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ダンジョン+ハーレム+マスター  作者: 三島千廣
第2章「迷宮都市シルバーヴィラゴ」
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Lv41「まどろみの中で」






 銀馬車亭は営業を再開した。

 主であるバーンハード亡きいま、レイシーが事実上、土地家屋の名義人である。

 変更の手続きなどに多少手間どりはしたが、商店街の馴染みの人々の尽力もあり、以前よりは営業時間を短縮して店を開いていた。

「……って、私の話きちんと聞いてましたか、クランドさん」

「うん。ああ、聞いてる聞いてる」

 ペラダン達との死闘の数日後の夜半、蔵人はいつものように銀馬車亭二階の大部屋で、ヒルダをはべらせて酒をあおっていた。階下からは、酔客の騒ぐ声が響いてくる。開け放った窓からは夜風が涼気を運んできた。

「にしても、チェチーリオの親分もポンと十万(ポンドル)(※日本円にして約百万円)もくれるとは、太っ腹じゃねえか」

「んもお、親分さんはくれたわけじゃないですよ。ちゃんと返さないと」

 蔵人は貸元チェチーリオに借りた五十万(ポンドル)を返す時に、相当ゴネた。

 理由は、チェチーリオから借り受けた差料が肝心な部分でまったく役に立たなかったことをチクチク責めたのである。借りるときの地蔵顔、返すときの閻魔顔を地でいく、もっとも手に負えない人間の見本であった。しかし、蔵人からすれば充分ないい分ではあった。

 もっとも必要な場面で得物を失ったのである。蔵人たちは、ヒルダが到着しなければ、確実に死んでいた。普通に考えて、金銭で償える程度の過失ではなかった。ときには命を張って男の意地を通す稼業のチェチーリオも蔵人の理屈には返す言葉もなく、結果として担保なしで十万(ポンドル)を黙って差し出した。そういった意味では、チェチーリオ実に器量の大きな男であった。蔵人のセコさが際立った。

「やーだね、これは俺がもらったんだから、もう俺のもんだ」

 これでようやく冒険者組合(ギルド)に登録できるのである。感慨もひとしおだった。

「まったく。子供みたいなことするんですから」

 ヒルダはふうっと小さく息をはくと、座っていた椅子から立ち上がる。それから寝台に座ったまま酒瓶から直飲みをしていた蔵人の隣に移動した。座った拍子に、ヒルダの手にしたカップが小さく揺れて中身の酒がこぼれそうになった。慌てて、蔵人が手を伸ばすと彼女を正面から抱きかかえるような形になった。

「なんだ、もう酔ったのかよ」

「そう、見えますか?」

 ヒルダは目元のふちをうっすら赤く染めながら、熱っぽい瞳で蔵人を見つめた。

 やべえ、こいつ色っぽいな。やりてぇ。

「ん、あははっ。ちょっとお、いきなりですかぁ」

 蔵人は鼻息荒くヒルダの胸元に顔を寄せると、ふたつの乳房へとローブ越しに顔を押しつけた。アレはすでに硬く隆起している。ヒルダは媚態を露わにしながら、蔵人の筒先へ手を伸ばすとぎゅっと握り締めた。

「んぎっ!?」

「クランドさぁん、ここ。もう、こんなに硬くなってますよぉ」

「すまぬ。もう、辛抱たまらんですたい」

 蔵人がヒルダをそのまま押し倒そうと上体を斜めに傾ける。

 寝台のマットが、ぎしりと音を立てた。

 同時に、入口の扉が大きく音を立てて開いた。

「ク・ラ・ン・ド? なにしてるのかな、いったい」

 そこには鬼、もとい、晴れてこの銀馬車亭の主となったレイシーが、真紅のドレスを吹き付ける夜風にはためかせながら仁王立ちしていた。

 くそ、なんでこんなタイミングで!!

「おい! 大丈夫か、ヒルダ! なに、気分が悪いのか。いやぁ、レイシー。実は、ふたりで仲良く健全にお酒を嗜んでいたら、急にヒルダの顔色が変色して」

「へ、変色っ?」

「うそ、本当なの。大丈夫、ヒルダ?」

 レイシーは持ち前の純真な性格から、蔵人のその場限りの嘘にまるっと騙されると、心配げにヒルダの顔を覗きこむ。

「うん、やはは。平気ですよ、そうそう。クランドさんに看病してもらってたんですよ!」

 ヒルダもレイシーが蔵人に惹かれているのを気づいていたので、自分だけ抜け駆けしたせいか、バツが悪くなって蔵人の嘘に乗った。

「いやぁ、本当酒って怖いわぁ。ホント、魔性の飲み物やわぁ」

 蔵人はすべての行為を酒のせいにして逃げた。ヒルダは彼の態度を見ながら、ふつふつと湧き上がってくるやりどころのない怒りをこらえることができなかった。

 ヒルダにしてみれば、そもそも、彼が男らしく自分たちの関係をレイシーに正直に伝えれば、こんなコソコソすることはないのに、という考えがあった。

 あれから、何度か関係を持とうとしたのだが、いいところになるとレイシーの本能的な直感が働くのか、二階にやってきてはふたりの逢瀬を(※ヒルダ視点)邪魔するのだった。

 もっとも、蔵人に定期的収入が確立して、この無料下宿所である銀馬車亭を出れば思う存分ふたりは愛を重ねることができるはずである。そういう意味でいつまでもグズグズしている部分は不満であった。

「やはは」

 ヒルダは表面上笑いを作りながら、レイシーの見えない位置で、握っていたモノをドアノブを扱うように強く捻った。

「ひぎいっ!?」

「どうしたのクランド。急に切なそうな声を出して。ちょっと、豚さんみたいな鳴き声だったよ」

 レイシーが奇声を発した蔵人を気遣っていった。

「あはは、本当。かわいいコブタちゃんですよねぇ。せっかく、いい子いい子してあげようと思っていたのに。とっても、残念」

「だから、ひぎいいっ!」

「クランドっ!?」

 この後、ヒルダは蔵人の大切な部分を思う存分レイシーに見えないようにひねり回して、ある程度満足すると帰っていった。蔵人は、ヒルダの責め苦がちょっと癖になっていた。






 ヒルダを大聖堂に送っていった後、蔵人は中途半端に高められた欲情の炎を打ち消すために、銀馬車亭の大部屋で一人孤独に酒をあおっていた。あきらかに過度の飲酒である。完全に酩酊状態であった。

 蔵人が帰宅したときは営業もちょうど終了していたのか、臨時でヘルプに入っているレイシーの友人たちが店を出るところだった。

 幾人かは既に顔見知りで、去り際に、今夜も頑張りなさいよ、とかレイシーをたまには休ませてあげてね、などと勘違いしたセリフを投げかけていった。

 くそ、今夜こそ頑張りたいよ、俺だって!

 蔵人の目指す究極目標はいまだ果たされていなかった。

 ズバリいうとレイシーをおいしくいただくことである。

「弔いとかいろいろあったからな、うん。別に、俺が意気地なしなわけではないぞ」

 蔵人がグラスを置いて、ここは男らしく夜這いでもいっちょかけようかと、寝台から腰を浮かせかけると、部屋の入口がこんこんと、小さくノックされた。

「お入り!」

 蔵人が勢いよく声をかけると、扉が薄めに開いた。

 そこには、恥ずかしげな表情で枕を抱いたレイシーの姿があった。

「ねえ、いっしょに寝ていいかな」

 蔵人は惚けたままうなづくと、再び浮かせかけた腰を下ろした。






 ランプの明かりを消すと、世界が黒一色に染まった。目をジッと凝らしていると、徐々に闇へと眼が慣れていく。蔵人は暗闇の中で次第に輪郭を浮かび上がらせていく室内の調度品から目を離すと、隣で身体をガチガチにしているレイシーのムッとするような女独特の体臭に目眩を覚えた。

「もう寝ちゃった?」

「いんや」

 寝られるはずがない。蔵人は不能ではないどころか、精気があり余っている若者である。

 蔵人がギリリと歯を噛み締めて己の内なる理性を呼び起こしていると、レイシーの細くしなやかな手がそろそろと自分の腕に絡められるのを感じた。

「ぎゅってされるのは、いや?」

 大好き。じゃなくて、ここはハードボイルドに決めるぜ。

「嫌ならいっしょにゃ寝ねえよ。眠れないのか」

「うん。父さんがいたときはさ、考えもしなかったよ。ここってすっごく広いんだよね。ひとりじゃ、こわくてたまらないの」

 無理もないことだった。バーンハードはまだまだ働き盛りの年で体力的にも若者とは見劣りはしなかった。レイシーはまだ十七で、嫁にでも行かない限り、こんなに早く父親と別れるとは考えもしなかったのだろう。

「ねえ、クランドって故郷(くに)はどこなの? ずっと旅してきたんでしょう。家族とかはいないの?」

「今日は随分と聞きたがりだな。そうだな、故郷(くに)はここからずーっと遠くかな。考えてみれば、この街まで随分と歩いたけど旅をしたっていえるのは生まれてはじめてかもな」

「そう」

 レイシーは蔵人が故意に家族のことを答えなかったのを、殊更深く尋ねなかった。

 帰る故郷のある蔵人くらいの年齢の男なら妻帯していて子供がいてもおかしくはない。

 知人も身よりもないこの街まで流れ着いたのは、よくよくの事情があったのだろう。

 彼もまた孤独なのだ。

 そう、考えるとレイシーは自分と同じ蔵人の境遇に強い共感を覚え、さびしさのかけらも見せない彼のことがよりいっそう身近に思え、いとおしくてたまらなくなった。

「ずっと旅をしてて、辛くなかった?」

「俺はさ、レイシー。この年までずーっとぬるま湯に浸かった生き方をしていたからな。そういう点では、かなりこたえたけど、まあ、慣れたさ。人間はな、どんな苦しいことでもいつかは慣れるもんだ。スリきれた靴底みたいにボロボロになって、その内なにも感じなくなる。心のヒダが平坦になっていくんだ。考えてみれば、レイシーにあの場所で会わなかったらいまも野良犬同然にその辺りをさ迷ってたかな。はは、ガキどもに石投げられたりしてたかもな」

「……クランド」

「金を一銭も入れない身で図々しいんだが、ここは極楽だよ。目を閉じれば屋根があって、風を遮る壁もある。一日歩き疲れたあとに身体を横たえる樹の下や、岩陰をいちいち探す必要もない。雨に打たれながら、空きっ腹をかかえながら明日のメシの心配もせずに済むんだ。追い剥ぎや野犬、荒野をうろつく化物に怯えることもない。毎日が夢のようだ。そして、いつかその夢が覚めねえかと怯えている自分がいるんだ」

 レイシーは蔵人の言葉を聞きながらはじめて彼の心に触れることができた気がした。

 胸の中に熱いものがどんどんこみ上げてくる。レイシーは強い感情のうねりをコントロールできずに、目尻に盛り上がった涙がこぼれそうになった。

「ずっとここにいていいよ、ううん、違う。あたしがクランドにずっとここにいてほしいんだよ。ごめんね、辛いこと聞いてごめんね。あたし、いつも自分のことばっかりだっ。……いまだって本当はやさしくして欲しいから勝手にベッドまで押しかけてっ」

「いいんだよ、別に。ほら」

「あっ」

 蔵人はレイシーの肩に手をかけて引き寄せると、そのむっちりとした身体を自分の胸の中へすっぽりとおさめた。なめらかな砂色の髪へと手を伸ばして髪をすいてやる。指を引きぬくたびに、さらさらとした流れる感触だけが残った。

「おまえが欲しい。抱くぞ」

 蔵人はレイシーの耳元で囁くと、彼女の小さな顎をつまんで顔を正面から見つめた。

 あまりにもストレートな言葉であった。レイシーは、顔を真っ赤にすると、こくんとうなずいた。

 レイシーのほつれた髪の間から覗く瞳がそっと伏せられる。

 蔵人は、桜色の唇にそっと口づけると、徐々に舌を押しこんでいく。彼女は、驚いたように一度目を見開くが、徐々に自分の唇を開くと、蔵人の舌を迎え入れた。






 おかしいな。

 もっとロマンチックな展開になるかと思ってたら、いつの間にかアニマルみたいにやってたぜ!

 蔵人は隣で安らかな寝息を立てているレイシーの寝顔を見ながら、ううむ、と唸った。

 本音をいうと、あと五、六発は抜きたいのだが、精神的には充足しているので今日は我慢しようと思う。

「ふあああ、ねむ……」

 蔵人はレイシーの長く艶やかな髪を幾度か指先に絡めては弄び、それからもう一度いまだ濃い火照りの残った彼女の白く美しい肉体を胸元にかき寄せると、まどろみの中に落ちていった。






「おかしいですね」

 翌朝、やや遅い朝食を一階のカウンターで蔵人たちが摂っていると、当然のように押しかけてきたヒルダがカップの中のミルクを舐めながら疑惑の視線を投げかけだした。

「おかしいって、なにがだよ」

 蔵人は平静を保ちつつも、黒パンにはちみつをかけた半切れを、ゆっくりと口元から離した。

「なんだかレイシーの機嫌が異常に良いです。なにかありましたか」

「なんにもないよー。ほら、ゆで玉子ちゃんもあるよ。ヒルダもいかが」

 レイシーが歌うように剥いたタマゴを差し出すと、ヒルダは軽く鼻を鳴らした。

「結構です。朝食は、教会で済ませましたから」

 レイシーはこの世の春といった表情でにこやかに給仕を行っている。ヒルダは猜疑心を露わにしながら、つやつやとした彼女の肌つやを、刺すように眺めだした。

「あ、クランド。口元にパンくずついてるよ」

「んんん。そうか?」

 レイシーはごく自然な動作で蔵人の下唇に付いていたパンくずを摘むと、自分の口の中に放り込んだ。ヒルダの身体があまりのことに硬直した。

「……ちょっと待ってください。なにか、いまおかしなものが私の目に映りましたよぉ。おかしいなあ、なんでだろうなぁ。ねえ、クランドさん。ちょーっと、私たちの関係性をレイシーも交えてお話しませんかねぇ」

「関係性?」

 きょとんとした表情でレイシーは人差し指を口元に当てながら小首をかしげた。

 対照的にヒルダの顔つきは、明らかに嫉妬と怒りの二色に塗りたくられている。

 いわゆる修羅だ。

 蔵人は予知能力がない自分にも、この先の展開次第で破滅が待ち受けている状況が一瞬で理解できた。

 段階を積んで構築していたプチハーレム崩壊の危機であった。 

「あああっ!! そうだっ、やっべ、マジやっべ。おい、レイシー、ごめん。今日はヒルダと冒険者組合(ギルド)へ登録に行く予定だったわ。あーうまかった。マジ、朝飯最高だった。んじゃ、急いでるんでっ!」

 蔵人はヒルダの手を引くとカウンターの椅子から出口のスイングドアに向けて駆け出した。

「あっ、ちょっとおお。お昼ご飯はぁーどうするするのぉー」

「適当に済ませるからぁー」

 蔵人は自分の遥か後方の店先にいるレイシーが投げキスをしているのが、ヒルダにばれませんようにと天に祈った。

 蔵人は銀馬車亭からかなり離れた位置まで移動すると、何事もなかったようにヒルダの手を引きながら、ゆっくりと散策をはじめた。当然、その間ヒルダは顔を伏せたまま無言である。彼女の能面のような顔は説明を求めている。

 もっとも、正直に、昨晩レイシーの変な穴に自分の変な棒を楽しく出し入れしました、とはいえなかった。

 いったところで大惨事が早まるだけである。

「いやあ、夏ですなあ。こう、真っ青な空を見上げていると、こころまで晴れ晴れとしてくるなぁ。そう、思いませんか。シスター」

「ちょっと、手を離してください。痛いんですよ」

「あ、ごめんなさい」

 ヒルダはよそよそしい口調で蔵人につかまれていた手を振り切ると、その場に立ち止まったまま動かなくなった。街を歩いている人々が、すれ違いざまに不似合いなふたりの関係性を探ろうと時折チラ見するが、獰猛なヒルダの視線に睨まれると、怯えたように足取りを早めてその場を去っていった。大通りの真ん中にぽっかりとおかしな空間ができた。

 蔵人の額におかしな汗がだらだらと滝のように流れはじめた。

 おかしい。

 なぜ俺がこんな真昼間から往来のど真ん中で糾弾されなければいけないのだ。

 望むままに愛を与えてやったのに、不条理ではないか。

 二股をかけるからいけないとか、愛はただひとりのみに捧げなければならないとか、そんなおためごかしを抜かすやつは許さない。この俺が刺し殺す切り殺す叩き殺すブチ殺す。

 そうだ! なにも恐ることはない。

 迷わずヤれよ、ヤレばわかるさ、と猪木もいっている(※いっていない)

 蔵人は、とりあえず攻勢に出ればなんとかなるんじゃないか、と見切り発車をして、強気でヒルダに声をかけた。

「おい、ヒルダ!」

「なんだよ」

 え、あ、その怖いよ、このお嬢さん。

 蔵人はヒルダのあまりの形相に怯えた。

 負け犬根性丸出しであった。

「あっ……はい、あの……マジ、すんません。なんかすんません」

「なにを謝っているんですか。私にちゃんと理解できるように説明してくださいな」

 ヒルダはにこやかに慈母のような微笑みを口元に湛えている。蔵人はそのそこに潜む真冬のような凍てついた鋭さに気づき、静かに恐怖した。

「いや、その……なにか、ヒルダさんの気分を朝から害したみたいで、マジすんません。生きててごめんなさい」

「別に怒ってませんから。ただ、どうしてレイシーに私たちの関係性を秘密にしようとしたことを問うているのですよ」

「え、なんスかね。その、関係性って。自分、無学でよく分かんないスけど」

「はあああっ!?」

「ひいいいいっ」

 おかしい。

 何日か前の、自分をかばって傷ついた天使はどこにいってしまったのだろうか。

 そうか、あの時の純粋なヒルダは天に召されたのだ。

 蔵人はかように強く思うことでこころの冷静さを保とうとした。無理だったが。

「ちょっとそこでお話しましょうか」

「あの、自分あんまりおノド渇いていないんですけど」

「私が乾いているんですよ。むしろ乾ききってます。逆らうんですか?」

「いえ、逆らうとか、そういうつもりは毛頭ありませんよ。ただ、今日は冒険者組合(ギルド)に登録に行くと決めていたではありませんか。受付時間とか決まってますし、そのぉ、遅れたりするのとかは人としてどうかと思いますが」

「本当に、冒険者になるつもりなんですか」

 ヒルダの瞳が気遣わしげに曇る。

「ああ、俺だっておまえとのことをなにも考えちゃいないわけじゃない。これからの将来の為にもダンジョンを攻略して必ず名を挙げてみせる。なんだかんだいったって、いつまでも他人様にすがって生活していくわけにもいかないしな。俺は自分の力で稼いでおまえにも、なにか買ってやりてえし。それくらいできなきゃ男じゃねえだろ」

「クランドさん……」

 先程までの剣幕はどこへやら、ヒルダは感じ入ったように両手を胸の前で組み合わせると、ほわっとした表情で蔵人を見つめている。

 よしっ、上手くごまかせたぜっ。根来忍法話すり替えの術でござる。

 蔵人はヒルダの手を引くと、街路の木陰に移動した。茂った厚い緑の葉が、夏の日差しを遮っている。ひんやりとした空気が留まっていて涼を得るには良い場所であった。

「どうしたんですか、いきなり」

 戸惑うヒルダの唇を有無を言わせず奪った。蔵人は彼女の小さな肩を抱き寄せて、ねっとりと口を吸った。ヒルダは次第にとろんと表情を弛緩させると、目元に朱を滲ませながらおずおずと小さな唇を開いて蔵人の突き入れる舌を迎えいれた。

「んんんっ……あむぅ……あぅ」

 ちゅぷちゅぷと音を立て、唾液を互いの口中で攪拌する。

 そっと、顔を離すと、糸のようなつばが、少女の桜色の唇から垂れた。

「んもう……冒険者になってもあぶないことしちゃ、ヤですよ」

 ヒルダは火照った頬のまま口元をゆるめた。普通ならこんな手は通用しなそうだが、そこは一度でも肌を重ねた相手である。彼女は、蔵人の思いを再確認せねば不安だったのだろう。破局の危険を回避したふたりは、仲睦まじく腕を組みながら(※かなり暑苦しい)大通りにある冒険者組合(ギルド)の事務所前まで来ると、足を留めた。

「じゃあ、私は向かいの喫茶店で待ってますから、手続きが終わり次第迎えに来てくださいね」

「おう。わかった」

「クランドさん」

「なんだ」

 かなりの身長差のあるヒルダが背伸びをしながら、不意打ち気味に蔵人の唇へ、小鳥のように、ついばむキスをした。

 えへへ、と笑いながらヒルダが遠ざかっていくのを見送る。

 蔵人が決意も新たに事務所への階段を登りはじめると、入口に立っていたふたりの番兵が憤怒の表情で睨みつけている。

 この世の不条理を一身に背負ったような憤怒の表情だった。

「死ねよ、リア充がっ」

「殺すぞ、クソ小僧がッ!!」

「世の中甘かねぇぞッ!!」

「ダンジョンをなめてんじゃねーよ、若造がっ」

 前途は多難そうだった。


 



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