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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第2章「迷宮都市シルバーヴィラゴ」
66/302

Lv66「土くれを二度割った」

 





 蔵人は解き放たれた矢のように一直線に男たちの元へと走り出した。

 多勢を頼みにしていた男たちはまさかの正面突破に動揺し、わずかに動きが硬直した。

 蔵人は握りこんだ長剣を全力で振るう。

 銀線が斜めに走った。

 剣を構えていた男は顔面を垂直に叩き割られ、のけぞって仰向けに倒れた。

 横合いのふたりが同時に斬りかかる。

 蔵人は勢いを殺さぬまま前転した。

 同時に長剣を男たちの足元で細かく動かす。

 白刃は鋭く男たちの脛を傷つけると行動力を奪った。

 仰向けのまま、倒れこんできた男の胸板へと長剣を突き上げる。

 刃はツバ元まで深々と刺さると真っ赤な血飛沫を噴出させた。

 蔵人は返り血で顔を真っ赤に染め上げたまま立ち上がった。

 座りこんでいる男の顔を蹴上げると勢いよく跳躍した。

 震えたまま剣を構えている三人の中へと舞い降りた。

 真っ黒な外套が風を孕んで大きくはためいた。

 呆然とした男たちの顔が視界に映った。

 長剣が半月を描いた。

 棒立ちになった男の顔面を銀線が水平に走った。

 男は両眼から後頭部までを深く両断されると絶叫を上げて血反吐を吐いた。

 蔵人は着地と同時に長剣を頭上に高々と掲げた。

 喚きながら遮二無二男が突っ込んでくる。半身になって斬撃をかわした。

 同時に長剣を斜めに振るった。

 閃光が流星のように流れた。

 刃は男のうなじを斜めに削ぎ落とした。

 男は泳ぐようにして白目を剥くと下を放り出して絶息した。

 背後を取ったひとりは手斧を振り上げて襲いかかってくる。

 蔵人は長剣を逆手に持ち替え、振り返らずに後方へと繰り出した。

 長剣は鋭く男の下腹に突き刺さると臓器を破壊した。胸を蹴りこんで刃を抜き取る。

 ゆっくりとした足どりで、脛を斬られて動けなくなった男に近づいた。

 男は得物を放り捨てると泣き喚きながら命乞いをしている。

 黒い頭髪と伸びきった髭の中で真っ赤な舌だけが奇妙に蠢いて見えた。

「ダメだね」

 無慈悲に告げると真正面から長剣を叩きつけた。

 板塀に濡れ雑巾を叩きつけるような音が鈍く響いた。

 白刃は男の顔面を斜めに両断すると、えぐれた傷口から赤黒い肉が弾け飛んだ。

 顔を蹴られたまま昏倒している男の傍に近寄った。

 気絶したフリをしていたのか、男は剣を鋭く突き上げてきた。

 蔵人はわずかに半身になって突きをかわした。

 かぶせるように長剣を垂直に落とした。

 刃は真っ直ぐ男の胸板を突き通すと地面に届き硬質な金属音を立てた。

 蔵人は七人の男たちを片付けると、長剣を持ったまま荒く息を吐いた。

 両肩は激しく上下している。流れ出た汗が頬を伝い足元に落ちた。

 乱れた息を整えようとした瞬間、張り詰めていた緊張が途切れた。

「しまっ――!!」

 気づいたときにはもう遅かった。

 闇の彼方から空を切り裂く奇妙な音と共に真っ白な糸が放たれた。

 うおんうおんと奇妙な声を上げながら、大蜘蛛キングスパイダーが足音を立てて巨体を現したのだ。蜘蛛の糸は蔵人の全身を瞬く間に絡め取ると動きを完全に封じた。

 全身を動かして抵抗するが、空気に触れた途端に糸は固体化して天然のロープとなった。

 蜘蛛の糸。

 驚異的な粘性を持つそれは鋼鉄の五倍の硬度を持っていた。

 蔵人は顔を真っ赤にして戒めから逃げ出そうとするが、指一本動かせず、その場に顔から倒れこんだ。騎士たちに借りた長剣はとうに指からはなれ、カツンと音を立てて転がった。

 せめて顔を上げようと首の筋肉に力を込める。

「やばっ!」

 強烈な浮遊感が全身を襲う。

 キングスパイダーは蔵人の身体に糸を巻きつけた状態で振り回しはじめたのだ。

 糸に巻きつけられた格好となり、洞窟の中を縦横無尽に振り回された。

 洞窟の中は張り出した岩が無数に生え揃っている。

 上下左右の岩肌に全身を打ちつけた。

 眼蓋の裏に日輪が降り立った。頭の中を真っ赤な火花が走ったかと思うと、全身が急激に熱くなったり寒くなったりした。

 蔵人は全身の骨や肉が砕かれる音を聞いて意識を何度も失った。

 流れ出た血が気管を逆流し呼吸が止まる。

 額から流れ出た血潮が視界を真っ赤に染めた。

 世界は紅に染まり思考が散逸していく。

 怒りすら沸かず、この苦しみが消えるのをひたすら願った。

 最後に目の前で大きな閃光が炸裂した。同時に、はるか遠くで誰かの叫ぶ声が聞こえた。

「んんん、いいザマじゃないか。クランド」

 後頭部を踏まれる感触で意識が戻った。

 声を上げようとしたが、舌が痺れているようで動かない。

 蔵人がどうにか顔を後ろ斜めに向けると、さも楽しそうに顔を歪めるフルカネリの姿が目に入った。

「ああぁんな雑魚を殺したくらいでいい気になるからこぉおおんなひどい目にあうんだよぉお。やっぱり君程度じゃ、とうてい僕のメリアンデールに釣り合わないよ。ね、ね?」

 蔵人は腫れぼったい眼蓋を持ち上げると口を金魚のようにパクパクと動かした。

「んん、なにかな?」

「……くたばれ近親相姦野郎」

 蔵人は口内に溜まった唾を吐きかけた。

 フルカネリの頬は血塗れの唾が勢いよく叩きつけられ、粘った液体が糸を引いて流れる。

 端正な少年の顔がたちまち夜叉の如く憤怒で燃え上がった。

「ああああ!! そういうところがムカつくんだよおおっ!! この愚かな猿がああっ!! 僕をムカつかせるんじゃないよおおっ!! 死ねよ! 死んじゃえよおおっ!! おまえっ!!」

 フルカネリは目を真っ赤に血走らせると、髪を振り乱しながら無抵抗な蔵人の身体を蹴り上げだした。

 つま先の硬い部分を的確に腹へと突き刺していく。

 古タイヤを蹴るような鈍い音が響いた。

 怪物蜘蛛の糸でグルグル巻きにされた蔵人の身体が幾度も跳ね上がった。

「へ、へへへ。どうだい、僕の実力は。この巨大モンスターを楽々と操る才能ッ。最後に勝つのはこのフルカネリさまって決まっているんだ。ま、僕の肉奴隷を上手くいいくるめて連れてきたようだが、その苦労も水の泡だね。だだだ、だって、今更誤解を解こうが解くまいがなああぁんの意味もないからね。ここここの、パーティーのやつらは、ぜぜぜ全然僕の偉大さをわかっていなああああいっ! あ、あああんなキリシマのいう減らず口に簡単に乗ってきやがががって! 黙って僕のいうとおり、おまえを、ククククランドをすべての犯人にしておおおけばっ、何もかもスムーズにことが進んだのにいっ!!」

 フルカネリは吃りながら口から泡を吹き飛ばし、興奮しきった様子でしゃべりだした。

 そこには最初に会ったときの貴公子の面影は微塵もなかった。

 あるのは、下劣で自己愛に満ちた身勝手な性質が堰を切って表面に溢れ出していた。

「ユリエラを襲わせたのはやっぱりおまえか」

「ううううううるさいいっ!! お、おおおおまえが大人しく殺されていれば、ユリエラを殺す必要もなかったのにいいっ!! ああ、なんてかわいそうなユリエラぁあっ!! おおおお、おまえが悪いんだぞおおっ!!」

 フルカネリは歌うように叫ぶと靴底を蔵人の頭に押しつける。

 硬いソールが黒髪を押しつぶし、流れ出した血で朱に染めた。

「殺したのか!! なんの罪もない彼女を!!」

「う、うううううるさいいっ! 元々このクランは僕とメリアンデールが結ばれた時点で潰すつもりだったんだああっ!! それに、このクランは僕が作ったんだからあああっ、ぜえええんぶっ、僕のものなんだああっ! 殺そうがどうしようがああ、ぜぇええんぶ、僕の思い通りなんだああっ! ユリエラたちを殺して、おまえから取り上げた剣を現場に置いておけば、クソどもがますますおまえを疑って、姉さんはおまえのことを軽蔑して、僕の元へと戻るって絵図を書いたのにぃいい! なんで思いどおりにならないんだああっ! どいつもこいつもクズばっかりだああっ!!」

 叫びながら蔵人の腹を全力で蹴り上げると、フルカネリは目を見開いたまま呼吸を荒げた。次第にすぅと瞳に知性が戻っていく。情動がおさまると、彼はいつも通りの取り澄ました貴公子に戻り、極めて理性的に話しだした。

「失礼。僕としたことがつい、興奮してしまった。さ、クランド。君だけは是非とも生かして連れて行かねばならないのさ。案外とメリアンデールは強情でね。秘術の儀式も手伝ってくれないし、わがままばかりいって僕を困らせるのさ」

「俺を連れて行ってどうするんだ」

「さあ、どうしようかな。まあ、さしあたって彼女が僕との婚姻を承諾するように、君からも頼んでもらおうと思ってね。ふふ」

「他のみんなはどうするつもりだ」

「みんな? ああ、ゴミは僕の忠実なる下僕のエサにでもなってもらうさ。そもそも、それくらいしか役に立ちそうもないしね」

「ひいいっ!!」

 エレナは己の運命を悟ったのか甲高い悲鳴を上げると両手で顔を覆って肩を震わせた。

 フルカネリは彼女の反応に満足し、フンと鼻を鳴らした。

 残忍な笑顔を張りつかせたまま右手を上げる。

 呼応するようにキングスパイダーが前脚を振り上げた。

 狙うは転がったままの蔵人である。

 足脚の先端は鋭い鉤爪になっており、異様なうなりを上げて振り下ろされた。

 回避は間に合わない。

 死が眼前に迫る。

 せめてもと身体をよじろうとしたとき、真横から衝撃を受けた。

「……よかった」

 蔵人が転がっていた位置。入れ替わるようにしてリースの姿があった。

 彼女の胸には、巨大蜘蛛の鋭い爪が背中から深々と突き刺さり、腹を食い破って先端が飛び出していた。

「おやおや、そこまでして僕に逆らいますか」

 フルカネリは皮肉げにつぶやくと使徒である魔獣に合図を送り爪を抜き取らせた。

 リースの胸の中央部にはこぶし大の穴が空き、勢いよく血潮が吹き出していた。

「リース!!」

 もはや痛みを気にしている暇はなかった。

 糸に絡め取られたままなんとか腕をさし伸ばした。

 仰向けになった蔵人の胸にリースが倒れこんでくる。

 彼女の顔色は紙のように真っ白で、それは美しくさえあった。

「……だいじょうぶ?」

「しっかりしろ! しっかりするんだ!!」

 強く声をかける。

 どうして、女ってのはこいうときばっかり!!

 リースは弱々しく微笑むと、焦点を失った瞳をゆっくり閉じた。

「あったかいな。……ねえ、最後にひとつだけ、お願い」

「なんだっ、なんでもいってみろ!」

「こんな、穢れた私だけど……最後だから……お姫さまみたいに、キス、して欲しいな」

「おまえは穢れてなんかいねえ。こいつが、証拠だ」

 蔵人はリースの顔を引き寄せ、そっと口づけた。

 彼女の唇は冷たく、涙と血の味がにじんでいた。

 そっと顔を離した。

 閉じられた瞳が最後の力を振り絞って儚げにまたたいた。

 リースの瞳は澄み切った海のように蒼く輝いていた。

「……ね。クランド、ありがと。わ、たし。さいご……だけでも、レディにもどれたわ」

 リースは最後にそういって微笑むと、全身の力を抜いた。

 蔵人は倒れ込んできた彼女の身体を抱き返そうと両腕を伸ばす。

 途端、リースの身体は細かい砂状になるとサーっと軽やかな音を立てて崩れていった。

「なん、でだ」

 蔵人は必死になって身を起こすと流れていく彼女を抱きとめようと必死でもがく。

 無慈悲にも彼女の身体は最初からそうだったように、すべてが砂塵と化すと小さな塊になった。

 同時にフルカネリの狂ったような笑い声が響き渡った。

「なんでも、なにも! そのリースは僕が造ったホムンクルスだからだよ! まったく、己が消える瞬間まで僕の吹き込んだ嘘をまんまと信じ込んでいったとは! 滑稽の極みだねえ!!」

 フルカネリは身体を前に折り曲げながらおかしくてしょうがないといった風にケタケタと笑い転げた。

「どういうことだよ……」

「まったく察しの悪い男だねえ! 彼女は最初から最後まで僕のオモチャとして扱われることを受け入れられなかったみたいだ。たかが人形風情が自意識を持つとは驚きじゃないか。だから、簡単な暗示をかけてあげたんだよ。その泥人形に。“リースが本当のメリアンデールで、実は貴族のお嬢さま。本当の自分はホムンクルスではなく、ちょっとした善意から悲劇のヒロインになってしまったかわいそうな女の子だった”とっ! そのくらいの慰めがなければ、なんの希望もない自分の生き方を容認できなかったんだろうね! 最後まで嘘を信じこんだままくたばるとは、まさしく道化にふさわしい最後だったよ!!」

「念の入った茶番をよくもまあ、ここまで……。それでもリースの話はほとんどが真実なんだろう」

「ああ! だが、決定的な部分が違う。彼女がヒロインだったという点を除けばね」

 考えてみれば、メリアンデールが良く転ぶのを、ホムンクルスの耐用年数に当て嵌めるのは上手い錯誤だった。

 フルカネリの言を信じるならばメリアンデールは、式の前日の強襲で二階から落下する大怪我をしている。なにもない場所で転ぶという所作も、足になんらかの障害が残っていると考えればおかしくはなかった。

「これで事情は全部聞いたな」

「ふふん。おや、まだなにかできるとでも思っているのかぁい、薄汚い猿が」

「てめぇを殺す。文句はねえだろう」

 フルカネリは蔵人の言葉を聞くと、哀しみをたたえた瞳でジッと見つめてきた。

「おやおや、どうやら君はいまの状況すらわからないほど脳に支障をきたしてしまったのかい。少しやりすぎたかな」

 蔵人は転がったまま目の前の砂に手を伸ばした。

 触れた灰色の砂はランタンの光に照らされ、淡く霞んだ。

 脳裏にリースの寂しそうな笑顔が蘇った。

 つかんだ手のひらから、砂の塊が音を立ててこぼれ落ちていく。

 指を伝った血の雫が流れに吸いこまれて消えていく。

 感情が消えていく。いつものあの感覚が全身を浸していった。

 砕かれた骨も裂けた肉も、すべてが時間を巻き戻すように再生していく。

 胸元の不死の紋章イモータリティ・レッドが強く輝き出す。

 洞窟内は青白い輝きで瞬間的に満たされた。

「な、なんだっ、これはっ!!」

 フルカネリの動揺した声が間遠に響いた。

 蔵人の全身にかつてない強靭な力がみなぎった。

 断裂した筋肉が再構成する瞬間、有り得ない速度で人間の限界を安々と踏み越えていく。

 全身に巻き付いた蜘蛛の糸は青白い発光を浴びた途端、溶けるように千切れていった。

 すっくと立ち上がった蔵人を、フルカネリの怯えたような視線が追った。

 外道の錬金術師は絶対的な状況がくつがえったことで恐慌をきたしたのか、瘧にかかったように全身が小刻みに震えはじめる。

「こいつを使うんだ!!」

 闇の向こう側から渋いバリトンの声が飛んだ。

 フルカネリが魔獣に指示を出すのと、ひと振りの剣が放られるのはほぼ同時だった。

 いつの間に背後へ回っていたのか、レンジャーのキリシマが奪われていた得物を蔵人に向かって投げ返したのだ。

 蔵人は飛び上がって投擲された聖剣“黒獅子”を引っつかんだ。

 黒外套をはためかせながら駆け出すと流れるような動作で鞘から長剣を引き抜いた。

 大蜘蛛キングスパイダーは蔵人の身体を絡め取らんと糸を吹きつけてくる。

 ジグザグに走ってかわした。

 繰り出してくる脚部の攻撃を頭を下げて回避した。

 動きは止めず長剣を上段に構えた。

 烈風のように疾駆する。

 長剣が風を巻いて閃光をほとばしらせた。

 キングスパイダーの腹部を駆け抜けながら黒獅子を振るった。

 刃は大蜘蛛の青白い腹を一直線に走ると深々と薙いだ。

 大蜘蛛は青黒い体液を滝のように噴出させると、八つの歩脚を折りたたみ軋んだ絶叫を上げた。

 蔵人はキングスパイダーの後方まで駆け抜けると、身体を反転させ背中をよじ登った。

 長剣を両手で持つと、満身の力を込めて頭部へと垂直に突き立てた。

 黒獅子は吸いこまれるように刀身の半ばまで埋まるとキングスパイダーの脳を破壊した。

 痛みのためか、大蜘蛛は歩脚を無茶苦茶に動かして辺りを狂奔する。

 蔵人は素早く長剣を引き抜くと大蜘蛛から降り立った。

「戻れええええっ!! くそっ、せっかくおまえを手懐けたのにいいぃ! 僕のいうことを聞けよおおぉ!!」

 フルカネリは必死に魔獣を呼び戻そうとするが、不可能と知ると顔を引きつらせたままその場を逃げ去った。

 魔獣キングスパイダー。

 絶命には至らなかったが、死までは時間の問題だろう。

 大蜘蛛はフルカネリの統制から完全に離脱すると、深手を負ったままダンジョンの闇へと消えていった。

 蔵人は逃げ出したフルカネリを追おうとする前に、キリシマへと声をかけた。

「結局あんたはいったい」

 疑問を投げかける。答えを期待はしていなかったが、反応があった。

 キリシマは片眉をわずかにしかめると抱え上げた年代物のロールを見せた。

「君が随分と踊ってくれたおかげで、こっちは仕事を上手く片付けられた。その剣を回収したのはお礼とでもいっておこうか」

 リースの話から思い当たる事柄があった。

「……そうか。アンタは、カルリエ家に雇われて」

「ビンゴ。私の役目は奪われた秘伝の書を取り戻すのが役目でね、あの小僧は、中々用心深かったが、この龍脈で錬金術の秘技を行う際には、どうしても写本を使う必要があった。最後にわざとゆさぶりをかけたのは、やつを焦らせるためだったのさ」

「これで貸し借りは無しだな」

「待った!」

 蔵人が駆け出そうとすると、キリシマは慌てて呼び止めた。

「なんだよ、こっちは急いでるんだ!」

「もうひとつ、忠告を。私は今回の仕事を引き受けるためにあの家のことをかなり突っこんで調べた。クランド、君があのお嬢さんを助けようと思うならば、くれぐれも細心の注意を。彼女は、相当な頻度で記憶の改竄を行われている」

「記憶の改竄」

「メリアンデール。彼女が療養所に入ったのは不用意にカルリエの一族が彼女の頭の中身を弄ったからだ。君がケジメをつけようとすれば、必死になって邪魔をするだろうね。なにせ、彼女の中ではフルカネリは子供の頃のままの無邪気な弟に変わりはないのだから」

「忠告は聞いておく」

 しゃがみこんでもう一度だけ細かな砂に左手の指を通した。

 冷たくなった砂は、悲しげに纏わりついてくる。

 眉間にしわを寄せ、拳をぐっと握り込んだ。

 蔵人は再び無表情のまま走り出した。広場を過ぎて奥に向かって突き進んでいくと、次第に辺りは岩肌の隆起が激しさを増していく。

 龍脈とは自然の魔力の流れが交差する場所であり、潤沢なオーラに満ち溢れている地点だ。つまりは、この場で魔術的な秘技や召喚、降霊術を行えば成功率が高まるのである。

 道を進むにつれて、まだ真新しい冒険者の死体が無数に転がっていた。

 おそらくはフルカネリがもっとも秘技を行い易い場所を専有するために、キングスパイダーを使って侵入者を片っ端から排除したのであろう。こんな無茶苦茶なやり方を行っていればやがては冒険者組合(ギルド)に目を付けられたであろう。まるで先を考えない破滅的な行動としかいいようがなかった。

 やがては奥まったどん詰まりに到着した。

 自然の岩をくりぬいて造った祭壇らしき場所に、ひと組の男女が寄り添っているのが見えた。久々に目にするメリアンデールと、恐怖に引きつった顔をしたフルカネリの弱々しい姿だった。

「待って、クランド!!」

 メリアンデールはフルカネリをかばって前に立ちふさがった。キリシマの言に嘘はないだろう。自分よりはるかに小さな女の背に隠れるフルカネリの縮こまった姿はまさしく姉にかばわれる気弱な弟そのものだった。

「お願い、この子の罪はちゃんと償わせる! だから、お願いだから、どうか、命だけは!」

 蔵人は必死に懇願するメリアンデールの瞳を真っ直ぐ覗き込んだ。

 彼女は、フルカネリが行った所業をすべて知った上でかばっているのだろうか。

 卑怯なフルカネリのことだ。

 命惜しさにあらゆる情に訴えて姉に命乞いを頼んだのであろう。

 邪恋の結末とはいえ、目の前の男を生かしておけば、これからも自分勝手な理由でどれほどの人間が害を被るか、明白であった。それはメリアンデールも例外ではないだろう。

 蔵人が無言で前進すると、瞳に涙を浮かべて両手を広げる彼女の姿があった。

「どくんだ」

「お願い、お願いします。この子は、なにがあったって、わたしの弟なんですよ!」

 メリアンデールは跪くと両手を合わせて祈るような形で目をつむった。

 隣のフルカネリもそれに習った。

 姉弟の情は思う以上に深い。苦いつばが喉にこみ上げた。

 正義の味方を気取るつもりはない。

 だが、いくら造物者であるとはいえ、フルカネリがリースに行った非道を許せるわけはなかった。

 虚しさに全身から力が抜けていく。

 けれど、蔵人の視線はフルカネリから寸分もはなれない。

 少年が腰のレイピアへと指先を伸ばしていくのを見逃さなかった。

「おおおおおおっ!!」

 フルカネリはメリアンデールを突き飛ばすとレイピアを引き抜いて襲いかかる。

 蔵人は咄嗟に左手に握り込んでいた砂の塊を顔に向かって投げつけた。

 視界を奪われたフルカネリはレイピアを明後日の方向に突き出す格好になった。

 人間だろうが人形だろうが変わりはない。

 死ねば、すべては土塊(つちくれ)に還るのだ。

 蔵人は裂帛の気合をこめて長剣を水平に振るった。

 長剣は磨き上げられた鏡のように光ると、フルカネリの腹を真横に深々と断ち割った。

 メリアンデールの瞳。信じられないといった風に見開かれた。

 断ち割られた腹からはドッと溢れ出るように真っ赤な血潮と臓物が流れ出す。

 血流が地面を浸す前に、黒獅子は垂直に振り抜かれた。

 閃光が輝いた。

 フルカネリは顔面からヘソの上まで真っ二つに両断されると、脳漿を周囲に飛び散らせながら泳ぐように前方へと倒れ込んだ。

 血だまりへと顔から突っこんでいく。

 つっぱらせた四肢がピクピクと小刻みに震え、やがて永遠に停止した。

 必殺の十文字斬りがフルカネリを存分に薙いだのだった。

「いやあああああっ!!」

 倒れ臥したフルカネリにメリアンデールがとりすがる。

 彼女はかぶっていた帽子を投げ捨て、身体をくの字に折って悲痛に泣き喚いた。

「どうして、どうしてこんなことをっ! なにも、ここまでしなくたって、いいじゃないですかっ!! 酷い、酷すぎるよおっ!! 嫌い、嫌い、大嫌いっ!! 人殺し……人殺し!!」

 メリアンデールは頬を涙で濡らして罵りの言葉を吐き続けた。

 蔵人は無言のまま背を向けると左手を広げた。

 手のひらに残った砂の残滓は消えなかった。ひどく虚しかった。たっぷりと血を吸った刃を振るう。岩肌へとまだあたたかい血潮が飛び散って消えた。

 外套の前を合わせて歩き出す。

 蔵人の姿は迷宮の闇へと吸いこまれて消えていった。






 メリアンデールはフルカネリの遺体を実家に運ぶと葬儀に参列し、一晩と留まることなくシルバーヴィラゴに戻ってきた。

 参列者は彼女と弟のカインのふたりのみ。さびしすぎる別れだった。

 メリアンデールはすべてを思い出していた。

 蔵人がフルカネリを斬ったことがショック療法になったのだろうか、あやふやだった記憶のパーツがすべて元の位置に収められていた。秩序だった記憶すべてがフルカネリの悪行をまざまざと思い出させていた。彼が自分を襲ったこと。婚約者を殺したこと。悪夢は昨日起こったばかりのように脳裏を幾度も飛来し、彼女の精神はズタズタになった。

 いまさら実家に戻っても、あの場所に自分の居場所はなかった。それどころか、新婚の弟夫婦に気を遣って親しくしていたメイドたちすら冷淡な態度をとった。逃げ帰るようにアトリエに戻ると、寝台の上へ座りこみ、なすこともなく壁を見つめ続ける。代償だろうか、実家からは毎月相応の仕送りが得られるようになった。幸か不幸か資金にあくせくし、危険を冒してダンジョンに潜る必要もなくなった。彼女に残されたのは、思う存分錬金術の研究に打ちこむことだけである。

 望んだ通りの人生が手に入ったのだ。

「なんででしょうね。ぜんぜん、うれしくないですよ、こんなの」

 メリアンデールの心は荒涼とした虚脱感が途方もなく広がっていた。

 のろのろとした足どりで立ち上がると、自室を出る。

 判然としない頭で食事をとっていないことに気づき、テーブルに向かった。椅子に腰かけると硬くなった黒パンをもそもそとかじった。

 何日か前には、この場所で自分の作った料理を喜んで食べてくれる人がいたのだ。

 いま思えば、蔵人は自分のことをおもんばかってフルカネリを手にかけたのだ。

 一時の感情で彼を罵倒してしまった。

 激しい後悔が波濤のように襲いかかってくるたびに、身悶えする。

 彼女に残されたのは、いまは無くしてしまった彼とのしあわせな時間を反芻することだけだった。

「あれ……」

 かつん、と手の甲が硬いものに触れた。

 テーブルの下になにかが落ちた音がした。

 幾日も掃除をしない埃まみれの床下からそれを拾い上げる。

 手にしたものは、あの日、土産物屋で蔵人にねだった七宝焼きのバッジだった。

「あ、あ、あれぇ」

 ロムレスの鷹をあしらったバッジは、窓から入りこむ陽光の下で輝きながらこちらを見つめている。ひどく不器用に笑ってみせた浅黒い顔が脳裏で幾度も明滅する。

 突如として、メリアンデールの全身は悲しみで爆発した。

「ああああっ! あああああっ!!」

 メリアンデールはバッジを両手で掴むと、身体を震わせて激しく嗚咽した。

 失った思い出と日々が色鮮やかに巻き戻ってくる。

 両腕をテーブルに突っ張らせ、肩を激しく上下させる。

 自分のものとは思えない声量で咆吼した。

「ああああっ、クランドっ!! お、覚えて、覚えていてくれてっ!!」

 身体のどこに残っていたのか思われるほど涙があふれてこぼれ落ちた。

 視界は真っ白に濁り、頭の中は炸裂した炎柱のように真っ赤に燃え上がった。

 ポタポタと大粒の涙がバッジの丸い表面を雨のように打った。

 メリアンデールはバッジを抱えこむと狂ったように男の名をつぶやき続けた。

 ロムレスの鷹の羽は涙で重く濡れそぼち、もう飛べそうになかった。






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[良い点] 一つ一つの話が綺麗に畳まれていっている 多くは綺麗なだけの話ではなく主人公にも読者にもしこりを残す内容だが章?が変われば変わらず能天気そうでスケベな主人公がまた迎えてくれる。一部のサブキャ…
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