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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第2章「迷宮都市シルバーヴィラゴ」
56/302

Lv56「メリーのアトリエ」



 

 なにごとにもタイミングというものが必要である。チャンスをとらえる感覚は、あらゆる成功者が本能的に持っているもっとも重要な勘どころだ。実力が伴っており準備が万端であっても、いわゆる逃した機をとり戻すことは不可能である。

 天、地、人。

 天の時を逃さず、地の利をつかみ、人の和を得る。

 英雄になるには欠かせない要項である。

 銀馬車亭の二階、レイシーの私室の寝台の上で、三人の年頃の男女が身体を寄せあってやや遅い昼食を摂っていた。

 良識者が見れば目を背けたくなるような甘ったるい光景だった。

 ひとりの男にふたりの女性がかしずくようにしてぴったりとくっついている。

 汗ばむような陽気の中で、一個の塊と化した三人は淫靡な空間を形作っていた。

「はい、あーん」

「んぐっ」

 ヒルダはカスタードの入った椀から黄色い半固形物をすくうと蔵人の口へと甲斐甲斐しくも運んでいる。

 とにもかくにも、死ぬほど甘ったるいのだ。

 現代の地球とは違って、中世に近い文明程度のロムレスにおいては、高級品イコール砂糖の方程式がまかり通っていた。

 上質の料理といえば砂糖がぶち込まれている。

 そもそも、庶民の口の中には甘味のあるものといえば、果糖や甘づらといわれる蔦から絞った樹液を精製したものくらいしかない世界だ。日本でも江戸時代では砂糖は薬種問屋で売買されており、薬の一種とされていたくらいである。

 蔵人の機嫌をうかがおうとご馳走を出すとなれば、とっておきの砂糖をぶちまけた甘々料理の一択しか考えつかない彼女たちのいじらしい努力である。

 レイシーは部屋に入ってから、蔵人の腕にぴったりとすがりつくと身体をくっつけたままじっとしていた。

「んんん、喰いが悪いですねえ。も、おなかいっぱーいですか?」

 ヒルダはさじを舐めながら怨ずるような目つきで蔵人をじっと見た。

「うーん、俺はもう腹いっぺぇだ。残りはふたりで食べてくんなぁ」

「あ、はーい」

 ヒルダはさじとカスタードの入った椀を手渡してくると、ぱくっと小さな口を開けた。

 蔵人は顔を引きつらせながら、しばし葛藤すると激甘物体をすくって彼女の口を養った。

「あ、あーん?」

「あーん」

 ヒルダは甘ったれた顔でさじを咥えると、口内でスイーツを咀嚼する。目尻を下げながら、両手を頬に添え、くふふと笑みをもらした。

「まあ、なんというか」

 実際問題、美少女ふたりをはべらしながらこうしていちゃつくのは楽しい。楽しいながらも胸の内に広がる懸念がなくもなかった。

 ポルディナとメリアンデールの存在が頭の隅にチラついて消えないのだ。

 ちょっとした心掛りに気をとられていると、袖をちょいちょい引かれ目線を動かす。

 そこには、寂しげな瞳をしたレイシーが、つつましやかに口元を指差し、自己主張をしていた。

「あたしも」

「ああ?」

「あたしも、あーんして欲しいな」

「あー、はいはい。ちょっと待ってねー」

 反対側の脇からヒルダが「どーん」と叫び抱きついてきた。蔵人は椀を確保しながら、カスタードクリームをすくおうとすると、レイシーが無言のまま首を左右に振っていやいやをした。

「それじゃ、ヤ」

「はぁ」

「ヤ、なの」

「それではいったい、わたくしめはどのよーにいたせばよいのでしょうか」

「くちで」

 蔵人が眉を細めるとレイシーはさらにぎゅっと身を寄せて小鳥のように可憐なくちびるをパクパクさせた。

 ああ、そうかい。口移しですね、そうですかお嬢さまぁ。

 蔵人は半ばヤケになってカスタードを飲みこむと、レイシーの顎を引き寄せてくちびるをあわせた。

「んんっ、んむうぅ」

 口内で咀嚼しドロドロとなったクリームを少女の唇からそそぎ込んでやる。

 レイシーは、うっとりとした表情で唾液で攪拌されたそれを口移しで受けとると、細く白い喉を鳴らして嚥下した。

 それを見ていたヒルダが顔を真っ赤にしてせがんでくる。ふたりの少女へと交互に口移しでスイーツをそそぎこむたびに、蔵人は自分が親鳥になったような気分になった。

 蔵人は銀馬車亭に戻るとふたりをぎゅっと抱きしめ、それこそ思いつくままの言葉で自分のふしだらな行状を糊塗することに成功したのだった。

 最終的にレイシーのスタンスは、「いっしょにいてくれるなら、それでいい」というものであり、ヒルダに至っては「かわいがってもらったのでスッキリしました」的な身も蓋もないお言葉を頂戴した。ふたりともこれ以上しつこくして蔵人に逃げられよりは、と妥協したのだろう。所詮は惚れた方の負けである。

 微ハーレムの誕生の瞬間だった。

 こうして永遠にイチャイチャしていられれば閉じた世界の中で退廃的な快楽に耽り続けることも可能ではあったが、世界はまだ蔵人の脱落を認めていなかった。

 日が落ちる直前まで、ふたりに身体的よりも精神的なつながりを満たした蔵人は寝台を降りると身支度をはじめた。途端に、レイシーとヒルダの顔に緊張が走る。特に、レイシーの表情には怯えが色濃く浮かんだ。

「出かけるんですか? せめて今日くらいは」

「どこか、また行っちゃうの?」

 蔵人はふたりを同時にギュッと抱き寄せると、髪の毛に顔を埋めて匂いを吸いこんだ。

 むせ返るような女性独特の匂いに脳味噌が芯まで痺れる。

「しかたねえだろ。ちょっと、所用がな」

「やだよおお」

「嫌ですう」

「我慢してくれよ、な」

「行き先は? せめて行き先だけでも教えてくださいよお」

 いえるはずがない。

 蔵人は喉から首をもたげた慈悲のこころを叩き潰して答える。

「とりあえず冒険者組合(ギルド)だ。それから、状況によっては、いつ帰るとは断言できない」

 レイシーはひう、と息を呑みこむと、うるんだ瞳で口をへの字にした。ヒルダも腰にすがりついたままはなれようとしない。それから、出発するまでにさらにかなりの時間を要した。去り際に、ヒルダがとたとた走り寄るとそっと耳打ちをしてくる。

「もし、私とレイシー以外の女に手を出したら、そのときは……」

 それ以降の言葉は恐ろしくて聞けない蔵人だった。






 夕日が沈む直前には下宿へとたどり着けた。蔵人は肩で息をしながら腐りかけた階段を駆け上がっていく。

「とっ、たっ、はっ。着いたー」

「あ……!」

 部屋の前にはうつ向きがちになっていたポルディナが儚げな表情で立ち尽くしていた。

「ご主人さま!」

 ポルディナのしっぽは千切れんばかりに左右へと大きく振られていた。

 頭上の犬耳は完全にうしろに伏せられペタっとしている。

「おう。悪いな、遅くなって」

 蔵人がいうが早いか、彼女は疾風のように駆け出すと胸もとへぶつかるようにして飛びこんできた。きゅうんきゅうん、と甘えるように鼻声を漏らしている。

 ポルディナは精緻に整った美貌を歪めながら黒真珠のような瞳いっぱいに涙をためて鼻先をこすりつけてくる。まるで甘えきった子犬のように見る者のこころをせつなくした。

「もう、てっきり二度とお帰りならないものだと。ご主人さま、なにか私に粗相がありましたでしょうか。ご希望に沿うよう必ず直しますので、どうか、どうか、ポルを捨てないでくだしまし」

「ポルディナ……」

 顔を上げた彼女を直視して身体が硬直した。ポルディナの目をよく見れば真っ赤に充血し目元は涙のあとで白くふやけていた。

 手を伸ばして頭を撫でると、安心しきったように再び甘ったれた鼻声をもらして小さな頭を擦りつけてくる。蔵人のこころに強い庇護欲といとおしさがどっとあふれた。

「ごめんな、帰りが遅くなって。さびしかったか」

「さびしいです。私は、ご主人さまなしでは、もう。もう」

 強いかな、と思う程度にぎゅーっと抱きしめてやると、向こうも負けじと抱き返してくる。

 蔵人がすっきりとしたあごに手をかけて持ち上げるとポルディナは目を伏せた。

 真っ赤なくちびるを貪るように吸った。

「んんっ……」

 ポルディナはすぅと細い銀の糸を瞳から流すと、長いまつげをふるふると揺らした。

 ちょうど隣室に帰宅した若い男が凄まじい殺気で睨みつけてくる。

 蔵人は優越感に浸りながら鼻先でせせら笑った。

 男の顔が激しい嫉妬と悲しみの色で塗りたくられるのを見て、冥い愉悦に身を打ち震わせる。そして強く思うのだ。奴隷持っててよかった、と。

「ブルジョワがっ」

 角ばった顔をした男は職人だろうか一日の疲労が強く顔に出ていた。

 彼は、いかにも悔しげに舌打ちをすると扉をあてつけのように強く閉めた。

 勝った、なんだか知らないが、俺は人生の勝ち組。

 ずっとこのままでいたいような気もしたが、まだこのあとで冒険者組合(ギルド)に向かわなければならない。

 そっと肩を押すと、ポルディナが名残惜しそうに身体を離す。

 その目はなんだか不満そうだ。その態度すら心地よい。

 蔵人はいっぱしのジゴロ気取りになりかけたが、頭の隅で数匹の子鬼が自重しろと踊りながら叫んでいる。

 人生には慎みも大事。我慢することも覚えなきゃな。

「さ、とにかくお疲れでしょう、ご主人さま。中へ」

「悪い、これからまた出かけなきゃならねえんだ」

「え!」

 ポルディナの表情が歓喜の絶頂から一気に地獄の底を突きつけられたかのような凄惨なものに変わった。

 犬耳がふにゃっと倒れ、太くて長いしっぽがへにゃりと下向きに垂れた。

 わ、わかりやすすぎる。

 こころ苦しい、心苦しいが、行かにゃならんのよ、ごめんな。と胸の内でつぶやく。

「そんな顔するなよぉ、俺だっておまえから離れたくないんだって。後ろ髪引かれるじゃねえか」

「もうしわけ、ございません」

 途切れ途切れに口ごもる。

 ひとまわり小さくなった彼女の姿を見て、さすがに胸が痛んだ。

「でも、でも! せめて、お茶のいっぱいなり喫していかれてはいかがでしょうか」

 ポルディナは自分がわがままをいったことに気づいたのか、言葉尻がどんどん小さくなっていった。蔵人も切なくてたまらなくなるが、そこまで非情に接することは出来なかった。

 だって、ポルディナがいじらしすぎる。

「おお、ポルよ。おまえはなんと俺の胸をキュンキュンさせる娘ぞ。いまのは、かなりキュン度が高かった。ま、ちょっと休むくらいならいまさら変わんねーか」

「はい! 直ちに用意をいたします!」

 一瞬に生気を取り戻しパタパタと部屋の中に駆けていくポルディナを見て、蔵人は割と本気でメリアンデールのことがどうでもよくなっていたが、男としてそれは仕方のないことだった。






 蔵人は後ろ髪を引かれながら家を出ると、メリアンデールのアトリエに向かった。

 約束した時間から大幅どころか半日近く過ぎているが、さいわいなことに彼女の家の住所は教えてもらっていた。錬金術師である彼女のアトリエは、中心街をそれた城壁に近い郊外にあった。辺りはすでに闇に落ちており、どの家にも明かりがともっている。

「しっかし、ほとんど知らない男に住所を教えるってどうよ」

 素朴な人間が多い。個人情報の秘匿も糞もない世界である。

「だけど、日本だって情報だなんだっていいはじめたのは最近の話なんだよね」

 つい一昔前の日本ですら芸能人の自宅の住所は雑誌に堂々と掲載されていたくらいである。文化的に未開な異世界人たちにそこまで機密の徹底を望んでも不可能であろう。

「ここだろうな、どう考えても」

 こじんまりとした一軒家は街からかなりはなれた場所にぽつんと建っていた。

 薄暗い中でもかなり老朽化しているとわかる造りだった。アトリエの中からは光が漏れており中の住人がいることを示している。

 ハウス名作劇場の登場人物が住んでそうだな。

 蔵人は扉の前に立つと訪いを告げた。

 しばしの沈黙の後、警戒したような少女の声が返ってくる。

「だれ、ですか」

「おまえが勝手に相棒にした男だよ」

「……わたしのバディはいきなり約束をやぶったりしない。合言葉をいいなさい」

「秋の日のヴィオロンのためいきの」

「身にしみてひたぶるにうら悲し。はっ、まさかこの合言葉を知る者はクランドでは!」

 扉が開くと同時にメリアンデールが真っ直ぐ突っこんできた。予想していた蔵人は見事な身のこなしで半身になってかわした。

「あべしっ!」

 メリアンデールは見事に顔から転びそうになるが、鋭い身のこなしで片手をついてくるりとトンボを切った。

「俺が考えたんだから知っててあたりまえだろうーが」

「避けましたね。ここは抱きとめる感動シーンなのでは?」

「おまえただ、つま先引っかけてすっ転んだだけだろう」

「……てへ」

 メリアンデールは片目をつぶって舌を出した。中途半端な容姿レベルの娘がやると小突きまわしたくなる仕草だが、北欧美少女風のメリアンデールがやるとなかなかさまになっていた。

「しっかーし。約束の時間はお昼だったでしょう。いきなりこんなことでは、心配でわたしの背中を預けられませんなー」

 メリアンデールは自分の腰に手を当てながらぐっと身を乗り出していった。蔵人はもみあげを指先でかきながらぼそりと指摘した。

「髪。鳥の巣みたいになってんぞ」

「え、え。えええ、あ、あわわわ。しばし、お待ちくださいな」

 メリアンデールは指摘された髪に手をやると慌てて家の中に戻っていった。結構な時間が経過して再び蔵人の目の前にあらわれた彼女の姿は一部の隙もない気合の入った格好だった。

「だれ、ですか」

「そこからはじめんのかよ。時間がもったいないので、お邪魔させてもらいまーす」

「ああん! せっかく、ピシッと決めたのに! って、勝手にひとりで奥に行かないでくださいっ」

「おおっ、ここが錬金術師のアトリエか。きっと、夜な夜な怪しげな作業を行っているのだろう。暗いやつだのう」

「ほっといてくださいなっ」

 ちょっとした残念系ではあるがそれでも女性のひとり住まいである。普通の人間なら少しは恐縮して見せるものだが、蔵人はそんなことはお構いなしだった。

 勝手にテーブルの薬品やビーカーに触る、容器の中身を指ですくう、しまいにはタンスの中身すらゴソゴソやりだしたところでメリアンデールの指導が入った。

「ここここ、こらー。勝手にわたしの研究成果をいじるなー! あと、そこは下着が入っているのですよ!」

「ふうん」

「こらー、うなづくだけじゃダメーって、それはっ!?」

 蔵人はタンスから引き出したどぎつい赤のショーツを発見すると、メリアンデールの顔をまじまじと見つめ、ふんと鼻を鳴らした。

「ま、おまえが生涯使うことはなかろ。奥にしまい直してあげよふ」

「聞こえてますよ。いま、わたしはあなたを相棒に選んだことをちょっと後悔していますからね」

「なあに、こんなものは序の口よ」

「さらっと恐ろしいこといったー!?」

「まあ、いまのは俺なりの冗談だ。とっと本題に入ろうぜ。そのまえに、お茶とかないのかよ。はるばるここまで歩いてお喉が渇いたよ」

「いま、お茶くらい入れますから。頼みますから大人しくしてくださいよ」

「あと、お茶請けも忘れんなよ。甘味は控えめにな」

「なんというか、クランドは心臓図太いですよね。尊敬します」

「褒めるなよな」






 さすがのメリアンデールも顔を若干引きつらせながら炊事場に向かった。

 かまどに火を入れお湯を沸かす。

 ティーポットに茶葉を入れ焼き菓子を探していると、アトリエにいる蔵人がやけに静かなことに気づいた。まるで来客など居なかったように、しんと静まりかえっている。メリアンデールの胸の内がざわざわと騒ぎ出した。

(なんだろう。なにか、すごくイヤな予感がする。どうして……?)

 湧いた湯をポットに移してから、足音を殺してアトリエを覗き込む。誰もいない。先程までおもちゃ箱に転がりこんだ子どものように、アトリエの道具を勝手にいじり倒していた男の姿が見えなかった。下着類がしまってあるこげ茶色のタンスはすべて引き出されて中身が散乱していた。まるで暴風雨が通り過ぎたようである。

(腕が立つからってちょっと信用しすぎちゃったかな。でも、悪い人には思えなかったし)

 メリアンデールは基本、男性に対し耐性がなかった。だが、蔵人に対しては最初から不思議と気安く振る舞えたのだ。話してみればわかるが、蔵人の言葉の端々には学問に裏打ちされた知性と倫理を垣間見ることができた。

 それは、メリアンデールがルイーゼの酒場で出会った男たちと一線を画するものだった。

 世間から見て冒険者などは食いつめた無法者だという評価が一般的である。

 冒険者にできることは博打と人殺しくらいしいかない。中には、貴族や上級商人の子弟が名を上げるために所属することはあっても、それらはあくまで手慰みだとされていた。

 そもそも女の身でありながらダンジョン攻略の仲間探しを行うことは容易ではなかった。

 金を払って雇うならばいくらでも選択肢はあるのだろうが、メリアンデールにはそこまで潤沢な資金はなかった。せいぜい自分に出来るのは入手した素材でアイテムを作成し、わずかな金に変えることくらいである。

 もっとも女ひとりで低階層を潜るのであれば、手に入る素材もたかが知れているというものだ。力があって、信頼がもて、公正なパートナーを男性に求めるのであれば、金が絡まない以上は男女の関係になるしかないとまで割り切る覚悟すらあった。

 メリアンデールは密かに自分の容姿だけには少しだけ自信があった。現に、幼い頃から男性からはちやほやされて育ったのである。

(同性には嫌われていたけど。なんでだろ?)

 蔵人という男は他とは違って一切自分の気を惹こうという態度が見られなかった。

 もちろん彼も男である。

 露骨に胸や腰の辺りをジロジロと見られたときは、やっぱり、という気持ちもあったが、以外にほかの部分ではサラリとした態度が以外に好感触であった。

「まあ、全部わたしの妄想でしたね。そんなこと。こらーっ! なにをやっているんですかぁ!!」

 蔵人を見つけたのはメリアンデールの寝室だった。男は無断で寝台の上にうつ伏せになって枕に顔を埋めていた。

「ふがふが、おにゃのこの匂いがするですな」

「な、な、な。なにを考えているんですかっ!」

 メリアンデールは顔を真っ赤にさせて口を酸素不足の金魚のようにパクパク開閉させた。

 蔵人が来るまで二日酔いでいぎたなく寝こけていたのである。

 だらしなく脱ぎ捨てられた寝巻きや毛布がそのままになっており、いくらなんでも人さま、特に男性に見られて平気な状態ではなかった。メリアンデールは頬がカッと熱くなるのを感じると、茹だった頭で突っ伏したままの蔵人を引き剥がしに入った。

「は、はなれてーっ。はなれろーっ!」

「んぎぎっ、嫌だぁ。もう眠いからここで寝てくんだぁ」

 はたかれみれば微笑ましいじゃれあいは蔵人が折れることで終結した。

 客間に戻り卓を囲んで向かいあって座る。メリアンデールはまだ顔を赤くしたまま、無言でお茶の用意をしていた。蔵人は頬杖を突きながらまぶたを擦り、あくびを噛み殺していた。少なくとも初めて来た女性の家で行う態度ではない。

 蔵人はまだあたたかい茶を飲みながら焼き菓子を口いっぱいに頬張った。もっと味わってくださいな、とメリアンデールから抗議が入るが素知らぬ顔で頬袋を咀嚼した菓子で膨らませる。子どものような態度に、少女の顔がしょうがいないなといった風にゆるんだ。

「無礼千万ですよ、まったく」

「悪い悪い。なんかいい眠くなっちゃってさあ。そこに、ふかふかのベッドが、あったから、つい」

「つい、じゃない! まったく、クランドの人間性を疑っちゃいますよ。もお」

「だが、そんな蔵人をこころの底から憎めない、惚れた弱みのメリアンデールだった」

「勝手にモノローグ風に足さないでくださいな」

「そうか。じゃあ、いきなりだが本題に入るか」

「と、唐突ですね。まあ、いいですけど。とりあえず、わたしたちの互いの目標は、ダンジョン攻略とその過程で入手できる素材集めです」

「素材集め?」

「わたしたち錬金術師は基本的に単独で行動して、山野で素材と呼ばれる、鉱石、草木、獣類の毛や革や肉など自然物に分類されるものを収集し、アトリエで合成を行い、小売業者に買いとってもらって生計を立てています。簡単な刃物とかなら自分で作っちゃいますよう、本職にはさすがにかないませんけど。なんでも屋さんですね」

「ふうん。そうかい、随分と器用なんだなぁ。集めて、加工し、売る、か。単純でいいけど。んで、どうする。いまからダンジョンに行くかい」

「ええーと、もう夜も遅いですし、お互いだいぶ疲れが溜まってるので、明日の朝からってことにしませんか?」

「ただの飲み疲れか。俺はいつでも行けるんだが、おまえさんに無理させちゃしょうがない。道案内は任せるということで、予習と復習しておくように。んじゃ今日は帰るよ。戸締りはしっかりして身体を休めろよ」

 蔵人が立ち上がりかけると強く袖を引かれた。

「おい……」

「行かないで」

 メリアンデールのかすれたような声に視線を転じた。先程までの快活さは失われ、瞳が不安で曇っている。蔵人が不審に眉をひそめると、戸外から地響きのような轟音が聞こえた。

 ずうん、と腹に響くような音と共に家が揺れている。

「なんだぁ、あの音は!」

 蔵人が叫ぶとメリアンデールは耳を塞いでその場にしゃがみこんでいた。

 とにかく外の様子を確かめなければはじまらない。

 外套をまくりあげて飛び出そうとすると、再び裾を引かれたたらを踏んだ。

 つんのめりそうになった蔵人が目を剥いて振り返る。

 そこには怯え切った目をした少女が小刻みに震えていた。

「いつも、なんです。この時間になると、外で、どんどんって。やだ、行かないで。ひとりにしないで」

「なるほど、そういう部分でも男手が必要だったってわけか。なあ、音の正体を知ってるのか」

「……こわくて、いままで一度も」

「わかった、わかったから。じゃあ、俺が見てきてやるから。な、はなすんだ」

「やだ、ひとりにしないで」

「あー、はいはい。じゃ、一緒に確かめるぞ。いいか」

 蔵人はメリアンデールの細い肩を抱くと窓際にまで移動した。

 さすがに人里離れた郊外である。これだけの轟音を出しても、半径数キロ以内にはひとつの人家もないので苦情も来ないのだろう。

 蔵人がじっと闇に目を凝らすと、そこには四メートルほどの大きな物体が地響きを立てて闊歩する姿があった。

「クレイゴーレム」

 呆然としたメリアンデールが言葉をもらす。

 なるほど、あれは確かに巨人だろう。雲の切れ間から照らし出されたクレイゴーレムは全体がドロドロの粘土で出来た奇っ怪な生命体であった。

 身体からすれば小さすぎる頭部には、目鼻は無く、口と思われる部分にぽっかりとした穴が虚ろに空いていた。

「とんだ、近所迷惑だ。なんだ、この辺にはああいうのがチラホラしてるのか」

「ありえないです。ゴーレムは、人為的に作り出された魔導生命体なんです。わたしがここに越してきてから、三日に一度くらいは」

「家の中には入って来ないのか」

「はい。でも、あの化物がウロウロしてると思うだけで、もお、気が変になりそうで。この街には知りあいもいなくて。ルイーゼさんには心配かけたくないし」

「教会や鳳凰騎士団には相談しなかったのかよ」

「え、え。教会? 騎士団?」

 メリアンデールはまるで自分が責められているようにとったのか、怯えを強くして自分の身体を震わせていた。

「ああ、別におまえを責めてるわけじゃねえよ。人為的な産物なら、あのデカブツを操ってるやつがいるはずだが。なあ、あの怪物に弱点かなんかないのか」

「あ、はい。ゴーレムには動力の核となる魔石があるはずです。たぶん、身体の中心線のどこかに呪印の刻まれたものが露出されてると思いますけど。まさか!?」

「あんなうるせえもんにドカンドカンやられちゃおまえだって安眠妨害だろうが。とりあえずやってみるよ」

「とりあえずって! やめてくださいっ。わたし、そこまでさせられませんっ!」

 悲鳴じみた制止を振り切って蔵人は表に飛び出した。

 ぬるんだ夜気が身体にまとわりついてくる。

 腰の長剣黒獅子を引き抜くと水平に構えた。

 四メートルを超す巨体を前にするとさすがに威圧感があった。

 クレイゴーレムが動くたびに、ぬかるんだ土がどさっと落下する鈍い音がする。

 鼻を突く腐った土独特の臭気が周辺に立ちこめている。

「中々ビッグじゃねえか。よう、泥人形」

 蔵人は剣を構えたまま視線をそらさず、円を描くようにして移動し続ける。

 もちろん巨体の化物に的を絞らせないためだ。

 目のない頭部では視認できるはずもないが、クレイゴーレムは音に反応してその巨体を鈍い動作で揺らし続けている。 

 クレイゴーレムは両手を大きく天に振りかざすと、地獄の底から響き渡るような身の毛もよだつ声を上げた。

 なるほど。この迫力なら、女子供を震え上がらせるにはもってこいだ。

 だから、無性にこんな真似をする野郎には腹が立つ。

「気に入らねえな。とことこん気に入らねえよ。おい。この泥人形を操ってる変態根暗野郎! このデカブツをぶっ壊したら、次はテメエの番だぜ!!」

 月明かりが見守る中、蔵人とクレイゴーレムの戦いがはじまろうとしていた。






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