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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第2章「迷宮都市シルバーヴィラゴ」
42/302

Lv42「ギルド再襲撃」






 登録料、十万(ポンドル)

 推薦人三人の添え書き。

 冒険者組合(ギルド)に登録するには、以上のふたつの難問が巌のようにそびえ立っていた。

 だが、蔵人は手を尽くして、三名の添え書きを手に入れた。

 すなわち、リースフィールド街自警団長チェチーリオ、シルバーヴィラゴ教区統括司教マルコ、シュポンハイム伯爵第十五子ヒルデガルド、である。

 このふたつの要項ををクリアしたいま、蔵人にとってもはやギルド入会に関して、なんの憂いもなかった。もっとも、書類を作成し添え書きも集めたのはヒルダであったが、そこはご愛嬌といったところか。

 蔵人がしたことは書類を持って事務所に歩いてきたことくらいである。

 彼は人を使うことに関しては意外と上手かった。

「チッ……確かに書類には不備はありませんね。渋々ながら当組合はクランド・シモン氏の入会登録を確かに受理します」

 ギルドの受付嬢ネリーは軽く舌打ちをすると、証書に組合の印を押した。

 これで余裕のないときならば、彼女の態度にいちゃもんのひとつも付けるところだが、今日に限っては完全なる勝利である。

 蔵人は不敵な笑みを浮かべたまま片目をつぶって不器用に親愛のウインクを送った。

「なんですか、おぞましい。登録取り消しにしますよ」

 ネリーは、道端で腐乱した小動物の臓物を見るような蔑んだ視線を送った。

「おいおい、おまえにそんな権限無いだろうが。ま、これからは長いつき合いになりそうだな。仲良くやってこーぜ」

「ぺっ」

 ネリーは差し出された蔵人の手のひらに唾を吐いた。友好の証を足蹴にする非道な行為である。さすがの蔵人もこれは許せない。薄く余裕の笑みを浮かべると、手のひらに吐かれた唾を舌を出して舐めくった。

「変態、変態、変態!」

 ネリーは真っ赤な顔をして髪を振り乱して怒鳴りだした。カウンターの辺りに何ごとかと人々が集まってくるが、先日の騒ぎのときに相当顔を売ってしまったのか、蔵人の顔を見るとうんざりした顔でそっと離れていった。

 皆、いろいろと忙しいのである。

「ふふん、俺のことが好きなクセに」

「……甘く見てましたよ。あなたという汚物の変態具合を。これからは、あなたのことを人間ではなく畜生だと思って接しますので、妙な気を起こさないで下さいね」

「予告する。おまえはかならず俺のモノになるさ。ったく、モテる男はつらいぜ」

「私も人と接するこの仕事がこれほどまで苦痛だとは思いもしていませんでしたよ。いや、人ではなかったですね。クランドですし」

「おいおい、まったくいきなりファーストネームかよ。素直じゃないやつめ」

「まずこちらをお渡しします」

「無視かよ……なんだこれは」

 蔵人は手渡された銀色のタグをもてあそびながら聞いた。タグは一枚で、半ばで折りとれるようにできている。上部に革紐が通され首から下げられるようにできていた。

「それが冒険者個々の認識票(ドッグタグ)です。氏名と認識番号が打刻されおり、虫けら……もといクランドの死体をダンジョンから回収するときに主に役立ちます。それと、この事務所の地下通路から直通ルートで迷宮に潜れるので通行証も兼ねております。破損や消失の際には有料で再発行を請け負っていますので、お気軽にお申しつけください。主に私が休みのときに」

「いろいろと突っこみたい部分があるがあえてスルーするわ。つまりは、死亡の際に本人確認するのとギルドの会員証も兼ねてるってことだな」

「そうですよ、物分りの悪いサルですね。失礼、サルに悪いですね。ゴミ」

「なぜ悪い方にいい直した。素直じゃないやつめ。俺が最深部攻略に成功してもサインはやらないからな」

「サインの練習をするより遺言証書を作成しておいたほうがいいですよ」

「絶対俺の肉奴隷にしてやる。昼夜を問わず陰嚢を舐めさせてやる」

「うるさい人非人ですね。私のような美女と口が利けるだけでも光栄と思わなければならない存在なのに」

「自分で美女いうなや。……あ、お守りがわりに下の毛くんない?」

「そういうことは、おうちに帰ってママに頼んでくださいね。この童貞くん」

「どどどど、童貞じゃないやいっ」

「素人童貞。性病になって死ねばいいのに」

 受付のネリーと心あたたまる交友を深めた蔵人は、とりあえず本日は登録のみにしておいて後日の善後策を興じるためギルドの事務所を出た。向かいの喫茶店でスイーツらしきものを所在なげにつついているヒルダを回収して、帰り際シャイロックの屋敷に向かった。

 先日の礼を改めて行うためである。

 本音をいうと、奴隷商人という職業自体にも興味があった。

 見目麗しい女奴隷をはべらすのは男の夢である。

 いつかはクラウンではなく、いつかは肉奴隷の合言葉を胸に今日まで生きてきたのは、ささやかな夢のひとつであった。

 道すがら、ヒルダと雑談をかわしながら歩く。彼女も水準をはるかに超える美少女であったが、現実の女は激しい自我を持ち、蔵人が思ったように扱うのは不可能に近かった。

 所詮、女を男の思い通りに扱うなど不可能である。

 むしろ、肌をあわせたことによって、ヒルダはいままで蔵人との間にあった最後の壁が取り払われていた。こうなると女は遠慮というものを知らない。飯を食うときのフォークの使い方、歩行の際の無作法さ、服装の色合いにまで口を出してくる始末だった。拘束されることを嫌う蔵人は、野生の犬が首輪をつながれることに拒否反応を示すように、ところどころで反抗を見せた。まだ、年若く、男をまったく知らない彼女は蔵人を自分の思った通りの鋳型に嵌めこもうとする。その点は、レイシーの方が世間を知っている分、寛容さがあった。

 人間の欲望は際限を知らない。蔵人は、はじめて借家住まいの不便さを知った。誰にも気兼ねせず、思う存分振る舞える自分の家が欲しかった。

 その上で、是非とも奴隷を持ちたいと思う。持たねばならぬ。反対意見は封殺する。

 蔵人はほとんど上の空でヒルダに対し返答をしていた。

「クランドさん、どうでしたかー登録の方は。きちんと、皆さんにご挨拶できましたか」

「ガキじゃねえんだから。ちゃんと、登録できたよ。いろいろありがとうな」

「いえいえ、どういたしまして。伴侶として当然の行為ですから」

「えっ」

「えっ」

 ふたりはしばし無言で見つめあう。

 やがて、何事もなかったかのように蔵人が歩き出した。

「それはそれとして、これからいよいよ俺の冒険がはじまるとなると、胸が熱くなるな」

「おい、今の沈黙はなんですか」

「いや、深い意味はないよ。いたっ、痛いからつねらないで。痛いよっ!」

 ヒルダはほっぺたをもちのようにぷくっとふくらませると、蔵人の太ももをつねった。

「ふん。どうせ、お綺麗な受付嬢に鼻の下を伸ばしてたんでしょうよ。まったく、油断も隙もない」

「よくわかったな」

 ヒルダの目が憎悪に染まり、蔵人は怯えた。

「次からは、私も事務所の中までご一緒しますね。ちなみにクランドさんに拒否権はない」

 うなずくしかない蔵人だった。

 蔵人はヒルダにまとわりつかれながら、ふと前方の人だかりに視線を転じた。

「なんでしょうかね、この道の真ん中で」

 小柄なヒルダがぴょんぴょんと飛び上がって人垣の果てを見ようとする。蔵人は、ヒルダの手を引くと、群衆の尻に取りついて声を出した。

「まいったな、通れねえぞ。ちょいと、失礼しますよー」

 蔵人は日本人的に手刀を切るように人ごみの中を縫って進むと先頭に躍り出た。

 群衆からわずか五メートルほど離れた街路の中央部に騒ぎの元があった。

 そこには、見るからに高貴そうな服装をした少年とその取り巻きが、ひとりの少女を地べたに座らせ叱責している姿があった。

「おい、これはいったいどういった騒ぎだね。あそこにいる貴族はもしかして、噂に高い蔦屋敷の御曹司じゃあないかね」

「おう、肉屋のオヤジさん。あの取り巻きに囲まれてるのがご領主アンドリュー伯さまの一門にも連なるハイダルっていう不良貴族さ。また、ああして人前で自慢の奴隷を辱めていやがる。たまらねえな。誰かとめてやるやつはいねえのかね」

「あれがこの街の鼻つまみもんのハイダルって小僧か。見るからに憎たらしい顔つきをしてやがる。だが、相手は貴族だし、慰みものにしているのは自分のところの奴隷だろう。手を出してるのが堅気の娘ならともかく奴隷相手じゃどうにも意見もできねえや」

「オレたちに出来るのは、あの娘がせいぜい手酷くやられないのを祈ることくらいだろうな。まったく、胸が悪いぜ」

 蔵人は声高に話すふたりの男の会話を耳にしながら、前方に再び視線を向けた。群衆の誰もが口先では奴隷のことを気遣っているが、そのくせ騒動を見やる瞳にはこれからはじまるであろう残虐な催しに好奇の色を湛えながらじっと息を潜めていた。

 ハイダルは十七、八くらいの歳だろうか、いわれるほど憎たらしい顔つきではなかった。

 むしろ、やわらかな金色の髪と、薄い灰色の瞳が美しい、女性的な容姿である。

 洗練された豪奢な服装がよく似合う貴公子然とした風貌の少年だった。

 彼の周囲には、従者らしい壮年の三人の男が下卑た顔つきでひとりの奴隷を盛んに罵っていた。ハイダルはそれを咎めようともせず、むしろ群衆を意識した様子で微笑みつつ、その場にしゃがみこんで奴隷に目を合わせてから、首輪についた鎖をぐいと引っ張った。

「ねえ、ラウラ。君は、いまどうしてこんなひどい目にあっているか理解きでるかい?」

 ハイダルは瞳をキラキラ輝かせながら落ち着いた口調で尋ねた。

 歳の頃は、十二、三ほどに見える少女奴隷の顔は、埃や涙で汚れていたが、切れ長の黒い瞳と流れるように艶のある黒髪が、はっとするほどに美しかった。

 肉付きは豊満というタイプではなく、むしろ全体的に華奢で薄く、頼りなげな様子が可憐な美少女であった。

「わかりません、ご主人さま。どうしてこのようなご無体な真似をなさるのですか。先程まで、あれほどやさしくしてくださいましたのに」

 ラウラは怨ずるように主人の瞳を上目遣いで見た。

 事実、彼女はハイダルに買われて以来、屋敷の中では半ば公然とお姫さま扱いされて過ごしてきた。

 奴隷として売り飛ばされたときはさすがに自分の運命を呪った。けれども、夜毎に主人の寵愛を受けるようになり彼女の人生は一変した。

 待遇といえば口にするもの山海の珍味ばかりであり、肌を通すものは貧しい故郷では到底考えれないほど上質なものだった。

 うっとりとするような夢のような日々が、突如として一転した。

 ラウラは先程まで馬車に乗って絹のドレスを着ていたのに、いまは半裸同然の下着姿で路傍に転がされている。極楽から一転して地獄に落ちるとはこのことだった。

 元々、美しい以外になんのとりえもない彼女は、主の戯れだろうと媚びた目つきで手を伸ばした。

 ハイダルは急に立ち上がると、彼女の首輪についている鎖をいきなり引っ張った。ラウラは地面に顔をモロに叩きつけると、涙目で顔を上げた。

「どうして?」

「教えて欲しいかい。うん、それはね。僕がもう、おまえに飽きたからさ。さっき、シャイロックのところで、素晴らしい奴隷を見つけたんだ。あの美しい毛艶にはちきれそうな肉体。昨日までは、おまえが最高だと思っていた自分がまるでバカみたいだ。だからさ、最後におまえでめちゃくちゃに遊んでやろうと思ってさ。うれしいだろう。散々いい思いをさせてやったんだから。ほら、街の人々もお待ちかねのようだしね」

 ラウラが信じられないという顔つきで口を開けていると、ハイダルが右手を上げて合図を行った。取り巻きの男たちは、大通りの突き当たりまですっ飛んでいくと、T字路のはしに置いてあった大きな太い鎖を引いてきた。

 鎖の先を見て、人々は愕然とした。

 三人がかりで引く鎖の先にあったのは、背丈は優に三メートルを余裕に越えようか、半裸の怪物が大きな足音を立て歩み寄ってきた。

 頭部には一本の毛もなく綺麗に剃り上げられ、上半身と腰の辺りには、ヒグマの毛皮を重ねあわせたチョッキと腰巻を申し訳程度に羽織っていた。

 張り出した肩の筋肉は、巨岩を思わせるほどに発達しており、一歩足を進めるたびに大きな音が響いた。特筆するのは、顔面の中央には大きな一つ目がぎょろりとアンバランスに埋めこまれており、白目の部分には充血しきった血管が無数に這っていた。

 サイクロプス。

 亜人の中ではもっとも優れた身体能力と膂力を誇り、捕獲には巨額な費用が必要といわれるている文字通りのバケモノである。

 現に、このサイクロプスの首には従属の魔術がかけられており主人に対して徹底的な忠誠を誓わせてあった。

 その証拠に、ハイダルの右手人差し指に嵌めた指輪と、巨人の首輪が同色である薄緑の光を放っている。従属の魔術は、中々よくできたもので、契約に反して奴隷が主に叛意を抱くと、キリキリ締め付けて痛みを与えるのである。首輪の種類によっては、内側に仕こまれた針や爆薬が状況に応じて奴隷の命を奪うものである。

 そこまでしても、見るものに畏怖を抱かせる優越した力を具現化した肉体は圧倒的な存在感を持っていた。

「なんだ、ありゃあ」

「クランドさん。あれは、サイクロプスといって一見モンスターに見えますが、一応は亜人です。言葉は一応通じるということですが……はぁ、おっきいですねえ」

 ヒルダは怯えたようにいうと、蔵人の外套の裾にしがみついた。

「ギーグ! よーし、よしよしいい子だ」

 ハイダルは、サイクロプスのギーグを呼ぶと、飼い犬をあやすように近寄って腹を撫でた。ギーグは、大きな口から鋭い歯を見せながらくぐもった声を出した。

「ダンナさま、おれ、なにすれば、いい」

 ギーグは剥き出しの黄ばんだ歯から、よだれを垂らしながら木枯らしの吠えるような声を出す。あきらかに異質なものだった。蔵人はその声を聞きながら、テレビ番組でよく聞く、ヴォイスチェンジャーで変換した人工的な音域に近いと感じた。

「よーし、よしよし。今日はな、ギーグ。おまえが欲しがっていた女をやるからな。存分に使うといい」

「オンナ。おれ、オンナほしい」

「ひっ……嘘ですよね、ご主人さま」

 ギーグはラウラを巨大な単眼で睨みつけると、鎖を鳴らしてにじり寄った。

 これから白昼で行われる惨劇を想像して、群衆の中から悲鳴や驚きの声が沸き立った。

 ハイダルは、このおぞましい催しの主として満足げに目を細めると、両腕を組んで愉悦の笑みを浮かべた。

 見ていられないと蔵人が腰の長剣に手をかけると、ヒルダが泣きそうな表情で腕にすがりついてきた。

「おい、なんでだよッ!」

「ダメですよ。奴隷は主の所有物です。下手に手を出せば、クランドさんは騎士団に追われることになります!」

 奴隷は個人の所有物で、他人が口出しをできるものではない。なにより、あのサイクロプスとやりあうならば命を懸ける必要があった。ヒルダは身も知らぬ奴隷女の為に、愛する男の命を投げ出す義理もなければそのような飛びぬけた慈愛もなかった。蔵人はくぐもった声でうなると、目の前の男たちの顔を脳裏にひとつずつ焼きつけた。 

 まもなく、サイクロプスによる女奴隷の陵辱が白昼の中ではじまった。

 蔵人はヒルダの頭を抱え込むと、彼女の耳を両手で塞ぎ全身を硬直させた。

「見ろよ、あのラウラの顔を! 大口開いてみっともねえったらありゃしねえ」

「そもそもがおまえみたいな奴隷を若さまが本気で奥方に迎えると思ったのかね!」

「所詮は使い捨ての奴隷が過ぎた夢を見たってこうなるのがオチよ!」

「今度はせいぜいギーグに奉仕して養ってもらうがいいさ!」

 ハイダルの取り巻きたちは、無神経な侮蔑の言葉をラウラに投げかけると、盛んにはやしたて続ける。ラウラは惨めさのあまり、涙をこらえることができなかった。ぽろぽろと大粒の涙が盛り上がってくる。それを見た男たちの声がいっそう強まった。

 ギーグは両手をラウラの首に回すと、激しく吠えた。同時に、完全に理性を手放したギーグの膂力は、いとも簡単にラウラの頚椎をへし折ったのだった。

 ラウラは舌を投げ出しながら白目を剥くと、歓喜とも取れる表情を浮かべたままその場で絶命した。

「ははっ、見ろよ君たちっ。なんて、間抜けな死にざまだいっ! 実に、見事!」

 少年が甲高い声を上げると、追従するようにギーグが再び吠えた。

 目を覆う陰惨さだった。

 ハイダルはラウラの骸を大きな布で包ませるとギーグに担がせてその場を去っていった。

 完全に無意味な奴隷の死であった。

 ハイダルは、ただ飽きたという一点で、玩具を廃棄するように衆人環視の中で壊してみせた。群衆の口ぶりからこれがはじめてのことではないと理解できた。

 やがて、人々は、互いに目をそらせながら、見えない誰かに追われるようにしてその場を離れていった。

「ヒルダ。俺は、無理矢理胃袋に汚物を突っこまれた気分だよ」

「クランドさん、あまりすべてを抱えこまないでください。確かにあの男は異常ですが、主人である以上、ロムレスの法では裁けないのです」

「クソッタレが」

 貴族であったヒルダも、僧院の寄宿舎に送られるまでは、奴隷がいてあたりまえの生活をしていた。

 確かに、立法上は奴隷に人格も権利も認められないが、烙印を押されたからといって、その瞬間にすべてがモノに置き換わるわけではない。奴隷にも、意思があって、辛く当たられれば深く傷つくし、褒められれば利害を越えて忠誠を尽くしたりもする。

 名誉ある家に生まれ育った人間や、富裕層の人々が成長するにつけて習得する、誇りも情もハイダルにはなかった。

 生まれついての異常者だった。

「いるんですよ。そういう性格破綻者が」

 ヒルダがいうには、そのような性格破綻者は大抵が家門の恥になるので、まともな精神を有する家柄の人間ならこぞって幽閉したり隔離するだろう。

 稀に、常軌を逸せず正常な仮面をかぶったまま、奴隷にのみ自分の破綻した性癖をぶつける人間もいない訳ではない。

 だが、そういった人間ですら、異常行為は隠すのである。

 世間から受けるプラスとマイナスのイメージすら自分の中で秤にかけることができない正に例外中の例外、それがハイダルであった。

 蔵人たちがシャイロックの屋敷を訪れると、幸いにも本人は在宅していた。蔵人が以前に助けてもらった謝辞を述べると、シャイロックは屈託なく笑って見せた。

「なんだか疲れてるみたいだけど、どうかしたのかい」

「失礼、先ほど招かれざる客が来ていましてね」

 早耳の彼は、先ほどの大通りの一件はすでに承知していたらしく、気遣うように蔵人たちを見やっていた。

「そうですか。現場を見てしまいましたか」

 シャイロックは客間の椅子に腰かけながらゆっくりと息を吐きだし、それから持っていたティーカップをテーブルに置いた。

 蔵人が見る限り、表情にはあからさまに感情の動きは見えなかったが、瞳の底に潜む憂悶の色は隠せなかった。

「その招かれざる客ってのはハイダルのことか」

「はは、クランドさんはなんでもお見通しで。あの御仁にも困ったもので」

「そうか、やっぱり無理難題をいわれたのか。いくら商売だからって、あんな奴とは取引はしたくない、と」

「端的にいえばそうなるわけで、ハイダル・バーナー卿は随分とうちの奴隷を購入してくれるお得意さまなんですがね。それが、今回に至っては、クランドさんも知っているあの子にご執心で」

「あの子って、確かメイドの」

「ポルディナですよ」

「クランドさん」

 いままでずっと座ったまま無言だったヒルダが、はじめて口を開いた。

 蔵人は反射的に身体を引きつらせると、カップの中身を激しく動かして紅茶の中身が数滴舞い落ちた。

「なにを、ビクついてるんですか」

 ヒルダは人前ということもあってか、猫をかぶったままにっこりと目尻を下げた。

 嘘くさい笑顔だった。

「い、いや」

 シャイロックはふたりのやり取りをキョトンと見ていたが、やがてすべてを承知したかのように、片眉を下げながらニヤニヤと口元をゆるめた。

「クランドさん、老婆心ながら、私どもの店にあまりご婦人連れで来る方はおられませんよ。もう少し、気を使わなければ。こんな美しいお嬢さまはすぐ心変わりしてしまいます」

「いや、こいつのことはいいんだよ。別に」

「あーっ、もしかして、クランドさん! お礼だとかなんとかかこつけて、このお店で奴隷を買おうとしていたんですかぁ!!」

「だーっ、人前ででかい声を出すなっ、アホっ」

「あーあ、だから態度が変だったんだ。お礼だけならともかく、実は内緒で何度もお店に来てたんでしょう! お金もないのにい! 素寒貧なのにっ。ね、シャイロックさん。実はそうでしょう」

「あはは、シスター・ヒルダ。私も顧客の情報はそう安々もらすわけには行きませんよ。さて、クランドさんがウチの娘をお買い上げいただければなんの心配もないのですが。いま、問題なのはポルディナのことでしてね……」

 予想通り、ハイダルは蔵人たちが店に来る数時間前に訪れて、ひと暴れしていったらしい。隠しておいたポルディナを目ざとく見つけると、いますぐ売れとの一点張り。シャイロックほどの大商人ならば、屋敷に抱えた私兵たちで追い払うことは容易かったが、なにせ相手はこの辺りの土地の領主アンドリュー伯の一族である。この先の商売も考えれば、荒っぽい手に訴えることもできない。

「それに、いくら私が目をかけていても所詮は売り物です。ひとりだけずっと贔屓のしどおしというわけにもいかないのですよ。出来れば、彼女は私がこれという人物に託したかったのですが。せいぜい来月の公開オークションまで待ってもらうことで辛抱してもらうのが限界でした。本来ならば、彼女は特別なので市には出さず、個人売買するのですが、こうなってしまえばいたしかたありません。私どもとしては、バーナー卿より資力に勝る人格者がオークション当日に現れるのを天に祈るしかありません」

 奴隷市で開かれる公開オークションは、基本的に金さえ払えば、誰でも参加することができる。独身の冒険者がダンジョンで金を貯めて、徹底的に従順で、古女房のように権利を主張しない若く見目麗しい女奴隷を購入することはひとつのステータスであった。

「……あくまで仮だが、シャイロックさん。ポルディナを買うとなると、いくらくらいになるのかな」

「クランドさん?」

「バカ、あくまで仮に聞いてるだけだって。おい、痛いよ。だから痛いって、痛いよ!」

 ヒルダは、笑顔を崩さずに蔵人の太ももをつねり続けた。鬼である。

「私どもは、五百万(ポンドル)と見ていますが。バーナー卿の競り具合ではもう少し上がるでしょうな」 

「五百万(ポンドル)……」

 蔵人は口をあんぐりと開けると、虚空に視線をさまよわせた。

 ヒルダは太ももをつねるのをやめて、晴れ晴れとした顔をした。

 五百万(ポンドル)とは日本円にすると、約五千万円ほどである。確実に購入するなら、さらに資金が必要であろう。十万(ポンドル)の登録料を払うのに汲々していた蔵人には逆立ちしても用意することのできない金額であった。

 すなわち、ヒルダの女としての地位は完璧に守られたのであった。

 にこやかにならざるを得ない。

「途方もねえなぁ」

 蔵人は大きく息を吐き出すと、ソファにぐったりと背をもたれさせた。

「私どもの業界も、獣人にこれだけの値がつくとなると、ちょっとした騒ぎですな」

 蔵人はいままで旅の中で見聞きした奴隷の価格をせいぜい車を購入する程度のものだと考えていた。

 もちろん、奴隷は蔵人が不埒なことに使おうと考えている若い女奴隷ばかりではない。家事、育児、あるいは専門的に法律知識を持った者や、建築や芸術に優れた技術的能力を持った種類。あるいは、護衛や戦奴、ダンジョン攻略為だけに戦闘能力の高い種ばかり揃える冒険者もいる。

 いずれもピンキリであるが、もっとも多い人間族の女性交奴隷ですら、年齢のみを基準にすれば、歳が二十五を超えていれば数万(ポンドル)以下で手に入るのである。

 さらに、女としての価値だけ見れば、三十以上の歳を食った奴隷は値がつかず、ただですら引き取り手はいないのだ。

 このような、哀れな女奴隷達は場末の淫売宿に売られ最底辺の生活をしいられることになる。その寿命は酷使と劣悪な労働環境のため、一年ともたないとされていた。

 歳が十代ぎりぎりの範疇でそこそこの容姿をしているの女奴隷の値段がカローラ並なら、年齢は十二歳以下、優れた容姿と健康で知力の高い女奴隷はクラウンマジェスタである。

 絶対的平均寿命が低いこの世界ではあらゆる点で女性にとって年齢というものはネックになっていた。どれほどの美女であっても、歳がいっていれば鼻を引っ掛けないのが普通だった。子どもの産めない年齢となれば、下層階級では女性として扱われないこともしばしである。

「そう考えていた時期が僕にもありましたフヒヒ。まさか、ポルディナはロールスロイス並とは。庶民には手は出せませぬわい」

「え、そんなに高いですかね?」

 キョトンとした表情でヒルダがつぶやく。

「え?」

「んん。それはシスターのような生まれついての貴族から見ればそれほどでもないのですが、我々としてもひとりにそれだけの値をつけることはまずないのですよ。薄利多売ですからな、我が商会は」

「ボってない?」

「高いと見るか、安いと見るかは人それぞれでしょうな」

 シャイロックは両手を顔の前で組むと、困ったように眉を八の字にした。






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