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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第2章「迷宮都市シルバーヴィラゴ」
65/302

Lv65「獣以上人間未満」






 メリアンデール・カルリエは王都の西パームフォレストに生を受けた。

 代々公侯の家柄であり、錬金術師としてはかなり古い血筋であった。

「家は男子が継ぐもの」

 であり、実父サミュエル公からしてみれば第五女に当たるメリアンデールは極めて興味を引かない位置にあった。

 女はどうせ嫁に出すものと最初から決まっていた。

 ご多分にもれず、彼女も生まれたと同時に婚約者が決められていた。

 彼女の人生に残されたのは、十五歳になるのを待って「それなりの」家に嫁し、子を産むのみである。

 決まりきった貴族のレールに従って生きる。それが、この世界では女の最良の人生と運命づけられており、疑問を差し挟む余地はなかった。

 メリアンデールからすれば他家に嫁いだ四人の姉と王都に出仕している十三も年長の兄クレイグは、顔を合わせるのは年に数回程度であり、家族と認識するには隔たりがありすぎた。これで兄妹としての意識を持てというのも無理な話だ。嫁いだ姉たちは、離縁でもされない限り実家に戻ってくることはまずない。彼女が家族と認識できるのは、実質、ひとつ下のフルカネリと、四つ下のカインのふたりの弟たちだけだった。

 クレイグを除いた三人は歳が近いこともあり、仲が良かった。メリアンデールはふたりの弟を平等に愛し、特に問題のない姉弟だったといえた。

 運命が急変したのは、長子であるクレイグが王都で急逝したことに端を発していた。

 特に不審な点は見当たらず出仕中の落馬事故である。

 ここで、家督相続の候補として浮上してきたのが第二子に当たるフルカネリである。

 彼の錬金術師としての才能は、特に際立った部分はなかった。それでも、すぐれた補佐をつければそれなりに名門としての家柄を辱めることはないレベルであった。

 フルカネリが一門の承諾を得て順当にカルリエ家の後継者として選ばれると思われていた矢先に、それは起きた。

 第三子であるカインが王都遊学中に三公のひとつ、司徒(行政大臣)の景累につながる一族の姫君に見初められたのである。

 カルリエ家が名門とはいえ所詮は田舎貴族である。

 国家のほぼ頂点に位置する司徒の一族と縁繋がりになることの実利は計り知れない。

 カインがカルリエ家の家督を継ぐ形で名家の姫君との婚約は整い、家運はいままでになく計り知れないほど隆盛の兆しを見せはじめた。一方、おさまらないのは弟に頭を飛び越される形で家督を奪われたフルカネリであった。彼に対する冷遇は日を追うごとに顕著になった。屋敷ではメイドですら彼が帰宅しても挨拶すらしない有様だった。わずか十二歳の少年の自尊心は木っ端微塵に砕かれた。

 フルカネリはあてつけのように蕩尽を繰り返し、屋敷や領地の女は片っ端から手を付け、気に入らない人間は有無もいわさず斬り殺した。縁談の壊れるのを恐れたサミュエル公はフルカネリの後始末に奔走した。彼としても、特に瑕疵もなくフルカネリから家督相続を取り上げたバツの悪さがあった。ほとんどのことは大目に見ようと有り余る権力と金を使って一門の恥部を闇に葬ったのであった。これで、カインが能なしであればフルカネリも「あいつは女のチカラで家督を奪っただけのことだ」と自分を慰めることもできたのだが、現実は非情だった。

 カインの錬金術師としての能力はケタ外れにすぐれており、それまで不可能とされてきた一族の秘術を次から次へと成功させていったのだった。

 また、カインは生来兄思いの純粋な性格であった。荒れる兄がいくら自分のことを罵倒しようとも決して反抗の気配すら見せなかった。カインは常に哀しみをたたえた瞳でじっと兄の言葉に聞き入る姿を見せていた。このようなことが常に続けば、もはやフルカネリを同情的な目で見ていた家人たちも残らず愛想を尽かし、味方などはひとりもいない状態になった。そんな荒れ続けるフルカネリをひとり慰め、変わらぬ姉弟としての愛をそそぎ続けたのは、ただひとりメリアンデールのみであった。放蕩を繰り返すフルカネリを本気で叱りつけ行状を正そうとする彼女の献身さは、いつしかフルカネリに歪んだ愛情を育ませた。

 メリアンデールとしては、純粋に血を分かった家族として立ち直って欲しい一心だったのだが、フルカネリにとっては彼女のみが自分の人生のすべてとなったのだった。

 メリアンデールのすべてが、

 愛であり、

 やさしさであり、

 孤独なフルカネリを守り続ける女神であった。

 メリアンデールの愛情を歪んた形で捉えてしまったフルカネリは幾度も姉弟愛を超えた好意を伝えたのだが、メリアンデールはそれらを一笑に付した。想いは遂げられないままフルカネリの中でいびつに醸成されていった。ついにフルカネリは実の姉と強引にコトを結ぼうと夜陰に乗じて決行したのだった。

 だが、すべてにおいてカインは非凡だった。兄が実の姉に対して異常な愛情を抱いていることを事前に察知していたのだ。凶行の直前、伏せられていた家人は安々とフルカネリを捕縛した。囚われたフルカネリは他領の親族の元へと軟禁されたまま移送された。完全なる禁治産者としての烙印を押されたフルカネリは移送先の牢で一生を送り、もはや姉弟が一同顔を合わせることはないだろうと思われた。メリアンデールは弟を救えなかったことを心底悲しみ、それからは毎日を鬱々として楽しまなかった。このまま姉を実家で日々腐らせていても意味がないと思ったカインは、時期当主代行として姉の身柄を婚約者ジョズエの実家に送り届けた。名目は花嫁修業の一環であるが、実質は婚姻の前倒しであった。

 もちろん、正式な婚姻は行っておらず夫婦の契りはかわしてはいなかったが、メリアンデールとジョズエは徐々に心を通わせていった。節度を持って愛情を深め会う若き未来の夫婦を両家は祝福し、暗い過去はもはや記憶の向こう側へと押しやられすべてが上手く運んでいくはずだった。

 決定的事件は、結婚式の前日に起こった。

 一年近く愛を育んできたふたりである。一方的に決められ、最初は乗り気ではなかった婚姻も日々を過ごすうちにメリアンデールの心にほのかな愛を育てはじめていたのだった。

 式を明日に控えた夜、すべてを狂わせる序曲がはじまった。

 移送先から脱出したフルカネリが姉の夫となるジョズエを殺害したのだった。

 式の前祝いとして親戚一同が飲み明かしている最中、愛するふたりが語り合うジョズエの私室で惨劇は起きた。気を使ってふたりきりにしたのが裏目に出たのだ。

 悲鳴を聞いて人々が駆けつけたときには、新郎の息は既になく、メリアンデールは二階のテラスから外庭の花壇に倒れ伏しているのが発見された。彼女は存分に抵抗したのか、窓枠から外へと突き落とされたのだった。

「フルカネリはその後実家に立ち寄って下男下女を合わせて十五人も殺傷した上、秘伝の錬金術が記された書物を奪って逃走。新婦になるはずだったメリアンデールは心神喪失状態で、王都の療養所に送られる。かくして、物語は終わりを告げる。ひとりの逃亡者と廃人同然の悲劇のヒロインを残して、ね。ひとつだけこの物語に救いがあるとすれば、カインは十二歳で正式に家督を相続。件の姫君とは無事婚姻は行われたそうよ。カルリエ家自体は外戚一門の力を得て、これからもますます栄えるでしょうね」

 リースは長い話を終えると深く息をついた。

 蔵人は両手を組んだままの状態で閉じていた目を開けると、眉間をこわばらせた。

「待てよ。それが本当かどうかはともかく、俺が見ていたメリアンデールはどうしてここに居るんだ? まがりなりにも彼女は冒険者として冒険者組合(ギルド)に登録している。療養所から逃亡したのであれば、登録の時点で実家に確認の連絡がいって連れ戻されるんじゃないのか」

「そこはお決まりのことなかれ主義。カインは王都から離れたシルバーヴィラゴに壊れ物として押し込められれば、人目に触れず結構だと判断したらしいわ。現に、公式の届け出では、メリアンデール・カルリエは療養所では死亡したことになっているの。クランド、あなたが仲良くしていたメリーは、事件を起こしたメリアンデール以外のまったくの別人としてのメリアンデールとして冒険者組合(ギルド)に登録されているのよ」

「ちょっと待てよ。なんか、こんがらがってきたが。じゃあ、いまフルカネリと一緒にいるメリーが本物だってことで間違いはねえんじゃねえか。おまえは結局フルカネリが買ってきた奴隷ってことだろうが」

「はい、また不正解。……実は、話に続きがあってね。フルカネリが奪った錬金術の秘本にはね、禁断の人工生命体(ホムンクルス)錬成に関しての記述があってね。恐ろしいことに、彼は不可能と思われるその術を成功させていたのよ」

「……おまえ、まさか」

 蔵人は目玉をグッと剥き出しにするとしきりに顎を触りだした。長い前髪が流れる汗で額にぴたりと張りつく。激しい喉の乾きを感じた。

「間違いないわ、リースという存在は禁断の人体錬成で生み出されたホムンクルス。フルカネリはそのリースというホムンクルスを伴って、メリアンデールの療養所に現れたの。姉恋しさの一心に常識を超えた力を発揮したのね。そして、心身を喪失して抜け殻になった姉を前にして異常な行動に出た。無垢な生まれたてのリースという少女を、人間の考えられる悪徳すべてをそそぎこんで、陵辱したの。意識を取り戻したメリアンデールは、弟の凶行に文字通り魂を抜かれたわ。自分と同一の存在を陵辱する壊れた弟、そして汚されるためだけに生まれてきたかよわい存在。フルカネリは姉であるメリアンデールに対しては指一本触れようとはせずに、精力を使い果たすとその場で意識を失い眠りこんだわ。彼女の慈悲はほとんど愚かな領域にまで達していたのね。お人よしなんていう次元ではない。なぜなら、その瞬間に、自分とリースが入れ替われば、少なくともこの先、彼女だけは救われると思い込んだのよ」

「馬鹿な」

「そう、本当に馬鹿なことをしたものね。その瞬間から、メリアンデールはホムンクルスのリースと入れ替わった。一瞬の気の迷いで、男たちに性奴隷として扱われる存在となった道具以下の存在に堕ちきった人物。私が、パームフォレスト公サミュエル公爵の第五女、本物のメリアンデール・カルリエよ」

 少女は気品にあふれた声音で告げると、背筋を張って蔵人と正対する。

 そこには万物を納得させる、培った長い歴史の血の重みを彷彿とさせた。

 そう、偽物には醸し出せない真実があった。

「以後、お見知りおきを」

 彼女はそう結ぶと、実に洗練された動きでスカートの裾を持ち上げて頭を下げた。

「そんなこと嘘だっ! じゃあ、俺がいっしょにダンジョンを攻略していたメリーがホムンクルスってことになるじゃないか! あいつはそんな素振りまったくみせなかった!!」

 蔵人の視界は左右から押されたようにぎゅっと狭まっていく。

 枯れた声が陰鬱としている。自分でも、覇気のない痩せた音だと自覚した。

「それはそうよ。あなただって彼女が普通の女だと思ったから丁重に接してあげたのでしょう? 人間以下、ゴーレムのごとき土くれ同然の存在なら、バカバカしくて淑女扱いなどされなかったのではなくて?」

「違う!! けど。じゃ、じゃあどうしておまえは、フルカネリに自分が本物のメリアンデールだってうちあけなかったんだよ! そういえば少なくともパーティーの男どもから肉奴隷扱いはされずにすんだはずだっ!」

「幾度もいったわ。けれども、こんな境遇に堕ちた女がなにをいっても誰も本気にしない。いえばいうほど自分が滑稽だと思い知らされるだけよ。すべては彼らの陵辱のエッセンスくらいにしかならなかったのよ。中には、貴族娘を堂々と気兼ねなく犯せる雰囲気が味わえるとますますいきり立って私に責めかかったわ。それに、本当のことがわかったとして、この先、私はどうして生きていけばいいの? 実家に戻れば名誉と貞操を重んじるカインは私を始末するでしょうね。あの子はジョズエが殺された晩以降、私がフルカネリに犯されたものだと決めつけ、療養所の方にも一度たりとも顔を見せなかったのよ。それでも、半ば心を失った者まで殺そうとしなかったのは、もう死人同然と決めつけていたからなのね。それが、意識のある状態で、毎日毎日野卑な冒険者たちのオモチャにされていたと知ったら、彼はもう生かしておきはしないでしょう。やさしいけど、潔癖なのよ、あの子は」

「証拠がない、なんの証拠も!!」

「うーん、そうね。そういえば、リースが製造されてから一年近く経っているわ。あなたは一緒に行動していて彼女の行動におかしなところがなかったか気づかなかったかしら。そう、例えば身体の不具合とか」

「別に、メリーの身体はどこもおかしくなかったぞ。病気がちでもなかったし、せいぜいなんにもない場所でよく転んだりするだけ――」

「それね。素体のバランスが崩れはじめている兆候よ。ホムンクルスは身体に崩壊の予兆が起これば、自壊までは早いわ。もう、もって十日も持たないでしょうね」

「そんな、そんなに早く――」

「身体の不具合、奇妙な錯誤、異常な思い込み、記憶の混濁。これらが見受けられるようになれば、素体の残り時間は少ないの。そもそもが、生まれるはずがない、造りものの身体よ。フルカネリが私をホムンクルスだと思い込んで遇した行為を見れば一目瞭然ね。獣以上の知能と理性を持つが、扱いにおいては人間以下。肉欲を排泄する穴程度の役割しか与えられない。わけのわからないまま自壊していくリースも私も、滑稽な存在であることにたいした違いはないのにね」

 蔵人は彼女の話を聞き終えるとゆっくり立ち上がって頭上にランタンを掲げた。

 巨大な穴の淵には大蜘蛛キングスパイダーの姿は見えない。

 逃げ出すにはいまを置いて他にないと判断した。

「ちょっと、なにをするつもり」

 蔵人は道具袋から工作用のナイフを引き抜いた。

 白刃の冷たい輝きに、リースは一瞬顔を引きつらせた。

 蔵人の指先が僧衣の裾にかかった途端、媚びるように淫蕩な目つきをした。

 傷つけられる心配はないと踏んだのか、彼女は蔵人が猥らな行為に及ぶだけであると勝手に判断したのだった。それは陵辱に慣れきった悲しい少女の自己防衛だった。

「あら、そうするのがお好き? ふふ、いいわよ。主として、奴隷にはご褒美を与えなくちゃ。……なにをしているのよ」

 蔵人は長い僧衣の端を引き裂くと、たちまち長い一本の帯を作った。

 リースを背負うと彼女身体を自分の腰に帯で固定した。

「しっかりつかまってろよ。下が砂地だからってもう一度落ちて無事だという保証はないんだ」

 さいわいにも目前の岩壁は所々が隆起しておりよじ登るのはそれほど難しくはなさそうだった。指先を伸ばして岩肌から突き出た瘤をしっかりと掴む。三点支持でバランスを取りゆっくりと上に向かって移動を開始した。

「あなた、私の話を聞いていたの? あの娘は間違いなくホムンクルスよ。しかも出来損ないの」

「だとしても、俺はメリーに会わなければならないんだ。俺たちは、なにがどうなったって相棒なんだからな」

「バカね。あの娘はあなたのことをかばわなかったじゃないの」

「関係ない。俺はそうしたいからそうするだけだ。いつだって、そうしてきた」

「ねえ、この先にはフルカネリのやつが待ち構えているわ。あなたはいくらか腕が立つかもしれないけど、わざわざ身を危うくしてまで、偽物相手に命を張る必要はないでしょう」

「偽物かどうかなんて、どうでもいい。それに、あんなガキに舐められてちゃ、この先ずっと下を見て歩かなきゃならねえからな。そんなことは、御免こうむるよ」

「ねえ。いっそのこと、私と一緒にダンジョンを出ましょう? どうせフルカネリは狂いはじめているし、そのうちリースが自壊するのを見ればあいつの精神はもうおしまいよ。だって、あのお人形を彼は本物だと信じこんでいるのだもの。それまででいいの。それまで街のどこかで身を隠しましょう? 私、毎晩だってあなたを楽しませてみせるわ。それほど、悪い条件じゃないと思うけど」

「荷物が口を利くんじゃねえ。落ちるぞ」

「んなっ!」

「それにいっただろう、あんなガキ相手に逃げ回る気はねえ。どうせなら、フルカネリを叩き殺してふたりとも俺のモンにしてやる。ならず者なら、そのくらいのことはしてのけなきゃな」

 どうあっても考えを変える気のない蔵人を見てリースは口を挟むのをやめた。

 時間にして十分もかからないうちに穴を登り終えた。

 蔵人はリースを背負ったまま首だけを振り返ると、いままでいた暗渠に視線を一瞬だけ送り、まもなく歩き出した。フルカネリは明確に第七階層を目指すといっていた。地図も持たずにダンジョンを移動するのは至難の業といえたが、今回に限っては多人数で動いたため、かなりしっかりとした足跡がついていた。あとは読み間違えをしないように慎重に進むだけである。なだらかな道を進んでいく。途中で、大きな一本角を持つウサギ型モンスターの死骸があった。おそらくはフルカネリたちのパーティーが打ち倒したまま置き捨てていったのであろう。ウサギ型モンスターの柔らかい腹の部分はえぐったように無くなっていた。腐肉を食い漁る他のモンスターの餌となったのであろう。黒く乾いた血のあとか辺りに飛び散っていた。大部分が食い尽くされており、残った部分には細かいハエが無数の卵を産みつけていた。

 第四階層の終着点には思った以上の速さで到着した。背中を外套までぐっしょり濡らしながら文句一ついわずに歩き続ける蔵人に心を動かしたのか、リースは驚くべきほど精密な記憶力で一度見た地図の道順を示しだした。

「ねえ、クランド。重くない? 私、なんとか歩けるよ」

「いや、おまえが足をかばってよたよた歩くよりこの方がずっと早いんだ。黙っておぶわれてろ」

「うん。クランドがいいなら、そうする」

 リースは背負われながらもウトウトしていたが、そのうちやすらかな寝息を立てはじめた。意識を失ったことで、身体の重みがすべて背中にのしかかる格好になった。人間、起きている間は無意識のうちに体重を分散しているものだ。死人のようにぐったりとなったリースは疲労が増した身体には少々堪えた。

 蔵人は足が棒のように感覚が無くなった時点でようやく身体を休めた。先に寝入っているリースを、親鳥が抱えこむように外套で覆うと胸に抱き寄せた。寝入れば自然に体温が下がり体調を崩しやすいのである。目を覚ましたリースは自分が抱きかかえられていることに気づくと、はじめて、年頃の少女のように恥じ入って頬を染めた。男の身体を知り尽くしている彼女であったが、ここまで丁寧に扱われたことはなかったのだろう。

 蔵人は残り少ない水を取り出すとリースに飲ませた。彼女は幾度も辞退をしたが、蔵人はそれを無視して無理やり口移しで飲ませ、岩を背にして身体を休めた。

 第五回層で、はじめて他の冒険者のパーティーに出会った。

 蔵人は騎士を主体としたなんとも行儀の良い一団になんとかして第七階層まで道連れになることを頼みこむ。足あとを追うのも限界があった。

 もはや、蔵人の中にはメンツも糞もない。ただ、ひたすら一心に先を急ぎ、少しでも早くメリアンデールに会いたいだけだった。クランのリーダーは冒険者に似つかわしくないいかにもお嬢さまタイプの女性で、なにを勘違いしたのか傷ついたリースを背負ったまま強行軍を続ける蔵人に感じ入ったらしい。彼女が率先して道連れを承諾してくれたのは幸運だった。十名ほどの騎士の一団はいずれも劣らぬ剣の腕前であった。途中、何度かブレードアントに遭遇したが、蔵人が彼らに借り受けた剣を使う必要もなく、熟練した連携技で屠っていった。分岐点で一団と分かれる際、クランのリーダーはルーシアと名乗った。かなりの美女であったが、珍しいことに蔵人の脳裏には彼女の記憶はそれほど深く刻みこまれなかった。それほど、追い込まれていたということであろう。

 第七階層のとある地点に、秘された儀式を行うのにもっとも適した“龍脈”がある。これらの情報も、フルカネリが実家の宝物庫から盗んでいった秘伝の書に記された情報であった。

「ねえ、クランド。私、本当のことみんなに伝える」

「急にどうした風の吹き回しだ」

「こんなこといってもきっと信じてもらえないかもしれないけど、私、本当は自分の過去に向き合わなきゃいけなかったんだ。実の弟に道具のように扱われて、本当は嫌で嫌でしょうがなかったけど、いつかは、フルカネリが目を覚ましてくれるんじゃないかなって、根拠のない奇跡を待ち望んでいたの。そう、待っているだけ。待っているだけじゃなにも変わらない。クランドを見ていて、そう思えたんだ。……ユリエラを襲ったのは、フルカネリの手下なの。あの子は、笑いながら物陰でじっと見ていたんだ。そう昔みたいに、ほんの悪戯をするような。もう、本当にあの頃には戻れないのかなぁ。本当に……」

 不意にリースが言葉を切った。彼女は自発的に蔵人の背から降りると、痛みに顔をしかめて闇の向こう側を指し示した。

「あいつらは」

「あっ、クランド!!」

 そのひと組の男女は先導役(マッパー)のアダムスと隊のサポートを行っていたエレナだった。

 ふたりは、それぞれ身体のあちこちに手傷を負い、特にエレナの方は出血が激しかった。蔵人があっけにとられたままでいると、アダムスは泣き叫びながらしがみついてきた。

「いったい、どうしたんだっ!」

「おまえを置いていったあと、六階層でユリエラとアリアンナが殺されたんだ。そんで、おまえの剣が遺体の傍に。最初はフルカネリのやつが犯人はクランドだってあおるうちに、なんとなくみんなもそんな空気になっていって。けど、七階層の龍脈直前で、いきなりキリシマがフルカネリの矛盾を論破しだしたんだっ。確かに頭を冷やして考えると、縛られていたクランドがいきなり先行している俺たちに追いついて、しかも取り上げていた得物まで知らない間に奪い返し、モンクのふたりを誰にも気づかれずに殺すのはおかしいなっていうことになってっ……もう一度、戻ってクランドの話を聞こうとキリシマが提案した瞬間、示し合わせたように攻撃役(アタッカー)の八人がみんなに襲いかかってきて……えぶっ!?」

「いやあああっ!! アダムスゥ!!」

 闇から飛来した槍がアダムスを串刺しにするのとエレナの絶叫が響き渡るのは同時だった。

「いやぁ、アダムスぅうう、おしゃべりは良くないよう。ほらほら、雄弁は銀、沈黙は金なりっていうだろう。って、死んじまったらもうしゃべれねえかっ! ぎゃはははっ!!」

 下卑た笑い声が沸き起こる。

 同時に、辺りが煌々としたランタンの明かりで真昼のように輝いた。

 八人の攻撃役(アタッカー)たちは、それぞれに剣や槍を携えて全面に進み出た。

 数の優位を信じきっている余裕のある態度だった。

「あ、あ、あ」

 エレナは上下の歯をカチカチと激しく打ち鳴らしながら全身を震わせている。よほどの恐怖を見せつけられていたのだろうか、男たちに捕らえられることに極度の恐怖を抱いていた。

「あーらら、エレナちゅわああん。怯えちゃってまあ」

「無理もねえ。オレたちに逆らったあのモンクの女の最期を見ちまっちゃあなあ」

「女はくたばるときが、一番アレを締めつけるのよ。あの柔らかい腹に剣を突き刺しながら腰を動かしてやるとよォ、締りの良さに涙が出らぁ」

「そのあとはふたりで両足を持っていっせいのー、せっ! で一気に引き裂いてやったからなぁ。安心しろよ、エレナちゅわあん。……おまえはもっと虐めてあげちゃう!」

「いやあああっ!!」

 エレナは両耳を塞いでその場に膝を突くとこの世の終わりのような悲鳴を上げた。

 男たちは下卑た顔で舌なめずりをするとなんの警戒もなく歩み寄ってくる。

 リースが蒼白な表情でその場に縫い止められたように凍りついた。

 男は棒のように動かないリースに気づくと、道端の痰を見るような目つきでつまらなそうに吐き捨てる。

「ああー、おめえは肉便器一号じゃねえか? ま、おまえはとっとと処分しろっていわれてるからよ。今日はもう遊んでやれねえんだ。そうそう、オレたちが連れてこいっていわれてるのは、クランド。てめーだよ」

「連れて来いとは、フルカネリの命令か」

「ああん? 誰が質問していいっていったかぁ!? テメーは大人しくオレたちに拉致られときゃいいんだ、ボケが!」

 男は胸ぐらをつかもうと無防備に手を前へと差し出した。

 キラリと閃光が闇の中を一直線に走った。

「あ!?」

 男の手首には瞬間的に一本の赤い線が走った。

 それはみるみるうちに太さを増すと、たちまち大きな赤い裂け目に変化した。男は血走ったまま、自分の手首が落下するのを見届けると、狂った猿のような吠え声を上げた。

 蔵人はすでに剣を抜き放っていたのだ。

 抜く手も見せぬ早業で斬撃はすでに繰り出されていた。

 噴出した血液の飛沫で顔を化粧した男は泣き叫びながら辺りを七転八倒している。

 それを確認した男たちは一瞬で散開した。

 七人の男たちからはせせら笑いは消え失せた。

 代わりに飢えたコヨーテのような獰猛な殺気がいっせいに放出された。

「あいにくだがフルカネリの野郎にはこっちの方でも野暮用があってな。やつの手土産にはテメーらの首をくれてやらあ!!」

 蔵人は外套を後方へ勢いよく跳ね上げると、目の前の男たちの輪の中へ疾風のように走り出した。






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[一言] 相変わらず優しく無い世界 だがそれがいい
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