぐな気持ちを思えば、少しだけ胸が熱くなった。

「頼むよ、シズカ。もう、あいつのトコロに戻るのはやめてくれ。ブラッドは、あんたのことを、まるで女神さまみたいに思っているんだ。後生だから、頼むよ」

 シズカは跪いて、懇願するレガートの脇を無言で通り過ぎた。

 ふたりの距離が離れて、遠くの夜空で小さな星がまばゆくまたたいた。

「畜生! この、人殺しがっ!!」

 シズカは胸を抑えると目元を指先で覆って走り出した。

 流れる涙が小さな星屑のように散らばって、雑踏に消えていく。

 夜の喧騒がひときわ大きく耳についた。

 クランド、もうやだ。

 いますぐここに来て、私を抱きしめて。

 彼女はいまだ、血塗られた螺旋から降りられずにいた。

 たったひとりで。






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