Lv64「奈落へ」
ふたりの男たちは幅広の山刀を抜き放つとギラついた視線でのそりと忍び寄ってくる。
対する蔵人は寸鉄ひとつ帯びず、全身を拘束されており動くこともままならなかった。
「俺たちゃ別に人殺しが好きってわけじゃねえ。せめて苦しまねえように一息で決めてやらあ。ジタバタするんじゃねえぞお」
「そのまえに、どうして俺を殺るのか理由くらいは聞かせてもらえねぇか」
「ンなこたァおめえが一番よくわかってるんでねーの」
男はケタケタと笑い声を上げると、顎に生えた無精髭をしごいている。
落ち窪んだ目玉は狡猾そうにぬらぬらと輝いていた。
「と、そのまえに」
男のひとりはリースの目の前に立つと棒立ちになった彼女の肩をぐいと強く押しこんだ。
リースは小さくうめくと地面の蔵人に重なるようにして倒れ込んだ。
まるでこれから起こることには興味がないように、表情にはわずかな動きもなかった。
彼女の表情は、いままで蔵人が幾度も見てきた珍しくもないものだ。瞳には虚無が宿っている。自分の人生そのものに興味をなくした生き人形だった。
「感謝しろよ。あの世に旅立つにはひとりじゃ寂しいと思ってな。せめてもの冥土の花嫁だ。せいぜいかわいがってやりな。オレたちの使い古しで悪いが、よっ!」
口上を聞くまでもない。フルカネリはここぞとばかりに廃品同様蔵人たちをまとめて葬り去るつもりだったのだ。
男の山刀がランタンの淡い光に照らされ妖しくきらめいた。
ビュッと風を巻いて走る。
蔵人は一瞬で身体を反転するとリースの身体を入れ替えた。
縄をぶった斬る音が激しく響く。
身の厚いナタのような刃は肩甲骨と後ろ手に縛られた手首を深く切り裂いた。
削がれた背中の肉と腕から鮮血が噴き上がった。
「ってええなあっ!!」
脳裏に白い火花がほとばしった。激痛で網膜が明滅する。目の前のリースの大きく開いた青が大写しに飛び込んできた。
蔵人は身体を反転させると男たちに向き直った。
急な動きに焦った男が再び山刀を両手に持って振り上げた。
縛られたままの両足を男の脛に激突させた。
バランスを崩した男がバランスをとるため咄嗟に得物から片手を離した。
縄から解き放たれた長い腕を伸ばすと山刀を持った手首をつかみ、捻り上げる。
蔵人の膂力は常人をはるかに上回る。男も歴戦の冒険者とはいえ幾多の戦いで鋼のように鍛え上げられた豪腕にはかなわなかった。
ゴキリと鈍い音が鳴って手首の骨は粉砕される。
「がああっ!」
男の悲鳴に眉ひとつ変えず、左手で男の頭髪を引っ掴む。
奪った山刀の刃を男の喉元にすべらせた。
「ごふっ」
刃は膨らんだ喉仏に深々と埋まると斜めに動いた。
ザッと真っ赤な血が喉元から溢れ出る。
男はヒューと気管から音を鳴らすと口をゆっくりと開閉した。ごぼっと咳き込むように血の塊が吐き出される。男の瞳孔は水面の波紋が広がるように一瞬で深みと範囲を増した。
蔵人が座った姿勢で男の死体を脇へのけると、残ったもうひとりは悲鳴を上げながら一気に走り去った。片割れが殺されただけで恐慌に陥ったのだ。とりあえずの驚異は去った。
息をつこうとして、我に返る。あの男はフルカネリの寄越した刺客だ。パーティーに戻れば、あることないこと吹き込んでメンバーの敵意をこちらに向けさせるだろう。
「まったく、次から次へとやっかいなことばかりだ」
蔵人は、背中と腕の痛みをこらえて山刀を振るうと足首の戒めを解いた。ぐったりとしたまま動かない女を見て舌打ちをする。
とはいえ、茫然自失したリースひとりをこの場に置いていくわけにはいかなかった。男たちが襲う直前までは、まがりなりにも主の命令に従って蔵人を見張るという行動を取っていたが、いまの彼女からはなんらかの自発的行為を行う気配すらなかった。
文字通り、生きた人形のようだった。
蔵人にしてみれば、リースの命を守ってフルカネリに渡す義理はない。それどころか、フルカネリの意趣返しを行ってもいいくらいだ。
「できるわけねーよな、ったく」
しかし、メリアンデールそっくりの女を傷つけるのも見殺しにするのは後味が悪すぎた。
リースも被害者であるといっても過言ではない。
道具のように扱われた挙句、モノのように始末されかけたのだ。
奴隷の命はすべて主の気分次第であるといったモデルケースのような存在だった。
「俺の剣は!」
蔵人が叫ぶと、リースは無表情のまま僅かに左右に振った。
尻餅を突いた格好で起き上がろうともしない。
手応えのなさに壁に向かってしゃべっている気分になった。
「剣だよ! それに、荷物も!!」
男でも震え上がりそうな怒声を発すと、彼女はようやく後方の岩陰を指差す。
蔵人は示された場所に隠された装備一式を取り戻すと手早く身につけた。
「さすがに剣は持っていったか……」
愛刀の“黒獅子”はなかった。岩陰に置いてあったのは、蔵人を拘束する際邪魔になった黒外套とランタン、わずかな水と食料だった。
蔵人は奪った山刀をランタンの明かりにかざして確認する。刀身は厚く丈夫さはあっても、所詮は数打ちの安物だった。ロムレス三聖剣のひと振りである“黒獅子”とは比べようもなかった。
「ないよりましってところか。おい、いいかげん立ちやがれ。なにをぼさっとしてやがんだっ!」
蔵人はいまだ座り込んでいるリースの腕をとって無理やり起き上がらせると、鼻から下を覆っていたマスクを剥ぎとった。
乱暴な手つきで頭のかぶりものを引き千切る。
そこにはメリアンデールと生き写しの顔が現れた。
明るい茶色の髪が腰まで流れるのを見て、胸が少しだけ痛んだ。
「離して……」
「あ? こんなところに突っ立ってたら、たちまち化物どもの餌食だぞ」
「いい、別に」
リースはまるで関心がないといった風につぶやく。蔵人の脳にある怒りの回線がまとめて二、三本断裂した。
「おい、勘違いするなよ。別に親切心から助けようと思ってここから引っ張ってくわけじゃねえんだ。おまえには、パーティーのやつらにフルカネリが手下を使って俺を消そうとしたってことを証言させたいだけだ」
「私は、彼の奴隷よ。主に向かってそんな不利な証言をすると思うの」
「するさ。絶対に。俺がそうさせる。あんまり甘く見るんじゃねえぞ」
蔵人は断言するとリースの額を人差し指で弾いた。リースは痛みに顔をしかめると、視線を避けるように横を向く。
「だいたい、いくら奴隷だからってここまでコケにされてなんとも思わねえのかよ。おまえはメリーの代用品扱いだぞ。主に生殺与奪の件あるからって、感情までは殺せないだろう」
リースは蔵人の言葉を聞くとはじめて人間らしい表情を浮かべる。
なにもかもを蔑んだ目つきで薄く微笑むとつぶやいた。
「代用品、ね」
蔵人が言葉の意味を訊ねる前に、男が逃げ出した方角から低く流れるような歌声が聞こえてきた。
「なんだ?」
そっと耳を澄ますと、歌声は徐々に近づきながら大きくなっていく。
続けて、洞窟内に響き渡る巨大な足音が追従してきた。
耳を聾する轟音は巨大な影と共にピタリと静止する。
捧げ持ったランタンが無意識に震えだした。
「マジかよ。夏休みの昆虫採集じゃねえんだぞ……」
蔵人は目の前の悪夢のようなモンスターに思わず毒づいていた。
全長は軽く十メートルは超えるだろう不気味な大蜘蛛がのっそりと姿を現していた。
ひとりの男の下半身を巨大な顎で噛み潰しながら。
「いだあああいいぃっ!!」
男の腰から下は大蜘蛛の口内へ既に収まっていた。
脇腹からは露出した大腸が引き出され縄のように垂れ下がっている。
未消化の内容物まで臭ってきそうな綺麗なピンク色をしていた。
キングスパイダー。
ダンジョン低階層でもっとも凶暴といわれる昆虫系モンスターである。
頭と胸の合わさった頭胸部からは巨大な複眼が辺りを睥睨していた。
口元には先ほど走り去っていった冒険者の男の下半身を咥えている。
ゆっくりと咀嚼しているのか、男の内臓と骨とが磨り潰される悪い冗談のような音が周囲に反響している。
醜く膨れ上がった腹は青白い色をしており、突き出した八本の脚はそれぞれが丸太のように大きく太かった。
キングスパイダーは巨大な牙で男の身体を荒く砕くと、毒液と消化液を口内に分泌させ、獲物をゆっくりと溶かし出した。
「じっ、じぬううううっ、じにたくなああぃっ、ふゅぐっ!?」
毒液を一気に注入された男の顔は一瞬で無数の肉腫を浮き上がらせた。
眼球がピンポン玉のようにポロっとこぼれ落ちる。
黒っぽい粘液が眼窩からどっと溢れ出ると、男の頬骨を濡らした。
顔面は崩れた粘土のように激しく波打つ。
それから、溶けたアイスのようにどろっと一気に融解した。
キングスパイダーは啜り上げるように肉の残骸をそっくり口内に納めると、微動だにせずその場に固着した。
「ひぅ」
男のあまりにも凄絶な最期を目撃してリースは口元を両手でおさえた。
蔵人は外套を引き回すとリースを自分の腰に引き寄せ、山刀を水平に構えた。
キングスパイダーは予備動作なしに突撃を開始した。
大木のような黒く長い脚が垂直に振り下ろされる。
「とはっ!」
蔵人はリースを抱えたまま転がって回避した。
洞窟内は地上のように平坦場所は殆どなく、隆起した岩が無数に生え揃っている。
頬を切り裂き身体のあちこちを打ちつけるたびに苦痛で息が詰まった。息をつく間もなく敵の攻撃は繰り返された。
大蜘蛛の脚が鋭く撃ち下ろされるたびに、張り出した岩が目の前で破砕され細かな土煙が立ち昇った。
うおん、うおんと奇妙な唸り声が間遠に聞こえる。
一撃でも喰らえば致命傷になりかねない。
蔵人はリースをはるか後方に放り投げると外套をひるがえして跳躍した。
黒い毛がびっしりと生えた脚に向かって山刀を叩きつける。
古タイヤを叩いたような感触を残して蒼黒い血液がほとばしった。
ぬるいような血潮が顔面を勢いよく叩く。
反射的に目をつぶった瞬間、胴体が消し飛んだような錯覚を覚えた。
キングスパイダーの脚が胴を薙ぐように繰り出されたのだ。
十トントラックと正面衝突したようなものである。
蔵人の身体は浮遊しながら弾き飛ばされると後方の岩壁に激突した。
背面が砕け散ったような強い衝撃を受け、網膜が真っ赤に濁った。
顔面から地上に投げ出される。
かろうじて両手を突いて衝撃を緩和した。
両腕の袖はヤスリにかけたように細かく引きちぎれ傷ついた真っ赤な肉が露出している。
衝撃で既に山刀は手放してしまった。反撃する余裕すらない。
目の前のこぶし大の岩を拾う。破れかぶれでキングスパイダーのいるらしき方向に投げつけた。
意図せぬ攻撃に戸惑ったのか岩は放物線を描いて飛ぶと、キングスパイダーの複眼に命中した。
ほぼ同時に背後からリースの悲痛な叫び声がほとばしった。
地上に投げ出されたランタンを走りながら拾う。声の元にたどり着くと、そこにはぽっかりと口を開けた巨大な暗渠が目の前に広がっていた。
リースは視界の利かない辺りを逃げまわるうちに穴へと落ちこんだのだった。かろうじて片手で岩壁の一部にぶら下がっている。ランタンをかざしても底すら見えない。ランタンのほのかな明かりに蒼白な表情が映し出された。顔色は紙のように真っ白になり、震えた歯がガチガチとしきりにかみ合わせを小刻みに打ち鳴らしていた。
「助けて……」
蔵人は咄嗟に四つん這いになると手を伸ばした。
小枝のように細い手首をつかんで力を込めた。
「やだぁあああっ!!」
リースが叫ぶと同時に背後から異常な風圧を感じた。全身がバラバラになるような極めつけの衝撃が襲った。一瞬の浮遊感の後、身体が虚空に舞った。
蔵人はリースを胸の中に抱えこむと、底なしの闇の奥へ真っ逆さまに墜落していった。
ポツポツと水滴が額を打つ感覚で目が覚めた。
「ここは……」
蔵人はリースを抱え込んだまま暗渠の底へ落下したらしい。胸の中では意識を失ったリースがぐったりとしている。地面に手のひらを泳がすと、辺りはきめの細かい砂地だった。
「まったく、運がいいっていうのか、判断に困るな」
リースをそっとその場に横たえると、目と鼻の先に転がっているランタンを回収する。
辺りをぐるりと照らし出すと、周囲は半径五メートルほどの空間があった。ほぼ垂直に落ちたのが功を奏したのか大きな怪我はふたりともないようだった。
穴の深さは十メートルもない。
ランタンを頭上に掲げると、穴の淵でこちらをうかがうキングスパイダー
の息遣いを感じた。
どうやら穴が狭すぎて中には入ってこれないようである。
ダンジョン内には自分たち以外にいくらでも捕食しやすい生物は存在する。
蔵人は大蜘蛛があきらめて穴の淵から消えるのを辛抱強く待つことにした。
岩壁を登るのはそのあとでもいいだろう。
砂地に腰を下ろして道具袋から干し肉を取り出した。細かくいくつかに引き裂くと頬張ってゆっくりと咀嚼する。粉々になるまで飲みこまず唾液を引き出すのだ。顎が疲れるまでその単調な動作を行っていると、リースが身体を動かす気配を感じた。
「よう、気づいたか」
声をかけると覚醒した彼女は反射的にその場から後ずさった。それからすぐに声の主が蔵人だとわかると目に見えて身体から力を抜くのがわかった。
「ケガはねえか」
気づかって声をかけた。リースは顔をしかめると、右足首に手を伸ばした。僧衣の裾をまくって足首を触るとわずかに熱を持っていた。そっとつかむと、リースは眉を眉間に寄せて低くうなった。
「痛いか? そうか、折れてはねえが少し捻ったみたいだな」
袋から塗り薬を出して患部に塗布する。膏薬独特の匂いが鼻を突く。
包帯で足首を動かないように固定すると簡易的な治療を終えた。
「上にはまだあの大蜘蛛が居座ってやがる。あいつのエサは俺たちだけってわけじゃねえから、そのうち居なくなるだろう」
「あ、あの」
「なんだ」
リースは消え入りそうな声で、ありがとう、というと恥じらったように顔を伏せた。
「なんだ、ちゃんとしゃべれるじゃねえか。礼には及ばねえよ。こっちも計算づくだ。おまえを、ちゃんと連れ帰って、みんなの誤解を解かなきゃな」
「そんなに、あの娘のことが気に入ったの」
「あの娘? ああ、メリーのことか。一応相棒だしな。それにあのフルカネリの野郎は危険すぎる。どっちにしろ、ここまで舐められた真似されたんじゃ、白黒ハッキリつけなきゃおさまらねえや」
「そんなにあの娘のこと気に入ったの? ねえ、この先彼女とどうしたいの」
「どうしたいって、そりゃ決まってるだろ。この先もずっといっしょに冒険を続けるんだよ。あ、お邪魔虫は排除する方針でな」
「そんなこと出来るわけないのに」
リースはさもおかしそうにくちびるを薄く歪ませ、それからはっきりとした同情の色で満ちた瞳をした。
まただ。
蔵人は胸がざわつくのを押さえられなかった。
メリアンデールと瓜ふたつの顔で、それをやられると、無性に頭にくる。
自然、口ぶりは荒くなった。
「なんだよそれ。にしても、リース。おまえ、本当にメリーにそっくりだな。フルカネリの野郎にはどこで買われたんだよ? この間あった大奴隷市か」
リースは、目を丸くすると、あっけにとられた表情を作った。
彼女の整った顔は奇妙に歪みはじめ、やがて唐突に大きく吹き出した。
ケタケタと狂ったように甲高い笑い声が周囲の岩壁を反響し、耳朶を打った。リースは捻挫の痛みを無視して身体をくの字に折ると、地面を片手で打ち鳴らして笑い転げる。
狂った。
そうとしか思えない反応だった。
蔵人は表情を青ざめさせながら、苦いつばを飲みこむ。幾分逡巡した後、彼女の肩をつかんで激しく揺らした。
「おいっ、いったいどうしたんだっ! しっかりしろおっ!」
「あはははあははっ、あはははっ! やっ、ちょっ、ごめんなさいっ! っ、いや、あまりにもあなたが、いやっ……ほんとっ、これほんとっに、笑えるっ!!」
リースは両手を砂地について肩を大きく上下すると、顔を地面に向けたまま呼吸を整えようとしている。
背中をさすると、目に涙をにじませながら顔を向けた。
紅潮した頬と、うるんだ目元には抗いがたいほどの色香があった。
「ねえ、あなた。本当に都合よく自分の姉ソックリの奴隷がそうそう見つかるなんてことがありえると思うの」
「いや、だって、そうじゃなきゃ、いまおまえがここにいる理屈が説明つかないだろうが。
……もしかして、おまえとメリーが双子の姉妹とかっ!」
「不正解よ。奴隷だからって感情までは殺せない。確かにそうね。ねえ、あなたは私にすごくやさしくしてくれたわ。どうせ、当分ここからは出れそうもないし、よければ種明かしをしてあげてもいいわ。聞きたいかしら?」
「やけに饒舌になったな。……ああ、是非ともおまえのバカ笑いの意味を知りたいね。俺は人をからかうのは好きだが、小馬鹿にされんのは嫌いなんだ」
「そう、それじゃあ、話をする代わりに、お願いを聞いてもらおうかしら」
「なんだよ」
リースはさも楽しそうに両手を顔の前でポンと打ち合わせると、にっこり微笑んだ。
いままで押し黙っていたのがまるで別人とも思える明るさだ。
「クランド、いまからあなたは私の奴隷になるの。これって、とてもいい思いつきじゃない?」
目を三日月のように細めて声を弾ませるリースの姿。
それはメリアンデールとなにひとつ変わらぬ屈託のないものだった。
メリアンデールは流れに身を任せるようにして集団の中の一部として移動を続けていた。
脳裏の中には地図の道順もこれから先にどのような難所があるかもまったく浮かばない。
別れ際、蔵人が見せた傷ついた表情。
浮かんでは消えを延々と繰り返している。強く胸が痛んだ。
(クランドはやってないっていったのに、どうして、あそこでかばわなかったの?)
理由は簡単だった。嫉妬である。
メリアンデールは彼がモンクであるユリエラやアリアンナにちょっかいをかけているのをずっと苦々しい気持ちで見ていたのだ。
(なんで叩いたりしたの、わたし。クランド、きっとすっごく傷ついたよ。みんなが、クランドのこと疑ったって、わたしだけは信じてあげなきゃいけないのに)
弟のフルカネリとは実家にいた頃の経緯で上手く馴染めなかった。
いや、正直なところ弟と正気を失わずに会話できることさえ奇跡なのかもしれない。
そもそも実家にいたときのことを思い出そうとすると、無性に頭の奥がズキズキと理由のない痛みが襲ってくる。
(違う違う、そうじゃなくて。いまは、クランドのこと。そもそも、どうしてクランドがユリエラを襲う必要があったのかしら)
メリアンデールは、第六階層の半ばでパーティーが小休止を取った際に、必要以上に絡んでくるフルカネリをなんとか遠ざけ、暴行事件のことについてユリエラから話を聞き出した。
「ごめんね、思い出すのもいやだろうと思うけど。その、あなたを襲った犯人のことについていろいろ聞かせてもらえないかな」
「ちょっと! ユリエラは深く傷ついているんですよ! あなたが、リーダーの姉だからといってなんでも許されるわけじゃないんですよっ!」
同じモンクでもアリアンナは控えめなユリエラとは対照的に勝気で気の短い性格だった。
ふたりは幼い頃からの親友であり、その分友の身に起きた災難はアリアンナにとって許しがたい行為だったのだろう。
怯えた小鳥のように身を震わすユリエラをかばうようにして抱きかかえている。
深い信頼と愛情がうかがえた。
「うん。ごめんね、ちょっとだけでいいんだ、本当にちょっとだけで」
「だいたいあなただってあの時は彼のことをかばわなかったじゃないですかっ! いまさらなんなんですかっ!」
「それは……」
そこをつつかれると黙らざるを得ないメリアンデールだった。
あのときはフルカネリから蔵人がひとりで妙な動きをコソコソしていると耳打ちされ、ちょっとした悋気も手伝って彼を疑うような発言をしてしまった。
(それに、わたしはそのうち本当の犯人が見つかるだろうなんて思いこんでいた)
「ねえ、そこをなんとか。お願いしますっ!」
「あのね……!!」
「いいです、よ」
「ユリエラっ! アンタだいじょうぶなのっ」
「うん。ありがとう、アリアンナ。でも、私もはっきりさせておきたいから。あのときのことを思い出すと。それに――」
「それに?」
メリアンデールとアリアンナの声がハモった。
「クランドは、その、ちょっと話しただけだけど、あんなことするかなぁって、なんとなくだよ? そんな気持ちが強くなってきたの。時間が経つにつれて、ね」
「んんん? ん、まあ確かにクランドは思慮深いってタイプじゃないけど、そこんところどうなの、メリアンデール」
「うん。クランドは物陰から襲ったりしないよっ! たぶん、したくなったら、その、直接相手にいうと思います」
「それはそれでダメなんじゃ。あ、でもわかるかも。あいつアホっぽいしー」
アリアンナはなにか納得のいかない表情で両手を組むと眉を八の字にして唇を尖らせた。
きっと脳裏の蔵人像とユリエラを襲った強姦魔のイメージを上手くすりあわせることが出来ないのだ。蔵人はあきらかに陽のイメージであり、コソコソ隙を狙って押し倒す陰のイメージではなかった。むしろ、その前に「いまから襲うからな」くらいのことはいいそうな感じである。
「じゃあ、話を戻すよ。ユリエラ、最初から話してもらえるかな」
「あ、はい。あのときはみんなで焚き火を囲んで宴会をしていたんですよね。それで、私もあまりお酒が強くないので、たくさん勧められているうちに、ついつい杯を過ごしてしまって」
「そのとき、クランドは隣に居たのかな」
メリアンデールはくちびるに人差し指を置いて話を促した。
ユリエラに変わってアリアンナが答える。
「えーと、えっと。そうそう、クランドのやつあからさまに小用だ! ってデカイ声で叫んでさ! あたしたちレディをまえにしてふざけんなって盛り上がって――」
「はは。クランドならいいそう。私はそのときは席を外してもうテントに入っていたから。ユリエラはそこのところ覚えていますか?」
「はい。ぼんやりとですが。それで、その、私のお酒飲みすぎてしまって、やっぱり、その催してしまって、なるべくみんなからはなれてすませようと思って」
「ねー! そういうときはひとりになっちゃダメっていっつもあたしがいってたっしょ!」
「ごめん、でもアリアンナすごく酔ってたから、逆に危ないかなって。それでね、私が岩陰の脇に着いたとたん、横合いから、押し倒されてっ……ひっ……ぐっ、そ、それであとは服を破られて……」
「がんばって、あたしのユリエラ!」
「それで……?」
「はい。もうダメかと思って、そうしたら、途中でフルカネリが遠くから叫びながら待てーって叫びながら近づいてきて。私に抱きついていた方は去り際に、舌打ちしながら、クランドンさまに抱かれるのが女のしあわせなんだっ、とか叫びながら、逃げて。そのあとすぐにフルカネリがランタンで私の顔を照らして、ひっぐっ……怖かった、です」
「最低だよっ!」
「ちょーっ、ちょっ、ちょっ、ちょっと待って! ねえ、ふたりとも、いまの話でおかしなところなかったかな! あきらかに、あったよねえ!?」
「え、なにがよ」
「なにがですか?」
ユリエラとアリアンナはきょとんとした顔でメリアンデールを見返している。
これほど明白な矛盾に気づかない幼児のような無垢な瞳をしていた。
「ご、ご協力ありがとうでした……」
メリアンデールは脱力したまま肩を落とすと、パーティーから離れて蔵人の元に戻る決意をしていた。
最初はわざとやっているか、と思った。
「なんというか、冤罪ってこういう風に生まれていくんだなぁ、と」
ユリエラの証言を聞いて確信した。蔵人はやってない。
少なくともみっつは明白な証拠が横たわっていた。
ということは、このパーティーに犯人がいるということである。
皆には悪いがメリアンデールにとっては所詮急造のクランである。
放り捨てて逃げてもなんら良心の呵責はなかった。
(てか、そもそもわたしはなんで、このクランに入ろうと思ったのかなぁ。ああ、そういえば、フルカネリだ……)
メリアンデールはテントの中から自分の荷物だけをより分けると、バックに収納した。
魔力のこめられたバックは空間を圧縮して多量の荷物をたちまちに梱包する。
「よっし、わたしのアイテムあいも変わらずカンペキっ!」
両手を腰に当てたまま自画自賛をすると、フルカネリに一言告げてからいくべきか迷った。彼とはいろいろとあったが、それでもメリアンデールにしてみれば、姉さん姉さんと泣きべそをかきながらあとをついてきた記憶が強かった。
(そう、フルカネリとは色々と――っ!?)
まただ。
またこの感覚である。
フルカネリとの記憶を思い出そうとすると、異様な痛みが全身を覆い尽くしていくのだ。
「彼とは、そう、フルカネリとわたしは、姉弟で」
指先が小刻みに痙攣して、視界がすっと狭まってくる。
考えてみれば、これほど明白な偽善にパーティーの誰もが気づかないはずがない。気づかないとすれば、全員が残らず明白な白痴としかいいようがない。
「だとすれば――」
最初から全員が明白な悪意を持って自分たちに接していたとすれば、どうだろうか。
ユリエラは敬虔なロムレス信徒である。
獄に送られれば真実が判明しても解放されることは皆無に近い。
「クランドが危ない」
いま、もっとも重要なことは、彼をこのダンジョンから脱出させて安全な場所に避難させることである。
メリアンデールは苦痛に耐えながら、蔵人のことだけに気持ちを集中する。
不意に背後に気配を感じて振り返ろうとすると、後頭部に強い衝撃を受けた。
目の前に激しく白い火花が散って意識がすっと失せていった。
数時間後、ユリエラとアリアンナの遺体が幕営地からはなれた場所で発見された。
メリアンデールを除いたパーティーたちの顔が、それぞれ強い感情で彩られる。
憤怒ともいえるものが大部分を占めた。不運な彼女たちの胸は深く切り裂かれ、傍らには刀身を真っ赤に染めた聖剣“黒獅子”が投げ出されていたのだった。




