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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第1章「遥かなる旅路」
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Lv5「牢を出て街に出よう」




 

 夜半、必ず忍んでくるマゴットが、いつまで経っても現れなかった。日中は、力仕事に従事しているため、身体は疲れきっている。いつしか、蔵人は横になっているうちに、深い眠りへと吸い込まれていった。夢うつつの状態で船を漕いでいると、パタパタと石畳を踏んで駆け寄る足音が聞こえた。

「クランド、よかった……!」

「おい、いくらなんでもこんなデカイ音出しちゃまずいだろ」

 マゴットは、蔵人の声をまったく無視したまま、錠に手をかけ動かしている。明度の低い、薄明かりの中でもそれが、牢屋の鍵だということがすぐわかった。

「いったい、そんなものどこから」

「早く、早く逃げて。ここから逃げないと、クランドが」

「なにやってんだ、こらああっ」

「テメェか、このクソ亜人がッ」

 騒ぎを聞きつけた獄卒は、マゴットがしていることに気づくと同時に凍りついた。

 堂々と囚人を開放しようとしているのだ。蔵人が叫ぶよりも早く、獄卒はマゴットの脇腹を蹴り上げた。ボールが転がるように、ぽーんとマゴットの身体は宙に浮くと壁際に叩きつけられた。手にしていた鍵束が、乾いた音を立てて石畳を鳴らした。

 蔵人は、格子を掴んで、なんとしてでも押し開こうとした。

 たとえ、無意味な行動であったとしても。

 獄卒たちは、無慈悲にも大きなすりこぎのような棍棒をマゴットの背に向かって手加減なしに叩きつけた。幾度も幾度も。

 やめろ、と。やめてくれと、絶叫した。マゴットは、悲鳴を上げることなくなすがままに、されたままやがて動かなくなった。

 蔵人は、手の皮が破れて、肉が露出するのも構わず、木の格子が真っ赤に染まるまで、壊れた人形のようにずっと叩き続けた。それは、獄卒がボロ雑巾のようになってピクリともしなくなったマゴットを、ゴミでも運ぶようにしてつれて行くまで延々と続いた。地獄のような時間だった。







 古泉はちらついた雪に目を細めると、オリーブ色のフードを目深にかぶりなおし、下ろされた吊り橋から足早に王女マリアンヌの待つ部屋へと急いだ。

 故国日本からロムレス王国に召喚されてから三年の月日が流れていた。

 最初の数ヶ月は戸惑いもあった。

 召喚が成功したと同時に行われる契約により言葉は不自由なく通じるも、やはり中世ヨーロッパレベルの異文化にはなかなか馴染めない部分が大きい。

 その時々で心の支えになったのは、やはりマリアンヌの存在が大であった。

 だが、国事に奔走するあまり、ふたりはこのところすれ違いが多く生まれていた。

 今までの空虚を埋める為、今日こそは、どうしてもマリアンヌに会っておきたかった。

 所詮は他国者である。

 功績と力は認められていても、差別をすべて排除はできない。そんな古泉の唯一の友人ともいえる王宮魔導師のマリンは、王女との逢引のことを告げると快く残務整理を請け負ってくれたのだ。早い時点で、仕事を切り上げられたのは僥倖だった。喜びもひとしおだ。

 数ヶ月ぶりに愛を確かめ合おうと、古泉の胸の内は早鐘のように鳴り響いていた。

 黒真珠のように潤んだ大きな瞳。漆黒のように深い色をした、長い髪。

 そして、胸元からせり出すように乳首がつんと上を向いた、豊満な乳房。

 古泉は、マリアンヌと思いが通じてもプラトニックに徹し、肉の交わりはなかった。

 身分差もさることながら、常に王女という目で周りから見られている。隙を突いてふたりきりになるのはかなり難しかった。

 ロムレス城は防御力を考えて、総石造りで出来ており、夏場はともかく、冬場は足元から立ち上る冷気で身動きも出来ないほどだ。

 古泉は、マリアンヌの若くすべすべした輝く白い肌と、むっちりした美肉を脳内に夢想し、血をたぎらせた。自分でも自制心は強いと思う。だが、本当に愛する彼女を肉欲のああまり欲するのは、なにか違うような気がした。いつの日か、国中の誰もが認めるような、絶対的な功績を挙げ、正々堂々と結婚を申し込む。その夢想は、部屋の前にたどり着いたとき、翳りを帯びた。

(警護兵がいない、どういうことだ!?)

 仮にも、王女の部屋である。

 いくらなんでも無人ということは有り得ない。

 古泉は、今までに何度か駄賃をやって部屋から遠ざけていた、警護兵や侍女の姿を探したが姿も見えなかった。

 不安にかられながら扉の前に立ち、中から漏れてくる声に気づいた。

 あきらかに、それは男女のやりとりする睦言でしかなかった。

「だめっ。だめですっ、ファビアン、やめてください」

「いいじゃないか、マリアンヌ。僕はもう我慢できないよ、ほらっほらっ」

 古泉は、扉の隙間から見えているものを直視するが、しばらくの間は、全身が硬直し、息をすることもできなかった。

(なぜだっ、なぜだっ、マリアンヌ! よりによってそんなヤツとっ!)

 扉の向こうで、マリアンヌの豊満な双丘を、背後から両手で鷲掴みしている男こそ、マリアンヌの従兄弟である一族のファビアン・フォン・ロムレスであった。雄々しい風貌に、彫りの深い顔立ちは日本人にはない迫力だった。 

(なんで、そんなにうっとりした顔をしているんだっ。おまえっ、一番嫌いなタイプだって、いってただろ!)

「ああ、だめっ、だめですっ、いけませんわ。私には、勇者さまがっ」

「なにが勇者さまだよ、マリー。いま、ここで君を喜ばせている男は僕なんだよっ。君をひとりにして寂しい思いをさせる男のことなんかすぐに忘れさせてあげるよっ」

 ファビアンは、指まで毛の生えた無骨な指先を巧みに操りながら、マリアンヌの肩を抱き寄せ、首筋にキスの雨を降らせた。

「んっんっ。あっ……ほんとうにぃ、だめなのぉ」

「かぐわしい匂いだよ、マリー。君は本当に素敵だよ。ほら」

「んんんっ」

 ファビアンは、ぐいとマリアンヌの顔を傾けさせると、強引に口を重ねて、桜色の淡い唇を貪り始めた。

 古泉は頭を掻きむしりながら、目を真っ赤に充血させた。

 彼が、意を決して部屋に飛び込もうとした瞬間、首筋にちくりと鈍い痛みを感じ軽い酩酊感が襲った。

 誰だ。

 舌先が痺れて声が出せない。かろうじて、首だけを後ろに向けると、そこには王女付きの侍女クラリスが百合の花をかたどった鼈甲櫛を持ってほくそ笑んでいた。

「なに、を」

「勇者さま。お静かに。ただのしびれ薬です、命には別状はありませんので、ご安心を」

 クラリスは、楽しそうに片目でウィンクをすると唇に人差し指を当ててウインクをした。

 櫛の歯先に塗られた薬液が、ぬらりと光る。

 古泉は、膝からその場に崩れ落ちる。自分の間抜けさ加減に怒りしかない。

 それでも視線だけは、扉の向こうがわに置いたまま動かさなかった。

 なんで、こんなことを。

「なんでって、それはファビアンさまの命令です。姫との情事を勇者さまに見せつけるためですよ」

 クラリスは、明るい茶色の髪をふるふる震わせると、異様な熱の篭った目で扉の隙間から、中を覗きだした。自然、古泉と寄り添う形になり、甘い匂いが漂った。

 焦燥感にも似た統制できない感情が、腸から沸き起こって来るのを感じた。

 古泉にとって、クラリスはマリアンヌの次に心を許せる数少ない人間だった。

 人形のようにかわいらしい容姿と、おしゃまな性格から、古泉はどきどきさせられる反面、妹のように思っていた。 

 抱き込まれてたんだ、クラリスも!!

 古泉は、意識はあるが声も出せず、その場から動くこともできずに、ファビアンとマリアンヌのやりとりを目の当たりにされた。 

「完全に、寝取られちゃいましたね。勇者さま」

 クラリスの瞳。完全に負け犬を見る、蔑んだ視線だった。

 どうして、こんなことになったんだ。

 自問自答を繰り返す。

 古泉は、いつしか指一本動かせないまま、涙を流していた。

 何もできない。 

 古泉は、マリアンヌにはじめてあった日のことを思い返していた。

 召喚陣の中、とまどう己にさしだされたやわらかいてのひら。

 笑うとわずかにしわの寄るひたいが、困った子猫のように感じられていとおしかった。

 彼女はいつでも華やいだ雰囲気の中で、疲れきった自分を癒してくれた。

 暖かい陽光がきらめく、朝に庭園をふたりで歩き、初めて手を繋いだ。

 この人のためならと、命を捧げる思いだったのに。

 かじかんだ指先を伸ばすと、硬い何かに触れる。

 幾重かにわかれた歯先から、それがクラリスに送った櫛だと知れた。

 花の開くような無垢な笑顔で頬を染めた妹のような少女。

 もう、届かない。なにもできないのだ、この自分は。

 古泉は、動かない顔をそっと動かした。

 ふと、怯えたような瞳のまま立ちすくんでいる、若い護衛兵に気づいた。

 助けを求めようと、無意識に手を伸ばした。

 護衛兵の男から怯えが消え、泣きそうに歪んだ。記憶はそこで途切れた。




「夢か!!」

 古泉功太郎は、毛布から身体を起こすと、汗で冷え切った身体を震わせた。

 周囲を見回す。あたりまえのように、牢内だった。

 ゴロンゾたちはいつもどおり白河夜船でいびきをかいていた。

 また、思い出した。

 あのときの悪夢を何度でも、何度でも。

 三十年も前の話だ。自分は、いいようにしてやられたのだ。反撃の機会はあったのだ。

 マリンという力強い友もいた。

 女を抱くことしか能のないファビアンの軍勢など、恐れるはずもない。一蹴することなど容易かったはずだ。

 なぜだ、なぜ自分はあそこで逃げてしまったんだ。

 もう、三十年も同じところで、グルグルと思考が出口を探し続けて歩き回っている。

 認めるんだ。

 そう、認めよう。

 古泉は、まさかの答えを恐れていたのであった。

 もし、マリアンヌがファビアンをかばうような態度を見せたら。

 そう思えば、もはや戦うことはできなかった。

 思考を停止させ、屈辱に甘んじるほうが楽だった。

 事実をハッキリさせなければ、自分は死ぬまで被害者でいられる。

 マリアンヌは、無理やりファビアンに犯された。自分は運が悪かっただけ。

 彼女が愛していたのは、自分だけなんだ、と。

「どうして今更、おまえなんだ」

 古泉の枯れ切った魂に、再び火がくべられた。いうまでもなく、志門蔵人の存在である。

 召喚された勇者は運命に翻弄される一生を送るだろう。

 その忌まわしき未来が、過去の自分と重なるたびに、傷口が激しくほじり返される。

 聞けば、蔵人は、給仕係で奴隷だったマゴットという少女といい仲になったらしい。

 それは、獄中では美談ではなく、間抜けな男の勘違いとして噂されていた。

 蔵人は知らなかったが、マゴットの前職が娼婦なのも、慕っていた兄に売り飛ばされたのも周知の事実だった。だからこその囚人たちの、毎度毎度の反応だった。

 仮面をかぶって顔を隠していたから、皆が、マゴットに期待していたのだ。

 人間の元娼婦である、と。

 男である以上、どんな状況でも、若い女に期待しないはずもない。

 だが、彼女がワーキャットの亜人であると知れて、状況は一変した。

 囚人はゲンを担ぐのだ。できれば、こんな獄の中からは一日でも早く出たい。不可能でもそれを願わずにはいられない。亜人の女と触れると、禍が抱きつき、二度とシャバには戻れない。奇妙なジンクスであるが、迷信のはびこる世界では、それは信仰のように、巌のように大きくそびえ、揺るぐことはなかった。

 亜人で元商売女。もの知らずな田舎者。

 暇な囚人たちにとっては、格好の物笑いの種であった。 

 古泉が苦悶を続けていると、廊下の向こう側が、激しくざわめきだした。

「あんだよ、こんな朝っぱらから」

「ねみいよー」

 ゴロンゾたちが騒ぎを聞きつけ起きだしてくる。格子の向こう側に立っていたのは、カマロヴィチと数人の獄卒だった。彼らは、ボロ切れのような男を抱え込んでいる。きい、と音を立てて入口が開けられると、それが投げ入れられた。半死半生になった蔵人だった。

「ふん。おはようさん、人屑ども。あなたのお仲間よん。最後の朝くらいはいっしょにさせてあげようと思ってねん」

「どういう意味だ」

「この屑は、なにを思ったか、近づいた獄卒の首をへし折ったのよん。だから。最後よん」

 蔵人は死人のように押し黙ったまま動かなかった。だが、次の言葉を聞いた途端、野獣のように目を光らせた。

「マゴットも愚かよねえ。奴隷が調子に乗って色気づくから。人の話は盗み聞きするは、勝手に囚人を逃がそうとするは。さすが、骨の髄まで淫売よねん」

「取り消せ――!」

 蔵人の声。地の底から響くような、聲だ。カマロヴィチが、一瞬たじろいだ。

「最後ってのはどういう意味だ」

 古泉は、低い声で問うた。カマロヴィチの顔が歓喜に歪んだ。

「決まってるわよ。クランドは奴隷のマゴットをそそのかして、脱走しようとした罪で死刑執行!! ま、アンタたちもそのついでに、ってことね」

「ふざけんなっ、横暴だっ! 法律院も通さず、そんなことが出来てたまるか!」

「ヤルミルだっけ、平民にしては学があるようだけど、法が有効に適用されるのは残念ながら力を持った貴族だけなのよね。だいたい、ほとんどの平民は字すら読めやしない。最後にいいことを教えてあげる。法の恩恵に与れるのは力のあるものだけ。そもそも力のあるものは法すらも簡単に書き換える。正直なところ、アンタたちにこれ以上生き延びられたりすると都合が悪くなったり、尻の収まりが悪い人間があちこちにいるわけなのん。アタシはそういう人たちから、寄付金をもらって、悩みの種を処分しているの」

「なにが寄付金だ。賄賂だろ、僕はそんなの認めない」

 カマロヴィチは口をもごもごさせたかと思うと、んべっと唾をヤルミルに向けて吐き出す。ヤルミルは、放心状態のマーサの頭を抱え込んで突き出すと、唾液の雨から逃れた。

「アンタが認めようと認めまいと、もーう決まったことなのよ。ゴロンゾ。あんたは盗賊のくせに格好をつけすぎたのよ。アンタを裏切った仲間は政府の高官にたっぷり金貨をつまませてアンタを獄の中で始末するように頼んだの。ヤルミル。アンタはなまじ秀才な上に平民とはいえ父親が豪商だったことが災いしたわね。アンタを消せって頼んだのは、オヤジさんの商売敵よ。マーサ。アンタの場合は、ここに送られたこと自体が仕組まれてたけど、話を作り替えた貴族さまの気が変わって、やはり処分しないことには気持ちが悪いみたいね。そして、コイズミとクランド、アンタらふたりはなにがあっても生かしておけないって、もっとも高貴な筋からの願いでね。マゴットが立ち聞きしていたのは想定外だったけどねん」

「王妃か、それとも王か。おい、カマロヴィチ。どうして俺たちに今更そんなこと語って聞かせるんだ。意味がないだろう」

 古泉は、口元の白髭を、噛み切った唇の血で汚しながら、かすれた声で訊ねた。

「昔馴染みよ。アナタには、若い頃には随分とお世話になったわね」

「いったい、いつの話だ。悪いが、俺はおまえのような大男の玉無し野郎は知らん」

「本当に?」

 カマロヴィチは格子の傍まで来て、燭台のともしびで自分の顔を照らしてみせた。

 古泉は、いぶかしげにカマロノヴィチの顔を舐めるように観察していたが、やがてなにかに気づいたのか、驚愕し、やがて耐え切れないといったふうに顔を大きく歪ませた。

「おまえ、あの時の護衛兵。マリアンヌの部屋の前にいた」

「そーうよ、今頃気づいたの。アタシは、二十年前からアンタに気づいていたわよ。ついでにーいっちゃうと、今の王さまを煽ったのも、アタシよーん!」

「なんでだっ、なんでだっ!」

「なんでって、まだわからないのお。理由はふたつあるけど、ひとつは秘密。どうしても知りたいのなら、かたっぽだけ教えてあげるわん。今の、王さまファビアンは本当にマリアンヌ王妃に片思いしてたみたいなの。放蕩息子を気取っていても、本当に好きな女に対しては気後れしてたみたいなのよん。だから、アタシが教えてあげたのよん。女にたいする本当に賢いやり方を、それは力によって屈服させること。自分が、肉の塊でしかないと心と身体に徹底的に教え込むこと。もっとも、あのマリアンヌさまは、心までは中々落なかったようだけどね」

「どういう、こと、だ」

 古泉は、一気に十も歳を取ったかのように青白くやつれていた。

「決まってるじゃないのお、アンタよ。王妃のネックはコイズミ。アンタだったのよ! いうことを聞かなければコイズミを殺すってデマカセかまして、薬と愛するものを奪われる恐怖を併用してさんざんにあの肉壷を調教してやったのよお。アタシは女なんか好きじゃないけど、王妃が泣きながらアタシに奉仕するのを眺めるのは中々乙だったわん。ファビアンも最初は戸惑っていたが、そのうちアタシの主導する調教に慣れていったわ。あーははははは。あの誰もが王妃よと崇める女が、さんざんアタシたちが弄んだ女だなんて。えええっ、笑えるじゃないのぉ! 痛快じゃないのお、笑いなさいよぉ! アタシと秘密を共有した王は、ただの番兵風情だったアタシを、獄卒長にまで引き上げてくれたわ。この仕事はねえ、確かに世間体は悪くて誇れるものじゃないかもしれないけど、身内の不正をもみ消したり、気に入らないヤツを消すために懐に入ってくる実入りは、並の大貴族じゃ手に入らない額よ。今では、欲しい男も女も、高価な調度品も、宝石もなにもかもアタシのものよ、そう、たった一つを除いては」

「たったひとつ?」

「お話はおしまいよ、あと少しで夜が明けるわ。夜明け前には処刑を開始するわ、内密にね。あの、小うるさい貴族娘が戻って来ないとも限らない。頭カラっぽのくせに、中々しつこそーだからね。カタをつけてあげる。最後の一日を楽しみなさい」

「待てよ! マゴットはどうなったんだ!?」

「ああん、この期に及んであの奴隷の心配? ふふん、なら後腐れなく、あの娘もいっしょに断頭台に送ってあげるわ! 臭くて汚らしい奴隷を冥土の花嫁にでもするがいいわ!!」

 カマロヴィチがゆっくりと遠ざかっていく。

 いいたいことだけをすべて絞り出して帰っていった。

 つまりは、この牢内の五人の死は確定だった。

「裏切ってなかった」

 項垂れた古泉がぼそりとつぶやく。

「マゴット、絶対に死なせねえ!!」

 死んでいたような五人の瞳に精気の炎が灯る。

 誰からともなく、皆の声が揃った。

 俺たちは、この牢から出るぞ、と。





 蔵人は、ズボンのポケットから綿埃をつまみだすと、牢内の壁面の硬い部分に固定し、先ほどの乱闘時に拾っておいた酒瓶の破片で強くこすり続けた。ズボラに見えて、基本的に牢内は、三日に一度、獄卒のチェックが入る。危険なものが隠していないか、ネズミのように探し回るのだ。その点、欠けた陶器の破片など尖ったものは見つかったら最後、ひどい懲罰を受けるハメになる。しかし、数センチ程度のものなら口中に含ませてやり過ごすことも可能だった。

「誰か来ないかしっかり見張ってろよ」

「任せとけって。見張りは盗賊の十八番だぜ」

 ゴロンゾが手を振って周辺を警戒する。古泉は腕を組んだまま目をつぶって身じろぎもしない。ヤルミルとマーサは、古毛布を細かく割いて、床に並べていた。

「なー、こんなんで簡単に火がつくのか」

「任せろっての。オラ、付いたぜ」

 蔵人は、摩擦熱で器用に綿埃へと火種を移すと息を吹きかける。

「よーしよしよし、後は任せろ任せろ」 

 うれしそうに目を輝かせて、ゴロンゾが火種を毛布につけていく。

 最初は、小さなくすぶりだったが、それはやがて指先ほどになり、最後には赤々と燃える大きな炎の塊になった。

「へへ、燃えろ燃えろ」

「ほとんど放火魔ですね。さ、この支柱を中心に燃やしていきましょう」

 ヤルミルはあらかじめ選定してあった場所を指差すと、弾んだ声を出した。

 蔵人たちは、協力して火を作ると消えないように注意を凝らした。

 手際よく牢の木製の格子へ毛布を巻きつけていく。ロクに干さないため湿っていたので、上手く火がつくか心配だったが、しばらくすると火はどんどん大きくなった。

「なあ、ここから出たらおまえらはどうすんだよ」

 火を見つめながら、ぼそっと蔵人が囁く。

「俺は世界一の鍛冶屋になる!」

(ブルーカラーまっしぐらかよ)

「盗賊稼業に戻るぜ。そんで、俺を密告したやつらの金玉をスライスして玉ねぎとあえて食わせてやる」

(犯罪者か)

「僕はこの国に革命を起こし、よりよい政治を目指します」

(政治犯か。もう一度くらいつかまりそうだな)

「ジイさんは」

 ゴロンゾの問いに、古泉はぎょろりと目を開いて応える。

「ごめん、なんでもねえや」

 嫌な沈黙が流れた。

「そういや、クランドは僕たちにばかり聞いて自分はどうするのですか?」

「俺は、マゴットを助ける。そんでもって、この世界の、イイ女と片っ端からやりまくってやる!!」

 ヤルミルはあっけにとられたまま口元を歪めると、わずかにズレた眼鏡を定位置に戻し、くひっ、と笑いをこぼした。

「ぶっ、おまえ、そりゃストレートすぎじゃねえか。まあ、おまえみたいなバカがいい女を手に入れるには、冒険者になるのが一番かもな」

「冒険者。ああ、冒険者ね」

「この国には、深淵の迷宮ラスト・エリュシオンと呼ばれる建国以来一度も最下層まで攻略されたことのないダンジョンがあります。なんでも、初代ロムレス国王が一番最下層にこの国でもっとも価値のある秘宝を隠したとか。徒手空拳の人間が名を挙げて財産を得るには一番手っ取り早いといえる方法といわれてます。僕なら絶対やりませんけど」

「なんでだよ」

「決まってんだろ。ほとんど死ぬか、不具になるからだ。ま、目指してみるのも男の夢だろ。確か、いま攻略されてる最深部が十階くらいだっけ? そのあたりでウロウロしてても結構食えるみたいって話だ」

「考えとくわ」

 めらめらと燻りつつ格子を縦横に舐めていく炎を見ながら、蔵人は自分を襲った従騎士の顔を思いだし陰鬱な気持ちが胸に広がっていくのを抑えられなかった。

 あの女がいきなり自分に斬りかかってきた理由をヴィクトワールも知らなかったというのは、真実だろう。彼女の顔は演技ではなかったし、示し合わせて消そうとしていたなら自分をかばったことのつじつまが合わなくなる。

 そう考えると、あの東洋人と同一な容姿を持つ少女は、ロムレス王、或いは王室関係から命令を受けて蔵人を始末に来た暗殺者以外のなにものでもない。

 理解できないからといって、そうそうデリートされてはこちらとしてもたまらない。

 あのタイミングでペラペラとカマロヴィチが真実を喋りだしたのも疑わしかった。

「ま、いいか」

 所詮、蔵人の脳みそでこれらの事象の真理を突き止めることはできない。

 推理する材料も、論拠も根気もない。そもそもあまり興味がなかった。

 こんなわけのわからない世界で、白人もどきと会話していること自体が夢そのものに思える。これ以上、なにが起きても、もはや不思議なことなどなにひとつないのだ。

「それよりもマゴットだ」

 古泉にはかなり気の毒だが、ヤツはあの変態ホモ野郎にハメられて恋人を寝取られただけのことだ。そんな話は、日本でもザラにある話だ。酒の肴にもなりはしない。

 しかも三十年前の話である。

 さすがに、古泉の怒りも風化し、ほろ苦い記憶として醸成されただろう。

 蔵人の頭の中にあるのはとにかくここをマゴットと抜け出して、少しでも遠くに逃れることだけだった。

 なにが、勇者召喚だ。

 なにが救い主だ。

 勝手に人を呼び出しておいて、挙句がこのザマだ。

 とてもではないが、これ以上つき合っていられない。

「勇者なんてクソったれだ」

 蔵人は、顔を歪めて世界を強く呪った。









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