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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第2章「迷宮都市シルバーヴィラゴ」
53/302

Lv53「尋ね人」





 悪党を小気味よく征伐したあと冒険者組合(ギルド)に向かった。

 蔵人の借りている部屋から大通りにある事務所までは徒歩二十分くらいであり、立地条件としてはまずまずの場所である。

 あいも変わらず物々しい武装で佇立する番兵の前を通り過ぎて受付に向かった。カウンターで生真面目そうに書類に目を通しているネリーの姿が目に入る。ネリーは一瞬入ってきた人物に視線を転じるが、それが蔵人だとわかるとすぐに顔を伏せた。

 ガン無視である。ちょっと切なかった。

「ネリーちゃん、久しぶり! よっ、元気だった! ついでに今日はどんな色のパンツはいてるのかなー」

「……死ね」

「なんだよおっかねえ顔して。さわやかな朝なんだからさ、こうひとつほがらかな顔のひとつでもできないのかね」

「空気、汚れた。私、不快」

「なんだよ、愛想のねぇ女だな。あ、飴ちゃん食べる」

「それはもらう」

 ネリーは蔵人の差し出した飴を口に入れると、瞳の焦点がゆっくりとあってくる。

「低血圧なのか」

「わかってて聞く。人はそれを無道という」

 蔵人に対する視線が、道端の痰を見る目から、石ころにまで変化した。

「石ころ、なにか用ですか。朝はいろいろと業務の段取りで忙しいのですが。普通は私をおもんばかって、冒険者さんたちは声をかけてこないのですよ。恥知らずがっ」

「え、なんでいま怒られたの……」

「気分です」

「お客の相手もおまえの仕事だろうがよ。いきなり、受付放棄かよ」

「お客さまなら、ね。本当、勘弁してもらえないでしょうか」

 ネリーが心底困ったような表情で眉を八の字にして低姿勢に出る。

 だが、そんなことを斟酌するような蔵人ではない!

「やだー。構ってやる。俺が地上に存在して冒険者組合(ギルド)に所属し続ける限り、おまえに構い続けてやるっ」

「こいつ」

 蔵人とネリーがカウンターを挟んで殺気を孕んだ視線を激しくぶつけあう。入口から入ってきたレンジャー職の若い女冒険者は怯えながらまわれ右をして帰っていく。

 一触即発のふたりに水を差したのは、入口の大扉から聞こえてくる多数の人々のどよめきだった。なにごとかと蔵人は顔を上げて声の方向を見た。

「こいつは、まあ。……お久しぶりでございます」

 玄関口からは、多数の職員が額に汗を垂らして巨大な頭部の骨格標本を搬入していた。

「先日討伐された邪竜王と呼ばれた赤竜の標本ですね。ここまでの戦利品(トロフィー)はここ数年なかったのでロビーに飾るそうです。個人的見解からいわせてもらえば、なにかんがえてんだ、と思いますがね。もっとかわいいもの飾れよ、と」

「ほほぉ、もっとスイーツなものを飾れと。ネリーさんは乙女ですね」

「乙女ですよ。万人が認めざるを得ないほど乙女なので用もないのに声をかけるのはやめてくれませんかね。私の処女性が汚れます」

「おまえの中で俺はどんな存在なんだよ」

「私がコップに汲まれた清い水とすれば、あなたは墨汁ですね」

「そこまでいうか。ふん、まあいい。そんな俺に冷たく厳しいネリーさんが、好きよ、抱いてっ、となる機密情報を教えてあげよう。おら、耳をかせ」

「やですよ。私の耳元で淫猥な言葉をささやくつもりでしょう。そういうのはいつも買ってる安い淫売相手にしてください」

「そうじゃねえって。実はな、あの竜。倒したのは俺なんだよ」

 ネリーの顔から表情が失せた。まるで意思のないマネキンのようだ。

 背後で、職員の男たちが台座を運びこむ。よっせこらせ、とかけ声も勇ましく、いまや黄泉路の旅人となったヴリトラの頭部を据えつけている。人々のざわめきの中、蔵人は凍りついた美貌を前にしてうめいた。

「殊勲者は俺なんだよレィディ」

「うん。そうよね、クランドは強い子よ。お姉さんわかってるから、もうそういうこと外でいいふらしちゃダメよ」

「なんだよ、そのやさしさは! ああああっ、だれもわかってくれねえ!」

 蔵人が頭をバリバリかきむしると、ネリーの瞳に慈愛の色が濃く浮かんでくる。

 こいつ、まるっきり信じていねえ。

「もおいい。世間なんてものはどいつもこいつも目の見えねえやつばっかだからな」

「うんうん、そおでちゅねー。クランドちゃんのお目目は現実が見えないもんねー」

「人を白痴あつかいすんじゃねえ」

「大体ですねえ、件の邪竜王を倒したのは“黄金の狼”のアルテミシアですよ。もっとも、彼女はクランを抜けてしまったらしいですが」

「抜けた、いつ!?」

「えーと、確かさきおとといだったはずですよ。クランのリーダーであるバインリヒ卿が真っ青な顔で事務局にねじこんできましたから。彼女は姿を完全に消してしまったそうです。残念ですねえ。いまや聖女やなんやらで縁談も山のように飛びこんできてるらしいですけど」

「まったく、世間の連中も図々しいやつばっかりだなぁ。いままで鼻もひっかけなかったくせに」

「クランドも世間の人々から少しは注目されるようにがんばってくださいね」

「だーかーらー、あれは俺が! もお、いいよ。どうせ、俺は誰からも相手にされない人間だよ。クズっこだよ。居てもいなくてもいい人間なんだ」

「そんなことはありません、いきなり消えたら気になるじゃないですか!」

「本当? 具体的には?」

「ほら、いつも見てる壁のシミとか、いきなりなくなったら気になるじゃないですか」

「おいいいいいっ! 俺の価値ってそんなもんなの、おまえの中ではっ!?」

「結構なものですよ。ホラ、私って寮から通勤してるじゃないですか」

「知らねえよ、そんなん」

「それで、ここの事務所まで徒歩十分くらいなんですよ。途中、商工会議所の塀をつたって真っ直ぐ来るんですが、曲がり角で必然的に目の前の板塀が視界に入るんですけど、そこの茶色のシミがいつもいつも気になって気になって。……まあ、三秒後には忘れるんですけど」

「忘れんのかよっ! 俺のことは忘れないでねっ。じゃなくて、今日はちゃんとした用事で来たんだって。あのよお、知ってるかもしれねえがここんところダンジョン攻略に行き詰まっててな。それで」

「ここんところもなにも、潜ったのは一度きりじゃないですか。しかも、大口叩いておいて、速攻退却。どんだけ安全マージンとってるのって話です。傷つくのがこわくて冒険者などできるかっ! 死ねっ!」

「まあ、そおなんだけどさ。でも、最後のは部分は俺の素行とは関係ないよね」

「真実の吐露です」

「どんだけ、俺を殺したいの? でさ、やっぱソロ活動するのも限界を感じてたんで、その誰か手頃な冒険者を紹介してくんないかな。こちらの希望としては、ダンジョンに詳しい女性で、地図が読めて、知性的で、俺の冒険を的確にサポートしてくれて、どんなときも感情的にならずに俺の女遊びにも寛容でおっぱいが大きくて昼間は清楚系だけど夜のベッドの上では奔放かつ蠱惑的で、年齢は十代後半くらいで美人であらゆることに気がついて、ケツがでっかくて締りがよくて、無条件でおこづかいをくれて、おっぱいが大きい箱の中で純粋培養した感じの聖女のようなコ」

「神聖な受付で妄想を垂れ流すのはやめてくれませんか」

「無理かな、やっぱ」

「世界中を探し歩いていればひとりくらいはいるかもしれませんね」

「マジか!」

「まあ、そんあ都合のいい女はどこかの誰かがとっくに確保しているでしょうけど」

「ちきしょおおおっ、俺のパートナーを奪ったやつは誰だぁあああっ!」

「妄想のライバルに血涙をこぼさないでくださいよ」

「これは心の汗さ」

「そこまで熱望するならルイーゼの酒場ってところにいってみたらどうですか? なんでもそこにはパーティーを組む相手を探すソロ冒険者がいつもたむろしているそうですよ」

「ルイーゼの酒場? おいいいっ、なんでそんな便利なものあるのを教えてくれなかったんだよぉ。いま知った!」

「いま、教えた」

「よおおし、こいつは忙しくなって来やがったぜ!」

 蔵人は額をぺちっと自分の手のひらで叩くと、ネリーに礼を述べて疾風のように駆け去っていった。

 オラオラと玄関口の冒険者を突き飛ばして去っていく蔵人の背中は瞬く間に消え去ってからネリーは、ぼそっとつぶやきをもらした。

「あ、そういえば、飲み屋の女性が毎日クランドのこと探しに来てたって伝えるの忘れちゃった」






 ギィギィと脳をかきむしるような不快な音でレイシーは目を覚ました。

 ロムレス蝉は日本固有のものとは違い、基本人の気配を嫌って街中には近づかないのだが、なんの因果か今朝はどこからか迷いこんだ一匹が軒下にへばりついて鳴いている。

 ひたすら不愉快だ。

 喉がカラカラだ。レイシーは寝台から身を起こすと、酔いの残ってガンガン痛みのする頭をそっと手でおさえた。ほつれた砂色の髪(サンディブロンド)がばさりと前に流れる。

「もお、最悪」

 蔵人が姿を消してからというもの、レイシーは昼間は捜索、夜は銀馬車亭の営業と二重生活を続けていた。

 着替えもしないまま洗面所に向かうとくみ置きの生ぬるい水で顔を洗う。鏡面に映った女の顔はひどくやつれて、まるで知らない人間を見ているようだった。

「ひどい顔」

 レイシーは鏡に映った自分を見つめながら、不意に強い吐き気を覚えた。洗面台に手をついて、えずく。吐きだした液体は薄黄色の胃液がわずかに台を濡らしただけだった。

 昨日も丸一日固形物を摂っていなかった。レイシーはさびしさのあまり自分に禁じていた店での飲酒を簡単に破った。歌っているときと酔っているときだけはすべてを忘れることができるのだった。

 だが、朝になり酔いが覚めれば避けようのない現実が押し寄せてくる。

 ひとりぼっちであるという、極めつけの悪夢だった。

「う、うぐっ」

 レイシーはその場に膝まづくと、ぼろぼろと涙をこぼした。

 いない、クランドがいなくなってしまった。

 愛をかわした朝、冒険者組合(ギルド)へ登録に行くと店を出て以来、まるで最初からそんな人物など居なかったようにクランドの存在はかき消えてしまったのだ。

 女房気取りでべたべた世話を焼いたのが気に入らなかったのだろうか。

 それとも自分の身体になにかおかしなところがあったのだろうか。

 他に好きな女でもできてどこか遠くへ行ってしまったのだろうか。

 それとももしや、クランドの身になにかあったのだろうか。

「あああああっ、やだっ、やだっ、やだようぅう!!」

 他に女が出来たのであれば、どんな手を使っても取り戻す自身も覚悟もある。

 だが、万が一の場合であったら自分はこの先どうすればいいのだろうか。

 レイシーは、物音ひとつしない廊下に目をやって、自分の肩を両手で抱きしめた。

 父はもういない。そして、自分のそばにいてくれるといった男の姿も。

 夏だというのに、ひどく寒い。

 ここには誰もいない。

 まるで墓場のようだ。

 銀馬車亭に来る客はレイシーから男の影が消えたことを悟ったのか、あの手この手でモーションをかけてくる。

 いなくなったことが慶事のように接する男たちの世辞も煩わしかったが、理由もなしに店を閉めることはできなかった。

 ヒルダも独自に探していてはくれているらしいが、特に連絡はなかった。

 レイシーは、ふらつく膝で無理やり立ち上がると、自室に戻り身支度を整えて冒険者組合(ギルド)の事務所に向かった。他に探しようもない。

 日差しのギラついた夏の朝はきらめく光の渦に立っているようだった。

 日よけのヴェールが汗で額に張りつく。顔色と目元の隈を隠すために濃い目に造った化粧がわずかに乱れた。どうでもよかった。

 考えてみれば、レイシーは蔵人のことを名前と身体以外ほとんど知らなかった。

 いや、知らないフリをしていた。外套の裏地にあった縫い取りの存在。

 彼には妻がいたのだ。そして、自然と帰るべき場所に帰っていったのだ。

「くううぅ」

 知らず、嫉妬の声がもれた。道行く人々がぎょっとした顔でレイシーを見つめ、示しあわせたかのように距離をとる。それも、どうでもいい。

 レイシーは顔も知らぬ蔵人の妻に激しく嫉妬していた。

 いや、姿かたちすら知っていれば、少なくともここは自分が勝った、ここは自分が負けたと、なにかしらの基準を作って自分を慰めることが出来たかもしれない。

 だが、顔すら知らない概念上の相手は、レイシーの中でどんどん膨れ上がって、形のないまま嫉妬心だけを強烈にかき立てたのだ。

 レイシーが懊悩している間に、自然と彼女の足は事務所へと到達した。

 入口の番兵がジロジロと下卑た目つきで自分を見ているのがわかった。

「ふん。下品な化粧で悪かったわね」

 どうせ、あたしのことを淫売かなにかと勘違いしているんでしょう。

 お生憎。 

 あたしは死んでもクランド以外の男に身を任せたりはしないんですからねっ。

 レイシーは、番兵をにらみつけると、やけに金のかかった絨毯をわざとわしゃわしゃ踏みつけながら受付に向かった。最初こそ、この垢抜けた造りの建物に怯えもしたが、連日連夜、幾度も足を運ぶうちに慣れた。

 受付に座っている妙に洗練された女も気に入らなかった。

 彼女はネリーといって、美しい黒髪と冷えた目をした都会的な美人だった。

(どうせ、あたしは野暮ったい街娘ですよーっだ!)

 彼女にはなんの罪もない。

 それどころか、日に何度も足を運ぶ自分がほとんどいいがかりじみた用件のみを伝えても、嫌な顔ひとつせず話を聞いてくれている。

 おそらく、彼女は蔵人が冒険者登録のために来たときも懇切丁寧に対応してくれたのであろう。美しくやさしい女性にあの蔵人が鼻の下を伸ばさないはずはない。

 彼女の親切心も無性に気に障った。ネリーはレイシーが受付に近づく前に気づくと如才なく頭を下げた。

「あ、銀馬車亭の女将さんですね。すいません、本日は騒がしくて。なんでも、ロビーに討伐した竜の骨格標本を飾るそうですよ」

「そんなの興味ないです」

 ひとりでに返す言葉がキツくなった。ネリーは怒った様子もなく、困ったように微笑むと余計な話題を述べたことを詫びた。

 ひどく行き届いたやわらかな物腰だ。

 レイシーは、少し自分が恥ずかしくなった。

「あの、昨日の今日で申し訳ないんですけど。クランドは、ここに顔を見せましたか」

「え、ああ。彼ですか。彼なら、一時間くらい前におみえになりましたよ」

「え」

 レイシーの頭の中が、瞬間的に空白で塗りつぶされた。

「ほ、ほほほ本当ですか! あ、あのっ、彼の様子はどうでしたかっ! 元気でしたか!」

「え、ええ。すこぶるお元気でしたよ。私としばらく雑談してお帰りになられましたが」

「げんき、そお。元気なんだ、彼。よかったぁ」

 レイシーは安堵と同時にほっとため息をついた。

 蔵人は妻の元に帰ってない。この街にいる。今日中にも彼の顔が見られるのだ。

「ええ、元気でしたよ。殺しても死なないくらい元気でした」

 その能天気な言葉を聞いて、やり場のない怒りがレイシーの理性を簡単に放棄させた。

 殺しても死なない?

 あたしがどれだけ彼のことを心配したかわかってるの!

 なんにもクランドのこと知らないのに!

 なんで、たかが受付が会えて、こんなにも会いたいあたしが会えないの!

 許せない、許せない、許せない。

「なんで引き留めておいてくれなかったのよ! あたしが、毎日探しに来てるの知ってたでしょう!! なんで、ねぇ、なんでえ!?」

 レイシーは拳をかためてカウンターをどんと、叩いた。じんじんと激しいしびれが全身に伝わる。ネリーの端正な顔が奇妙に歪むのがわかった。自分がむちゃくちゃな道理を押しつけていることがわかっているのに止めることができない。

「なんでよぉおおっ!! もおおっ!!」

「レイシーさん、あの落ち着いて!!」

「落ち着けるわけないでしょう!」

 レイシーは自分の言葉で激しながら、なおも声を張り上げた。毎晩、銀馬車亭で歌って鍛えた喉だ。並みの男の怒声などゆうにかき消す声量だ。周りの職員や、暇を持てあまして竜の標本骨格を眺めていた冒険者たちがカウンターを遠巻きにしている。

「うぅううっ、なんでぇ、ねえなんでぇ……」

「ちょっと!」

 再びポロポロと涙が流れ、頬を熱いものがつたった。狼狽したネリーの手が自分の腕をおさえた。

 レイシーはネリーに連れられて事務室へ移動した。それからソファに横になった瞬間意識を失ったのだった。泥のような眠りの中で蔵人のたくましい腕に抱かれながら見る夢は、途方もなく甘美で切なかった。

「過労だ」

 冒険者組合(ギルド)の専属医師であるノーマッドは倒れこんだレイシーを見ると即座に断定し栄養剤を置いて立ち上がった。すいすいと歩いて扉の前に立つと、静止した。なにか気になるものがあったらしい。

 ノーマッドは入口のそばに飾ってある青磁の壷を指先でなでると、突如として拳を叩きこんだ。

 中々腰の入った一撃だった。

 ツボは硬い音を立てて砕けると破片がバラバラと周囲に舞った。

「趣味の悪いツボだ。あのハゲに買い換えろといっておけ」

「誰が掃除すると思っているのですか」

 ノーマッドはけけけと笑うとネリーを持っていた杖の先で示した。

「それと、死にかけ以外を俺に見せるんじゃねえ。殺したくなるだろうが」

 去り際、つば広帽子と奇妙な嘴の仮面をつけた異形の医師はつまらなそうに吐き捨てた。

「変態鳥ジジィ」

 ネリーはそういうと、くてっと倒れこんだレイシーに視線を転じた。疲れきった彼女は童女のように安らかな顔でこんこんと深い眠りに落ちていた。

 すべてクランドの責任である。目の前の少女は、わざと濃い目の化粧をして蓮っ葉に装っているが、驚くほど目を引く美少女であった。

 これほどの美女とあのロクデナシが金銭以外で繋がりをもてるはずもない。

 大方、飲み屋のツケを溜めまくった蔵人に対してキレたのだろう。

「まったく、あの男はどうしようもないですね。課長」

「困るよ、ネリー君」

 ネリーの上司にあたるゴールドマンという、事実上事務方の責任者になる中年男は額からダラダラ滝のように流れる汗を拭き拭きそういった。禿げ上がった金柑のような頭が神々しい。ネリーはまぶしいんだよおまえ、と心の中で毒づく。

「ほら、今朝もミーティングがあっただろう。ここのギルマス、アンドリュー伯の一番上のビクトリアお嬢さまが抜き打ちで視察に来るって話聞いてたでしょう。たまたま、今日はお見えにならなかったけどさ、困るんだよなあ、こういうゴタゴタ起こされんのさぁ」

「え、なんですか、それ。私は普通に業務を行っていただけですよ。心外な」

「と、とととともかくさあ、そこの飲み屋のお姉さん、あのクランドっていう冒険者の関係者なんだろう? いまの大事な時期にゴタゴタは困るんだよう。ほら、ただでさえ事務方は肩身が狭いっていうのに。これ以上評価を下げられるとさあぁ。私の立場ってもんも考えて行動してもらわなきゃ困るよぉ。頼むよぉ、ネリーくぅんん!」

 ゴールドマンは、すべてを現場のネリーの責任にして愚痴りまくるとその場を去っていった。

 人間としての重みがまるでない。

「死んじゃえ、ばーか」

 ネリーは、眠りこけたレイシーの髪のほつれをそっと手櫛で直してあげると、蔵人に対する復讐心を沸々とたぎらせるのだった。







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