Lv58「収穫」
小休止を挟んだのち、再び探索を開始した。
「るんたったったーるんたったー」
「おい、足元気ィつけろよ。また、すっ転ぶからな」
休憩を挟んだことによって体力が回復したのか、メリアンデールは鼻歌混じりに元気よく先行していった。
蔵人はいつでも剣を抜けるように注意力を切らさず続いた。
しばらくゆくと、前を歩いていた少女が不意に足を止める。
怪訝そうに眉をひそめ訊ねた。
「どうした」
「あ、あれです! 見えますか、クランド」
やや緊張した面持ちでメリアンデールが指し示した先には、なにやら赤っぽいものが蠢いている。ランタンを受けとってよく見えるように光を当てた。
そこにはキノコの頭部を持ったモンスターが四匹ほど身を寄せあって仲良くしゃがみこんでいた。
「仲良きことは美しきかな」
「違くて! マタンゴですよ、しかも赤ってことはシビレマタンゴですっ!」
メリアンデールが、あわあわと目を激しく瞬かせて叫ぶ。
ランタンの明かりに照らし出されたモンスターは気配に気づくと、ぬっと立ち上がった。
シビレマタンゴ。
主に低階層に高頻度で出没するモンスターである。
身の丈はおおよそ百五十センチ程度。
キノコに手足が生えたような躰つきをしていた。
頭部の傘は鮮やかなスカーレットレッドでオレンジ色の斑点が散らばっている。
その他の部分はくすんだ白っぽい色で、ひ弱な印象を受けた。
「気をつけてください。人間を見ると襲ってきますよ」
「よし、おまえはうしろに隠れてろ」
蔵人が長剣“黒獅子”を抜き取って正眼に構えた。すり足で前に出る。メリアンデールは帽子を押さえながら蔵人の背後に移動した。
シビレマタンゴは特に素早い動きは見せず、奇妙な動きで連携をとって一列に並んだ。
足どりは人間とは違い、どこに重心を置いているかわからない酔ったような動きだった。
剣の切っ先を突きつけても特に動揺はしていない。
そもそも、恐怖や危機感を感じる器官があるかどうかも怪しかった。
「うう、いつ見ても気持ち悪いきのこ」
怯えるようなメリアンデールの声に一瞬、敵から目を離した。
不意に均衡が崩れる。
シビレマタンゴたちは踊るような動きで規則正しく並列状態で向かってくる。背後にいるメリアンデールを思えば一匹逃さず片づけなくてはならない。
蔵人は身を低くして真正面から飛び込むと長剣を横殴りに叩きつけた。
刃風は闇を裂いてビュッと激しく音を立てた。
正面のシビレマタンゴは回避をとる暇もなく真っ二つに断ち割られると、白っぽい胞子のようなものを撒き散らして仰向けにひっくり返った。
転がった拍子にひときわ強く白煙が立ち昇る。
煙をまともに吸いこんだ蔵人はむせ返りながら激しく咳き込んだ。
「気をつけてくださいっ! 胞子は毒ですっ、吸いこまないでっ!」
「そーいうことは早めにいうもんだ」
至近距離で毒胞子を浴びた蔵人は軽い目眩を覚えながら外套で鼻と口を覆った。
だが、いささか遅かったらしい。
全身に鉛を背負ったような重みがかかった。
妙に手足の感覚が鈍ってくる。
動きの止まった身体を狙って両脇からシビレマタンゴが掴みかかってきた。
「はなせっ、このっ」
肘打ちを食らわせながら距離をとった。
シビレマタンゴの身体はまるでスポンジのような弾性があり手応えはなかった。
落ち着いて考えれば、敵には攻撃する牙も爪もないのだ。
蔵人は身体を投げ出すようにシビレマタンゴの足元に飛び込んだ。
長剣をめちゃくちゃに振り回す。
足を刈られた二体がバランスを失って倒れ込んだ。
まったく体液というものが流れない。
手応えもなく声も上げない敵はいままでと勝手が違いすぎた。
「せーのっ、せっと!!」
立ち上がって駆け寄ると長剣を転がった二体に見舞ってトドメを刺した。胴体の中央部を長剣が著しく傷つけると、シビレマタンゴはもがくのをやめてピクリともしなくなった。
残った一匹は特にひるむことなく覆いかぶさってきた。
油断である。
剣を手放して組み打ちになった。満身の力をこめてシビレマタンゴの腕をひねりあげると、ぼふっと乾いた音が鳴った。敵の腕が容易にもげたのだった。
「おっとと。カルシウムが足りないぜ、キノコちゃん!」
右足を胴体に叩きこんだ。拍子抜けするくらい簡単に吹き飛んだシビレマタンゴは洞窟の壁にぶち当たって動かなくなった。
「このーっ」
倒れたシビレマタンゴにメリアンデールが襲いかかる。彼女が手にした小瓶の中身をふりかけると、嫌な臭いと共に白煙が立ち昇った。
「成敗ですっ」
トドメだけを刺したメリアンデールが腰に両手を当てたまま鼻息荒く宣言した。
「なんちゅう、ドヤ顔。ちなみにいま撒いたのはなんじゃいな」
「あ、これですか。対マタンゴ用除菌水、“メリアンゼット”です。これをかけると、菌類は死ぬ! お風呂掃除にもピカイチです」
「へー、意外と色々作ってるんだね。ロムレスのドクター中松と呼んでやろう」
「どくたーナカマツ? 誰です、それは?」
「俺の国の発明家だよ。フロッピーディスクや灯油ポンプを造ったんだ」
「んんん、ちょっとなにいってるかわからないですが、とりあえずすごい人なんですか?」
「すごいよ、彼の発明で冬場はたくさんの人が助かった」
「ほほう。それでは、たくさん褒めてくださいな。わたしは褒められるのが好きです」
「よし、褒美を取らそう」
「ははーっ」
蔵人はメリアンデールに褒美として飴を与えた。
あっまーい、と頬をふにゃふにゃにして喜ぶ少女はたいそうかわいらしかった。
シビレマタンゴを倒したあと、彼女は骸に近寄りせっせと胞子を袋に採取しはじめた。
「そんなもん集めてどうするんだ」
「素材ですよ。痺れる胞子から薬効を抽出してお薬屋さんに売るのです。いいお値段になりますよー。研究もはかどるってもんです」
「ほーん、商魂たくましいね。錬金術師っていうより、なんか薬屋みたいだな」
「近いかもしれませんねー。わたしの実家収入のほとんどは錬成した薬剤でしたしねー。研究を続けるにもお金がたっくさん必要なんですよ。わたしら、いつもぴいぴいです」
「ほう、ふところが寒くて悲鳴がしきりと」
「なので、ぴいぴいなんですよ」
いつまでもぴいぴい鳴いているわけにもいかないので、さらに歩き続ける。
洞窟内は次第に苔むした岩肌が目立つようになり、ランタンの明かりで視界が確保できていてもちょっとした拍子に滑りそうになった。
先行するメリアンデールが転びそうになるたび手を伸ばして支える。
三度目に不可抗力で彼女の胸に触れるとちょっと怖い目つきで睨まれた。
「魔物よけのお薬も低レベルのモンスターにしか効果がないと思うので注意してくださいね」
「おもにゼリー類だな」
「グチャグチャくんには効くんですけどねー」
たぶんザコモンスターのアメーバゲルのことである。
「さっきのキノコちゃんはインパクトあったな」
「まあ、ほんの気休めですんで」
「というか、モンスターの心配するくらいならおまえは自分の足元に気をつけたほうがいいと思うぞ」
「うーん。歩きにくいんですよね、ここ。苔さんがひらべったい石にガーッと生えてるじゃないですか。転びの神に魅入られたわたしにとっては試練です」
「だから、そんな邪神いねえって……」
「ややっ、これはっ」
「おい、ちょっと、いってるそばからっ」
なにかを発見したのか、メリアンデールは目の色を変えていきなり走り出した。
蔵人が危惧したとおり、年頃の娘にしては豪快すぎるほど見事に滑って転んだ。
あいたーっ、という悲鳴と共にスカートの中身が丸見えになった。
黒か……。
はしたないですぞ、お嬢。
蔵人は反射的にランタンをかざしてショーツの色を確認した。素早い動きだった。
メリアンデールは自分が大事な部分をさらけ出したことに気づくと、恥じらって裾を直した。キッと振り向いて蔵人を直視する。
「な、あれ、いまなにか、わたしを照らしませんでしたか」
「だいじょうぶかっ!」
「いや、だから、わたし転びましたよね。もしかして、見えちゃいました?」
「だいじょうぶかっ!!」
「……見たんですね」
「ああ、ばっちりさ!!」
蔵人は居直ってサムズアップした。
「ば、ばかぁ。もう」
急に羞恥心がこみ上げてきたのか、彼女は目元を伏せて気まずげに口をつぐむ。
それを意に介さない蔵人。女の敵である。
だが、ダンジョンに慈悲の神はいなかった。
「んで、なにを見つけたんだ」
「そうだっ、これっ。これですよ! 結構レアな青水晶ですっ。とっくにとり尽くされてたと思ってたんですが。超ラッキーですよっ」
「んんん、青水晶?」
示された場所にカンテラの明かりを近づけると、そこには澄み切ったアクアブルーに輝く四十センチ程の水晶体が生えていた。
「おおう、まばゆいのう。んで、いかほどなのだ」
「これは、結構いいですよ! 鍛冶屋さんが鋳造するときにまぜまぜするんですが、この大きさなら捨て値でも十万Pはかたいですよっ」
「ウホッ、いい水晶!」
十万Pは日本円でだいたい百万円程度。
「マジかよ。軽が買えちゃうじゃねえか。ミラとかアルトとかラパンとか。死んでも乗らんけど」
「けい? けいってなんですか?」
「いや、こっちの話。とにかく今日はツイてるなあ。おまえが女神に見えてきたよ」
「やはは、それほどでも、ですよ」
メリアンデールは照れながらも慣れた手つきで青水晶を袋に詰めこんでいく。
蔵人はしゃがみこんだ彼女の背中に向かって手を合わせておいた。
ちょうどいい区切りがついたので、大休止も兼ねて昼食をとることにした。
「オイルサーディンパスタとクスクススープ、デザートはりんごのコンポートです」
メリアンデールは火を起こすと手早く調理にかかった。
さっとパスタを茹でると缶を開けてオイルサーディンを混ぜ合わせる。
鍋にあらかじめつくっておいたオニオンスープを入れてクスクスと一緒に煮込んだ。
完成したものを二人分の容器に移してチーズを浮かべる。香ばしい独特の匂いに蔵人は生唾を呑みこんで目を輝かせた。
「つまらないものですが」
「つまらなくなんかないよ。いただきまーす」
メリアンデールが神に祈り終わるのを待って箸をつけた。
しっとりとしたオイルの絡んだ麺をすすり上げる。探索と戦闘で疲弊した身体に濃厚な脂が染み渡っていくようだ。
「うまっ、うまっ」
「あはは、そんなに急がなくてもまだたくさんありますから」
蔵人は飢えた野犬のように片っ端からたいらげていく。メリアンデールはフォークを動かすのも忘れ目尻を垂れ下げながら男の食事風景に見入っていた。
「うむ、スープもまた、ヨシ!」
「はは、なんで鑑定してるんですかね」
「おまえは料理も上手だのう。褒めてつかわそう、ちこうよれ」
「ははーっ」
蔵人はゴツゴツした手でメリアンデールの頭を撫でた。彼女は微笑みながらひだまりの中の子猫のようにまぶたを閉じた。
腹が膨れると眠たくなるのは自然な欲求である。ふたりは気力を振り絞ると断固たる決意で歩きはじめた。地図を読みながら、足元に注意を払って移動し続けるのは困難である。
整地された道ではなく、自然なアップダウンが異常に多くどんな人間であっても次第に疲労を覚えるものだ。蔵人は目の前のか細い足で黙々と歩いているメリアンデールを見ながら密かに感嘆していた。
やはり現代人とは身体の造りからして違うと思わざるを得ない。車などない世界では、ちょっとした用事を済ませるのにも、一、二時間歩くのは当たり前だ。
この世界の人間は生まれたときからそうした環境で育っているので、一日や二日歩きづめであってもそれほど苦に思わないのである。
メリアンデールは見た目だけなら可憐な少女だ。とてもではないがこのような苦しい作業に従事しなくても生きることは出来るだろう。
だが、その方法は自分の生き方を女性であることに縛りつけて限定すること以外にほかならなかった。女の生計の立て方など、嫁に行く以外は娼婦や酌婦など身体を売る仕事以外はこの世界にほとんどない。あったとしても、それはあくまで夫の稼ぎを支えるための賃仕事である、裁縫や子守りなどの家事手伝いくらいしかないのだ。女ひとりで誰にも頼らず、自分の能力だけで定期的に金銭を稼ぐのは非常に難しいだろう。
つらつらと、あらゆる考えが自然に頭の中に湧いてくる。頭を振って思考を切り替えた。
「そういえばさ、他の冒険者には全然会わねえもんだな」
「そうですね。けど、ルートは一本道ってわけでもないですから、タイミングですよ。んん、あ。そんなこといってる間に、もう一階層は終わりですよ」
「なぬ」
メリアンデールが立ち止まるとその場所には彼女の腰くらいの高さの石碑が置いてあった。石碑の横には下層に続く石造りの階段が見えた。蔵人には判読できなかったが、石碑には下層階段を発見した年月日と発見者の名前が掘られていた。
「公式に攻略されているのは十七階までなんですよね」
「実際にはもっと深くまで到達してるんだろう。いったい誰が一番最深部まで潜ってるんだろうな」
「下層へ続く階段を報告すると名前を刻まれる代わりにルートの地図を提出しなければならないんですよ。冒険者にとって経路は命ですからね。どこに、どんな素材があるか、どんなトラップがあるか。高低差は。水場は。モンスターの出現範囲は。ロムレス王立大学では、迷宮学っていう独自の学問まであるくらいですからね。すごいですよー、研究者の皆さんは。下手したら、一度もダンジョンに潜ったことのない学者さんのほうがはるかに内部のことは詳しいですからねー」
「そうか? おまえだって、充分すごいと思うが」
「あは。わたしなんて付け焼刃ですよ。シルバーヴィラゴには大学の出先機関である王立迷宮探索研究所がありますよ。図書館も充実してるし一度は行ってみたいんですけど」
「行けばいいじゃん。近いんだろ」
「それが、やっぱりなにか強力なコネがないと立ち入りの許可がおりないそうなんですよ。排他的なことに関してはわたしたち錬金術師もかなりのものだと自負してますが、あそこは機密レベルの格が違いますね。一説によると、軍の駐屯地のほうが規律がダルダルって……そーいえば、なんでこんな話してるんでしょうか」
「脱線しまくりだな。んで、続けて二階層はやめとくか?」
「んん、その出来れば、今日はここまででいいですかね」
メリアンデールが力なくふにゃっと笑みを浮かべた。蔵人が彼女の時計を見ると、探索を開始してから十時間近く経過していた。休憩を一時間ほど抜いたとしても、九時間は歩きづめだった。女性の体力としてはかなりの負荷だっただろう。
「ええと、戻りに関してはエスケープルートが使用できるとして」
ダンジョンにおいて各階層の降り口付近には帰還専用の転移陣というワープ地点が設けられていた。当然のことながら、公式で攻略認定されている階層においてのみである。高位の魔術によって構築されたエスケープルートポイントの転移陣は半永久的に使用出来るのだ。
もちろん、低レベルの人間がいきなり最深層まで移動しないように、行きは使えないような作りになっているのだ。
蔵人たちが明日から引き続き二階層へのアタックを行うのであれば、周囲のどこかに移動ポイントのマーキングを打って独自の転移陣を構築しなければならない。
エスケープルート以外の転移陣を使用するには、動力である魔石が必要であった。蔵人はそんなもの持ち合わせていなければ、転移陣の構築方法も知らなかった。ちょっとしたべそヅラになった。
「そんな初心者同然のクランドにわたしがレクチュアしてあげちゃいましょう。これが、転移陣の魔術が組みこまれたスクロールです。繰り返し使用可なので、持ってないコはお店で購入しましょうねー」
「でも、お高いんでしょう?」
「いえいえ、これ自体は五千Pとなっていますので、少々値が張りますが無理してでも買っておかないと泣きを見ますよ。ああ、もう泣いてますか」
「泣いてねーし、目にゴミが入っただけだし。というか、転移陣構築セットはなんとかなりそうだが、その動力源の魔石がバカ高いって聞いたぞ。ひとつ、一万Pだって? まるで、プリンタと純正インクみたいな関係だな。インクで儲けるのよくない!」
「ぷりんた? いんく? ちょっと、またわたしのわからない単語が出てきましたが。んん、ここで重要なのはわたしの職業です。イッツ、マイ、ジョブ! 賢明なクランド氏は覚えていますかね?」
「ちょっとえっちなドジっ子お姉さん」
「ノンノン! 正解は錬金術師なのでしたー。そして、わたしにとって魔石を偽造することなど、赤子の手をひねってねじきっちゃうくらいたやすいことなのだよ!」
「……いや、普通に怖いからな。って、偽造!?」
「うふふ、内緒ですよー」
メリアンデールは悪い顔でほくそ笑むと、ザラザラと革袋から黒っぽい石をとり出してみせた。
「これって無尽蔵に作れるの。売っちゃえば巨万の富が」
「あー、それはやんないです。個人で使うのは黙認してるみたいですけど、おおっぴらに売りさばいたりしたら、冒険者組合の利権に食いこむことになるので、たぶんわたし消されちゃいますね。サクッと」
「消されちゃいますか」
「消されちゃいますよう。そしたら、クランドも悲しいでしょ」
「ああ、あまりの間抜けさにな」
「おい!」
メリアンデールはスクロールの力によって転移陣を構築する。
これによって次回以降はメリアンデールのアトリエから帰還時に設置したワープポイントへ飛べることとなった。ふたりは、エスケープポイントから冒険者組合の事務所へと移動するため魔術の刻まれた半径三メートル程のサークル内に入った。うっすらとした白い光が記述された魔術文字を明滅させた。
「おお、なんか光ったぞ」
「一瞬ですからねー、ホント便利ですよ」
メリアンデールがサークルの中央部に起動用の燃料となる偽造魔石を置いた。
白光は力を増すと、目を覆わんばかりの強さで輝き出す。
蔵人は絶叫マシンに乗った際の急降下時に似た浮遊感を覚えて目をギュッとつむった。
「あ、あれ」
瞳を開いた瞬間、身はすでに事務所ロビー脇にある転移陣の上にあった。
たいした感慨もなく転移は完了していた。
蔵人がはじめてのワープ体験に感慨に耽っている間に、メリアンデールがダンジョンで入手したアイテムを事務所の素材買取部署へと持っていった。
手持ち無沙汰になったため事務所の中を意味もなくぶらつく。ロビーのあちこちには、すさんだ顔をした男たちがうろついていた。
いわゆるあぶれ者である。
冒険者組合に登録して正会員になれるのはひと握りの富裕層かよほどの努力家である。冒険者は喰いつめ者の集まりといった評価は半分は間違っており、もう半分は正解だった。
そもそも、日々を食うや食わずのならず者に、十万Pの加入料や一等市民権を持つ三人の推薦人を集められるわけはない。
正会員である冒険者は、ひとりにつき二十人の従者を同行させることが可能である。
ほとんどの自称冒険者は当日限りの同行者となって探索行動を手伝う代わりに、ダンジョン内である程度の自由時間をもらってモンスター狩りや素材集めに精を出し生計を立てているのであった。
現在、時刻はほぼ夕方に近くである。こんな時間に事務所内をうろついているのは文字通りの負け犬であった。彼らのほとんどは地方出身者であり、一攫千金を夢見て冒険都市ともいわれるシルバーヴィラゴにたどり着いた成れの果てだった。
冒険者組合も彼らの素行が最低なのはわかっていて特に追い出す様子もない。その気になれば、都市の治安を守る鳳凰騎士団と同等の武力を有している冒険者組合が黙って彼らを好きに闊歩させているのは治安を維持するための囲いこみの意味あいもあった。彼らのほとんどはうつろな視線でぼおっと床に座りこんで虚ろな視線で奈辺を見やっていた。
クソッ、こいつら見るたびに運気が落ちそうで嫌なんだよなぁ。
冒険者もどき兼反社会性人間予備軍たちは、まだ年若い十代二十代がほとんどである。
三十代以上は皆無だ。
なぜなら、そこまで生きられずにたいてい死ぬからである。
死ぬ理由は千差万別だ。
ハードな階層の冒険にノコノコとついていってモンスターに食われたり、あるいは大怪我を負って「助けてえええっ!」と泣き喚きながらも、「消耗品がっ、そこで飢え死ね!」と置いていかれてみじめにくたばったり、あるいは安い淫売を買って性病を移され職員の手によって表のゴミ箱に捨てられてモノのようにゴミ収集業者に回収されていったり、つまらん酒のイザコザで刃傷沙汰になってあっさり死んだり、単純に動けなくなってミイラ化したりなどいろいろだった。
すべて安っぽい死であり、誰も気にしないし悼まない。
まかり間違えば蔵人もそのお仲間に入っていたかもしれないと思うとゾッとする。
ただひとつ彼らのドブ川のようにドロンとした瞳が輝くときがある。それは、極小の存在である女性冒険者がいるのを見つけたときであった。
受付には、彼ら下層階級民の性の対象となっている超人気受付嬢(※みんなのオナペット)がいるが、彼女をジロジロ見ていると棍棒を持った番兵に殴り殺される危険性がある。
よって、彼らが安心して視姦出来る女性冒険者は貴重な存在だった。女性冒険者を要するクランは多人数であったり手練の探索者であることが多い。日雇いの部類に至っては皆無である。
なので、声をかけたりはしないが、近くを通ればジロジロと穴の空くように見つめて自慰のネタにしようと脳裏へ鮮明に焼きつけるのである。かなり露出度の高いビキニアーマーを着た女戦士などが通過したときは、公共トイレがいっせいにザーメン臭くなるので正冒険者から苦情が出るほどであった。
こんな負のオーラを浴び続けていたら、負けぐせがついてしまうかもしれない。
蔵人はゴミ溜めから遠のくと受付近くに移動した。ふと、気づけば邪龍王の頭蓋モニュメントを飾ってある場所に出店が置いてあった。木の台を置いた上に商品を並べただけの簡素なものだ。
「ふむ」
見ればメリアンデールが欲しがっていた七宝焼のバッジが置いてあった。店のオヤジに聞くと売れ残り品をここで捌いているらしい。
蔵人は少し考えると、それぞれ違った意匠の、鷹、虎、獅子、狼の四種類を購入して革袋にしまった。むろん、あとでレイシー、ヒルダ、ポルディナ、メリアンデールに配って機嫌をとろうという策略である。それぞれが十Pという安さにも釣られた。
「おい、オヤジ。さっきは売店で百Pで売ってなかったか?」
「……」
「おい。すっとぼけてんじゃねえぞ」
「……あまり年寄りをいじめんでくれやぁ」
低レベルな争いだった。
蔵人が店のオヤジをからかって遊んでいるうちにメリアンデールが戻ってきた。彼女はやや紅潮した頬で本日の戦果を報告しはじめた。
「すごいですよ! 青水晶とシビレ粉を合わせて二十万五千Pですっ!」
「おお! やったな!」
ふたりは仲良く両手をつなぐと、お互いを引っ張りあいながらグルグルと円を描きながら踊りまわった。視界のはしにネリーが固まったままの姿勢でいるがこの際気にしない。
報酬は仲良く折半することとなった。
一日の稼ぎとしては、それぞれ十万二千五百P。日本円で約百二万五千円である。
「特に青水晶のモノが良かったせいか買取金額が通常の倍でした! どーん!」
「なはははっ」
蔵人は怪気炎を上げながら肩肘を張って通りの真ん中をのし歩いた。すぐ横をメリアンデールがくるくる踊りながら付き従っている。鼻を垂らした子どもたちが面白がってあとについてくる。不審者極まりなかった。
へへ、けど一日で百万以上の稼ぎなんて、こいつはひょっとしたらひょっとするかもよ。
日本では二十歳そこそこのなんの能力もない若造が簡単に稼げる額ではない。自分の命を危険に晒して得た報酬とはいえ、コンビニや土方仕事で雀の涙程度しか稼がなかったことを思えば天地の開きがあった。
「あくまで一階ですからね。十階を超えると報酬は十倍になるって話ですけど、それってすごすぎですよね」
「マジか!!」
「ちょっ、クランド。顔、近いです」
「おおおおっ!」
「きゃっ、ツバが飛ぶですっ! きちゃないっ!」
これで、レイシーやヒルダ、ポルディナに三十万ずつくらいやれるな。
たまには甲斐性のあるところを見せないと。
蔵人は分けまえをしまった革袋を胸元にねじこんでメリアンデールに背を向けた。
「じゃ、とりあえず今日はここで解散だなっ! また、明日がんばろうぜっ!」
「……え」
駆け出そうとした瞬間、外套の裾をくいっと引かれた。
振りかえるとメリアンデールが泣き顔にも見える奇妙な表情で固まっていた。
彼女の眉はくたんと八の字に曲がっており指先がぷるぷる小刻みに震えている。
置き捨てられた子猫のようだった。
「ね、その。わたしのおうちで今日のお祝いとかしま、せん?」
「あー、悪い。ちょっと、今日は酒場に繰り出してパーっと……」
パーっとレイシーにデカイ花火を打ち上げるのだ、とさすがに続けることは出来なかった。
「やだ。ね、行かないで」
「ああん? なんで」
「わたしを、ひとりにしないで」
蔵人は困ったように下唇を突き出して、はじめてこの世界に携帯がないことを呪った。




