表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第2章「迷宮都市シルバーヴィラゴ」
51/302

Lv51「決戦奴隷市」



 

 奴隷市の会場はむせかえるような熱気につつまれていた。

 シルバーヴィラゴの最南端のとある会場には、今日という日を待ち望んだ五千余の男たちが集結していた。

 汗水垂らして乏しい銅貨をかき集めた日雇い労働者や冒険者、商売の買いつけのために近隣の店から派遣された奴隷仲買人、娼館の女衒、小金持ちの商店主、下男下女として労働用に大量購入を命じられた貴族の執事、果ては身分を隠して自ら買い付けに来たやんごとなき身分の紳士などが、目を血走らせて場内中央部の壇上に上がる商品へと視線を凝らしていた。

 いかにも力仕事に向きそうな亜人の男たちが並べられると途端に競りがはじまった。

 工人ギルドの一派が安価で使い勝手のいい労働力を求めて片っ端から競り落としていく。

 あらかじめに自分たちで談合が済んでいたのか、たいした問題もなく最初の競りは終了した。

 値を付けられた亜人たちが控えの部屋に連れていかれると、それぞれ身体の一部に購入主のギルドマークや家紋が焼印で印されて粛々と引き渡されていった。

「おい、次だぜ次」

「俺ァこの日のために賭け事も酒も控えてきたんだっ! 絶対掘り出し物を落としてみせるからなっ!」

「オイラだって今日という日を待ち望んでたんだっ! 早くしてくれよう!」

 ざわめきは、徐々に大きくなり、異様な熱波は会場に伝播していく。

 彼らがもっとも欲していたのはやはり、若く美しい女奴隷であった。

 この日のために全身を磨き上げられた女たちは、布切れ一枚まとわぬ姿で壇上に引き出されると、その首に番号札を下げながら一列に並ばされた。

 灯火に照らし出された雪のように白い肌、大きく張り出した胸、ツンと突き出した一点のシミもない尻を目にした途端、男たちはなにかの約束事をかわしていたかのように、シンと静まりかえった。

 司会進行の奴隷組合の委員が、女奴隷の年齢と名前、簡単な経歴を紹介していく。

 女たちは、調教された通りに少しでも良い買い手がつくよう願って媚びた笑みを精一杯浮かべていた。

 司会は全員の紹介を終えると、それぞれの商品に傷や性病がないかどうかを証明させるため一人づつ淫靡な格好をさせた。女奴隷は壇上から突き出したもっとも客の目の行き届くシマと呼ばれる部分に移動すると、自ら放恣かつ淫らな姿勢を取ってみせた。

 すべての儀式が済むと司会の男がひとりづつ競りを開始するため、オークション・ハンマーを木の台座に打ち付ける。

 瞬時に会場は怒号の坩堝と化した。

 開始価格を告げた瞬間、男たちは自分の金の許す限りで狂ったように値を釣り上げていく。

 シルバーヴィラゴの大奴隷市は王国一の高品質を保っている。

 すなわち、かなり安価でも若く美しい女奴隷を購入できるのである。

 この年一回夏の終わりに行なわれるオークションを狙って各地からそれ自体を見物に来る客もおり、これに商品を出せば必ずすべてはけた。

 一個の人間を銭で贖うという背徳的な行為に人々は狂奔し、持てる限りの財産をぶちこんで女奴隷を買い漁る。若くて美しい奴隷は、古女房のように口うるさい意見をいわずに、ただただ主には誠心誠意尽くした。

 彼女たちのほとんどは僻地の農村で買い集められたものが占めており、例え奴隷の身分であれ大都市近郊の人間に買われれば一生食いっぱぐれがないことを知っていた。それほど、この世界における農村の貧しさは極まっていた。

 とにかく食えないのである。

 農家の娘は農家に嫁ぐ。

 だが、そこにあるのは都市部の人間には考えられないほど、甘さなど微塵もない生活だった。農家は基本的に十人を超す大家族があたりまえで、嫁いだ日から牛馬のごとくその家で扱われた。

 朝、日の出前から起きだして労働を行い、夜は日が沈むと同時にあばら家同然の場所に戻って、常に姑や小姑に見張られながら生活を行った。

 部屋割りなどない農家では夫婦の営みですら家畜並みの単純さだった。

 とある王都の騎士が野良仕事に励む老婆に声をかけて年を聞くと、彼女の年齢はたった十六だったという笑えない逸話も残っている。日々の過酷な労働と、休みなく続く畑仕事で太陽の光に焼かれ続け、十六の娘ざかりの年でもそれだけのシワとシミ焼けが顔にまで刻みこまれたのである。

 この奴隷市で、小商いを行う中年男性に買われた女奴隷は、その日の内にサラの着替えを渡され、至極一般的な食事を三度三度与えられたときに、自分はおとぎ話に出てくるお姫さまになった気がしたという感想を家人に漏らしたという話がある。

 残飯以下の、しかもそれですら腹に入らないことがあった農村の生活に比べれば、都市部の女奴隷の生活は天国に近かった。

 こうなれば、女奴隷の方も主に心底尽くそうとするし、そうなれば主はますます女奴隷をかわいがる。こういう天国の生活を味わった女奴隷は故郷の妹をすべて呼び集め、都合姉妹六人の女奴隷を飼うハメになった主も居た。

 一方、性的倒錯によって安易に女奴隷を虐待し、自分の異常性癖を満足させる男たちも多々存在した。購入先によっては、天国にも地獄にも変わる奴隷市において常に売られる側の人間の幸福は貨幣によって握られていたのだった。

 数千人を収容するメイン会場から離れた地下の特別室には、三十人ほどが入れる小部屋が存在した。この部屋は、大会場のように誰でも入れる場所ではなく、一部の顧客や奴隷商会組合の口利きがなければ入場できない、極めて特別な貴賓用のものである。

 小部屋にしつらえた豪奢な椅子に座る男たちは、それぞれが風格のある上流階級の人々で占められていた。ここは、シャイロックが手塩にかけた高級奴隷を競りにかける特別室であった。

 ほぼ年配の紳士たちで占められる一角に、その少年の姿はあった。

 やわらかな金の巻き毛と貴公子然とした風貌。その灰色の目は、異様な熱気を孕んだまま、オークションがはじまるのをじっと待ち続けていた。

 ハイダル・バーナーである。

 一方、オークションの控え室では戦狼族(ウェアウルフ)の亜人で、冷たい美貌をたたえた少女ポルディナが売主であるシャイロックと番頭のアントンに囲まれて微動だにせず椅子に腰掛けていた。

 宙を見つめる瞳は虚ろだった。

 冷たく引き締まった美貌はあらゆるものを寄せ付けないように凍りついていた。

 感情が完全に死んでいる。

 近寄って声をかけてもほとんど表情は動かない。

 主のシャイロックが声をかければ返答はするが、その声は鉄のように無機質だった。

「それにしても、ブラッドリー卿の到着が遅いのが気になる」

 シャイロックはポルディナがハイダル・バーナーという性的倒錯者の手に落ちないように可能なまでに配慮したが、領主の一族として権利をゴリ押しする彼を完全に排除することはできなかった。

 窮余の一策として、知人である貴族のブラッドリー卿にポルディナの落札を頼むことにより彼女の身の安全を確保することにしたのだが、予定の時間になってもいまだ到着しないことが不自然だった。

「よもや、なにか不慮の事故にでも。あるいは……」

 シャイロック商会の番頭であるアントンが、ハイダルの凶行を案じた。即座にシャイロックは言を重ねて否定する。

「いくらなんでもありえない。ブラッドリー侯爵は王族にあたる。よもや、ハイダルがそこまで血迷うはずもなかろうて」

「けれども会頭。そうなると、おそらく競りはハイダル坊主の一人勝ちになってしまいますよ。今日の顔ぶれを見れば、位は高くてもほとんどが冷や飯食いか金がなくて暇を持て余したご隠居ばかりですよ」

 ポルディナは、シャイロックとアントンの会話を聞きながら、ぼんやりとひとりの男を思っていた。

(やっぱり、来なかった……)

 自分はどこかであの男に期待していたのだ。

 それはありえない希望だった。

(私は甘ったれている……)

 もはや定まった運命を変えることはできない。そんなことは起こらないと知っているのに、いまだ小娘の思い描くような感情に縛られ続けている。

 あの男はやさしい人間かもしれぬが到底自分を買い上げる金を作り出すことはできないだろう。奴隷である自分に謝ったり、慰めようと小舟を編んで川に浮かべてみたりと不思議な男だった。

(いい夢だった)

 あの男は美しいシスターといい仲らしい。あの雨の日に付き従って献身的に介護していた彼女は品格や物腰といい、上流階級の産だろう。無理をして大金を作らなくても、すぐそばに男を想う女性がいる。かわいそうだと同情しても、それだけのために人は命を掛けることなどできない。

 知っていたはずなのに、未練がましく引きずっている。

 それでもポルディナは、あの自分を慰めようとしてくれた男が、他の誰かに寄り添って歩く光景を想像すると、胸が強く軋んだ。

「……これ以上は遅らせることはできぬ。ブラッドリー卿が時間内に間に合うよう祈るしかない」

「もし間に合わないってなると、あの若造もとんだ死に損――」

 気づけばポルディナは椅子から立ち上がっていた。目の前のアントン。しまったという苦虫を噛み潰した表情で固まっている。

 自然と耳が激しく蠢いた。

 目の前の男はいま、なんといったのだろう。

 聞き捨てならないことを、あってはならないことを聞いたような気がする。

 シャイロックに視線を向けると、深いシワの刻まれた顔が奇妙に歪んだ。胸が急速激しく、強く打ち鳴らされている。

「いま、なんと、なんとおっしゃいました」

 アントンが目を背けた。ポルディナは詰め寄るようにシャイロックに歩み寄ると、彼の瞳をジッと見つめた。口ひげがわずかに震えるのが見えた。

「隠しても仕方がない。こんなことは知っても意味がないような気がする。それでも、聞きたいか」

「私は、それを、知らなければなりません」

「そうか。ならばはっきりいおう。クランドさんはおまえを買い取るために金を作ろうとして、無理なクエストに挑んだ」

 嘘だ。

「相手は邪竜王ヴリトラ。結果は――」

 嘘であってほしい。

「敗れたそうだ」

 そんなのは、嘘でなければ、あまりにも救いがなさすぎる。

 ポルディナはそのあと、自分がどのように立ち上がってオークションの壇上にたどり着いたのか記憶になかった。

 会場の男たちは、ポルディナの憂いを帯びた瞳とその優れた容姿を目にした途端、俄然に色めき立った。

「なんという、美しい亜人の少女だ」

「これが、シャイロック商会の隠し球かね」

「いやいや、私も年甲斐もなく興奮してきましたよ」

「これは冷やかしを決め込んでいる場合じゃありませんねえ」

 競りの対象はポルディナひとりである。司会進行の男が開始入札金額の百万(ポンドル)を厳かに告げると、限定オークションは開始された。

「百十万!」

「百二十万!」

「百三十五万!」

「百四十!」

「百四十一万!」

「百五十万!」

「百五十一万!」

 三十人の男が次々と声を枯らして落札価格を釣り上げていく。

 だが、予想を反したことにハイダルは席に深く背を沈みこませたまま、目をつむっている。会場の熱気はとびかう声が高まるにつれ異様な殺気を帯びていった。

「百六十万!」

「百六十五万!」

「百六十六万!!」

「百七十万!」

「百八十万!」

「百八十一万!」

「二百万!」

「二百一万!!」

「誰だよ、さっきっから一万ずつセコイ上乗せしてるヤツは!」

「わたしです」

「わたしです、じゃねーボケがっ! 貧乏人はすっこんでろ!」

「てめーこそくだらねーことに銭使ってんじゃねえ!!」

「やんのか、あああン!?」

「そこの方々ご静粛に。強制退場させますよ」

 ポルディナの豊満な身体の魅力に取り憑かれた男たちは、舌打ちをしながらそれぞれの席に戻った。再びオークションがはじまると、ハイダルが動いた。

「三百万」

「さ、さんびゃく……三百十万!」

「三百二十万!」

「三百二十一万!」

「三百三十万!」

「三百四十万!」

「四百万」

 ハイダルが四百万(ポンドル)を告げると、辺りがざわめきだした。

 四百万(ポンドル)とは日本円で約四千万円ほどである。

 到底、一介の奴隷に払う金額ではなかった。

 また、希少価値の高い戦狼族(ウェアウルフ)とはいえ、獣人である。  

 これは充分に異常な額だといえた。

「おい、さすがにもう、これ以上はないだろ」

「ああ。あの若い貴族がハイダル・バーナー卿か」

「ご領主の一族か。彼と無理に張りあってもなあ。あとが怖いぜ」

 会場に一種、弛緩した空気が流れた。こうなると競りが盛り上がらなくなるのは当然である。ハイダルは、灰色がかった瞳をポルディナに向けると頬を紅潮させた。

「ああ、愛しのポルディナ。もうすぐ、君は僕のものになるよ」

「四百万、四百万です! ありませんか! なければ――」

「四百一万!」

 司会の男が木台にオークション・ハンマーを打ち下ろそうとしたときを見計らって先ほどの一万男がみみっちく競り上げた。

 一万男はよほどポルディナに未練が残るのか、必死の形相でハイダルをにらんでいた。ハイダルは一万男の呪詛を孕んだ視線を軽く受け流すと、よく通る声で価格を競り上げる。

「四百十万」

「四百十一万!」

「四百二十万」

「四百二十一万!」

「四百五十万!」

「四百五十一万!!」

「四百六十万!」

 一万男は顔全体にびっしり汗をかくと、不健康に突き出た腹をさすりながら、ふうふうと荒い息をついた。

「バーナー卿、四百六十万(ポンドル)! もう、ありませんか!!」

 一万男は、ぶひぃと鳴くと、視線を辺りにさまよわせて顔を伏せた。ハイダルの顔に勝利の微笑みがくっきり浮かぶ。勝敗は決したかに見えた。

「四百七十万!!」

 荒々しい声が扉の開く轟音と共に、室内を木霊した。

 ポルディナは入ってきた人物に視線を転じると、椅子を蹴るようにして立ち上がった。

 ひくっ、と喉が痙攣して口から言葉が出ない。

 男の姿はまるでボロ雑巾を煮染めたような姿だった。上半身を覆っている外套はあちこちが焼け焦げて炭化している。空いた穴の裂け目から、どれだけの激闘を行っていたのかがうかがい知れた。右顔面は薄汚れた包帯が乱雑に巻かれている。傷口が治りきっていないのか、じくじくした赤茶けた体液が染み出し目を覆いたくなるほど凄絶だった。右足を動かすたびにびっこを引いている。重たげな革袋をしょっており、一歩進むごとにじゃりじゃりと貨幣が擦れ合う音が聞こえた。

「四百七十万。どうしたんだ、まさか俺の声が聞こえないわけじゃないだろうな」

 突然の侵入者に会場が騒然となった。無理もない。男の姿は、街をうろつく浮浪者よりもひどいものだった。

「なんだ、あの男は。来る場所を間違えているのがわからないのか」

「ひどい格好だ。それにあの傷。癈兵院だってあんなキズモノは中々見受けられないぞ」

「警備の者はなにをしてるんだ」

「大方、安い一般会場から迷いこんだのでしょうな。ときどきこういう手合いがおりましてね」

 口々に場違いを罵る声が沸き起こる。

 狼狽した司会の男が、組合の重鎮であるシャイロックを困ったように見つめた。

「構いません。続けなさい」

「え、でも――」

「この私が続けなさいといったのです」

 シャイロックが毅然たる口調で述べると、司会の男は背筋を伸ばして声を張り上げる。

 ハイダルが強く舌打ちをした。

「えー、それでは飛び入りの参加者からです。四百七十万です!」

「くっ、四百八十万!」

「四百九十」

 ハイダルはいらただしげに競り上げると、男は感情を交えずその上をいった。

「四百九十五」

「五百万だあああああっ!!」

 大台の五百万。

 くしくもシャイロックが予定した金額にいとも到達した。もはや周りの人々は、このオークションがどこで決着するかに強い興味を覚え、息を殺して謎の男とバーナー卿の一騎打ちを見守り続けた。

「五百十」

「五百二十!」

「五百三十」

「五百四十ぅううううっ!!」

「五百五十」

 ハイダルの表情からは、おっとりとした雰囲気は掻き消えて剥き出しの感情が飛び出していた。目をカッと見開いて、薄いくちびるをわなわなと震わせている。

「若様、落ち着いて」

「うるさあぁいっ! なんなんだあ、いきなり出てきてなんなんだよおっ! 僕はいままで欲しいものはなんでも手に入れてきたんだぁああっ! ポルディナは僕のものにするんだあああっ! 僕の玩具に横から手を出すんじゃなああいっ!! 六百万(ポンドル)だああっ! どうだああああっ! まいったああ、といえよおおおおっ!!」

 ハイダルの狂ったような雄叫びが響き渡った。男は頭をボリボリかくと押し黙った。

 その身振りを負けを認めたと見たのか、司会の男がオークション・ハンマーを振りおろそうと高々と頭上に掲げた。髪を乱して肩で荒く息をつくハイダルの口から、ひひひ、と下卑た声が漏れた。

「待った」

 男は司会のハンマーを制すと、つかつかと壇上に歩み寄ると革袋のひもをしゅるりと解いてつぶやいた。

「一千万」

「は?」

 司会の男はその言葉を頭の中で噛み砕くのにいくらかの時間を要した。それから、その言葉の意味を悟ると呆れ返ったように顔面を引きつらせてもう一度訊ねた。

「あの、一千万って」

「ロムレス王国通貨で一千万(ポンドル)。まとめてこの場で、払ってやらあっ!!」

 男が革袋の中身を逆さにすると、まばゆく光る金貨がざぁっと流れ出た。

 司会の男はのけぞって目を見開くと、そこは商売人、素早く落ちた金貨を拾い集めて十枚ずつ積み上げた。

「まさしくこれは、十万(ポンドル)金貨で一二六枚。しめて千二百六十万(ポンドル)あります。でも、こんな大金どうして」

「いやぁ、マジで売れるもんだな、逆さウロコってもんは。しかしドナテルロのオヤジもポンと即金で払うからにゃ、それ以上の価値があるってことだ」

 司会の男は、男のつぶやきを怪訝そうに見ていたがやがて気を取り直すと、再び元の立ち位置に戻って周囲をぐるりと見渡した。

「一千万(ポンドル)出ました。もうありませんか? ――それでは、落札者。えーと、お名前を頂戴してよろしいですか」

「クランドだ」

「それでは、戦狼族(ウェアウルフ)の女奴隷ポルディナは一千万(ポンドル)でクランドさまが落札しました!!」

 司会の男がオークション・ハンマーを力強く木台に打ち付けると、軽やかな勝利の音が鳴り響いた。この鮮やかな逆転劇に、室内の貴族たちもその痛快さにわだかまりを忘れ、大きな歓声を上げて沸き立った。

「ぞ、ぞんな、ぼ、僕が。この僕が敗れる? ありえないよ、こんなの」

 ハイダルは両膝を床について幽鬼のような表情で打ちひしがれた。蔵人は敗者の横を足を引きずって通り抜け、呆然とした顔つきで突っ立っているポルディナの前へ進み出た。

「超カッコイイ救世主」

「え」

「大どんでん返し」

「あ……!!」

 ポルディナの瞳が蔵人の視線と交錯した。彼女は、くしゃりと泣き笑いのような顔になると頭上の耳をうしろに寝かせて感極まった表情で全身を震わせた。

 大粒の涙が盛り上がってくる。

 蔵人は指先で彼女の目元を拭ってやると、長く力強い両手を伸ばしてぐいと抱き寄せた。

 ポルディナの身体は大きな蔵人の胸にすっぽり収まるとそうするのが当たり前のように彼女も腕をまわしてきた。

 ポルディナがそっと目を伏せて細い顎を持ち上げる。

 蔵人は彼女のくちびるにそっと自分のものを重ねてついばむようにキスをした。流れ出た彼女のあたたかい涙が頬にふれた。

「惚れますね、これは」

 熱っぽい瞳でポルディナがつぶやいた瞬間、怒声が走った。

「ちきしょおおおっ!!」

 抱き合ったままのふたりに向かって剣を抜いたハイダルが飛びこんできた。蔵人はポルディナを横抱きにしたままハイダルの腰を蹴りつけると、後方に飛びすさった。周囲の人々が突然の凶行に怯えて悲鳴を上げると、出口の扉を破壊しながら一体の巨人が姿をあらわした。

 サイクロプスのギーグである。

 ギーグは抱きかかえていた男を部屋の中央部に放り投げると、興奮しきった様子で咆吼した。

 中央に投げ出された品格のある老紳士は首を奇妙に捻じ曲げながらすでに絶命していた。

「ブラッドリー卿!! バーナー卿、貴方正気ですか! いくら貴方がアンドリュー伯の一族であるとしても王族をあやめれば死罪はまぬがれませんぞ!!」

 シャイロックが怒りを露わにして怒鳴ると、ハイダルは抜き身の剣を肩に担ぎ、もはや狂人そのものの地金を見せていい放った。

「うるさいなあぁ、シャイロック! おまえが、このジジイをわざわざ呼び寄せて僕の邪魔をするってことは知っていたんだ。だっから、わざわざ手下を放って形式だけでも僕が競り落とすようにして穏便にことを進めようとしたのに、恥をかかせやがって。もおいい。このまま、ポルディナはもらっていくよ。いいよね。反論は認めない。僕は名門アンドリュー伯の一族で、とうとぉい血筋の人間なんだから、なにやっても許されるんだよ」

「そんな馬鹿なことが本当にできるとでも」

「できるさ。たださあ、このことを知ってる人間がいると困るんだよねえ。だから、全員この場で死んでよ。死んじゃってよ。それからさああああっ!! そこの薄汚いおまえっ!

 おまえだけは、簡単に死なせてあげないからなっ! 僕のポルディナを汚したおまえはじっくり時間をかけて嬲り殺しにしてやるうっ!」

 ギーグと共に室内に侵入してきた男たちと元々室内にいた手下を合わせた六人が、蔵人たちをいっせいに取り囲んだ。蔵人はポルディナをかばいながらジリジリと後退していく。

「参ったなあ、こりゃあ」

 蔵人はなにげにピンチに陥っていた。実は先の戦いで邪竜王に白鷺をへし折られてから代わりの得物を調達するのを忘れていたのである。

 不意に、壁際で事態の推移を見守っていたひとりの男と目があった。

 それは、蔵人が到着する前にハイダルと競り合っていた一万男だった。

 男は蔵人の背のポルディナに向けてキメ顔を作ると腰の差料を高々と放り投げた。

 剣は美しい放物線を描いて蔵人の手に見事収まった。

「なんだっ!」

「なにしてんだっ、この野郎!!」

「テメェから切り刻んでやろうかっ、激デブがっ!!」

 男どもの罵倒を涼しい顔で受け流すと一万男は意外に美しいバリトンで歌うように叫んだ。

「クランド殿はか弱い婦女子を守る真の騎士とお見受けした。その剣は我がバンクス家に伝わるロムレス三聖剣のひとつ、銘は黒獅子! 存分に切り結ばれよ!!」

 その剣はガッチリとした漆黒の鋼作りの鞘に納められていた。長さは一メートルを優に超えている。そりのない直刀だ。すらりと抜き放つと、刀身自体が黒水晶のように輝いている。見るものを引きこまずにはいられない怪しいきらめきを宿していた。

「クーチぃいい!! できるだけ痛めつけてから屋敷に運ぶんだ!」

「若様のご命令だああっ、死ねやあああっ!!」

 クーチは狂ったように叫ぶと真正面から突っこんできた。

 蔵人は、傷ついた右足をかばうようにしてしゃがみこむと、黒獅子を水平に振るった。

 ごおっ、と強風が吹きすさぶ奇妙な轟音が響き渡った。蔵人の豪腕によってすさまじい速さで振るわれた長剣は、突っこんできたクーチの胴を存分になぎ払うと、いとも簡単に上下に断ち割った。奇妙な断末魔が爆発すると同時に、クーチは上半身ごと吹き飛んだ。膨大な量の血液と内蔵を撒き散らしてクーチだったものは床を滑るように転がって壁の際に激突した。

「頼むぜ、オクタヴィア!!」

 蔵人がそう叫ぶと全身が莫大な光量に包まれて掻き消えた。囲んでいた男たちは余りの眩しさに包囲を解いて距離をとる。

 次の瞬間、蔵人は右足の怪我などなかったようにすっくとその場に立ち上がると、左手で顔の包帯を引き裂いて駆け出した。

「あの日に限って魔力が送れないなんて、とんだ欠陥商品だな! リコールすんぞ!!」

「なにをいってやがるうううっ!!」

「ざけやがって!」

「ぶっ殺せ!」

 蔵人はボロボロになった外套の前を割って、コウモリのように高々と跳躍した。

 激しく長剣を左右に振った。鋭い銀線が稲光のように走った。

 男たちは蔵人が駆け抜けた瞬間、喉元を断ち割られて、血反吐を吐き散らして絶命した。

 いきなり仲間が切り伏せられたのを見て興奮したサイクロプスのギーグが蔵人に向かって床を踏み鳴らして突進してくる。三メートルは巨体であるが、すでに竜を撃破した蔵人からすれば普通の人間とたいして変わらない大きさに見えた。

 ギーグは電子音声に似た不快な声を響かせて巨大な手斧を振り回している。

 蔵人はうなりを上げる刃風を軽々とかわすと、低い姿勢の位置で長剣を滑らせた。

 銀線はギーグの膝頭を深々と断ち割ると流星のように走った。

 巨体なだけにそれを支える足を破壊されればもう満足に立っていることすらできない。

「テメェはただのデカブツだ!!」

 蔵人は長剣を両手突きでギーグの腹に深々と突き刺した。

 黒獅子の切っ先は、溶けたバターを割くようになんの抵抗もなく巨人の身体を貫いた。

 刀身の半分はギーグの背中から抜き出ると、刺した瞬間と同じぐらいのスピードで引き抜かれた。

 ギーグは巨体を震わせながら、ゆっくりと前のめりに倒れこんでくる。

 蔵人は抜き取った刃を横殴りにギーグの顔面に叩きつけた。

 ギーグは原型を止めないほど顔面を粉みじんに破壊されると、脳漿を飛び散らせて床を朱に染めた。

 ギーグが倒れるのを見た男が恐慌に陥って剣を無茶苦茶に振り回しながら突進してくる。

 蔵人は狙いすました長剣を一気に突き入れた。

 銀線は男の無防備な心臓を刺し貫いた。

 つば元まで埋まった長剣を引き抜く。

 それから、隣で呆然としていた男の顔面に狙いを定めた。

 長剣が虚空に半円を描いたかと思うと、ビシッと肉を叩き割る音が激しく鳴った。

 男の顔面へと斜めに真っ赤な直線が走るとそれは大きく太くなった。

 残りのひとりは武器を放り投げて土下座をして命乞いをする。蔵人は表情を消したまま男の後頭部を情け容赦なく叩き割ると、血飛沫でそれに応えた。

「馬鹿なぁ、馬鹿な。こんな結末があっていいものか。おまえは誰なんだ、どうして僕の楽しみを邪魔するんだぁあっ! 僕はこれからもたくさんの奴隷を買いまくって、内蔵を引きずり出し、その顔という顔が絶望に染まるのを楽しみたいだけなんだよおおおっ! おまえさえ、おまえさえ僕の目の前にあらわれなければ、僕の楽園は永遠に続いたんだぁああっ!!」

「だからだ。俺は、おまえの楽園を終わらせに来たんだ」

 ハイダルは慣れない手つきで剣を握り締めると憎悪に燃え滾った表情で飛びこんできた。

 蔵人は長剣を全力をこめて水平に振るった。銀線はハイダルの肩口を深く断ち割った。

 ハイダルは泣き声を上げながら子どものように床を這いずって泣き叫んだ。

「いだああああっ!! なんっ、これっいだあいいいいいっ、いっ、医者をぉおおっ!!」

「医者なんざ、ねぇんだ!」

 蔵人は憤怒の表情でハイダルの前に立つと真っ向から剣を振り下ろした。

「んぎいいっ!!」

 ハイダルは顔面を真っ二つに両断されると潰れたカエルのような断末魔を上げ、両手を高々と差し上げながら絶命した。

 蔵人はハイダルだったものを蹴飛ばすと、首を斬り飛ばした。首は壁際にまで転がるとぶつかって反転した。眼球が飛び出した顔が恨めしそうに歪んでいた。奈辺を見ているかわからない顔に向かって吐き捨てた。

「地獄で好きなだけ探してこい」






評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ